登山ガイドをさせてもらう喜び

10年近く、地元の公民館で登山ガイドをさせてもらっている。その他、個人的なガイドをボランティアでさせてもらう機会も多数ある。登山ガイドの役目は、先ずは安全で確実な登山を利用者に体験してもらうことであろう。登山客の安全対策には、特に責任がある。無事に登って下りてくるまで、登山客の生命と体調を守る責任がある。それ以上に気を遣うのは、山登りの喜びをどのように感じてもらうかでもある。

登山客の満足度をどう高めるに苦心している。勿論、満足度を高めるために無理をさせて安全が疎かにするようなことはけっしてない。登山において、何よりも安全が最優先なのは当然である。そのうえで、登山の楽しみや喜びを感じてもらい、また登りたいなと思えるようにガイドをさせてもらっている。そして、登山客から今日は本当に楽しかったと笑顔で言ってもらった時の言葉が、登山ガイドとしての至上の喜びになる。

登山ガイドは、安全登山の仕方や疲れない歩き方、登山中の体調管理などについて登山客に伝授する。樹々や花々の名前、鳥の鳴き声や動物の生態についても説明する。登る山の説明や歴史についても、説明することもあろう。登山ガイドは、それらの事前調査も実施して、登山客に詳しく話をさせてもらうのである。普通なら、ここまですれば登山ガイドとして合格点であろうと思う。しかし、私はそれでは飽き足らず、もっといろんな話をさせてもらっている。

一昨日、地元の公民館のトレッキング教室があり、15人の生徒を茨城県の最高峰八溝山にお連れしてきた。バスの中で、安全登山の基本的な考え方を伝える為に、エベレストの登山歴史と栗城史多氏の遭難事故について話をさせてもらった。ヒラリー卿の談話やG・マロリーの「ここに山があるから」という有名な言葉と本当の意味も説明した。単独無酸素登頂がとんでもなく難しく、今まではたった一人の登山家しか成功したことがないこと。その登山家ラインホルト・メスナー氏の人となり、そして登山スタイルにも言及した。

G・マロリーはヒラリー卿よりも前に、3度もエベレスト登頂に挑戦している。そして、3度目の挑戦で還らぬ人になった。でも、もしかすると登頂に成功した後に、下山中に滑落したのではないかと見られている。それに対してヒラリー卿は、登山というのは登って無事に戻ってきてこそ、登頂に成功したと言えるのだと断言している。登山と言うのは、ある程度の危険性はあるものの、何よりも生命の尊重を最優先させるというのが基本だと言っていた。ラインホルト・メスナーも、最愛の弟であるギュンターを同行した登山で失っているからこそ、生命の尊重を何よりも大事にしたのだ。

こんな話をしながら、安全登山の基本的な理念を話させてもらった。また、登山における自然保護や環境保護についても言及した。さらに、今の時期に見られるヤマボウシの花についても説明した。ヤマボウシは漢字表記だと山法師となる。山法師とは、比叡山の僧兵のことを指す。僧兵の白い頭巾が、ヤマボウシの花びらと酷似していることから命名されたと伝えられている。このように、花の名前の由来についても詳しく説明することが多い。そのほうが、花の名前を憶えやすいし、花に対する親近感が湧いて、より大好きになると思うからである。カエデという名前が『蛙手』からということや、英語でメイプルと言って、メイプルシロップがその樹液から作られることも説明してあげた。

普通の登山ガイドならば、これぐらいの知識はあるので説明することもあろう。しかし、ここからが自分にしか出来ない話だと思う。山法師と言えば、平家物語の第一巻にこんな記述があるという。白河法皇の「鴨川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心の思うにならぬもの」という言葉である。白河法皇は、自分の子どもと孫を天皇に据えて、本格的な院政を日本で初めて敷いた人物である。絶大な権力を持ってしても、日吉山王大社の神輿をかついで強訴する山法師(比叡山の僧兵)に手を焼いていた。それを北面の武士として平家の武士を宛てて、警護させたのである。これが平家の政権掌握のきっかけになったのである。

こんなことまで、登山の話とは違うから聞きたくないと思う人もいるかもしれない。しかし、こういう話は皆さん初めて聞いたと驚いていらしたし、元校長先生の引率者も北面の武士という言葉は聞いているが、そういう歴史背景があることまでは知らなかったとびっくりされていた。歴史も、こういうストーリー性のある話ならば、みんなが好きになるに違いない。このように歴史や登山の哲学の話を含めて、様々なことを説明してもらっている。これが登山客の喜びであると同時に、自分としてもガイドする大きな喜びでもある。

 

※イスキアの郷しらかわでは、登山ガイドをしています。ガイド料は特別頂いていません。交通費の実費だけか体験料(1500円)だけの費用です。樹々や花々の名前や由来、それらの背景や歴史なども詳しく説明しています。クマガイソウやアツモリソウの名前の由来と源平合戦における平敦盛と熊谷直実の「須磨の浦での対決」、山吹の花と太田道灌に関わる短歌の話、などいろんな話をさせてもらいます。特に、登山の哲学についてご興味がある方には、ご満足いただけると思います。登山ガイドの申し込みやご相談は、問い合わせフォームからお願いします。

スポーツの指導は科学的手法で

日大アメフト部の不適切指導が大変な問題になっているが、そもそも内田監督という人物が、指導者として相応しかったのかということが話題になっている。至学館大学の栄和人監督も同じような批判にさらされた。どちらもそれなりの成績を残しているものの、指導される側からは、その指導法に疑問を呈されている。彼らの指導法に共通しているのは、精神論や感覚論に偏っているという点だ。そして、体力の限界を超えるような猛練習を課しているのも特徴的である。確かに日本のトップレベルを保つにはハードな練習が必要なのは理解できる。しかし、自らが求めた練習ではなくて、嫌々やらされているという感覚ならば、そんな練習はするべきではない。

旧来のスポーツ指導においてもてはやされてきた精神論が、まだ横行していることに驚く。内田監督と栄監督はあまりにも精神論に固執していたように思える。新しい技術や戦略的部分はコーチが補佐していただろうが、基本的な組織全体の科学的な管理手法については、疎かったように感じる。厳しい練習に耐え抜いた選手だけが結果を残せるという考え方は間違っていない。だとしても、選手の心が折れてしまうような押し付けの練習は逆効果である。科学的な根拠のないやみくもな練習など、まったく役に立たないのである。

スポーツにおける心身の鍛練において、根性を示せ、気合で乗り切れ、精神を鍛えろなどと前時代的なことを平気で言う指導者がいる。内田監督や栄監督などは、その部類であろう。特に日大のアメフト部は、深夜時間まで及ぶような長い練習を部員に課していたというから、考えられない横暴ぶりである。精神論、根性論、気合論で結果が残せると本気で思っていたなら、時代錯誤と言えよう。スポーツにおいては、科学的・論理的にどうすれば選手が成長し向上できるのかは、ほぼ解明されている。ましてや、メンタル面においても、どうすれば心が平静になって実力が発揮できるのかも、科学的に説明できるのだ。

今は科学的に実証された、効果の高いトレーニング方法が確立されている。最新のフィジカルトレーニングは、短い時間でも必要な筋肉や体力が作られるし、持久力を上げるのに長い時間走るだけのトレーニングなんて、時代遅れになっている。メンタルトレーニングも科学的な手法が用いられる。心理学的に、そして脳科学的に検証されている手法でメンタル面が強化されている。精神論や根性論なんて、今の青少年は誰も信用していない。科学的合理性の教育を受けてきた青少年は、科学的に正しいのか正しくないのかで取捨選択するようになっているからだ。

最近のスポーツ指導者、とりわけ日本トップレベルにある高校や大学の指導者たちは、自然科学を駆使した指導だけでなく、社会科学を活用した指導法を取り入れている。チームワークやリーダーシップ、または自主性や自発性を選手たちに発揮させるには、どのような指導法が良いのかを研究しているのである。最新の経営管理学の理論を学んでいる。チームをどのようにマネジメントしていくかが問われているからである。チームをまとめきって、部下との信頼を得ていなければ結果を出せないからである。

日大のアメフト部は、監督を神格化してコーチと部員を完全に支配しようとした。部員たちに何も考えさせなくして、監督の手足として動く選手だけを重宝した。部員たちが自分達で考えたり、自主的に行動したりすることを何よりも嫌ったのである。戦略を立てるのは監督であるが、試合中に刻々と変化する情勢に臨機応変に自主的に自発的に動ける選手が必要である。瞬間的に対応するには、常日頃からアクティビティが養成されていなければならない。アイコンタクトでお互いが何を考えているのか理解できる関係性が必要である。監督にすべて支配され制御された選手は、いざという時に役に立たなくなる。

最新の科学では、スポーツのチーム全体をひとつのシステムとして捉えている。そのシステムが効率的に機能するには、システムの構成員であるひとりひとりの選手が、全体最適を目指して主体的に動くことが求められる。監督やコーチから、いちいち指示されることなく、自主性を持って行動できるように自己組織化されていなければならない。それぞれの選手たちが、ネットワークを組んでそれぞれが過不足なく連帯性を持って行動出来た時に、最大の効果や成果を発揮できるのである。その為には、選手どうし、選手と指導者、指導者どうしの関係性が大事である。その豊かな関係性を築くには、自己組織化されたシステムという考え方をチーム全員が認識しなくてはならない。スポーツの指導は、精神論でなく科学論でするべきだ。

 

ゴルフマナーが悪い社員は使えない

昨今のゴルフ場におけるゴルファーのマナーは、まったくなっていない。ゴルファーのマナーやエチケットは、地に落ちたと言っても過言ではない。それはゴルフを始めたばかりの若者だけではない。立派な中年ゴルファーや老年愛好者までもが、ゴルフのマナーを守らない。おそらく、ゴルフのマナーを知らないのではなかろうか。または、一度も教えてもらってないのかもしれない。一緒に回るようなことがあると、目をそむけたくなるような光景に出くわすことがしばしばである。

ゴルフの個人会員が減っていることもあり、ゴルフ場からの指導や教育がないせいかもしれない。または、企業内のゴルフ部の活動が少なくなったことに加え、接待ゴルフが激減したので、ゴルフのマナーをしっかり教える機会もなくなった影響もあろう。それにしても、ゴルフのマナーやエチケットは最悪の状況にある。というか、人間として当然な行動さえ出来ていないのだから、周りの人に迷惑をかけているという実感を持てないのかもしれない。

ゴルフのラウンドにおいてスロープレーは、絶対に避けなくてはならない基本マナーである。何故ならば、ゴルフのラウンドというのは、パーティとパーティの間で1ホールを完了するプレー時間は、ホールの移動時間も含めて7分程度と決められている。次から次へと7分間隔で3人から4人のパーティがスタートして行く。その中で1人でもスロープレーのゴルファーがいると、その組のパートナーだけでなく、後続のプレーヤーはその間待たせられるのである。当然、その後に続く組のすべてのゴルファーは待たせられることになる。

例えば、7時スタートの組の1人がスロープレーヤーだったとしよう。その人が1ホール当たり3分ずつ遅れてプレーしたとする。そうすると、前半9ホールトータルで27分もその後のプレーヤーが遅れてしまうことになるのだ。休日ともなると人気のコースでは、ぎっしり予約者がいることが多い。7時7分から10時30分までのスタートで、12組の48名のゴルファーが27分ずつ遅れてプレーすることになるのである。後半も同じように遅れれば、なんと1人の遅延プレーヤーのお陰で48名のゴルファーが1時間も浪費するのである。遅い時刻スタートのプレーヤーは、遅延プレーヤーのせいで日没してしまいラウンドを完了できないケースもあるのだ。

ゴルフの技術が未熟な初心者は仕方ないだろうと擁護する人も少なくない。しかし、今までいろんなゴルファーをみてきたが、未熟な初心者だからスロープレーになることは少ない。どちらかというと、中級者や経験者のほうがスロープレーになることが多い。まずはアドレスに入るまでの時間がかかり過ぎる、素振りを3回も4回も行う、アドレスをセットしてからスィングを始めるまで数秒要する、打った後にずっとその場に立ち止まる、走らないばかりかゆっくり歩く、クラブやボールを余計に持たないからカートまで戻る、こんな非常識なことを平気でするのだ。特に、パットの時のスロープレーは酷い。自分の番になって初めてラインを確認する始末である。回りが見えないし、空気が読めないのである。

こういったゴルファーは絶対に上達しない。いつまでもスコアー100を切れない。マナーやエチケットを守れる人は、いつも他人に対して迷惑をかけまいと努力している。当然、自分の自己満足のためではなくて、周りの人々に対する配慮のために、自分自身の力量を磨いている。当然、こういう人は自分の結果が出ないのは、自分に責任があると認識して、技能とメンタルを磨き続ける。平常心を持てないと、ゴルフは失敗する。スロープレーをしている人は、メンタルが弱くミスを犯しやすく、自分を振り返って自分の非を認めないから、いつまで経っても上達しない。

ゴルフのマナーとエチケットが素晴らしい人間は、技術も素晴らしいしメンタルも鍛えられている。手前勝手で自己中心的な人間性を持っている人間は、ゴルフは上手くならない。責任性を持ち、自発性や主体性を発揮できず、いつまで自分の悪い点を認めないし受け入れられないから、自己成長できないのである。人間性の低劣な人間は一時的には成功するが、長い期間に渡り活躍することは出来ない。全体最適を目指し、関係性の哲学を重視する人間だけが、ゴルフのマナーやエチケットの向上が出来る。こういう人間は、ビジネスでも間違いなく成功するのである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、ゴルフのマナーとエチケット講座を開催しています。ゴルフのメンタル講習も実施します。メンタルトレーニングを、マインドフルネスと前後裁断の方法を含めてレクチャーします。ゴルフの技能はそこそこ行っているのに、なかなか100を切れないでいるとか、ゴルフで詰まらないミスばかりをしている人は、是非とも受講してみてください。問い合わせのフォームからお願いします。

ゴルフで記憶力アップ

国立長寿医療研究センターでは、65歳以上の高齢者にゴルフを体験させたら、記憶力の向上につながったという発表をした。65歳以上の高齢者でゴルフ未経験者106人を選び、そのうち半数の人に週に1回以上のゴルフの練習かラウンドをしてもらった。残り半数の人はゴルフをしない普通の生活を続けた。その生活を半年間続けてもらい、事前と事後に記憶力のテストをしてもらったら、ゴルフをした人のほうが項目別検査で平均8~12%の向上が見られたというから驚きだ。

以前からゴルフをやると記憶力向上になるとか、認知症の予防に効果的だとは言われてきた。確かに、ゴルフをやる高齢者は元気な人が多いし、計算力や記憶力の良い人が多いように感じる。特に高齢になってからゴルフを始めるという人は、前向きな考え方の人が多いし、運動習慣を持っている人だからと思っていた。ところが、今回は統計学的というか、実際に実験によって検証されたというのだから、ゴルフが脳にかなり良い影響を与えるということが科学的に実証された形だ。

ゴルフ人口がかなり減少していて、どのようにしてゴルフ愛好者を増やすのか、ゴルフ協会は苦労しているという。それで、国立長寿医療研究センターに協力して、このような検証実験をして高齢者にもゴルフを楽しんでもらう努力をしたのだろうと思われる。本当は、若い人にゴルフを楽しんでもらいたいし、少年少女のゴルフ人口を増やすことをゴルフ協会は目論んでいる。今回は、高齢者を対象にした検証実験を実施したのだが、なかなか粋なことをゴルフ協会はしたものである。

他のスポーツでもある程度の記憶力向上や認知症予防効果があると思われる。しかし、ゴルフほどの効果はないかもしれない。何故ならば、ゴルフというスポーツは他のスポーツよりも遥かに頭(脳)を使う運動だからである。ゴルフは、1ラウンドするのに約4時間から5時間要する。その間、実際にショットやパットをする時間は、事前の準備も含めてわずか15分から20分だと言われている。それ以外の時間は移動や歩行をしていて、その間ずっと自分のショットやパットのことを考えているのである。

脳(頭)は使えば使うほど、脳の機能が高まってくると言われている。こんなにも頭脳を使うスポーツは、ゴルフの他にはないと思われる。他のスポーツで、こんなにもインターバル時間の長いスポーツはないからである。ゴルフはメンタルスポーツとも言われていて、心のあり様が即プレーに反映する。したがって、技能だけ磨いてもスコアーは良くならない。ゴルフには戦略性が必要であるし、メンタル面における自分との葛藤にも勝たなくてはならないのである。こんなにも複雑なスポーツは他にないと確信している。

さらに、ゴルフはアウトドアのスポーツであり、風や雨、気温などにも影響される。しかも、芝生の状態や樹々などの配置にも考慮と対応が必要である。刻々と変化する自然に、どう対応するかが問われているスポーツと言えよう。そして、自然のせいにすることが一切許されていないし、すべては自分の責任なのである。対戦型のスポーツであれば、相手の力量が上だったと言い訳できるが、結果は自分で正直に受け止めるしかないのである。そういう意味では、責任性、主体性、自発性、自主性に基づいたスポーツだと言える。仕事においてもアクティビティが要求されるが、まさしくゴルフというスポーツはそれが重要な要素なのである。他の要因に責任転嫁できず、すべて自分の責任にせざるを得ないのがゴルフなのである。

人間という生きものは、とかく責任逃れをしたり、困難なことから回避したり、誰かに依存したりするものである。ところが、ゴルフだけはそれらのことが一切許されないというルールの中で行うスポーツなのである。だから、人間性とか人間力が磨かれるスポーツであるとも言える。頭脳を使うことで、その能力向上が出来るということも解った。さらに、一緒にラウンドする人との洒落た会話も楽しむことで、社交性も向上する。ゴルフこそ、高齢者に相応しいスポーツだと言える。高齢者のうつ病予防にも効果があるし、メンタル障害になられた方の社会復帰訓練にもおおいに効果がある筈である。高齢期になって、意欲が湧かないという人にも好適なスポーツとして薦められる。

 

※イスキアの郷しらかわでは、不登校、ひきこもり、メンタルで休職や離職された方々が、グリーンツーリズム体験によって社会復帰を目指すことをサポートしています。利用者の農業体験、自然体験は勿論のこと、ゴルフの練習やラウンドの指導(無料)などもいたします。ゴルフ用具の無料貸し出しもしますので、是非お問い合わせください。

あらゆる病気を癒す特効薬「登山」

若い人たちにも登山ブームが起きているらしい。昔のような野暮ったい登山服装ではなく、洗練されていてファッショナブルな洋服に身を包んで、颯爽とした姿で登っている。トレランというスポーツ登山で、走りながら登る姿も目立つ。昔ながらの大きいザックに重登山靴に履いて、山シャツにニッカボッカ姿は見られなくなった。若い人がどんな形にせよ、登山にはまりこんでいるというのは嬉しいことである。さらに、若いパパさんやママさんたちが子どもを連れて登っている姿も微笑ましい。登山人口が増えるから、大歓迎したい。

どうして登山にこんなにも心惹かれるのだろうか。それは、あまりにもストレスフルなこの社会だからこそ、現世界から一時的にも逃れてストレス解消をしているのではないかと見られる。あまりにも生きづらいこの世の中、例え一時的でも何もかも忘れて目の前に広がる自然を満喫することで、精神的に癒されたいと思って登山するのではないだろうか。これは、心理学でいうマインドフルネスという有効的な心理療法のひとつである。気分障害が重症化する前なら、非常に効果が高いと言える。

登山は、精神疾患に有効であるのは間違いない。マインドフルネスという効果もあるが、自然との触れ合いは、間違いなく心を癒してくれる。豊かな大自然に包まれた時に、人間は自分のちっぽけな存在に気付く。登山をしていると、厳しい暑さ寒さ、雨や風に遭うこともあり、雄大な自然が人間の力ではどうにもならないことを知る。人智ではどうしようもない存在がこの世に存在することを実感し、人間は神のような自然に生かされていることを深く認識する。謙虚で素直な、ありのままに自分に還ることが出来る。そうすると、自分があまりにも傲慢で、しかも周囲の人々に対して頑なな態度をしていたと気付くのである。

各種の精神疾患になられた方々が、登山に行ける気力が残っているのであれば、無理にでも行くことを勧めたい。気分障害の方々を登山に連れて行った経験がある。何度かの登山を繰り返すうちに、徐々に心が癒されて元気になった気分障害の人が多い。心と身体は一体である。身体を無理にでも動かしていると、次第に心も動くことになる。少し身体的に厳しい登山をすることで、精神的忍耐力や柔軟性を持てるようになる。簡単に折れてしまう心でなく、どんな苦難困難に対して柔軟な心を持つことなる。精神疾患を緩和するのに、登山が有効だという根拠である。

登山は、身体的な各種疾患にも有効であると思われる。何故ならば、病は気からと言われるように、現代病は殆どが精神的な影響により起きていると言っても過言ではない。勿論、食習慣も含めた生活習慣や生活環境にも影響を受けるが、その悪い生活習慣も元を正せば間違った心が作り出したものである。生活習慣病の殆どは、ストレスや過度のプレッシャーによって生活習慣が乱れて起きていると思われる。そして、身体のネットワークの誤作動が起きて、脳内神経伝達物質や各種ホルモンの分泌異常が、血液循環も含めた体内循環を滞らせて、各種疾患が起きているということが判明してきた。

登山は長時間の負荷運動をすることで、心肺機能を高めることになる。故に滞った血液循環など体内循環を適切に調整してくれる。ガンになった患者さんたちを、富士山登山に誘って、心肺機能向上と生きがい療法をする団体もあるほどである。登山をした人なら解るが、体温を驚くほど高めてくれる。ガンは低体温で起きると言われている。ガンなどの疾病は、自律神経のアンバランスで起きる。副交感神経の活動が低下し、交感神経の異常な亢進により、各種疾患が発症することが判明している。標高の高い所は低気圧になり酸素が薄くなる。低気圧と運動負荷により、酸素摂取を少なくさせて、副交感神経が亢進する。

このように、登山は精神的疾患だけでなく身体的疾患にも有効だという科学的根拠が示されている。厚労省によって難病と指定されている自己免疫疾患などにも、有効であると推測される。さらには、パーソナリティ障害や成人の発達障害なども、登山によって症状が緩和されると思われる。あらゆる疾患を緩和もしくは完治させてくれる登山療法は、現代医療で見離されてしまった人々にも福音をもたらすであろう。病気になられた方は、是非とも登山に勤しんでほしいものである。

※イスキアの郷しらかわは、精神的な疾病と身体的疾病に苦しんでいらっしゃる方々を登山にご案内します。症状に応じた難易度の山を選択しますし、体力に応じたコースを選定します。重症の方には、登山歴豊富のアルピニストで、40年近く臨床に携わったベテラン看護師が同行します。登山ガイドは複数人が同行して、万全の体制でバックアップしますので安心して申し込みください。

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