パワハラ上司の取扱説明書

 パワハラ上司というのは、自己愛性の人格障害でありヒットラーのような人格を持っているから、危険極まりない人間なんだということを、ブログで警告発信したことがある。その際には、多くの方々から反響を頂いた。中には、現在パワハラ上司の下で苦労しているという方から相談も寄せられた。私たちの想像以上に、自己愛性人格障害の上司に仕えて苦しんでいる職員が多いんだと認識させられた。自分も自己愛性人格障害の上司の元で働いた経験があるが、苦しい職場生活が続くので本当に嫌になる。メンタルを病んでしまう部下も多い。

 何人かの自己愛性人格障害の上司に仕えてみて、彼らがどうして自己愛性人格障害になったのかが解ったような気がする。パワハラ上司に共通しているのは、自己否定感情が極めて強いということだ。絶対的な自己肯定感がまったく育っていないのである。自己否定感がいつも自分を支配している。だからその反動で、周りの人を自分より劣っているのだと否定することで、自分の自己否定感を慰めているのである。極めてひねくれた性格なのである。自分が一番優れていると、周りの人に思ってもらえないと気が済まないのである。

 パワハラ上司は、自信たっぷりな態度を取るし、自分が一番だと思いたがっているから、自己肯定感が高いんだろうと周りの人たちは思いがちである。しかし、自己肯定感がないから自分を必要以上に自分を大きく見せようとしたり有能だと思わせたりするのだ。なにしろ、何よりも称賛を求めたがる。上司だけでなく、部下からも誉めてもらいたいのだ。誉めてもらえないと、拗ねたりもする。パワハラ上司は他人を平気で批判したり否定したりする。ところが、自分が否定されたり批判されたりことを嫌がるし、そうされると落ち込むのだ。

 何故、パワハラ上司は自己肯定感が低くて、自己愛性人格障害の症状を起こすのかと言うと、彼は愛着障害だからである。幼児期に母親から、まるごとありのままに愛されるという経験をしていないのである。愛情不足の幼児期であったろうし、無条件の愛で包まれて育ったことがないのであろう。おそらくはダブルバインドのコミュニケーションで育てられたのだと思われる。悲惨な幼児期から少年期(少女期)を送ったと思われる。それで深刻な愛着障害を抱えてしまい、二次的症状として自己愛性人格障害の症状を呈してしまったのである。実に可哀想な人なのである。

 パワハラ上司は、自分が万能の神だと言わんばかりの横柄な態度をする。世界は自分を中心にして回っていると勘違いしているような姿勢をする。自分に逆らうような部下は絶対に許せないし、自分よりも高い能力を発揮するような部下はとことんまでいじめ抜く。ましてや、自分の地位を脅かすような部下は徹底的に貶める。自分の地位や名誉を何よりも大切にするし、上昇志向が強くて、人を蹴落としてでも出世を目指すのだ。こういうパワハラ上司に逆らうことは、命取りになりかねない。職場で生き残るには、絶対服従するしかないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えるというのは、毎日辛くて仕方ないし、メンタルが傷つくような体験を何度もさせられる。こういう上司に仕えたら、余計なことは言わないことだ。表面的には従順なふりを続けることが肝要である。そして、目立ってはいけないし、出しゃばってはならない。少なくても、パワハラ上司よりも有能なそぶりをしてはならない。特に、パワハラ上司の上役がいる場で、高い能力を発揮したらアウトである。パワハラ上司は自分よりも能力や人気がある部下が許せないのだ。

 こんなパワハラ上司に仕えていたら、従順な態度を取り続けるしかない。しかし、けっして心まで屈服してはならない。「ハイ、かしこまりました。おっしゃる通りです」と言いながら、後ろ向いてあかんべえをするくらいで良いのだ。心の中では、パワハラ上司を軽蔑して良いし、ああ可哀想だなと見下していいのである。彼は愛着障害という気の毒な障害者なのだから、面倒を見てあげようと思えばよい。愛着障害のパワハラ上司は、心の裡でものすごい不安感や恐怖感を持っている。自分の地位や名誉を失わないだろうか、部下に足を引っ張られないだろうかと、臆病なのだ。だから、部下を叱咤するのだ。彼の不安や恐怖心を刺激しないように過ごすのが良い。触らぬ神に祟りなしである。

メンタル疾患は適切なケアで治る

 精神疾患は完全に治癒するのが難しいと思われている。患者さんもそう思っているが、それ以上に精神疾患は治らないものだと思っているのが、精神科の医師である。さらに治らないものだと医師が認識しているのが、精神障害である。発達障害などの自閉症スペクトラムやパーソナリティ障害(人格障害)、摂食障害、パニック障害、PTSD、各種依存症などの精神障害は、医師たちは難治性のものだからと、最初から及び腰になる。患者さんにも、最初から治りにくいものだからと告知してしまう。本人も家族もそれで諦めてしまうのだ。

 

 確かに、重症の統合失調症や双極性障害は治りにくいと言われている。まだ発症してすぐの期間(2週間以内)ならば、完全治癒もあり得なくはない。しかし、発症して数年経ってから病気だと気付くケースも少なくなく、そういう場合は非常に治りにくいのも確かであろう。対症療法しか打つ手がないので、投薬治療しかないのが実情である。身体疾患と比較しても、治療期間が異常に長いのがメンタル疾患の特徴である。一旦投薬治療が始まってしまうと、減薬や断薬をするどころか、逆に薬量が増えていき、副作用も増大していく。

 

 また、定期的なカウンセリングやセラピーを受けているケースでも、治療が長期間に渡るケースが殆どである。それでも、劇的に改善するなら良いが、あまり効果が見られないケースが多い。患者さんにとっての一時的な安心の提供、または恐怖を取り除くことは一時的には可能だが、その効果は長続きしない。その証拠に、カウンセラーを次から次へと変更する患者さんが多いことが挙げられる。何故、精神疾患が治りにくいのかと言うと、本当の原因を究明しようとしていないからであり、原因を解決しようとしていないからである。

 

 また、精神障害が最初から治らないものだと匙を投げるのも、本当の原因を探求しようしていないからであり、原因を解決する術を知ろうとしないからであろう。日本の精神医療というのは、実にお粗末であって、本当に治癒させようと思っているのか疑いたくなるようなドクターが多いように思う。勿論、ドクター、セラピスト、カウンセラーはどんどんクライアントを完全治癒させてしまうと、患者さん(お客さん)が減っていってしまい、経営が成り立たなくなってしまう。日本の医療制度とは、そんなパラドックスを抱えているのだから、病人がどんどん増えていくのは当然であろう。

 

 薬品会社だって、完全に治癒させてしまう医薬品をどんどん開発したら、おまんまの食い上げである。以前、『生かさず殺さず』という言葉が使われていた時代があるが、まさに日本の医療は、生かさず殺さずに患者を繋ぎとめて行ったほうが、経営が安定していくというジレンマに陥っていると言えよう。病気になる真の原因を究明して、その原因をつぶしていけば、どんな病気だって治らない筈がないのである。それは、精神疾患だって例外ではないし、精神障害だって完全治癒とは行かないまでも、社会復帰程度まで寛解するのも不可能ではない。

 

 精神疾患や精神障害が根底にあり、不登校・ひきこもりの状態に陥ってしまっている方々を、永年に渡りサポートして気付いたことがある。それは、精神疾患と精神障害を起こしている方々は、殆ど例外なく根底に『愛着障害』があるという事実である。そして、この愛着障害が強く影響を及ぼしてしまい、二次的症状として精神疾患や精神障害を起こしているのである。それは、単純なものではなくて、もっと複雑なシステムエラーでもあるから、精神科医がこの根底となる原因を探り出せないのも当然である。

 

 ただ一人、この愛着障害が根本的な原因になって精神疾患や精神障害を起こしていると気付いていらっしゃる精神科医が存在する。それが、岡田尊司先生である。岡田先生は、適切なケアを施して見事に精神疾患や精神障害の方々を寛解させていらっしゃる数少ない精神科医だ。メンタル疾患やメンタル障害は、適切にケアすれば治るのである。愛着障害を適切な愛着アプローチで癒してあげれば、難治性のメンタル疾患だって寛解するのである。ただ、この愛着アプローチはとても難しい。専門の研修を重ねてきたセラピストやカウンセラーであっても、手こずることが多い。でも、適切なケアがされれば、メンタル疾患は必ず治るのである。

洗脳されやすいのは自己肯定感が低いから

 変なカルト宗教に騙されたり、とんでもない占い師に高額な寄付をさせられたりする人がいる。または、自己啓発セミナーに誘われて、高額な研修を次から次へと受講させられる人が少なくない。これらは、ある意味マインドコントロールや洗脳をされていると言えよう。厳密に言うと洗脳とマインドコントロールは違うものだと言われているが、社会一般では同じ意味で使用されることが多い。著名な芸能人もよく洗脳されているという話を聞くことが多いが、想像以上に多くの人々がマインドコントローや洗脳をされていると言えよう。

 

 フェイクニュースに騙され続けたり、間違ったインターネット情報に操られたりするのも、ある意味ではマインドコントロールと言えよう。トランプの熱狂的な支持者たちは、とんでもない陰謀論を信じ込まされて、マインドコントロールされていると言えなくもない。日本でも、陰謀論を信じ込んでしまい、とんでもない非科学的な証拠を鵜呑みにして情報発信する人がいる。こういう人に、騙されているんだよと優しく諭しても、マインドコントロールされているから無駄である。洗脳というのは無理に解こうとしても、解けないのだ。

 

 洗脳またはマインドコントロールを受けやすい人がいる一方で、どんなに巧妙な罠をかけられても一切騙されずに洗脳やマインドコントロールをされない人がいるのも事実だ。その違いはどこから来るものなのであろうか。イスキアの郷しらかわという不登校やひきこもりの子どもたちや若者たちを支援していて気付いたのだが、彼らもまた洗脳やマインドコントロールを受けやすいのである。そして、彼らに共通なのが自尊心や自己肯定感が異常に低いことである。その為に、騙されやすいし妄想を持ちやすいという共通項がある。

 

 どうして自己肯定感や自尊心が低いと洗脳やマインドコントロールされやすいのかといと、こういう理由からだろうと想像できる。自尊心や自己肯定感というのは、自分で努力して良い成績や実績を上げても、地位や名誉を得たとしても、一切高くなることはない。絶対的な自尊心や自己肯定感を得るかどうかは、小さい頃(2歳~4歳)の自我が芽生える時期における育てられ方に起因している。『あるがままにまるごと愛される』という育てられ方をしないと、自己肯定感や自尊心は育まれることはないのである。

 

 あるがままにまるごと愛されず、親から強く支配されたり制御されたりして育てられると、どんな時にも揺るがない自己肯定感は生まれない。言い換えると、あまりにも親から介入や干渉をされ過ぎてしまうと、自己肯定感は育たないのである。さらに、母親がひとりで子育てをしてしまうと、母性愛と父性愛の両方を同時に注いでしまうことになる。これは、ダブルバインドのコミュニケーションと言って、絶対に避けなければならない子育てになってしまう。そうすると、摂食障害や妄想性の障害などを起こすことにもなる。

 

 あるがままにまるごと愛されるという無条件の愛を注がれる子育てをされないと、子どもと親の豊かな愛着が結ばれない。つまり『愛着障害』になってしまうのである。愛着障害になってしまうと、絶対的な自己肯定感が確立されないで成長してしまう。絶対的な『安全基地』が存在しなくなってしまう。生きる上で必要な安全と絆が存在しなくなるのである。そうなると、いつも不安と恐怖感を抱えて生きることになる。見捨てられ不安やいつか見離されてしまうという怖れを抱いてしまう。回避性や逃避性のパーソナリティを持ったり、何かに依存しないと生きていけなくなったりする。

 

 つまり、いつも強烈な生きづらさを抱えてしまい、何かに救いを求めたくなるのである。言い換えると、いつも心が満たされていないから、何か別のもので心を満足させようとしてしまうのであろう。何かにすがっていないと生きていけなくなってしまうのだ。そこに付け込まれてしまうのである。新興宗教やオカルト信仰に誘い込まれるのは、こういう愛着障害の人が多い。〇〇心理学を学ぶという自己啓発セミナーに騙されるのも同じ理由からだ。スピリチュアルなセラピーに誘惑されて、高いパワーストーンを買わされるとか、高額なアロマを購入させられるのも愛着障害の人が多い。洗脳やマインドコントロールから目覚めるには、誰からかあるがまままるごと愛されて、自尊心を高めるしか方法がない。

自分の目で自分を見ていないから心が傷つく

 メンタルが傷ついているクライアントに、「自分のことを自分の目で見ていますか」と尋ねると、この人は何を言っているの?と不思議な顔をされることが多い。それで、「あなたはいつも他人の目を通して自分を観ているのではありませんか?」と聞いてみる。それで、ようやく質問の意図を理解してくれる。言われてみると、確かに自分はいつも自分のことを他人からの評価や批判を気にして観察してしまっていると気付いてくれる。自分を主体的に観察するのでなく、客観的もしくは第三者的に自分を観ているのである。

 

 こんな話をすると、自分を客観的に観るのはいけないのですか?と憮然としながら問われる。勿論、自分を第三者からの目で観ることも必要である。自分の基準だけで自分を見てしまうと、身勝手で自己中心的な見方になってしまう。他人からの目で自分を観るのも、時には必要である。だとしても、自分をまるっきり他人の目だけで見てしまうと、批判されているのではないかと、けなされているのではないかと、気になって仕方ない。そして、やがては他人の目が怖くて人目を避けたくなってしまう。

 

 どうして、そんなふうに他人の目で自分を観てしまうのであろうか。それは、小さい頃より親や祖父母から、そんなことをしてしまうとみんなから軽蔑されるよ、嫌われるよと、いつも他人の目を意識させられてきたからであろう。そればかりではない。こんなことしちゃ駄目じゃない、こうしないといけないよと言われ続けて、否定され批判されコントロールされて育てられたからである。小さい頃から、このように干渉や介入をされ続けて育てられると、『自己組織化』ができないばかりか、自己肯定感が育たないのだ。

 

 この自己肯定感や自尊心が健全に育たないと、自己の確立が不可能になるのである。つまり、アイデンテティが確立されないということである。アイデンテティとは『自己証明』とも訳され、自分が自分であることの証明であり、自分らしさを認め受け容れているということでもある。このアイデンテティの確立がされていないと、自分に自信が持てないし、自分の進むべき道や生きる確信が持てないから、いつも不安や恐怖を抱えながら生きてしまうのである。自分の目で自分を見られなくて、他人の目で自分を見てしまうのである。

 

 自己肯定感や自尊感情がなくて大人になってしまうと、いつも不安や恐怖にさいなまれ、社会に出ていくのが怖くなる。ちょっとした失敗や挫折でも、それがトラウマ化してしまうことになる。または、冗談めかしたセクハラやパワハラでもメンタルがやられてしまうし、メンタル疾患になりやすい。パニック障害やPTSDになることも多い。ましてや、世の中は不安だらけだし、人に出会うのも怖い。人の目にいつもびくびくしながら生きるようになる。しまいには、家庭や自分の部屋にひきこもってしまうことにもなる。

 

 メンタルを病んでいる方々は、自己肯定感や自尊心が育まれていないことが多い。そして、自分のことを自分の目で見ていないし、他人の目で自分を見ようとしてしまう。だから、他人からの評価や批判をいつも気にするし、地位とか名誉とかに固執することが多い。学歴、経歴、資格などにこだわる。自尊感情が低いからその反動で、自分を必要以上に大きく強く見せようとするし、他人を否定し蹴落としたくなる。学校や職場でいじめをする人というのは、実は自己否定感が強い人である。セクハラ、パワハラ、モラハラを繰り返す人というのは、自尊感情があまりにも低い人なのである。

 

 メンタル疾患になる人、不登校やひきこもりになる人というのは、自尊感情や自己肯定感の低い人である。いじめられる側といじめる側に分かれるのは、自己否定感から来る怒りや憎しみの感情が、自分に向かうか他人に向かうかの違いであろう。あまりにも自己否定感が強いから、その否定感を打ち消す為に、他人を否定しようとして攻撃するのだと思われる。一方、気が弱い人はその攻撃性が自分に向かうのであろう。いずれにしても、どちらも自分のこと自分の目で見ずに、他人の目で自分を見ている傾向がある。自分のことを自分の目で見ると言う習慣を意識して身に付けたいものである。

車を選ぶ心理から読み解く人格診断

 新車を選ぶのは、実に楽しいものだ。新車が納入されて、初めて乗る喜びも大きいが、それ以上に車種を選んで悩む時が一番楽しい気がする。性能、デザイン、価格、維持費、アフターサービスなどを総合的に分析し、車種を決定することになる。いろんなカタログを取り寄せて、穴が開くほど見つめる。さらには、ディーラーを訪れて実際に見て触れて試乗して確認する。そして、車種が決まると最終的に色やグレードを決めることになる。カラーを第一選択肢とするケースもあるだろう。家族構成も選ぶ際の大事な要素である。乳幼児や家族が大勢いれば、ワゴン車を選ぶだろう。あれがいいこれがいいと選んでいる時が一番楽しいのである。

 

 ここのメーカーでないと駄目だというユーザーもいる。または、ディーラーに対して絶対的な信頼を置いているので、そのお店以外では車を買わないと決めている人もいる。当然、限られた車種から選ぶことになる。環境保護や燃費の観点から、電気自動車やハイブリッドの車を選択する人が増えてきた。SUV車やワンボックスカーでもハイブリッドの低燃費車が増えたせいもあろう。でも、一方では相も変わらず、図体の大きい燃費の悪いRV車を購入する根強いファンがいる。面白いのは、アウトドア派でもないのに大型のRV車を選ぶ人がいるということである。自分のライフスタイルに合わせて車選びをするのでなく、ただ単に見栄や自己満足の為に車を選択しているとしたら、実に愚かしい行為である。

 

 最近の車のデザインを観察すると、流行りなのだろうが、ほとんどの車でフロントマスクに特徴が出ている。きりっとしたフロントマスクというよりは、どちらかというと見る人を威圧しそうなデザインが多い。ヘッドライトは外側のほうがつり上がっていて、まるで怒って目を吊り上げた顔のようなフロントマスクになっている。歌舞伎役者のような顔を思わせる。狭い道でこんな車に出会ったら、思わず道を譲るだろう。デザイナーの好みなのか、それともこのようなデザインにしないと車が売れないのか分からないが、流行しているのは間違いない。美しいとはお世辞にも言えないデザインだが、このようなフロントマスクの車に乗っている人々は、このデザインを気に入っているようである。

 

 さらに、どうしてこんな色の車を選んでしまうのだろうかと思うのだが、黒色の車を選ぶ人が多い。黒ではなくて微妙に紫色や茶が入っているらしいが、まるで黒色にしか見えない。歌舞伎役者のように怒ったようなフロントマスクといい、黒色の車といい、どうしてこのようなデザインと色の車を人は選んでしまうのか不思議としか思えない。必要以上に大型の車もそうだし、人に威圧感を与えるようなデザインと色の車を何故乗りたがるのだろうか。あまりにも強そうな車を選ぶのは、潜在意識がこのような車を選ばせているのかもしれない。このような車を選ぶ人は、何らかの精神的な偏りがあり、その深層意識がわざと人を威圧するような車を選ばせていると考えたほうが自然であろう。

 

 それはどんな潜在意識かというと、強烈な自己否定感情であろう。または、自分に対する自己承認力の低さであろう。その反動で、自分を大きく強く見せようと無意識下で思うに違いない。攻撃的な性格を見せることも多い。だから、必要以上に大きい車、あえて注目を浴びるような車、自慢できるような車、自己顕示が出来る車、自分を強く見せられるようなデザインと色の車を選ぶのだ。心理学的に分析すると、車やファッションで必要以上に自分を偉大に見せようとするに違いない。ということは、自己否定感情の巨大化と自尊心の低さが、巨大なRV車や黒い車の選択をさせていると言えるだろう。

 

 すべての人がそうだとは言えないが、自己否定感や自己不承認感の強い人というのは、自己の確立が出来ておらず、自我の段階に留まっている人である。いわゆるアイデンテティーが確立されていない人間であろう。こういう人は、身に付けるファッションにも同じ傾向がある。黒い色の服や派手色の洋服を選ぶし、人を威圧するようなデザインのファッションにしやすい。ブランドもので着飾ることも多い。時計や装飾品も、ブランド品やギラギラするようなものを身に付ける。髭を生やす人も少なくない。こういう人は、強引な運転や威圧的な運転をしやすい。このような人間が増えているというのは危険なことであり、実に情けないことでもある。こういう車が後ろからやって来たら、事故に巻き込まれたりあおり運転をされたりするから、先を譲ったほうが賢明だ。

どん底に大地ありとU理論

「どん底に大地あり」と言ったのは、長崎の原爆被爆者で放射線医の永田隆先生である。奥さんを原爆で失い、本人も原爆後遺症の白血病で苦しみながら、原爆病の研究を続けた。その永田先生は、苦しい境遇の若者から「神は本当にいるのですか?」と問われ、「どん底まで落ちろ」と答えたらしい。そして、「どん底に大地あり」と続けた。どん底にも自分の足で立つ地面がある。一度どん底に落ちて、そこで大地を踏みしめた人にしか、本当の幸福は感じられないし、得られないという意味であろう。けだし名言である。

 

永井先生はクリスチャンで、あの名曲「長崎の鐘」が出来るきっかけを作った人物でもある。永井博士の病室兼書斎を「如己堂」と言う。自身の生きる指針としていた新約聖書の一説 「己の如く人を愛せよ」からその名がつけられたと伝えられる。放射線医として、原爆で大けがを負いながらも被爆者たちの治療を続けて、43歳という若さで力が尽きた。永井先生の言いたかったのは、人間が真の自立を確立するには、精神的にどん底に一度落ち込む必要があるということではなかろうか。それは心理学でも、U理論として確立されているものだ。

 

そのどん底というのは、とことんまで不幸な境遇のことだと思いがちだ。しかし、そのどん底というのは、精神的にどん底に落ち込むという経験のことである。人間というのは、本来誰にも知られたくない醜さや弱さを持っている。身勝手で果てしない欲望を持つし、汚れた心を持っている。このようなマイナスの自己を自分が持っていることを認めたくないし、ないことにしまっている。ところが、苦難困難や人間関係での破綻を経たり、メンタルをとことん病んだりして、このマイナスの自己を自分が持っていることをある時に気付くのである。これが精神的などん底である。

 

人間という生き物は、うつ状態や抑うつの心理状態に追い込まれるのを避けたがる。自分に対する否定感情を持ちたくないのだ。だから、自分自身の中に存在する醜くて弱い心をないことにして生きている。または、敢えてそういうマイナスの自己を持っていることを気付かないようにしているのである。つまり、自分はプラスの自己だけを持っていると思いたがるのだ。マイナスの自己を持っている自分のことがとことん嫌になって、精神的などん底に追い込まれるのを避けたいのである。例え落ち込んだとしても、どん底までは落ちず、中途半端なレベルで浮き上がろうとする。

 

このように、中途半端な落ち込みで浮き上がってしまうと、その後何度も落ち込みを経験することになる。何度も何度も辛い目に遭ったり、苦しい経験を繰り返したりするのは、どん底の精神状態まで落ちこまずに逃げていたからである。自分のマイナスの自己である醜さや弱さを、認め受け容れて、とことん追求して糾弾することは、ある意味恐怖である。自分の嫌な部分を素直に認めると、自分を嫌いになり立ち直れなくなる。生きる意味や生きる目的を見失うことになるかもしれないからだ。ところが、それはまるで逆なのである。

 

人間は、誰でも自分自身の心の奥底に醜さや弱さを持っている。汚れた自己を持つ。それを心から認め受け容れて、自分自身が嫌になり精神的などん底に落ち込まないと、真の自己確立が出来ない。何故ならば、自分の中にそんなマイナスの自己をないことにしてしまっていると、関係する相手にそのマイナスの自己を発見した時に、相手を赦せないし、受け容れることができない。例えば、配偶者や恋人、自分の親や子に、そんなマイナスの自己を発見したら、嫌いになってしまうし愛せなくなる。マイナスの自己を持つ自分を赦し愛せないと、自分に関わる相手をまるごと愛せなくなるのだ。

 

U理論というのは、一度精神的にとことん落ち込んで、どん底であるUの底から這いあがることである。つまり、自分の醜さや弱さ、そして心の穢れを認め受け容れて、精神的にとことん落ち込んでから、浮かび上がる(立ち直る)ということである。このように自分のマイナスの自己を素直に認めることができる人は、日本人では極めて少ないような気がする。だから、自分をまるごとありのままに愛せないのかもしれない。日本人は、自分を振り返ることが苦手だし、自分と素直に対話することさえしないように思う。日本人の多くの人に、U理論を知ってほしいし、どん底にこそ大地があることを認識してもらいたい。怖がらずにどん底まで落ちてみようではないか。

悲劇のヒロイン症候群

悲劇のヒロインのような人生だけは送りたくないと、誰しも強く思うことだろう。でも、自分が悲劇のヒロインのような人生を自ら招いていると知ったら、驚くに違いない。もし、自分の現状が悲劇のヒロインのように、何もかも上手く行かずに悩んでいたとしたら、それは悲劇のヒロイン症候群に陥っているのかもしれない。勿論、そんな疾患名は存在しない。しかし、世の中にはこの悲劇のヒロイン症候群で苦しんでいる人が実に多いし、その事実に気付いていない。この事実を知って適切に対応すれば、悲劇のヒロインから抜け出せるのに。

 

誰だって悲劇のヒロインのような生活を望んではいない。でも、何故か自分の人生は不遇であり、やることなすこと裏目に出てしまう。今度は頑張ろうと思っていても、同じような失敗を繰り返してしまう。学校や職場で人間関係が上手く行かず、不登校になったりひきこもりになったりしてしまう。恋人やパートナーとも上手く行かず、いつも喧嘩別れをしたり捨てられたりすることが多い。結婚しても夫とは正常なコミュニケーションが取れず、DVやモラハラを受けてしまいがちだ。そんな女性が実に多いのである。

 

この悲劇のヒロイン症候群というのは、正式な病名ではないがパーソナリティの欠陥による心の病気だ。メンタルモデルに問題がある為に、知らず知らずのうちに悲劇のヒロインのような役割を演じてしまうのである。代理ミュンヒハウゼン症候群という病気がある。これは、怪我したり病気になったりしているように偽って周りに振舞って注目を集めるという心の病である。しかし、悲劇のヒロイン症候群は、不幸な人生を実際に招いてしまうのである。そして、悲劇のヒロインのような人生を送り続けてしまう恐ろしい心の病と言えよう。

 

この悲劇のヒロイン症候群は、それだけに止まらない。酷くなると、実際に心身の疾患を発症してしまうのである。パニック障害、PTSD、うつ病、双極性障害、各種依存症、PMS、PMDD、妄想性障害などのメンタル疾患を発症してしまう。めまい、突発性難聴、不定愁訴症候群から始まり、乳がん、子宮がん、卵巣がんなどの重篤な身体疾患を発症することも少なくない。最近特に多いのが、原因不明のしびれや痛みである。心因性疼痛、線維筋痛症などの神経性疼痛で悩まされる女性が多い。悲劇のヒロイン症候群の影響である。

 

どうして自らが悲劇のヒロインのような役割を演じてしまうのかというと、端的に言えば愛情不足からである。愛に飢えているから、愛を渇望している。それも、乳幼児期における子育てに問題があり、あるがままの自分をまるごと愛される経験をしていない。だから、自尊感情が育っておらず、自己否定感が強い。両親、とりわけ母親からの無条件の愛(母性愛)が不足しているから、いつも満たされない心が存在する。悲劇のヒロインになって周りから同情を得て、愛してもらいたいのである。そして、強烈な生きづらさを抱えて生きている。悲劇のヒロイン症候群の根底には愛着障害が存在しているのである。

 

自分では親からたっぷりと愛情を受けて育ったから、愛着障害ではないと思っている人が多い。しかし、その愛情は過干渉や過介入の愛であり、支配愛や所有愛である。無条件の愛、または無償の愛ではなくて、親の思い通りの人生を歩むように仕組まれた愛である。ダブルバインドという極端な子育てをされているケースも多い。その証拠に、成人すると母親と一緒にいると気詰まりになったり不機嫌な気持ちになったりすることが多い。母親との豊かな愛着が形成されていないからである。母親もまた愛着障害なのであるから、子どももまた愛着障害になるのは当然である。愛着障害は世代間連鎖するのである。

 

悲劇のヒロイン症候群は一生治らないのかというと、けっしてそうではない。まずは、自分が愛着障害であるということを認識することが必要だ。そのうえで、適切な愛着アプローチ受ければ愛着障害を癒すことができる。そうすれば、悲劇のヒロイン症候群を乗り越えられる。一番手っ取り早いのは、母親の愛着障害を癒すことである。しかし、母親が70代になってしまうと愛着障害を修復するのは難しい。安定した愛着を持ち、共感的メンタライジング能力に長けたセラピストによる愛着アプローチを受ければ、愛着障害を修復することができる。そうすれば、悲劇のヒロイン症候群から抜け出せるであろう。

※イスキアの郷しらかわでは、悲劇のヒロイン症候群(愛着障害)を乗り越えるサポートをしています。自分で悲劇のヒロイン症候群ではないかと気づき、なんとか乗り越えたいと思っている方は問い合わせフォームからご相談ください。

     

    SNS上で誹謗中傷をする訳

    SNS上で執拗に誹謗中傷をされて、自殺をしてしまった著名人の痛ましいニュースが先日流れていた。こういう悲惨なケースは日本だけでなく、隣国の韓国でも起きている。世界的にみても、著名人だけでなく一般人もSNS上で誹謗中傷されるケースは少なくない。自殺として取り扱われているものの、実質的には殺人と言っても過言ではないだろう。こういう誹謗中傷のコメントやリツィートをする人間というのは、まったく反省をしないだろうし、自分は正義を実行しているに過ぎないと思っているから始末に負えない。

     

    このような誹謗中傷を繰り返して実行している輩は、想像している以上に多い。しかも、自分では悪意を持って誹謗中傷をしているという自覚がないので、どんどんエスカレートしていく。SNSにおいて批判的なコメントをされたことを、自分も何度も経験している。知人・友人も嫌な目に遭っている。中には批判的なコメントを何度もされたことでSNSを止めてしまった人もいるし、メンタルを病んでしまった人さえいる。自分は匿名という安心安全な場所に居て、他人を一方的に傷つけるなんて、なんと卑劣なふるまいであろうか。

     

    そもそもSNSというのは、個人の日常を日記としてアップしたり一個人の意見・感想を述べたりする場であり、社会全体に何かを主張している訳ではない。勿論、大統領とか首相などの著名人による発信であるならば、それを政治的に利用しているのだから、批判や否定をされることは織り込み済みなので、仕方ないと言えよう。しかし、あくまでも一般人としての発信で、特定の人を傷つけるような内容でないのなら、取り立てて非難したり否定したりする必要もない。考えが違うなら、こんな意見もあるんだなと、スルーすべきである。

     

    ところが、あくまでも私的な日記や意見発信に対して、批判的なコメントをするばかりか、滔々と自分の反対意見を述べる人もいる。さらには、性格や人格までも否定的して攻撃する輩もいる。自分の意見を述べたいのであれば、自分のサイトで発信すべきであり、他人のサイトでコメントとして意見を述べるべきではない。こういう人間に限って、自分は否定されることを極端に嫌う。だから、怖くて自分のサイトでは、差支えのない情報発信しかしないのである。中には、自分のSNSではまったく情報発信しない臆病者もいる。

     

    このような他人のSNS上で誹謗中傷を繰り返すような人間は、自己愛性のパーソナリティ障害を持つと思われる。他人を否定したり貶めたりするコメントをして、自分自身を肯定したり優越感を持ったりして自己満足するのである。自分は有能な人間であり、誰よりも優れていると思いたがる傾向にある。あらゆることに精通していて、自分は何でもできるという自己万能感に溢れている。そして、自分は特別な存在だから、何でも許されると勘違いしている。だから、人を傷つけるようなことを平気で行うのである。

     

    それでは、何故に自己愛性のパーソナリティ障害の症状を持ってしまったのかというと、根底には自己肯定感や自尊感情の欠如があるのだ。つまり、自分では気づいていない強烈な自己否定感を抱えているのである。自己愛感情が欠落しているのである。だから自分を必要以上に肯定したがるのだ。それもかなりひねくれていて、自分の自己否定感を誤魔化すために、他人を蹴落とす行為をするのである。そんなことをしても、真の自尊感情は高まらないのに、他人のSNS上で誹謗中傷を繰り返して、自己を肯定したがるという複雑な心理状態を示すのだ。実に困った人物なのである。

     

    どうして自己愛性のパーソナリティ障害を持つに至ったかというと、根底に『愛着障害』を抱えているからである。両親特に母親から、まるごとありのままに愛されるという体験を積んでいないのである。つまり、自尊感情や自己肯定感を持てないのは、母親との良好な愛着が結ばれていないからなのだ。ある意味、犠牲者でもある。とは言いながら、自分の愛着障害と自己愛性のパーソナリティ障害に気付かないと、一生嫌われ者で生きることになる。他人のSNS上で批判的なコメントをしたがる人は、自分の異常さに気付いてほしい。そして、自分自身の愛着障害を癒して、他人を誹謗中傷することを止めてほしいものである。

    自己愛性パーソナリティ障害の上司

    職場で自分の直属上司が、自己愛性パーソナリティ障害であるという悲惨なケースがある。こういう場合、陰湿なパワハラやセクハラ、モラハラで部下を徹底的に攻撃してくる。それだけでなく、ハラスメントすれすれで、部下の嫌がる言葉をこれでもかとマシンガンのように浴びせかけてくる。部下に対しては、高圧的な態度で接してくるのに、自分の上司や役員には取り入るのが得意で、仕事ができるというアピールが上手いから評価が高い。したがって、ハラスメントを会社側に訴えても取り上げてもらえず、泣き寝入りせざるをえない。

    自己愛性のパーソナリティ障害(自己愛性PD)を持つ人間が、企業内や組織内で管理職になってしまうとその職場は大変なことになる。なにしろ、自己愛性PDの人間というのは極端に称賛を求める傾向にある。そして権力志向が強い。地位とか名誉、そして評価を何よりも強く求める。そのためには、手段を択ばず他人を蹴落とすことも平気でするし、自分の敵になりそうな人間は徹底的に追い落とす。自分の利益になることしかしないし、損か得かが行動する基準になる。部下の実績を自分のものにするし、ミスを部下に押し付ける。

    歴史上有名な人で、強烈な自己愛性PDを持つ人物がいた。この人物のことを知れば、自己愛性PDの人物というのが、いかに危険かということが解ろう。その人物とは、ハインリヒ・ヒットラーである。彼は、権力を掌中に収めるために、あらゆる手段を講じた。秘密警察ゲシュタポを用いて、敵対する政治家たちを闇に葬った。恐怖を用いて人々の心を支配し、自分に味方せざるを得ないように仕向けたのである。このような人物が職場にいたら、そして管理者になったら最悪だということがよく分かるだろう。

    自己愛性PDの上司がいる職場というのは、周りの人々がメンタルを病んでしまうことになる。休職に追い込まれて、退職を余儀なくされるケースも少なくない。だから、職員の定着率が悪く、社員の入れ替わりが激しい。実に巧妙なやり方で、心をへこませる。自分の意見だと相手に言わないで、皆がこう言っていたよと自分の個人的意見なのに、さも全員の意見のように伝える。このように言われた当人は、多くの人がそういう評価をするんだから、自分が駄目なんだと思い込んでしまう。こうやって同僚や部下を攻撃するのである。

    このような自己愛性PDの上司と、職場ではどのように対応すれば良いのだろうか。どのように接すれば、自分が攻撃の対象にならないのであろうか。勿論、闘って勝てる見込みがあるのなら、攻撃してもよい。その際には、職場における多くの管理職が味方をしてくれるという確信がなければ闘ってはならない。そして、確かなハラスメントの証拠やコンプライアンス違反の証拠を集めてから、闘いをしなければならない。そうでなければ、このような自己愛性PDの上司とは闘わないで、上手にあしらうことを勧めたい。

    自己愛性PDの特性を上手に利用することで、この上司と問題なく接することが可能となる。自己愛性PDの人間は、称賛されることが何よりも大好きなのである。それも、歯の浮くようなお世辞にも喜ぶのだから不思議である。だから、ヨイショをすることが大切なのである。そして、けっして反抗をしてはならないし、会議や公の場でこの上司に反抗したり、プライドを傷つけたりする行為は禁物である。じっと我慢することが求められる。そうすれば、少なくても自分のほうに攻撃の矛先が向かうことはないだろう。

    とは言いながら、自分の正義感や価値観に反する言動をするということになるから、大きなストレスが伴うことになる。まるで太鼓持ちのような言動をするというのは、正直言って辛いものである。本当の心と違う行動をするというのは、自分を否定しまうようで苦しい。だから、けっして心まで相手に売り渡してはならないのである。あくまでも、相手は悪魔のような存在である。自分の身を守るための、仕方ない防衛行為なんだと心得るようにしたい。自己愛性PDの上司を称賛した後で、後ろを振り向いてあかんべえをすることが肝心だ。

    さらに、自己愛性PDの上司の問題ある言動をメモしておくか、録音しておくことを勧めたい。ハラスメントや規則違反の証拠を積み重ねておいて、いつかは反撃の機会を伺うことが必要である。それが、自分の正義感や価値観を損なわない秘訣でもある。将来は、自己愛性PDの上司をぎゃふんと言わせたり駆逐したりするんだと思えば、どんな苦しいことでも耐えられるものである。くれぐれも、そのことを誰にも内緒にすることも大事なことである。もし、本当に信頼できる同僚がいたら協力して証拠集めをするのも良い。正義は必ず勝つのである。

    セックスレス夫婦になる本当の訳

    男どうしならセックスレス夫婦だなんてことは軽々しく言えないみたいだが、女性どうしではこんな状況にあると平気で話題にするらしい。そして、セックスレス夫婦が想像以上に多いというから驚きである。高齢者夫婦ならそれもあり得るが、若い夫婦にも夜の営みがないというケースが多いらしい。統計調査を取りにくいこともあり、公にはされていないが、周りの知っている夫婦は、殆どがセックスレスだというのだ。特に、第一子を設けてからセックスレスになってしまう夫婦が非常に多く、第二子以降出来ないケースも多い。

    セックスレス夫婦の方にそうなってしまった原因を聞いてみると、驚くことに特に理由もないし、男性にとっては思い当たる原因もないというのである。そして、セックスがなくなったことで不自由感もないし、それが当たり前の夫婦生活になってしまっているというのである。どうやら男性側からも、そして女性側からも求めることがなくなり、自然とセックスレスに陥っていて、それが自然な流れとして定着しているらしい。夫婦仲が特別悪い訳ではないし、一緒に買い物したり食事もしたりするが、夜の交渉だけはないというのだ。それが何年間にも及んでいるので、いまさらどうしようとも思わないという。

    これは由々しき大問題である。それでなくても少子化が社会問題になっているのに、その流れが加速してしまうではないか。ましてや、夫婦関係というのは複雑である。身も心も許し合ってこそ、お互いの信頼関係も深まろうというもの。それが精神的なつながりだけでは、夫婦関係が破綻しかねない。最近は、離婚する若い夫婦が増えているし、仮面夫婦が以外に多いというが、セックスレスがそれを後押ししているかもしれない。夫婦関係だけでなく、恋人関係でも性関係のないカップルが増えているらしいのである。

    日本では、互いの愛情が感じられず、夫婦の性交渉がなくなってしまっても、そのまま夫婦関係を続行するケースが多い。しかし、フランスではカップルの愛情が冷めてしまったら、即離婚するか同居を止めるという。何故ならば、愛情がないのに一緒にいる必然性がないというのである。子どもが居ようとも、それがかすがいになって離婚を思い止まることはない。愛情のなくなった夫婦が一緒にいることによって、子育てにおける悪影響のほうが大きいと認識しているからだ。フランス人は戸籍に縛られることがないと言える。

    日本において、夫婦に性交渉が途絶えてしまう本当の原因を、深層心理学的に考察してみよう。人間という生き物は、本来自己組織化する働きを持つ。つまり、生まれつき主体性・自発性・自主性を持ち、自分の生き方に対して責任性を持つのである。ところが、夫婦として籍を入れると、男性が主要な人生の選択・決定においては主導権を持ちたがる。日常の生活における衣食住の簡易なものは女性が主導権を持つが、重要な決定事項は夫が持ちたがる。そして、夜の営みも男性が主体性を持ちたがるというか、それが当たり前だという先入観念に縛られていて、女性がその選択権を持ってはいけないと思うらしい。

    夫が性交渉を望めば、妻がそれに応じるのは当然で、拒否権がないと勘違いしている。本来は、男性だけにその決定権はない筈なのに、男性上位の古い価値観に縛られているが故に、性関係を持つかどうかは男性が握っていると思いがちである。そして、妻である女性はそれに従うことが、自らの自己組織性を発揮することを阻害されてしまうことから、嫌がる傾向を持つのである。そして男性は、性関係を持ちたいと思いながら、お願いしてまで性交渉を持つことを嫌う。女性に性交渉の決定権を与えるくらいなら、我慢しようと思うのではなかろうか。こうして、夫側も妻側も性関係を望まなくなってしまうと思われる。

    特に、精神的にも経済的にも自立した妻は、この傾向が強い。身も心も夫に依存している夫婦関係であれば、セックスレス夫婦になる確率は低い。ところが最近の女性は、夫に依存した生き方は間違っていると気付き、すっかり自立している。故に、自らの自己組織性を発揮した生き方をしている妻は、自分を見下したような夫の要求に応えることは、アイデンテティを否定されるようで許せないのである。夫が妻の尊厳を認め受け容れ、妻の生き方を尊重することが出来れば、互いの自己組織性を進化させることが出来る。そうすれば、妻の話を傾聴し気持ちに共感できるし、性交渉を嫌がる気持ちも理解できる。妻の微妙な心の揺れ動きも感じることが可能になる。妻を自分が所有していると勘違いし、妻を支配し制御したがるような夫に、妻は身を任せようとはしないのだ。セックスレスになっている本当の原因は、夫の未熟な精神性にあると心得るべきである。