ヴィクトール・フランクルはオーストリア生まれのユダヤ人である。第二次世界大戦時、強制捕虜収容所に捕虜として捕らえられ強制労働を強いられたのに、奇跡の生還をした精神科医として有名である。その体験を記した『夜と霧』は世界的ベストセラーでもある。彼は、強制捕虜収容所に収容される前に勤務していた精神科の病院で、多くの自殺志願者を救った稀有なドクターとしても知られている。一度入れられたら二度と戻れないと言われた悪名高きあのアウシュビッツから何故生きて戻れたのか、不思議でならないと言われている。
フランクルは、何度も不思議な経験をしている。代表的な奇跡的経験を二つあげたい。まず一つは、アウシュビッツ捕虜収容所での出来事である。頑強で働く能力の高い男性だけを選別していたナチスドイツの医師が、行列を進むひとりひとりを指さして右と左に振り分けていた。そこで、右と指示されたら働けないとみなされてガス室送り、左と指図されたら強制労働の為に生かされることになっていた。フランクルは明らかに右と指さしをされたのに、その医師の背後に見つからずに巧妙に回り込んで、左の列に紛れ込んで難を逃れたのだ。
二つ目は、連合軍が進軍してポーランドを解放しようとしていた終戦間近の時である。ナチスドイツは、捕虜収容所での反人道的な行為を隠蔽する為に、殆どの捕虜をガス室に送り込む移送をする手筈をしていた。医師であるフランクルはその捕虜たちの付き添いとして同行することになっていた。ところがその直前に発疹チフスを発症した為に、移送されないで収容所に残り、連合軍に助けられて奇跡的な生還を果たしたのである。どちらの不思議で奇跡のような体験も、まるで見えない力が働いて、『生かされた』としか思えないのである。
この二つの代表的な奇跡の出来事以外にも、沢山の不思議な体験をフランクルは経験している。こんな偶然としか思えないような奇跡が、何故起きたのであろうか。フランクルは、体験記の中でこのように分析している。それは、自分がなぜ生きるのか、生きる意味が何かを明確に持っていて、なすべき使命を粛々と果たすべきだと確信していたからだと。当時、精神医学界における革新的な理論を提唱する著作を執筆中であり、その原稿を隠しながら収容所に拘束された。その原稿を世に出すという使命を果たすことに命をかけていたのだ。
フランクルは、さらに自分が果たすべき新たな使命を抱えることになる。アウシュビッツなどの強制捕虜収容所で起きた出来事、明日は死ぬかもしれないというそんな極限状況に追い込まれた人間が、どのような精神状況に置かれて、どう行動したのかを克明に記した著作を発表しなければならない。このような使命は、自分以外に出来ないのだから、何としても生き延びなければならないのだと、強く思ったと述べている。このような強い使命感を持っていたからこそ、自分は天命によって生かされたのだと確信したと言っている。
強制捕虜収容所から連合軍によって解放されて、これらの体験を基に様々な著作を上梓することになる。また、メンタル疾患で悩み苦しんでいる人々や自殺願望の人々を救う精神療法としての『ロゴセラピー』を確立する。ということは、フランクルにとって非常に苦しい捕虜体験ではあったが、この体験があったからこそ、その後の彼の精神医学の研究や臨床において大きな成果を上げられたとも言えよう。だからこそ、彼が常々唱えていた言葉「それでも人生にYESと言う」が真実味を持つのであろう。
人間を超越した生きる目的があるし、人間には心と身体だけの存在だけでなく、それを超越した存在や意味があると述べている。そして、意味ということを根源的に問うならば、この世界全体の出来事全体に意味があると考えられるとも。これこそが、フランクルの唱える人生における『究極の意味』であり、『存在の超意味』とも呼んでいたものだ。我々は、自分に起きる様々な出来事、特に辛いことや苦しい出来事が起きると、起きた原因や背景を探りたくなるものである。しかし、そのことに捉われることなく、出来事が起きた意味にフォーカスして、その出来事を自分の人生に生かしていくことが大切だとフランクルは教えている。
※イスキアの郷しらかわでは、ヴィクトール・E・フランクルの説いた『生きる意味や生きる目的』、究極の意味や存在の超意味についての研修講座を開催しています。また、メンタル疾患や自殺願望者を救う『ロゴセラピー』についても学ぶことが可能です。問い合わせ・申し込みのフォームから、費用や希望日程等について、お問い合わせください。
