ポイズンマザー(毒親)になってしまう訳

 不登校やひきこもりの社会復帰支援としてイスキアの活動をしていると、その要支援者の親の殆どがポイズンマザー(毒親)である。ポイズンマザーというように、その毒親は母親であるケースがとても多い。父親が毒親であるケースはないかと言うと、そうではない。父親が子育てに無関心なので、毒親として目立たないだけである。一方、母親というのは優しくて思いやりがあるという固定観念があるために、母親が毒親であるというのは際立つのであろう。毒親である当の母親は、自分が毒親であるという認識はあまりなさそうである。

 

 しかし、母親の中には自分が毒親だから子どもが不登校やひきこもりになったのではと、苦しんでいるケースがある。または、もしかして自分は毒親ではないのだろうかと、悩んでいる母親も存在する。いずれにしても、自分が毒親だとは認めたくないが、もし本当に毒親だとしたら、どうしたら毒親から抜け出せるのであろうかと苦悩していることだろう。または、望んでいた訳ではないのに、どうして自分が毒親になってしまったのだろうかと、一人で悩み続けているに違いない。ましてや、我が子から毒親だと宣言されたらショックだ。

 

 メンタルを病んでしまい、不登校やひきこもりを起こしている子どもたちは、父親のことを毒親だとはあまり思わずに、母親のことを毒親だと信じ込み執拗に攻撃するケースが多い。本当は、父親がしっかりと父性愛を注いでくれたら、母親が毒親になんかならなくても済んだのに、子どもが母親だけを責めるのはあまりにも可哀想である。勿論、母親にまったくその責任がないとは言えないが、毒親になってしまったそもそもの原因は、父親にもおおいにありそうだ。母親たちは、毒親になりたくてなった訳ではないのだ。

 

 毒親というのは、子どもに対する親らしい優しさや思いやりがなく、子どもを無条件に愛せない親である。子どもの幸せよりも自分の利益や豊かさを優先してしまう親でもある。子どもをあるがままにまるごと愛せない親だ。でも、本人にしてみれば我が子を愛そうと努力しているし、子どもを立派にしたいと思っている。しかし、子どもの愛し方が解らないし、どう扱っていいのか解らないのである。母親なら我が子を目に入れても痛くないというが、そういう実感が湧かないのだ。我が子なのに寛容と受容の態度が取れないのだ。

 

 何故、そんなふうに母親が毒親化してしまったかというと、端的に言えば必然の流れとしてそうなってしまったのである。自ら希望して毒親になる母親はいない。多くの毒親は、自分の母親もまた毒親であることが殆どである。過保護の母親を持つと、子どもが駄目になると勘違いする人が多いが、そんなことはない。過保護は良いのである。駄目なのは、母親が過干渉のケースである。または、ネグレクト(育児放棄)や虐待をされると、子どもは100%駄目になる。例外がない訳ではないが、酷い愛着障害を起こすのである。

 

 過干渉、ネグレクト、虐待をされて育った子どもは愛着障害を起こす。そういう子育てをする母親は毒親と呼ばれるが、自分自身もまたそのような毒親に育てられた体験を持つ。しかし、明らかに毒親だと解るケースなら少しは救いもあろう。自分が毒親に育てられて嫌だったから、自分はそんな母親にはなるまいと、反面教師に出来るからだ。ところが、自分の母親が毒親だと気付かずに育ち、母親になってしまったケースは深刻である。例えば、ダブルバインド(二重拘束のコミュニケーション)で養育されケースや、過干渉での子育てである。

 

 こういう過干渉やダブルバインドで育てられた子どもは、自分の親が毒親だとは気づかずに大人になる。そして、思春期から強烈な『生きづらさ』を抱えながら生きる。何とか結婚して母親になったとしても、同じようにダブルバインドや過干渉の子育てをする毒親になる。毒親の拡大再生産をすることになる。そして不思議なことに、こういう母親は発達障害の夫を持つことが多い。あまりにも過干渉だった母親だから、その反動で干渉しない寡黙な男性を選ぶのかもしれない。こうして、この毒親である母親は、誰にも助けてもらえず毒親を演じ続けしまうことになるのだ。

 

※自分が毒親ではないだろうか。自分の母親はポイズンマザーではないだろうかと苦しみ悩んでいる方は、イスキアの郷しらかわにご相談ください。どうしたら、毒親を乗り越えることができるか。または、毒親からどのように逃れられるかをアドバイスいたします。

ある青年の勇気ある行動

 ある20代前半の青年が行なった、勇気ある行動である。ある日の土曜日の夜のことである。電車で40分ぐらいの地方都市に行って、職場の仲間と懇親会を開催して帰宅途中の電車の中で事件は起きたという。酔って若い女性にからんでいる30代ぐらいの男性が乗車していた。かなりしつこくまとわりついて、名前やメールアドレスを教えろと迫っていたという。その様子を隣の車両から何気なく見ていた青年は、こういう人間に関わりあうと、ろくな目に遭わないだろうと思い、誰かが助けてくれないかと願っていたという。

 

 ところが、困っている若い女性が回りを見渡しながら助けを求めて哀願している様子なのに、誰も助けようとしなかった。そこで、この青年は勇気を振り絞って隣の車両に行き、その困っている女性と男性との間に割り入って邪魔をしたらしい。この男性は、この女性と話をしているんだからお前は邪魔をするな!とわめき散らしたけれど、この青年は毅然とした態度で、この若い女性を庇い続けたという。この男性は、しまいにはぶち切れたみたいで、オレに喧嘩を売るのか!と恫喝したらしいが、ひるむことなく若い女性の盾になってあげたのである。

 

 その時の勇気ある若き男性の心情を後から聞いたら、本当はとても恐くて恐くて仕方なかったという。相手の男性は一見労務者風で、力も強そうで凶暴な目をしていたので、何をするか解らないという恐怖があった。ましてや、殴りかかって来たらどうしようかと迷っている自分がいたという。何故なら、その青年は県立高校の臨時講師を勤めて3年目なので、例え自衛のためとはいえ暴力事件は起こしてはならないと思っていたし、運動神経は抜群なのでよけることも出来たが、平和な解決をいつも志していたので、暴力に対して暴力で対応することは絶対に避けたかったというのだ。

 

 そうこうしているうちに、この若き女性が降りる予定の駅に着いて席を立ち上がった所、この凶暴ぶりを発揮している男性も後をつけて、駅を降りようとしたのである。この青年は、自宅がある4つ先の駅で降りる予定だったのだが、このままこの女性と凶暴な男性を二人にしたままでは、何をされるか解らないと、一緒にこの駅から降りる決断をした。案の定、この青年と女性を、くだんの男性もまたを追いかけて駅の改札口を出てきたらしい。この辺の駅は田舎なので無人駅であるし、周りに人家も少なく、薄暗い。どうにかしようと後をつけて来た男性は、二人の様子を伺っていたという。

 

 この青年は機転をきかして、この若い女性に電話をかけさせて、親に迎えに来るように指示したという。そして、迎えに来るまで傍に居てあげたらしい。例の男性は、ある程度の距離をとりながら二人の様子を伺っていたが、その待っている時間が長く感じられ、襲ってきたらどうしようかと気が気ではなかったという。20分くらいしてその女性の母親がやってきて、無事に車に乗せて母親に引き渡し、自分は家の近くまで送ってもらうのが申し訳ないと、次の駅まで送ってもらうことにしたという。この辺も、奥ゆかしいというかバカ正直なくらい人が好い。

 

 車の中で、今までマスクをしたままだった女性が顔を見せて、「私のこと解りますか?」と言われて、この青年は驚いた。何と、同じ高校に通う生徒でクラスは違うが教え子の1人だったのである。生徒から言われるまで、まったく気がつかなかったらしい。助けてあげて、本当に良かったと思ったという。実は後日談がもう一つある。この女性の父親とこの青年の父親は以前からの知り合いであり、この時はその事実を知らずいたのだが、あるきっかけでそのことが判明し、お互いに驚愕する。世の中というのは、実に不思議な縁で繋がっているのだと実感することになる。

 

 電車の中で酔っ払いにからまれて困っている若い女性を、正義感を持って助けるというのは、なかなか出来ない行為である。おそらく、このような青年は世の中にはあまり居ない気がする。実際に、同じ車両にいた乗客は皆見て見ぬふりをしていたのである。この青年は、実に勇気ある行動を取ったのものだと思う。今時の若者らしくないように思う。世の中には、若い女性に対してストーカーを行なったり、無理やり乱暴したり、平気で傷つけたりする若者が多い。でも、こんな素晴らしい若者もいるということがホッとするし、嬉しく思う。こういう若者が存在するなら、日本という国も、まだまだ捨ててもんじゃないと安心する。こんな若者をもっと多く育てて、社会に送り出さなくてはならないと強く思ったものである。

日本の子どもが不幸なのは何故か

子どもの幸福度調査結果が発表され、日本の子どもの幸福度が異常に低いというが解った。日本の子どもよりも低い国はあるが、先進国の中では断トツに低いというのは、ショックなことである。精神的幸福度だけをみると、なんと37位という。今の生活に対する満足度や自殺率などを勘案して決めるらしいが、日本の子どもが不幸な気持ちで生活しているということに驚く人は多いだろう。一方ダントツで一位なのがオランダである。どういう訳でオランダがトップなのかを分析すれば、日本の低い幸福度の原因も解るに違いない。

 

オランダの子どもの幸福度が高いのは、その教育制度にあると言っても過言ではない。自由度が高いと言うか、どのような教育カリキュラムにするのか、選択権が本人と保護者に委ねられているという点である。飛び級制度は今やどの国にもあり、オランダでも採択されている。他国と違うのは、留年するかどうかを本人が選択できるという所だ。理解度に不安があれば、もう一年その学年の教育を受けられる。そして、留年による不利益や同級生からのいじめが皆無だという。国民全体が留年を認識して容認しているからである。

 

オランダの義務教育のカリキュラムは、主要教科だけが決められていて、その他の芸術科目などは選択制らしい。日本のように画一的に決められている訳ではなくて、好きなことを自分で選べて学べるという。つまり、子どもたちに大人がすべての学びを押し付けるのでなくて、子ども自身が主体性を持って選ぶのだ。そして驚くことに、システム思考を小学生に教えているという。小学生時にシステム論を教えるというのにはびっくりする。自己組織化を子どものうちから学んで身に付けるというだから素晴らしいことだ。

 

オランダの家庭における親子の絆と触れ合いも濃密で良好らしい。親子で共に過ごす時間を何よりも大切にしているし、アウトドアでの遊びやバカンスを親子で楽しむことを最優先にしている。子どもを持つ親たちは、会社で残業をしないし、勤務後の飲み会や付き合いもない。家庭サービスの為にと、有休消化率も高い。常に親子で一緒の活動を心がけているから、親子の絆が深いしお互いの信頼関係も強固なものとなっている。当然、お互いが支え合い寄り添っているから安心感がある。故に、子どもは不安感がないからチャレンジ精神も旺盛だ。

 

オランダは国家全体で教育に対する考え方を確立していて、子育てや家庭での時間を多く持てるようにと政治と経済を動かしている。ワークシェアリングを実践している。同一労働同一賃金を徹底していて、正社員でもパート・アルバイトでも同じ時給で仕事をする。何時間働くかも比較的自由で、夫婦のどちらかが短時間労働を選択して、子育てや家事を主に担う。残業手当に対する課税を強化して、残業をさせないような労働政策を取っている。当然、労働時間が短くなるので、集中して働くから労働生産性が高い。

 

企業における働き方も、オランダには驚くような商慣習があるという。日本の企業経営における顧客に対する責任の中で、重要視しているのは納期である。日本ではどんなことがあっても必ず納期を守る。ところがオランダにおいては、納期を必ず守らせるという商慣習がないらしい。例えば、残業までしても納期を守るというのは、日本では常識である。オランダでは、社員に残業までさせて納期を守ることはない。そもそも、オランダでは納期が数日ずれ込むというのは最初から織り込み済みであり、違約金やペナルティを課すということないという。納期に対するしばりは働き方に影響するから、厳しくないというのは好ましい。

 

このように政治も経済面でも、オランダでは人間中心主義を貫いている。人間としての幸福や心の豊かさを重視していて、経済や金融面での成長は二の次である。経済界全体もそれを後押ししているし、政治も家庭・人間を大切にしている。そして何よりも人間どうしの関係性を大事にしているし、全体最適を重んじている。そのために、すべての国民が主体性・自発性・自主性を持てるように子どもの時から丁寧な教育をしているのである。システム思考という価値観を国民全体が持てるように教育しているのだ。だからオランダでは子どもが幸福なのであり、日本ではシステム思考と真逆の教育をして、システム思考を無視した政治や経済運営をしているから日本の子どもは不幸なのである。

甘えさせ方を知らぬ親と甘えられぬ子

不登校やひきこもりの子どもたちを支援していてすごく感じるのは、甘えるのがとても苦手だという点である。甘え下手と言えるほど、親に甘えることがまったく出来ない子どもが多い。そして驚くことに、その親が甘えさせ方を知らないのである。甘えさせ方を知らない親なのだから、子どもが甘えることが苦手になるのは当然だ。さらに親自身の育てられ方を検証してみると、自分自身もまた甘えられずに育ったという過去を持つ。つまり、甘えられずに育った大人は、自分が親になった時に子どもに甘えさせることが出来ないのだ。

さらに付け加えると、甘えさせ方を知らない親の両親である祖父母もまた、甘えられずに育ったということが判明している。つまり、甘えることと甘えさせることを知らないということが、世代間連鎖をしているという事実があるのだ。これは、子育ての極意として伝わっている社会常識、『過保護過ぎると自立できなくなる』という教えが強く影響していると思われる。甘えさせ過ぎたり依存させ過ぎたりして育てると、甘えん坊になって自立性が損なわれてしまうと思い込んでいる人が殆どなのである。

実は、この甘えさせたり依存させたりして育てると子どもが自立できなくなるというのは、完全に間違いである。甘えさせず依存をさせないで育てると、その子どもは逆に自立できなくなる。やがて、メンタルを病んでしまい、不登校やひきこもりになるケースが多いのである。このことは、著名な児童精神科医で川崎医療福祉大学の特任教授だった佐々木正美先生は、過保護こそが大事なんだと語っていらっしゃる。そして、子育てにおいて過保護過ぎるということはまったくない、過干渉や過介入こそが問題なのだと先生は断言されている。

何故、十分に甘える経験をしないと自立できなくなるのだろうか。また、過干渉や過介入することがどうして問題なのであろうか。それは、人間の正常な精神発達において、甘えや依存という段階がどうしても必要だからである。社会通念上、甘えや依存は悪いこととされているが、そんなことはない。乳幼児期に子どもは母親に十分に甘えて無条件の愛に包まれないと、正常な自我が芽生えないのだ。人間と言うのは、最初に自我が芽生えてから、やがてその自我を乗り越えて、自我と自己を統合させて精神的に自立するのである。

また、子どものうちに過干渉や過介入を繰り返すと、人間は自己組織化が阻害されてしまうのである。つまり、あまりにも幼少期から指示・所有・支配・制御を親から受けてしまうと、人間として生きるうえで大切な、主体性・自主性・自発性・責任性・関係性が芽生えないばかりか、自己成長が止まってしまうのである。そして、オートポイエーシス(自己産生)の能力が阻害されて、自ら何も生産や産出が出来ないような人間なってしまうのだ。つまり、人間として不十分な精神を持つばかりか、身体的にも劣ってしまうことになる。

子どもが親に心から甘えるには、親が子どものことをまるごとありのままに愛する態度を取る必要がある。そのように無条件で愛されることで、甘えたり依存したりできるのである。そして、大事なのはまずは無条件の愛で十分に包まれてから、躾である条件付きの愛が注がれるという順序である。これが逆であったり同時であったりすると、自尊感情や自己肯定感が生まれず、ずっと不安感や恐怖感を持ち続けてしまい、社会に適応できなくなる。不登校やひきこもりになってしまう可能性が高くなる。

無条件の愛を通常『母性愛』と呼び、条件付きの愛を『父性愛』と名付けている。まずは母性愛をたっぷりと注がれてから父性愛を受ければ、子どもは健全に育つことができる。ところが、無条件の愛である母性愛が不十分だと、自我の芽生えがなく反抗期もなくて大人になり、精神的な自立が出来ないまま大人になる。これがアダルトチルドレンであり、愛着障害である。社会に対する不適応を起こしやすいし、メンタルを病むことが多い。だからこそ、乳幼児期に母性愛をたっぷりと注ぎ、十分に子どもを甘えさせることが必要なのである。甘えて甘えて甘え切ったら、子どもは自然と自立して親を離れるのである。

※甘えることが出来なくて甘え下手の大人になってしまったら、アダルトチルドレンや愛着障害になってしまい、ずっとその状態が続いてしまうのかと言うと、そうではありません。適切な愛着アプローチによって、甘えることを体験すると、精神的な自立が可能になります。イスキアの郷しらかわは愛着アプローチを活用して支援します。自分が甘え下手だなと感じている人は、問い合わせフォームからご相談ください。

読解力が低下したのは何故か

日本の子どもが世界的にみて、読解力が異常に低いことが解った。OECDが昨年実施した国際学習到達度調査(PISA)で、15位という先進国で最低レベルの結果が出たのである。数学的応用力で6位、科学的応用力が5位だったことを考慮すると、読解力が異常に低いことが解ろう。前々回は4位、前回が8位だったのだから、どんどん下がり続けているという実態も明らかになった。こんなにも読解力が低いというのも驚きだが、年々下がり続けているのだからショッキングなニュースだ。こんなにも読解力が低いのは何故だろうか。

文科省や政府の見解としては、こんなにも読解力が低いのは日本のICT指導教育が遅れているからと見ているらしい。だから、文科省の幹部はPC操作だけでなくタブレット端末の操作を若いうちに習得すべきだと、とんでもない勘違いの主張をしている。読解力低下の本当の理由は、そんなことではない。また、小中学生の読書離れが読解力の低下に結びついていると主張している教育評論家も多い。読み書きの訓練が少ないから、読解力が低くなったという専門家も少なくない。本当に、読解力低下の理由はそれだけであろうか。

読解力が低下しているのは、中学生や高校生だけではない。大学生や若者もまた読解力不足が著しい。そして、まともな文章を書けない若者が多い。大学の教授が学生に対してレポートの提出を求めると、どこかのウェブサイトからコピペして文章を作成したとしか思えないようなレポートばかりだという。自分の言葉で表現することが出来ないのだという。それは、語彙力がないからとも言えるし、表現力が著しく乏しいからである。これからの日本を背負って立つ若者がこのような状況では、日本の将来も相当に暗いと言える。

読解力が低下した本当の原因は、やはり日本の学校教育にあるに違いない。何故ならば、江戸時代から明治初期までの日本人は、卓越した読み書きの能力があった。それが明治の教育制度の改革によって、徐々に日本人の読み書きの能力が低下したのである。その影響が強まり続け、それが極まったのが今回の読解力低下であろう。読解力というのは、書き手の気持ちが解るということである。書き手がどんな気持ちで書いたのか、そして何を伝えたいのかとか何を訴えたいのかが、手に取るように解るということだ。それが読解力なのだ。

何故、明治維新以降にこの読解力が低下し続けたのかというと、明治政府が西欧の近代教育を取り入れたからである。当初、この西欧の近代教育を導入すると、日本人の価値観が駄目になるという理由で、西郷隆盛は猛反対した。ところが、大久保利通は西郷が不在だったのをいいことに、無理やり近代教育を制度化してしまった。この近代教育というのは、客観的合理性の教育である。能力・能率第一主義で、すべてを客観的にみるという考え方である。そして、要素還元主義とも言い、物事を細分化して問題を見つけるというやり方だ。

このような客観的合理性や要素還元主義の考え方を徹底して身に付けると、身勝手で自己中になり、相手の気持ちに共感できなくなる。実に冷たい心の持ち主になってしまうのである。共感的認知が出来なくなるので、相手の悲しさや辛さを感じなくなってしまうのだ。日本人に離婚が増えた理由のひとつも、客観的合理性の考え方をする男性が増えたからである。自分の損得や自分の欲望を優先して、妻の悲しみに共感できない夫は、妻から見捨てられる運命を辿るのである。客観的合理性の考え方も必要だが、同時に共感的関係性や全体最適性も身につけなければならない。

この共感的関係性や全体最適性というのは、人間として最優先で持たなければならない価値観である。これがないと、他人との良好な関係性を持てない。つまり、誰からも相手にされず、孤独になるということである。共感的関係性や全体最適性がないと、人間としての社会適応力を持てないということでもある。だから、読解力がない人間は、企業や組織に入っても適応力が乏しいから、低評価をされて窓際に追い込まれたり排除されたりするということである。不登校になったりひきこもりになったりするひとつの要因にもなりうる。日本の教育制度を見直して、全体最適や共感的関係性の教育に改革すべきなのである。読解力をあげるには、これしか方法がないのだ。

若者の自己肯定感が低いと批判するけど

元農林事務次官が息子を刺殺して、裁判で6年の懲役刑判決を受けた。この息子は自己肯定感が極めて低くいことが問題だったと報道されている。日本の若者は自己肯定感が極めて低いと批判されることが多い。自己肯定感というのは、自尊感情とも言われることもあるが、確かに日本人は自己肯定感がとても低いと感じる人は少なくない。そして、この自己肯定感が低いから、元農林事務次官の息子のように不登校・ひきこもりになりやすいと主張する教育関係者も少なくない。自己肯定感が低いと批判されるが、それは自己責任なのだろうか。

日本の学校教育に問題があり、自己肯定感を高めることが出来ないと言われている。常に行き過ぎた競争にさらされているし、出来たことを誉められるよりも出来ないことを徹底して否定されるからだと言われている。確かにそういう側面がない訳ではない。学校教育では、批判や否定されることが多いことから、自己肯定感が育ちにくい環境にある。しかし、それは仕方あるまい。受験戦争や就職戦線を勝ち残るためには、ある程度の競争に勝ち抜く精神力だって必要だ。ましてや、企業内の出世競争や社会競争に勝つための予備訓練でもある。

学校教育や社会教育に問題があるから、自己肯定感が育たないという考え方には同調できない。学校の教育にも少しは問題があるのかもしれないが、自己肯定感を育むのはやはり家庭教育ではなかろうか。というのは、自己肯定感や自尊感情というのは、あくまでも乳幼児期にその基礎が作られると考えられるからである。児童心理発達学において、子どもの基本的な認知や行動傾向というものは、3歳頃まで決定されると言われている。勿論、自尊感情や自己肯定感という大切な基本も、3歳から遅くても4歳までに育まれるのである。

『三つ子の魂百までも』という諺は昔からずっと言われ続けてきた。これは、多くの親の子育て経験から生まれてきたものであり、まったくその通りである。3歳までになんとしても作られるべきなのは、絶対的な自尊感情と自己肯定感であろう。そして、その自尊感情や自己肯定感は、母親が無条件の愛情をたっぷりと注げるかどうかにかかっている。あるがままに認め受け容れる豊かな母性愛を受けた子どもは、自己肯定感が育まれる。父性愛的な条件付きの愛を先に注がれてしまうと、自己肯定感が醸成されずに育ってしまう。

自己肯定感は、独りでに身につくものではないし、自分の努力でどうにかなるものではない。巷でよく言われるように、成長してから成功体験をいくら積んでも、高い評価を何度も受けたとしても、絶対的な自己肯定感を持つことはない。やはり、三歳くらいまでにありのままの自分全部を愛される経験がないと、自己肯定感が身に付くことはない。そして、この自己肯定感や自尊感情が豊かに育まれないと、愛着障害を起こすことも多い。愛着障害になると、大人になって突然メンタルを病んでしまうことも多いし、ひきこもりになるケースも少なくない。

自己肯定感を持つことは、自分の努力でどうにか出来るものではない。親が適切な子育てをすることで確立される基礎が作られるのである。父親が仕事とか何かの理由で子育てに参画できず、安定して父性愛を注ぐことが出来なくなると、母親が母性愛と父性愛の両方を子どもに注いでしまうケースが多々ある。この場合、「あなたを愛してるよ」と言う一方で、「こんなことをする子は大嫌いよ」と突き離すことを言ってしまいがちである。これはある意味ダブルバインド(二重拘束のコミュニケーション)であり、子どもは愛着障害になる。

相反する言葉で、子どもをダブルバインドで迷いや不安の状態にしてしまうと、愛着障害にさせてしまうと、自己肯定感が育つことがない。こうなると、主体性・自発性などが育たないばかりか、回避性の人格や依存性の人格を強く持ってしまう。新たなチャレンジをする勇気もなくなる。今の若者は自己肯定感がないと批判する中高年者がいるが、それはあなたたちに原因があるのだ。我が子に対する適切な愛情を注げなかったから、自尊感情や自己肯定感が育たなかったからである。自己肯定感は、自己責任ではないのである。

※自己肯定感や自尊感情が異常に低いと感じる人は、もしかすると『愛着障害』かもしれません。イスキアの郷しらかわでは、自己肯定感が低い理由とその対策についての研修をしています。愛着障害を乗り越える方法についてもレクチャーと支援をしています。問い合わせのフォームからご相談ください。

発達障害は先天性ではないから治る

発達障害は遺伝によるもので、脳の器質的障害だから、症状を抑えることは可能だが、完治することはないというのが医学界の定説だった。ところが、最新の研究と臨床経験を積み重ねた結果、それが間違いだったということが判明されたのである。今まで発達障害は先天性のものだと明言してきた医師や研究者たちは、プライドがあるものだから、さすがに素直に認めたがらない。あくまでも遺伝的なものがあって、それが育児環境によって強化されてきたと言い訳めいたことを言っている。ところが、それもあり得ないことが解ったのだ。

医学者や研究者たちというのは、素直じゃないと言うのか謙虚さが足りないようだ。自分の間違いを認めたくないという思いは解るが、患者を不幸にしてしまう医学理論に固執するのはやめてほしい。適切なアプローチをすれば治る疾病なのに、先天性のものだからと患者と家族に治癒を諦めさせるのは、科学者としてあまりにも傲慢であろう。医薬品業界に何かと世話になっている医師たちは、薬効が期待できないということは間違っても言えない。ましてや、自分を育ててくれた教授たちが主張していることが間違いだなんて、言える訳がない。

そんな医学界で、勇気を奮って間違いを指摘した医師が存在する。それは、愛着障害やパーソナリティ障害の臨床において、多大な業績をあげている岡田尊司先生である。発達障害の治療でも多くの実績を積み重ねている。そして、その豊富な実績と経験を元に著したのが『死に至る病~愛着障害~』である。岡田先生は長い期間に渡り、医療少年院の青少年に対するケアに尽力されてきた。それで、彼らがどうして深刻なパーソナリティ障害を負っているのかに注目し、その症状が愛着障害からの二次症状なのだと突き止めたのである。

さらに発達障害の少年たちの養育者や家庭環境に注目したら、実に興味深い事実を見出したのである。発達障害児の育児に深刻な問題があったのだ。一見すると普通の家庭であるが、我が子に対して母親が異常な程に干渉したり支配したりするケースが多いと気づいたのである。さらには、あるがままの子をありのままに愛するのではなくて、良い子しか好きになれないとプレッシャーをかけ続ける親が多いことに注目した。そして、子どもの主体性や自主性を奪う育児だけでなく、親と子の愛着がとても歪んでいることに気付いたのだ。

発達障害の子どもたちには、愛着障害が根底に潜んでいたのである。そして、その発達障害児の親もまた、愛着障害を抱えていたというのだから驚きである。つまり、発達障害の症状を起こしている子どもとその親には、愛着障害があったのである。つまり、愛着障害は世代間連鎖していて、その愛着障害による二次症状として発達障害が起きていただけである。つまり遺伝的な要素はなく先天性とは言えず、後天性だということが解ったというのである。ということは、愛着障害さえ癒すことが出来たなら、発達障害の症状は治ってしまうということになる。今まで、先天性の発達障害は治らないと思っていた保護者には朗報と言える。

今まで、発達障害児を持った親に対して、育児に原因があったというと言うと、それでなくても責められている母親をさらに追い詰めることになるから、先天性のものだと言ったほうが良いと専門家は思っていた。しかし、それはかえって発達障害を持つ親に希望を失わせていたに違いない。親が愛着障害を抱えたのは、実は自分の親からの育児に問題があったからである。つまり、ある意味では親もまた犠牲者なのである。だから、世代間の負の連鎖を起こしていたのだから、当事者にも責任はないし、親を責めることは出来ないのである。

そして、発達障害の子どもの愛着障害を癒すことをしなくても、親の愛着障害を修復するだけで子どもの愛着障害が改善するという驚きのケアもありうる。つまり、親の愛着障害が癒されるだけで、子どもの発達障害の症状がやわらぐのである。今まで、発達障害は先天性のものだから治らないと思い込んでいた親たちは、希望が湧いてきたに違いない。勿論、親の愛着障害を治すには適切な『愛着アプローチ』が必要不可欠である。臨時的に安全と絆を保障してくれる『安全基地』の存在があれば、愛着障害は治るし、ほどよい応答をしてくれて共感性を持って接してくれるパートナーがあれば、必ず克服できるだろう。発達障害はもはや治らない病気ではないのである。

※愛着障害から二次的に発達障害を持つ親に対して、愛着障害を起こすプロセスの説明と癒すプログラムの研修をレクチャーしています。ご希望される保護者には、愛着アプローチも実施しています。問い合わせフォームからご相談ください。

児童虐待がなくならない原因

法務省が犯罪白書2019年版を公表したが、その中で児童虐待がとんでもなく急増している実態が明らかになった。18年の児童虐待関連の検挙人数は、1419人で過去最多の人数だった。2003年は242人だったから、15年で約6倍に増えたことになる。しかし、これはあくまでも検挙者数だから、実際に児童虐待をしている親は、おそらくこの100倍から1000倍は存在するに違いない。これだけ児童虐待が問題になり、厚労省や文科省で虐待防止の対策が取られているのに、まったく効果がないというのは、行政の無策を露呈した形だ。

児童虐待防止法が改正されて、ご近所や関係者からの通報が増えて、より虐待が顕在化するようになったという影響もあろうが、こんなにも虐待が多いというのが不思議でならない。時には、再婚した連れ子に対する虐待も見受けられるが、実子に対する虐待も多いというのはまったく理解できない。何故、こんなにも児童虐待が多いのかと言うと、我が子の育てにくさとか育て方が解らないという原因もあろうかと思われる。実際、我が子をどのように躾ていいのか解らないという親が多いことは、肌で感じている。

どうして子どもの育て方が解らないのか、または育てにくさを感じてしまうのかと言うと、それは自分自身がきちんとした育てられ方をされないで親になったからであろう。人間と言うのは模倣をしながら成長していく生き物である。経験や体験を通して学ぶ生き物である。したがって、適正な育てられ方をしなかったならば、正しい育児が出来る訳がないのである。自分は愛情を豊かに注がれて、健全に育ったと思いたいだろうが、実は不適切な育児により愛着障害を抱えて大人になり、そして親になってしまった人は意外と多い。そういう愛着障害の親が、児童虐待をしてしまうのである。

例え愛着障害があったとしても、ごく普通の社会生活は送れる。企業や行政に勤めたり、結婚生活も普通に送ったりすることが出来る。しかし、こと育児に関しては、愛着障害の親が子どもを健全に育てるということはとても難しくなる。さらに、夫婦生活においても微妙なすれ違いもあるし、夫婦仲はあまり良くない。ちょっとした諍いや喧嘩が絶えない夫婦生活になることが多い。それが育児にも影響を及ぼす。児童虐待が起きている家庭においては、夫婦やパートナーとの関係が実質的に破綻していることが多い。

傍目から見ると仲のよさそうな夫婦であっても、もはやお互いに対する敬愛がなくなっている夫婦は非常に多い。どちらか一方、または両方が愛着障害である夫婦は、互恵的共存関係が築けなくて、共依存になってしまうケースが多い。そして、お互いに支配し合おうとしてしまい、ダブルバインド(二重拘束のコミュニケーション)の状態に陥りやすい。こういう親は、子どもに対してもダブルバインドで支配して、それでも言うことを聞かない子どもには虐待をしてしまうのである。そして、子どももまた酷い愛着障害を抱えてしまうことになる。

愛着障害を抱えている親は、いつも育てにくさを感じている。自分が小さいころにダブルバインドで育てられてきたから、無条件の愛で子どもを包み込むということが出来ないのである。どうしても、言うことを聞かない子どもに対して、罰や暴力で従わせようとする。そして児童虐待に発展してしまうのである。こういう親に関係機関や警察がいくら指導監督をしたとしても、虐待は止まない。根底に愛着障害がある親は、この愛着が修復されない限り、児童虐待は繰り返されるのである。当人が躾だと思い込んでいるからである。

親から、ダブルバインドや過剰な干渉・介入を受けて育った子どもは、間違いなく愛着障害になってしまう。そして、育てられる時に暴言や暴力で支配されてきた子どもが親になると、我が子を虐待してしまうのである。この虐待の世代間連鎖を止める唯一の方法は、親子(祖父母と両親)に対する家族カウンセリングしかない。それも、オープンダイアローグを活用したミラノ型の家族療法しか、虐待をなくすことは出来ないであろう。オープンダイアローグ療法を駆使すれば、虐待もなくせるし、愛着障害も癒すことができる。

※イスキアの郷しらかわでは、どうしても虐待をしてしまう親に対する支援をしています。オープンダイアローグ療法を駆使した家族療法のやり方をレクチャーしています。勿論、実際にオープンダイアローグも実施しています。まずは『問い合わせフォーム』からご相談ください。

過保護と依存が自立を阻むのか?

世の中には、子どもが自立できないと嘆いている親が、どれほど多くいるだろうか。そして、我が子が自立できない原因は、母親が過保護だからとか、甘やかし過ぎたせいだと、父親が母親を責めているケースが多い。確かに世の中の殆どの親は、子どもが親に依存しているから自立できないんだと思い込んでいる節がある。そうなってしまった原因は主に母親にあるんだと考えている人が多いが、それは完全な間違いである。子どもが自立できないのは、甘え切っていないからであり、保護が足りないからだし、十分に依存させてないからである。

依存しているから自立できていないというのはある意味正しいが、そうなってしまったのは依存が中途半端であったからなのである。現在、不登校やひきこもりの子どもが非常に多いが、これもまた過保護や依存が原因ではない。逆に保護が足りなかったからであり、甘えが不十分だったから起きていると考えたほうが合理的と言えよう。世の中の殆どの人が勘違いしているのだが、過保護はまったく問題なく、問題なのは過干渉や過介入なのである。あまりにも子どもを支配して制御し過ぎた為に、自立が出来ないのである。

動物の赤ちゃんをよく観察いると、いかに動物が過保護であるかということが解る。獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすと言われているが、あれはまったくの虚構である。実際にライオンは過保護と言われるほど子どもの面倒を見る。そして、狩りの仕方も自分で見せて覚えさすのだ。模倣する対象があって初めて、動物は学ぶことができる。そして、独り立ちできるほどに肉体の成長と経験を積ませれば、動物は独りでに自立して巣立ちする。ところが、幼いうちに母親を失ってしまい保護されずに育った動物は、自立できないのである。

人間もまた、保護されることなく十分に依存できずに大きくなると、自立できなくて巣立ちを迎えることが出来なくなってしまう。そして、最悪のケースでは不登校になってしまうし、ひきこもりになることも少なくない。または、就職してから休職をしたり離職したりを繰り返すことが多い。社会に適応することが出来なくなってしまうのだ。何故かと言うと、幼児期に保護者に甘えて甘えて甘え切っておかないと、愛着障害を起こす可能性が高いからだ。根底に愛着障害があると、不安や恐怖感から大きな生きづらさを抱えてしまうことが多い。

子どもから大人に発達して自立していく過程において、通常は先ずは『自我』が芽生えて、それから自我を乗り越えて『自己』が確立される。自我が正常に発達しないと、自己の確立は難しい。自己を確立してこそ、人間として自立したと言える。ところが、最近の子どもたちは自我が芽生えずに大人になってしまうことが少なくない。いわゆる反抗期がないのである。あったとしても、反抗期に親から徹底して押さえつけられてしまい、正常な自我が芽生えないで成長してしまうケースが多いのである。過干渉を受けて育った子どもである。

子どもが正常に自我を芽生えさせるには、安心して反抗・反発できる養育環境が必要である。ところが、過干渉や過介入を繰り返されたり、『ダブルバインド』のコミュニケーションを受けたりして育てられると、正常な自我が育たないばかりか愛着障害を起こしてしまう。ダブルバインドとは、日本語では二重拘束のコミュニケーションと訳される。親が子に一方では愛してるよと言いながら、お前のことなんか嫌いだから出ていけと言うような真逆の声掛けをする子育てである。子どもは迷ってしまい、親に心から甘えることが出来ない。

それでは、何故母親は子どもに十分な無条件の愛(母性愛)を注ぎ続けられないかというと、父親が子育てにあまり関わらないからである。この場合、母親が父親の役割までも兼務するので、子どもはダブルバインドの養育を受けてしまう。または、父親が条件付きの愛(父性愛)をあまりにも強く子どもに施すケースもある。そして、母親が保護したり依存したりすることを許さない。こういうケースでは間違いなく、子どもが自我を発揮できないし、愛着障害を起こしてしまう。当然、自己の確立も難しいし、自立できないから生きづらさを抱えて、ひきこもりや不登校になってしまうのである。過保護と依存を十分にさせて子育てすべきである。

迷走神経の暴走で不登校を起こす

不登校が益々増えている。それも低年齢化していて、小学生や幼稚園から不登校になっている子どもが増えているのである。文科省が発表している不登校の数字は、あまり増えていないが、事実は違う。保健室登校は不登校にカウントしていないし、10分でも学校に行けば、長い時間の遅刻や早退であっても不登校とはならないのである。ましてや、文科省も不登校を異常とはしないという方針に転換し、不登校を認めなさいという馬鹿な教育評論家の意見を鵜呑みにした保護者も不登校を放置しているのだから、始末に負えない。

不登校の原因は、いじめ、不適切指導、成績不良、当事者の発達障害や愛着障害、メンタル障害など多岐に渡っている。しかし、これは不登校のきっかけではあっても、真の原因ではない。不登校が起きるのは、闘うことも出来ず逃げることもかなわないような体験がトラウマ化したことによる迷走神経の暴走からである。そして、そういう迷走神経の暴走(遮断)が起きる根底には『愛着障害』があり、安全と絆が保証されていないという問題が存在する。この安全と絆が保証されていない子どもが不登校という選択しか出来なくなるのだ。

今までの自律神経の考え方では、理解できないことである。まず、迷走神経という語句について詳しく説明したい。自律神経には交感神経と副交感神経があって、その両方の神経を調整しながら我々が生きているというのは理解していることだろう。副交感神経のうち、約8割が迷走神経であることを知っている人は少ない。しかも、迷走神経には2つあって、腹側迷走神経と背側迷走神経があるということを知っているのは、医療の専門家であってもごく僅かである。さらに、その腹側迷走神経と背側迷走神経が正反対の働きをするということは、まったく知らないことであろう。

1994年に初めて米国の医学会で発表されたポリヴェーガル理論は、またたく間に米国の神経学や生理学の世界に広まった。しかしながら、こと医学界においてはなかなか認知されることはなかったようである。ましてや、日本の医学界においては、まったく興味を示されず、2015年に至ってようやくポージェス博士の論文が本になって出版されたのである。それでも、このポージェス博士のポリヴェーガル理論に日本の医学関係者が興味を示すことさえなかったのである。何故ならば、このポリヴェーガル理論を認識したら、今まで自分たちが実施してきた医学的アプローチが否定されるからである。

人間が多大なストレスやプレッシャーを受けると、副交感神経の働きが抑えられ、交感神経の働きが優位になり、ストレスなどと闘うかまたは逃げるかの選択をすることになる。さらに、逃げることも出来ず闘うことも出来ない体験をしてしまうと、その受けた体験がトラウマ化してしまうのである。そうすると、腹側迷走神経の働きが停止して、交感神経でも対処できず、腹側迷走神経のスイッチが入り、心身の遮断(シャットダウン)が起きるのである。このシャットダウンは、凍り付き・解離・フリーズとも言われ、恐ろしさのあまり、正常な判断が出来ないばかりか、身体と心がまったく動かなくなるのである。

このシャットダウンによって、普段の生活は何とか出来るものの、働くことも勉強することも出来ず、何らかの行動をすることさえも億劫になる。大人はひきこもりになるしかなく、子どもは不登校になるのである。このシャットダウンは、根底に『安全と絆』がないために起きた愛着障害から発生している。したがって、不登校の子どもに絶対的な安全と絆を提供して、不安から脱却させれば愛着障害は癒される。安全と絆を求める子どもに対して、保護者が安全基地としての役割を果たせるようになれば、愛着は修復され不登校も乗り越えられる。

ところが、保護者からの当事者に対する言葉や態度だけでシャットダウンが解けるほど、そんな単純なものではない。シャットダウンは心身共に起きているし、HSP(神経学的過敏人間)もあるし、顎関節症、原因不明の痛みやしびれ、パニック障害、PTSDなどの身体症状もあるから、カウンセリングやセラピーでは治らない。唯一、音楽療法、運動療法、ボディーケア(ボディーワーク)などの統合的ケアしか効果がないことを実際に経験している。不登校の子どもに安全と絆を実感してもらうには、保護者によるボディーケアがとても有効である。それが、迷走神経の暴走から抜け出せて、不登校を克服する唯一の方法と言える。

※不登校という状況から抜け出せなくてもがき苦しんでいる当事者、そしてそのご家族の方への相談に応じています。いろんなカウンセラーやセラピストに相談しても効果がなかったのは、迷走神経が関係しているからです。そのシステムと発生メカニズムについて詳しくご説明申し上げますし、不登校から抜け出る方法についてもお伝えします。問い合わせフォームからご相談ください。