ゴルフで記憶力アップ

国立長寿医療研究センターでは、65歳以上の高齢者にゴルフを体験させたら、記憶力の向上につながったという発表をした。65歳以上の高齢者でゴルフ未経験者106人を選び、そのうち半数の人に週に1回以上のゴルフの練習かラウンドをしてもらった。残り半数の人はゴルフをしない普通の生活を続けた。その生活を半年間続けてもらい、事前と事後に記憶力のテストをしてもらったら、ゴルフをした人のほうが項目別検査で平均8~12%の向上が見られたというから驚きだ。

以前からゴルフをやると記憶力向上になるとか、認知症の予防に効果的だとは言われてきた。確かに、ゴルフをやる高齢者は元気な人が多いし、計算力や記憶力の良い人が多いように感じる。特に高齢になってからゴルフを始めるという人は、前向きな考え方の人が多いし、運動習慣を持っている人だからと思っていた。ところが、今回は統計学的というか、実際に実験によって検証されたというのだから、ゴルフが脳にかなり良い影響を与えるということが科学的に実証された形だ。

ゴルフ人口がかなり減少していて、どのようにしてゴルフ愛好者を増やすのか、ゴルフ協会は苦労しているという。それで、国立長寿医療研究センターに協力して、このような検証実験をして高齢者にもゴルフを楽しんでもらう努力をしたのだろうと思われる。本当は、若い人にゴルフを楽しんでもらいたいし、少年少女のゴルフ人口を増やすことをゴルフ協会は目論んでいる。今回は、高齢者を対象にした検証実験を実施したのだが、なかなか粋なことをゴルフ協会はしたものである。

他のスポーツでもある程度の記憶力向上や認知症予防効果があると思われる。しかし、ゴルフほどの効果はないかもしれない。何故ならば、ゴルフというスポーツは他のスポーツよりも遥かに頭(脳)を使う運動だからである。ゴルフは、1ラウンドするのに約4時間から5時間要する。その間、実際にショットやパットをする時間は、事前の準備も含めてわずか15分から20分だと言われている。それ以外の時間は移動や歩行をしていて、その間ずっと自分のショットやパットのことを考えているのである。

脳(頭)は使えば使うほど、脳の機能が高まってくると言われている。こんなにも頭脳を使うスポーツは、ゴルフの他にはないと思われる。他のスポーツで、こんなにもインターバル時間の長いスポーツはないからである。ゴルフはメンタルスポーツとも言われていて、心のあり様が即プレーに反映する。したがって、技能だけ磨いてもスコアーは良くならない。ゴルフには戦略性が必要であるし、メンタル面における自分との葛藤にも勝たなくてはならないのである。こんなにも複雑なスポーツは他にないと確信している。

さらに、ゴルフはアウトドアのスポーツであり、風や雨、気温などにも影響される。しかも、芝生の状態や樹々などの配置にも考慮と対応が必要である。刻々と変化する自然に、どう対応するかが問われているスポーツと言えよう。そして、自然のせいにすることが一切許されていないし、すべては自分の責任なのである。対戦型のスポーツであれば、相手の力量が上だったと言い訳できるが、結果は自分で正直に受け止めるしかないのである。そういう意味では、責任性、主体性、自発性、自主性に基づいたスポーツだと言える。仕事においてもアクティビティが要求されるが、まさしくゴルフというスポーツはそれが重要な要素なのである。他の要因に責任転嫁できず、すべて自分の責任にせざるを得ないのがゴルフなのである。

人間という生きものは、とかく責任逃れをしたり、困難なことから回避したり、誰かに依存したりするものである。ところが、ゴルフだけはそれらのことが一切許されないというルールの中で行うスポーツなのである。だから、人間性とか人間力が磨かれるスポーツであるとも言える。頭脳を使うことで、その能力向上が出来るということも解った。さらに、一緒にラウンドする人との洒落た会話も楽しむことで、社交性も向上する。ゴルフこそ、高齢者に相応しいスポーツだと言える。高齢者のうつ病予防にも効果があるし、メンタル障害になられた方の社会復帰訓練にもおおいに効果がある筈である。高齢期になって、意欲が湧かないという人にも好適なスポーツとして薦められる。

 

※イスキアの郷しらかわでは、不登校、ひきこもり、メンタルで休職や離職された方々が、グリーンツーリズム体験によって社会復帰を目指すことをサポートしています。利用者の農業体験、自然体験は勿論のこと、ゴルフの練習やラウンドの指導(無料)などもいたします。ゴルフ用具の無料貸し出しもしますので、是非お問い合わせください。

あらゆる病気を癒す特効薬「登山」

若い人たちにも登山ブームが起きているらしい。昔のような野暮ったい登山服装ではなく、洗練されていてファッショナブルな洋服に身を包んで、颯爽とした姿で登っている。トレランというスポーツ登山で、走りながら登る姿も目立つ。昔ながらの大きいザックに重登山靴に履いて、山シャツにニッカボッカ姿は見られなくなった。若い人がどんな形にせよ、登山にはまりこんでいるというのは嬉しいことである。さらに、若いパパさんやママさんたちが子どもを連れて登っている姿も微笑ましい。登山人口が増えるから、大歓迎したい。

どうして登山にこんなにも心惹かれるのだろうか。それは、あまりにもストレスフルなこの社会だからこそ、現世界から一時的にも逃れてストレス解消をしているのではないかと見られる。あまりにも生きづらいこの世の中、例え一時的でも何もかも忘れて目の前に広がる自然を満喫することで、精神的に癒されたいと思って登山するのではないだろうか。これは、心理学でいうマインドフルネスという有効的な心理療法のひとつである。気分障害が重症化する前なら、非常に効果が高いと言える。

登山は、精神疾患に有効であるのは間違いない。マインドフルネスという効果もあるが、自然との触れ合いは、間違いなく心を癒してくれる。豊かな大自然に包まれた時に、人間は自分のちっぽけな存在に気付く。登山をしていると、厳しい暑さ寒さ、雨や風に遭うこともあり、雄大な自然が人間の力ではどうにもならないことを知る。人智ではどうしようもない存在がこの世に存在することを実感し、人間は神のような自然に生かされていることを深く認識する。謙虚で素直な、ありのままに自分に還ることが出来る。そうすると、自分があまりにも傲慢で、しかも周囲の人々に対して頑なな態度をしていたと気付くのである。

各種の精神疾患になられた方々が、登山に行ける気力が残っているのであれば、無理にでも行くことを勧めたい。気分障害の方々を登山に連れて行った経験がある。何度かの登山を繰り返すうちに、徐々に心が癒されて元気になった気分障害の人が多い。心と身体は一体である。身体を無理にでも動かしていると、次第に心も動くことになる。少し身体的に厳しい登山をすることで、精神的忍耐力や柔軟性を持てるようになる。簡単に折れてしまう心でなく、どんな苦難困難に対して柔軟な心を持つことなる。精神疾患を緩和するのに、登山が有効だという根拠である。

登山は、身体的な各種疾患にも有効であると思われる。何故ならば、病は気からと言われるように、現代病は殆どが精神的な影響により起きていると言っても過言ではない。勿論、食習慣も含めた生活習慣や生活環境にも影響を受けるが、その悪い生活習慣も元を正せば間違った心が作り出したものである。生活習慣病の殆どは、ストレスや過度のプレッシャーによって生活習慣が乱れて起きていると思われる。そして、身体のネットワークの誤作動が起きて、脳内神経伝達物質や各種ホルモンの分泌異常が、血液循環も含めた体内循環を滞らせて、各種疾患が起きているということが判明してきた。

登山は長時間の負荷運動をすることで、心肺機能を高めることになる。故に滞った血液循環など体内循環を適切に調整してくれる。ガンになった患者さんたちを、富士山登山に誘って、心肺機能向上と生きがい療法をする団体もあるほどである。登山をした人なら解るが、体温を驚くほど高めてくれる。ガンは低体温で起きると言われている。ガンなどの疾病は、自律神経のアンバランスで起きる。副交感神経の活動が低下し、交感神経の異常な亢進により、各種疾患が発症することが判明している。標高の高い所は低気圧になり酸素が薄くなる。低気圧と運動負荷により、酸素摂取を少なくさせて、副交感神経が亢進する。

このように、登山は精神的疾患だけでなく身体的疾患にも有効だという科学的根拠が示されている。厚労省によって難病と指定されている自己免疫疾患などにも、有効であると推測される。さらには、パーソナリティ障害や成人の発達障害なども、登山によって症状が緩和されると思われる。あらゆる疾患を緩和もしくは完治させてくれる登山療法は、現代医療で見離されてしまった人々にも福音をもたらすであろう。病気になられた方は、是非とも登山に勤しんでほしいものである。

※イスキアの郷しらかわは、精神的な疾病と身体的疾病に苦しんでいらっしゃる方々を登山にご案内します。症状に応じた難易度の山を選択しますし、体力に応じたコースを選定します。重症の方には、登山歴豊富のアルピニストで、40年近く臨床に携わったベテラン看護師が同行します。登山ガイドは複数人が同行して、万全の体制でバックアップしますので安心して申し込みください。

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ファン無視の相撲協会

元横綱日馬富士の暴力事件に端を発した角界の不祥事は、相撲協会と横綱白鳳対貴乃花親方の対決に発展している。それにしても、相撲協会と危機管理委員会、さらには横綱審議委員会というのは、権威主義というのか利権主義と言ったらいいのか、あくまでも自分たちの言い分を主張することにだけに拘り、相撲ファンや相撲取りの方々の意思を無視しているかのような言動を続けている。それでいて、世論やマスメディアにどのように思われるのかを怖れていて、まったくと言っていいほど相撲に対する理念がないかのような言動に辟易せざるを得ない。

相撲というのは、勝てばよい訳ではないだろう。他のプロのスポーツでは、あくまでも勝ちにこだわるものもあるが、相撲は神事でもあり崇高な理念に基づいた日本人の魂の拠り所でもある。プロスポーツであるからには、確かに勝たなければならないというのも当然である。しかし、プロスポーツが社会に対して果たす役割としては、勝つ喜びだけではないように感じる。スポーツ振興という役割と、人々に闘う勇気と諦めない精神を伝える使命もある。さらには、子どもたちに夢を与えてくれるのがプロスポーツである。勝つためには、どんな手を使ってもいいというなら、子どもたちの健全育成に悪影響を与えてしまうだろう。

今の相撲が好きだという人と、面白くないという人がいる。勝負に徹して、どんな手を使ってでも勝ちにこだわり、懸命に取る相撲に魅力を感じるファンがいる。一方では、昔のような正攻法をあくまでも追及する美しい相撲こそが大相撲だと主張するファンもいる。こういう人は、ねこだまし、かち上げと称するエルボー打ち、張り手の多用などは、横綱としては許せないと言う。やはりフェアープレーに徹するのが横綱たる所以だと主張する。確かに、勝ちにこだわるのは仕方ないが、勝ち方がえげつないのは、子どもに悪影響を与え兼ねない。

モンゴルから一攫千金を夢見て、単身で乗り込んできたモンゴル相撲の猛者たちは、何よりも勝ちにこだわるのは当然である。勝つためには手段を選ばないであろう。見る人によってはあの他を圧倒する強さに喝采するファンもいることだろう。でも、あの姿を見て相撲を志す子どもたちの心にどんな価値観をもたらすのかということを想像した時に、愕然とした思いを持つのは自分だけではないだろう。一戦一戦が、それこそ自分と母国に残してきた家族の生活と将来がかかっているのだから、勝負に徹するのは当然である。だからこそ、相撲の精神をしっかりと師匠は弟子に教え込まなければならない。

多くの心ある相撲ファンは、あんな勝ちに対して貪欲な姿勢を見せるのは、美しくないと断言する。確かに、相撲道から見たら醜いと思うファンも少なくない。相撲協会は、モンゴル勢の人気に頼らざるを得ない。だから、モンゴルの力士に対して言うべきことを言えないでいる。モンゴル力士だけではない。日本の力士の中にも、美しくない相撲を取るものも少なくない。相撲協会や危機管理委員会、そして横綱審議会の委員たちは本来の相撲道を忘れていないだろうか。相撲は神事であり、神の意思に添わない相撲の取り方は許されない筈である。自分勝手で、相手に尊厳を認めないような、汚い相撲は神が求めていないのである。

相撲協会はおおいなる勘違いをしている。強い力士を育てることが相撲人気を高めるのだと思い込んでいる。しかし、そういう見かけだけの強さ、または肉体的な強さだけの力士だけになったら、ファンは美しい相撲は見せてもらえなくなるのである。貴乃花のような美しい相撲を、ファンは待ち望んでいるのである。それが長い目でみたら、大相撲が隆盛することに必ずつながるのである。相撲の師匠たちや理事たちは、弟子に対して美しい相撲を取ることを教え育てなければならないし、それが出来ないとなればルールとして確立するしかないであろう。相撲ファンを無視した相撲運営をしようとする相撲協会の理事たちは、引退したほうがいいだろう。