昨年度の不登校といじめ件数調査がまとまり、どちらも増加し続けていて過去最高の件数となったことが解った。不登校の人数が、なんと前年度比22%も増加し、29万9,048人となった。いじめの件数も前年度より6万件も増えて、68万1,948件になったという衝撃的な報道がなされた。不登校になった原因がすべていじめだとは言えないが、相当数の不登校に一因にいじめがなっているのは間違いないだろう。学校でのいじめは、増えているだけではなくて、益々過激化していて陰湿化している。SNSを利用したいじめも増えている。
これだけ学校におけるいじめが問題になっていて、文科省、教委、学校がいじめを無くす対策を取っているにも関わらず、いじめが無くならないばかりか減りもしないのは何故なのか。いじめ対策が功を奏していない形になっているのは、どうしてであろうか。文科省、教委、学校のいじめ対策はまった不十分であると言えるし、本気でいじめを壊滅しようと関係者が考えているとは到底思えないのである。何故なら、いじめを受けている子どもへのサポートだけであって、いじめをしている子どもへの指導がまったく効果がないのである。
いじめをする子どもに対して、厳罰化せよという声やなるべく早い段階で司法の手に任せるべきだという主張が多くなっている。確かに、それもひとつの有効ないじめ対策だと言えよう。しかし、学校というのは子どもの指導教育の場である。子どもを罰則の強化や司法の力を借りて解決するというのは如何なものであろうか。教師であるなら、しっかりと子どもと向き合うべきである。それをせずに厳罰化するとか司法に任せることで、困難なことから逃避するというのは、けっして許されることではない。
いじめがなくならないのは、問題ある子どもを指導教育できる教師がいないということがひとつの要因であるのは間違いない。また、いじめをする子どもの保護者にも問題があるからいじめがなくならないとも言える。いじめをする子どもの保護者にいじめの事実を伝えると、自分の子に限っていじめをする訳がないと認めたがらないのである。うちの子はすごく良い子であるから、そんな悪いことをするとは考えられないと言う。それはそうだ、いじめをする子どもは、家では『良い子』を演じているのであるから、親も解りっこない。
保護者があまりにも厳格で厳しく子育てをしている家庭において、家で良い子を無理に演じさせられている子どもは、学校でいじめをすることが多い。何故なら、家で我慢に我慢を重ねさせられていて、ストレスが溜まっているから、学校で羽目を外したくなり、弱い子に攻撃性を発揮してしまうのである。特に、保護者が高学歴で教養が高く、社会的地位の高いケースほどその傾向が強い。子どもの知能が高く、いじめが陰湿で巧妙ないじめになる。当然、いじめは表面化しないし長期化することが多い。
問題なのは、不登校になる原因をいじめだと特定した割合は、予想外に低いことである。学校側における調査であるから信用できないとしても、いじめが原因で不登校になった割合は、わずか0.2%だとされている。教師との不適切な関係が原因で不登校になった割合も、1.2%だという。明らかに、恣意的な統計調査結果だということが判明できよう。これだから、学校は本気でいじめ撲滅のために努力しようとしないし、不適切指導を無くそうとしないのである。学校、教委、文科省が本気になっていじめを学校から追放しようとしたなら、少しは効果が出たかもしれないのだが。
いじめを学校から完全に撲滅するには、日本の教育を抜本的に改革しなければならない。その抜本改革の方法とは、明治維新以降の日本に導入された近代教育の根本的誤謬を変えることである。客観的合理性と要素還元主義にシフトし過ぎた教育ではなく、主観的互恵性と全体最適主義を是とする価値観を基本にした教育への変革である。また、本来持っている人間の自己組織化する働きを信頼する教育でもある。システムダイナミックスを基本にした教育とも言えよう。さらに言うと、形而上学を重視した科学と哲学の統合、科学哲学という考え方も必要である。家庭教育も、学校教育もこのように変革できたなら、いじめや不適切指導は皆無となるに違いない。