生まれつき人間は善であるという性善説は、中国の思想家孟子が提唱した。一方、生まれつき人間は悪であるという性悪説は、荀子が主張したとされる。どちらの説が正しいのだろうか。生まれつきの人間というものは、悪なのであろうかそれとも善なのであろうか。生まれつき人間には自己中心的な欲求があり、我が儘であり利己的で悪なのだと荀子は説いた。修養や学びにより徐々に善を獲得するという。逆に、生まれつきの人間は善であるのに、育てられ方や環境によって悪にもなると孟子は説いたと言われている。
性善説と性悪説のどちらが正しいのであろうか。生まれつきの人間は善なのか、それとも悪なのか、どっちなのであろうか。どちらの考え方にも一理ありそうだ。欧米の考え方からすると、性悪説を取る人が多いような気がする。一方、日本を始めとした東洋では、性善説を取る人が多いかもしれない。性善説にしても性悪説にしても、その主張は観念論的なものだと言えよう。どちらにしても完全に肯定することも否定することも難しい。明確な科学的根拠に基づいて、どちらかが正しいのかを明らかにしてみたい。
人間として観るのではなく、人体というひとつのシステムとして捉えて、自然科学と社会科学によって検証すると、どちらの説が正しいのか判明するに違いない。人体とはどういう組織で組成されているのかというと、60兆個に及ぶ細胞によって全体が形作られていると言われてきた。最先端の科学では、37兆2,000億個の細胞数だということが解明された。その細胞は、脳や臓器を組成しているし、筋肉や骨格を形成している。血管を形成し、その中を流れる血液なども細胞によって形作られているのである。
人間の細胞というのは、脳神経からの指示・命令を受けて、必要な働きをするのではないかと見られていた。ところが、最新の科学で解明されたのは、驚くべき事実であった。どういうことかというと、それぞれの細胞は何からも命令されず、自発的に自主的に主体的に、連携して人体を守る為に懸命に働くのである。細胞自身の為にではなくて、全体の為に必死で働くのだ。テレビ東京で放映されていたアニメ『働く細胞』でも詳しくその様子が描かれていた。つまり、人間の細胞は、個別最適ではなくて全体最適を目指して活動しているのだ。
人間の細胞は、人体というシステム全体の為に働いているということが判明したのである。システムダイナミックスの理論で言えば、構成要素である細胞がシステム全体(人体)を最適に保つ為に、自己組織化の働きをしているのである。細胞は、自分の命を犠牲にしても人体を守る。例えば、人体に有害なウィルスが侵入したとしよう。または、指先に傷が出来て細菌が侵入したとする。それらの有害な細菌やウィルスに、白血球は果敢にも攻撃してやっつけてくれる。そして、白血球細胞は闘い終えて命を落とすことも少なくない。
自分の命を犠牲にしてでも、人体を守ってくれる細胞は正義の味方である。人体を構成する細胞は、善であると言える。自分の損得や利害を考えて個別最適の為に働くこと、自分の利益の為に他人を騙したり傷つけたり殺害したりすることを『悪』とするなら、その反対に位置する人間の細胞は『善』であろう。善である細胞で形成されている人体も善であるのは間違いない。当然、人間もまた生まれつき善であるのは当然である。人間は、元々生まれつき善であり、個別最適のために活動するのではなくて全体最適の為に働くのである。
システムダイナミックスの理論からすると、人間が自己組織化の働きをする為には、人間どうしの良好な関係性が必要なのである。人間どうしの関係性が悪化してしまうと、自己組織化の働きをしない。細胞どうしの関係性(ネットワーク)が阻害されると、自己組織化しないのと同じことである。人間どうしの関係性(愛)が阻害されると、善の働きがなくなり悪の働きが強くなる。親子の愛が阻害されると子どもは『愛着障害』になり、夫婦の愛が阻害されると家族崩壊を迎えてしまう。細胞が自己組織化するのと同じで、人間は生まれつき自己組織化の働きをするのだから、性善説が正しい。それが悪になるかどうかは、人間どうしの関係性(愛)にかかっていると言えよう。
※生まれつき善である人体(人間)は、関係性(ネットワーク)=愛が良好に発揮されるなら、自己組織化が健全に働き心身の病気にもならないし人間関係が破綻することはない。ところが、親からの十分な無条件の愛が与えられず育てられると、良い親子関係や夫婦関係が形成することが叶わず、幸福な人生を歩めなくなる。子どもはメンタルを病んでしまい、不登校やひきこもりになることも少なくない。そうなってしまった子どもを幸福にするには、良好な親子の関係性(ネットワーク)=愛を取り戻すしかない。