『老いては子に従い』という、誰でも知っている格言がある。老人になったら、子どもの助言や指導に素直に従うことで、苦難や困難避けたり乗り越えたりして、平穏な老後を送ることが出来るよという教えであろう。または、子どもの言うことに逆らってばかりしていると、嫌われたり見離されたりすることもあろう。高齢になればなるほど、若い人の意見に従うというのは、当然だと思われる。好々爺という言葉があるくらいだ。そして、高齢になった夫は、子どもだけでなく『老いては妻に従い』ということを心掛けるべきである。
そんなことは出来かねる。今さら、妻に従うなんてことなんか出来っこないと思われる高齢男性が多いかもしれない。中には、世間をあまり知らない妻だから自分がすべてをリードして大事なことを決定して来たのだから、妻に従うなんて到底できないという夫もいるかもしれない。しかし、家庭が円満で平和で過ごせる場になる為には、老いては妻に従いを実践することが求められる。フルタイムで仕事をしている時ならば、家にいることも少なかった夫だから、何とか我慢していた妻という夫婦形態だから何とか保てていたのである。
ところが、完全にリタイアして毎日がホリデーで家にいる夫に、朝昼晩の三食を提供して他の家事もすべて妻が負担するようなケースは、夫は妻に従う夫婦形態を取るべきだろう。今までは、夫が家庭内に不在になる時間が多かったから、何とか過ごせていたのである。ところが、趣味やスポーツもせず外出もせず家庭内に居て、テレビを鑑賞するかゲームをしているかという状況では、妻のストレスは相当に高まるに違いない。しかも、妻の主張や指導にまったく従わず、頑固な態度を取り続けたとしたら、離婚になっても仕方ないと言える。
ところが、このように頑固で自分を変えようとしない夫というのは、離婚するなんてことは絶対に無いと思い込んでいる。したがって、自分に悪いことは何もないし、まさか自分が妻から嫌われているなんて思いもしない。突然三行半を突きつけられたとしても、自分に非があるとは考えられないであろう。自分が何故に離婚をさせられるのか、思い当たることはまったくないに違いない。妻を欺いたことはないし、裏切ったこともないから、自分は良い夫だと思っているであろう。しかし、妻は長年に渡り、我慢に我慢を重ねてきたのである。
妻の本当の気持ちをまったく知らないのは、夫だけである。知らないのではなくて、知ろうとしなかったと言ってよいだろう。夫にとっては普通なのであろうが、傾聴と共感をしない人間とは一緒に暮らせないと思う妻が多い。これだけ家族の為に一所懸命に汗水たらして稼いできたのだから、リタイア後ぐらいのんびりと好き勝手に暮らさせてくれと思う夫が多いかもしれない。しかし、それは間違いである。妻にしてみれば、夫の横暴さとモラハラやフキハラに我慢してきたのだから、老後ぐらい妻に従ってほしいのである。
捉え方というか認識の違いだから、何とも仕方ないのだが、老後を迎えるまでの夫婦の過ごし方をどのように認識するかどうかで、まったく違った老後を迎えることになりそうである。夫の現役時代は自分の生き方を犠牲にして尽してきたのだから、リタイア後くらいは妻は好きに生きたいと思うであろう。そして、少しぐらいは家事を分担してほしいし、自分の身の周りぐらい自分でしてほしいと思うに違いない。一方、夫は身を粉にして働いてきたのだから、リタイア後はボーっとして何もせずに好きなことをして暮らしたいと思うし、妻に気兼ねして生きるなんてまっぴらごめんだと思うであろう。
どちらも正しい考え方だというか、そう思うのは当然ではなかろうか。だとしても、老後を幸福な気持ちで平穏に暮らしたいのであれば、夫はやはり妻に従って生きた方が良い。会社勤めの時は、上司や同僚・部下にあれだけ気を遣ってきたのだから、妻に傾聴し共感しようと思えばできない訳ではない。そして、妻を喜ばせたり幸せな気分にしたりすることも、ちょっと努力すれば可能だ。だとしたら、ここは妻に従っているポーズだけでもいいから、妻の言動に共感して誉めてあげることを心掛けてみたらどうだろうか。たまには料理したり買い物したりするのも楽しいし、掃除や洗濯だって妻より上手になり優越感や達成感を持つのもまた嬉しいものだ。