近代教育を受けた我々は、自分の身の上に起きたことに対して、どうしても起きた原因や背景を明らかにしようとする傾向がある。それはそれとして正しいやり方ではある。しかしながら、原因とかそのバックグラウンドを探ろうという気持ちが強く出過ぎてしまうと、原因探しや犯人捜しにやっきになり過ぎてしまい、問題の本質を見失ってしまうことになる。ましてや、要素還元主義で問題を分析する手法が身についていると、問題を細分化し過ぎてしまい、問題の全体像を見失うのでその本質が見えなくなることにもなる。
まさに、木を見て森を見ずというような状態に陥る危険性があるということである。リスクはそれだけではない。原因探しや犯人捜しをするということは、自分を顧みずに外因のせいだと思いがちになり、自分が成長したり進化したりするチャンスを見逃してしまうのである。何か自分にとって不都合なことや辛いことが起きるというのは、誰かのせいで起きたのではない。それは、自分が何か大切なことを気付いたり学んだりして、進化を遂げるために自分自身で引き寄せたのだ。起きた原因を追究せず、意味を考えるべきである。
とは言いながら、人間はどうしても客観的合理性的思考をしてしまうので、第三者として起きた問題を俯瞰してしまう傾向がある。学校教育では、徹底して科学的合理性の追求をする方法を教える。自分の目で見ないで、他人の目で俯瞰的に観察しなさいと教える。ましてや、要素還元主義を徹底して教え込むのであるから、問題を客観的に細分化して分析する手法を取ってしまうのは当然だ。そうすると、自分を見失うだけでなく、他人の目で自分を観察するというとんでもない思考癖をしてしまうのである。
確かに、自分を客観的に見ると言うことも必要である。しかしながら、それだけではなくて、自分の目で自分を主観的に眺めることも大切なのである。そうしないと、自分に深刻な問題が起きても、よそ事として捉えてしまい、それは自分のせいではなくて、誰かのせいで起きたことだから仕方ないと、問題から逃げてしまうのである。いつも問題から逃避したり回避したりしていると、何度も同じような問題が起き続けて、しまいにはどうしようもない問題が起きてしまい、取り返しのつかない事態になってしまうのだ。
前にも記した通り、自分の周りに起きるすべての不都合な出来事は、自分自身が引き寄せたり敢えて起こしたりしていることなのである。自分が大切な何かを気付いたり学んだりする必要があって、無意識の自分が起こしていることなのである。まずは自分自身を振り返り、自分自身の何に問題があって不都合な出来後事が起きたのかを洞察すべきである。特に、自分の思想や哲学に問題がないのかを、自分自身に問うべきである。自分の価値観は、正しい宇宙の真理や法則に沿ったものであるのかを確認しなくてはならない。
我々の生きているこの社会や宇宙全体に共通している、正しい真理が存在している。その正しい法理法則に基づいて、この世界は形成されている。その正しい法理法則というのは、古来より著名な哲学者・神学者・社会科学者が追求してきた真理でもある。時には、物理学者・生物学者・宇宙科学者・脳科学者さえもこの正しくて高邁な哲学を探し続けてきたのである。そして、量子物理学によってこの真理が正しいものだと証明されようとしているのである。それは、全体最適と関係性こそがこの世を形成しているという事実だ。
我々の周りに起きる不都合な出来事というのは、この全体最適と関係性を無視した言動によって自分自身によって引き起こしているのである。あまりにも関係性をないがしろにして個別最適を求めたから、辛くて悲しい出来事が起きているのである。病気や事故も同様な理由から起きているのである。だから、不都合な出来事は、その間違いを気付けるように、自分自身が起こしているのである。すべて意味があって、自分が起こしたことなのだ。だからこそ、何か不都合なことが起きた際には、原因を追求するのではなくて、それが起きた意味を考えて、どのように生きるのかを問い直すべきなのである。
※イスキアの郷しらかわでは、この全体最適と関係生の哲学である『システム思考の哲学』を学ぶ研修会を開催しています。そして、この正しい哲学を身に付けるために最低限の自己革新である『自己マスタリー』や『メンタルモデル』の学びをするお手伝いもさせてもらっています。さらには、ビジネスにおける必要最低限の知識『イノベーション』『創造的リーダーシップ』『デザイン思考』も学べます。興味を持たれた方は、お問い合わせください。日帰りでの研修も開催しますし、出張研修もいたします。