悲劇のヒロイン症候群

悲劇のヒロインのような人生だけは送りたくないと、誰しも強く思うことだろう。でも、自分が悲劇のヒロインのような人生を自ら招いていると知ったら、驚くに違いない。もし、自分の現状が悲劇のヒロインのように、何もかも上手く行かずに悩んでいたとしたら、それは悲劇のヒロイン症候群に陥っているのかもしれない。勿論、そんな疾患名は存在しない。しかし、世の中にはこの悲劇のヒロイン症候群で苦しんでいる人が実に多いし、その事実に気付いていない。この事実を知って適切に対応すれば、悲劇のヒロインから抜け出せるのに。

 

誰だって悲劇のヒロインのような生活を望んではいない。でも、何故か自分の人生は不遇であり、やることなすこと裏目に出てしまう。今度は頑張ろうと思っていても、同じような失敗を繰り返してしまう。学校や職場で人間関係が上手く行かず、不登校になったりひきこもりになったりしてしまう。恋人やパートナーとも上手く行かず、いつも喧嘩別れをしたり捨てられたりすることが多い。結婚しても夫とは正常なコミュニケーションが取れず、DVやモラハラを受けてしまいがちだ。そんな女性が実に多いのである。

 

この悲劇のヒロイン症候群というのは、正式な病名ではないがパーソナリティの欠陥による心の病気だ。メンタルモデルに問題がある為に、知らず知らずのうちに悲劇のヒロインのような役割を演じてしまうのである。代理ミュンヒハウゼン症候群という病気がある。これは、怪我したり病気になったりしているように偽って周りに振舞って注目を集めるという心の病である。しかし、悲劇のヒロイン症候群は、不幸な人生を実際に招いてしまうのである。そして、悲劇のヒロインのような人生を送り続けてしまう恐ろしい心の病と言えよう。

 

この悲劇のヒロイン症候群は、それだけに止まらない。酷くなると、実際に心身の疾患を発症してしまうのである。パニック障害、PTSD、うつ病、双極性障害、各種依存症、PMS、PMDD、妄想性障害などのメンタル疾患を発症してしまう。めまい、突発性難聴、不定愁訴症候群から始まり、乳がん、子宮がん、卵巣がんなどの重篤な身体疾患を発症することも少なくない。最近特に多いのが、原因不明のしびれや痛みである。心因性疼痛、線維筋痛症などの神経性疼痛で悩まされる女性が多い。悲劇のヒロイン症候群の影響である。

 

どうして自らが悲劇のヒロインのような役割を演じてしまうのかというと、端的に言えば愛情不足からである。愛に飢えているから、愛を渇望している。それも、乳幼児期における子育てに問題があり、あるがままの自分をまるごと愛される経験をしていない。だから、自尊感情が育っておらず、自己否定感が強い。両親、とりわけ母親からの無条件の愛(母性愛)が不足しているから、いつも満たされない心が存在する。悲劇のヒロインになって周りから同情を得て、愛してもらいたいのである。そして、強烈な生きづらさを抱えて生きている。悲劇のヒロイン症候群の根底には愛着障害が存在しているのである。

 

自分では親からたっぷりと愛情を受けて育ったから、愛着障害ではないと思っている人が多い。しかし、その愛情は過干渉や過介入の愛であり、支配愛や所有愛である。無条件の愛、または無償の愛ではなくて、親の思い通りの人生を歩むように仕組まれた愛である。ダブルバインドという極端な子育てをされているケースも多い。その証拠に、成人すると母親と一緒にいると気詰まりになったり不機嫌な気持ちになったりすることが多い。母親との豊かな愛着が形成されていないからである。母親もまた愛着障害なのであるから、子どももまた愛着障害になるのは当然である。愛着障害は世代間連鎖するのである。

 

悲劇のヒロイン症候群は一生治らないのかというと、けっしてそうではない。まずは、自分が愛着障害であるということを認識することが必要だ。そのうえで、適切な愛着アプローチ受ければ愛着障害を癒すことができる。そうすれば、悲劇のヒロイン症候群を乗り越えられる。一番手っ取り早いのは、母親の愛着障害を癒すことである。しかし、母親が70代になってしまうと愛着障害を修復するのは難しい。安定した愛着を持ち、共感的メンタライジング能力に長けたセラピストによる愛着アプローチを受ければ、愛着障害を修復することができる。そうすれば、悲劇のヒロイン症候群から抜け出せるであろう。

※イスキアの郷しらかわでは、悲劇のヒロイン症候群(愛着障害)を乗り越えるサポートをしています。自分で悲劇のヒロイン症候群ではないかと気づき、なんとか乗り越えたいと思っている方は問い合わせフォームからご相談ください。

 

SNS上で誹謗中傷をする訳

SNS上で執拗に誹謗中傷をされて、自殺をしてしまった著名人の痛ましいニュースが先日流れていた。こういう悲惨なケースは日本だけでなく、隣国の韓国でも起きている。世界的にみても、著名人だけでなく一般人もSNS上で誹謗中傷されるケースは少なくない。自殺として取り扱われているものの、実質的には殺人と言っても過言ではないだろう。こういう誹謗中傷のコメントやリツィートをする人間というのは、まったく反省をしないだろうし、自分は正義を実行しているに過ぎないと思っているから始末に負えない。

 

このような誹謗中傷を繰り返して実行している輩は、想像している以上に多い。しかも、自分では悪意を持って誹謗中傷をしているという自覚がないので、どんどんエスカレートしていく。SNSにおいて批判的なコメントをされたことを、自分も何度も経験している。知人・友人も嫌な目に遭っている。中には批判的なコメントを何度もされたことでSNSを止めてしまった人もいるし、メンタルを病んでしまった人さえいる。自分は匿名という安心安全な場所に居て、他人を一方的に傷つけるなんて、なんと卑劣なふるまいであろうか。

 

そもそもSNSというのは、個人の日常を日記としてアップしたり一個人の意見・感想を述べたりする場であり、社会全体に何かを主張している訳ではない。勿論、大統領とか首相などの著名人による発信であるならば、それを政治的に利用しているのだから、批判や否定をされることは織り込み済みなので、仕方ないと言えよう。しかし、あくまでも一般人としての発信で、特定の人を傷つけるような内容でないのなら、取り立てて非難したり否定したりする必要もない。考えが違うなら、こんな意見もあるんだなと、スルーすべきである。

 

ところが、あくまでも私的な日記や意見発信に対して、批判的なコメントをするばかりか、滔々と自分の反対意見を述べる人もいる。さらには、性格や人格までも否定的して攻撃する輩もいる。自分の意見を述べたいのであれば、自分のサイトで発信すべきであり、他人のサイトでコメントとして意見を述べるべきではない。こういう人間に限って、自分は否定されることを極端に嫌う。だから、怖くて自分のサイトでは、差支えのない情報発信しかしないのである。中には、自分のSNSではまったく情報発信しない臆病者もいる。

 

このような他人のSNS上で誹謗中傷を繰り返すような人間は、自己愛性のパーソナリティ障害を持つと思われる。他人を否定したり貶めたりするコメントをして、自分自身を肯定したり優越感を持ったりして自己満足するのである。自分は有能な人間であり、誰よりも優れていると思いたがる傾向にある。あらゆることに精通していて、自分は何でもできるという自己万能感に溢れている。そして、自分は特別な存在だから、何でも許されると勘違いしている。だから、人を傷つけるようなことを平気で行うのである。

 

それでは、何故に自己愛性のパーソナリティ障害の症状を持ってしまったのかというと、根底には自己肯定感や自尊感情の欠如があるのだ。つまり、自分では気づいていない強烈な自己否定感を抱えているのである。自己愛感情が欠落しているのである。だから自分を必要以上に肯定したがるのだ。それもかなりひねくれていて、自分の自己否定感を誤魔化すために、他人を蹴落とす行為をするのである。そんなことをしても、真の自尊感情は高まらないのに、他人のSNS上で誹謗中傷を繰り返して、自己を肯定したがるという複雑な心理状態を示すのだ。実に困った人物なのである。

 

どうして自己愛性のパーソナリティ障害を持つに至ったかというと、根底に『愛着障害』を抱えているからである。両親特に母親から、まるごとありのままに愛されるという体験を積んでいないのである。つまり、自尊感情や自己肯定感を持てないのは、母親との良好な愛着が結ばれていないからなのだ。ある意味、犠牲者でもある。とは言いながら、自分の愛着障害と自己愛性のパーソナリティ障害に気付かないと、一生嫌われ者で生きることになる。他人のSNS上で批判的なコメントをしたがる人は、自分の異常さに気付いてほしい。そして、自分自身の愛着障害を癒して、他人を誹謗中傷することを止めてほしいものである。

自己愛性パーソナリティ障害の上司

職場で自分の直属上司が、自己愛性パーソナリティ障害であるという悲惨なケースがある。こういう場合、陰湿なパワハラやセクハラ、モラハラで部下を徹底的に攻撃してくる。それだけでなく、ハラスメントすれすれで、部下の嫌がる言葉をこれでもかとマシンガンのように浴びせかけてくる。部下に対しては、高圧的な態度で接してくるのに、自分の上司や役員には取り入るのが得意で、仕事ができるというアピールが上手いから評価が高い。したがって、ハラスメントを会社側に訴えても取り上げてもらえず、泣き寝入りせざるをえない。

自己愛性のパーソナリティ障害(自己愛性PD)を持つ人間が、企業内や組織内で管理職になってしまうとその職場は大変なことになる。なにしろ、自己愛性PDの人間というのは極端に称賛を求める傾向にある。そして権力志向が強い。地位とか名誉、そして評価を何よりも強く求める。そのためには、手段を択ばず他人を蹴落とすことも平気でするし、自分の敵になりそうな人間は徹底的に追い落とす。自分の利益になることしかしないし、損か得かが行動する基準になる。部下の実績を自分のものにするし、ミスを部下に押し付ける。

歴史上有名な人で、強烈な自己愛性PDを持つ人物がいた。この人物のことを知れば、自己愛性PDの人物というのが、いかに危険かということが解ろう。その人物とは、ハインリヒ・ヒットラーである。彼は、権力を掌中に収めるために、あらゆる手段を講じた。秘密警察ゲシュタポを用いて、敵対する政治家たちを闇に葬った。恐怖を用いて人々の心を支配し、自分に味方せざるを得ないように仕向けたのである。このような人物が職場にいたら、そして管理者になったら最悪だということがよく分かるだろう。

自己愛性PDの上司がいる職場というのは、周りの人々がメンタルを病んでしまうことになる。休職に追い込まれて、退職を余儀なくされるケースも少なくない。だから、職員の定着率が悪く、社員の入れ替わりが激しい。実に巧妙なやり方で、心をへこませる。自分の意見だと相手に言わないで、皆がこう言っていたよと自分の個人的意見なのに、さも全員の意見のように伝える。このように言われた当人は、多くの人がそういう評価をするんだから、自分が駄目なんだと思い込んでしまう。こうやって同僚や部下を攻撃するのである。

このような自己愛性PDの上司と、職場ではどのように対応すれば良いのだろうか。どのように接すれば、自分が攻撃の対象にならないのであろうか。勿論、闘って勝てる見込みがあるのなら、攻撃してもよい。その際には、職場における多くの管理職が味方をしてくれるという確信がなければ闘ってはならない。そして、確かなハラスメントの証拠やコンプライアンス違反の証拠を集めてから、闘いをしなければならない。そうでなければ、このような自己愛性PDの上司とは闘わないで、上手にあしらうことを勧めたい。

自己愛性PDの特性を上手に利用することで、この上司と問題なく接することが可能となる。自己愛性PDの人間は、称賛されることが何よりも大好きなのである。それも、歯の浮くようなお世辞にも喜ぶのだから不思議である。だから、ヨイショをすることが大切なのである。そして、けっして反抗をしてはならないし、会議や公の場でこの上司に反抗したり、プライドを傷つけたりする行為は禁物である。じっと我慢することが求められる。そうすれば、少なくても自分のほうに攻撃の矛先が向かうことはないだろう。

とは言いながら、自分の正義感や価値観に反する言動をするということになるから、大きなストレスが伴うことになる。まるで太鼓持ちのような言動をするというのは、正直言って辛いものである。本当の心と違う行動をするというのは、自分を否定しまうようで苦しい。だから、けっして心まで相手に売り渡してはならないのである。あくまでも、相手は悪魔のような存在である。自分の身を守るための、仕方ない防衛行為なんだと心得るようにしたい。自己愛性PDの上司を称賛した後で、後ろを振り向いてあかんべえをすることが肝心だ。

さらに、自己愛性PDの上司の問題ある言動をメモしておくか、録音しておくことを勧めたい。ハラスメントや規則違反の証拠を積み重ねておいて、いつかは反撃の機会を伺うことが必要である。それが、自分の正義感や価値観を損なわない秘訣でもある。将来は、自己愛性PDの上司をぎゃふんと言わせたり駆逐したりするんだと思えば、どんな苦しいことでも耐えられるものである。くれぐれも、そのことを誰にも内緒にすることも大事なことである。もし、本当に信頼できる同僚がいたら協力して証拠集めをするのも良い。正義は必ず勝つのである。

セックスレス夫婦になる本当の訳

男どうしならセックスレス夫婦だなんてことは軽々しく言えないみたいだが、女性どうしではこんな状況にあると平気で話題にするらしい。そして、セックスレス夫婦が想像以上に多いというから驚きである。高齢者夫婦ならそれもあり得るが、若い夫婦にも夜の営みがないというケースが多いらしい。統計調査を取りにくいこともあり、公にはされていないが、周りの知っている夫婦は、殆どがセックスレスだというのだ。特に、第一子を設けてからセックスレスになってしまう夫婦が非常に多く、第二子以降出来ないケースも多い。

セックスレス夫婦の方にそうなってしまった原因を聞いてみると、驚くことに特に理由もないし、男性にとっては思い当たる原因もないというのである。そして、セックスがなくなったことで不自由感もないし、それが当たり前の夫婦生活になってしまっているというのである。どうやら男性側からも、そして女性側からも求めることがなくなり、自然とセックスレスに陥っていて、それが自然な流れとして定着しているらしい。夫婦仲が特別悪い訳ではないし、一緒に買い物したり食事もしたりするが、夜の交渉だけはないというのだ。それが何年間にも及んでいるので、いまさらどうしようとも思わないという。

これは由々しき大問題である。それでなくても少子化が社会問題になっているのに、その流れが加速してしまうではないか。ましてや、夫婦関係というのは複雑である。身も心も許し合ってこそ、お互いの信頼関係も深まろうというもの。それが精神的なつながりだけでは、夫婦関係が破綻しかねない。最近は、離婚する若い夫婦が増えているし、仮面夫婦が以外に多いというが、セックスレスがそれを後押ししているかもしれない。夫婦関係だけでなく、恋人関係でも性関係のないカップルが増えているらしいのである。

日本では、互いの愛情が感じられず、夫婦の性交渉がなくなってしまっても、そのまま夫婦関係を続行するケースが多い。しかし、フランスではカップルの愛情が冷めてしまったら、即離婚するか同居を止めるという。何故ならば、愛情がないのに一緒にいる必然性がないというのである。子どもが居ようとも、それがかすがいになって離婚を思い止まることはない。愛情のなくなった夫婦が一緒にいることによって、子育てにおける悪影響のほうが大きいと認識しているからだ。フランス人は戸籍に縛られることがないと言える。

日本において、夫婦に性交渉が途絶えてしまう本当の原因を、深層心理学的に考察してみよう。人間という生き物は、本来自己組織化する働きを持つ。つまり、生まれつき主体性・自発性・自主性を持ち、自分の生き方に対して責任性を持つのである。ところが、夫婦として籍を入れると、男性が主要な人生の選択・決定においては主導権を持ちたがる。日常の生活における衣食住の簡易なものは女性が主導権を持つが、重要な決定事項は夫が持ちたがる。そして、夜の営みも男性が主体性を持ちたがるというか、それが当たり前だという先入観念に縛られていて、女性がその選択権を持ってはいけないと思うらしい。

夫が性交渉を望めば、妻がそれに応じるのは当然で、拒否権がないと勘違いしている。本来は、男性だけにその決定権はない筈なのに、男性上位の古い価値観に縛られているが故に、性関係を持つかどうかは男性が握っていると思いがちである。そして、妻である女性はそれに従うことが、自らの自己組織性を発揮することを阻害されてしまうことから、嫌がる傾向を持つのである。そして男性は、性関係を持ちたいと思いながら、お願いしてまで性交渉を持つことを嫌う。女性に性交渉の決定権を与えるくらいなら、我慢しようと思うのではなかろうか。こうして、夫側も妻側も性関係を望まなくなってしまうと思われる。

特に、精神的にも経済的にも自立した妻は、この傾向が強い。身も心も夫に依存している夫婦関係であれば、セックスレス夫婦になる確率は低い。ところが最近の女性は、夫に依存した生き方は間違っていると気付き、すっかり自立している。故に、自らの自己組織性を発揮した生き方をしている妻は、自分を見下したような夫の要求に応えることは、アイデンテティを否定されるようで許せないのである。夫が妻の尊厳を認め受け容れ、妻の生き方を尊重することが出来れば、互いの自己組織性を進化させることが出来る。そうすれば、妻の話を傾聴し気持ちに共感できるし、性交渉を嫌がる気持ちも理解できる。妻の微妙な心の揺れ動きも感じることが可能になる。妻を自分が所有していると勘違いし、妻を支配し制御したがるような夫に、妻は身を任せようとはしないのだ。セックスレスになっている本当の原因は、夫の未熟な精神性にあると心得るべきである。

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

僕らは奇跡でできている

一昨日から放映開始された『僕らは奇跡でできている』が実に面白い。関西テレビが作成したTVドラマであるが、とてもよく出来た物語である。午後9時からのゴールデンタイムの時間に民放テレビの初主演だそうだが、高橋一生という役者はどんな役をしても、奥行きの深い演技を見せてくれる。一生ファンにとってはたまらない魅力を感じることだろう。まだ初回なのでよく解らないが、明らかに主人公は発達障害かもしくは自閉症スペクトラムだと思われる。グッドドクターもそうだったが、フジ系列はなかなかやるものだ。

京都大学大学院卒業の主人公は、動物行動学の大学講師をしている。発達障害であるが故に、頓珍漢な会話や行動をして周りの人々を振り回す。歯に衣を着せぬ言動は、時には相手の痛いところをえぐり抜く。しかるに、その言動がやがて相手がしがみついている古くて低劣な価値観を壊して、新しくて高潔な価値観へといざなう。グッドドクターというTVドラマが描きたかったテーマと似通っている。もう一人発達障害であろう子どもが登場して、高橋一生演じる主人公と心を交わせる。お互いに成長する姿も見せてくれるだろう。

この『僕らは奇跡でできている』というドラマは、これからどんな展開を見せるか楽しみである。このドラマでイソップ童話の『ウサギとカメ』の物語を題材に取り上げていた。カメが寝ているウサギに、どうして声をかけずに追い越して先にゴールしたのか?と問うシーンが印象的だ。高橋一生はこんなふうに答える。カメは勝ち負けなんてどうでもよく、ただひたすら前に進むことが楽しいんだ。一方、ウサギは勝つことに執着していると。そして、榮倉奈々演じるヒロインに、「あなたはウサギだ」と言い放つ。榮倉奈々は、「自分はウサギではない」と反論するものの、自分の今までの行動に疑問を持つことになる。

発達障害や自閉症スペクトラムの方々が主人公として描かれるドラマは、これからも増えてくるに違いない。何故なら、現代の子どもたちの3割以上が発達障害だと言われているのである。当然、学校でも職場でも発達障害の方々との付き合いが出てくる。そのような発達障害の方々との交流において、自分たちよりも劣った存在として見下したりいじめたりするような社会であってはならない。ましてや、単に自分たちが支援すべき存在として、一方的にお世話するというような思いあがった気持ちで付き合うのも無礼である。

この『僕らは奇跡でできている』や『グッドドクター』などのTVドラマにより、彼らの素晴らしい能力や心の清らかさを素直に感じ取り、謙虚に自分の至らなさを気付かせてもらいたいものである。それが、彼らの『個性』を受容し、生かすことにもなろう。今まで多くの発達障害の方々と職場や地域で交流させてもらったが、多くの気付きや学びを彼らから受け取ってきた。そして、思いあがった自分や嫌らしい自分を叩きのめしてくれた。彼らがこの社会に存在している理由のひとつが、我々に大切な何かを教示してくれる為ではないだろうか。お互いに自己成長するには、違う個性を持った人との出会いが必要だ。

僕らは奇跡でできているというドラマの題名から類推するに、これから自然界における我々人間も含めた生き物が、この地球(宇宙)によって奇跡的に生かされているということもテーマになるのかとも思う。出来たら、最先端の物理学や分子生物学の観点からも、描いてほしいものだと期待している。特に、動物行動学という最先端の学問であれば、生物界におけるシステム論として描くのはどうだろうか。すべての生き物はシステムによって生かされているし、我々人間もシステムに基づいて生命が維持されている。当然、奇跡とも言えるような自己組織化やオートポイエーシスによって存在しているのである。

このドラマに原作はなく、橋部敦子さんのオリジナル脚本だという。どんな展開になるのか楽しみであるが、単なるラプストリーではなさそうである。この世界では人間も含めたすべての万物の存在そのものが奇跡であるし、すべてがある一定の法則によってその存在が認められている。そして、現代はその一定の法則に反するような生き方によって様々な問題が表れている。その法則の中の最も重要なものが、全体最適であり関係性である。障害者の人たちも含めた人類すべてが、幸福で豊かな社会を築くため、お互いに豊かな関係性を保ち支え合って生きることが肝要である。どこかの大統領や首相のように、自分たちだけの部分最適や個別最適を目指すことの愚かさも、このドラマで描いてほしいものである。僕たちは奇跡でできているというドラマから目を離せない。

ひきこもりは社会的な支援で解決

ひきこもりの状態に追い込まれてしまっている人が益々増えている。そして、その実態が明らかにされていない故に、ひきこもりの解決を遅らせてしまっているだけでなく、固定化させてしまっている。当事者の家族が、ひきこもりの実態をひた隠しにしていて、誰にも知らせないようにしているからだ。隣近所の方たちはひきこもりにあることを薄々感じているものの、支援することも相談に乗ることも出来ず、手をこまねいている。

ひきこもりが増えて固定化しているが、行政は手出しが出来ないでいる。当事者や家族が支援を要請しない限り、行政は何らサポートが出来ないからである。もし万が一、支援を行政に願い出たとしても、ひきこもりを解決する有効な手立てはない。保健師や精神保健福祉士などの専門家が家庭に赴いて支援行為をしようとしても、当事者は面談を受けないであろうし、家族だって面倒なことになることを回避したいと思うに違いない。長年に渡りひきこもりの状態にあり、一応平穏が保たれていれば事を荒立てたくないからだ。

ひきこもりの方々は、今の状況に甘んじている訳ではない。なんとか現状を打破したいと思っているし、社会復帰したいと願っているのは間違いない。しかし、そんな心とは裏腹に身体は言うことを利かないのである。ましてや、ひきこもりになった原因は、社会における間違った価値観による関係性の歪みや低劣さである。人の心を平気で踏みつけ痛めつけるようなことを日常的にしている、学校現場や職場の人々の悪意に満ちた環境に身を置くことなんか出来やしない。こんなにも生きづらい世の中にどうして出て行けようか。

そして、ひきこもりの人々がそんな社会に対する不信感を持っていること、さらにはそんな気持ちを家族も含めて誰も理解してくれないことに対する焦燥感が著しいのである。行政や福祉の専門家たちは、そんなひきこもりの当事者の気持ちに共感出来ないのである。そればかりではなく、ひきこもりになったのは当事者のメンタルに問題があり、そのようにしてしまったのは家族に原因があると勘違いしているのだ。これでは、ひきこもりの当事者と家族だって、支援を求めたくなくなるのは当然なのである。

それじゃ、ひきこもりのからの脱却は、間違った社会の価値観を改革しないと実現しないかというとそんなことはない。適切できめ細かな支援がありさえすれば、ひきこもりを乗り越えることが可能になる。しかし、今の行政に身を置く専門家にとっては、そのような支援は難しい。また、医療や福祉の専門家にも、そのような大変な労力を要する支援を提供する余力はないし、技能もないに等しい。だから、ひきこもりというこんなにも大変な問題が、社会的に置き去りにされてしまっているのだ。

ひきこもりから脱却するには、どのような支援が必要かというと、次のようなものだと思われる。まずは、支援者はひきこもり当事者の心に共感をすることである。ひきこもりになったきっかけは、それこそ人それぞれで違っている。そういった過去の辛く苦しかった過去を否定することなく黙ってじっと聞いて共感をすることである。当事者のメンタルや価値観に多少の問題があるように感じても、その病理を明らかにしてはならない。ましてや、当事者の行動にこそ問題があったように思っても、批判的に聴いてはならない。あくまでも、本人の気持ちに成りきって傾聴することが求められる。

出来たら、両親などの家族と一緒に話を聞けるなら、なおさら高い効果が生まれる。ひきこもりの家庭では、家族間での心が開かれた対話が失われている。この聞き取りと共感的な対話が、家族間にあったわだかまりやこだわりを溶かすことに繋がるのである。しかし、支援者はそのような家族間に存在する『病理』を指摘してはならない。あくまでも、現状における困っている事実や症状を聞いて行くだけである。その際に、聞き取った内容を出来る限りストーリー性のある言葉で言い換え、詩的で柔らかな表現に置き換えるのである。悲惨なこととして話した内容、憎しみや怒り、妬みや嫉みをストレートに表現すると、相手を非難している感情が強くなり過ぎるからである。

このように『開かれた対話』を繰り広げて行くと、不思議なケミストリー(化学反応)が起きるのである。当事者とその家族がお互いに大好きで愛し合っているという事実に気付くのである。愛しているからこそ、憎しみという感情に転化している事実にも。そして、その互いの愛情表現がいかに稚拙であったかということに気付くと同時に、それぞれの深い関係性にも思いを馳せるのである。勿論、正しい価値観や哲学を学ぶことにもなるし、間違っている社会であってもそれに対処していける勇気を持つことが出来る。家族の豊かで強い愛が感じられれば、人間は強く生きられるのである。これが『オープンダイアローグ』という支援である。このようなオープンダイアローグにより、ひきこもりの当事者と家族を救えるように、社会的な支援として確立していきたいものである。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、このオープンダイアローグを活用したひきこもり解決の支援を実施しています。ご家族でイスキアにおいで頂ければ対応いたします。外出が出来ないという事情があれば、交通費をご負担していただければ、出張もいたします。まずは問い合わせフォームからご相談依頼のメッセージをください。ご親戚の方からのご相談も受け付けます。

HSP(ハイリーセンシティブパーソン)を生きる

最近、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)という語句が、ツィッターやSNSで盛んに用いられている。これは、心理学、もしくは精神医学の一部の専門家の間で使われている気質的特性・神経学的特性を持った人の総称である。勿論、その特性には強弱があるものの、約5人に1人がHSPだとされている。20%の人がHSPで、それ故に生きづらさを抱えているというのである。その割合の多さも驚きであるが、生きづらさの原因がHSPにあったとするなら、原因が解ることで少しは安心するのではなかろうか。

HSPとは、以前はまったく注目されることもなく、そんな特性を持った人間が存在することさえ認識されていなかった。1996年にエレイン・N・アーロン博士が主張した生得的特性である。HSPは強くて眩しい光、刺激的で不快な匂い、大きな音や意味のない雑音などに過剰反応して、強い不安や恐怖感を持つ。また、他人の微妙な言動に対して、過剰な反応をしてしまうことが多い。特に、自分に対して相手が悪意を持っているのではないかとか、攻撃をしてくるのではないかと不安になることが多い。つまり感受性が強過ぎるというか、あまりにも敏感な感覚を持つ人がHSPの特徴だと言われている。

こんなふうに記すと、マイナスのイメージしかないが、感受性が強いと言うのは繊細な心を持つので、芸術面や文芸における才能が突出するという側面もある。素晴らしい才能を発揮して、凡人には残せないような足跡を残すことも少なくない。とは言いながら、HSPは他人の言動に感じやすいことから、強い生きづらさを抱えることが多い。学校では教師や学友の発する悪意を敏感に感じてしまうし、いじめやパワハラなどが自分に向ってされたものでなくても、不安感や恐怖感がマックスに達して、不登校になることもしばしばである。社会における人間関係に不安を感じてひきこもりになるケースも多々ある。

また、HSPは発達障害と誤認識されることもしばしば起きるし、自閉症スペクトラムと混同されることも少なくない。さらに付け加えると、HSPであるが故に、大人になることへの無意識の拒否反応から、アダルトチルドレンになってしまう傾向もあると言われる。いずれにしても、HSPは感受性が強過ぎるというその生得的特性がある故に、強烈な生きづらさを抱えて生きているのは確かである。そして、そのHSPの特性を周りの人々に理解してもらえなくて、辛い日々を過ごすことが多い。

HSPは感受性が強いが故に、他とのコミュニケーションが苦手な傾向にある。どうしても、自分よりも相手の感情を優先してしまうので、相手の気持ちを慮ってしまい言葉が発せられなくなるのであろう。気兼ねのない人間関係を築き上げることが難しく、親しい友達が出来にくい。SNSなどで何気ない言葉に傷付いてしまうことがあるので、ブログやツィートすることに臆病な傾向がある。他人と接することが極めて苦手なので、人が多い雑踏や満員電車などに不安感を覚えてしまい、対人恐怖症的な症状を呈することもある。

HSPの原因は、生まれつきの遺伝子的な特質によるものだと推測されている。それが真実ならば、このHSPを克服したり乗り越えたりすることが極めて難しいということになる。そうなると、このHSPの特性と一生付き合って生きることになり、生きづらさを克服するのが困難だということだ。それは当事者に取っては、とても辛い現実である。これはあくまでも私見だと断った上で、HSPの原因はDNAの他にもあると提起したい。生まれつきの特性はあったとしても、養育環境によってHSPの特性が強化されたのではないかという推測が出来る。そのキーワードはオキシトシンという神経伝達物質である。オキシトシンという安心ホルモンが不足するような子育てにより、HSPが強化されたのではないかと思うのである。

オキシトシンという脳内ホルモンは、不安や恐怖感を和らげる神経伝達物質である。その効用と分泌作用はまだ不明の部分が多いものの、乳幼児期の不適切な養育によって不足気味になることが多いと言われている。まさしくHSPの症状は、このオキシトシンというホルモンが不足しているから起きるのではなかろうか。このオキシトシンは、愛情たっぷりのスキンシップや触れ合いによって分泌量が増えると言われている。また、このオキシトシンは他人の幸福を実現させる無償の行動をして感謝された時にも分泌量が増える。つまりボランティアや社会貢献活動をすると増えるのである。実際に、HSPの方が社会貢献活動に熱心に取り組んで乗り越えたケースが少なくない。HSPはオキシトシンやセロトニンの分泌量を増やす行動を重ねることで、乗り越えることが出来ると思われる。

 

※ひきこもり、不登校、メンタル休職者は、HSPが根底にあるケースが多いように感じます。HSPやアダルトチルドレンを乗り越えるための研修を、「イスキアの郷しらかわ」は実施しています。問い合わせのフォームからご相談ください。

精神疾患は脳のせいじゃない!

メンタルの不調や精神疾患は、脳の不具合から起きると殆どの人は思っている。精神科医やセラピストさえも、脳の器質的な機能障害からメンタルの不具合を起こすと思い込んでいる。確かに、精神医学の世界では長年に渡ってそう教育してきたし、脳神経学の研究でもそのように発表されてきたのだから仕方ないであろう。脳内における神経伝達物質(脳内ホルモン)の分泌や受け渡しの不具合が起きて、精神疾患が発症するとされてきた。しかし、最新の医学研究ではそれが間違いだと判明したのである。

勿論、脳原因説が全面否定された訳ではない。ごく一部においては、脳の機能障害による影響があるのは間違いない。しかし、それは限定的であり、メンタルの不調は人体における全体のネットワークシステムの不具合により起きるというのが真実である。それなのに、脳の機能障害によって起きるのが精神疾患だと思い込んでいる精神科医やセラピストがいて、その脳原因説にいまだに固執していて、クライアントを治療しているのは非常に残念である。患者さんたちが可哀想で仕方がない。

精神科医の9割以上は、精神疾患に対して投薬治療を行っている。その薬剤は、脳に働く機能を持つ。精神症状はその投薬によって少しは効果がある場合が多い。しかし、その効果は限定的であるし、症状が緩和されることはあっても完治することはない。あくまでも症状を緩和する効果しかないし、次第に投薬量が増えるケースが殆どである。ましてや副作用が深刻であり、便秘や低血圧、肝機能障害というような副作用に対して、さらに薬剤投与が増える。患者はクスリ漬けにされてしまうのである。

投薬治療による効果が何故あまり上がらないのかというと、脳の機能障害が精神疾患の原因ではないからである。確かに脳の神経伝達系の異常が起きているのは、間違いないと思われる。しかし、脳の神経伝達系に働く薬を投与すると、その薬の効果を減少させようという人間の恒常性が働いてしまう。人間の脳における恒常性を保つ機能があって、そうしなければならない訳があって神経伝達系の異常を起こしていると思われる。人間全体を守る為に異常を起こしてしまっているのである。それを無理やり投薬によって直そうとすると、逆に異常を強める働きが起きると考えるべきである。

日本における精神医療において、抗うつ剤や向精神薬が大量に用いられている。そして、それらの投薬治療によって精神疾患の患者は増えることはあるものの、完治して離脱する患者は殆ど存在しない。この事実だけでも投薬治療が無駄であるばかりでなく、患者を益々苦しめているのは間違いないであろう。精神疾患が起きる原因が脳の機能障害にないのだから、治療方針や治療計画が間違っているのである。投薬治療をすべて否定している訳ではない。緊急避難的に短期間使用するケースがあるのも承知している。しかし、何ケ月や何年にも渡り同一薬剤による投薬治療を行うべきでない。患者と治療者は一刻も早くその間違いに気付いてほしいものである。

メンタル不調や精神疾患を発症する原因は、人体におけるネットワークシステムの不具合である。人体には37兆2千億個の細胞がある。細胞どうしがネットワークを持っていて、過不足なく協力し合って働いている。また細胞によって組成されている臓器、骨格、筋肉組織は同じく親密なネットワークを組んでいて、人体の全体最適を目指している。誰かに命令指示されている訳でもなく、細胞や組織自体が自発的に主体的に働いている。セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン、オキシトシンなどの神経伝達物質は、人体の適切なネットワークによって生成されて必要箇所に適量が運ばれる。

食べ物、環境因子、人間関係のストレスなどが不適切な場合に、そのネットワークが不具合を起こすのである。例えば、食品添加物、農薬、化学肥料が含まれた食事が腸内環境を悪化させると、体内ネットワークの不具合を起こすことはよく知られている。精神疾患だけでなく様々な身体的疾患もまた、人体におけるネットワークの不具合で起きることは最近知られるようになった。さらに人体のネットワークシステムの不具合は、社会における人間どうしのネットワーク(家族関係等)が希薄化したり劣悪化したりすると起きることが判明している。このネットワークを正常に戻したり再生したりすることが、メンタル不調や精神疾患を治すということを認識してほしいものである。

うつ病が発症する本当の原因

うつ病またはうつ状態に陥ってしまっている患者が激増している。うつ病は脳の機能障害だと思われている。神経伝達物質セロトニンの不足が影響して、神経伝達回路における不具合がうつ病の発症に関係しているらしいと思われている。だから、SSRIという選択的セロトニン再取り込み阻害薬がうつ病に効果があると言われている。このSSRIという画期的な抗うつ薬が発売された際には、これでうつ病患者は救われたと思った人も多い。ところが、うつ病患者は減少するどころか、逆に数倍にも増えてしまったのである。

そんな馬鹿なことはあり得ないと思うかもしれないが、実際にSSRIという薬が出来たお陰で、うつ病患者は激増したのである。しかも、SSRIという薬によってうつ病が完治する人は殆どいない。だとすれば、うつ病にSSRIは効かないし、うつ病の医療費だけが増加させる役割しかないということになる。ましてや、うつ病の発症が脳の神経伝達回路系の不具合によるものではなくて、違う原因らしいということが判明している。脳だけでなく、腸内細菌や人体全体のネットワーク回路の不具合もうつ病の発症に関わっている。だから、脳だけに働くSSRIの薬効がないというエビデンスが得られたのである。

それでは、何故腸内細菌などを含む人体全体のネットワークシステムが不具合を起こすのであろうか。ネットワークシステムの不具合は、システム論から観ると実に良く理解できる。複雑系科学におけるシステムとは、構成要素が全体最適を目指して、それぞれが関係性を発揮して自己組織性(自律性)とオートポイエーシス(自己産出)を機能させる。ところが、何らかの原因によって関係性を損なって個別最適を目指してしまうと、ネットワークシステムが破綻を起こす。これが人体というシステムにおける不具合(疾病)である。

人体における構成要素とは、60兆個に及ぶ細胞や100兆個以上あると言われる腸内細菌などであろう。ネットワークシステムの不具合は、構成要素そのものに問題の原因がある訳ではなく、それらの関係性(ネットワーク)の劣化にある。そして、その関係性の劣化や希薄化は、ストレスに起因しているというのが医療界における定説になっている。ストレスとは精神的なそれだけでなく肉体的ストレスも含まれる。食品添加物、化学肥料や農薬、クスリ、過大な飲酒や喫煙などが身体に過剰なストレスを与える。対人ストレスや過大過ぎるプレッシャーなども影響している。

それらのストレスが原因になり、人体ネットワークシステムの不具合を起こし、身体的疾患や精神疾患を起こすと考えられている。それでは、何故人間はこんなにもストレスに弱いのであろうか。ストレスを乗り越えることが出来るなら、システムの不具合が起きないからうつ病にはならない筈である。人間には、そもそもある程度のストレスなら乗り越えることが出来る自己組織性とオートポイエーシスを持っている。ところが、多重ストレスや連続したパワハラ・セクハラ・モラハラを受けると、それらの機能が劣化してしまうのである。それも人間関係が破綻しているとなおさらである。

うつ病などの精神疾患が発症する本当の原因は、本人だけでなく社会システムそのものの不具合にある。家族という社会システム、会社や各部門における社会システム、地域社会のシステムなどにおいて、ネットワーク(関係性)の不具合や破綻を起こしていると、その構成要素である人間にも大きな影響を与えてしまう。人間の精神そのものにも自己組織性がありオートポイエーシスが本来備わっている。つまり、主体性・自発性・自主性・責任性などの自律性があるし、自らが価値を生み出すオートポイエーシスを持つ。家族どうし、社員どうし、住民どうしの関係性が希薄化したり劣悪化したりしていると、精神の自己組織性とオートポイエーシスが機能劣化を起こしてしまうのである。

人間という生き物は、様々な社会システムの中で、どれかひとつのネットワーク(関係性)悪化だけならば、何とか乗り切ることができる。ところが家庭でも、そして会社や地域社会でも関係性を無くしてしまうと、ストレスを自ら乗り越えることが出来なくて、人体のネットワークシステムの不具合を起こす。これがうつ病発症の本当の原因である。企業における関係性を改善することはなかなか出来ないが、家族というシステムの不具合なら、家族どうしが努力して協力し合うことで改善することは可能だ。勿論、身体的ストレスを解消する食生活の改善も可能だ。食生活も含めた生活習慣を改善し、家族という社会システムを本来あるべき姿(介入せず・支配せず・制御せず・攻撃せず)に改善して、関係性を良好なものにすればうつ病は完治できるのである。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、うつ病が発症する本当の原因と対策について、研修を行っています。さらに、家族というシステムの不具合を解消する唯一の方法である「オープンダイアローグ」の研修を実施しています。当事者も含めて家族全員での研修の受講をお勧めしています。まずは問い合わせをしてください。