最近、コーヒー好きが高じてしまい、焙煎さえも自分でやることになってしまった。そして、今までは一度も飲んだことがなかったいろんなコーヒー豆に挑戦するようになった。どういう訳か、今までは購入することをためらっていたコスタリカの珈琲豆を、勇気を出して買い求めたのである。どうして、コスタリカの珈琲豆を飲もうとしなかったのかというと、大学時代のほろ苦い思い出があったからかもしれない。コスタリカの珈琲豆に責任はまったくない。コスタリカという名前が、ある出来事を思い出させるから避けていたのだ。
今から50年も前になる、恥ずかしくて情けない出来事である。川崎市の郊外に立地するある私立大学に入学した私は、高校時代から続けていた部活の写真を大学でもやろうと決心して、写真同好会に入会した。どちらかというと、その時代は男子学生の多い大学でもあり、ましてや写真同好会なんて、女子学生が興味を持つような会でもなかった。当然、その時代であるから、女学生の会員はほんの少数であり、三人程度しかいなかったと記憶している。男子高校生であった私は、女子学生の姿があまりにも眩しかったのである。
写真同好会という名前からして、本気で写真を極めようとするような学生は居なかったと思われる。どちらかというと、サークル的な雰囲気が強く、学生同士の交流を求めて入会しているような会員ばかりであった。撮影会や合宿などが定期的に開催されていたが、形式的なものに過ぎず、コンパや飲み会に明け暮れていたような気がする。また、部室に集まっては写真についての会話をするよりも、今では死語となってしまった『ダベリング』を楽しんでいたように記憶している。そこで、ある女性と出会ったのである。
その女性をKさんと呼ぶことにする。1年先輩のKさんは、謎めいた女性であまり自分のことを語りたがらなかった。1歳年上ということもあり、大人の女性という雰囲気で、長身でスタイルも良くて魅力的な人だった。大学に入って間もない私にとって憧れの女性であり、手の届かないような存在でもあった。今では考えられないが、その当時はウブで純真な少年の私は、まともに話しかけることも出来なかった。そのKさんがアルバイトしていたのが、下北沢駅の近くにある純喫茶コスタリカという店だったのである。
今でこそコーヒー好きになったが、当時の私はコーヒーの味さえもよく解らず、産出国によって味の違いがあるなんて基本的な知識もなかった。そんな私が、Kさんに会いたくてわざわざ電車に乗ってコスタリカという店に通ったのである。おそらくKさんにとっては迷惑だったと思われる。しかし、心優しいKさんは一途な思いを察して、可哀そうだと思ったのである。一度だけ、デートしてあげようと言ってくれた。新宿で映画を観て食事をしたのだ。帰りに雨が降ってしまい、ひとつしかないので相合傘もしてくれた。
その後、いろいろと複雑な紆余曲折もあって、二度とデートもしてくれなかったし、付き合ってもらえなかった。私のKさんを想う気持ちを察してくれたのであるが、あまりにも子どもじみた考えの私が物足りなかったのか、もしくは生きるステージが違っているので合わないと感じたのかもしれない。こうして、手さえ握ることもなく淡い恋は終わりを告げた。コスタリカという名前の珈琲店だったのだから、おそらくコスタリカ産のコーヒーも提供していただろうから、一度ぐらいは飲んだだろう。確かな記憶はないが、コスタリカ産のコーヒーはあまりにも苦かったという記憶が残っている。
そんな苦い思い出を振り払うかのように、コスタリカ珈琲の生豆を買い求めたのである。中央アメリカで最初に珈琲豆の生産を始めた歴史のあるコスタリカは、珈琲豆の生産に国を挙げて力を注いでいる。品質を保つ為に、国としてアラビカ種の生産しか認めていない。スベシャルティコーヒー用の珈琲豆の生産が中心だ。そんなコスタリカ珈琲を、中浅煎りの焙煎にして飲んでみたのである。それもKさんの面影を浮かべながら。甘みのあるキレのある酸味が特徴的で、フルーティで苦味をちょっぴり感じる本当に美味しい珈琲である。苦くて酸っぱいだけの珈琲だったという思い込みは、完全に払拭されて、コスタリカ珈琲の大ファンになってしまったのである。苦い思い出も、甘酸っぱい素敵な思い出に変わった。
※イスキアの郷しらかわでは、森のイスキアの佐藤初女さんを志す方々を支援しようと、心身を病んだ人々の癒し方の研修講座を開催しています。講座を受ける方々には、自分で淹れた珈琲を無償で提供しています。勿論、思い出のコスタリカ珈琲もそのメニューに加えました。コーヒー好きの方には、スペシャルティコーヒーをサービスします。