私の旦那様は宇宙人

 自分の夫が、まるで宇宙人のようだと感じている妻はすこぶる多いに違いない。何故、宇宙人のようだと言うと、夫婦なのにまともなコミュニケーションが成り立たないからである。いや、夫婦なのにという表現は適切でない。夫婦だからこそ、コミュニケーションが成り立たないのである。そして、その為に多くの妻たちが悩み苦しんでいるということさえ、宇宙人の夫は知らないのである。そんな馬鹿なと、世の中の男性は思うかもしれない。しかし、これは真実なのである。宇宙人のような旦那様の為にメンタルを病んでいる妻が多い。

 宇宙人のような夫というのは、どういう意味かと言うとこういうことだ。まずは、妻の話を聞いていないのである。『地図が読めない女、話を聞かない男』というベストセラーになった本がある。あの本で男性がいかに話を聞かないかということが脳科学的に説明されていたが、夫婦間においてはその傾向が益々強くなるのである。妻が言うことを夫は聞いているように見えるが、まったくその心には響いていない。夫のメンタルモデルが低劣な故に、妻の話を傾聴しないし共感できないのである。だから話が噛み合わないのだ。

 宇宙人の夫は、さらに困った言動をする。なにしろ、自己中心的な言動をするし、身勝手なのである。家族の為に頑張っていると言いながら、家族全体の幸福を目指しているとは思えないような行動を平気でする。確かに仕事は真面目にこなしているし、裕福な暮らしをさせてくれている。職場では高い地位や評価を得ているらしいし、物分かりの良い職員で通っているという。しかし、家庭では我がままだし、頑固なのである。さらに、アスペやADHDのような言動をする。まさしく、予想が出来ない困った行動をするのである。

 こんな分らず屋になったのは、結婚してからである。結婚前に付き合っていた頃は、至ってまともであった。おかしいなと思う部分はあったものの、話を真剣に聞いてくれたし解ってもくれた。優しくもしてくれたし、思いやりのある言動をしてくれていた。ところが、結婚して数か月過ぎた頃から様子が変わってきた。思い通りにならないと、面白くない表情や態度をするし、黙り込んでしまうことも度々ある。やがて、家族のことよりも自分の趣味や娯楽を最優先するようになる。仕事を言い訳に家事や育児も放棄する始末だ。

 こうなってしまった旦那様を、心から愛せる妻なんている訳ないだろう。こんなにも人が変わるなんて信じられないであろう。しかし、それは間違いである。結婚する前は仮の姿であり、今の宇宙人のような夫が本来の姿なのである。無理して猫を被っていただけであり、元々変な人だったのである。相手に気に入られようと必死で、本心を隠していただけなのであり、結婚して安心して本来の自分を現したのである。だから、結婚する前のような優しい夫に戻ることは期待できない。二度とあの思いやりのある旦那には戻らないのである。

 何故、結婚すると宇宙人のような夫になってしまうのかというと、元々彼は発達障害や自閉症スペクトラムの傾向があったのである。それでも、外では普通の社会生活や職場生活が営めるのである。外では気を張って過ごしているので、宇宙人のような性格や人格を出さない。ところが、家庭では気が緩んでしまい、本来の宇宙人のような性格や人格を現してしまうのである。こういう人間は、知能が高いし、学歴も高いケースが多い。医師、教師、行政職、技術者、政治家、法律家、科学者、文芸家、芸術家として成功している例が多い。

 発達障害や自閉症スペクトラムの傾向を持つ旦那様なんてそんなに多くないと思うだろうが、そんなことはない。日本人の旦那様の約7~8割は、宇宙人のような性格や人格を持つと言っても過言ではない。まともな旦那様なんて、世の中では圧倒的に少数なのである。自分の夫が宇宙人のようだと嘆くことはない。世の中の旦那様なんて、皆宇宙人のようなのである。東大の名誉教授で社会学者の上野千津子さんが、「あら、男性なんてみんな発達障害みたいなものよ」と言ったというのは有名な話である。宇宙人のような発達障害の夫を伴侶に持つ妻は、カサンドラ症候群になりやすいので注意が必要だ。夫は元々宇宙人なんだから正常なコミュニケーションは無理なんだと諦めてしまえば、気が楽になるに違いない。

夫婦別姓の司法判断が先送り

 最高裁大法廷で25年振りに、夫婦別姓についての憲法判断を問う裁判が行われ、夫婦同姓を強いる民法の規定は合憲だとする判決が出された。この判決に対して、世界の潮流からは乗り遅れた前近代的な判決だと報道するマスコミが多いが、ネット上では判決が当然だというコメントが多いのは、意外であった。ネット上で判決に好意的なコメントをするのは、圧倒的に男性が多いようだ。合憲判決とは言いながら、夫婦別姓の問題は憲法判断にはそぐわないので、国会で討議すべきだとして合憲判断から司法が逃げたとも言えよう。

 

 国会で討議すべきだというのは、司法の最高機関である最高裁として如何なものだろうか。国会で討議すべきだと言うが、夫婦別姓の民法・戸籍法改正案を国会にて審議しようとしても、自民党の猛反対に遭って、審議させてもらえないのだ。国会で討議が不可能なのに、国会審議が妥当であるなんて、問題の先送りをしているとしか思えない。自民党のお偉方やタカ派の先生方は、絶対に夫婦別姓を認めないとして、門前払いを続けている。夫婦別姓が良いのか悪いのかを議論することさえも拒否するのは、国会軽視と見られても仕方ない。

 

 夫婦別姓に反対する人たちの意見はこういうことらしい。夫婦別姓を認めてしまうと、夫婦の絆や家族の絆が希薄化してしまい、離婚が増えて家庭が崩壊してしまい兼ねない。日本の美点である家族制度が弱体化し、離婚が増えてしまい不幸な子どもを多く生み出してしまうことになる。シングルマザーが増えて貧困家庭も増加するし、老後をひとりで送る人が増えるし、老人介護施設を利用する老人も増えてしまい、福祉財政も破綻しかねないと主張する。日本における親密な家族制度が夫婦別姓によって崩壊してしまうと説いているのだ。

 

 こういう理論を主張する人と言うのは、思い込みが強くて他人の意見を聞かない傾向が強い。論理的に考えることが苦手で、感情論に流されることが多い。自説を曲げないから、議論が嚙み合わないことが多い。日本の国会議員で保守派に属する先生方は、こういう人が多いし、本音と建て前を巧妙に使い分けることが多い。欧米において夫婦別姓を導入しても、家庭崩壊なんて起きていないし、かえって夫婦の絆が深まっているという情報を聞いても、それは日本には当てはまらないと主張して譲らないのである。実に困ったものである。

 

 夫婦別姓を認めない国は、先進国では皆無であり、世界の中でも日本くらいのものである。男女平等の指数が日本は極端に低い。男尊女卑の考え方が強いし、女性蔑視のジェンダーが根強く残っている。家という観念に強く捉われていて、家族制度に縛られている男性が、配偶者を家に縛り付け自分の思うままにコントロールしがちだ。その為にこそ、夫婦同姓が必要なのだ。夫婦別姓になってしまうと、自分の元から妻が離れてしまうのではないか、自分の支配から逃れてしまうのではという不安から、夫婦別姓に反対しているのであろう。

 

 TBSで『リコカツ』というドラマが放映されていた。永山瑛太が演じる現役自衛官が北川景子演じる女性と電撃結婚して、すぐに離婚をしてしまうという筋書きの物語である。永山瑛太の父親も元自衛官で、男性中心の家庭しか考えられない古臭い親父で、家系や家訓に拘る男性である。そして、この父親もまた妻から愛想を尽かされてしまい、独りぼっちになってしまう。日本の古い家族制度に甘んじてしまい、自分の妻や子に対する配慮や思いやりを忘れた父親(夫)は、家庭崩壊を生み出すということである。自分の独善的な生き方の間違いに気付き、生き方をドラスティックに変えた父子は、やがて伴侶から惚れ直される。

 

 夫婦同姓という古い家族制度に胡坐をかいて、本来の人間として家族への優しさや思いやりを欠いてしまうと、その家庭は崩壊してしまう。夫婦別姓であれば、家に縛られないからこそ、配偶者や子どもたちから尊敬される夫であり父親でありたいと強く願い、魅力あふれる自分でありたいと、自分磨きをして成長するために精進するに違いない。家族の絆を強くしたい、夫婦の絆を太くしたいと願い、個別最適を志向せず全体最適を目指す筈だ。だからこそ、夫婦同姓でなくて夫婦別姓を世界中の人間は選択しているのである。そんな当たり前のことを解らず、夫婦同姓に拘っている日本は、世界中から笑いものになっているのだ。

親からの支配と制御を断ち切るには

 強烈な生きづらさを抱えている人、または自分自身が思ったような生き方が出来ない人が少なくない。そういう子どもや若者たちは、不登校やひきこもりになりやすい。あまりにも殺伐としたこの社会に適応しにくいのかもしれない。それは、学校や職場において関わる人々が、他の人とは違う自分を排除したがったり、虐待されたりすることで、不適応を起こしていると思っていることだろう。しかし、学校や職場で出会う人々だけに問題がある訳ではなく、自分の育てられ方にも大きな問題があったと気付いているのではないだろうか。

 

 不登校やひきこもりの人がすべて育てられ方に問題があったなんて、乱暴なことを言うつもりはない。しかし、学校や職場に上手く適応できず、解決の出来ないほどの生きづらさを抱えている人の殆どは、親との関係に問題を抱えていると言っても過言ではない。勿論、保護者から虐待やネグレクトを受けていたというのは論外で、間違いなく不登校やひきこもりに陥ることだろう。しかし、ごく普通の親に育てられたと思っている人の中でも、知らず知らずのうちに、親に所有され、支配され、制御されて育った子どもは想像以上に多いのだ。

 

 こういう親自身も、自分の子育てに問題があったという自覚はないし、子どももまた愛情いっぱいに育てられたと思い込んでいる。しかし、実際はこういう親が我が子を必要以上に支配してコントロールを繰り返しているケースは多い。おそらく、このような支配と制御をして子育てした親は、この世の中の半数以上を占めているに違いない。しかも、この支配と制御の仕方がえげつないのである。つまり、ダブルバインドのコミュニケーションをしながら支配と制御を強め、親の思い通りの子どもになるよう『飼育』しているのである。

 

 親も子も『飼育』状態にあることを認識していないから不幸なのである。人間と言うものは、本来はひとりでに自己組織化するしオーポイエーシスという機能を発揮できる。つまり、子どもは成長するに従い、主体性、自主性、自発性、責任性などを自ら発揮する。そして、オートポイエーシス(自己産生)の機能を発揮して、自らの創造性を高めて成長していくのである。ところが、親が無意識に子どもを支配し制御しようとして、介入や干渉を繰り返してしまうと、自己組織化できないしオートポイエーシスの機能が育たないのである。

 

 子どもが青年期なると、親に支配したり制御されたりしなくなるかというとそうではない。子どもが30代や40代になっても、親が支配し続けてコントロールしているケースがある。さらには、小さい頃の支配・制御関係で起きた事件の記憶が残存し続けて、それがトラウマになってしまい、親からの支配関係が解けない場合もある。だから、絶対的な自己肯定感がいつまでも育たないし、いつも不安や恐怖感に苛まれるのである。自組織化していないと人間は伸び伸びとして生きて行けないし、常に誰かに依存しがちであり困難を回避したがる。

 

 それでは、この親からの支配・制御関係をどうしたら乗り越えることが出来るのであろうか。特に、小さい頃からダブルバインドのコミュニケーションを受けたケースでは、乗り越えるのが非常に難しいから深刻である。一人の力だけでは、親からの支配・制御関係を克服するのは困難だ。第三者のサポートが必要である。勿論、ダブルバインドをして支配続けてきた親が、その間違いに気付いて子どもに謝罪し、本来あるべき無条件の愛を注ぎ続けることが出来たなら、支配・制御関係を断つことが可能である。これも誰かの手助けが必要だ。

 

 『親が変われば子も変わる』というフレーズは、良く耳にする。しかし、なかなか親は長い期間生きてきたから変われないものだ。ましてや、自分の間違いを他人から指摘されたら、反発するのは当然だ。だから、支援者が親の子育てにおける間違いを指摘して変わるように指示したとしても、到底受け入れられないだろう。ましてや、プライドの高い高学歴者や地位名誉の高い親は、聞く耳を持たないであろう。そんな親を変える唯一の方法がある。それは家族療法のひとつである、オープンダイアローグという療法である。すべてが上手く行く訳ではないが、親が自ら変わる可能性は極めて高い。親からの支配・制御関係を乗り越えるには、オープンダイアローグ療法しかないであろう。

自傷行為(リストカット)をする子どもたち

 日本の中高生のうち、10%の子どもたちが自傷行為を経験しているという。この数字を少ないと思う人はいないに違いない。こんなにも多くの子どもたちが自傷行為をしているということに驚く人が殆どであろう。そして、さらに驚くのは10%の子どもたちのうち、約半数は自傷行為を繰り返していると言うのだ。つまりは、常習的な自傷行為者なのである。子どもたちは、どうして自らの身体を傷つけてしまうのであろうか。そして、その自傷行為を何故繰り返すのであろうか。繰り返すということは、誰も気付いていないということだ。

 

 自傷行為(リストカット)をする子どもたちは、孤独感を抱えているのだという。自分の辛い気持ちを解ってくれる人は誰もいないというか、誰にも話せないらしい。そして、強烈な生きづらさを抱えているし、満たされない思いを抱いているという。孤独だというのなら、自分の傷ついた心を話せる家族や親族もいないのだろうし、友達もいないということだろう。友達が居たとしても、悩みを打ち明けられるような親友はいないということだ。つまりは、家族がいたとしても、天涯孤独という気持ちなんだろうと思われる。

 

 自傷行為をする子どもたちは、親との良好な関係性を築けていないと思われる。つまりは、親との愛着が不安定というのか、傷ついた愛着なんだろうと思われる。そういう意味では、attachment disorder(愛着障害)と言える。愛着障害というと、親から虐待やネグレクトを受けて育った子どもがなるのだと思われているが、けっしてそんな子どもだけがなる訳ではない。ごく普通に愛情たっぷりに育てられた子どもだって愛着障害になるのである。ただし、その愛情のかけ方に問題があるから、愛着障害になってしまうのだ。

 

 勿論、虐待やネグレクトを受けて育った殆どの子どもは愛着障害になる。それだけでなくて、親から過干渉や過介入をされて育った子どもも愛着障害の症状を呈する。または、いろんな事情によって、子育ての途中で養育者が変更になってしまった時にも愛着障害になりやすい。例えば、母親が病気になったり他界してしまったりしたケースである。または離婚や両親夫婦の不仲で、母親が家を出て行ったり、家庭崩壊したりするケースも同様である。両親が四六時中に渡り喧嘩していても、子どもは愛着障害になる。

 

 最近多いのは、父親が発達障害であり、母親がそのせいでカサンドラ症候群になってしまったケースである。こういう母親に育てられたら、殆どの子どもは愛着障害を起こしてしまう。さらには、母親が愛着障害であれば、子どもは同じように愛着障害を抱えることが極めて多い。このように自傷行為をしてしまう子どもは、根底に愛着障害を抱えていることが多いのである。愛着障害はメンタルの不調だけでなく、身体の不調も起こすし、学習意欲も低下することが多いから、不登校やひきこもりになることが少なくない。

 

 愛着障害が根底にあって自傷行為を繰り返す子どもは、どのようにして救えば良いのだろうか。自分の悩みを誰にも話せないのだから、誰も気付かない。学校の先生も気付かないし、養護教員でも気付けないことが多い。例え生徒が自傷行為をしていると気付いても、学校カウンセラーであっても、救うことが極めて難しいだろう。愛着障害は、専門家であっても傷ついた愛着を癒すことは困難だ。何故なら、愛着障害は子どもだけの問題ではなくて、親と子の関係にこそ問題があるのだから、親を癒せないと愛着障害を乗り越えることが難しい。

 

 自傷行為を起こす本当の原因が愛着障害にあるとすれば、愛着障害を癒すことが出来る専門家はいないのかというと、けっしてそうではない。児童精神科医の岡田尊司先生は、愛着障害に精通されていて、治療効果を上げていらっしゃる。岡田尊司先生の研究成果を取り入れて、愛着障害の治療をする専門家も増えつつある。勿論、我が子が自傷行為をしていることを認識できなければ、治療はできない。まずは、自分の子どもが自傷行為をしていないかどうかを発見できる感受性が親に必要だ。もしかすると我が子が愛着障害ではないかと心当たりがある親は、子どもの話を傾聴し共感することから始めよう。

スタンドバイミーと言ってごらん!

スタンドバイミーというと、青春映画の傑作を思い出す人も多いし、あの哀愁が漂う旋律の主題歌を思い浮かべる人も多いことだろう。でも、このスタンドバイミーという言葉そのものの意味を深く認識している人は少ないのではなかろうか。直訳すれば「私の側にいて」という意味なのだが、それ以外に「私に寄り添って、支えて頂戴、私を支援して」という意味でもある。もっと深読みすれば、「私を好きでいてほしい、愛してほしい」ということを言っているようにも思う。単なる恋愛感情ではなくて、人間として愛してほしいと意味であろう。

 

 このスタンドバイミーともっとも言いたい相手は、おそらく母親ではないだろうか。映画の中では、少年たちどうしが大きく成長したとしても、スタンドバイミーと言いたいというふうに描かれていた。でも、誰でもそしていくつになったとしても、スタンドバイミーと言いたいのはお母さんのような気がする。太平洋戦争で特攻隊の隊員が敵艦めがけて突っ込み自爆する時に、最後に「お母さん」と言ったと伝えられる。それだけ、お母さんと言うのは特別なのではなかろうか。誰でも母親のことが大好きであり、かけがえのない存在なのだ。

 

 母親のことが大嫌いだという子どもや若者がいる。それは、本当に母親のことが嫌いなのではなくて、自分の理想とする優しくて思いやりのある母親像とあまりにも現実が違っているからそう思うのであろう。『嫌い』であり『憎い』という感情の裏側には、あまりにも大きな『愛』が存在する。愛憎と言うように、愛が満たされないからその裏返しとして憎しみという感情が起きるのであろう。心の奥底では、誰しも母親のことが大好きで愛しているのだ。どんなに酷い仕打ちをする母親でも、子どもはお母さんが大好きなのだ。

 

 そんなにも大好きな母親なのに、子どもをどのように愛していいのか解らない母親がいるのだ。子どもとどのように接していいのか解らないし、自分の思い通りにならない子どもの行動にイライラする母親もいる。本来母親は、我が子をまるごとあるがままに愛することで、子どもの健やかな成長を後押しするのだが、干渉や介入をし過ぎて子どもの自己組織化を阻害するケースも少なくない。このように自己組織化が出来ずに育った子どもは、正常な自我の芽生えも出来ず、自尊心や自己肯定感が育まれず、強烈な生きづらさを抱えて生きる。

 

 強烈な生きづらさを抱えて生きる子どもは、いじめや不適切指導を受けたり挫折を経験したりしてしまうと、そのことがきっかけで不登校やひきこもりになってしまうことが多い。いずれにしても、母親からまるごとありのままに愛されず育った子どもは、甘えることが下手である。母親も甘えさせることが下手なのだから当然である。甘えさせることが苦手な母親と言うのは、自分が子どもの時に甘えられなかったである。そういう意味で、甘えたくても甘えられなかった子どもなのだ。スタンドバイミーと言えない子どもである。

 

 スタンドバイミーと素直に言えなくて成長してしまい、少年から青年になってしまうと、益々甘え下手になってしまう。社会的ひきこもりをしている若者たちは、強烈な生きづらさを抱えている。そして、誰かに心から甘えたり頼ったりすることが出来なくなる。不安定な愛着、傷ついた愛着を抱えているからだ。愛着障害と言っても過言ではない。こういう若者はHSPでもあり、あまりも感受性が強いから、いつも人の目を気にするし、周りの人の思惑が気になって仕方ない。自尊感情が低いからこそ、こんなことを言ったら嫌われるのじゃないかと気になって、素直にスタンドバイミーと叫べないのだ。

 

 甘え下手で素直に支援を求めることが苦手な人が、自然体で甘えさせてくれる存在と出会えて、あるがままにまるごと受容してくれて支えてくれたとしたら、傷ついて不安定な愛着を癒すことができるに違いない。そのように人は、なかなかいないかもしれない。何故なら、そういう人は安定した愛着を持ち、共感的メンタライジング能力と認知的メンタライジング能力をバランス良く持ち得なければならないからだ。このようにメンター的な素養を持つ人は非常に少ない。しかし、まったく存在しない訳ではない。素直な気持ちにさせてくれて「スタンドバイミーと言ってごらん」と優しく囁いてくれる人を探し出してみてほしい。もしかすると、あなたのすぐ側にいるかもしれない。

                   ”悩み苦しんでいらっしゃるクライアントに捧ぐ”

優しいだけの男は女性を幸せにできない

「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」と言ったのは、レイモンド・チャンドラーの小説に登場する主人公のフィリップ・マーロウ探偵である。20代の頃にこのマーロウ探偵の台詞を読んだ時、すーっと心に染み込んでしまい、こういう男になりたいと思った。男はタフでなければ、か弱き存在を守れないし、限りなく優しい気持ちがなければ、女性の気持ちに寄り添えない。最近の女性は、優しい男を求める傾向がある。ところが、優しいだけの男では、女性を幸せにはできないということを知らない人が多いのである。

 

男も女も優しいほうがいいに決まっている。でも、優しさだっていろいろある。芯の強さを根底に持った優しさならいいけど、優柔不断的な優しさは不安を与えるだけだ。相手の言いなりになるのが優しさだと思っている男もいる。ましてや、自分が嫌われることを避けるために、周りに迎合するような優しさを発揮する男性もいる。何のことはない、自分のしっかりした価値観や哲学がないのだ。だから、少しぐらい強く女性に言われると、例え自分の考えと違っても言いなりになってしまう。これが優しさだと勘違いしている男が多いのだ。

 

女性は、優しいだけの男性を求めてはいない。やはり、強さを持った男でないと女を幸せにはできない。その強さというのは、肉体的な強さや精神的なタフさだけではない。どんなことがあってもぶれない精神性である。そして、いざとなったら自分を犠牲にしてでも、愛する女性を守ってくれる強さである。強大な敵に出会った時に、愛する女性を見捨てて、我先に逃げてしまうような男性は駄目なのである。苦難困難に立ち向かっても、けっして逃げずに乗り越える強い精神力も必要である。

 

ところが、若い女性は見かけだけの優しさを持つ男に惹かれてしまう傾向がある。何を言っても「いいよ、いいよ」と女性の主張に従う男を選ぶ。例え自分の意見に合わなくても、相手の言いなりになるような男と付き合いたがる。こういう優しさというのは、まったくのまがい物である。自分を女性に気に入ってもらおうと我慢をして、優しそうに見せるだけなのである。こういう男性は、結婚した途端に豹変する。あれ程優しい態度を取っていたのに、自分の思い通りに妻をコントロールしようとして、不機嫌な態度を見せるし横暴にもなる。

 

離婚する夫婦が激増している。熟年離婚も増えているが、若い子育て世代の夫婦もあっさりと別れるケースが増えている。子はかすがいと言われているが、子どもがいても離婚を踏み止まる理由にはならないらしい。離婚の申し立ては、以前は夫からしていたものだ。ところが最近は、夫のほうからでなくて、妻側から離婚を申し出るケースがすごく多いらしい。その離婚の理由は、表向きは性格の不一致となっているが、実は見せかけの優しさだったと気付いたのだろう。そんな夫だから見切りをつけたとのだと思われる。

 

真の優しさとは、ただ単に優しい言葉をかけたり物腰の柔らかい態度をしたりすることではない。自己主張せずに、反論せずに相手に迎合することでもない。自分の確固たる信念は曲げることなく、駄目なものは駄目だと相手に厳しく接することも時には必要だ。例え自分が嫌われても、相手のためになるなら苦言を呈することも大切だ。そのような強さを兼ね備えた優しさが必要なのである。そういう強さに裏打ちされた優しさこそが、安全安心を相手の心に提供することが出来る。

 

子どもや女性の中には、いつも得体の知れない不安を抱えている人が相当数いる。そういう不安を払拭してくれる絶対的な守護神としての『安全基地』が存在しないと、安心して社会に踏み出していけない。子どもが不登校になるのは、安全基地の存在がないからである。父親がどんな場合にも身を挺して我が子を守るという気概を見せないと、子どもは安心して学校に行けなくなる。家庭内で安全基地としての機能を夫が発揮してくれなければ、妻は不安を抱えてしまう。その不安が子どもにも伝わり、子どもはいつも不安を覚えながら生きる。母と子は、お互いに不安を増幅させてしまうのである。これでは、子どもはやがてひきこもりになる。男は優しいだけでは家族を幸せにはできないのだ。

私の家政夫ナギサさんとおじ恋

TBS系の火曜ドラマ枠で放映されていた『私の家政夫ナギサさん』が面白かった。視聴率は他のドラマと比較しても、ダントツの高さを誇っていたようである。「わたナギ」と略されていて、絶大の人気を誇っていたという。元々はコミックが原作のTVドラマ化だ。家事が出来ないが仕事のできる女性MR(薬品会社の営業職)が、妹から無理やり家政夫を派遣されてしまう。片づけられない女性の元にやってきた家政夫は、50歳の独身おじさん。最初は疎ましく思ったが、あまりにも完璧な掃除・片付け・料理に惚れ込むという物語が展開する。

 

そして、その家政夫のナギサさんはおじさんながらとても魅力的で、優しいお母さんといった具合。当のナギサさんも、お母さんになりたくて一流企業のMRを辞職して、家政夫になったという。深い思いやりがあって、主人公の心身を癒してくれるナギサさんに、次第に惹かれていくというドラマである。紆余曲折を経ながらも、最後にはマギサさんも主人公の女性を好きになって結ばれるという、ハッピーエンドでドラマは幕を閉じる。それにしても20歳以上も年の離れたおじさんに恋をするという、実際にはあり得ない物語である。

 

しかしながら、実際にはあり得ないことだと思っていたが、現実に多く起きていることだというから驚きだ。最近、パパ活とかじじ活という言葉がネット上で躍っているが、これは単なる恋愛ではなくて、それなりの対価を支払って相手と付き合う出会い系サイトである。しかし、恋愛の対象としてパパのような年齢の男性や年上のおじさんを選ぶ女性が増えているらしいのである。そういうTVドラマや女性向けの漫画が多いという。まさしくナギサさんのような優しいおじさまに恋をする時代なんだと、認識を改めなくてはならない。

 

恋愛対象とするなら、同年代かせめて10歳上くらいが限度だと思っていた。お金や地位・名誉のある中年や芸能人ならいざ知らず、ごく普通のおじさんに恋をするなどというのは考えられない。何故、こんなことが起きるのであろうかと考えてみた。もしかすると、ナギサさんのようにお母さんの代わりを求めているのかもしれないし、優しいお父さんを欲しているような気がする。つまり、現実の父親や母親があまりにも自分の理想とする親像ではないので、その代替対象としているのではないかとも思われる。

 

しかし、一時的な恋愛や癒しの対象、または結婚するまでの繋ぎ役なのではなくて、本当に一人の男性・人間として恋をして、結婚を望んでいるのである。つまり、若い男性にはない何かの魅力がおじさんにはあり、そういう人と一生を添い遂げようとするのだから、一時的な感情ではなく本気なのである。だとしても、20歳以上年上のおじさんに恋をして一緒に暮らしたいと言うのだから、女性側に何か事情があるとしか思えない。同年代の異性では物足りなく思うのか、若い男の精神的な未熟さに我慢できないのだろうか。

 

あくまでも個人的分析だと断ったうえだが、おじさんに恋焦がれてしまう女性は、もしかすると不安定な愛着を抱えているのかもしれない。母親から豊かな母性愛を注がれなかったか、またはダブルバインドで育てられたのかもしれない。親から過干渉を受け、支配されてコントロールを受けて育ったのであろう。だからこそ、あるがままの自分をまるごと愛してくれる、安定した愛着を持つおじさんに惹かれるに違いない。慈母観音のような包容力があるおじさんに恋をするのは、愛着障害だからであろう。そして、そのようなおじさんだからこそ、安全基地として機能してくれて、不安定な愛着が癒されるに違いない。

 

私もあらゆる家事をほぼ完璧にこなせるし、和洋中の殆どの料理だって出来る。手前味噌だが、レストランよりも美味しい料理だと評価されている。簡単な日曜大工もこなすし、電気設備・給排水設備の修理もする。庭仕事や剪定、草刈りもする。カウンセラーやセラピストとしても実績があり、話題が豊富で話し相手にすれば退屈させない。ナギサさんのような家政夫として、立派に勤まるような気がする。とは言いながら、独身でもないし65歳の高齢なので、残念ながらナギサさんとは違い、恋愛や結婚の対象にならないのは確かだ。(笑)

機能不全家族になる本当の原因

機能不全家族が増えているという。そして、それが原因で家庭崩壊に陥っているケースも少なくない。家族というコミュニティがその健全なる機能を失っているのだから、家庭が様々な問題を起こして、家庭崩壊を起こすのはにべもないことだ。機能不全家族に陥る原因は、ひとつには家族がアルコール・ギャンブル・薬物・ゲームなどの依存症に陥っているせいで起きていると考えられている。また、親が自殺したり離別したり、再婚を繰り返すということも原因だと言われている。勿論、家庭内暴力や虐待も要因のひとつだと言える。

 

これらの機能不全家族の原因だと考えられているものは、本当の原因ではないような気がする。家族が様々な問題やトラブルを起こすのは、そもそも家族という形態が脆弱であり、家族の関係性が希薄化もしくは劣悪化しているからではなかろうか。特に親子の関係性が非常に悪いというのが特徴であり、その根底にあるのが両親の不仲である。機能不全家族の親たちは、クレーマー、モンスターペアレンツ、アダルトチルドレン、毒親と呼ばれるような人が多い。その中で、子どもに対してもそうだが夫婦間でも、共依存や過干渉が起きている。

 

そして、これらの機能不全家族の家庭では、実に多くの問題やトラブルが起きている。問題が起きていないように見えても、実は家庭内に実に深刻な問題を内包していることが非常に多い。子どもが不登校やひきこもりになっているケースも、一見するとごく普通な家庭に見えていながら、実は機能不全家族であることが殆どである。そして、子どもが深刻な摂食障害、ギャンブル依存やゲーム依存、さらには薬物依存などに陥ることもある。または、妻や子がパニック障害、PTSD、うつ病、各種メンタル疾患を発症する例が多い。

 

それでは、どうして家族の関係性が希薄化したり劣悪化したりしているのであろうか。そしてその関係性が悪化すると、どうして機能不全家族になるのか。その原因は、システム論から考察すると明らかに出来る。家族というコミュニティはひとつのシステムであると考えられる。家族ひとりひとりがそのシステムの構成要素である。システムの構成要素である家族ひとりひとりは、お互いにいたわり合い支え合う関係性が求められる。そして、それぞれの家族は、個別最適ではなくて全体最適を目指すことが必要不可欠なのである。

 

つまり、家族というシステムは、良好な関係性と全体最適を目指すという価値観を共有しないと、システムエラーを起こしてしまうのである。システムエラーとは機能不全家族になるということであり、家庭崩壊という結果を招いてしまうという意味である。機能不全家族は、家族それぞれがばらばらであり、個別最適を優先しがちである。あまりにも自分の幸福や豊かさを実現しようとしてしまい、全体最適である家族全員の幸福実現を二の次にしてしまうと、システムエラーを起こしてしまうのである。

 

システムの構成要素である家族それぞれが、何故に良好な関係性を結べず全体最適を目指せないのかというと、それは家族間における安定した愛着が結べていないからに違いない。親子間で良好な愛着が結ばれていれば、常に自分よりも先に家族の幸福や豊かさを優先する。夫婦間でも同様である。親どうしの関係性が悪いと、親子の愛着も傷ついてしまうことが多い。愛は連鎖して循環する。夫婦間の愛情が滞ってしまうと、子どもに対して豊かな愛情を注ぐことができなくなる。特に、母親からの無条件の愛である母性愛が不足してしまう。そうなると子どもは自尊感情を持てず、愛着障害に陥ってしまうのである。

 

親子も夫婦も良好な愛着が結ばれていないと、機能不全家族になってしまう。そうすると深刻な問題が起き続け、いずれ家庭崩壊を起こしてしまう。だから、家族間の傷ついた愛着や不安定な愛着を、一刻も早く修復しなければならないのである。そのためには、システム思考を家族全員が共有することが肝要である。全体最適と関係性重視の価値観に基づいた思考と行動が必要である。このシステム思考に基づいた言動を、家族全員がお互いに続けていくと、愛着は修復されて家族というコミュニティは再生する。機能不全家族が解消されるには、これしか方法がない。

 

※自分の家庭は機能不全家族だというふうに感じましたら、「イスキアの郷しらかわ」にご相談ください。システム思考とはどういうものなのか、システム思考で生きるにはどうしたらいいのかをレクチャーいたします。家庭崩壊を防ぐ手立てを一緒に考えますし、その支援をさせてもらいます。問い合わせフォームからご相談ください。

コロナ離婚を避けるためには

コロナ離婚が急増しているという。コロナ離婚というのは、新型コロナウィルス感染症によって自宅待機やテレワークを強いられた夫のあまりにも酷い言動に、妻が耐え切れなくて決意する離婚のことを言うらしい。普段夫は仕事で昼間は会社に出掛けているから、家庭では土日しか在宅していない。ところが、毎日来る日も来る日も在宅している夫の態度が、うざったくて辟易するのだという。会社に行って仕事が出来ないというストレスも夫にあるのだろうが、妻に対する言動や態度が度を越しているということだと思われる。

新型コロナウィルス感染症は、社会生活に大きな制限や影響を与えている。生命をも危うくさせられるほどの大変なパンデミックを起こしているが、家族の絆にも影響を与えて、家族崩壊さえも起こすほどの事態を引き起こしているとは驚きだ。外出制限は、経済に深刻な影響を与えている。夜間営業の飲食店や居酒屋が営業制限を受けた影響で、家庭内での夕食や飲酒が増えたとみられる。当然、家族内の対話や触れ合いが多くなる。そのお陰で、家族の絆が深まって関係性が良好になると思っていたが、逆に家族の関係性が壊れるとは想定外だ。

それにしても、自宅待機や自宅ワークを強いられて、さらにはギャンブルや飲み会にも行けなくてイライラするのは理解できるが、その捌け口を妻や子に求めるというのは許せない。奥さんだって、学校にも行けず自宅にいる子どもの面倒を見るために外出できずストレスが溜まる。それでも、奥様方は普段は作らなくてもいい昼食やおやつを作って、家族のために苦労しているのだ。少しぐらい家事育児に協力してくれてもいい筈だ。ゲームやTVにうつつを抜かして協力せず横暴な態度をされたら、妻だってキレてしまうのは当然だ。

コロナ離婚と呼ばれているが、この感染症騒ぎがあったから離婚になった訳ではないように思われる。今までも、我慢できないような夫の言動が積み重なっていたに違いない。身勝手で自己中で、妻の気持ちにまったく共感できない夫。妻がどんなに悲しくて苦しい思いをしていても、それを察知してくれない。悩みを打ち明けても、それに共感してくれないばかりか、自分のほうに原因があるのではと責められる。それでも何とか忍耐を続けていたのに、今回のコロナ感染症騒ぎで毎日昼間も一緒にいることで、夫との離別意思が決定的になったのではあるまいか。

イスキアの活動をしていると、こういう夫を持つ妻から相談を受けることが多い。本日もゴルフ練習場である妙齢の女性から、あまりにも酷い夫の言動により、全身のあちこちに原因不明の痛みやしびれが起きているとの相談があった。どうしたらいいのかとの質問に、まずは傾聴して共感してくれる人に、たっぷりと夫に対する愚痴を聞いてもらうことだと助言した。それを何度もすると、夫の言動によっていかに自分が傷つけられているかという事実を、俯瞰するし客観視できるようになる。そうすれば、ストレスが軽減できるようになる。

それだけでは来る日も来る日も痛めつけられる精神は、穏やかにはならないだろう。毎日をどのように過ごしたらいいでしょうかとの問いに、私は「宇宙人と暮らしているんだ」と思うようにしてはどうかとアドバイスをした。同じ人間だから、日本人なんだから話が通じるに違いないと思うことがそもそも間違いなのだと認識すべきだ。夫なのだから自分の気持ちは解ってくれるものだと思うことがそもそも間違っているのである。夫は、人間の姿かたちをしている宇宙人なのだから、所詮自分の言葉を理解できないし、共感なんてしない生き物だと思うのである。

もし、コロナ離婚を言い出された夫がこのブログを読んでいたら、こうすれば離婚を食い止められる。妻の話をまずは黙って聴くことだ。謙虚に素直な気持ちで、心から謝ることだ。そして、妻の話に共感するだけでいい。アドバイスや忠告はしなくていいし、分析したり批判したりすることをしてはいけない。妻の気持ちを自分のことのように聞いて、妻と同じ感情を素直に吐露しなくてはならない。そして、辛くて悲しんでいる妻を何も言わずぎゅっと抱きしめてあげるとよい。痛い場所やしびれがないかどうかを聞いて、その箇所を優しくさすってあげるだけでいい。そうすれば、妻の心も徐々に和らいで許してくれるかもしれない。夫が優しく妻を愛すれば、妻は必ず応えてくれる筈だ。

コロナによる自宅待機でDVが増加?

ヨーロッパでは、新型コロナウィルス感染症が爆発的に増加している。その沈静化のために厳しい外出制限の措置が取られ、自宅待機が長期化しているという。その影響なのか、DVが多発していて、深刻な状況になっているのだという。外出制限のために職場に行けず、自宅での待機を強いられた父親が、ストレスが限度に達してしまい、妻子にDVを働いてしまうという構図らしい。または、ストレスが溜まった母親が子どもに対してDVをしてしまう例もある。弱い立場の者が犠牲者になってしまうのは世の常ではあるが、あまりにも悲惨である。

家庭内暴力というのは、体力や権力の強い者が弱者に対して働くケースが殆どである。たまに、ひきこもりの子どもが親に対して暴力を振るう例もあるが、その際もどちらかというと力の弱い母親が対象になることが多い。DVは、自分に対して反抗しない相手に対して行なう卑怯な行為なのである。今後の日本でも外出制限や外出規制が厳格化し長期化するに伴い、DVや虐待が急増するかもしれない。そんな不幸が起きないようにと願っているが、その可能性は高いと予想される。何故なら日本人は、基本的にストレス解消が不得意だからだ。

日本でもDVが起きる可能性が高くなる理由が他にもある。それは、家族の関係性が良好だと言えない家庭が多いからである。仮面夫婦を演じているケースが多いし、父親と子どもとの信頼関係が危うい家庭が多い。したがって、良好な家族の絆が結ばれていないし、家族の関係性が劣化・希薄化しているケースが少なくない。自宅待機が長引くと、お互いに対する思いやりがなくなるので、言い争いも起きるし、暴言や暴力に発展することも多くなるであろう。家族の関係性が悪いから、DVが起きるのである。

新型コロナウィルス感染症が起きて、学校や幼稚園が休校・休園になってしまった。そのおかげで、子どもたちも家庭に自宅待機となってしまった。当初、子どもたちが外出するのは好ましくないという捉え方をしてしまった。確かに、学校が休みだからと言っても自由に外出するのは良くないと考えるのも当然だ。買い物、映画、旅行、ゲームセンターなどに行くのは好ましくないだろう。ところが、公園に行って遊んでいる子どもがいると、各市町村の教育委員会に苦情を申し立てた人がいたらしい。それで、一時は公園に行けない子どもがいたのだ。

そんな可哀そうな子どもがいると教育委員会に訴えて、改めて文科省から通達があり、公園に子どもたちが行くのは問題ないことになった。公園に多くの子どもたちが喜んで遊ぶ姿が見られるようになった。子どもたちがどこにも出かけられなくなったら、ストレスが溜まるばかりである。我が家の孫たちは、毎日午前と午後の二回公園に連れて行き、十分に遊ばせた。時には、登山にも連れて行った。おかげで、ストレス解消が充分にできて、心身共に健康に過ごせた。大人だって、ストレス解消が必要であろう。

テレワークが可能であれば、外出するのは難しい。自宅でパソコンに向かって、仕事をしなければならない。テレワークが困難で、外出制限をされて自宅待機している大人が、自宅でTVやビデオ鑑賞で過ごすのは、あまり良いストレス解消ではない。スポーツジムや屋内運動施設でスポーツをするのも、感染の危険性が高いので好ましくない。公共交通機関を利用して遠くの公園や里山などに行くのは、感染の危険性がある。しかし、自家用車やレンタカーを利用して自然のフィールドに出て、トレッキングやキャンプをするのは構わないだろう。

普段、家族との触れ合いや対話がなくて、家族の関係性が希薄化したり劣化したりしているのであれば、この自宅待機を積極的に活用してはどうだろうか。郊外の公園や里山、キャンプ場に行って、家族でバーベキューやキャンプ、ハイキングをしてみるのも良い。豊かな自然の中で、夫婦・親子の触れ合いを楽しんで、ストレス解消をしてみてはどうだろうか。その際大人は、普段の嫌なことや辛いことを何もかも忘れて、童心に帰って思いっきりはしゃぎ回ることを勧める。そうすれば、家族の絆も深まってストレスフリーになり、DVや虐待も起きないに違いない。