場面緘黙症を起こす本当の訳

 場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)という症状を抱える子どもたちが増えている。そういうメンタル障害があることさえ認識している人も少なく、保護者も我が子の病名を医師から告げられて、初めて知るらしい。すべての場面で、黙り込んでしまうのではなくて、極めて緊張するような特定の場面で、身体が固まってしまい言葉が発声できなくなるメンタル障害である。例えば、大勢の人前で発表したり、見知らぬ人々の前で話したりすることが、出来なくなってしまう障害である。酷くなると、一切の他人とは話せなくなってしまう。

 一昔前は、そのような子どもは皆無であったのに、20年前くらいから少しずつ増え始めて、ここ数年は異常に増えてしまい、教育現場でも対応に困っているという。また、場面緘黙症と不登校がリンクしていて、不登校の子どものうち場面緘黙症を診断されているケースが激増している。場面緘黙症に対しては薬物治療が適応でないし、カウンセリングやセラピーによる効果が限定的でもあるから、完治する例は極めて少ない。そもそも、場面緘黙症の子どもに対して、カウンセリングはしにくいのだから、当然であろう。

 どうして、こんなにも場面緘黙症の子どもが増えてしまったのであろうか。場面緘黙症になる原因は、医学的には完全に解明されていない。原因が特定されていないのだから、治療も難しい。医師から当事者にいろいろと問診することさえ難しいから、原因特定や治療計画が不可能なのは当然である。元々当事者はコミュニケーションが苦手であるのだから、自分のことを説明しにくいし、自分の気持ちや感情を言語化することが出来ないのも当然である。場面緘黙症の子どもは、人と関わるのが苦手なので、けっして心を開かない筈である。

 場面緘黙症の子どもは、不安や恐怖心をいつも抱えている。HSPと言っても良いくらいに、感覚過敏が強い。心理社会学的過敏もあるから、対面での対話が苦手になる。この不安や恐怖心というのは、自己肯定感や自尊感情がないからである。そうなったのは、アタッチメント(愛着)が不安定だからだと言える。愛着障害と言っても良いであろう。愛着障害と言っても、ネグレクトや虐待を受けた訳ではない。ただし、親があまりにも『良い子』に育てたいという意識が強く、干渉と介入をし過ぎた為に起きた不安定型の愛着だと言えよう。

 不安定の愛着(愛着障害)になるのは、ネグレクトや虐待をされた子どもだけではない。愛情不足なんて思えない程、たっぷりと愛情を注いで育てたのに愛着障害を起すことが少なくない。それは、愛情の掛け方に問題があるからだと思われる。安定した愛着を結ぶためには、0歳~3歳までは先ずは無条件の愛をこれでもかと注ぎ続けることが求められる。条件付きの愛(躾)を同時進行的に注いではならない。あるがままにまるごと我が子を愛するということを徹底して行わなければならない。なるべく、介入や干渉を避けることが肝要だ。

 無条件の愛を母性愛という。母性愛をたっぷりと注いで、子どもの自己組織化の能力を高めてから、条件付きの愛である父性愛を注ぐという順序が大切である。そして、0~3歳までは母性愛だけを注ぐことに専念して、汚いとか危険なこととかをする時にだけ注意指導をするようにするべきである。そして、なるべく子どもが自らじっくり考えて決断し、主体的にしかも自発的に行動をし始めるのを、そっと見守ることが肝要である。けっして、親がこうするんだよとかこうしたいんでしょと先取りしてはならないし、このように言うんだよという指示も避けなくてはならない。先取りや先読みを親がしてしまうと、場面緘黙症を起こしやすい。

 場面緘黙症の親は、比較的教養と学歴が高くてコミュニケーション能力が高い傾向がある。だから余計に、先取りをしやすく先読みし、子どもが言うべきことを先に言ってしまう傾向が強い。そして、母親も不安感や恐怖感を持つケースが多い。何故なら、父親が絶対的な守護神しての機能を果たしていないからである。父親は、単なる父性愛を注ぐだけでなく、子どもと妻をどんな時も自分の命を賭してでも守り抜くという決意を持ち、常に言葉に出して妻子に伝えなくてはならない。勿論、守護神としての行動も必要だ。そうすれば、子どもと母親は心から安心する。愛着障害にもならないし、場面緘黙症にもならない。

V・E・フランクルのロゴセラピーが人々を救う

 ヴィクトール・E・フランクルという精神医学者&心理学者をご存じであろうか。精神科医としての認知よりも、あの悪名高きアウシュビッツから奇跡の生還を果たして、名著「夜と霧」を著した人物として世間に広く知られている。でも、精神医学者&心理学者としての功績も大きいし、ロゴセラピーという効果の高い心理療法の考案者としても名高い。夜と霧だけでなく、他にも数々の精神医学の専門書も書いていて、その研究成果は多大なものがある。そして、多くの自殺志願者を救ったという功績は、他の精神科医の追随を許さない程大きい。

 どんなに著名な精神医学者であろうとも、実際に臨床での経験や実績がなければ、いくら論理的に正しいと言っても、信頼するにあたらない。いくら科学的な根拠があると力説して、論理的にも正しいと主張したとしても、実績がなければただの空論でしかない。フランクルの提唱したロゴセラピーは、エビデンスに乏しいとか、あまりにも宗教的であり違和感を覚えるというような批判にさらされることが多いが、実際に多くの自殺志願者を救っているという点において、信頼に値する正しい理論だと言える。

 ヴィクトール・E・フランクルは、オーストリアに生まれたユダヤ人である。ヒットラー率いるナチスにとって、ユダヤ人はゲルマン民族の人々から搾取をしている守銭奴という敵である。一人残らず根絶やしにしなければならないと、ドイツやオーストリアに住むユダヤ人を違法措置で捕虜にした。ユダヤ人はアウシュビッツに代表される強制捕虜収容所に連れて行き、ガス室に送り殺戮した。フランクルもその一人であった。彼の両親、妻、兄もまた強制捕虜収容所に送られ、命を落とした。フランクル一人だけが奇跡的に生き残った。

 フランクルは、収容されながら何度も死と隣り合わせの体験をするが、奇跡的に命を長らえることが出来る経験をする。助かった要因について、奇跡の生還を遂げた後に述懐している。ひとつは、どんなに危機的状況に遭おうとしても、けっして自分を見失わず精神的な安寧を保ち続けられたせいだと言っている。そして、どんな目に遭おうとも生き延びて、収容されながら書き留めた原稿を世に発表しなければならないという使命を持っていたからだという。つまり生き延びる意味と目的を持ち続けたからこそ、助かったと言うのである。

 この生きる意味と目的を持つことの大切さを認識したことが、その後のロゴセラピーという理論の根拠になったと言えよう。自らが実証したとも言えるし、その後も自殺志願者を救うのに役立ったと言えよう。ロゴセラピーというのは、生きる意味や目的を持つことで、苦難や困難にも打ち勝ってストレスにも負けない心を持つことになり、メンタル疾患を回復させる療法である。勿論、それだけでメンタル疾患が完全治癒をする訳ではないが、回復へのプロセスに欠かせないのが正しい思想哲学であるのは間違いない。

 今まで、多くのメンタルを病んで不登校やひきこもりになってしまった方々をサポートしてきたが、その人たちのすべてが正しい思想哲学を持っていなかったし、生きる意味や目的を認識していなかったのだ。つまり、そもそもメンタルを病んでしまう重要なファクターが、正しい思想哲学を持てていないからだとも言える。それでは、思想哲学を持って生きる意味や目的を持てればそれでいいのかというとそうではない。その意味や目的というのは、特に形而上学に基づいた正しい人生の意味と目的なのである。

 その生きる意味や目的が、自分や家族の豊かさとか幸福というのであれば、それは間違いである。あくまでも世のため人のために貢献するというものであり、全体最適を目指すものでなければならない。個別最適の生きる意味や目的では、人々の心を救う効果はない。フランクルは、人智を越えた見えない力を持つ存在(神や宇宙意思)によって助けられたと語っている。つまり、全体最適&全体幸福を願うような生きる意味や目的を持つことが、ロゴセラピーの基本と言える。さらに言えば正しい目的を持つには、形而上学が必要なのである。

孤育てor共育てかで子の幸福度が決まる

 孤育てという言葉が、ネット上で最近は使用されているケースが多い。子どもが孤独という意味ではなくて、親が単独で子育てをしているケースで使われる。勿論、ひとり親家庭もその範疇に入るが、どちらかというとこの孤育てというのは、父親もいるけれど母親だけが子育てを担当している場合に用いられる。つまり、家庭にお父さんがいるけれど子育てに対する協力が得られず、お母さんが子育てに孤軍奮闘している時に孤育てと呼ぶ。そうではなくて、父親が子育てに積極的に協力していて、夫婦が協力している場合に共育てと呼ぶ。

 それぞれの家庭において、様々な事情があるのは当然である。夫が単身赴任をせざるを得ない場合も多いし、ハードな勤務状況の故に家庭不在にならざるを得ないケースもあろう。だとしても、母親だけで子育てするというのは、その負担はあまりにも大きいと言わざるを得ない。どんなに素晴らしい能力をもち、安定したメンタルを持った母親でも、孤育てというのは、母親にもそして子どもにも悪い影響を与えるのは防げない。共育てならば、母親の身体的負担も少ないし、精神的な安定を持てるが、孤育ては辛いものがあろう。

 孤育てによる子どもへの悪い影響というは、世間の人が考えている以上に大きい。何故かというと、母親が孤育てしている時の精神面での不安や怖れが、子どもにダイレクトに伝わってしまうからである。つまり、母親の不安が子どもに対してもろに伝播して、子どもの不安が強くなってしまうのである。ましてや、子どもというのは豊かな母性愛(無条件の愛)をたっぷりと注がれてから、父性愛(条件付きの愛)でしっかりと躾をすることで健全な育成が可能となる。どちらか一方が欠けても、子どもは健やかに育ちにくい。

 今、青少年が不登校やひきこもりになるケースが非常に多くなっている。その根底になっているのが、子どもたちの生きづらさである。それは、根底に愛着(アタッチメント)の不完全さを抱えているからである。問題行動を起こしている子どものほぼ100%と言っていいほど、不安定の愛着が根底にある。問題ある殆どの子どもが不安型の愛着、または愛着障害と言っても差し支えなく、それが二次的な症状としてメンタルの不全さを起している。そうなってしまっている原因の多くが孤育てにあると言っても過言ではない。

 離婚してのひとり親による孤育ての場合よりも、ふたり親なのに母親だけが孤育てをせざるを得ないケースのほうが、問題が起きやすい。それも、父親が家庭にいるのにも関わらず子育てに携わるのを拒否しているか、もしくは子育てから逃避している時にこそ問題が起きると言える。何故なら、父親がのっぴきならない理由で子育てに関われない時は、母親は覚悟を決めて孤育てに取り組める。ところが、子育てに協力することが出来るのにも関わらず、子育てから逃げている父親が家庭内にいることが、母親の心を疲弊させるのである。

 孤育てをしている母親は、まさに孤独感があり家庭内で孤立している。こうなると、子どもだけが自分と繋がるたった一人の絆である。しかし、幼い子どもは相談相手にならないし、悩みを打ち明けることもできない。ましてや、子育ての悩みは自分だけで解決するしかないのだ。家庭内に父親がいるにも関わらず相談相手にならないのだ。特に、父親が発達障害であるケースは最悪だ。まるで、話を聞こうとしないし、会話が嚙み合わないばかりか、とんでもない反応をする。子どもに悪影響を与える言動を繰り返すから、困る存在である。

 孤育ては、子どもを不幸にし、共育ては幸福感を持つ健全な子どもを育成できる。だから、父親は仕事をある程度犠牲にしてでも、共育てをすべきなのである。自分の趣味や遊びを、子育て期間は我慢すべきだと考える。何故なら、母親はすべてを犠牲にして子育てに専念するのだから、父親だって自己犠牲が必要だ。この世の中で、一番尊くて価値のあることは、次世代を担っていく優秀な子孫を育成することだ。この世の中で一番価値があるのは仕事だと思っているなら、それは完全な間違いだ。だからこそ、共育てに力を注ぎ、孤育てにならないように、父親たるものは最善の努力をすべきなのである。

『アストリッドとラファエル』は最高のドラマ

 NHKでは海外の人気ドラマを輸入して放映するケースが少なくないが、『アストリッドとラファエル』というドラマはフランスで作成された推理ものである。以前はNHKの地上波で放映されていたみたいだが、現在はNHKのBS4Kで鑑賞できる。最初は単なる刑事ものだと思っていたのだが、その予想は見事に覆された。それは良い意味でのまったくの想定外であり、びっくりすると同時に鑑賞できる喜びに浸ることが出来た。推理ドラマではあるものの、深淵なるヒューマンドラマでもあったのだ。

 主人公のアストリッドは、警察署の犯罪資料局に在籍する女性事務員であり、もう一人の主人公ラファエルは優秀な女性刑事である。日本でいうところの警視庁捜査第一課(殺人事件を扱う課)の係長といった役割である。アストリッドはフランス警察全体の過去の犯罪資料を扱う保管庫で、文書の管理係をしている。アストリッドは深刻な自閉症(ASD)を抱えていて、コミュニケーション障害があり、対人恐怖症があるので対人対応力に乏しい。偶然にもそのアストリッドとラファエルがとある事件を通じて出会い、交流が始まるのである。

 アストリッドは、母親が自分を捨てて逃げたという体験から見捨てられ不安が強く、重い愛着障害を抱えている。それ故に、強いHSP(神経過敏)を抱えて聴覚過敏で悩まされている。幼児期から強烈な不安を抱えていて、その傷つきやすさから、何度もトラウマを受けて積み重なり、複雑性PTSDを発症してしまい、二次的症状としてASDとコミュニケーション障害を起したと考えられる。見事な人物描写であると言える。ここまで深く人間の裏側までも描き出したドラマや映画は経験したことがない。素晴らしいヒューマンドラマである。

 アストリッドの記憶力は途方もない能力を秘めている。犯罪資料局にある過去の犯罪資料を全て読んでいて、必要な書類がどこにあるのかを特定でき、いつでもすぐに取り出せるようにファイリングしている。ある程度の資料の内容や犯罪の容疑者・関係者はすべて記憶している。ASDの人に備わっている能力であることが多いのだが、ギフテッドと呼ばれる天才なのである。おそらく、彼女の視野に入ったものはすべて画像として記憶され、いつでもその情報が引き出せる。あらゆる芸術にも精通していて、その感性は極めて豊かである。

 一方、女性敏腕刑事のラファエルは、想像力や柔軟思考性に優れていて、発想力にも秀でている。つまり、アストリッドとラファエルは正反対の能力を持っていると言えよう。本来は文書係だから、アストリッドは捜査には加われない。しかし、アストリッドの高い能力を認めて捜査に協力を求め、ラファエルと二人三脚で難事件を次から次へと解決していくのである。それも迷宮入りになっていた難事件までも見事に解き明かす。アストリッドの感覚は敏感過ぎるほど研ぎ澄まされている。その優れた感覚と記憶力で解決に導くのである。

 推理ドラマとして超一流なのであるが、二人の魂の成長を描く人間ドラマでもある。ラファエル刑事はASDのアストリッドとの触れ合いを通じて、精神障がい者との友情を育むことの喜びを知る。アストリッドはASDである自分の特性を受け入れてくれるラファエルに、生まれて初めての友情を抱く。それぞれの感性の違いを認め受け入れることで、人間としての成長を成し遂げていく感動のドラマなのだ。そして、びっくりするのがアストリッドの演技力である。ASDの言動の特徴を見事に演じている。そのリアリティは、見るものを勘違いさせるほど素晴らしい。

 日本でもASDなどの発達障害や知的障害を持つ人々を描いたドラマや映画は存在する。しかし、こんなにもASDの人物が生き生きとして社会に貢献しながら活躍していく物語を見たことがない。勿論、アストリッドも捜査をする経過において悩み苦しむことがあるし、酷く傷つくこともある。それでも、アストリッドは自分が社会に役に立つ喜びを抱きながら、ラファエルに協力することを続ける。このドラマを観た多くの精神障がい者や発達障がい者に勇気を与えてくれるだろう。また、障がい者に対する偏見が少しでも少なくなることと、障がい者の社会参加が進んでいくことを願わずにはいられない。

メンタルを病む責任は本人にない

 前回のブログでは、メンタルを病む原因は心ではなくて脳の器質的障害によるものだと解説した。まだ一般社会の中で、特に職場や学校においては心の病気だという認識が強くて、本人の気質や性格、または認知傾向や価値観に問題があるから、メンタル疾患になるのだという捉え方をする人が多いようである。心配しているようなそぶりを周りがするが、自分で病気を引き寄せている、そんな見方をされるから余計に当事者は辛いし、益々症状が悪化しやすい。しかし、メンタル疾患を発症する人に、その責任はないと断言できる。

 メンタル疾患を抱えている人はの殆どは、保護者や本人に関係する周りの人々のせいでメンタル疾患に陥ったのである。精神の病気になった責任は、当事者には殆どないと言い切れる。何故なら、メンタル疾患にならざるを得ないような育てられ方と周りの環境によって、発症したと言えるからである。まずは、精神疾患になってしまうような育成環境についてだが、親があまりにも熱心過ぎる育児をするケース、その反対に育児放棄したり虐待したりする正反対のケースとがある。どちらも精神的な障害を抱えやすいということは間違いない。

 まずは、虐待やネグレクトを受けた場合である。このケースでは、ほぼ100%精神的な障害を抱えてしまう。よしんば、その後児童相談所や児童福祉施設で温かく育てられたとしても、その時に抱えたトラウマは生涯に渡り当事者を苦しめる。脳の器質的障害はある程度改善されたとしても不安は完全に払拭されず、HSCを抱えるが故に傷付きやすい人格を持ち続け、乗り越えることが難しい。優しい保育士さんたちや親切な里親に育てられたとしても、トラウマを乗り越えるレベルまで回復するのは極めて困難だと言える。

 親があまりにも熱心過ぎる養育をしたケースであるが、これは過干渉や過介入の養育とも言える。立派に育てたいとか、将来に渡りエリートの人生を歩ませたいと親が強く意識して、過度の期待を掛け続けて、子どもをコントロールし過ぎた育て方をした場合である。このケースにおいては、子どもは親からの無条件の愛情ではなくて条件付きの愛情を受けてしまうので、自己肯定感が育たないばかりか、虐待児と同じようにHSCを抱えてしまう。完璧さを求められるし、学業成績が悪いと否定されがちになり、見捨てられる不安を抱えてしまう。

 どちらのケースにおいても、HSCからHSPに移行して、得体の知れない不安を抱えてしまう。そうすると、周りの子どもたちからからかいを受けたり、虐めの対象になったりするから、何度もトラウマを抱えてしまうことになる。教師からの不適切指導も受けやすい。それが例え小さなトラウマだったとしても、次第に積み重なっていき複雑性のPTSDになっていき、二次的な症状として発達障害や気分障害を起こしてしまうのである。勿論、生まれつきの発達障害もあるが、それが益々強化されてしまうのである。

 また多いのが、両親の不仲による悪影響である。特に子ども脳に深刻な影響を与えるのが、両親の喧嘩である。子どもの前で怒鳴り合う事を続けると、100%子どもの脳は致命的な器質的な障害を受ける。偏桃体が肥大化してコルチゾールが過大分泌することで、DLPFC(背外側前頭前野脳)と海馬が破壊される。例え怒鳴り合いまで発展しなくても、お互いの愚痴や悪口を子どもに聞かせ続けると、同様の障害が起きる。離婚の危機を迎えると、子どもは自分が犠牲になり、離婚を防ぐために無意識で問題行動を起こしてしまうのだ。

 前述したような家庭に育った子どもは、不安型のアタッチメントを抱えてしまい、オキシトシンホルモンレセプターが異常に少ない脳になる。得体の知れない不安を常時抱えていて、睡眠障害を起こして脳の破壊を招き、メンタル疾患を発症してしまうのである。不登校やひきこもりに追い込まれてしまう子どもも少なくない。何度も心的外傷を受けて、複雑性PTSDになり、発達障害や重篤な気分障害、または妄想性障害や各種依存症までも発症する恐れもある。こうなってしまうと、医学的アプローチも効果なく、長期間に渡る社会からの離脱が起きる。こうなってしまう責任は、当事者にはないのである。

※メンタル疾患の当事者が、低劣な価値観しか持ち得ず、正しい生きる目的を設定できないこともメンタルを病むひとつの要因ではありますが、これも本人の責任ではありません。父親が高い価値観や哲学・思想を子どもに伝えなかったからです。特に「神の哲学」である形而上学を子どもに語っていないから、高い価値観を持ち得ず正しい目的を設定できなかったのです。これも当事者の責任ではありません。

メンタルを病んでしまう本当の原因

 メンタル疾患が年々増加の一途を辿っている。代表的な気分障害である、うつ病や双極性障害(躁鬱病)の患者さんは、あまりにも増え続けていて社会問題にもなっている。そして、最近は単なるうつ病だと診断されてきたのに、実は双極性障害だったということが判明するケースが非常に多いことが注目されている。うつ病というのは誤診であって、別の心療内科で双極性障害だという確定診断がつく例が極めて多いのである。躁うつ病は、一昔なら珍しい精神疾患だったのに、現代では想像している以上に増加しているのである。

 双極性障害は、重篤な精神疾患である。治療が難しいということもあるし、完治を迎えることが少なく、寛解さえも難しい。そして、より重篤な精神疾患である統合失調症も増えていることに戦慄を覚える。どうして、こんなにも難治性の精神疾患が増えてきているのであろうか。そして、一昔前のうつ病であれば、投薬治療によって症状がかなり抑えることが可能だったのに、現代のうつ病は投薬や各種精神療法を駆使しても、寛解しにくくなっている。つまり、メンタル疾患は年々増えているし、難治化しているのである。

 そして、とても増加しているメンタル疾患がもうひとつある。複雑性PTSDという精神疾患が増えているのである。単純性のPTSDやパニック障害が増えていることもあるが、複雑性PTSDだけが異常に増加しているのである。複雑性PTSDというのは、トラウマ(心的外傷)を何度も積み重なって起きる疾患で、単純性のPTSDよりも治癒しにくい。今までのカウンセリングや精神療法では、良くならないばかりか却って重症化させてしまうことも多く、二次的症状としてより深刻な疾患を発症させるリスクもあるという。

 今までの精神療法やカウンセリングは、過去のトラウマを聞き出して、そのトラウマを今は安全なものとして俯瞰できるように、右脳の記憶から左脳の記憶に移し替えをすることで、症状を緩和させていた。ところが、複雑性PTSDに限っては、下手にトラウマを暴露させてしまうと、その恐怖に耐えきれなくてさらなる深刻な二次的症状を引き起こすケースが非常に多いことが判明したのである。ASDやADHDなどの発達障害の症状や、双極性障害を起こすことが多くみられる。複雑性PTSDとは、怖い精神疾患なのである。

 そして、複雑性PTSDによる二次的症状として、うつ病、双極性障害、統合失調症型パーソナリティ障害、妄想性障害、発達障害などの深刻なメンタル疾患や障害が起きていると考えられる専門家が増えてきた。それでは、何故に複雑性PTSDを発症してしまうのであろうか。いくら心的外傷を受けるような出来事を体験したと言っても、すべての人がトラウマ化する訳ではない。特別にトラウマを積み重ねやすい人と、まるっきり平気で受け流せる人がいるのだ。苦しくて悲しくて怖い体験をトラウマ化しやすい人が複雑性PTSDになる。

 このトラウマを積み重ねて複雑性PTSDになりやすい人は、HSCやHSPの気質を持っている。特に聴覚過敏が強い傾向を持つ。聴覚神経が肥大化している。そして、脳の器質障害をも起こしている事が判明してきた。DLPFC(背外側前頭前野脳)と海馬が壊れて萎縮している事が解ったのである。一方では、偏桃体が肥大化していることも知られている。何故そんなことが起きているのかというと、不安、恐怖、苦しみ、怒りなどの強いマイナス感情が常に起きていると、偏桃体が異常興奮を起こしてコルチゾールが過大に分泌される。そうすると、偏桃体が肥大化すると共にDLPFCと海馬が破壊されてしまうのだ。

 この海馬は記憶を司る大切な脳なので、記憶力や認知が正常に働かなくなるばかりか、記憶を変更してしまう。また、DLPFCはワーキングメモリー機能、正常判断や倫理観を司っているので、一時記憶や臨時的計算や判断が出来なくなるばかりか、反倫理行動や依存行動を取ってしまう危険もある。DLPFCと海馬が正常に働かないと、不安・恐怖・怒りを鎮めることが出来ず、メンタル疾患はさらに重症化して固定化してしまうのである。投薬治療も効果がなくなる。HSCやHSPになってしまう原因は安定したアタッチメント(愛着)が形成されず、不安型のアタッチメントを抱えてしまうからなのである。

※このように、今まではメンタル疾患はその人の性格や気質によって起きる心の病気だと考えられていましたが、まったく違っていて脳の器質的変化によってもたらされているということが判明しました。そして、複雑性PTSDが基礎疾患にあって、二次的症状としてうつ病や双極性障害などの気分障害が起きていて、幻聴・幻覚を起こす統合失調症性パーソナリティ障害や妄想性障害が起きるケースが多いのです。さらには、二次的症状として発達障害も起きる例が多いこと解りました。

登山によってメンタルが癒される訳

 メンタル疾患を治そうとすると、その治療には時間を要するし極めて治りにくいということで、一筋縄ではいかないということを当事者も治療者も認識している。投薬治療も劇的に効果が出るケースもあれば、まったく効かないという症例もある。ましてや、確定診断する事さえ難しいこともあれば、誤診だってある。最新医学を活用したとしても、その治療は難しいというのが共通認識である。そんな状況の中、自然体験などによって、メンタル疾患や難治性の精神障害が癒されることが少なくない。そして、本格的な登山経験によってメンタル疾患が治ったという経験を持つ人も少なくない。

 登山によって、癌が寛解した人も多い。癌患者が登山グループを作ってその病気を完治させているケースもある。登山をすることで、精神疾患が寛解するとか症状が軽くなるというのは、自分でも何度も経験しているのであるが、どうしてなのかその理由について考察してみたい。登山というとハイキングやトレッキングのレベルを超えた、2,000~3,000メートルの山登りであるから、メンタル疾患を抱えている人が単独で登るというのは不可能である。当然、誰かのサポートがなければ登れない。厳寒期の冬山登山やクライミング技術を要求されるような岸壁登山は無理だが、夏山であるならサポートにより殆どの山登りが可能だ。

 また、メンタルを病んでいる人が山を登るなんて絶対に無理だと思っている人が多いであろう。勿論、自室に引きこもり寝たきりになり、起き上がることさえ出来ない人が登山をするのは無理である。外の散歩程度なら可能な体力があれば、簡単なトレッキングから始めれば可能だ。適切できめ細かなサポートがあればという条件付きながら、メンタルを病んだ人が登山をするのは可能である。実際に、メンタルを病んでいる方々を登山に連れて行った経験を持っている自分には、自信を持って登山することを薦めている。

 登山によってメンタル疾患や精神障害が癒されるのは何故かと言うと、まずは自然との触れ合いによる癒し効果が挙げられる。人間は自然が豊かで人工物がない空間に置かれると、自然のままの自分でいられる。他人や親族との関係性において、いい人でありたい嫌われたくないと無理したり我慢したりして本来の自分じゃない自分を演じなくても良い。これは非常に楽な気持ちになる。自分らしくありのままの自分でいられるというのは、気持ちが穏やかになる。そして、大きな自然の中に抱かれると素直で謙虚な気持ちにもなれるのだ。

 自然が豊かで樹木が豊富にある場所には、フィトンチッドと呼ばれるストレス軽減効果がある物質がたくさん漂っている。小川や渓流が流れる水辺には、マイナスイオンが多く存在して、自律神経のバランスが保たれるし酸化され過ぎた人体の細胞が生き返る。標高が少しでも高い山に登ると下界より気圧が低くなる。空気中の酸素量が減ると、自律神経の副交感神経が活性化して、ストレスが軽減されて自己免疫力が向上する。美しい眺望に感動して登山道わきに咲き誇る花々を愛でることで、心が癒されるし生きる勇気が湧いてくる。

 山岳修験者たちは、厳し過ぎるような体力の限界に挑むような登山を何度も繰り返すことで、自分の心に住んでいる邪気や弱気、穢れを振り払う事ができた。禊(みそぎ)と呼ばれる修行によって、自分の心身を磨いて清浄なる心を得たのである。我々も、体力の限界とは言えなくても、ちょっとだけ厳しい登山を継続すれば、穢れを払うことが出来るに違いない。まさしく禊のような効果で、清浄な心を持つことができる。そして、厳しくて長い登山道を重い荷物を背負って歩いて頂上に立てたなら、頑張った自分を誉めてあげられる。

 自分自身を心から誉めてあげる、そんな自分の事を心から愛せることが出来たなら、自尊感情が湧き上がってくる。そんな登山経験を何度も積み重ねることで、自分を受容し寛容の心を持って、自分に接することが出来よう。登山による大きな癒し効果だと言える。さらに、登山がメンタルを癒す一番の効果は、なんと言ってもマインドフルネスによるものだと言えよう。三昧(ざんまい)という仏教用語がある。何もかも忘れて目の前のことに没頭することである。まさに『登山三昧』という心境になることで、マインドフルネス効果が生まれる。登山によってメンタルが癒されるのは、以上のような理由からである。

※イスキアの郷しらかわでは、長い期間に渡り登山体験のサポートを通して、多くの悩み苦しむ方々を癒してきました。登りながらのカウンセリングは、自然の雄大さに心も解放されるので、大きな効果を生みます。中には、本格的な山登りである百名山の登山も支援してきました。岩手山、鳥海山、月山、燧ケ岳、会津駒ケ岳、磐梯山、安達太良山、男体山などの名山にもお連れしました。身近な低山のトレッキングから本格的登山まで、クライアントの力量に合わせて登山ガイドをいたします。是非、ご検討のうえ、お問い合わせください。

背外側前頭前野脳DLPFCがクラッシュ!

 DLPFC(背外側前頭前野脳)という医学専門用語が、最近注目されるようになった。最新医学における脳科学研究によって、うつ病はDLPFCの機能低下によって起きているということが判明したのである。以前から前頭前野脳の機能低下が影響しているのではないかと言われてきたが、その中の特定の前頭前野脳であるDLPFCの機能低下がうつ病の原因だと特定されたのである。そのうえで、直接DLPFCにピンポイントで電磁的刺激を与えることで、うつ病が劇的に改善するという治療効果を上げている症例が増えている。

 うつ病を患っている人にとっては朗報なのであるが、このγTMS療法がどこの医療機関でもこの治療が出来るかと言うと、残念ながらまだ普及していない。まだ保健診療で認められるには、二カ月の入院治療や様々制限があり、なかなか認められにくい。自由診療であれば通院治療でも可能だが、すべての医療機関でも簡単に治療を受けられるまでには至っていない。しかし、今まではうつ病の原因は解らないことが多くて、セロトニン神経が影響しているのではないかとの推測(仮説)しかなかったから、すごい発見である。

 以前から、長い期間うつ病などの気分障害を起こしている人の脳をCT画像で確認すると、偏桃体が肥大化して、海馬や前頭前野脳が萎縮していることが解っていた。その前頭前野脳のうちDLPFCに萎縮が起きてしまい、機能が低下しているものと思われる。DLPFCは、コンピュータにおけるフラッシュメモリーのような働きをしていると言われている。一時的に記憶をする機能と、演算機能のように様々な情報を複合的に処理しながら、合理的な判断をする機能を持つらしい。また、倫理的な判断機能も持つとも言われている。

 したがって、DLPFCが機能低下や停止に陥ると、一時的記憶というか最新の記憶が飛んでしまうということが起きやすい。まさにフラッシュメモリーがクラッシュしたかのような状況に陥るのである。正しく合理的な判断能力も失うし、倫理的な判断も苦手になるのである。まさに、うつ病患者が判断能力や記憶能力を失い、休職に追い込まれてしまうのは、このせいであろう。頭では分かっていても、心身がフリーズしてしまったかのように、身体も動かなくなり、脳も機能停止に陥るのである。まるでPCがフリーズしたかのように。

 何故、DLPFCが萎縮して機能が低下してしまうのかというと、そのメカニズムは完全に解明している訳ではないが、こんな推測がされている。強烈な悲しみや寂しさ、怒りや憎しみ、強大な不安や恐怖が次から次へと襲ってくると、ノルアドレナリンが大量に偏桃体に分泌されるし、コルチゾールというステロイドホルモンが大量に放出される。本来であれば、不安や怖れがあり異常興奮を起こしそうになれば、DLPFCが抑え込んでくれるのに、何度も何度も不安や怖れが積み重ねられると、限度を超えてしまい偏桃体が興奮してしまうのである。

 情動反応(逃避や闘争状況)が起きて偏桃体の異常興奮が長期間続いてしまうと、偏桃体が肥大化すると共に、海馬や前頭前野脳が萎縮してしまうのだ。DLPFCが機能低下を起こす。何故、そんな反応を人間の脳はしてしまうのであろうか。おそらく、人間の防衛反応が働くせいではなかろうか。闘う事もできず逃げる事もできなくなると、緊急避難的に心身がフリーズするのである。ポリヴェーガル理論における、背側迷走神経の過剰反応が起きて、自殺や精神の破綻を起こさないように、DLPFCの機能低下が起きて、自分の命を防衛するのである。

 このポリヴェーガル理論における背側迷走神経の過剰反応による心身のフリーズ・シャットダウン化は、トラウマの積み重ねによっても起きることもある。何度も何度も心的外傷を受けることで、徐々に背側迷走神経の過剰反応が溜まりに溜まって、限度を超えた際にフリーズが起きるのであろう。このフリーズをγTMS療法によるDLPFCの機能を復活させて中途半端に緩めてしまうと、自殺してしまう怖れがある。うつ病の回復期に自殺が起きるのは、背側迷走神経のせいである。故に、重症のうつ病にはγTMS療法は適応除外となっている。

※フリーズした心身を完全にしかもゆっくりと緩める為には、心理的安全性を確保してソマティックケアを併用しながら、カウンセリングやセラピーを実施する必要があります。しかし、その際に気を付けなければならないのは、DLPFCの機能低下が起きていると、認知行動療法においては合理的判断能力が出来ないし一時記憶が働かないので、極めて難しいということです。どちらかというと、ナラティブアプローチ療法やオープンダイアローグ療法の方が適用しやすいかもしれません。勿論、その際に簡単な絵や表を使ったりして、視覚にも訴える必要があると思います。

源氏物語は愛着障害のものがたり

 源氏物語というと、あまりにも有名な平安時代の本格長編小説であり、しかも紫式部という女性作家の最初で最後の作品だということで知られている。紫式部という女性がどのような生涯を送ったのか、その小説を書こうと思い立ったモチベーションは何かということが気になる。それ以上に興味が湧くのは、源氏物語に描かれた世界観はどのようにして彼女の心に生まれたのかという点である。主人公である光源氏のあの強烈過ぎるキャラクターとは、どこから着想したのか、何を描きたかったのかが注目されるところである。

 NHKの大河ドラマ「光る君へ」を鑑賞させてもらったが、史実とフィクションを適当に織り交ぜながら、紫式部という女性をとても魅力的に描いていたように思える。勿論、もう一人の主人公である藤原道長も、栄華を極めた権力者という描き方ではなく、悩み多きひとりの男性として描かれていて、好感が持てる描き方だった。ドラマでは、光源氏という主人公と権力の中枢まで上り詰めた藤原道長を、重ね合わせて描いていて、それはそれで面白いアイデアだと感心したが、あまりにも違う境遇なので、あり得ないだろうとも考える。

 とは言いながら、藤原道長たちのように権力を求める飽くなき野望を持つ貴族と、権力や地位を求めながらも果たすことの出来ない苛立ちが異性へと向かう光源氏の根っこは同じではないのかとも思える。何か満たされない思いを政治の中枢に立ち権力を振るうことで満たそうとする藤原貴族、そして満たされない思いを性愛によって昇華させようとする光源氏は、根源とするものは一緒なのではと思えるのである。それはうがち過ぎだと言われそうであるが、権力欲や支配欲と性欲は同じ根源にあるような気がする。

 それにしても、源氏物語に描かれた主人公の光源氏は、稀代の女たらしである。こんなキャラクターを持つ主人公を、どういう心理状態から描こうとしたのであろうか。この源氏物語は、夫を亡くした紫式部が寂しさや悲しみを紛らわせようとして書かれたと伝わっている。その源氏物語が評判を得て、左大臣藤原道長の耳に入り、一条天皇の后である娘の彰子付きの女房として招かれる。一条天皇の寵愛を彰子が得る為に、この源氏物語が利用されたらしい。この源氏物語が、一条天皇と彰子中宮の仲を取り持ったと伝わっている。

 確かに、光源氏が様々な女性との恋物語を展開していくストーリーは、読む人の心をときめかせたに違いない。男女の仲が、魅惑的な恋物語を共通話題にして深まるというのはあり得ることである。それも、不義密通や呪縛による殺人というセンセーショナルなストーリーである。一条天皇と彰子中宮との夜話は盛り上がったに違いない。藤原道長は自身の出世と権力掌握の為に、紫式部と源氏物語を利用したとも言える。とは言いながら、この源氏物語が多くの人々の共感を呼び、大きな感動を与えたのは間違いない。

 という事は、光源氏の気持ちが当時の人々にも共感できたので、フィクションとは言いながら現実にもあり得ると当時の読者が思えたのであろう。つまり、光源氏が母親の愛情に飢えていて、その満たされない思いや生きづらさをエネルギーにして、異性を虜にする原動力になったと読者も感じたのである。権力への飽くなき追求も、母親から愛されなかった思いを政治に反映させたのだと読む人を共感させたのだ。愛着障害による影響が強く出て、あまりにも激しい生き方や行動をさせた人物を紫式部が描き、それが世の中に支持されたのだ。

 愛着障害は、大人になってからも生きづらさや辛くて苦しい人生を強いてしまう。平安時代においても、既に愛着障害によって人生を狂わされた人々が貴族にもいたのだ。愛着障害を抱えた人々の中で、現代の日本においても光源氏のような生き方をしている人物も少なくない。愛着障害が根底にあり、政界での権力闘争でしか自分を表現できないからと、政界でトップに上り詰めた人物もいる。愛着障害を抱えるが故に、性被害の加害者になる人もいるし、リスクある行動をして被害者になってしまうケースもある。源氏物語は愛着障害のものがたりだと言えるし、現代人の生きづらさにも通じる名作だと言えよう。

HSCとHSPが増えた訳と癒し方

 SNS上の投稿やコメントを見ていると、自称HSPだという人が極めて多い。あまりにも生きづらい人生だからと自己診断をすると、HSPの項目に該当しているから、自分はやはりHSPだと気付いて、何故か安心する人が多い。勿論、うつや双極性障害などの気分障害と診断された方々が、HSPの傾向があると正式に診断されるケースも増えてきている。確定診断や自己診断も含めると、HSPやHSCという方たちは異常に増加しているのは間違いない。勿論、近年になりHSPが認知されたという影響もあるが、この増え方は異常だ。

 どうして、こんなにもHSPやHSCが増えたのであろうか。元々、HSPだったのにも関わらず、知らなかったから見逃していたという理由だけでもなさそうだ。明らかにHSPの人は増えているように感じる。そして、HSPの影響により生きづらさを抱えている人も増加しているし、その為に二次的に深刻な症状を起こす人も少なくない。このHSPになってしまう原因とそれを防ぐ手立てを考えないと、メンタルを病んだり深刻な精神障害を起こしたりする人が増えてしまい、不登校やひきこもりが益々増えそうである。

 HSPになってしまう原因は、必要以上の不安や恐怖感を抱いてしまう乳幼児期を過ごしてしまうからである。絶対的な安心感を持ちながら育てられないと、HSCになってしまうのである。乳児や幼児というのは、親からの庇護を受けて育つ。つまり、絶対的な守護神がいざという時は自分を守ってくれるのだという安心感が必要なのである。まるごとありのままに愛され続けて、どんなことがあっても自分の味方になってくれるという安心感が、子どもの健全育成には必要なのである。そうすれば、絶対的な自己肯定感も確立される。

 HSCになる脳のシステム異常は、安心ホルモンと呼ばれるオキシトシンホルモンの欠乏によって起きると考えられている。正確に言うと、オキシトシンレセプター(受容体)の欠乏が起きているのである。乳幼児期に十分なスキンシップや抱っこをされないと、十分なオキシトシンレセプターが増えない。また、どんなことがあっても自分を愛し続けてくれるという安心感を持てないと、オキシトシンレセプターは欠乏してしまうのである。オキシトシンレセプターが欠乏する状況になってしまうと、HSCになってしまうのである。

 また、それだけではなくて不適切な養育によってもオキシトシンレセプターが作成されないという事象が起きる可能性がある。例えば、虐待、ネグレクト、不機嫌な態度、無感情無表情での養育などを続けると、オキシトシンレセプターは作成されにくい。さらに、過干渉や過介入、恐怖感を利用した支配やコントロールを繰り返すことも悪影響を与える。ダブルバインドのコミュニケーションもオキシトシンレセプターの形成を阻害する。母親が養育途中から仕事に熱中して子育てを離脱したり、養育者が変更されても同様である。

 このように、十分なオキシトシンホルモンの取り込みが阻害されてしまうと、いつも不安や恐怖感に苛まれてしまい、HSCになってしまう。オキシトシン不足によりHSCやHSPになってしまうと、良好なアタッチメントが形成されず、不安型のアタッチメントを抱えてしまう。あまりにも酷いケースだと、愛着障害にもなってしまう。HSPによってASDの症状が出てしまうケースもあるし、気分障害、パニック障害、PTSD、双極性障害にもなるリスクが高くなる。つまり、HSPが根底にあっての二次的メンタル症状は深刻だ。

 さて、このように増えてしまったHSCやHSPをどのようにすれば癒せるかというと、非常に難しいと言わざるを得ない。一番確実で効果がすぐに出るのは、このように育ててしまった親が心から悔いて劇的に変われば子どもは癒される。しかし、親は自分がそのようにしてしまったとは認めたがらないし、自分自身のメンタルや価値観も歪んでいるから、自ら変わろうとはしない。したがって、自分自身で自分を癒すしか方法がないのである。とは言っても、第三者の誰かが心理的安全性を担保して、傾聴し共感して寄り添ってくれたら、自己革新のチャンスが出てくる。つまり、自分自身で安全基地を作るまで、誰かが臨時の安全基地になってくれたら、安定的なアタッチメントが形成できてHSPが癒されよう。