本音での親子対話が途絶える時

親子の対話がほとんどないという家庭が多い。または、日常的な会話はあるけれど、本音で語り合うことはまったくないという家庭が少なくない。おそらく、本音で対話(ダイアローグ)をしている家庭は皆無に近いであろうと思われる。それは、親と子のどちらかに原因がある訳ではないが、そうなった責任は親にあると言えるだろう。何故なら、そのような親子の関係性を築いてしまったのは、年齢的にも力関係でも上にあるのは親だからだ。

いや、我が家では娘といつも友達のような会話をしているという母親がいるかもしれない。確かに、テレビ番組、タレント、ゲーム、料理、飲食店、ファッションのような話題で盛り上がっている母娘は少なくない。しかし、その話題は非常に薄っぺらであり、もっと人間の根源的な生き方とか、人間の闇を抉り出すような話はしていない筈だ。実は、そういう話こそが子どもたちは求めているにも関わらず、父子の間でも常に避けているのだ。

何故、本音で語り合うことを止めてしまったのかというと、子どもが信頼するに足りるような親としての姿勢を見せていないからであろう。または、親が子どもの本心に向き合っていないし、本心を解ろうとする努力をしていないからだ。子どもというのは、観るもの聴くものすべて初めてのことだらけである。自分も含めて幼い子どもの時を思い出してほしい。どうして良いか分からない時は、親に気兼ねなく尋ねたに違いない。でも思春期を迎える頃には、大切なことほど親には聞けなくなってしまうのである。

子どもというのは好奇心が旺盛である。自分がどういう存在であり、何故生まれてきたのか、そしてどこに向かって生きて行けばいいのかを自分に問い続けている。しかし、残念ながらそういう問いに対して、的確に答えられる親が居ないのである。親自身がそんな問いに答を導き出せる、正しくて高邁な価値観を持っていないし、科学的に明確な哲学を知らないのである。そんなこと、誰も教えてくれなかったし、自分でも学ぼうとさえしなかったのだから当然だ。自分の親もそして周りにも、哲学を語れる人は存在しない。

本来、学校の教師やお寺の僧侶、そして神主や禰宜というのは、そういう哲学を教示してくれる存在だった。または、職場の上司や経営者は科学的に正しい経営哲学を持っていたものだった。松下幸之助、本田宗一郎、稲森和夫等はそういう経営者だ。今は、一部を除いて『人生の師』はいなくなってしまった。世の中の親は、子どもに対して自信を持って哲学を語れなくなっているのである。学校や職場では、昔は哲学の話で盛り上がったものだった。それが出来なくなったのは、文科省が学校教育で哲学を排除したからである。

子どもの前で、試しに哲学的な話をしてみれば解る。子どもは目を生き生きと輝かせて、話に耳を傾ける筈だ。子どもの純粋な心は、そういう哲学の話が大好きなのだ。私は、子どもたちにいつも哲学的な話をしていたものだった。長男なんかは、私の話に涙を流して感動したと喜んでいた。三男とは、食卓において『エディプスコンプレックス』や『倫理的に何故人を殺してはならないのか』という話題で盛り上がったこともあった。

今の親たちは、子育てにおいて一番大切な話を避けているように感じて仕方がない。自分の本心を覚られるのを避けたい気持ちがあるのか、または自分が仮面(ペルソナ)を被った偽善者であることを見抜かれるのを無意識のうちに逃げているのか分からないが、本音での親子の対話がない。自己マスタリーを成し遂げていない、言い換えると自己の確立や統合をしないで逃げてきた自分だから、本音で対話するのが怖いのであろう。自分を心から信頼していない人間は、自分の本心を語れないのである。

現代人の殆どがアイデンテティの確立、つまり自分がありのままの自分であることを認め受け容れるという自己証明をなしとげていないのである。そんな大事なことを、考えたことも意識したこともないであろう。それが日本人の一番不幸な部分である。だから、本音で子どもと語ることが恐怖なのである。自分の嫌な自己、恥ずかしい自己、醜い自己をないことにしてしまい込んでいる自分だから、それを見透かされるようで怖いのだ。夫婦間でも親子間でも、本音の対話が途絶えているのは、真の自己確立をしていないからである。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、自己マスタリー(自己の確立、アイデンティの確立、自我と自己の統合)の研修を実施しています。親として、夫として、そして妻として子どもやパートナーと本心で向き合い本音で語り合うには、自己マスタリーが必要不可欠です。この学びをしないと、子どもを健全に育てることが難しくなります。是非、自己マスタリーの研修を受講してください。個人レクチャーも承ります。日帰り研修も歓迎いたします。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

ふるさと納税制度の理念が揺らぐ

ふるさと納税制度のマイナス面が指摘されている。地方の市町村は税収が上がって喜んでいるが、東京の各行政区など大都市部では、地方税減収が深刻な影響を与えているという。税収不足のために保育園の設立が出来なくなっているという行政区もあるらしい。そのため、国に対するふるさと納税制度の見直しを求める声が高まっていると言われている。そもそも、ふるさと納税は自分が生まれた市町村の税収不足を解消しようと始まったのであるが、そのお陰で税収不足で喘いでいる都市や区があるというのは、本末転倒だと言わざるを得ない悪税の制度だ。

このふるさと納税制度において、豪華な返礼品を目当てにして制度を利用している愚か者も多いと聞く。それも、自分が生まれ育った土地でもなく、何の縁もゆかりもない訪ねたことさえない土地なのに、返礼品が魅力的だからとふるさと納税をするなんて、ナンセンスであろう。ふるさと納税制度というのは、自分が生まれて育てられた故郷を応援する為、または何らかの縁があり金銭的支援をする為などのために活用する制度である。納税の見返りを得るという損得の動機によってこの制度を利用するなんて、実に恥ずかしい限りではないか。

ふるさと納税の制度に欠陥があるとすれば、これらの点ではないかと思う人も多いに違いない。本来ふるさと納税制度とは、『志』を現わすものである。自分が生まれて育ててくれた故郷を捨てて、今は遠く離れた行政地区に住んでいる人が、自分を育ててくれたお礼をする意思を具現化したものである。それなのに、縁もゆかりも何もない市町村にふるさと納税をするなんて、何の意味もないだろうと思うのは私だけではない筈だ。本当は、見返りを求めることさえしてはならないのである。返礼品はふるさと納税した税金から支出される。それでは、『志』が減ってしまうのである。

返礼品は土地の名産品が充てられるから、その地域の経済活性化にも寄与して一石二鳥の効果が生まれるというが、それは詭弁であろう。ふるさと納税の全額が市町村民税として活用されたほうが、それをすべて行政支出として役立てられるから、多大な経済効果を生み出すのは間違いない。地方創生の財源として有効活用できよう。くだらないとは言わないが、本当に価値のある物であれば返礼品にしなくても売れる筈である。売ろうとする努力をしないでも返礼品として売れるなら、販売する苦労をしないし、ブラッシュアップもしないであろう。

自分が現在生活している行政区域において、様々な行政サービスを受けている。その行政サービスの財源は、住民税などである。ということは、それらの行政サービスの恩恵を受けながら、他の市町村に納税するということは、自分で負担もせずその行政サービスを享受するということになる。ごく一部だからいいと思うのは軽薄である。実際に、行政サービスに障害が起きている行政区もあるのだ。ごく一部だと考える住民が大勢になれば、その金額は多額になってしまうのである。これは由々しき大問題なのだ。

国は、人気取りのため、または人のふんどしで相撲を取って地方創生を進めている。国は、地方活性化の為にという大義名分を掲げているものの、自分の腹を痛めずに地方の税収アップを、とんでもない税制であるふるさと納税で進めているのだ。たとえ喜ぶ人々がいたとしても、誰かの犠牲のうえで成り立つような悪制度を進めてはならない筈である。しかも、住民税の減収が深刻な影響を与えてまで、ふるさと納税をすべきではない。そんなとんでもない税制を考え出す人間というのは、深い洞察力や未来を見通す力がない大バカ者であろう。

このふるさと納税制度が始まった際に、これはとんでもないことが起きると私は確信したものである。都市部の行政区では、深刻な税収不足が起きるに違いないと思った。そして、想像通りのことが起きてしまったのである。人の欲望につけこんだような、豪華な返礼品の競争が起きたのである。こんな人間の卑劣さを助長するような制度は、一刻も早く全廃してもらいたいものである。見返りを求めない、クラウドファンディング等や、寄付というものがあるではないか。このような何も求めず、ただ故郷を応援するだけという本来の『志』が生かされるような故郷の応援をしたいものである。

「病気にならない暮らし辞典」を薦める訳

「病気にならない暮らし辞典」は、最近全国的にブームを起こしている、栃木県の七合診療所の現役臨床医、本間真二郎先生が著した医学書である。医学書といっても、専門医向けではなくて、一般の方々が読んでも理解しやすいように平易な文章で書いてある。心身の不調を感じている人は、是非とも読んでほしい著作だ。自分の体調が思わしくない理由がすべて判明する。原理はいたって単純である。人間本来のあるべき生活をしていないから病気を発症するのであり、自然の摂理に添った生き方をすれば、病気にはならないし、病気で苦しんでいる人は自然治癒に向かうという主張である。

保険診療の医療を経営している医師ならば、絶対に指導しないし助言もしないことを、本間先生は患者に平気で伝えていらっしゃる。何故ならば、先生の指導していることを患者さんが完全に実践すれば病気が完治するし、病気にならないからである。これでは、医院の経営は成り立たなくなるのである。自分の首を自ら絞めてしまうということになる。だから、これは本物だと言えるのだ。勿論、完全に西洋医学の良さを完全に否定している訳ではなく、緊急避難的に必要な時には近代医学を活用するし、西洋薬の投薬だってしている。しかし、基本的に薬や注射に頼らない生き方を指導しているのだから、本来あり得ないことである。

「病気にならない暮らし辞典」は、静かなブームを巻き起こしていて、大ベストセラーへと突き進んでいる。今までこのような著作は多数出版されているが、これほど理に適った医学書は見たことがない。なにしろ、売らんかなというセンセーショナルな内容ではなくて、科学的にも実証されていて、事実のことしか書いていないのだ。しかも、最先端の医学研究でも定説となりつつある、確かな情報でしかも有用な教えが満載なのである。先生ご自身とご家族がこの生き方を実践されていて、健康この上もないのだ。自分でも間違いないとの確信から勧めていらっしゃる暮らしなのである。

この本がどんな内容かを、簡単に説明してみることにする。人間の人体という完全なシステムは、本来健康を保つように出来ている。消化吸収のシステム、毒素を解毒するシステム、体内循環システム、自然治癒のシステム、免疫システム、若さを保つシステム、心を平穏に保つシステム、ストレスを乗り越えるシステム、実に多様なシステムが存在して、そのシステムを正常に働かせれば、心身共に健康で生き生きとした人生を歩めるのである。ところが、近代以降に産業革命が起きて暮らしが一変し、そこに近代西洋医学が発達して、これらの正常な人体システムを阻害する社会環境が蔓延したことから病気が発生したとするのが、この本で記されている基本的な事実である。

本間先生は、あらゆる近代の歴史的事実と疾病の発生を対比させて、実証しているのである。勿論、昔のような不便で不衛生で、しかも物質的豊かさを完全否定する生き方を強いている訳ではない。自然に添っている、自然と共生する、サステナブル(再生可能)な生き方、つまりはLOHASUな暮らしを推奨しているのである。当然、人工的な食品添加物はNOであるし、あらゆる生活品に殺菌剤・漂白剤・抗菌剤は不使用にするとし、農薬不使用でオーガニックな農産物や自然食品を勧めていらっしゃる。そして、食物に含まれている酵素を殺さずに摂取することが肝要であり、発酵食品こそが健康の源だと主張されている。

私たちの生活は産業革命以後、自然や宇宙の摂理に反する生き方に激変してきた。近代西洋医学は、対症療法にシフトし過ぎて、人間本来の免疫力や自然治癒力を低下させてしまった。安易にワクチンや抗生物質を使い過ぎて、人間の本来の機能を低下させて、しかも重篤な感染症や機能不全さえ起こしたのである。最新医学研究によると、インフルエンザのワクチンは効果がないということが判明したし、抗インフルエンザウィルス薬を使わない公立病院が増えてきた。本間先生が以前から主張されてきたことが、ようやく世間でも認知されてきたのが喜ばしい。

本間先生の生き方暮らし方は、これからの我々の社会にとって貴重な指針となるであろう。無駄な投薬や注射を使わなくても健康になるということを市民が認識して実践すれば、今まで完治しなかった患者さんも病気の苦しみから解放される。無駄な医療費もなくなり、社会福祉費や介護費用も激減する。国の財政も好転するし、教育費や保育費に費やされる財源も確保できる。体調不良で悩んでいる人、病気が治らなくて苦しんでいる人、心の病で悩んでいる人、しょっちゅう風邪を引いたり毎年インフルエンザに罹患したりする人は、是非この「病気にならない暮らし辞典」を読んでほしい。自分も既にこの本と同じ暮らしを15年以上実践していて、63歳過ぎても元気で健康このうえない状態である。

あらゆる病気を癒す特効薬「登山」

若い人たちにも登山ブームが起きているらしい。昔のような野暮ったい登山服装ではなく、洗練されていてファッショナブルな洋服に身を包んで、颯爽とした姿で登っている。トレランというスポーツ登山で、走りながら登る姿も目立つ。昔ながらの大きいザックに重登山靴に履いて、山シャツにニッカボッカ姿は見られなくなった。若い人がどんな形にせよ、登山にはまりこんでいるというのは嬉しいことである。さらに、若いパパさんやママさんたちが子どもを連れて登っている姿も微笑ましい。登山人口が増えるから、大歓迎したい。

どうして登山にこんなにも心惹かれるのだろうか。それは、あまりにもストレスフルなこの社会だからこそ、現世界から一時的にも逃れてストレス解消をしているのではないかと見られる。あまりにも生きづらいこの世の中、例え一時的でも何もかも忘れて目の前に広がる自然を満喫することで、精神的に癒されたいと思って登山するのではないだろうか。これは、心理学でいうマインドフルネスという有効的な心理療法のひとつである。気分障害が重症化する前なら、非常に効果が高いと言える。

登山は、精神疾患に有効であるのは間違いない。マインドフルネスという効果もあるが、自然との触れ合いは、間違いなく心を癒してくれる。豊かな大自然に包まれた時に、人間は自分のちっぽけな存在に気付く。登山をしていると、厳しい暑さ寒さ、雨や風に遭うこともあり、雄大な自然が人間の力ではどうにもならないことを知る。人智ではどうしようもない存在がこの世に存在することを実感し、人間は神のような自然に生かされていることを深く認識する。謙虚で素直な、ありのままに自分に還ることが出来る。そうすると、自分があまりにも傲慢で、しかも周囲の人々に対して頑なな態度をしていたと気付くのである。

各種の精神疾患になられた方々が、登山に行ける気力が残っているのであれば、無理にでも行くことを勧めたい。気分障害の方々を登山に連れて行った経験がある。何度かの登山を繰り返すうちに、徐々に心が癒されて元気になった気分障害の人が多い。心と身体は一体である。身体を無理にでも動かしていると、次第に心も動くことになる。少し身体的に厳しい登山をすることで、精神的忍耐力や柔軟性を持てるようになる。簡単に折れてしまう心でなく、どんな苦難困難に対して柔軟な心を持つことなる。精神疾患を緩和するのに、登山が有効だという根拠である。

登山は、身体的な各種疾患にも有効であると思われる。何故ならば、病は気からと言われるように、現代病は殆どが精神的な影響により起きていると言っても過言ではない。勿論、食習慣も含めた生活習慣や生活環境にも影響を受けるが、その悪い生活習慣も元を正せば間違った心が作り出したものである。生活習慣病の殆どは、ストレスや過度のプレッシャーによって生活習慣が乱れて起きていると思われる。そして、身体のネットワークの誤作動が起きて、脳内神経伝達物質や各種ホルモンの分泌異常が、血液循環も含めた体内循環を滞らせて、各種疾患が起きているということが判明してきた。

登山は長時間の負荷運動をすることで、心肺機能を高めることになる。故に滞った血液循環など体内循環を適切に調整してくれる。ガンになった患者さんたちを、富士山登山に誘って、心肺機能向上と生きがい療法をする団体もあるほどである。登山をした人なら解るが、体温を驚くほど高めてくれる。ガンは低体温で起きると言われている。ガンなどの疾病は、自律神経のアンバランスで起きる。副交感神経の活動が低下し、交感神経の異常な亢進により、各種疾患が発症することが判明している。標高の高い所は低気圧になり酸素が薄くなる。低気圧と運動負荷により、酸素摂取を少なくさせて、副交感神経が亢進する。

このように、登山は精神的疾患だけでなく身体的疾患にも有効だという科学的根拠が示されている。厚労省によって難病と指定されている自己免疫疾患などにも、有効であると推測される。さらには、パーソナリティ障害や成人の発達障害なども、登山によって症状が緩和されると思われる。あらゆる疾患を緩和もしくは完治させてくれる登山療法は、現代医療で見離されてしまった人々にも福音をもたらすであろう。病気になられた方は、是非とも登山に勤しんでほしいものである。

※イスキアの郷しらかわは、精神的な疾病と身体的疾病に苦しんでいらっしゃる方々を登山にご案内します。症状に応じた難易度の山を選択しますし、体力に応じたコースを選定します。重症の方には、登山歴豊富のアルピニストで、40年近く臨床に携わったベテラン看護師が同行します。登山ガイドは複数人が同行して、万全の体制でバックアップしますので安心して申し込みください。

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健康長寿の目的は?

健康ブームである。TV番組では毎日、これでもかと健康を守るための秘訣についての内容が放映されている。医学番組の出演で超有名になった医師もいる。病気になった人が、劇的に回復したというケースも放映されている。勿論、予防医学が中心になっているので、食事や睡眠、そして運動などの生活習慣を見直すという内容が多い。特異なサプリや食生活も紹介されると共に、ひと昔まではまったく言われてなかった予防方法も紹介されている。最先端の医学知識が、惜しげもなく放映されて情報開示されているようだ。

ところが不思議なことに、予防医学に対する認識が高まってその効果が高まったのかというと、それほどでもないのである。または、予防医学の効果が高まり、医療費や介護費が劇的に低減されたのかというと、そんな事実はまったくないのである。ということは、これだけの健康ブームによっていろんな情報が飛び交っているにも関わらず、その効果は限定的であるということだ。医学的なエビデンスも得られ、これを守り続ければ健康になるということを実施する人もけっして多くないし、取り入れようともしない人がかなり多いという結論にならざるを得ない。

人間である限り健康にはなりたい。けれども、そこまで努力をしたり苦労したりはしたくないというのが本音であろうか。特に、好きでもないし美味しくもない食事を毎日続けなければならないのは勘弁してほしいし、毎日汗をかきながら運動するのもしたくないというのが本心だろう。例えば、薬を飲めば血圧も下がるし血糖値も抑えられるし、高脂血症だってコントロールできる。サプリや特別な市販薬を飲んでいるから、苦労して食習慣を見直さなくてもいいじゃないかと思っている人は多いだろう。苦しい運動は、出来れば避けて投薬治療でなんとかしたいと思うのが常である。

かくして、日本人の生活習慣病の罹患率は高い水準のまま推移している。確かに、面倒な事をしなくても投薬治療やサプリメントなどで健康を保てるのだから、安易な方法に依存するというのも頷ける。しかし、こんなにも医療費や介護コストを高騰し続けてもよいのであろうか。増え過ぎ続ける医療費を削減して、予防医学に徹しようとする大改革が昭和57年から始まった。老人保健法の施行である。40歳からの予防健診と保健指導が義務付けられた。しかし、残念なことにその効果はあまり見られない。医療費の高騰はその後も続き、無駄な医療費の浪費は止まらない。

このように、どんなに生活習慣病の予防策として国の政策として押し進めても、または健康を守る方策の番組を放映したとしても、効果はあまりないのである。生活習慣病と命名したのは、先日亡くなった日野原重明先生である。先生は、自分たちの生活習慣を見直して健康的な生活をすれば、生活習慣病にはならないということを言い続けられた。そして、ご自分でも実践されて健康を維持されてきた。おそらく、日野原先生が健康で長生きをすることができたのは、尊い使命感によるものであろう。自分の為でなく、人々の健康を維持発展するために日々貢献されてきたからであろう。

森のイスキアの佐藤初女さんも健康で長寿であった。94歳まで精力的に活動されていらした。マザーテレサもまた、87歳になるまで貧しい人と病める人の支援活動をされてきた。マハトマ・ガンジーも78歳で不幸にも暗殺されてしまったが、この事件がなければまだまだ長寿だったに違いない。健康になるのは誰の為かと問われて、殆どの人は自分のためと答えるだろう。しかし、ガンジー氏、テレサ女史、佐藤初女さん、日野原先生は、健康を維持するのは人々を救い続け幸福にする為に必要だと答えただろう。

健康を願うのは誰でも一緒である。ところが、何のために健康を維持し発展させなければならないのかという点においては、大きく違っている。自分のために健康になりたいと思う人は、そんなに努力も出来ないし苦労もしたくないであろう。自分では健康になるための精進もしないし、安易に医療に頼る。人間とは自分のために頑張れない生き物なのである。ところが、佐藤初女さんたちのように使命感を持って、社会の人々のためにもっと尽くさなければならないと強く願い、その為に健康でありたいし長生きしたいという人は、楽しんで苦労をする人である。これが、健康になれるかどうかの分岐点なのである。メンタル面での健康も、同じであることを肝に銘じたい。

自殺をする前にしてほしいこと

神奈川県座間市で起きた、自殺志望者をターゲットにした連続殺人事件は、実に卑劣な行為である。被害者の殆どが若い女性であり、自分よりもか弱い立場の人間を薬やアルコールでさらに反抗できない状況にしての凶行は鬼畜以下の所業である。いくら自殺願望があったとしても、こんなバカな若者に信用させられて、不用意に彼の自宅に招き入れられてしまうというのは、よほど辛かったのであろう。この犯人が巧妙にSNSを利用しながら、言葉巧みに騙していたという報道がされている。人の弱みに付け込むという卑劣な行為は、けっして許されるものではない。

それにしても、自殺志望者でなければ、こんなにも簡単に信用することはなかったであろう。自分と同じ自殺願望者だと、犯人を信じ込んでしまったのだと思われる。このような自殺志望者は、他にも数十万人いると言われている。自殺願望者のSNSサイトでは多くの人々が交流しているらしい。自殺予備軍とも言われる人々がこれだけいるのに、救えないで手をこまねいているのは実に情けない。これらの自殺願望者の中で、本当に自殺しようと決断して、その時を待っている人というのはそんなに多くないと言われている。

しかし、自殺を最終決断していなくても、こんな世の中に未練がなくて、死んだ方がましだと思っている人がいるというのは事実である。社会に絶望し、夢も希望も見いだせず、生きる意味なんてないと思っているに違いない。それだけ、この世は生きづらいと思っている若者たちが多いのであろう。自殺願望者の方たちを救うために、電話での対応やネット上での支援サイトが開設されている。しかし、匿名での応対であり、効果は限定的にならざるをえない。やはり、実際に対面しながらお互いに胸襟を開いての対話による支援でしか、自殺願望者を救えないのではないだろうか。

自殺を願望する人たちを何とか救いたいと、『イスキアの郷しらかわ』は日々活動している。自殺を志望する人たちに叱咤激励は効果がないと言われている。自殺をしてはいけない訳を、正論を掲げてくどくどと説明しても聞く耳を持つ訳がない。社会に対して絶望していているのだから、社会的な貢献意識を目覚めさせようとしても、無駄であろう。ましてや、社会や家族との絆やつながりを大切に考えて、自分を必要としている人がいるんだという説得にも耳を貸さないであろう。本当に思い詰めてしまった方々には、何を言っても聞いてもらえないかもしれないのである。

ただひとつだけ自殺願望者を救えるとすれば、何も言わずにただ寄り添うことだけかもしれない。それも一切否定するような感情を持たず、その人のあるがままを認め受け容れ、暖かく迎え入れる態度が最適であろう。そして、心の籠った温かい食事を提供することである。冷え込んで固まってしまった心を、溶きほぐすのは優しい料理しかない。『イスキアの郷しらかわ』は、まさしくそんな食事を提供している。身体に優しく愛が溢れる食事は、冷え込んでしまった心を温めてくれるに違いない。

もうこの世には未練も、そして夢も希望もなく、生きる意味なんてないと思っている方たちがこのブログを読んでくれたなら、最期の最期にイスキアに一晩だけでも訪れて泊まってから決断してほしい。自殺するのは、それからでも遅くはない筈だ。何を言わなくてもいいし、何をしなくても良い。ただ、泊まって最期の食事をしてほしい。住所と氏名だって明かさなくてもよい。何も聞かないし、問いただすこともしない。もし、何かしら言いたくなったとしたら、ただ黙って聞くことはしよう。だから、自殺をする前に、一度だけイスキアの郷しらかわを訪ねてほしい。

 

※申し込みは、問い合わせフォームからしてください。通信欄に「そっとしてほしい」と記入してもらえば、何も聞きませんし、こちらから何もアクションをしません。食事だけを提供いたします。聞いてもらいたいことがあるなら、何も言わずに黙って伺います。