いじめを防ぐよりいじめに負けないメンタルを

 学校教育現場でのいじめは、こんなにも社会的に問題化されているのにも関わらず、一向になくならない。なくならない処かより巧妙な手口を使って、益々増えている。現代では、SNSやグループトークの機能を使って、陰湿ないじめをするようになっている。裏サイトを作って、大人にばれないように工夫しているので、なかなか明らかにされない。いじめを苦にして、学校に行けなくなる児童生徒も増えているし、自ら命を絶つという悲劇も起きている。いじめをきっかけにしてメンタル疾患を発症しているケースも少なくない。

 いじめがなくならない要因のひとつが、学校関係者のいじめ対策の不徹底だと言われている。いじめを見つけても知らんぷりを決め込む、いじめを訴えても取り上げてもくれない、いじめの対応はおざなり、これではいじめがなくならないのは当然であろう。いじめが存在すると、学校管理者の評定が下がるのだから、いじめがなかったことにしたいのは当然である。自分たちの無能ぶりを知られたくないのであろう。学校管理者は、いじめを他人事としか思えないのだ。いじめに対応する優しい先生は、メンタルを病んで休職・退職する。

 いじめをなくすこと、または学校においての自浄作用が働くことは、まったく期待できない。いじめをなくすことが出来ないとなれば、いじめに自力で対抗するしか方法がない。しかし、いじめを個人の力で止めるなんてことは、絶対に不可能だと考える人が殆どであろう。当然である。昔からいじめっ子は存在した。昔のいじめは陰湿でなかったし、過激さはなかったから、いじめが問題になることはなかったというのも正しい。だとしても、いじめをなくすというパワーが働かないなら、いじめの個人対応しか方法がないのである。

 いじめの個人対応というのは、どういう方法があるのか。いじめのパワーに対して、パワーでの真っ向勝負を挑んでも、さらなる深刻ないじめを産んでしまう。力を力で封じ込めるのは得策ではない。だとすれば、いじめを受けないようにするか、またはいじめを上手にかわすしかないと言える。それで、誤解のないように伝えなければならないが、いじめの対象者になるのは特定の個性を持っていると言える。どちらかというと、『変わった人』と見做されるケースが多いし、とても心優しくて反抗が出来ない子どもが多い。

 この変わった人というのは、集団の中で排除の対象者になりやすい。または、心優しくて歯向かってこない人なら、いじめをする子どもも安心していじめやすい。そして、いつもおどおどしたり、自信のなさそうな態度をしたりする子どもがいじめの対象者になりやすい。いじめをする子どもは、愛着障害を抱えている。愛情不足で育っているのである。だからこそ、自分が誰にも知られないように隠し通している『心の弱さ』を見せている子どもに対して攻撃性を現すのである。いじめに対して過剰反応を見せる子どもが愉快に見えるのだ。

 実は、いじめを受ける対象者もまた愛着障害なのである。いじめというのは、攻撃型の愛着障害の子どもが、非攻撃型の愛着障害の子どもに対して行う暴力と言える。どちらかというと、ネグレクトや虐待を受けている攻撃型の愛着障害者は、過干渉や過介入を受けて育ち、自己肯定感の低い非攻撃型の『不安型の愛着スタイル』の子どもに対しいじめを実行しているのである。家庭においていじめを受けた子どもと過干渉を受けた子どもの対抗の縮図が学校のいじめなのである。とすれば、どちらも救われなければならないのだが、学校は自浄能力を発揮できないので、非攻撃型の不安型愛着スカタイルの子どもを救うしかない。

 いじめを受けている子どもがいじめを受けないようにする為、またはいじめを受けても受け流せるメンタルを持つ為には、不安型の愛着スタイルを癒すしかない。それを実現するには、まずは親が変わるしかない。どんなことがあっても、命を懸けて父親が子どもを守るという態度を見せることだ。母親が学校に行っても取り合ってくれないが、父親が行けば学校管理者の態度は一変する。教育基本法や憲法の基本的人権をかざし、論理的に学校管理者をその気にさせることが必要だ。そして、そのような父親の行動をみて、子どもは安心するし、母親も安堵する。さらに、干渉と介入を避けて、母性愛(無条件の愛)を注ぎ続けることだ。『あるがままにまるごと愛する』ことを、2年くらい続ければ子どもは強くてしなやかなメンタル(自己肯定感)を身に付けられる。

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