子を産み育てるのは一番尊い行為

 子どもを産み育てることは、とても大変なことである。様々な事情から、敢えて出産しないし育児もしないという選択をする人もいる。勿論、子どもがどうしても授からないというやむを得ない事情の人もいるし、出産に耐えられない体力の為諦めている方もいる。経済的な理由で出産育児を諦めざるを得ないという方もいることを承知している。そういうケースがあることを認識したうえで、敢えて言いたい。出産育児というのは非常に困難ではあるが、一番尊いことであり、とても価値のある行為であるということを。

 この世の中で、人を導き育てるという行為は一番難しいことである。企業において、生産・企画・品質管理・検査・総務・人事等々難しい業務は沢山存在するし、それぞれに尊い仕事である。それでも、一番尊くて難しいのは教育である。人を育てるというのは、企業の発展と存続には欠かせないものであり、教育が上手く機能しないと企業は衰退してしまう。家庭における教育や学校における教育というものが機能しなくなると、社会は発展することを止めて衰退してしまう。政治も経済も成り立たなくなってしまうのである。

 子どもを産み育てるという行為は、とても貴重な行為である。日本人誰もがこの行為を拒絶したと仮定してみよう。そうすれば、日本という国は無くなってしまう。外国人の移民や出稼ぎがあるから大丈夫という意見もあろう。それでも、国家というものは存在するかもしれないが、日本というアイデンテティが無くなるのは確かである。それでも良いと考える人たちがいるかもしれない。しかし、世界に誇りうる日本の伝統的な文化や習慣がなくなるし、縄文時代から脈々と続いてきた『日本人』がなくなるというのは、寂しい限りである。

 子どもを産み育てたいと思う人がその行為をすれば良いのであり、したくない人はそれでいいんじゃないと思う人も少なくない。すべては自由であると。人間に何故生殖という機能を、全能の神は与えられたのであろうか。それは、人間という生き物をこの地球に存在させ続けなければならなかったからである。そして、人間には生まれつきオートポイエーシス(自己産生or自己産出)という尊い機能が与えられたのである。このオートポイエーシスこそが、人間という生物が地球に存在しなければならなかった理由でもあるのだ。

 人間が、産み育てるという行為を通して、多くの気付きや学びを得るというのは、子育てを経験した人なら誰でも知っている。子育ては、親育てでもある。どちらかというと、親にとっての学びのほうが大きい。多くの子どもを育てた人は、人間として大きく成長していることが多い。勿論、子育てをしなければ絶対に成長しないという訳ではない。でも、か弱きものや小さきものに対する慈悲や博愛の心は、子育てによって養われることが多い。子育てを実際に経験しないと学べないことは、非常に多いというのは間違いない。

 日本にも里親制度というものがある。どうしても子どもを産むことが出来ない方は、里親制度を活用してみてはどうだろうか。血を分けた我が子でなければ、母性愛や父性愛が生まれないということはない。実子でなくても母性愛が醸成されていくということは証明されている。昔からよく言われている、産みの親より育ての親というのは科学的な根拠があったのだ。子どもを育てるというのは、大きな社会貢献でもあり、人間としての成長に欠かせないものなのである。そのチャンスを自ら放棄するなんて、もったいないことなのだ。

 生まれつき恋愛することに臆病になる人や不安になる人がいるのも承知している。そんな人たちが結婚まで到達するのは、非常に高いハードルだと思われる。だとしても、恋愛することにチャレンジしてほしいし、結婚することも目指してほしい。勿論、籍を入れないで出産することも可能である。子育てを経験することが、人間に与えられた大きな学びの場であるのは間違いない。出産と育児をすることは、大きな社会貢献でもある。何故ならやがては社会を担うであろう子どもを育てることは、日本という国を発展継続することには欠かせない尊い行為なのである。この世で一番難しくて尊い子育てにチャレンジしてほしい。

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