「すさまじきもの」紅葉の京都で

京都の紅葉を満喫してきました。何度行っても、あの錦おりなすようなもみじはすごいと思います。今回はライトアップも始めて経験しましたが、素晴らしい演出です。高台寺・圓徳院・清水寺のライトアップでしたが、清水寺のそれは演出効果満点でした。

こんなにも素晴らしくて魅力溢れる紅葉に場違いなものがあったというのが残念です。それは、まさしく『すさまじきもの』と言っても過言ではないような興ざめの行為でした。京都は外国人にも超人気の観光地です。タクシーの運転手は、こんなことも言ってました。「清水寺、東福寺、伏見に行くと、まるで外国に来たみたいで、日本語が通じないんですよ」と呆れていました。それも観光客が外貨を落としてくれるから好ましいことで、外国の方を排除したり阻害したりする気持ちはありません。しかし、紅葉真っ盛りのお寺の中で、周りもびっくりするような大声で、中国語をまくしたてる姿を見た時はがっかりしました。

歓声を上げたくなるのも解りますし、グループ内で感想を述べたくなるのも当然です。しかし、他の人たちが沢山いる中でまさに嬌声を上げ続ける姿は、やはり『すさまじきもの』と言わざるを得ません。郷に入れば郷に従えというように、外国に行った際にはその国の文化を鑑賞したり経験したりするのには、その国の文化を鑑賞する慣習に従うべきです。それらの事前学習をして、迷惑をかけないような言動をしなければならない筈です。それがその国の文化に対する敬愛であり、すさまじき行為は日本の文化に対する冒涜とも言えます。

中国の方はすべてがそうだったかというとそうではありません。マナーを守っていらっしゃる方もいました。私が一人ゴルフで出会った妙齢の中国人女性は、日本人よりも礼儀正しくて謙虚な態度で、素晴らしい人間性を持っていらっしゃいます。姿も立ち振る舞いも美しい方です。ですから、ごく一部の中国の方だとは思いますが、すさまじき態度を取る人には、何故か行く先々で何度も出会ってしまいました。

こういう姿を見るにつけ、我々日本人も外国に行って文化財を鑑賞する際には、十分に気をつけなければならないなと思いました。最近はあまり見かけなくなりましたが、日本の団体観光客が酔って大声で叫んでいる姿が目につきます。そういう意味では、文化的な習熟度がまだまだ低い国民性があるのかもしれません。

一生懸命に働いて、憧れの日本に来て、有名な京都の紅葉を愛でる機会を得たので、舞い上がっていたのかもしれません。大目にみてあげなければならないと思いながらも、すさまじきものに何度も出会うと思わず眉をひそめてしまう自分がいました。

大相撲界ではモンゴルの力士どうしの暴力事件が世間を騒がせています。モンゴルでは大酒を飲んで喧嘩をするのは日常茶飯事だとか。国民性の違いと言えば、それまでのことですが、やはりその国の伝統とか慣習に習うのが、当然だと思います。その文化の違いをしっかりと指導しなかった親方に責任があると思われます。これもまた、日本人の感覚からすると『すさまじきもの』と言えます。

日本人だって、大酒飲んで酔っ払い航空機の中で大暴れする世の中です。日本人のマナーもまだまだです。すさまじきものというように言われないような行動を心掛けたいものです。こんなにも素晴らしい京都の紅葉に恥じないように、自然に溶け込んで一体となるような鑑賞態度を取りたいと強く思ったものでした。

手料理を楽しむ

料理をするのが何よりも好きで、暇があればふと思い浮かんだ料理をして楽しみます。今日は、美味しそうなセロリの株を直売所で見つけたので、さっそく漬物をしようと思い、生協に寄って「つまみたら」を買ってきました。この時期に会津地方でよく作られる定番料理、セロリとつまみたらの漬物です。繊維質の強いセロリは斜めに薄切りにして、固いつまみたらは水に戻して柔らかくしてから漬け込みます。彩りにニンジンの薄切りを加え、好みで柚子を細かく刻んで香りづけします。

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この料理は、先月亡くなった母がよく作ってくれたものでした。私の作る料理の基本になっているのは、母の手料理です。亡き母を偲んで、母の得意料理を時々再現しています。

日本農業を自然農法で再生する

田舎に行くと、青々と広がる田園風景に心が癒される。しかし、その田園風景であるが、山間のほうに行くと、耕作放棄地が急増していて、雑木林や荒地になってしまっている。由々しき大問題である。空き家になってしまっている農家も多いし、手入れされていない山林も増えている。農業では生計が立てられないと、集落から若者が街に出て生活し、年老いた老夫婦しか住んでいない農家が多いのだ。当然、老齢者だけでは手が回らないから、畑や田んぼは耕作されずに、荒れ放題になっているのである。

農地というのは農産物生産の役割と共に、本来水害を防いだりする効果もあるし、環境保全と国土保全という観点からも、耕作放棄地になるのは好ましくない。したがって、農水省・農政局や県の農林事務所も耕作放棄地対策を立てて、いろいろと苦労しているが、抜本的な改善方法が見つからず苦慮している状況にある。そもそも、農業を志す若者がいない。つまり、農業に対する魅力を感じる若者が少ないのである。何故かというと、苦労する割に収入が少ないし、農業だけで生計を立てるのが難しいからである。そんなこともあり、耕作を放棄した農地は益々増加している。

それでは、こんな農業にしたのは誰なのかというと、殆どの農家はこんなふうに言う。それは、国の農業政策が間違っているからだと。日本の農政は、まったく無策だと言う人もいる。または、工業製品輸出優先策の為の見返りに農産物輸入自由化をして、外国との競争にさらされてしまい、日本農業が壊滅的打撃を受けたと主張する人も多い。または、工業の労働力確保の為にわざと農家を疲弊させ、農村労働者を都会に呼び寄せたとも言う。果たして、本当にそうだろうか。日本の農政における失政が、農業を駄目にしたのであろうか。確かに、そういう側面もあるだろう。しかし、それだけが原因ではあるまい。もっと根源的な何か他の原因があるのではないだろうか。

最近、ユニークな農業が脚光を浴びている。奇跡のりんごと呼ばれる木村氏の自然農法の取り組みや、昔ながらの堆肥等の有機肥料や無農薬で農産物を生産しているケースである。そういう農家は、例外なく『土』を大事にしている。農業生産における労力の殆どを、土作りに注いでいるのが特長である。彼らは、声を大にして言う。化学肥料と農薬が、土を駄目にしてきたし、農業を駄目にして来たのだと。化学肥料と農薬を使わなければ、まともな農業生産は出来ないのだと、農家は思い込まされてしまい、土を駄目にしてきたのである。本来持っている土の生命力を台無しにしてしまったから、逆に化学肥料と農薬が大量に必要になってしまったのであると主張する。

化学肥料メーカーと農薬製造会社の巧妙な宣伝に騙され、その片棒を担がされた農協によって、日本農業が駄目になったと言う人々が増えてきた。農水省を初めとする行政も彼らに巧妙に騙されてしまい、悪乗りしたと見る向きも多いのだ。彼らは決まってこのように言う。化学肥料と農薬を使わなければ、生産量が低下して大変なことになると。日本農業が駄目になるというのである。まったく逆であろう。彼らが日本農業を駄目にしたのではあるまいか。そのことを知った、小数の志ある農家は、昔のようなやり方で農業を立派に復活させている。そして日本農業を立派に再生させた彼らは、こんなことも言っている。土の言い分に耳を傾け、そして野菜や果物の声を聞けと。つまり、土が何を求めていて、農産物が何をしてほしいのか、耳を澄ませば聞こえてくるのだと言うのだ。

だから、彼らは化学肥料や農薬を使わずに、土を健康にして野菜や果物を作っているのである。化学肥料と農薬を使用しないで生産した農産物は、健康である。味も格段に良い。ミネラルが豊富であり、大切な栄養素も高い。だから、子どもたちも野菜嫌いにならない。こういう野菜を食べていると、病気にもなりにくい。アレルギーにもなりにくいと言われている。いいこと尽くめなのである。当然付加価値が高いから、価格も高い。それなのに、今もって化学肥料や農薬に頼っている農家が多いのは、情けないことである。土や野菜の気持ちになりきり、彼らの声を聞けばいい。彼らの叫び声が聞こえてくる筈である。化学肥料や農薬はもう使わないでくれという悲痛な叫びが。

確かに省力化をして、大量生産をする為には農薬・肥料を大量に使用しなければならない。しかし、適量を生産するならば、自然農法でも作物が出来ることが証明されている。発想の転換である。農地が余っているのだから、農家を増やせばよい。そもそも、農業というのは、大量生産には向かないものではないだろうか。今、ふるさと回帰を志向する人々が増えている。退職したら、農ある生活をしたいという方たちが多い。そういう方たちが、自然農法で安全安心な作物を作り、老後の生活をエンジョイしようとしている。そういう作物を利用して、直売所や農家レストランを開いているケースが多い。または、農家民宿を開業している例もある。今、団塊の人たちの自然農法によって、本来の農業が再生しようとしているのである。白河を初めとして福島県には、その為の安価な耕作放棄地が用意されている。