ボーっとしている時間が大切な訳

 NHKのTV番組『チコちゃんに叱られる』で、ゲストが質問の答を間違うと、「ボーっとして生きているんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られる。お決まりのパターンであるが、ボーっとして生きていることが、いかにもいけないことだと視聴者に思わせてしまうに違いない。ボーっとして生きるということは、時間を浪費しているようなイメージを持たせるし、何も生み出さないからと、絶対にやってはならないことだと多くの人々が思っている。しかし、このボーっとしている時間こそが、脳の発達に必要不可欠で大切なのである。

 このボーっとしている時間がないと、大脳は正常な発達をしないし、豊かな心も育たないと言われる。確かに、四六時中ボーっとしていて何もしないと言うのは、避けたいことである。しかし、時には何もしなくて何も考えずに、ボーっとしている時間を持つのは大切なことである。ボーっとするのは、脳を休めるためではない。実は、ボーっとしている時間でも、脳は大切な機能を発揮しているのである。そして、ボーっとしているように見えていながら、大脳の発達をさせているということが、脳科学の研究により判明してきたのである。

 一生懸命に、難しい勉強したり厳しい仕事をしたりしている際は、左脳と右脳を思いっきり機能させている。右脳と左脳を繋ぐ脳梁を使って情報交換をしながら、上手く情報処理を実行している。脳梁を太くさせて、その機能を発達させるには左脳と右脳の両方を同時に働かせ、難しい作業をする必要がある。いろんなことを考えながら身体も同時に動かすと、右脳と左脳を同時に働かせて脳梁の機能が向上する。これも人間の成長には、必要な事である。それ以上に脳の進化に必要なのが、ボーっとしながら過ごす時間である。

 右脳も左脳も、ボーっとしている時に情報や感情を整理し直すらしい。また、情報の再ファイル化をして連携化したり、必要な情報と不要な情報に整理し直したり、大切な情報を自分にとって直ぐに活用できるようにしたりしていると言われている。脳は、睡眠中も同じようにその日に起きたり学んだりしたことを整理整頓すると考えられている。ボーっとしている時というのは、無心とか無我になることと同じと考えられている。つまり、座禅をしていることと同じ行為だと思われる。何も考えず何もせず何も願わない時間なのである。

 座禅とは、何も考えずに只ひたすら座ることである。座禅は、悟りを得る為にする行為だと思われがちだが、実は何かをする為に座禅をすると、心を動かし脳を働かせてしまう。だからこそ、何も思わないのが座禅なのである。無心や無我の境地に至らないと、脳は本来の働きをしないし、進化しないのである。無心になって初めて潜在意識が顕在意識を凌駕するのではなかろうか。人間の無意識の領域は約9割近くに及ぶと言われている。その無意識の領域をほんの少しでも活性化できたとしたら、超人の働きができるのだ。

 ボーっとしているというのは、何もしないし何も考えないという瞑想にも通じる。これは、写経、読経、ヨガ、滝行、山岳修行などのマインドフルネスにも言えることかもしれない。ひとつのことに専心するということは、邪念を追い払う事でもある。勿論、ボーっとしている時間もまた、人に対する怒りや憎しみの感情や妬み嫉みを捨てることである。ボーっとしている時間を過ごしていると、何も考えていない筈なのに、過ごし終わった後に驚くほどの抜本的な問題解決策が見つかることもある。

 子育て中の親たちは、子どもがボーっとしていたら安易に注意すべきではない。それは、脳の整理と成長の為に必要な無意識の行動なのである。それを見た親が、ボーっとしている時間を子どもから取り上げてしまったら、大切な大脳の進化発展を止めてしまい、将来不幸になるかもしれないのだ。子どもにとっては特にこのボーっとしている時間が必要不可欠なのだと心得たい。ボーっとしている子どもを見たら、ああこの子は脳の大事なトレーニングをしているんだと、温かく見守ってほしい。やがて、大天才になるかもしれないのであるから。

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