女の幸せという呪文から解き放て

 男性から、または両親や親族から、女の幸せを求めなさいと説き伏せられることが多くないだろうか。女の幸せを求めることが、世の中の共通価値観だと、小さい頃から思い込まされてきたに違いない。男の幸せを求めなさいと諭されることはないのに、どうして女の幸せだけを追求せよと指示されるのか、とても不思議である。女の幸せという言葉は、いつの間にか当たり前のように私たちの心を支配してしまっている。だから、女の幸せを求めようとしない女性は、社会からは落伍者のような扱いをされるのだ。

 ところで女の幸せというと、どのような生き方を思い浮かべるであろうか。まずは結婚して良妻賢母を全うすることがあげられよう。さらには、自分の欲望を満たす事や自己実現よりも、家庭を守り家族の幸福を実現することが最優先の生き方としてあげられる。つまり、男は外で働いて、女性は家庭を守るという生き方こそが、女性としての幸せだと、子どもたちに言い聞かせて育てたのではないだろうか。だから、息子も娘も女の幸せを実現しようという考え方を知らず知らずのうちに擦りこまれてしまったように思う。

 この女の幸せというワードは、至極当然であり誰もがこの生き方を求めるべきだという価値観を押し付ける。言わばマインドコントロールではないかと気付き始めた人も多いように感じる。だからこそ、社会的な価値観に縛られず、自分らしく生きたいと思う女性も増えて来たし、親からの古い価値観による支配を逃れようとする女性が現れたのではなかろうか。男女共同参画社会の実現を謳いながらも、まだまだ日本における男女の平等性は低いと言わざるを得ない。特に、家庭において果たす男女の役割分担については問題がある。

 家事育児の役割分担における男女の比率が、日本人という国民性もあるからと言えようが、女性の負担割合が極めて大き過ぎるという実態がある。そして、女性は仕事よりも家庭をなによりも大事にすべきだという価値観が、女性だけでなく男性をも支配するのである。だから、女の幸せとは家庭を守り子育てすることを最重要課題として全うし、旦那様の仕事と成功を支えることが女性としての幸福なんだと思い込まされてしまうのだ。男性もそれこそが女の幸せなんだと勘違いすることから、女性の不幸が始まるのだ。

 日本人の多くがというよりも殆どが女の幸せという言葉に違和感を持たないであろう。それが日本人の殆どが持つジェンダーにも繋がっている。そもそも女の幸せなんていう言葉そのものが、女性を家庭に縛り付けるためのプロパガンダであると言えよう。女性の人権を侵害するばかりでなく、女性の社会における活躍を阻害させてしまう言葉を使うべきではないのである。この女の幸せという言葉に惑わされてしまい、本来の自分らしい生き方を諦めてしまった才能ある女性が、どれ程いたかと思うと悔しい限りだ。

 女の幸せという概念を創り上げたのは、誰であろうか?それは、女性自身が創り上げたものではないだろう。女性を見下していて、家庭に縛り付けて夫にとって都合の良い妻であり母であり続けることを望んだ男性が、女の幸せという概念を創造したに違いない。なんと低劣な価値観であろうか。家事育児は女性が担当して、男性が仕事に専念しやすいように、または女性を社会に進出させないようにして、夫が妻を独占しようしたのではないかと思われる。妻は夫から一方的に所有・支配されてコントロールされる存在ではないのだ。

 女の幸せという概念を排除してしまったら、結婚しない女性が増えるし、出産しない女性が増えてしまい、少子化が一層進んでしまうと保守層は反対するに違いない。それはまったく的を射てない考え方だ。女性がもっと社会に進出して活躍して、仕事においても輝き出したとしたら、少子化は止まる。何故なら、人間本来の自分らしい生き方が出来るようになり、自分自身を愛せるようになった女性は、自分の分身をこの世に残したいと思うからだ。ましてや、積極的に家事育児を分担しようとして、社会で活躍する妻をサポートしようとする男性は、女性から見ても魅力的だから、この人の子孫を残したいと思うのである。女の幸せという呪文から解き放たれた社会を実現したいものだ。

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