岸田内閣は、異次元の少子化対策を実施すると宣言した。このまま日本で少子化が進むと、生産力が激減して国内経済も成り立たなくなるし、日本という国が消滅するとさえ言われている。確かに、少子化が進んでしまえば、働く担い手と税の負担者がいなくなるのだから、国家として存続できなくなるのは当然である。今までも政府や地方行政による少子化対策は各種実施されてきたが、たいした効果を上げていない。そこで岸田内閣は、異次元という語句を用いて、思い切った少子化対策を実施するというのだが、果たして上手く行くのだろうか。
少子化は国の根幹を揺るがす一大事だということを、多くの日本人は気付いていない。他人事として捉えていて、自分たちの未来が最悪のものになるという危機感がないといえる。それが少子化対策の進まない理由ではない。ましてや、金銭的な補助を増額したとしても、産み育てようという気持ちにはならない。そもそも、若い人たちにとって子を産み育てることが、自分とって必要不可欠なことだという認識がないのである。どちらかというと、出産育児とは大変なことであり、自分たちが大きな犠牲を払うことになるから嫌なのである。
何故に若者が産み育てようとしないのかというと、世間一般的に言われているように、産み育てる経済的な余裕がないという理由だけではなさそうだ。さらには、働きながら産み育てられる環境が整っていないというのは、大きな阻害要因にはなっていない気がする。何故なら、江戸時代以前にはもっと貧しくて育児環境の悪い農村でも、育児出産をしていたのである。その頃には、児童手当や出産手当もなかったし、子どもが多いからと年貢を少なくしてもらえる優遇制度等もなかったのである。
経済的な理由や育児環境が整備されていないから、若い夫婦たちは産もうとしない訳ではない。確かに、そういう理由で出産を控える人もいるだろうが少数である。異次元の少子化対策は、効果がないに違いない。今までだって、児童手当を増額したり保育所を増やしたりする対策を取ってきたのである。育児休暇も充実させてきたし、男性への育児休暇取得促進だってやってきたのである。それでも効果がまるで出なかったのは、もっと違う理由で少子化が起きているからである。その原因を明らかにしなければ、少子化対策も徒労になる。
現代の若い夫婦が子どもを産みたがらない理由を聞いてみると、驚くような答が返ってくる。自分のやりたいことがあり、出産育児によってそれが障害となるから産まないと返答した人がいる。または、出産育児をすると人生を楽しめる時間がなくなると答えた人も少なくない。こういう答をした人は全体から見たら少ないのかもしれないが、このように答えた人は実に正直な人であり、他の人は本心を明らかにしなかっただけではなかろうか。出産育児に大きな価値や喜びを感じていないし、自分たちの楽しい生活が優先なのである。
何故、子どもを産み育てるということに価値を感じないのであろう。それは、自分たちが幸福で楽しい生活を送るということが最優先の価値観だからである。自分たちが生まれて育ってきた意味は、豊かで幸福な人生を送るためという、実に低劣で恥ずかしい価値観を持っているのである。子を産みその子を立派に育てることは、大変なことである。でも、大きな喜びもある。何故なら、その子が大人になってから、社会に多大な貢献をすることが出来るからである。自分の人生でも大きな社会貢献の足跡を残し、さらには我が子も社会貢献したとしたら、二重の喜びになる。
さらには、子育てには苦難困難を伴う。この苦難困難を通して、親が大きく成長させられるのである。子育ては親育ちと言われる所以である。子育てをしなくては、人間としての気付きや学びが得られないことが多いのだ。子どもを持たなくても立派な方はいる。しかし、子育てで得られる経験や体験は、何事にも替えられない大きな価値があるのだ。そして、子育てで学んだことが、職場や地域に貢献する糧にもなりうるのだ。このような全体最適の価値観、または全体貢献という意識が日本人には希薄なのではなかろうか。これは日本の学校教育から思想哲学を排除した悪影響に他ならない。少子化対策よりも教育の改革こそが、少子化にとって必要なのである。正しい価値観を教える教育改革しないと、異次元の少子化対策は無駄になる。