新型コロナ感染症の後遺症が恐ろしい

新型コロナウィルス感染症が止まらない。コロナ感染症は、風邪みたいなものであって、インフルエンザよりも怖くないと主張する一部の専門家もいる。確かに日本での感染症は重篤になる人の割合も少ないし、死亡率も世界からみると極めて低い。若年層においては、重症化することがないからと、平気で夜の街関連のお店に行く人も多い。ところが、ここに来てこのコロナ感染症の怖い後遺症についての報告が相次いでされている。重い後遺症で長く苦しんでいる若者が少なくないし、社会復帰できない人もかなり多くいるという。

 

新型コロナウィルス感染症の実態については、まだまだ解らない部分が多い。特効薬も見つかっていないし、ワクチンだって開発が極めて難しいし、実用化には程遠い。そんな中で、感染して治癒した人の中から、後遺症で苦しんでいる人たちの声が、ようやくマスコミで取り上げられてきている。日本の厚労省もようやく重い腰を上げ初め、来月から後遺症の実態調査に着手するというニュースが流れた。疲労感、息苦しさ、咳、頭痛、胸部痛、味覚障害、嗅覚障害、食不振、筋肉痛などの深刻な症状が長く残存すると報告されている。

 

ではどのくらいの感染後の後遺症が残るのかというと、残念ながら日本ではまだ統計調査実績がない。イタリアでの調査によると、まったく後遺症が残らないと回答した人は、わずか12.6%に過ぎないという調査結果がある。つまり、87%もの割合で後遺症があるという恐ろしい調査結果が出ているのである。新型コロナ感染症は単なる風邪やインフルエンザみたいなものだと強弁する専門家がいるが、風邪やインフルエンザでこれだけの後遺症が残るケースはあり得ない。つまり、この新型コロナ感染症は、後遺症という点で極めて危険な疾病なのである。

 

それでは何故、この新型コロナウィルス感染症の後遺症がこんなにも多いのかというと、いろんな原因が考えられている。新型コロナウィルスが、治った後も体内に残存していて、それが後遺症を引き起こしていると考えられている。また、この重症感染症に対応して免疫システムが暴走した為に、免疫システムが変化してしまったと考える専門家もいる。ウィルスが残存しているという説は考えにくいし、免疫系の暴走説が正しいのではないかとみられる。副交感神経系(免疫系)の暴走が影響していると考えられる。

 

自律神経というのは、交感神経と副交感神経の二つから出来ていて、このバランスが崩れることで病気になると考えられている。交感神経が活性化し過ぎて、副交感神経が後退してしまい、免疫力が落ちるというように以前は考えられていた。ところが、そのように単純ではないということが判明した。免疫学で著名な安保徹先生は、副交感神経のうち、獲得した新免疫システムが働いているうちは、免疫は正常に働くと主張されている。ところが重症の感染症を起こすと、新免疫システムは破綻して、古い免疫システムが働いてしまうらしい。これが、免疫の暴走と考えられている。自己免疫疾患の発症も同様である。

 

最新の医学理論が、この免疫システムの証明を後押ししてくれている。それは、ポリヴェーガル理論である。副交感神経の約8割は、迷走神経である。この迷走神経には、背側迷走神経と腹側迷走神経がある。獲得した新免疫システムというのは、腹側迷走神経がその役割を担っている。暴走してしまう旧免疫システムは、背側迷走神経が関係している。命の危険に関わるような重症感染症に陥ると、腹側迷走神経の働きを抑えて、背側迷走神経が暴走してしまい、免疫システムが正常に働かくなってしまうと考えられている。

 

故に大事なのは、新型コロナ感染症に感染しないことである。もし感染したとしても、重症化しないようにすることが大切である。その際に、感染しやすい人かしにくい人、または重症化する人かしない人かは、メンタル面が大きく影響しているのではないだろうか。病は気からというように、元々病気になりやすいかどうかも、メンタル面の影響が大きい。それは、その人の物事に対する認知や考え方が影響を及ぼしている。いつもくよくよしたり自分を責めたりする人、自分を犠牲者とか被害者にしたがる傾向の人は、コロナに感染しやすいし重症化して後遺症になりやすい。つまり、コロナを寄せ付けない為には、自尊感情を高め、自己否定しない生き方をしなくてはならないということだ。

 

※何故に自分は自尊感情が低くて自己肯定感を持てないのかと、悩んで苦しんでいらっしゃる方は、「イスキアの郷しらかわ」にご相談ください。いつも、自分を犠牲者や被害者にしてしまい、いつも過去を悔やんでくよくよしてしまうし、悪い結果を引き寄せてしまう自分を変えたいと思っている方は、「問い合わせ・相談」フォームからご相談ください。

コロナで学ぶLOHASな生き方の大切さ

「パチンコ店さえ休業してくれたら、来ないのに!」とのたまうパチンコ客が大勢いる。それは本末転倒である。そもそも、感染の危険が高いパチンコをする人さえいなければ、パチンコ店は営業しないのだ。こんな危険な時期にパチンコに行かないでいられない人は、ギャンブル依存症という病気なのである。精神科を受診することを勧めたい。パチンコは、遊戯ではなくて完全なギャンブルである。公営でしかギャンブルを認めない筈なのに、民営のギャンブルであるパチンコを許可することがそもそも間違いなのだ。

コロナ感染の危険性が高いと言われているのに、バーやキャバレー、スナック、風俗に通う人たちもいる。こういう人たちも、アルコール依存症やセックス依存症かもしれない。カラオケボックスやカラオケ教室、LIVEに行かないといられない人もいるが、これもある意味で依存症とも言える。感染のリスクが高いダンスクラブやスポーツジム、ヨガ教室に行かないと我慢できない人も、問題だろう。これらのギャンブルや接客業、趣味に行けなくてストレスが溜まり、家庭内でDVを働く人がいるらしいが、こういう人間は生きる資格がないと言える。

このコロナ感染症が大流行をしたことで、DV被害やコロナ離婚が起きて、家庭崩壊が起きつつあるという。企業や組織・団体の中では、パワハラやモラハラが横行してしまい、社員どうしの信頼関係が崩壊しつつある処も多いらしい。それぞれの地域内においては、コロナ感染を起こした家族を村八分のように扱う所もあるし、感染症の病院で働く人やその家族を排除する動きも強まっていると聞く。政府や自民党内でも、この未曾有の国難に遭いながら、権力争いに発展しているという。つまり、コミュニティが崩壊しつつあると言えるのだ。

言ってみれば、今まで隠し通してきた、またはないことにしてきた不協和音が一気に爆発を起こしたようなのである。人々のエゴが暴発したというような状況だと言える。このような大変な事態になって、皆が一致団結して協力し合いながら難局を乗り切らなければならないのに、自分の利害や損得を前面に出してしまい、身勝手で自己中心的な行動をするようになったというのは情けない。一方では、ボランティアで高齢者支援活動や献身的に医療活動に携わる人も出ている。全体最適を目指す人と個別最適を優先する人の二極化が起きているのだ。

これは何を意味しているかと言うと、人々の本音や本質が明らかになったということではないだろうか。高潔で素晴らしい価値観を持った人と、低俗で劣悪な価値観を持った人とが、炙り出されてきたとも言えよう。コロナ感染症で重症化する人というのは、持病を持った人だと言われている。高血圧、糖尿病、心肺機能の低下症、喫煙者、アルコール常飲者などが重症化しやすいらしい。すべてが生活習慣病だとは言えないが、自分の悪い生活習慣や生き方が招いたとも言えよう。これも本人の人生哲学が影響していると言えないだろうか。

高齢者や介護施設に入所されている方も重症化して亡くなる方が多い。自分も高齢者であるが、自分が新型コロナ肺炎になったら延命治療は受けたくないと思っている。何故なら、そうなったときは自分の寿命なのだから、無駄な医療費を浪費させたくないからである。今の医療や介護はクォリティオブライフを無視している。ある程度の生活の質を保てなくなったら、または社会に貢献できる体力や気力がなくなったら、延命治療はせずに自然死を望むのが、人間本来の生き方だと心得ている。コロナ肺炎は、まさにノアの箱舟のような気がする。

発症して重症化する人と、感染しても発症せずに抗体ができる人がいる。発症するかどうかは、普段の食生活や生活習慣に関わっていて、LOHASな生き方を普段から心がけている人は発症しにくいのではないだろうか。不健康で自堕落な生き方、つまりはタバコを吸い、ギャンブルに没頭し、アルコールに依存した生活をしている人、またはそんな乱れた生活を過去に続けてきた人が重症化するのではないだろうか。例外はあるとしても、家庭を大切にして、環境に配慮しながら持続可能で健康的な生活をしている人は発症しにくいのではないかと思われる。今回のコロナ感染で、LOHASな生き方を志向する人が増えてほしい。

不登校・ひきこもりは愛着障害から起きる

不登校やひきこもり、休職などの社会への不適合が起きるのは、根底の問題として愛着障害が存在することが判明した。勿論、愛着障害と言えるようなレベルではなくて、不安定な愛着というような軽いものでも不登校やひきこもりが起きてしまう。発達障害や自閉症スペクトラム、または適応障害、強迫性障害、摂食障害、妄想性障害、パーソナリティ障害などのメンタル障害を当事者が抱えていることも多いが、それらの障害も愛着障害から起きているというから驚きである。

不登校やひきこもり、休職の原因は、いじめや不適切指導、さらには、社会全般にはびこるハラスメントによるものだとされているが、本当の原因はそうではない。何故ならば、同じようないじめや不適切指導、各種のハラスメントを受けたとしても、不登校やひきこもり、休職まで追い込まれない人もいるのだ。同じような意地悪な行為を受けても、はねのけたり乗り越えたりする人もいる。何らかの問題や課題を抱えている人だけが、不登校やひきこもりに追いこまれると考えたほうが論理的である。

その抱えている問題とは、愛着障害、または不安定な愛着という問題だと言える。愛着障害というのは、親との深く強い関係性、愛が溢れるような良好な絆が結ばれていない状態である。子どもというのは、本来は親から無条件の愛を注がれ、どんな場合でも親が自分を守ってくれるという安心感を持って育つものである。子どもは、親から絶対に見捨てられることもないし、ずっと支えられ続けるという安全で安心できる環境で育てられることが必要だ。そうでないと、何か苦難や困難が起きた時に、乗り越える勇気が持てないのだ。

この安全で安心するような環境で育てられないと、愛着障害、または愛着が傷つけられた状態を抱えてしまうのである。そうすると、苦難困難に出会うと回避したり逃避したりするし、誰かのせいにしたり他人を恨んだりして、自己成長が停止してしまうのである。こういう愛着障害の人間は、社会に適応できなくて、ひきこもってしまうのである。言い換えると、人間はいかなる時も自分を守ってくれる安全基地を必要とするのに、その安全基地を持てないから、いつも不安や恐怖感を持ってしまい、社会に出れなくなるのだ。

この安全基地というのは、誰にでも必要なものである。その安全基地というのは、通常は家族がその役割を担う。家族の絆が健全でしっかりしていれば、母親か父親がその役割を果たす。無条件の愛である母性愛を注ぐ母親が安全基地となる傾向が強い。しかしながら、何らかの原因があり、母親がその安全基地になりきれないケースがある。そういう時に、子どもは愛着障害や不安定な愛着を持ってしまうのだ。そうすると、子どもは不登校やひきこもりになることが多い。

愛着障害や不安定な愛着を抱えている子どもは、脳内神経伝達物質のひとつであるオキシトシンが不足している。このオキシトシンは、安心ホルモンと呼ばれる。オキシトシンが不足すると、大きな不安や恐怖感が心を支配してしまい、怖くて社会に適応できなくなり、良好な人間関係を築けなくなってしまう。強迫性障害、摂食障害、不安神経障害、対面恐怖症、パニック障害、妄想性障害、適応障害などを起こす。発達障害もオキシトシンが不足していると言われている。

オキシトシン不足は、母親との濃厚なスキンシップが不足し育てられると起きるとも言われている。驚くことに、このようにオキシトシン不足で愛着障害を抱えている子どもの母親も同様に、不安定な愛着を抱えているケースが多いのだ。だから、不登校の子どもの母親もまた不安が大きく、親子で不安をお互いに増幅し合っていることが多いのである。ちなみに、母親に適切な支援をして不安を取り除いてあげると、子どもの不安も払しょくされて、登校できるようになることが多い。母親のオキシトシンが増えると共に子のそれも増えるからだ。

安全基地としての機能を果たせない母親に、寄り添い味方になってくれる存在が必要である。傷ついて不安定になった愛着を癒す行為を「愛着アプローチ」と言うが、この愛着アプローチを母親は必要としている。母親と当事者の両方にこの愛着アプローチが適切に行われて、愛着障害や傷ついた愛着が癒されると、不登校やひきこもり、そして社会への不適応が見事に解決される。勿論、抱えている愛着障害や傷ついた愛着が改善されることで、メンタル障害も緩解する。

※不登校やひきこもり、社会への不適応をしているわが子のことで悩んでいるお母さん方へのサポートを、「イスキアの郷しらかわ」では実施させてもらっています。愛着障害とその解決策である愛着アプローチについて詳しく解説すると同時に、愛着アプローチを実施します。まずは「問い合わせフォーム」からご相談の申し込みをしてください。相談の対価は一切求めませんので、安心してご相談ください

メンタル不調の原因は愛着障害にある

複雑なメンタルの不調を抱えている人が多いが、それらのメンタル障害が愛着障害によって発症していることが判明したという。メンタル障害の医学的治療は難しいし、効果は限定的である。さらに、それが愛着障害から発症したものであれば、薬物治療などの医学的治療で根治するのはなおさら困難である。現代医療では治療が困難だとされる、双極性障害、慢性うつ病、気分障害、境界性パーソナリティ障害、PTSD、摂食障害、妄想性障害、各種依存症、ADHDなどは愛着障害による影響が大きいとされる。それらのメンタル障害が、適切な愛着アプローチによって見事に改善するという。

不登校やひきこもり・ニート、休職者の当事者は複雑なメンタル障害を抱えているケースが少なくない。そして、その根底になっているのが愛着障害だと推測されるケースが殆どである。愛着障害というのは、英国の児童精神科医ジョン・ボウルビーが1950年頃に提唱した、児童精神発達障害理論のひとつである。愛着障害は日本の精神医学会ではあまり注目されてこなかったが、近年大きな話題を集めている。著名な児童精神科医である岡田尊司氏がその豊富な臨床経験によって編み出した愛着アプローチが多大な実績を上げているからだ。

岡田尊司先生は、長い期間に渡って少年院に送致された子どもたちの精神的ケアーに携わっていらした。その中で、それらの生きづらい少年たちが複雑なパーソナリティ障害を抱えていることに驚き、その克服に尽力されてきた。現在は、大阪で岡田クリニックを開所されて、メンタル障害で苦しむ青少年たちの治療をされているという。そして、岡田先生はパーソナリティ障害などのメンタル障害の根底に、愛着障害が潜んでいること気づき、愛着アプローチを実践して、多大な効果を上げているのである。

不登校やひきこもりの青少年たちだけでなく、生きづらい大人にも愛着障害が潜んでいるし、各種のパーソナリティ障害に苦しんでいる人々にも根底に愛着障害があるというケースが多い。愛着障害というと、乳幼児期に養育者からひどい虐待やネグレクトを受けた子どもたちが持つ障害だと思われている。または、乳幼児期に養育者から見捨てられる経験で愛着障害になると思われてきた。ところが、ごく普通の家庭で育てられた子どもでも愛着障害を抱えているケースが少なくないという。そして愛着障害から発症したパーソナリティ障害などのメンタル障害で苦しむ大人に成長してしまうケースが多いのである。

すべてのメンタル障害が愛着障害から発症しているとは言えないが、想像以上に愛着障害が根底にあるケースが多い。薬物治療などの医学的な治療ではまったく効果がなかった症例が、愛着障害と診断され、適切な愛着アプローチを受けると見事に改善されるのである。それも驚くことに、愛着障害を抱えた当事者への愛着アプローチだけでなく、母親に対する愛着アプローチのほうが大きな効果を上げることが多いというのである。今までの医学理論ではそんなことはあり得ない。しかし、実際に母親への愛着アプローチによる支援によって、当事者の症状が劇的に改善するのである。

愛着障害が発症するのは、虐待やネグレクトなどの特殊なケースだけではない。ごく普通の家庭教育を受けて、家庭の外から拝見すると親から愛情一杯に育てられて、何も問題がないと思われているケースでも愛着障害が発症してしまう。特に、両親が高学歴で知能レベルが高く、あまりにも教育熱心な親である場合が多い。子どもに対して必要以上に親が介入して、子どもの主体性の発達を阻害してしまうのである。こういう場合は思春期に、いじめなどをきっかけにして、強迫性障害、摂食障害、不安障害などを発症して、不登校やひきこもりを起こしやすい。酷くなると、家庭内暴力までも起こす。これも愛着障害である。

不登校、ひきこもり、メンタル不調による休職などは、殆どのケースで愛着障害が基になっていると言っても過言でない。したがって、医学的な治療ではまったく効果がないが、適切な愛着アプローチによる支援を受けると見事に回復して社会復帰する。この愛着アプローチとは簡単に言うと、不安定になった親子の関係性(愛着)を、親密で安定した関係性に戻すことである。それも、当事者よりも母親への適切なアプローチ(支援)のほうが、効果が大きいという。母親からの子どもに対する愛情が、寛容性と受容性の極めて高い母性愛に変容すると、子どもは変わる。まさに親が変わると子は変わるのである。

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珈琲は個性化と味覚重視の時代へ

コーヒーは庶民の嗜好品として定着してきた。日本のコーヒー消費量は年々増加していて、若い人は日本茶よりもコーヒーが食後の飲み物として定番となりつつある。それもインスタントコーヒーや缶コーヒーだけではなくて、本格的なドリップコーヒーやサイフォンで入れた珈琲が好まれている。コンビニで100円コーヒーが爆発的に売れている影響が大きいと思われる。しかしながら、コーヒーの味にこだわる本格的な珈琲好きの『おとな』にとっては、コンビニやチェーン店のシアトル系コーヒーではおおいに不満足であった。

何故なら、コンビニやコーヒーチェーン店の多くの店では、ブレンドコーヒーしかないうえに、シアトル系の深煎りで苦みとコクの強いコーヒーしか置いていないからである。本物の味が解るコーヒー通の中には、シングルオリジンコーヒーにこだわる人も多いし、浅煎りや中浅煎りのフルーティな香りが強く、酸味と甘みが共存する珈琲を求める人も比較的多いからである。コンビニで販売されている100円コーヒーは、味も素っ気もない、ただの黒くて苦くて渋い『お湯』であるというコーヒー好きもいるくらいである。

そんなコーヒー業界に異変が起きつつある。スターバックスコーヒーでは、高級な旗艦店が日本にも進出したのである。なにしろ、一番安価なコーヒーが1杯960円と、普通のお店の倍の価格である。個性的な味や体験を売り物にしている。今までの販売戦略とは一線を画している、本格的なコーヒー店である。また、コンビニでは高級なコーヒーの代名詞とも言われている『パナマゲイシャ』が、一杯500円で販売されていて、爆発的に売れているらしい。本格的で個性的な美味しいコーヒーが好まれる傾向が生まれてきたのだ。

数年前からサードウェーブコーヒーとして、本物のコーヒー豆を丁寧に焙煎して、コーヒーメーカーやコーヒーマシーンを使わずに、ドリップやサイフォンで淹れる珈琲が人気を博しつつある。ようやく、庶民の間でも本物の珈琲の味が知られてきたのかもしれない。私の友人の一人も、今まではコーヒーなんて美味しいと思わないと公言して憚らず、一切口にしなかった。ところが、私が丁寧に淹れた珈琲は特別だという。今までこんなに美味しい珈琲は飲んだことがないと驚いた。そして、今では無類のコーヒー好きになってしまった。珈琲本来の美味しさに目覚めれば、本物のコーヒー通にだってなれるのである。

インスタントコーヒーや缶コーヒーである程度満足しているコーヒー好きは、もしかすると本当に美味しい珈琲を飲んだことがないのかもしれない。または、コンビニの100円コーヒーを美味しいと感じる人は、味覚が麻痺しているのではなかろうか。日本人の多くが味覚異常になっているという。添加物の多いあまりにも加工食品ばかりを食べているとか、または化学肥料や農薬まみれの農産品を食べた影響で、亜鉛不足が深刻だからである。さらに、味覚異常から刺激的で味の濃い食品しか美味しいと感じなくなっているのである。

パナマゲイシャという珈琲を飲んだことがあるだろうか。アフリカのエチオピア原産のコーヒー品種で、栽培が非常に難しく、高地でしか育たないという。その難しいゲイシャをパナマで試行錯誤を繰り返して、ようやく栽培に成功したらしい。高地での栽培なので、収量が著しく少なく、高額になる。100g3000円から4000円という高価格の小売りである。一杯10gとして300円以上の豆代なので、コーヒー専門店なら1杯1500円以上になる。コンビニでの500円は、リーズナブルな価格設定だ。ゲイシャの風味を生かす為に浅煎りにする場合が多い。フルーティな香りとあまりにも上品な酸味と甘み、そして表現のしようのない柑橘系の風味がある。また飲みたくなる美味しさである。ゲイシャの微妙な味の違いが解れば、いっぱしのコーヒー通と言える。

コーヒーの味は豆の品種と産地で決まると言われているが、それだけではない。例え高価なコーヒー豆であったとしても、焙煎の仕方で味が変わるし、曳き方や抽出の仕方によってもおおいに味が違ってくる。そのコーヒー豆に合った焙煎をしてあげないと豆が可哀想である。そして何よりも焙煎した後の鮮度が問題である。焙煎した後、または曳いた後には急激にコーヒー豆の酸化が起きるから、出来たらフリーザーで保存したい。豆の曳き方だって、マシンで曳くと熱が出て酸化が早まるから、セラミック製の手回しコーヒーミルでゆっくり曳いて、粗びきに仕上げる。そして、最初は2分から3分くらいゆっくり蒸らしてから、熱い湯で少しずつゆっくり抽出する。心を込めてコーヒー豆に感謝の気持ちを伝えながら、美味しくなれと念じながら淹れる。そうすると、驚くほど豊潤で美味しい珈琲が出来上がるのである。珈琲はようやく個性化と味覚重視の時代になりつつある。

卒婚を密かに目論んでいる妻

日本人の夫婦のうち、約3分の1が離婚しているという。そして、その離婚を言い出すのは圧倒的に妻のほうが多いという。昔は、夫からの離婚申請が多かったのだが、現在は妻のほうから三行半を突き付けるらしい。そして、多くの妻たちは婚姻状態を続けることに疲れ果てていて、いつかは卒婚をしたいと密かに夢見ているという。夫はまったくそんな妻の心理状態に気付くこともないらしい。我が子が大学を卒業するまでの我慢とか、子どもが成人したらとか、子どもが結婚するまでとか、その時期をじっと待っているのである。

その卒婚さえ待ちきれず、もう夫との結婚生活には一刻も我慢できないと離婚してしまう若い妻も少なくない。昔ならば『子はかすがい』と離婚を踏みとどまる女性も多かったが、今は子どもが居ても離婚を踏みとどまる理由にはならない。それだけ妻たちは我慢し切れなくなっているのだ。離婚の理由はそれぞれあるだろうが、妻が望む夫婦関係や親子関係になっていなくて、改善の見込みもないので決断したのだと思われる。夫のほうでは、話し合いで問題決を図り、なんとか婚姻を続けたいと思うらしいが、妻の決断は変わらない。

妻が卒婚したいと思っていることさえ夫は知らないでいるし、卒婚を望む理由さえも夫は解らない。だから、その時が来るといきなり卒婚を言い出されて、夫はおろおろするばかりだという。妻は何故こんなにも卒婚を望んでいるのだろうか。妻たちが経済的に自立しているからだとか、財産分与や年金受給の分与が出来るようになったからだと思っているらしいが、それが卒婚の理由ではない。あくまでも、結婚生活における夫の態度に我慢がならないのである。我慢に我慢を重ねて熟慮した選択だから、決心は変わらないのだ。

妻が卒婚する原因は、夫のこんな態度や姿勢である。夫は家庭に安らぎを求めている。男は職場において全身全霊を傾けて仕事をする。男というのは仕事第一主義である。したがって、職場で仕事にエネルギーを使い果たしてしまい、家に帰るとのんびりと過ごしたがるし、家事育児に協力しようとしない。帰宅すると、テレビを見たりゲームをしたりするだけで、ソファに横たわっている。または、自分の趣味に没頭するか、PCやスマホに心を奪われている。家庭は自分だけの安らぎの場所だと勘違いしているのである。

それぐらいなら妻はまあ仕方ないかと諦めているが、我慢ならないのは夫が妻の話を聞こうとしないし、妻に共感しないという点である。しかも、妻の気持ちを少しも解ろうともしない夫のことが許せないのだ。夫は妻に対して優しい態度を取ることもある。例えばバースデーの贈り物やクリスマスのプレゼントはしてくれるし、たまには豪華な食事にも連れて行ってくれる。しかし、そんな優しさは見せかけだけだと妻は知っている。そういう優しさを見せるのは、夫の自己満足に過ぎないことを百も承知なのだ。職場では無理して『いい人』を演じているのに、家庭では身勝手で自己中の夫なのである。

育児についても、夫の態度は我慢ならない。普段の子どもの世話は、殆どを妻がやっているが、何かのイベントだけは自分が中心的な役割を果たして、子どもの点数稼ぎをしたがる。育児はお前に任せたと、一切口出しをしないが、何か子育ての問題が起きると『お前の子育てが悪いからだ』と責める。学校で何か子どもの問題が起きると、仕事を言い訳にして逃げたがる。いじめや不登校などの問題が起きて、母親の手には負えないから父親になんとかしてほしいと頼んでも、仕事だからと学校に行きたがらない。こんな父親では、子どもは信頼しないし、妻も愛想を尽かす。

男は結婚するまでは、交際相手の尊厳を認め自由を認める。ところが結婚すると豹変する。自分の所有物だと勘違いし、自分の理想の伴侶であってほしいと強く思い、自分の価値観を押し付けたがる。自分に都合の良い妻になるように仕向けるし、妻の行動を制御したがるし支配する傾向になる。それが上手く行かないと、怒りを爆発させたり暴言を吐いたりする。そんなことを出来ないひ弱な夫は、自分の思い通りにならないと不機嫌になるし、黙り込んでしまう。まるでイプセンの戯曲『人形の家』のノラのようである。我慢に我慢を重ねてついにノラも家を出て卒婚する。人間とは、本来は自由に生きる生物である。あまりにも自由を制限され尊厳を認められないと、妻たちは卒婚する。

中高年のひきこもりが深刻化

45歳のひきこもり男性が、亡くなった71歳の母親と10ケ月もの長期間同居していたという事件が起きた。ひきこもりやニートの方々が高齢化している実態が明らかになりつつある。そして、これらのひきこもりやニートの方々が、固定化していると共に深刻化しているという。今までは、ひきこもりやニートというと若者だけの実態かと思われていたが、中高年のひきこもりニートが増大しているし、保護者も高齢化して亡くなってしまうケースも多くなることだろう。そうすると、社会問題としてより深刻になる。

ひきこもりやニートを完全に乗り越えたというケースは極めて少ない。深刻な症状がある程度改善されて、買い物やレジャーには行けるまでになったとしても、完全な社会復帰をして、経済的にそして精神的にも自立する例は殆どない。民間の業者がひきこもり対策の施設を運営しているが、その実績は芳しくない。NPO法人や市民活動団体が支援しているものの、その効果は限定的である。ひきこもりやニートに対して、行政側として積極的に支援することが出来ない。ひきこもりを乗り越えるのは、極めて困難なのである。

ひきこもりやニートを乗り越えるのが、どうして難しいのだろうか。その解決に対してサポートする機関が少ないし、サポート施設が実力不足だということもあろうが、根本的な解決法を見出していないからである。そもそもひきこもりやニートになる根本原因さえ掴めていないのだから当然である。ひきこもりやニートになるのは、自己責任だと思っている人が大多数である。当事者をよく知っている親でさえ、当事者の性格やパーソナリティに歪みがあるからだと思い込んでいる。これでは、乗り越える糸道さえつかめない。

さらに、ひきこもりやニートになってしまった本当の原因を、当事者さえも認識していないことが多い。いじめや不適切指導、パワハラ、何らかの挫折などのきっかけで不登校や休職に追い込まれ、それからひきこもりやニートになるケースが多いが、本当の原因は他にある。何故かというと、同じような経験をしても不登校や休職に追い込まれない人がいるからである。誰でも同じような経験をしているにも関わらず、いじめや不適切指導、パワハラ、挫折を乗り越えている人が多い。それじゃ、ひきこもりになるかどうかの分岐点はなんだろうか。

そのヒントは、家族にあるように感じる。何故なら、子どもがひきこもりやニートになるケースの殆どが家族の関係性に問題があるように思えて仕方ないのである。一見するとうまく行っているように見える親の夫婦関係と親子関係が、実質的に劣化しているケースが殆どである。劣化や低下というレベルではなくて、関係性が破綻しているケースでは子どもが例外なく問題行動を起こしている。つまり、不登校やひきこもりが起きる本当の原因は外部にあるのではなく、家庭内部の関係性にあると言える。

したがって、当事者だけをいくら支援したとしても、ひきこもりやニートは解決しないのである。ひきこもりやニートを乗り越えるには、家族療法が必要不可欠であり、その家族療法は単なる家族カウンセリングではなくて、オープンダイアローグのような最新の心理療法に基づく家族療法が必要であろう。中高年のひきこもりやニートの親が高齢化して、家族療法の対象者として不適格になる前に、適切なオープンダイアローグ療法を受けなければならない。ましてや、親が亡くなってしまったら、家族療法が不可能になる。オープンダイアローグ的家族療法が出来るうちに、中高年者のひきこもりやニートを救いたいものである。

家族療法というと、親の子育てが悪いいから子どもの問題行動が起きたんだと結論付けたいセラピストやカウンセラーが多い。したがって、家族療法を拒否する親が多い。ましてや、父親が家族療法を積極的に受けるケースは稀である。誰だって自分の非を認めたくない。しかも、他人から自分の至らなさを指摘されたら、否定したくなる。特に問題がある父親ほど家族療法を受けたがらない。子どもの問題行動の原因が自分にあると言われるのが怖いのであろう。特に、社会的地位や評価が高く、教養と学歴、そして収入が高いほどその傾向が強い。そして、ひきこもりやニートは不思議とそのような父親のケースが多い。オープンダイアローグは、けっして批判したり否定したりしない。診断もしないし、原因も追究しない。だからこそ、父親もオープンダイアローグを拒否しない。深刻化している中高年のひきこもりやニートを救うには、このオープンダイアローグしかないと思われる。

※「イスキアの郷しらかわ」では、オープンダイアローグ的家族療法を駆使して、ひきこもりやニートの社会復帰を支援しています。家族療法というと、一時間10,000円前後という高額のカウンセリング料金を請求するカウンセラーが殆どです。しかし、イスキアでは日帰りではおひとり2,500円のランチ代だけの負担で実施します。宿泊の場合は、1泊2日8,500円だけの負担で、他は一切費用がかかりません。まずは、「問い合わせフォーム」から申し込み・相談をしてください。当事者、保護者のどちらからでも受け付けます。

本音での親子対話が途絶える時

親子の対話がほとんどないという家庭が多い。または、日常的な会話はあるけれど、本音で語り合うことはまったくないという家庭が少なくない。おそらく、本音で対話(ダイアローグ)をしている家庭は皆無に近いであろうと思われる。それは、親と子のどちらかに原因がある訳ではないが、そうなった責任は親にあると言えるだろう。何故なら、そのような親子の関係性を築いてしまったのは、年齢的にも力関係でも上にあるのは親だからだ。

いや、我が家では娘といつも友達のような会話をしているという母親がいるかもしれない。確かに、テレビ番組、タレント、ゲーム、料理、飲食店、ファッションのような話題で盛り上がっている母娘は少なくない。しかし、その話題は非常に薄っぺらであり、もっと人間の根源的な生き方とか、人間の闇を抉り出すような話はしていない筈だ。実は、そういう話こそが子どもたちは求めているにも関わらず、父子の間でも常に避けているのだ。

何故、本音で語り合うことを止めてしまったのかというと、子どもが信頼するに足りるような親としての姿勢を見せていないからであろう。または、親が子どもの本心に向き合っていないし、本心を解ろうとする努力をしていないからだ。子どもというのは、観るもの聴くものすべて初めてのことだらけである。自分も含めて幼い子どもの時を思い出してほしい。どうして良いか分からない時は、親に気兼ねなく尋ねたに違いない。でも思春期を迎える頃には、大切なことほど親には聞けなくなってしまうのである。

子どもというのは好奇心が旺盛である。自分がどういう存在であり、何故生まれてきたのか、そしてどこに向かって生きて行けばいいのかを自分に問い続けている。しかし、残念ながらそういう問いに対して、的確に答えられる親が居ないのである。親自身がそんな問いに答を導き出せる、正しくて高邁な価値観を持っていないし、科学的に明確な哲学を知らないのである。そんなこと、誰も教えてくれなかったし、自分でも学ぼうとさえしなかったのだから当然だ。自分の親もそして周りにも、哲学を語れる人は存在しない。

本来、学校の教師やお寺の僧侶、そして神主や禰宜というのは、そういう哲学を教示してくれる存在だった。または、職場の上司や経営者は科学的に正しい経営哲学を持っていたものだった。松下幸之助、本田宗一郎、稲森和夫等はそういう経営者だ。今は、一部を除いて『人生の師』はいなくなってしまった。世の中の親は、子どもに対して自信を持って哲学を語れなくなっているのである。学校や職場では、昔は哲学の話で盛り上がったものだった。それが出来なくなったのは、文科省が学校教育で哲学を排除したからである。

子どもの前で、試しに哲学的な話をしてみれば解る。子どもは目を生き生きと輝かせて、話に耳を傾ける筈だ。子どもの純粋な心は、そういう哲学の話が大好きなのだ。私は、子どもたちにいつも哲学的な話をしていたものだった。長男なんかは、私の話に涙を流して感動したと喜んでいた。三男とは、食卓において『エディプスコンプレックス』や『倫理的に何故人を殺してはならないのか』という話題で盛り上がったこともあった。

今の親たちは、子育てにおいて一番大切な話を避けているように感じて仕方がない。自分の本心を覚られるのを避けたい気持ちがあるのか、または自分が仮面(ペルソナ)を被った偽善者であることを見抜かれるのを無意識のうちに逃げているのか分からないが、本音での親子の対話がない。自己マスタリーを成し遂げていない、言い換えると自己の確立や統合をしないで逃げてきた自分だから、本音で対話するのが怖いのであろう。自分を心から信頼していない人間は、自分の本心を語れないのである。

現代人の殆どがアイデンテティの確立、つまり自分がありのままの自分であることを認め受け容れるという自己証明をなしとげていないのである。そんな大事なことを、考えたことも意識したこともないであろう。それが日本人の一番不幸な部分である。だから、本音で子どもと語ることが恐怖なのである。自分の嫌な自己、恥ずかしい自己、醜い自己をないことにしてしまい込んでいる自分だから、それを見透かされるようで怖いのだ。夫婦間でも親子間でも、本音の対話が途絶えているのは、真の自己確立をしていないからである。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、自己マスタリー(自己の確立、アイデンティの確立、自我と自己の統合)の研修を実施しています。親として、夫として、そして妻として子どもやパートナーと本心で向き合い本音で語り合うには、自己マスタリーが必要不可欠です。この学びをしないと、子どもを健全に育てることが難しくなります。是非、自己マスタリーの研修を受講してください。個人レクチャーも承ります。日帰り研修も歓迎いたします。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

ふるさと納税制度の理念が揺らぐ

ふるさと納税制度のマイナス面が指摘されている。地方の市町村は税収が上がって喜んでいるが、東京の各行政区など大都市部では、地方税減収が深刻な影響を与えているという。税収不足のために保育園の設立が出来なくなっているという行政区もあるらしい。そのため、国に対するふるさと納税制度の見直しを求める声が高まっていると言われている。そもそも、ふるさと納税は自分が生まれた市町村の税収不足を解消しようと始まったのであるが、そのお陰で税収不足で喘いでいる都市や区があるというのは、本末転倒だと言わざるを得ない悪税の制度だ。

このふるさと納税制度において、豪華な返礼品を目当てにして制度を利用している愚か者も多いと聞く。それも、自分が生まれ育った土地でもなく、何の縁もゆかりもない訪ねたことさえない土地なのに、返礼品が魅力的だからとふるさと納税をするなんて、ナンセンスであろう。ふるさと納税制度というのは、自分が生まれて育てられた故郷を応援する為、または何らかの縁があり金銭的支援をする為などのために活用する制度である。納税の見返りを得るという損得の動機によってこの制度を利用するなんて、実に恥ずかしい限りではないか。

ふるさと納税の制度に欠陥があるとすれば、これらの点ではないかと思う人も多いに違いない。本来ふるさと納税制度とは、『志』を現わすものである。自分が生まれて育ててくれた故郷を捨てて、今は遠く離れた行政地区に住んでいる人が、自分を育ててくれたお礼をする意思を具現化したものである。それなのに、縁もゆかりも何もない市町村にふるさと納税をするなんて、何の意味もないだろうと思うのは私だけではない筈だ。本当は、見返りを求めることさえしてはならないのである。返礼品はふるさと納税した税金から支出される。それでは、『志』が減ってしまうのである。

返礼品は土地の名産品が充てられるから、その地域の経済活性化にも寄与して一石二鳥の効果が生まれるというが、それは詭弁であろう。ふるさと納税の全額が市町村民税として活用されたほうが、それをすべて行政支出として役立てられるから、多大な経済効果を生み出すのは間違いない。地方創生の財源として有効活用できよう。くだらないとは言わないが、本当に価値のある物であれば返礼品にしなくても売れる筈である。売ろうとする努力をしないでも返礼品として売れるなら、販売する苦労をしないし、ブラッシュアップもしないであろう。

自分が現在生活している行政区域において、様々な行政サービスを受けている。その行政サービスの財源は、住民税などである。ということは、それらの行政サービスの恩恵を受けながら、他の市町村に納税するということは、自分で負担もせずその行政サービスを享受するということになる。ごく一部だからいいと思うのは軽薄である。実際に、行政サービスに障害が起きている行政区もあるのだ。ごく一部だと考える住民が大勢になれば、その金額は多額になってしまうのである。これは由々しき大問題なのだ。

国は、人気取りのため、または人のふんどしで相撲を取って地方創生を進めている。国は、地方活性化の為にという大義名分を掲げているものの、自分の腹を痛めずに地方の税収アップを、とんでもない税制であるふるさと納税で進めているのだ。たとえ喜ぶ人々がいたとしても、誰かの犠牲のうえで成り立つような悪制度を進めてはならない筈である。しかも、住民税の減収が深刻な影響を与えてまで、ふるさと納税をすべきではない。そんなとんでもない税制を考え出す人間というのは、深い洞察力や未来を見通す力がない大バカ者であろう。

このふるさと納税制度が始まった際に、これはとんでもないことが起きると私は確信したものである。都市部の行政区では、深刻な税収不足が起きるに違いないと思った。そして、想像通りのことが起きてしまったのである。人の欲望につけこんだような、豪華な返礼品の競争が起きたのである。こんな人間の卑劣さを助長するような制度は、一刻も早く全廃してもらいたいものである。見返りを求めない、クラウドファンディング等や、寄付というものがあるではないか。このような何も求めず、ただ故郷を応援するだけという本来の『志』が生かされるような故郷の応援をしたいものである。

「病気にならない暮らし辞典」を薦める訳

「病気にならない暮らし辞典」は、最近全国的にブームを起こしている、栃木県の七合診療所の現役臨床医、本間真二郎先生が著した医学書である。医学書といっても、専門医向けではなくて、一般の方々が読んでも理解しやすいように平易な文章で書いてある。心身の不調を感じている人は、是非とも読んでほしい著作だ。自分の体調が思わしくない理由がすべて判明する。原理はいたって単純である。人間本来のあるべき生活をしていないから病気を発症するのであり、自然の摂理に添った生き方をすれば、病気にはならないし、病気で苦しんでいる人は自然治癒に向かうという主張である。

保険診療の医療を経営している医師ならば、絶対に指導しないし助言もしないことを、本間先生は患者に平気で伝えていらっしゃる。何故ならば、先生の指導していることを患者さんが完全に実践すれば病気が完治するし、病気にならないからである。これでは、医院の経営は成り立たなくなるのである。自分の首を自ら絞めてしまうということになる。だから、これは本物だと言えるのだ。勿論、完全に西洋医学の良さを完全に否定している訳ではなく、緊急避難的に必要な時には近代医学を活用するし、西洋薬の投薬だってしている。しかし、基本的に薬や注射に頼らない生き方を指導しているのだから、本来あり得ないことである。

「病気にならない暮らし辞典」は、静かなブームを巻き起こしていて、大ベストセラーへと突き進んでいる。今までこのような著作は多数出版されているが、これほど理に適った医学書は見たことがない。なにしろ、売らんかなというセンセーショナルな内容ではなくて、科学的にも実証されていて、事実のことしか書いていないのだ。しかも、最先端の医学研究でも定説となりつつある、確かな情報でしかも有用な教えが満載なのである。先生ご自身とご家族がこの生き方を実践されていて、健康この上もないのだ。自分でも間違いないとの確信から勧めていらっしゃる暮らしなのである。

この本がどんな内容かを、簡単に説明してみることにする。人間の人体という完全なシステムは、本来健康を保つように出来ている。消化吸収のシステム、毒素を解毒するシステム、体内循環システム、自然治癒のシステム、免疫システム、若さを保つシステム、心を平穏に保つシステム、ストレスを乗り越えるシステム、実に多様なシステムが存在して、そのシステムを正常に働かせれば、心身共に健康で生き生きとした人生を歩めるのである。ところが、近代以降に産業革命が起きて暮らしが一変し、そこに近代西洋医学が発達して、これらの正常な人体システムを阻害する社会環境が蔓延したことから病気が発生したとするのが、この本で記されている基本的な事実である。

本間先生は、あらゆる近代の歴史的事実と疾病の発生を対比させて、実証しているのである。勿論、昔のような不便で不衛生で、しかも物質的豊かさを完全否定する生き方を強いている訳ではない。自然に添っている、自然と共生する、サステナブル(再生可能)な生き方、つまりはLOHASUな暮らしを推奨しているのである。当然、人工的な食品添加物はNOであるし、あらゆる生活品に殺菌剤・漂白剤・抗菌剤は不使用にするとし、農薬不使用でオーガニックな農産物や自然食品を勧めていらっしゃる。そして、食物に含まれている酵素を殺さずに摂取することが肝要であり、発酵食品こそが健康の源だと主張されている。

私たちの生活は産業革命以後、自然や宇宙の摂理に反する生き方に激変してきた。近代西洋医学は、対症療法にシフトし過ぎて、人間本来の免疫力や自然治癒力を低下させてしまった。安易にワクチンや抗生物質を使い過ぎて、人間の本来の機能を低下させて、しかも重篤な感染症や機能不全さえ起こしたのである。最新医学研究によると、インフルエンザのワクチンは効果がないということが判明したし、抗インフルエンザウィルス薬を使わない公立病院が増えてきた。本間先生が以前から主張されてきたことが、ようやく世間でも認知されてきたのが喜ばしい。

本間先生の生き方暮らし方は、これからの我々の社会にとって貴重な指針となるであろう。無駄な投薬や注射を使わなくても健康になるということを市民が認識して実践すれば、今まで完治しなかった患者さんも病気の苦しみから解放される。無駄な医療費もなくなり、社会福祉費や介護費用も激減する。国の財政も好転するし、教育費や保育費に費やされる財源も確保できる。体調不良で悩んでいる人、病気が治らなくて苦しんでいる人、心の病で悩んでいる人、しょっちゅう風邪を引いたり毎年インフルエンザに罹患したりする人は、是非この「病気にならない暮らし辞典」を読んでほしい。自分も既にこの本と同じ暮らしを15年以上実践していて、63歳過ぎても元気で健康このうえない状態である。