目的と目標の使い方を間違っている人が少なくない。そもそも目的と目標はどういうものかということを、正確に認識していないのだから仕方ない。一番多いのは、目的と目標の意味を逆に覚えているケースである。目標というのは目的を達成する際のひとつの段階というのか、ランドマークである。目標とは具体化数値化するものであるが、目的は具体的なものではなくて、抽象的な概念である。目的を達成するためにある目標を定め、それが達成出来たら、さらに高い目標を再設定する。そして、目的に近づいていくのである。
よく間違っているのが、最初から到達できないような高い目標を設定してしまうことだ。例えば、業界第一位になるというような目標である。または世界一になるというような目標である。絶対に実現できないような高い目標を立てるというのは、社員が一丸となって努力しやすいのではと思われる。しかし、それは勘違いである。それぞれの社員は勿論のこと幹部社員たちも、本心では達成を諦めているからである。そうなると、無意識下でどうせ努力しても無駄なんだと思っていて、努力するのを止めてしまうのである。
目標を立てる時に大切なのは、ちょっと努力すれば達成できる目標にするということだ。そして、短期目標と中期目標、そして長期目標というような3段階の目標を定めることも肝要だ。その際に、短期目標が達成できたら、少し高い目標を再設定するというように、常に短期目標の見直しをするのも必要である。さらに大事なことがある。目標は、それぞれの個人、または部門に決めさせることだ。上司や部門長が目標を与えてはいけない。自分で設定せずに与えられた目標を達成しようと思わないのが人間の常なのだ。
これは家庭や学校でも、よく犯してしまう過ちでもある。親や先生が子どもに対して、本人に確認もせずに、目標を与えてしまうというとんでもない誤りをするケースは、想像以上に多い。自分でよく考えて目標を自主的に決めたのであれば、その目標を何とか達成しようと努力する。しかし、他から与えられた目標には真剣に向き合えないのが人間である。それは、人間の自己組織性を無視したやり方であり、本人の主体性を阻害してしまうのだから、失敗してしまうのは当然である。目標設定は本人にやってもらうのが正しい。
目標を設定するには、まずは正しい目的を持つことが必要不可欠である。そして、この正しい目的を設定するには、高い思想哲学が必要であり、崇高な価値観が根底に存在しなければならない。劣悪で低レベルの価値観に縛られている人間には、正しい目的は持てないのである。例えば、自分の損得や利害を大切にして、自己中心の考え方をしているような価値観を持つ人間には、正しい目的が持てない。関係性を重視して全体最適を目指して生きている、システム科学の哲学を理解している人間しか、目的は設定できないのである。
現代社会において、正しい目的(経営理念)を施ってして社内一丸となって実践している企業は極めて少なくなってしまった。だから、経営危機に陥っている会社が増えたのである。正しい目的に沿って生活を営んでいる家庭も少なくなった。それ故に、親子関係や夫婦関係が破綻してしまい、家庭崩壊が起きているのである。不登校やひきこもり、虐待、DVなどの問題が顕在化しているのは、正しい目的を父親が持っていないからである。こうして、地域社会も含めて現代のあらゆるコミュニティは崩壊しつつあるのである。
正しい目的を設定しなくても、生活はできるし経済活動も卒なく行えるから、目的なんて不要だと嘯く人々もいる。確かに、その通りで目的がなくても生きていける。しかし、よく考えてみると、それがどんなに無謀なことかということが解る。目的のない人生は、コンパスや地図のない航海のようなもので、遭難の危険が極めて高い。登山地図のない登山、ナビ無しで知らない土地を運転するようなものである。現代社会における諸問題は正しい目的を設定しないからだと言っても過言でない。崇高で正しい価値観に基づく、全体最適や全体幸福という正しい目的を設定したいものである。