寝たきり老人ゼロ作戦という厚労省のスローガンで始まった在宅医療を充実させる政策は、見事に失敗した。同時に始まった厚労省の介護保険制度が、皮肉にも寝たきり老人を大量に生み出してしまったのである。所詮、机上の空論を論議するしか能のない厚労省キャリア官僚の読みの甘さがこんな悲惨な結果を招いたと言っても過言ではない。現在、寝たきり老人(要介護5)の比率は全人口の6.1%にもなる。ということは、人口比率で割り出した寝たきり老人は248万人であるし、隠れ寝たきり老人を含めると300万人を優に超える。
この寝たきり老人の割合と数は、ぶっちぎりの世界一位である。欧米や他の先進国ばかりでなく、発展途上国においても寝たきり老人は殆ど存在しない。どうして、日本だけがこんなにも寝たきり老人が多いのか、実に不思議な現象なのである。他の国では寝たきり老人が極めて少ない。どうして日本に寝たきり老人が多いのか、明らかにしたい。そのうえで、このままの高齢者政策で良いのか、それとも抜本的な対策が必要なのを論じたい。そうすれば、日本の財政もどうにか出来そうだし、社会保険料の負担軽減にも繋がる筈である。
300万人の寝たきり老人の介護費用は国と都道府県と市町村、介護保険料、そして自己負担料金で負担している。行政で負担しているというが、財源は消費税だとされているから、すべての介護費用は国民が負担しているということになる。300万人分の寝たきり老人の介護費用と医療費を国民が負担しているのだから、社会保険料負担と税負担の割合が多いのは当然である。収入の半分以上が社会保険と税金で持って行かれてしまうのだから、豊かさを実感できないのは当然である。その原因の一端が寝たきり老人が多いせいなのである。
さて、どうして日本だけが寝たきり老人が多いのであろうか。欧米の寝たきり老人がほぼゼロなのに、日本にだけ寝たきり老人が多いのはまったく理解不能なことである。それは、日本の医療保険制度と介護保険制度における決定的な間違いがあるからだと断言できる。それだけではなく、医療機関と介護施設においての高齢者に対する医療が根本的な誤謬を犯しているからである。それは、医学における哲学と言えるような領域ではあるが、何のために医療を行うのか、誰のための医療なのかという根本原則に反しているとも言える。
寝たきり老人で、これ以上の回復が見込みのない患者に対して、過剰な医療措置を行わないのが欧米の医療である。つまり、医療の質や量を優先にはしないで、あくまでもその患者さんや要介護者さんが本当に望むものを提供するだけなのである。そこには延命措置に対する考え方の大きな差異が存在する。人間が尊厳を持ち続けられて、当事者が生きる喜びを待ち続けられるかどうかが大切だとするのが、欧米の医療や介護なのである。勿論、それには当事者のリビングウィルの意思表示も必要だが、家族が納得することが求められる。
日本では、何となくというか可哀想だから延命措置を続けるという考え方が多いが、欧米においてはまったく違う視点から延命措置を選択する。当事者がどちらを選択するか、またはどちらのほうが当事者が真の幸福を得られるのかが重要なのである。医療関係者や家族は、それらの選択肢を持たないという立場だ。そういう人間の尊厳についての説明も、懇切に家族に納得の行くまでするのが当然だ。そして、当事者が望む、または望むであろう最善の策を実施する。だから、点滴や胃婁など寝たきり老人に対する過剰な医療はしないのである。
感情論で言えば、そんな可哀想で残酷なことをしたくないと思うのが家族であろうが、それは当事者にとっては非常に残酷だと言える。生きられるのに生きる権利を取り上げることは、家族や医療関係者は出来ないと主張する人がいるかもしれない。しかし、生きる幸福感がなく苦痛や悲しみを長く続けさせることこそ、当事者の望むところではない筈だ。どこかの政党が延命治療は100%自己負担にすべきだと言っていたが、それは間違いだ。国がそんな残酷な制度を作って人々の考えを変えさせるのはあまりにも乱暴だ。生きる意味、生きる目的などを当事者と家族が、寝たきりにならない元気なうちに深く話し合って決めるべき事なのである。
