孤育てという言葉が、ネット上で最近は使用されているケースが多い。子どもが孤独という意味ではなくて、親が単独で子育てをしているケースで使われる。勿論、ひとり親家庭もその範疇に入るが、どちらかというとこの孤育てというのは、父親もいるけれど母親だけが子育てを担当している場合に用いられる。つまり、家庭にお父さんがいるけれど子育てに対する協力が得られず、お母さんが子育てに孤軍奮闘している時に孤育てと呼ぶ。そうではなくて、父親が子育てに積極的に協力していて、夫婦が協力している場合に共育てと呼ぶ。
それぞれの家庭において、様々な事情があるのは当然である。夫が単身赴任をせざるを得ない場合も多いし、ハードな勤務状況の故に家庭不在にならざるを得ないケースもあろう。だとしても、母親だけで子育てするというのは、その負担はあまりにも大きいと言わざるを得ない。どんなに素晴らしい能力をもち、安定したメンタルを持った母親でも、孤育てというのは、母親にもそして子どもにも悪い影響を与えるのは防げない。共育てならば、母親の身体的負担も少ないし、精神的な安定を持てるが、孤育ては辛いものがあろう。
孤育てによる子どもへの悪い影響というは、世間の人が考えている以上に大きい。何故かというと、母親が孤育てしている時の精神面での不安や怖れが、子どもにダイレクトに伝わってしまうからである。つまり、母親の不安が子どもに対してもろに伝播して、子どもの不安が強くなってしまうのである。ましてや、子どもというのは豊かな母性愛(無条件の愛)をたっぷりと注がれてから、父性愛(条件付きの愛)でしっかりと躾をすることで健全な育成が可能となる。どちらか一方が欠けても、子どもは健やかに育ちにくい。
今、青少年が不登校やひきこもりになるケースが非常に多くなっている。その根底になっているのが、子どもたちの生きづらさである。それは、根底に愛着(アタッチメント)の不完全さを抱えているからである。問題行動を起こしている子どものほぼ100%と言っていいほど、不安定の愛着が根底にある。問題ある殆どの子どもが不安型の愛着、または愛着障害と言っても差し支えなく、それが二次的な症状としてメンタルの不全さを起している。そうなってしまっている原因の多くが孤育てにあると言っても過言ではない。
離婚してのひとり親による孤育ての場合よりも、ふたり親なのに母親だけが孤育てをせざるを得ないケースのほうが、問題が起きやすい。それも、父親が家庭にいるのにも関わらず子育てに携わるのを拒否しているか、もしくは子育てから逃避している時にこそ問題が起きると言える。何故なら、父親がのっぴきならない理由で子育てに関われない時は、母親は覚悟を決めて孤育てに取り組める。ところが、子育てに協力することが出来るのにも関わらず、子育てから逃げている父親が家庭内にいることが、母親の心を疲弊させるのである。
孤育てをしている母親は、まさに孤独感があり家庭内で孤立している。こうなると、子どもだけが自分と繋がるたった一人の絆である。しかし、幼い子どもは相談相手にならないし、悩みを打ち明けることもできない。ましてや、子育ての悩みは自分だけで解決するしかないのだ。家庭内に父親がいるにも関わらず相談相手にならないのだ。特に、父親が発達障害であるケースは最悪だ。まるで、話を聞こうとしないし、会話が嚙み合わないばかりか、とんでもない反応をする。子どもに悪影響を与える言動を繰り返すから、困る存在である。
孤育ては、子どもを不幸にし、共育ては幸福感を持つ健全な子どもを育成できる。だから、父親は仕事をある程度犠牲にしてでも、共育てをすべきなのである。自分の趣味や遊びを、子育て期間は我慢すべきだと考える。何故なら、母親はすべてを犠牲にして子育てに専念するのだから、父親だって自己犠牲が必要だ。この世の中で、一番尊くて価値のあることは、次世代を担っていく優秀な子孫を育成することだ。この世の中で一番価値があるのは仕事だと思っているなら、それは完全な間違いだ。だからこそ、共育てに力を注ぎ、孤育てにならないように、父親たるものは最善の努力をすべきなのである。
