湊かなえの小説を読むと、自分の隠し通している嫌な本心を見透かされる気がして、痛いという思いをする人が多いらしい。そんなに痛い思いをするくらいなら、彼女の小説なんて読まなければいい。ところが、その痛さを感じながらも湊かなえの小説にはまってしまう読者が多いという。どうやら、人間というものは、恐くて読みたくないと思いながらも、こわいもの見たさというのか、自分でも触れられたくない闇の自分を覗き見したくなるのではないだろうか。だから、湊かなえという小説家のファンが多いのであろう。
ポイズンドーター・ホーリーマザーという小説もまた、そんな複雑な気持ちの湊かなえファンを惹きつけるのかもしれない。毒親という言葉がネット上で盛んに飛び交っている。自分の親が毒親だったとか、SNSに暴露されている記事によくお目にかかる。圧倒的に多いのが、娘を支配し制御し過ぎる母親という関係である。英語で言うと、ポイズンマザーと言う。ところが、湊かなえさんの今回の小説の題名は正反対のポイズンドーター・ホーリーマザーである。娘と母親の両方の視点から描いた短編小説の傑作集である。
湊かなえという小説家は、世間からはミステリー作家と呼ばれている。告白やリバースなど不可解な謎解きの物語が多く、最後にどんでん返しがあるパターンである。普通の推理小説だと、物語を読み進めて行くと徐々に真犯人を読者が類推できるように描いてある。そのほうが、読者に安心感を持てさせてくれるし真犯人を当てるという自尊心をくすぐる効果が出るからと、作者がヒントを与えているのかもしれない。ところが、湊かなえの小説は最後まで結末が予想さえ出来ないのである。これも彼女の描く物語の魅力である。
ポイズンドーター・ホーリーマザーで描かれている人間関係も複雑で、最後まで真実が明かされない。その結末の意外性に魅力を感じている読者も多いのではなかろうか。湊かなえという小説家は、これだけ人間の深層心理を鋭く描写できるのだから、相当に神経質でいかにも切れ者というような風貌であろうと勝手に想像していた。ところが、その予想は彼女の小説のように見事に裏切られてしまった。TVの山番組で拝見したら、山でよく見かける『山女』そのものであった。実に優しそうで話がよく解るという人柄が滲み出ている、素敵なおばさまであった。
そんな心優しい彼女がどうしてこんなにも悲惨で心が折れるような結末を描けるのかというと、彼女なりの使命感を抱いて小説を世に出しているからであろう。彼女の小説を読んで、少しでも読者が何らかの学びや気付きをしてほしいと願って、湊かなえは物語を紡ぎ出しているようだ。世の中に対する、強烈なメッセージを小説の中に込めている。勿論、そんなことを読者は感じていない。純粋に物語を楽しんでいるだけである。湊かなえは教訓めいた言葉は一切小説には記していない。しかし、彼女の小説を深読みすれば意図しているメッセージが解るようになっている。すごい仕掛けだと、えらく感心する。
湊かなえが小説を書き続ける目的は、とても生きづらいこの社会においてさえも、生きる勇気を持つ術を読者に与えることだと思う。児童心理学的観点から、現代の子育てにおける様々な問題点があることを描き出している。そして、その育児における偏りによって子どもの正常な精神発達が阻害されていることを暗示している。しかし、親たちはその育児における過ちを気付いていない。子を愛するが故に起こしている過ちであるから、親を責めることは出来ない。その誤った子育てによって苦しんでいる子どもが、親の過ちに気付いて、親を許し受け容れてこそ立ち直ることが可能であることを描いている。
生きづらさを抱える原因は、親の子育てや学校教育における誤謬にある。そして、その誤った教育により、自我人格の芽生えさえなくて青春期を迎える若者がいる。また、自我人格が芽生えても、あまりにも自我が強過ぎて自己人格との統合が出来ずに大人になってしまうケースが非常に多い。そんな親子の姿を湊かなえは描き続けている。彼女の小説を読んで、自分が自己人格の確立がまだ出来ていないということを気付いてほしいと湊かなえは思っているに違いない。自分の醜い自我人格をないことにして、仮面(ペルソナ)で隠し通して生きづらさを抱えて生きる愚かさに気付いてほしいと小説を描き続けていると思われる。ポイズンドーターやポイズンマザーがこの世から居なくなることを願いながら。
※ポイズンマザー(毒親)によって苦しんでいらっしゃる方、またはご自分がポイズンマザーやポイズンドーターではないかと疑い、辛い人生を歩んでいらっしゃる方々の支援を「イスキアの郷しらかわ」がさせてもらっています。どうしてポイズンマザー・ポイズンドーターが生まれるのか、どうしたらそれを乗り越えられるのかを詳しく学ぶことができます。是非、問い合わせのフォームからご相談ください。