毒親の定義は、はっきりしていない。医療用語でもないし、社会学や発達心理学においても、定義されている訳でない。世間一般で毒親だと思われているのは、虐待やネグレクトを平気でしてしまうような場合であろう。英語ではポイズンマザーと呼ばれることが多い。子どもと多くの時間を過ごし、ずっと一人で育児する母親のほうが毒親と呼ばれることが多い。虐待やネグレクトなんて一切しないから毒親ではないと思うような親でも、実は子どもから見たら立派な毒親だというケースは、想像以上に多いことを世間は認知してないようだ。
自分自身が母親になっても、自分の母親が毒親だったという認識を持てない人も少なくない。実は、自分が毒親育ちだと認識していない母親こそが問題で、知らず知らずのうちに同じように自分自身が毒親になってしまっているのである。つまり、毒親が世代間連鎖をしてしまっているのだ。何代にも渡って毒親の連鎖が続いている家族もあるから、とても深刻である。この負の連鎖を何代も続いてしまい、断ち切れないというのは社会的悲劇でもある。こんな負の連鎖をいち早く断ち切らなければ、永遠に毒親を再生産してしまう。
自分の育てられ方が異常だったと認識する為には、その後の大切な出会いや学びが必要であろう。自分が毒親だったと気付くことが出来る為には、毒親に育ててられなかったパートナーとの出会いが必要と思われる。包容力があり心からの優しさが溢れており、まるごとあるがままに自分を愛してくれるようなパートナーと出会えたら、自分の異常さに気付けることだろう。そういうパートナーは、親から十分な愛情を注がれて育ったのである。無条件の愛に包まれて育った人は、高い寛容性と受容性を持つから、妻を心から安心させてくれる。
毒親に育てられた人は、両価型の愛着障害を抱えやすい。甘えたいのに甘えられないし、いつも見捨てられ不安を抱えていて、周りの人々を試し行動で惑わす。なかなか信頼関係を築けないことが多い。しかし、毒親から早く独立したいと思い、安易にパートナーを選んでしまい、結婚に至るケースも結構ある。その相手は、愛着障害を抱えていて、二次的症状として発達障害であることが多い。その場合、カサンドラ症候群で苦しむし、愛着障害が癒されないので、自分もまた毒親になってしまうのである。
不安型の愛着スタイルの人と結婚しても、毒親にならないケースもある。それは、自分が毒親に育てられたということを自ら気付き、親との精神的分離を成し遂げた場合である。自分の親が毒親であり、その為に生きづらい生き方を強いられたばかりか、不安型の愛着スタイルを抱えていることを悟り、自らが乗り越えたいと強く思えばそれが叶う。このままでは自分も毒親になって、子どもを苦しめることになると気付けば、毒親にならないのである。そうすれば、毒親の世代間連鎖が自分の代で止められるのである。
そうすれば、不安型の愛着スタイルor愛着障害も世代間連鎖しやすいので、その負の連鎖を断ち切ることが可能になる。毒親だけでなく愛着障害の世代間連鎖を止められたら、その後に続く子孫の繁栄と幸福を実現することが出来るのだから、自分の努力が多くの人々の不幸せを防ぐことが出来るという事になる。これは、大きな社会貢献だと言えよう。とは言いながら、自分の親が毒親だと気付くまでが大変なのである。満たされない愛ゆえに、生きづらさとメンタルの不調を抱えて苦しむ。それを乗り越えることこそが、困難を伴う。
この毒親の負の連鎖を断ち切るのは、自分一人の努力だけでは極めて難しい。自分の子育てがおかしいということ、つまりは自分が毒親だということを認識できにくいのである。ところが、自分が毒親だと気付かせてくれる存在がある。それが、我が子である。子どもは、毒親に育てられると生きづらさを抱えて、不安型の愛着スタイルになると共にHSPを起こす。中には、不登校になるケースもある。だから、もし我が子が問題行動を起こしたとしたら、自分が毒親だと思うことだ。我が子は自分自身を犠牲にして、母親に大きな気付きや学びを与え、変革へのチャンスを与えてくれるのだ。我が子を愛するなら、毒親の連鎖を断ち切る勇気を持とう。
