佐藤初女さんが人々を癒せた訳

 天国に召されてしまった森のイスキアの佐藤初女さんは、数多くの病める人々を癒した。こんなにも多くの人々の悩み苦しみを聞いて、そっと寄り添い勇気と元気を与えてくれた人は他にいない。どうして、佐藤初女さんは、どうしてこんなにも多くの人々の心身を癒せたのであろうか。その訳は、佐藤初女さんが専門家でなかったからだと言えば、それはおかしいと思う人がいるかもしれない。心身の病気になった人を治せるのは、その道の専門家にしか出来ないと思うであろう。でも、初女さんは専門家でなかった故に癒せたのである。

 どうして、人々の心身を癒すことが出来たのかと言うと、初女さんは医療の専門家じゃないから、診断や分析をしなかったし、治そうとしなかったからである。医療の専門家というのは、まず患者に対する問診や検査をして、分析して診断する。その診断に基づき診療計画を立てて、最善の投薬や治療をする。メンタルの疾患であれば、投薬だけでなく、カウンセリングや精神療法、各種療法を駆使して患者を治すのである。患者の精神を健全にしようとして、ドクターはカウンセラーやセラピストと協力しながら、治療をするのである。

 初女さんは、森のイスキアを訪れる心身を病んだ方々を、無理に治そうとはしなかったのである。勿論、医療の専門家でない初女さんだから、精神分析やカウンセリングもしなかったし、診断をする筈もなかった。治療計画なんて立てようもないし、実際に治療をしようともしなかったのである。それなのに、森のイスキアを訪れた多くのクライアントは、心身を癒されて元気になり、社会に復帰していったのである。初女さんは、クライアントに寄り添い、ただ話を聞くだけで無理に問い質したり助言をしたりすることはなかったのである。

 佐藤初女さんがクライアントの心身を癒して、勇気と元気を引き出せたのは、奇跡のおむすびや心の籠った食事のお陰だと思っている人が多い。確かに、それもひとつの重要な要因ではあるものの、単なるツールに過ぎない。同じようなおむすびや料理を提供したとしても、初女さんという存在がなければ、あれだけ多くのクライアントを元気にすることは出来なかったであろう。それだけ初女さんという存在は大きかったのである。彼女は、科学の専門家でもないのに、人体と精神の科学的な仕組みを上手に活用していたのである。

 どういうことかというと、まずは人体や精神がひとつのシステムだということを、初女さんは認識していたとしか思えないのである。人体は一つの全体であり、その人体を構成する要素どうしのネットワークがある。このネットワークシステムは、各々の構成要素どうしが『関係性』を持っており、それ故に『自己組織化』の働きがあるし、オートポイエーシス(自己産生)の機能を発揮できる。つまり、人間という生き物はひとつの完全なるシステムであり、このシステムのネットワークがエラーを起こして、心身の病気が起きるのである。

 そして、関係性が劣化したりお互いの互恵的つながりが破綻をしたりしてしまうと、自己組織化が働かず、自己成長や自己進化が止まってしまうだけでなく、後退してしまうのである。これが心身の病気という状態である。こうなってしまった人間に、治そうとしてこうしなさいああしなさいと指示をしたり強要したりすると、自己組織化が阻害され、さらに悪化してしまうのである。診断をして分析をして原因を特定して、その原因を無理やりに外的な力でつぶそうとすると、症状が改善することはないし、別の症状さえ起きてしまうのである。

 佐藤初女さんは、そのことを直感的・経験的に知っていたからこそ、クライアントの話に耳を傾け共感するだけだったのである。そして、心の籠った食事を提供してクライアントとの関係性を深めることに傾注したのである。クライアントが例え間違った考えを持ち誤った行動をしていても、その誤謬を指摘することも直させることもしなかった。ただ、クライアントが自分で気づき自ら治す力があるということを見抜き、信頼したのである。そして、見事にクライアントは自らを癒すことができたのである。自らの病気を自らの力で治した経験がある初女さんだからこそ可能なのだ。第二第三の佐藤初女さんが出てくれることを祈るだけである。

※イスキアの郷しらかわでは、佐藤初女さんを目指そうとする方々をサポートしています。どうやって、佐藤初女さんが多くの人々を癒すことが出来たのか、佐藤初女さんのような活動をするには、どうすれば良いのかの講義と研修を開催しています。極めて科学的な根拠を示しながら、納得の行くまで説明をしています。システム思考、オープンダイアローグ、ナラティブアプローチなどの最新の科学的な療法と、最新医学のポリヴェーガル理論なども伝えています。佐藤初女さんは、そういった最新の療法を誰にも習いもせず、自然と実施していました。問い合わせ・申し込みのフォームから申し込みください。直接、お電話をいただいても結構です。(プロフィールの名刺に電話番号とLINEアカウントが記載されています)

性暴力被害は深刻な後遺症に

 性的暴力被害を受けた経験を持つ人は、どのくらいの割合でいるのかとアンケート調査した結果、驚くことに3割近くあることが解った。ただし、これはアンケートに答えた人だけであり、性暴力を受けたことがトラウマ化していたり、記憶を無意識下に留めて思い出したくないと回答を拒否したりしたことも考慮すると、3割以上の方々が何らかの性暴力を受けた経験を持つのではないかと想像できる。そして、性暴力の加害者は教職員などの学校関係者が一番多いという愕然たる調査結果が明らかになった。

 また、一方では親族からの性暴力も多く、特に親からの性暴力被害も少なくないことが解った。教職員や親族からの性暴力は、何度も続けられていて慢性的な性暴力の被害になりやすい。教職員や親からの性暴力被害は、嫌だと拒否できないばかりか、誰にも相談できず孤立しやすい。拒否できない自分が悪いからだと自分を責める傾向がある。性暴力被害を受けた人の性別は、圧倒的に女性が多いものの、男性の被害も相当数あることが判明しつつある。ジャニーズ事務所の性被害報道があり、少年時代に教職員から受けていた性暴力を思い出す人が多いらしい。

 学校内において、担任、副校長、校長からの性暴力被害が多いということが解り、鬼畜にも劣る低劣な人間性を持つ教職員がいることが判明したのである。ここで性暴力の加害者について考察したい。立派な職業を持ち、地位や名誉もありながら性暴力の加害者になるケースがある。医師がその立場を利用して患者さんに対して性暴力を行う例も少なくない。そうした自分よりも弱い立場の者に対して性暴力を行うというのは、ある意味マウンティングという意味もあるのではないかと専門家が分析している。

 そういう意味では、夫婦間や恋人関係において、望まない性行為をされてしまうという悩みを抱えている方も相当数存在していて、支配欲というものが介在しているのではと分析されている。相手を支配・制御したいという欲求は、絶対的な自己肯定感が醸成されていず、確固たる自己の確立(アイデンティの確立)もされていない、不完全な人間がいかに多いかということでもある。自己の確立という言わば自己マスタリーを実現出来ていない不完全な人間が、親になったり教師になったりしているのである。まともな教育が出来る筈がない。

 これは由々しき大問題である。このような自己マスタリーも完遂していない親に育てられた子どもは、自分自身も自己マスタリー出来ないまま大人になるということだ。教師と教え子の関係においても同様である。このような教師や親から受けた性暴力被害は、酷い後遺症を起こすということが判明した。見ず知らずの他人からの性暴力は、PTSDやパニック障害になりやすい。性暴力被害を複数回受けて、それがトラウマとして積み重ねられることにより、より深刻な複雑性PTSDを抱えてしまう危険性が極めて高いのである。

 子どもの頃に教師や親から受けた性暴力被害は、複数回に及ぶことから深刻な心的外傷(トラウマ)を何度も残すことになる。このように何度もトラウマを受けてしまうと、複雑性PTSDを発症してしまう危険性が極めて高くなる。この複雑性PTSDという精神疾患になると、二次的症状として様々な発達障害も起きてしまうし、不登校や引きこもりになる可能性が非常に高くなる。なにしろ、得体のしれない不安に苦しむし、恐怖感を日常的に感じてしまう。睡眠障害や摂食障害などの深刻な精神障害を起こすことも多い。

 そして、この複雑性PTSDという精神疾患には、さらに厄介な特徴がある。それは、親族や教師からの性暴力被害をひたすら隠し通して無いことにしてきたので、トラウマを潜在意識の奥深くに押し込めてしまっているのである。したがって、日常の生活においてはトラウマが表出することはなく、何となく不安や恐怖感を感じるものの、何故そんな感情を抱いてしまうのか、本人にも解らないのである。これが解離性という厄介な症状である。つまり、当人にも複雑性PTSDを抱えていることが自覚できず、強烈な生きづらさを抱えているし、自己組織性を失っているので主体性や自発性が発揮できなくなっているのだ。こんな深刻な後遺症を生みだす性暴力は、けっして許せない。教育の抜本的改革が必要である。

複雑性PTSDの実態と治療法

 最近、複雑性PTSDという精神疾患が注目されている。眞子さまが世間からの誹謗中傷を受けて、この疾患で苦しんでおられるとの報道がされて、認知されてきたのかもしれない。しかし、この報道によって複雑性PTSDのその深刻さや重症度が伝わらなかったのも事実である。通常のPTSDよりも軽症なのではないかと勘違いした人が多いかもしれない。実は、通常のPTSDよりもその症状は深刻であり、極めて強い難治性の精神疾患であるし、非常に予後が良くない悲惨な疾患でもある。二次的な症状も深刻である。

 複雑性PTSDによって、不登校やひきこもりに追い込まれてしまった患者は予想以上に数多い。複雑性PTSDを抱えている人は、自己組織化が阻害されてしまっているからである。主体性、自発性、自主性、進化性、責任性などの働きが育っていないので、学校や職場において、苛めの対象者になりやすいからである。職場ではパワハラやモラハラの対象となってしまうし、毎日のように上司や同僚から、からかわれて笑われてしまうことが多い。空気が読めないとか気か利かないとか言われ、皆から揶揄されてしまうのだ。

 そのような苛めに遭ったり除け者にされたりすること自体がトラウマ化しやすいこともあり、益々症状が重症化しやすく、最終的に引きこもりになってしまうのである。現在、不登校やひきこもりになっている人のうち、相当数の人が複雑性PTSDになっていると思われる。したがって、日本全国で数十万人、またはそれ以上の人々が複雑性PTSDで苦しんでいるものと推測される。実は、強烈な生きづらさを抱えているものの、自分が複雑性PTSDであるということを認知していない患者も相当多い。公務員、政治家、医師などの専門職は、いじめられることが少ないからである。

 この複雑性PTSDの患者が、自分で深刻なトラウマを抱えているという実感を持ち得ないのには理由がある。深刻な心的外傷を負っているという自覚が、あまりないのである。何となく嫌な記憶がありそうだという感覚はあるものの、それがどんな心的外傷なのかを思い出すことが出来ないからである。そのため強烈な不安や恐怖感はあるものの、それが何の不安なのかはっきりしなく、得体のしれない不安に苛まれているだけである。解離性という複雑性PTSDの特徴があり、トラウマが無意識の奥底に仕舞い込まれてしまい、顕在意識には現れてこないからだ。

 例えば、少年や少女の時代に性的虐待を負ってしまったケースがある。性的な虐待の加害者が実父母だったり教師や親族であったりする場合、誰にもその性被害を訴えられずに、一人悩み泣き続けるだけである。そして、その悲惨な性被害の記憶を無いことにしてしまいと思い、記憶の奥底に仕舞い込む。これが、トラウマになるものの自分でも思い出したくない記憶なので、顕在意識には現れなくなるのだ。しかし、得体のしれない強烈な不安を抱えてしまい、訳が分からずに異性、または性交渉に対して異常なほどの恐怖感を持ってしまうのである。

 この複雑性PTSDの治療は極めて難しい。無意識下に何度も閉じ込めたトラウマをカウンセリングによって引き出そうとすると、強く抵抗するしパニックを起こしやすい。安易に精神分析をして本人にそのことを伝えると、反発するだけでなく信頼感を無くす。触れられたくないことを、無理にこじ開けられることに異様なほど抵抗するのである。もし、カウンセリングやセッションを何度も繰り返し、深く閉じ込めたトラウマを無理に明らかにすると、ショック状態になって益々心を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

 それでは、複雑性PTSDを治療することは出来ないのかというと、けっしてそうではない。適切な治療によって寛解することや完治することも不可能ではない。まずは認知行動療法を駆使して、偏った認知傾向の改善変更を丁寧にしかも緩やかに実施する。そして、認知行動の改善傾向が少しずつ見られるようになったら、ナラティブアプローチやオープンダイアローグ療法を、極めて慎重に行う事が必要だ。その際に、大切なことがひとつある。クライアントと治療者との関係性と信頼感を醸成することである。クライアントの安全と絆になる安全基地としての機能を、支援者・治療者が果たすべきである。複雑性PTSDの治療は長い時間を要する。少なくても50回以上の治療回数を要するので、治療者は諦めることなく根気よく対応しなくてはならない。

複雑性PTSDになる本当の理由

 精神医療の分野では、他の医療分野に比して、まだまだ解明されていないことが非常に多い。何故なら、生きた人間の脳の内部は実際に覗き見ることが出来ないし、脳の働きというのはあくまでも仮説によるものでしかなく、実は確実なエビデンスが得られていないのである。ましてや、精神疾患や精神障害が起きる原因は、脳の働きだけによる影響だけではないことが解ってきたのである。大腸などの腸内細菌による影響も大きいし、骨や筋肉、各臓器との人体ネットワークの影響もおおいにあることが判明したのである。

 脳内の各刺激ホルモンである、セロトニン、オキシトシン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどのモノアミンと呼ばれる神経伝達物質の欠如や過剰が精神疾患を起こすと考えられているが、エビデンスは得られていない。あくまでも神経伝達物質であるモノアミンが、このような作用機序を起こしているのではないかという『仮説』に基づいて薬剤が服用させられている。投与が増えているSSRIと呼ばれるセロトニン選択的再取り込み阻害薬でも、その作用機序が確認されたのではなく、モノアミン仮説で説明されているに過ぎない。

 さて、いよいよ本題に移ることにするが、最新の医学的見地によって明らかになった疾患名がある。それは、複雑性PTSDという疾患名である。最新の診断基準であるDMS-5では、複雑性PTSDの診断は独立させられず、PTSDの範疇に収められた。別の国際的疾患部類であるISD-11でようやく認められた疾患名である。何度も心的外傷を繰り返されてしまうことによって起きる複雑性PTSDは、他のPTSDとは明らかに症状も違うし、治療法も異なる。他のPTSDと同じ治療をすると、却って悪化するとも言われている。

 また、複雑性PTSDと非常に似通った症状を起こす疾患に、発達性トラウマ障害というものがある。同じように、養育期から成長期にかけてトラウマを何度も体験することにより起きる精神障害である。さて、この複雑性PTSDや発達性トラウマ障害が起きる原因は、心的外傷を何度も体験したことによるということだが、誰でもそうなる訳ではないと考えられている。それは何かというと、特定のパーソナリティが根底にあると考えられる。深刻な自己否定感を持つが故に、悲惨な体験が安易にトラウマ化するのではなかろうか。

 強烈な自己否定感を持つ日本国民が増えている。それは、日本の教育環境に原因があるとも言われている。米国や中国の国民と比較すると、絶対的な自己肯定感を持つ国民が極めて少ないことが明らかになっている。学校教育にも原因がありそうだが、特に日本の家庭教育に自己否定感を抱えてしまう原因がありそうだ。悲惨な体験をした場合にトラウマを抱えてしまうのは、絶対的な自己肯定感の欠如があって、それは豊かな愛着が育まれていないからと考えられている。実際、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えている人は、愛着に問題を抱えているケースが非常に多いことが解っている。

 つまり、愛着に何らかの問題を抱えることで絶対的な自己肯定感が育まれず、悲惨な体験がトラウマ化してしまい、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えてしまうという構図らしい。この何らかの愛着の問題というのは、保護者からの強烈な虐待やネグレクトによって起きる愛着障害だけではなく、最近増加している『不安型愛着スタイル』と呼ばれるものも含まれていると考えられる。特に、ごくごく普通の愛情豊かな家庭に育った子どもでも、この不安型愛着スタイルを持つことが解ってきた。親から父性愛的な支配や制御を強く受けて育った子どもは、発達における大切な自己組織化が進まないのだ。

 親は子どもを立派に育てようと願うものだ。将来、経済的に困らないようにと、著名な進学校に入学させて経済的に裕福な職業に就かせたがる。子どもに優秀な学業成績を取らせようと必死になっている。有名幼稚園に入園させる為には、幼児期からの躾教育が不可欠となっている。いずれにしても、今の親たちは子どもに干渉や介入をし過ぎであることは間違いない。三歳ころまでは、母性愛的なあるがままにまるごと愛される経験をたっぷりとしないと、絶対的な自己肯定感は生まれないし、自己組織化が起きない。不安型の愛着スタイルを持ってしまうのは当然である。複雑性PTSDの特徴的な症状である自己組織化の欠如と併せて考えると、不安型愛着スタイルが本当の理由だと言えよう。

SNSで否定コメントをする人は愛着障害

 SNSで否定的コメントをする人が後を絶たない。または、より攻撃的なコメントで心を傷つける人も増えている。有名人に対する心無いコメントも寄せられていて、社会問題になっている。これだけマスコミや報道などで、SNSの攻撃的なコメントが人命さえも奪っていると警鐘を鳴らしているのに、一向に減らないのは何故であろうか。攻撃的な否定コメントをした人が特定されて、刑事告訴をされたり莫大な損害賠償請求をされたりしているにも関わらず、否定コメントが減らないのは不思議なことである。

 つい先日は、TOTOクラシックというゴルフツアーで2位に入った桑木プロの容姿についての心無いコメントがあり、彼女が嘆いていた。そんなことまで、SNSのコメントをするのかと、桑木プロの心情を察するに憤りさえ感じた。女子プロレスラーに対するSNSの誹謗中傷が、本人を死に追いやってしまったことが問題になったのは記憶に新しい。芸能人に対する心無いSNSの誹謗中傷が、自死へのきっかけになったことは数知れずあるかと思われる。人殺しの道具とも言えるSNSの否定的書き込みは、何故なくならないのか。

 SNSの否定的なコメントを繰り返す人物の人格や心理について分析してみよう。人を批判したり否定したりする人は、強烈な自己否定感を持っているのは間違いない。絶対的な自己肯定感を持ち自尊感情が高い人は、他人の言動を批判したり否定したりすることは絶対にしないものだ。自己否定感が強い人は、自分の評価や満足を高めることを無意識で求めているので、他人を蹴落として自己を正当化しがちである。他人を貶めることで自分の価値が高まるのだと、無意識下にて勘違いをしてしまっているのである。

 否定的な書き込みをする人というのは、自己肯定感が低いが故に、職場や家庭でも問題行動を起こしがちである。職場においては部下や同僚に対して、パワハラやモラハラをすることが多い。家庭においても、配偶者や子に対してモラハラをしたり虐待をしたりするケースが少なくない。何故かと言うと、自己肯定感が極端に低くて、いつも周りの人々を否定したがる人物というのは、自己愛性のパーソナリティ障害を抱えているからである。正常な自己愛が育っていないが故に、自分を必要以上に過剰評価して、周りの人を蹴落とすのである。

 この自己愛のパーソナリティ障害を抱えた人物は、ある意味恐ろしくもある。自分に反対する人や批判する人に対する攻撃性が異常に高く、自分に敵対する人を企業・組織・部局から手段を選ばず排除するのである。自分の地位や名誉を脅かす人を徹底的に攻撃するのだ。あのルドルフ・ヒットラーも自己愛性のパーソナリティ障害だったと伝えられる。自分の政敵になる人物を、秘密警察ゲシュタポを利用して暗殺した。ヒットラーも含めて、自己愛性のパーソナリティ障害を抱えている人物は、深刻な愛着障害であることが多い。否定的コメントをする人物も同様だと考えられる。

 愛着障害の人が、すべて自己愛性のパーソナリティ障害になって、モラハラやパワハラをするという訳ではない。愛着障害だからといって、すべての人が攻撃性を持つ訳ではないのである。愛着障害の方々の中には、自尊感情が低くても他人を責めずに、自分自身を責めるような人もいる。どちらかというと女性は、自分自身を責めるタイプが多い。男性のほうが否定的なコメントをするケースが多いと言う事を考慮すると、自己愛性のパーソナリティ障害を起こすような愛着障害を抱える人は、男性が圧倒的に多いように感じる。

 深刻な愛着障害によって強烈な自己否定感を持ち、自己愛性のパーソナリティ障害を抱えてしまうと推測される。その為に、自分の価値観や人生観、さらには考え方に合わない人のことが許せずに、SNS上で否定的な書き込みを繰り返すのではないだろうか。そういう意味では、受容性や寛容性が異常に低いと思われる。こういう人は多様性を受け入れようとしない。自分の価値観や生き方だけが正しくて、自分の考えに合致しないようなSNS上の書き込みは間違っているから排除しなくてはならないと思い込むのであろう。実は、こういう人はSNSの発信をしたがらない。何故なら、否定されることがとても苦手であるし、批判に極めて弱いのだ。小心者なのである。

カウンセリングの効果が現れない訳

 メンタル疾患は、身体疾患とは違って医学的治療によって良くなる例が極めて少ない。ある程度は投薬治療によって症状が抑えられることはあったとしても、完治するケースは稀である。だからと言って投薬治療を選択せず、適切なカウンセリングやセラピーを駆使したとしても、寛解するまでの道のりは遠いし、完治まで到達するケースは殆どないといいだろう。それだけメンタル疾患というものが、治りにくいということを医療の専門家たちは熟知している。何故に、カウンセリングやセラピーではメンタル疾患が治らないのだろうか。

 世の中には、優秀なカウンセラーやセラピストは沢山いる。そして、これらの専門家たちは様々な知識や技術を習得している。その道のプロフェッショナルである。その専門性は高くて、メンタル疾患になる原因や治す方法を熟知している。しかし、その治療効果はけっして高くない。それは、何故であろうか。その理由は、専門性が高いからである。不思議に思うであろうが、専門的知識に長けていると治療効果が逆に出ないのである。専門性が高過ぎると、その専門的知識に固執し過ぎるあまり、本当の原因とその対応策が見えなくなる。

 最近、大学病院や地域の基幹病院において、総合診療科という診療科目が激増している現実を知っているだろうか。大きな病院では、診療科が細分化されている。同じ内科でも、上部消化管内科、下部消化管内科、内分泌内科、循環器内科、血液内科等々列挙に暇がない。外科もしかりである。すべての診療科が細分化されて、専門性が高まっているのである。その為に、患者の診断名が確定しない為に各科をたらいまわしにされるという不都合な真実が起きている。それで、すべての診療科に精通した総合診療医が必要になったのである。

 専門性が高いというのは素晴らしいことである。ところが、診断治療する相手は人間である。専門性が高いということは、他の病気を知らないということになる。『木を見て森を見ず』ということが大病院の中で起きているのである。カウンセラーも疾患名や症状にとらわれ過ぎてしまい、人間そのものを観察し得ていないのではないだろうか。ましてや、メンタル疾患を患っている患者は、身体的症状をも抱えていることが少なくないし、独特のパーソナリティを抱えている。専門性が邪魔をして、真実が見えてないように思えて仕方ない。

 医療機関に所属しているカウンセラーは、日々時間に追われている。一人の患者に多くの時間を割く余裕はない。個人でカウンセラーをしている人たちは、一時間いくらという時間設定にして営業している。時間に余裕がなくて、じっくり傾聴をする時間を持てる筈がない。当然、中途半端な傾聴と共感になってしまうのは致し方ないことである。ましてや、カウンセリングを受けた人はおしなべて感じることであるが、優秀なカウンセラーであればあるほど対応が冷たく感じるのである。優秀なドクターのカウンセリングも同じだ。

 何故、カウンセラーやセラピストの応対が冷たいように感じるのであろうか。それは、クライアントの辛くて悲しい状況にあまりにも同情してしまうと、相手の感情に引きずられたり引き込まれたりするからだ。だからこそ、クライアントとの間の距離感を取らないと自分自身もメンタルが落ち込んでしまうように感じて、無意識で冷たい態度をとりがちになる。それは、自己防御の為であるから責められない。とは言いながら、クライアントへの感情移入をしないようにと意識し過ぎるあまり、冷たい態度だと感じさせてしまい、相手は信頼しない。効果が上がらないのは当然だ。

 メンタル疾患や精神障害に陥ってしまった方に対するカウンセリングは、まったく無駄なのかと言うとそうではない。効果のあがるカウンセリングも存在する。それは、森のイスキアの佐藤初女さんのようなカウンセリングである。初女さんは精神医療の専門家ではない。だからこそ、初女さんは利用者の診断はしないし、原因分析もしない。そして、利用者に助言もしないし、病んだ心を癒そうともしない。ただ、ひたすら利用者の声に耳を傾けるだけで、利用者が既に持っている答を自ら引き出せると信頼し、そっと温かく見守り寄り添う。勿論、利用者に引き込まれることを畏れず、とことん共感して『聴く』ことに徹する。唯一、効果の上がるカウンセリングとは初女さんのような方法だけである。

※付け加えますと、人間というのは本来『自己組織化』する働きがあります。カウンセリングというのは、その自己組織化する能力を信じて、その能力を引き出すだけでいいのです。メンタルを病んだ人たちは、その自己組織化能力が低下しています。それなのに、カウンセラーが信頼関係を作れず、介入や干渉をし過ぎてしまうと、さらに自己組織化を阻害してしまうのです。人体というのはひとつの全体性を持った『システム』なのです。システムや自己組織化という科学的な根拠を無視したカウンセリングが効果がないのは当然です。

滝と龍と私(自分)

 滝を訪ねてじっくり眺めることが、Awe(オウ)体験として最適だというブログを前回書いた。滝には龍が住んでいて、そこを遊び場にしていて、昇ったりダイビングしたりを繰り返して楽しんでいる姿が想像できる。その龍とは自分の心の裡にあるインナーチャイルドとか抑圧されてない本来の自己ではないかということを記した。そして、龍と自分を重ねることで、自分自身の生き方を深く洞察して、本来の生き方を取り戻せるような気がするのである。そのことを、もう少し掘り下げて考察してみたいと思った。

 龍が滝の周辺で水遊びをしているというのは、昔の人々が想像していたことである。だから滝という漢字に竜が使われているし、龍が冠された滝が全国各地に存在する。龍の住処であるというのも日本各地で共通している認識である。その龍というのは、自由気ままな存在であり、ある時は大暴れして大雨を降らし、大水害を起こすこともある。逆に龍が沈み込んで活動を停止してしまうと、雨が降らなくなり干ばつを起こしてしまうと考えたようである。水害を防ぐために龍を鎮める祭りや、干ばつを終わらせる為の人身御供の儀式をしたのであろう。

 いずれにしても、天変地異や自然の猛威を龍のせいだとしたのは、自然の力というものが人間の力ではどうにもならないものだと認識していたからであろう。自然の猛威の前では、人間なんて無力なのである。だからこそ、人間がコントロールできない水を自由自在にできるのは、龍しかいないものだと認識して、龍神として畏れ敬ったのではなかろうか。そして、その龍神を力で抑える存在として不動明王を奉り、龍を慰める存在として十一面観音菩薩を祀ったのだと想像できる。昔の日本人には、豊かな想像力があったように思う。

 昔の日本人は、滝と龍の関係だけでなく、龍と自分自身の心を重ね合わせたのではないかと思われる。人間の心の中には、穏やかな心と激しい心を両方持ち合わせている。その激しい心というのか、マイナスの感情と言える怒り・憎しみ・妬み・悲しみ・寂しさというようなものを、龍という存在と同化させようと思っていたのではあるまいか。それらのマイナスの感情(自己)を、出さないようにとか周りに感じ取られないように、我慢して無理して暮らしていたように思われる。マイナスの自己を悟られないように生きてきたのだ。

 何故、マイナスの自己を封じ込めたのかというと、そのような激しい感情を周りの人々にぶつけてしまうと、良い関係性を損なうと怖れたからである。しかも、自分の心にはそういう怒り・憎しみ・妬み・悲しみ・寂しさなどのマイナスの感情はないのだと、自分自身に言い聞かせてきたのである。さらには、自分の心の奥底にある無邪気で純真な心であるインナーチャイルドさえも、抑え込んでしまい生きづらい感覚を持っていたように感じる。インナーチャイルドが暴れださないように、逆に落ち込まないようにと気遣っていたのである。

 自分の心の裡にある龍(マイナスの自己やインナーチャイルド)を封じ込めて存在しないことにして生きていると、強烈な生きづらさを感じるだけでなく、自己否定感が強くなり過ぎる。そうなると、いろんなことへの挑戦意欲や苦難困難を乗り越えようとする気力さえも萎えてしまう。嫌なことや辛い出来事が続くと、益々落ち込んでメンタルがやられてしまうこともある。自分の中に存在するマイナスの自己やインナーチャイルドを、まるっきり否定してしまい存在を消そうとしてしまうと、本来の自分を見失い生きる気力を失ってしまう。

 人生に疲れ切ってしまったりメンタルがやられたり人も、滝とそこで無邪気に遊ぶ龍を眺めていると、その龍に自分を重ね合わせることで、自分を取り戻せるのである。抑え込んでしまったマイナスの自己を表出させても大丈夫だよと、滝と龍が教えてくれる。本来の無邪気で純真なインナーチャイルドを、無理に抑え込まなくてもいいんだよと、龍が囁いてくれる。無理したり我慢を繰り返したりすると、本来の自分を見失ってしまい、どう生きていいのか悩み苦しみ、人生の迷宮に迷い混んでしまう。それでも、滝とそこに遊ぶ龍と出会い、しばし龍が自由自在に遊びまわる姿を眺めることで、あるがままに生きていいんだよと悟らせてくれるのである。

※いろんな滝を巡って眺めたとしても、そこに住む龍と誰でも出会えるのかというと、けっしてそうではありません。滝を巡り龍に出会えるかどうかは、その際に同行してくれるガイド役次第だと言えます。龍とコンタクトをして、龍のように伸び伸びと無邪気に生きることの大切さを教えてもらう為には、龍を感じる感覚を鋭くしてくれるブースター役が傍らにいることが必要なのです。イスキアの郷しらかわでは、滝めぐりツアーにはガイド役(ブースター)が同行します。

パワハラ上司の取扱説明書

 パワハラ上司というのは、自己愛性の人格障害でありヒットラーのような人格を持っているから、危険極まりない人間なんだということを、ブログで警告発信したことがある。その際には、多くの方々から反響を頂いた。中には、現在パワハラ上司の下で苦労しているという方から相談も寄せられた。私たちの想像以上に、自己愛性人格障害の上司に仕えて苦しんでいる職員が多いんだと認識させられた。自分も自己愛性人格障害の上司の元で働いた経験があるが、苦しい職場生活が続くので本当に嫌になる。メンタルを病んでしまう部下も多い。

 何人かの自己愛性人格障害の上司に仕えてみて、彼らがどうして自己愛性人格障害になったのかが解ったような気がする。パワハラ上司に共通しているのは、自己否定感情が極めて強いということだ。絶対的な自己肯定感がまったく育っていないのである。自己否定感がいつも自分を支配している。だからその反動で、周りの人を自分より劣っているのだと否定することで、自分の自己否定感を慰めているのである。極めてひねくれた性格なのである。自分が一番優れていると、周りの人に思ってもらえないと気が済まないのである。

 パワハラ上司は、自信たっぷりな態度を取るし、自分が一番だと思いたがっているから、自己肯定感が高いんだろうと周りの人たちは思いがちである。しかし、自己肯定感がないから自分を必要以上に自分を大きく見せようとしたり有能だと思わせたりするのだ。なにしろ、何よりも称賛を求めたがる。上司だけでなく、部下からも誉めてもらいたいのだ。誉めてもらえないと、拗ねたりもする。パワハラ上司は他人を平気で批判したり否定したりする。ところが、自分が否定されたり批判されたりことを嫌がるし、そうされると落ち込むのだ。

 何故、パワハラ上司は自己肯定感が低くて、自己愛性人格障害の症状を起こすのかと言うと、彼は愛着障害だからである。幼児期に母親から、まるごとありのままに愛されるという経験をしていないのである。愛情不足の幼児期であったろうし、無条件の愛で包まれて育ったことがないのであろう。おそらくはダブルバインドのコミュニケーションで育てられたのだと思われる。悲惨な幼児期から少年期(少女期)を送ったと思われる。それで深刻な愛着障害を抱えてしまい、二次的症状として自己愛性人格障害の症状を呈してしまったのである。実に可哀想な人なのである。

 パワハラ上司は、自分が万能の神だと言わんばかりの横柄な態度をする。世界は自分を中心にして回っていると勘違いしているような姿勢をする。自分に逆らうような部下は絶対に許せないし、自分よりも高い能力を発揮するような部下はとことんまでいじめ抜く。ましてや、自分の地位を脅かすような部下は徹底的に貶める。自分の地位や名誉を何よりも大切にするし、上昇志向が強くて、人を蹴落としてでも出世を目指すのだ。こういうパワハラ上司に逆らうことは、命取りになりかねない。職場で生き残るには、絶対服従するしかないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えるというのは、毎日辛くて仕方ないし、メンタルが傷つくような体験を何度もさせられる。こういう上司に仕えたら、余計なことは言わないことだ。表面的には従順なふりを続けることが肝要である。そして、目立ってはいけないし、出しゃばってはならない。少なくても、パワハラ上司よりも有能なそぶりをしてはならない。特に、パワハラ上司の上役がいる場で、高い能力を発揮したらアウトである。パワハラ上司は自分よりも能力や人気がある部下が許せないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えていたら、従順な態度を取り続けるしかない。しかし、けっして心まで屈服してはならない。「ハイ、かしこまりました。おっしゃる通りです」と言いながら、後ろ向いてあかんべえをするくらいで良いのだ。心の中では、パワハラ上司を軽蔑して良いし、ああ可哀想だなと見下していいのである。彼は愛着障害という気の毒な障害者なのだから、面倒を見てあげようと思えばよい。愛着障害のパワハラ上司は、心の裡でものすごい不安感や恐怖感を持っている。自分の地位や名誉を失わないだろうか、部下に足を引っ張られないだろうかと、臆病なのだ。だから、部下を叱咤するのだ。彼の不安や恐怖心を刺激しないように過ごすのが良い。触らぬ神に祟りなしである。

メンタル疾患は適切なケアで治る

 精神疾患は完全に治癒するのが難しいと思われている。患者さんもそう思っているが、それ以上に精神疾患は治らないものだと思っているのが、精神科の医師である。さらに治らないものだと医師が認識しているのが、精神障害である。発達障害などの自閉症スペクトラムやパーソナリティ障害(人格障害)、摂食障害、パニック障害、PTSD、各種依存症などの精神障害は、医師たちは難治性のものだからと、最初から及び腰になる。患者さんにも、最初から治りにくいものだからと告知してしまう。本人も家族もそれで諦めてしまうのだ。

 

 確かに、重症の統合失調症や双極性障害は治りにくいと言われている。まだ発症してすぐの期間(2週間以内)ならば、完全治癒もあり得なくはない。しかし、発症して数年経ってから病気だと気付くケースも少なくなく、そういう場合は非常に治りにくいのも確かであろう。対症療法しか打つ手がないので、投薬治療しかないのが実情である。身体疾患と比較しても、治療期間が異常に長いのがメンタル疾患の特徴である。一旦投薬治療が始まってしまうと、減薬や断薬をするどころか、逆に薬量が増えていき、副作用も増大していく。

 

 また、定期的なカウンセリングやセラピーを受けているケースでも、治療が長期間に渡るケースが殆どである。それでも、劇的に改善するなら良いが、あまり効果が見られないケースが多い。患者さんにとっての一時的な安心の提供、または恐怖を取り除くことは一時的には可能だが、その効果は長続きしない。その証拠に、カウンセラーを次から次へと変更する患者さんが多いことが挙げられる。何故、精神疾患が治りにくいのかと言うと、本当の原因を究明しようとしていないからであり、原因を解決しようとしていないからである。

 

 また、精神障害が最初から治らないものだと匙を投げるのも、本当の原因を探求しようしていないからであり、原因を解決する術を知ろうとしないからであろう。日本の精神医療というのは、実にお粗末であって、本当に治癒させようと思っているのか疑いたくなるようなドクターが多いように思う。勿論、ドクター、セラピスト、カウンセラーはどんどんクライアントを完全治癒させてしまうと、患者さん(お客さん)が減っていってしまい、経営が成り立たなくなってしまう。日本の医療制度とは、そんなパラドックスを抱えているのだから、病人がどんどん増えていくのは当然であろう。

 

 薬品会社だって、完全に治癒させてしまう医薬品をどんどん開発したら、おまんまの食い上げである。以前、『生かさず殺さず』という言葉が使われていた時代があるが、まさに日本の医療は、生かさず殺さずに患者を繋ぎとめて行ったほうが、経営が安定していくというジレンマに陥っていると言えよう。病気になる真の原因を究明して、その原因をつぶしていけば、どんな病気だって治らない筈がないのである。それは、精神疾患だって例外ではないし、精神障害だって完全治癒とは行かないまでも、社会復帰程度まで寛解するのも不可能ではない。

 

 精神疾患や精神障害が根底にあり、不登校・ひきこもりの状態に陥ってしまっている方々を、永年に渡りサポートして気付いたことがある。それは、精神疾患と精神障害を起こしている方々は、殆ど例外なく根底に『愛着障害』があるという事実である。そして、この愛着障害が強く影響を及ぼしてしまい、二次的症状として精神疾患や精神障害を起こしているのである。それは、単純なものではなくて、もっと複雑なシステムエラーでもあるから、精神科医がこの根底となる原因を探り出せないのも当然である。

 

 ただ一人、この愛着障害が根本的な原因になって精神疾患や精神障害を起こしていると気付いていらっしゃる精神科医が存在する。それが、岡田尊司先生である。岡田先生は、適切なケアを施して見事に精神疾患や精神障害の方々を寛解させていらっしゃる数少ない精神科医だ。メンタル疾患やメンタル障害は、適切にケアすれば治るのである。愛着障害を適切な愛着アプローチで癒してあげれば、難治性のメンタル疾患だって寛解するのである。ただ、この愛着アプローチはとても難しい。専門の研修を重ねてきたセラピストやカウンセラーであっても、手こずることが多い。でも、適切なケアがされれば、メンタル疾患は必ず治るのである。

洗脳されやすいのは自己肯定感が低いから

 変なカルト宗教に騙されたり、とんでもない占い師に高額な寄付をさせられたりする人がいる。または、自己啓発セミナーに誘われて、高額な研修を次から次へと受講させられる人が少なくない。これらは、ある意味マインドコントロールや洗脳をされていると言えよう。厳密に言うと洗脳とマインドコントロールは違うものだと言われているが、社会一般では同じ意味で使用されることが多い。著名な芸能人もよく洗脳されているという話を聞くことが多いが、想像以上に多くの人々がマインドコントローや洗脳をされていると言えよう。

 

 フェイクニュースに騙され続けたり、間違ったインターネット情報に操られたりするのも、ある意味ではマインドコントロールと言えよう。トランプの熱狂的な支持者たちは、とんでもない陰謀論を信じ込まされて、マインドコントロールされていると言えなくもない。日本でも、陰謀論を信じ込んでしまい、とんでもない非科学的な証拠を鵜呑みにして情報発信する人がいる。こういう人に、騙されているんだよと優しく諭しても、マインドコントロールされているから無駄である。洗脳というのは無理に解こうとしても、解けないのだ。

 

 洗脳またはマインドコントロールを受けやすい人がいる一方で、どんなに巧妙な罠をかけられても一切騙されずに洗脳やマインドコントロールをされない人がいるのも事実だ。その違いはどこから来るものなのであろうか。イスキアの郷しらかわという不登校やひきこもりの子どもたちや若者たちを支援していて気付いたのだが、彼らもまた洗脳やマインドコントロールを受けやすいのである。そして、彼らに共通なのが自尊心や自己肯定感が異常に低いことである。その為に、騙されやすいし妄想を持ちやすいという共通項がある。

 

 どうして自己肯定感や自尊心が低いと洗脳やマインドコントロールされやすいのかといと、こういう理由からだろうと想像できる。自尊心や自己肯定感というのは、自分で努力して良い成績や実績を上げても、地位や名誉を得たとしても、一切高くなることはない。絶対的な自尊心や自己肯定感を得るかどうかは、小さい頃(2歳~4歳)の自我が芽生える時期における育てられ方に起因している。『あるがままにまるごと愛される』という育てられ方をしないと、自己肯定感や自尊心は育まれることはないのである。

 

 あるがままにまるごと愛されず、親から強く支配されたり制御されたりして育てられると、どんな時にも揺るがない自己肯定感は生まれない。言い換えると、あまりにも親から介入や干渉をされ過ぎてしまうと、自己肯定感は育たないのである。さらに、母親がひとりで子育てをしてしまうと、母性愛と父性愛の両方を同時に注いでしまうことになる。これは、ダブルバインドのコミュニケーションと言って、絶対に避けなければならない子育てになってしまう。そうすると、摂食障害や妄想性の障害などを起こすことにもなる。

 

 あるがままにまるごと愛されるという無条件の愛を注がれる子育てをされないと、子どもと親の豊かな愛着が結ばれない。つまり『愛着障害』になってしまうのである。愛着障害になってしまうと、絶対的な自己肯定感が確立されないで成長してしまう。絶対的な『安全基地』が存在しなくなってしまう。生きる上で必要な安全と絆が存在しなくなるのである。そうなると、いつも不安と恐怖感を抱えて生きることになる。見捨てられ不安やいつか見離されてしまうという怖れを抱いてしまう。回避性や逃避性のパーソナリティを持ったり、何かに依存しないと生きていけなくなったりする。

 

 つまり、いつも強烈な生きづらさを抱えてしまい、何かに救いを求めたくなるのである。言い換えると、いつも心が満たされていないから、何か別のもので心を満足させようとしてしまうのであろう。何かにすがっていないと生きていけなくなってしまうのだ。そこに付け込まれてしまうのである。新興宗教やオカルト信仰に誘い込まれるのは、こういう愛着障害の人が多い。〇〇心理学を学ぶという自己啓発セミナーに騙されるのも同じ理由からだ。スピリチュアルなセラピーに誘惑されて、高いパワーストーンを買わされるとか、高額なアロマを購入させられるのも愛着障害の人が多い。洗脳やマインドコントロールから目覚めるには、誰からかあるがまままるごと愛されて、自尊心を高めるしか方法がない。