森のイスキアの佐藤初女さんに憧れて、自分も同じような活動をしたいと願っている人はとても多い。素晴らしいことだとは思うし、何とかその願いをかなえてあげたいと思ってサポートをしている。しかし、そのための研修や相談をさせてもらっているのであるが、何となく違和感を覚えることが多い。心身を病んだ人たちを救いたいという理念は素晴らしいのであるが、その活動に対する動機や想いというものに全面的に共感したいとは思わないのである。それは、森のイスキアをビジネスとして捉えている一面があるからである。
人々を救うための社会貢献活動が、経営的にも担保されることで継続されるというメリットがあるのは当然である。だから、ビジネス面での採算が取れるというのは悪いことではない。しかし、森のイスキアの活動をビジネスとして成り立つように運営していくのは、極めて難しいのである。何故なら、佐藤初女さんのように自己犠牲の精神を発揮して人を救う活動を継続していくのは、採算などを考えたら絶対に不可能だと断言できるからだ。それぐらいに、森のイスキアはビジネスには不適なのである。
ところが、森のイスキアの佐藤初女さんに憧れて活動を目指している人々は、何となくこの活動をビジネス的にも成功すると思い込んでいる節がある。だから、現在の勤務や経営活動を辞めてでも、森のイスキアの活動にシフトしたいと思うのではなかろうか。または、現在の仕事の傍らに森のイスキアを副業として、成り立たせようと考えるのかもしれない。佐藤初女さんの活動は、そんな生易しいものではない。自分の『いのち』を削るような覚悟で取り組んでいかなければならない活動、それが森のイスキアなのである。
採算とか、損得、または利害を考慮して森のイスキアの活動をしたとしても、何の成果をも上げられる訳がない。よく目につくのは、佐藤初女さんのおむすびを広めたいからと、おむすびの講習会を盛んに開催している人達がいる。このおむすび講習会については、佐藤初女さんも苦々しく思っていたに違いない。ある時、佐藤初女さんに、おむすび講習会を開きたいけどいいですかと問い合わせた人がいたらしい。佐藤初女さんは、許可を出す立場にはないと大人の対応をしたのだが、「何のためにするの?」と不思議がっていたらしい。
佐藤初女さんにとっておむすびは特別な意味を持っていたが、多くの人に食べてもらうとか世に広める事が目標ではなかった筈である。初女さんのおむすびは、ひとつの重要な癒しのツールではあったが、おむすびだけで人々を癒したわけではない。おむすびだけが世間で注目されて、おむすびによって奇跡を起こしていたというように誤解されていたのは、初女さんにとって不本意であったろう。ましてや、おむすびの握り方を学ぶことで多くの人々の心身を癒し救えるのではと期待させるような活動は望まなかった筈だ。
初女さんの森のイスキアの活動を、ビジネスのひとつとして利用することは、初女さんは望まなかったに違いない。何故なら、初女さんは形而上学に基づいた理念を実践していたからである。おむすび講習会に参加する際に、どう考えてもあり得ない5,000円という参加費を徴収するやり方は、初女さんは許せなかったであろう。米や梅干しを持参してもらい、会場利用費だけを皆で負担するなら、せいぜい一人500円~1,000円で済む筈だ。この講習会で講師自身の収益を得るようなやり方は、形而上学としては認められないのだ。
森のイスキアの活動について研修したいとやってくる方が、おしなべてその資格がないとは言いきれない。中には、自分のビジネスや生活を犠牲にしてでも、活動を開始したいと強い信念を持つ人もいる。そういう方には、生活にゆとりが出来た時、または活動の為の資金を充分に蓄えて、家族に迷惑をかけることなく活動に専念できるようになってからでも遅くないですよ、と優しく諭して励ましている。『いのち』を賭けて実践する活動であるからこそ、自分自身の心を整えてメンタライジング機能を習得してから活動してもらいたいのだ。中途半端な気持ちで取り組んでもらっても、人々を救えっこないのだから。
※今までは、研修・見学を希望する方々には無条件で、すべて受け入れてました。しかし、実際に研修をしてみて感じたのは、自分自身が癒されたくてやってくる人が多いという情けない事実です。自分自身の心が整っていないのに、他人の心を癒すことは絶対に無理なのです。ましてや、森のイスキアというブランドをビジネスに利用するのはもってのほかなのです。『いのち』を削る覚悟で、初女さんの活動を継承したいと思う方だけに、研修の受講をお奨めしています。
