縄文人の細胞記憶を目覚めさせよう

 最古の日本人である縄文人のルーツは、まだ完全には解明されていないらしい。しかし、最新のDNA分析によると驚くべきことが解ったのだという。縄文人は、中国や朝鮮半島を渡ってやってきたのではないかと見られていた。だから、縄文人の祖先は中国人や朝鮮人なのではないかと思われていたのである。ところが、DNA解析をしてみると中国人や朝鮮人の渡来人のDNAとは明らかに違っているのだというから驚きである。そして、現代人の身体にも縄文人のDNAが色濃く残っているというのである。

 科学の大きな進歩によって、縄文人の遺伝子解析が驚くようなレベルで解明されてきた。人間の祖先はアフリカ大陸から生まれたと言われている。それがユーラシア大陸を渡り、進化しながら日本に渡ってきたのではないかと見られている。そして、日本に縄文人が渡ってきた後から、中国大陸に別の人種が渡ってきて進化したという説が有力になってきたらしい。つまり、中国大陸から朝鮮半島を渡ってきて、稲作文明を広めた弥生人は、縄文人とはまったく違う人種だったのだろうと考えられている。

 縄文人のDNAが色濃く残っているのは、アイヌ人と沖縄の人々ではないかと見られている。そういえば、彫りが深くて独特の顔立ちは、お互いに共通している処が多いように見られる。縄文人のDNAが残っている割合が極めて低いのは、関西地方と四国に住んでいる人だという。青森や岩手などの東北地方の人々には、縄文人のDNAが多く残っていると言われている。縄文人のDNA割合が低い日本人と、縄文人のDNAの比率が高い日本人がいるということである。住んでいる地方によって比率が違うというのだ。

 あくまでも想像であるが、縄文人が大陸からやってきて最初に定住したのは沖縄と九州各地、そして本州の海岸に近い地域で住んだのではなかろうか。そして、弥生人が大陸からやってきて縄文人は追いやられて、流れ流れて東北地方を定住の地として選んだのではないかと思われる。縄文人の末裔のアイヌの人々は東北から北海道に移り住んだと想像する。一部は沖縄に永住して、縄文人のDNAが残ったのではなかろうか。弥生人から定住の場所を奪われた縄文人は北陸地方から東北地方に移り住んだのではなかろうか。

 せいぜい1000年前後しかなかった弥生時代と違い、縄文時代は一万三千年もの長期間に渡り平和な時代を築いた。どうして平和だということが解るかというと、縄文時代の人骨には武器によって傷ついた跡がないからだとされる。一方、弥生時代の人骨には明らかに戦った痕跡が多いのだと言う。また、縄文時代はお互いが支え合うコミュニティが確立されていたというから驚きだ。高福祉で全体最適の価値観を大事にした共同体が形作られていたことが歴史研究家によって明らかにされている。

 全体最適の価値観を持っていた縄文人と比して、個別最適を目指して自分の利益を最優先に暮らしていた弥生人は、身勝手で自己中な生き方をしたと思われる。そして、弥生人のDNAを多く持った人々の細胞記憶は、現代人にも引き継がれて、自分にとって損か得かという価値観を何よりも大切にして、人を騙したり蹴落としたりしても自己利益を求める。一方、縄文人のDNAを色濃く残した現代人の細胞記憶は、個別最適よりも全体最適を目指して、全体の幸福を願った生き方をするに違いない。どちらの細胞記憶も、普段は眠っていたとしても、人生の中で重大な危機に立たされた時に目覚めるだろう。

 縄文人の細胞記憶を目覚めさせることが出来た人間は、人間本来の生き方が出来るに違いない。何故なら、全体最適と関係性重視の価値観を持つ縄文人は、システム思考の生き方を実践していたからである。つまり、自らの自己組織化を目覚めさせ成長させて、主体性、自主性、自発性、責任性を発揮していたのである。人間の細胞は、本能的に自己組織化する働きを持つ。縄文人のDNAを多く持つ細胞が目覚めたなら、自らが自己組織化する生き方をするだろうし全体最適の哲学を実践するに違いない。故に現代人は、縄文人の細胞を目覚めさせることが求められる。

自己犠牲を伴う子育てをしてはならない訳

 多くのお母さんたちは、子どものためにと自己犠牲も厭わずに努力する。一方、父親は自己犠牲を嫌がる傾向にある。仕事や自分の趣味を優先にするし、運動会や発表会にはしぶしぶ参加するものの、普段の育児や家事は妻に任せきりにしがちだ。その分、妻の負担が増えるし、子育てはお母さんに責任があるという社会的風潮もあるので、手抜きもできないから一所懸命にならざるを得ない。そういった際に、お母さんたちは自分を犠牲にするような子育てこそが理想的な母親像だと思い込み、そういう落とし穴に迷い込みがちだ。

 確かに母親と言うものは、自分を犠牲にしてでも子どもを立派に育てなければならないという思い込みに捉われがちである。昔から女性は良妻賢母を生きることを強いられるような社会風潮に縛られる傾向がある。子どものために母親は犠牲になることも厭わないのだという周りの期待に応えてしまうのだと思われる。しかし、自分が犠牲になるような子育ては、子どもにしたら有難迷惑なのである。けっして子どもはそんな風に育てられることを望んでいないし、ちっとも嬉しくないのである。

 何故、自分を犠牲にしてしまう子育てをしてはならないかというと、無理している心が子どもに伝わってしまうからである。子どもというのは、ピュアな心を持っているから親の本心を簡単に見抜いてしまう。親が嘘をついたり誤魔化したりすると、子どもは親の仕草や表情から、親の偽りを直感的に解ってしまうのである。そうすると、子どもの為にと無理してやってあげたことなのに、子どもは嫌な気持ちになるだろう。ましてや、親が自分を犠牲にして子育てをしていたら、子どもは自分の為に辛い思いをする母親を見て悲しむに違いない。

 さらに親自身も犠牲的精神で子育てをしたら、心理的に追い込まれてしまうに違いない。それでなくても、子育ては気疲れするものである。自分の生活や夢を一時的にも中断して、全身全霊を傾けて子育てに集中する。それこそ自分の命を賭けるつもりで取り組んでいる。それなのに、自分を犠牲にしてまで子育てに取り組んだら、自分の生きるエネルギーまで削がれてしまうに違いない。そうすると、母親のエネルギーも低下することになり、それが子どもの生きるエネルギーにまで影響を及ぼし兼ねない。子どもの元気も削がれてしまう。

 忘れてならないのは、母親と子どもの身と心は一体化しているということである。母親の不安は子どもにダイレクトに伝わるし、母親の喜びや嬉しさも子どもにまるごと伝達されてしまうのだ。そして、それは逆の伝わり方もしているということだ。つまり、母親が子どもの為に犠牲心を持って子育てをしていると、子どももまた犠牲心で母親に接するということだ。1歳から3歳の幼児期に、子どもは母親に無条件で愛されることが必要である。まるごとあるがままに愛されないと、絶対的な自己肯定感が育たず、生きづらさを抱えて生きることになる。

 無条件の愛である母性愛を受けずに幼児期を育てられると、子どもは母親に甘えることが出来ない。勿論、父親や祖父母にも甘えることが出来なくなるのは、言わずもがなである。少し考えて見たら解る筈だ。自分の為に犠牲を強いられながら接してくれる母親に、子どもが心から甘えられる筈がないだろう。犠牲的思いを感じながら子育てをすると、心から子育てを楽しめないのは当然だ。子どもに慈悲を感じることもなくなり、母親から笑顔も消えることだろう。母子が共に不安を感じるだけでなく、愛着も薄らいでいくに違いない。

 母親が犠牲的な子育てをしないようにするには、周りの人々の子育てに対する共感と支援が必要である。子育てというのは、この世の中で一番尊い行為であり、価値の高いものである。そして、子育てというのは世の中で一番難しいし、苦難と困難を伴う。その役割を母親だけに押し付けてはならないのである。特に父親が積極的に育児参加するのは勿論だし、他の家族や親族も育児に参加する必要がある。子育ては親族全体、地域全体、社会全体でするものだ。少なくても、母親の大変さと苦労を解ってあげることと、称賛やご褒美が必要だ。そうすれば、母親は犠牲心を持って子育てをしなくても済むようになり、子育てに喜びを感じるようになるに違いない。

パニック障害の本当の原因

 何ならかのきっかけによってパニック発作が起きてしまい、その発作が何度か繰り返すことにより、また起きてしまうのではないかという不安からそのきっかけがなくてもパニック発作が容易に起きてしまう症状をパニック障害という。動悸や心拍数の増加、発汗、息切れや息苦しさ、吐き気、めまい、しびれやうずきなどの知覚異常、コントロールを失う恐怖、死ぬことへの恐怖などの深刻で苦しい症状が起きる。不安から起きる一過性の病気として過換気症候群があるが、この症状からパニック障害に移行する例も少なくない。

 パニック障害は珍しい病気ではない。100人に1人はパニック障害になると言われている。そして、女性は男性の2倍もの確率でパニック障害になると言われている。ましてや、この不安だらけの現代では、益々パニック障害になる人が増えつつある。したがって、女性では50人に1人か30人に1人程度の割合で、パニック障害になっているのではなかろうか。由々しき大問題である。治療は薬物療法と認知行動療法を併用して行なうことが多いが、治療効果はあまり上がらない。難治性のパニック障害であることが多い。

 パニック障害の原因はまだ完全には解明されておらず、少しずつ解明されつつあるものの、まだまだ不明なことが多いらしい。危険な状態に追い込まれた際に、自分の命を守る体の防衛反応であり、自律神経の異常か暴走によるものではないかと考えている専門家が多い。とは言いながら、それがどんなメカニズムやシステム異常によって起きるのかは解明されていない。しかし、これはポリヴェーガル理論によって説明できるのである。ポリヴェーガル理論とは、最新の自律神経に関する学説であり、多重迷走神経理論と訳される。

 今までは、自律神経は交感神経と副交感神経の2つによって調整されていると考えられていた。ところが、副交感神経の殆どは迷走神経であるが、複数の迷走神経系統が存在することが解ったのである。通常リラックスした時や休息時に働く腹側迷走神経(従来考えられていた副交感神経)と、命の危険にさらされた時に働く背側迷走神経があることが判明したのである。命が危険だと感じた緊急事態に、自分の身体と精神を守る防衛反応として背側迷走神経が働くのである。これがパニック発作の起きる主原因であると考えられる。

 それでは何故そんな迷惑な症状を起こしてしまう背側迷走神経が働いてしまうのかというと、命を守るにはそれしか方法がないのであろう。肉食動物に襲われて命が危険な状態に追い込まれた小動物は、背側迷走神経が働いて『死んだように動かなくなる』のだ。死んだ動物を食べない肉食動物から自分の身を守る最終手段だ。『狸寝入り』というのも、この背側迷走神経によるものであり、狸は本当に失神状態になるのである。人間も同じように、自分の身体や精神が破綻することを防ぐ為に、背側迷走神経が働き、パニック発作が起きると考えられる。

 小動物は背側迷走神経が一旦働いて失神したとしても、危険が去ると何事もなかったように復活することが出来る。ところが、人間は一度発作が起きるとなかなか完全な復活ができないし、何度も発作を繰り返すことが多い。何故かと言うと、人間は不安や恐怖心が多いからではないかと思われる。特に女性の方が、不安感が大きいことから、パニック障害が起きやすいのではなかろうか。それでは、誰にでもパニック障害が起きるのかと言うとそうではなく、特定の心理的傾向を持った人がパニック障害になりやすいと言われている。

 それはどういう心理的傾向かというと、不安や恐怖感が普段から大きい人であり、神経が過敏な人であろう。それは、絶対的な自己肯定感が確立していない人であり、いわゆる自己否定感情が大きい人である。さらには、神経学的過敏症と心理社会学的過敏症である、HSPの症状がある人である。つまりは、こういう人というのは傷ついた愛着や不安定な愛着を抱えている人であり、愛着障害と言っても過言ではないだろう。愛着障害を抱えていることで、パニック障害を起こすと考えられる。パニック障害を乗り越えるには、愛着障害を癒すしかないということも言える。

パワハラ上司の取扱説明書

 パワハラ上司というのは、自己愛性の人格障害でありヒットラーのような人格を持っているから、危険極まりない人間なんだということを、ブログで警告発信したことがある。その際には、多くの方々から反響を頂いた。中には、現在パワハラ上司の下で苦労しているという方から相談も寄せられた。私たちの想像以上に、自己愛性人格障害の上司に仕えて苦しんでいる職員が多いんだと認識させられた。自分も自己愛性人格障害の上司の元で働いた経験があるが、苦しい職場生活が続くので本当に嫌になる。メンタルを病んでしまう部下も多い。

 何人かの自己愛性人格障害の上司に仕えてみて、彼らがどうして自己愛性人格障害になったのかが解ったような気がする。パワハラ上司に共通しているのは、自己否定感情が極めて強いということだ。絶対的な自己肯定感がまったく育っていないのである。自己否定感がいつも自分を支配している。だからその反動で、周りの人を自分より劣っているのだと否定することで、自分の自己否定感を慰めているのである。極めてひねくれた性格なのである。自分が一番優れていると、周りの人に思ってもらえないと気が済まないのである。

 パワハラ上司は、自信たっぷりな態度を取るし、自分が一番だと思いたがっているから、自己肯定感が高いんだろうと周りの人たちは思いがちである。しかし、自己肯定感がないから自分を必要以上に自分を大きく見せようとしたり有能だと思わせたりするのだ。なにしろ、何よりも称賛を求めたがる。上司だけでなく、部下からも誉めてもらいたいのだ。誉めてもらえないと、拗ねたりもする。パワハラ上司は他人を平気で批判したり否定したりする。ところが、自分が否定されたり批判されたりことを嫌がるし、そうされると落ち込むのだ。

 何故、パワハラ上司は自己肯定感が低くて、自己愛性人格障害の症状を起こすのかと言うと、彼は愛着障害だからである。幼児期に母親から、まるごとありのままに愛されるという経験をしていないのである。愛情不足の幼児期であったろうし、無条件の愛で包まれて育ったことがないのであろう。おそらくはダブルバインドのコミュニケーションで育てられたのだと思われる。悲惨な幼児期から少年期(少女期)を送ったと思われる。それで深刻な愛着障害を抱えてしまい、二次的症状として自己愛性人格障害の症状を呈してしまったのである。実に可哀想な人なのである。

 パワハラ上司は、自分が万能の神だと言わんばかりの横柄な態度をする。世界は自分を中心にして回っていると勘違いしているような姿勢をする。自分に逆らうような部下は絶対に許せないし、自分よりも高い能力を発揮するような部下はとことんまでいじめ抜く。ましてや、自分の地位を脅かすような部下は徹底的に貶める。自分の地位や名誉を何よりも大切にするし、上昇志向が強くて、人を蹴落としてでも出世を目指すのだ。こういうパワハラ上司に逆らうことは、命取りになりかねない。職場で生き残るには、絶対服従するしかないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えるというのは、毎日辛くて仕方ないし、メンタルが傷つくような体験を何度もさせられる。こういう上司に仕えたら、余計なことは言わないことだ。表面的には従順なふりを続けることが肝要である。そして、目立ってはいけないし、出しゃばってはならない。少なくても、パワハラ上司よりも有能なそぶりをしてはならない。特に、パワハラ上司の上役がいる場で、高い能力を発揮したらアウトである。パワハラ上司は自分よりも能力や人気がある部下が許せないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えていたら、従順な態度を取り続けるしかない。しかし、けっして心まで屈服してはならない。「ハイ、かしこまりました。おっしゃる通りです」と言いながら、後ろ向いてあかんべえをするくらいで良いのだ。心の中では、パワハラ上司を軽蔑して良いし、ああ可哀想だなと見下していいのである。彼は愛着障害という気の毒な障害者なのだから、面倒を見てあげようと思えばよい。愛着障害のパワハラ上司は、心の裡でものすごい不安感や恐怖感を持っている。自分の地位や名誉を失わないだろうか、部下に足を引っ張られないだろうかと、臆病なのだ。だから、部下を叱咤するのだ。彼の不安や恐怖心を刺激しないように過ごすのが良い。触らぬ神に祟りなしである。

ストレスからトラウマの時代へ

 ストレスを感じながらも、それでも何とか生きている人は少なくない。ストレスはどうしたって誰にもあるから、仕方ないと思っているだろうし、ストレスに負けては生きて行けないと必要以上に頑張っている人も多いだろう。確かに、ある程度のストレスは自己成長に欠かせないものだし、ストレスを乗り越えることで自信を深めていけるという効果もある。しかし、自分ではストレスだから何とかなると思って居たら、それが深刻なトラウマだったというケースがある。トラウマは、簡単には乗り越えられないし、より深刻化しやすい。

 

 複雑化した現代社会は、とても生きづらいと思っている人が多い。それはストレス社会だからというが、実はそれはストレスだけではなくて、より深刻なトラウマを抱えているからではないだろうか。つまり、我々が生きるこの時代は、ストレスからトラウマの時代になっているということではないかと思えるのである。だから、こんなにもメンタルを病んでいる人が多いし、なかなか回復できない人が多いのであろう。不登校やひきこもりで苦しんでいる方々も、実はストレスによるものではなく、トラウマの影響だと考えられる。

 

 どうしてこんなにもトラウマを抱えた人が多くなったのであろうか。ひとつは、現代人のメンタルが非常に傷つきやすくなっているという要因が挙げられよう。現代の青少年たちは、精神的にひ弱で打たれ弱いと言われている。新入社員が厳しく指導されると、すぐに辞めてしまうと嘆いている先輩社員も多そうだ。そして、職場で厳しくされて離職した体験を何度か繰り返すと、社会に出ていけなくなりひきこもりになるケースも少なくない。現代の若者たちは、おしなべて深刻な生きづらさとひ弱なメンタルを抱えていると言えよう。

 

 現代の若者たちが何故に深刻な生きづらさとひ弱なメンタルを抱えているかと言うと、それは絶対的な自己肯定感が育っていないからである。自分のことが嫌いな若者が多いのだ。絶対的な自己肯定感があれば、いじめやパワハラ・モラハラに遭ったとしても、不登校やひきこもりまで追い込まれることは少ない。失敗や挫折の体験をしたとしても、乗り越えることが出来るのだ。勿論、自己肯定感だけで乗り越えられる訳ではなく、誰かが支えてくれたり深い絆を実感したりする必要がある。自己肯定感がないうえに、絆がないからトラウマを抱えるのだ。

 

 若者たちの自己否定感があまりにも強いのは、育てられ方に問題があるのだと思われる。 1歳から3歳の幼児期において、ありのままの自分を丸ごと愛されることにより、絶対的な自己肯定感が育まれる。つまり、豊かな無条件の愛(母性愛)に包まれて育てられた子どもだけが絶対的な自己肯定感を持つことが可能になる。ところが、無条件の愛が不足しているところに、こういう行動をしなければ愛さないよという条件付きの愛で縛られるのだから、自己肯定感が生まれる訳はない。さらには、ダブルバインドのコミュニケーションでがんじがらめにされて、傷ついた愛着を抱えてしまう。

 

 こうして傷ついた愛着や不安定な愛着を抱えていると、深刻なトラウマを起こしやすい。しかも、愛着障害であるとHSP(ハイリーセンシティブパーソン)になりやすいから、普通の人よりも敏感な感覚によって、余計に傷つきやすいのである。それでなくてもトラウマを抱えやすいのに、身体的な不調までも起こしやすい。女性は、PMSやPMDDになりやすいし、線維筋痛症や神経性疼痛を発症しやすい。こうして、トラウマは深刻化するし固定化してしまうことが多いのだ。トラウマが長期化するし、ひきこもりが長く続くことになる。

 

 ストレスからトラウマの時代になっているというのは、明治維新以降から近代教育を取り入れ、さらには戦後の子育ての誤謬により、自己肯定感を育てることが出来なかったせいであろう。これからの時代は、トラウマを抱えて生きる人が益々増えるだろう。最近になり「誉める教育」というものが注目されているが、付け焼刃のような誉め方では、あまり効果が得られないだろう。もっと根本的な育て方、あるがままにまるごと愛するという幼児教育がなされないと、自己肯定感は育まれずトラウマを抱えて生きる人が増えるに違いない。由々しき大問題である。

女は男を遺伝子レベルで選ぶ

 ちっとも女性にもてない男がいる。顔だって悪くないし、スタイルもいい。経済力もあるし地位もある。人柄だって悪くないし、優しい性格である。それなのに、女性にはからっきし人気がないという男がいる。周りの人からみても、どうして女性にもてないのか不思議でならない。こういう男は、お見合いしても付き合いが続かないし、合コンを何度やっても選んでもらえないのだ。どうしてなのか、本人も周りの人もまったく解らないのである。女性はそういう男性を選ばないのには訳がある。DNAレベルで選んでいるからだ。

 

 そんな馬鹿な、DNAの優劣なんて科学的解析をしなければ解らないだろうと、猛烈に反論する人も多いことだろう。確かに、医学的・科学的に詳しく検査しなければ、いわゆる遺伝子解析をしなければ、DNAの優劣なんて解らない筈だ。しかし、不思議なことに女性は男性を一目見ただけで、遺伝子レベルで相手のことが解ってしまうというのだ。勿論、科学的な分析をしている訳ではなくて、直観で見抜くというのである。それは、相手の姿かたち、身のこなしや雰囲気、姿勢や態度、表情や声などから、わずか数秒で判断するという。

 

 わずかの時間で判断出来ても、すべての女性が遺伝子レベルで好みの相手と結ばれる訳ではない。いいなあと思っている男性が、自分を好きになってくれるかどうかは別なのである。男性は遺伝子レベルで選んでいる訳ではなくて、容姿とか自分をどれだけ深く思ってくれているかとか、自分に取って都合の良い女を選ぶ傾向にあるのだ。または、自分の夫婦生活に取って必要かどうかという基準で選びやすい。料理が上手いかとか、家事や育児をテキパキとこなしそうだとかいう選択基準でセレクトする傾向がある。身勝手なところもあるのだ。

 

 遺伝子レベルで相性がいいというが、男性のどういうDNAを女性が好むのであろうか。人間の遺伝子には、過去の記憶が書き込まれているのではないかと言われている。その遺伝子記憶とはどんなものかということだ。日本人の起源は、古代から住んでいた縄文人と大陸からやってきたのではないかと見られる弥生人だと言われている。縄文人は、一万数千年に渡り、平等で平和な暮らしを続けていた。大陸から渡ってきた弥生人がその生活に入り込んできて、縄文人を駆逐したと言われていたが、今は否定されている。とは言いながら、好戦的で経済観念が豊かな弥生人は、縄文人を凌駕したのではなかろうか。

 

 縄文人は、自分の利益や幸せよりも全体の幸福を追求していたと見られる。つまり、世の為人の為に生きるという価値観が強かったようである。個別最適よりも全体最適の哲学を大事にしていたらしい。そして何よりも関係性を重要視した生活を心がけていたことが想像されている。一方、弥生人はそれとは正反対に、個別最適の価値観を強く持っていたと思われる。端的に言うと、弥生人はエゴな生き方、縄文人はエコな生き方をしていたと言える。女性が瞬間的に遺伝子レベルで求める男性と言うのは、縄文人の遺伝子記憶を持つ人と言える。

 

 何故に女性は、縄文人の遺伝子記憶を持つ男性を選ぶのであろうか。それは単純な理由からだと思われる。縄文人にしっかり根付いていた全体最適と関係性重視の価値観こそが、人間として必要であり、この価値観を持っている人間は周りから信頼されるし尊敬されて、成功することが約束されているからである。そして、こういう高い価値観を持っていれば、家族を大切にするし愛する人を決して裏切ることがない。直観力が高くて遺伝子情報を感じ取ることが可能な女性だからこそ、わずか3秒から4秒で男の値踏みが可能なのだ。

 

 日本人の中には、元々縄文人の遺伝子記憶を強く持っている人と、弥生人の遺伝子記憶を強く残している人がいるのであろう。弥生人の遺伝子記憶を強く持つ人間は、個別最適を目指そうとするから、自分の損得を優先する行動をしたがる。身勝手で自己中な人間であり、自分さえ良ければいいという価値観を大事にするから、自分だけの経済的な豊かさを追求する。周りの人々の豊かさや幸せを実現しようなんてことは考えることがない。こういう人間は、誰からも相手にされないし、やがて独りぼっちの人生を送る。こんな男は、女性から相手にされないのは当然である。もてないのには、それなりの理由があるのだ。

夫婦別姓の司法判断が先送り

 最高裁大法廷で25年振りに、夫婦別姓についての憲法判断を問う裁判が行われ、夫婦同姓を強いる民法の規定は合憲だとする判決が出された。この判決に対して、世界の潮流からは乗り遅れた前近代的な判決だと報道するマスコミが多いが、ネット上では判決が当然だというコメントが多いのは、意外であった。ネット上で判決に好意的なコメントをするのは、圧倒的に男性が多いようだ。合憲判決とは言いながら、夫婦別姓の問題は憲法判断にはそぐわないので、国会で討議すべきだとして合憲判断から司法が逃げたとも言えよう。

 

 国会で討議すべきだというのは、司法の最高機関である最高裁として如何なものだろうか。国会で討議すべきだと言うが、夫婦別姓の民法・戸籍法改正案を国会にて審議しようとしても、自民党の猛反対に遭って、審議させてもらえないのだ。国会で討議が不可能なのに、国会審議が妥当であるなんて、問題の先送りをしているとしか思えない。自民党のお偉方やタカ派の先生方は、絶対に夫婦別姓を認めないとして、門前払いを続けている。夫婦別姓が良いのか悪いのかを議論することさえも拒否するのは、国会軽視と見られても仕方ない。

 

 夫婦別姓に反対する人たちの意見はこういうことらしい。夫婦別姓を認めてしまうと、夫婦の絆や家族の絆が希薄化してしまい、離婚が増えて家庭が崩壊してしまい兼ねない。日本の美点である家族制度が弱体化し、離婚が増えてしまい不幸な子どもを多く生み出してしまうことになる。シングルマザーが増えて貧困家庭も増加するし、老後をひとりで送る人が増えるし、老人介護施設を利用する老人も増えてしまい、福祉財政も破綻しかねないと主張する。日本における親密な家族制度が夫婦別姓によって崩壊してしまうと説いているのだ。

 

 こういう理論を主張する人と言うのは、思い込みが強くて他人の意見を聞かない傾向が強い。論理的に考えることが苦手で、感情論に流されることが多い。自説を曲げないから、議論が嚙み合わないことが多い。日本の国会議員で保守派に属する先生方は、こういう人が多いし、本音と建て前を巧妙に使い分けることが多い。欧米において夫婦別姓を導入しても、家庭崩壊なんて起きていないし、かえって夫婦の絆が深まっているという情報を聞いても、それは日本には当てはまらないと主張して譲らないのである。実に困ったものである。

 

 夫婦別姓を認めない国は、先進国では皆無であり、世界の中でも日本くらいのものである。男女平等の指数が日本は極端に低い。男尊女卑の考え方が強いし、女性蔑視のジェンダーが根強く残っている。家という観念に強く捉われていて、家族制度に縛られている男性が、配偶者を家に縛り付け自分の思うままにコントロールしがちだ。その為にこそ、夫婦同姓が必要なのだ。夫婦別姓になってしまうと、自分の元から妻が離れてしまうのではないか、自分の支配から逃れてしまうのではという不安から、夫婦別姓に反対しているのであろう。

 

 TBSで『リコカツ』というドラマが放映されていた。永山瑛太が演じる現役自衛官が北川景子演じる女性と電撃結婚して、すぐに離婚をしてしまうという筋書きの物語である。永山瑛太の父親も元自衛官で、男性中心の家庭しか考えられない古臭い親父で、家系や家訓に拘る男性である。そして、この父親もまた妻から愛想を尽かされてしまい、独りぼっちになってしまう。日本の古い家族制度に甘んじてしまい、自分の妻や子に対する配慮や思いやりを忘れた父親(夫)は、家庭崩壊を生み出すということである。自分の独善的な生き方の間違いに気付き、生き方をドラスティックに変えた父子は、やがて伴侶から惚れ直される。

 

 夫婦同姓という古い家族制度に胡坐をかいて、本来の人間として家族への優しさや思いやりを欠いてしまうと、その家庭は崩壊してしまう。夫婦別姓であれば、家に縛られないからこそ、配偶者や子どもたちから尊敬される夫であり父親でありたいと強く願い、魅力あふれる自分でありたいと、自分磨きをして成長するために精進するに違いない。家族の絆を強くしたい、夫婦の絆を太くしたいと願い、個別最適を志向せず全体最適を目指す筈だ。だからこそ、夫婦同姓でなくて夫婦別姓を世界中の人間は選択しているのである。そんな当たり前のことを解らず、夫婦同姓に拘っている日本は、世界中から笑いものになっているのだ。

痛みが和らぐ優しくなでる手当法

 原因不明の痛みやしびれで苦しんでいる人が意外と多い。骨や神経には特に目立った異常がなく、これと言った痛みの元となるような生活習慣も見当たらないという。メンタル面では気になることもあるが、それが痛みやしびれの原因になるとは到底思えない。医師からは、精神的なものかもしれないと診断を受けることもあるが、自分ではそんなに深刻な悩みを持っているとは感じないのである。医師からは、心因性疼痛とか線維筋痛症という診断を受けて投薬治療となるが、一時的には良くなっても再発を繰り返すことも少なくない。

 

 そんな原因不明の頑固な痛みやしびれを、いとも簡単に和らげる方法がある。それは、お母さんが痛みを訴える子どもに実施している方法である。「痛い痛いの飛んでけえー」というあのやり方である。優しく撫でたりさすったりしながら、あの魔法のような言葉「痛い痛いの飛んでいけえー」と言ってあげるのである。流石に、大人にはこのような台詞は似合わないから、「ここが痛いんでしょ、痛いよねえ、早く痛みがなくなりますように」というような言葉を掛けながら、心を込めて優しく撫でてあげると、不思議と痛みが和らぐのである。

 

 そんな馬鹿なことがあるかと思う人は多いかもしれない。そんな非科学的な方法でこんな深刻な痛みが和らぐことなんかないと思うことであろう。しかし、騙されたと思ってやってみるといい。ただし、施術を受ける人と実施する人との間に信頼関係があることが必要だ。また、施術をする人自身、痛みが和らぐと心から信じることが求められる。さらには、施術する相手を安心させて緊張を緩めるような言葉がけや態度を要する。つまりは、カウンセリングマインドが必要だということだ。そうすれば、魔法のように痛みが和らぐ。

 

 どうして、そんなことが起きるのかと言うと、原因が心因性の疼痛だからである。でも、実際に疼痛が起きているのは確かであり、痛みの原因物質が存在する。または、痛みを感じるように無意識の脳が痛みの神経を刺激して、疼痛があると意識させるのである。心因性の疼痛を起こしている方は、自分でも乗り越えることのできない大きなストレスまたは深刻なトラウマを抱えていることが多い。心がいつも緊張しているから、筋肉がいつも緊張していて凝り固まっているのである。故に血流障害が起きているし、神経系誤作動の暴走がある。

 

 痛みが起きている場所を、信頼する人に優しくゆっくりと撫でられると、筋肉が緩むし心も和らぐ。皮膚に存在する痛点よりも感触点を感じる力の方が優位であるから、軽く触られていることを感じると、痛点の感覚が少し麻痺してしまうらしい。ましてや、心を込めて優しく触られているという快感があるので、痛点が感じなくなるシステムだと考えられている。勿論、これで疼痛がすべて完治する訳ではない。しかしながら、心を込めて自分の為に優しくさすってくれることを繰り返しているうちに、症状が随分と軽くなるのは間違いないだろう。

 

 心因性疼痛や線維筋痛症で苦しんでいる人たちは、ストレスやトラウマだけでなく、得体の知れない不安や恐怖をも抱えていることが多い。それは、自分にとっての絶対的な安全基地がないからである。そして、この不安やお怖れが神経系統の誤作動を起こさせ、『痛み』を感じさせているのではないかと見られている。痛みの場所をゆっくりとなでられると、オキシトシンホルモンという安心ホルモン(愛情ホルモン)が放出される。これがオキシトシンタッチという不安を解消させる療法である。自分を安心させてくれる人が優しく撫でてくれることで不安が和らぎ、痛みも少なくなるのである。

 

 心因性の疼痛や線維筋痛症の症状は、優しく撫でたりさすられたりすることで和らぐ。そして、痛みの筋肉部分を揺らしたり筋膜をリリースしたりすることでも痛みが和らいでくる。筋肉を緩めることが心を緩めることにも繋がっているのかもしれない。メンタルが不調の方たちも、筋肉が過緊張になっていて原因不明の疼痛を抱えていることが多い。心が固まっていると言えなくもない。心が緊張して固まっていると、筋肉も強張っているから血流障害や神経系統の誤作動が起きて、疼痛が起きていると思われる。こういう症状にも、優しく撫でたりさすったりすることで疼痛を和らげられるだろう。

愛着障害という病名はないが

 精神科の医師に、「私は愛着障害なのではありませんか?」と聞いてみてほしい。精神科の医師はこう言うことだろう。「愛着障害という病名はありません」ときっぱりと言い切るに違いない。そして、愛着障害という精神疾患はないのだから、愛着障害を治す薬もないし、治療法もありませんと続けることだろう。確かに、医学界では愛着障害を精神疾患として取り扱っていないし、治療する医師は殆どいない。しかし、実際に愛着障害で苦しんでいる人は非常に多いし、愛着障害による二次的症状で辛い思いをしている人は想像以上に多い。

 

 ひきこもりの状態にいる人は、日本の中で少なくても115万人いると言われている。このひきこもりになっている本当の原因は、単なるメンタル疾患や精神障害ではなくて、愛着障害だと言っても過言ではないだろう。また、発達障害と診断されている中の多くは、愛着障害の二次的症状として現れているだけであろう。発達障害があることで虐めに遭いひきこもりになっているケースでは、元々愛着障害があると思われる。双極性障害やうつ病などの気分障害においては、愛着障害が根底にあることが少なくないのではないかとみられる。

 

 不登校やひきこもり、そして発達障害や気分障害を起こしている根底に愛着障害があるのではないかと思われる。勿論、すべての対象者が愛着障害だとは言い切れないが、かなりの割合で愛着障害を抱えているのは確かであろう。愛着障害とは精神疾患(病気)ではないが、多くの精神疾患の元になっている可能性は非常に高い。そして、精神疾患だけでなくて生活習慣病を始めとする多くの身体疾患に罹患する要因にもなっている気がする。さらには、パーソナリティ障害(人格障害)を抱えている人にも、不安定な愛着を持つケースが多い。

 

 こんなにも深刻な二次的な症状を起こす愛着障害であるが、どういう訳か精神医学界ではあまり注目しない。愛着障害が根底にあっての二次的症状だとすれば、投薬治療では完治させられないし、いくら優秀なカウンセラーやセラピストであっても根本治療は不可能である。現代の精神医療において、医学の発達がこれだけ進んでいるのに治療効果が上がらないのは、根本的な疾病の原因を探り当ててないからと言えないだろうか。愛着障害を克服しなければ、精神疾患を完治させられないし、これからも様々な疾患が増え続けるだろう。

 

 殆どの精神疾患と身体疾患の根本原因が愛着障害にあるのではないかと唯一提唱している精神科医が存在する。それは、岡田尊司先生である。岡田先生は、元々はパーソナリティ障害を専門に研究されていた。パーソナリティ障害を抱えて苦しんでいる青少年を、献身的に治療されていらしたのである。パーソナリティ障害に関する著書や研究論文も多数ある。青少年犯罪を起こすパーソナリティ障害の子どもたちを診療していたら、強烈な愛着障害を抱えていることに気付かれたのであろう。それから愛着障害を癒す治療に専念されてきた。

 

 岡田先生の著書に、『死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の教委』(光文社新書)というものがある。現代人は何故幸福になれないのか?どうして生きづらさを抱えているのか?何故、こんなにも精神疾患や精神障害を抱えている人々がいるのか?と問われ、それは根底に愛着障害があるからだとこの著書の中で岡田先生は主張されている。そして、驚くことに自分はごく普通の家庭で育ち、両親からたっぷりの愛情を注がれてきたと思っている人でも、愛着障害を抱えているケースが結構多いことにも着目している。こういう人は、原因が解らない強烈な生きづらさを抱えていて、社会への不適応を起こしている。

 

 愛着障害を抱えている人たちは、殆ど漏れなくHSP(ハイリーセンシティブパーソン)を抱えている。神経学的過敏症、並びに心理社会学的過敏症を起こしてしまっている。故に、強烈な生きづらさと適応障害を抱えているのである。また、愛着障害の女性はPMSやPMDDを抱えているケースが非常に多い。そして、過緊張を抱えているが故に、身体のあらゆる場所に疼痛を起こしていることが多い。線維筋痛症を発症することも少なくない。原因の解らない身体の不調やメンタル疾患を抱えていたら、愛着障害があるのではないかと疑ってみたらどうだろうか。愛着障害を癒せたら、心身の不調は見事に解決できるだろう。

海外で働くということの是非

 若者たちが、日本国内で働くことを嫌がり、外国で仕事をするケースが増えている。日本の労働環境に我慢ならないし、外国で働くほうが自分に合っていると思う若者たちが増えているらしい。確かに、日本の労働環境はあまり良いとは言えないが、それにしても外国で働く理由が、日本で働くことが嫌だからというのはあまり感心するものではない。何故ならば、いくら労働環境がよくないと言っても、苦難困難を避け続けていたら人間として自己成長が止まってしまうような気がするからだ。自分を育成し成長させてくれた日本で働いて恩返しもせずに、他国で働いて貢献するというのは如何なものであろうか。

 

 雇い主側からの要請、またはビジネス展開をする理由で、外国で働くというのならば理解もできる。しかし、自分の個人的理由により外国で働くというのは、あまりにも安易な考えではなかろうか。そもそも、働くことの意味や生きる目的をしっかりと把握して労働をしているのか、はなはだ疑問である。最近の労働に対する若者の意識調査を見てみると、働くという意味を正しく理解している若者が圧倒的に少ないことに愕然とする。労働とは、あくまでも生活手段を得るためのものだと割り切っている若者が実に多いのである。

 

 確かに労働は生活手段を得る為にするという側面を持つのは確かだ。しかしながら、それだけではない筈である。働くというのは、人々の幸福や豊かさに貢献することでもある。働いて物やサービスを産み出し提供することで、全体最適(全体幸福)を目指すことができるのである。ところが、最近の労働者の意識というのか持っている価値観は、最低で劣悪だと言える。個別最適(個人幸福)しか求めていないのである。若者だけではなく、中高年者もまた、同じく個人最適しか求めていないというのは情けない。

 

 いや、私は自分の為に働いているのではないと胸を張って答える人もいる。自分は、家族の幸福や豊かさの為に働いているんだと強弁する人もいる。家族の為というのは、全体最適の価値観ではない。それは、あくまでも個別最適なのである。そんな基本的な間違いさえ知らないのだから、海外に住んで働きたいというのはエゴでしかない。ましてや、税金が安いところや高福祉の国に住みたいと考えるご老人がいるのは、あまりにも短絡的で情けない。仕事をリタイアしたら、社会貢献なんかする気はさらさらないというのも情けない。

 

 何も外国に住んで働くことが悪い訳ではない。後進国や紛争地に赴いて、社会インフラを整備したり学校を作って子どもに教育をしたりする尊い活動をするというなら大賛成である。おおいに尊敬したい。でも、自分の利害を優先したいから外国に住んで働くというのは、許されない行為であろう。昔、ある著名なアーティストが日本は税金が高いからと、外国に住居を移したことがある。その後、そのアーティストは落ちぶれてしまった。自分の損得で動くようなアーティストが、人を感動させる立派な作品を作れる筈がない。

 

 戦後の日本で、外貨が極端に少なくなってしまい、デフォルトしてしまうのではないかと危惧された時があった。その時に、国家・国民の為に何とか外貨を稼がなくてはならないと立ち上がった企業があったのである。東京通信工業という会社だった。世界で初めて自社で開発したトランジスタラジオを世に出し、世界中に輸出して外貨を稼いで国家・国民を救ったのである。その東京通信工業という会社が、やがて世界的な大企業のSONYに発展したのは有名な話である。世の為人の為に貢献する企業こそが成功するのだ。

 

 それが個人であっても同じだ。心から世の為人の為にと骨身を惜しまず働く人なら、大成功を収めるに違いない。多大な社会貢献もするが、結果として経済的にも裕福なるのは間違いない。トランジスタラジオやウォークマンの開発に成功した当時のSONYの社員たちは、どうしたら社会貢献ができるかという哲学を毎日真面目に語り合ったという。自分の損得のために外国で働きたいなんて、ゲスな考えを持つ人はいなかったのである。ところが世の中も変化してしまい、名だたる大企業の社員たちから哲学は喪失して、自分の名誉・評価・収入のためにだけ外国で働きたいという低レベルの価値観を持つ社員が増えたのである。海外で働く日本人が、外国人から尊敬されないのは当然である。