機能性補助製品の危険性

身体の機能を補助する食品・薬品や製品がブームになっている。機能性補助食品と銘打って大々的に宣伝活動がされている。そして、その機能性補助する商品が次から次へと開発されていて、ビジネス的にも大成功を収めているケースが少なくない。最初は、衰えてしまった身体の機能を援助する薬品や健康食品から始まったらしい。特に、サプリメント類ではそのような機能補助の性格を持つものが殆どである。メタボに効果があるとして、厚労省からお墨付きをもらった機能性補助の飲料品は大量に売れている。

このような機能性補助の飲料水やサプリメントは大人気であるが、果たしてどれだけの効果があるかというと、専門家の間でも評価が分かれている。科学的に考察しても効果がある筈だとお墨付きを与えている栄養学者もいるかと思うと、一時的には効果があったとしても長い目で見るとそんなに効果はなくなるとする専門家も存在する。効果があるなしに関わらず、このような機能性補助商品はあまり副作用もないだろうし、プラシーボの効果もあるからいいんじゃないかとする消極的な評価をする医学研究者もいる。

機能性を補助する食品・薬品だけでなく、機能性を持つ補正下着やコルセット、または機能補助するスポーツタイツなども販売されている。インフルエンザや重症感染症などを予防するとして、殺菌・除菌の製品なども続々と開発されていて、大量に売れている。このような便利な商品は、乳幼児のおもちゃや日常品にも応用されている。特に、清潔さを過剰に追及する神経質なお母さんたちに絶大な支持を受けて、人気を博している。このような機能性補助製品は、実害はないだろうと厚労省や環境省も問題視をしていない。

このような機能性を補助する薬品・食品を始めとした様々な商品は、高齢者や乳幼児などの身体機能が低い方や衰えた方には、それなりに恩恵を与えていることは間違いない。しかしながら、若くて元気な人にこのような機能性補助製品は本当に必要なのだろうか。そして、このような機能性補助製品は、使用し続けることによる副作用は、本当にないのであろうか。ましてや、乳幼児に対して何でもかんでも殺菌・除菌効果のある製品を与えることによる副作用はないのかと心配である。高齢者でも、機能性補助製品に頼り過ぎることによって、本来持つ自らの機能が低下する心配は不要なのだろうか。

ひとつ例を挙げて機能性補助製品の功罪を考察してみよう。スポーツ用品の中で、機能性タイツと呼ばれるものがある。スポーツ専門メーカーや下着専門メーカー各社が開発していて、高齢者のスポーツ愛好者やアスリートに重宝されている。自分でも使用していて、確かにハードなスポーツや登山に大きな効果がある。厳しい登山後に下山する時やゴルフの際に、膝や腰に疲れが溜まってきた時に補助してくれるので、とても助かっている。しかし、この機能性タイツは絶対に日常的に使用してはならないとされているが、その注意事項を知らずに毎日履いている高齢者がいる。これはとんでもない逆効果になり危険だ。

何故かと言うと、この機能性タイツを日常的に着用し続けると、人間の本来の身体機能を劣化・低下させてしまうからである。一時的に身体機能を補助するのは良いが、あまりにも使い過ぎると、人間本来の持っている筋肉の機能が低下する。筋肉や骨格にはある程度負荷をかけないと、成長が止まるし衰えるのである。科学的に考察すると理解できるが、それは人体システムというものが持つ本来の『自己組織化』と『オートポイエーシス』いう働きを阻害するからである。人体システムに対して、あまりにも外部からのインプットがあり過ぎると、アウトプットがなくなるし、自己組織性が失われるのである。

殺菌剤・除菌剤も過剰に使用過ぎると、同じようなことが起きる。西洋医学の薬品も長期投薬をすると同じように、人間の自己組織性を低下させて、人体システムを破綻させて自己免疫力や自己治癒力を低下させてしまう。機能性補助製品を長期間使用すると、人間が生来持っている自己免疫力や自己治癒力を低下させてしまうのである。機能性補助製品というのは、便利であるし効果もあるとされているから、どうしても利用したくなるのは理解できる。しかし、長期に使用したり安易に乱用したりすると、人間の本来持っている機能を低下させる危険性があることを認識して使用すべきである。

ひきこもりは老化が進み早死に

ひきこもりの方は、あまり外出しないし運動をする習慣がない傾向にある。運動が大好きだというひきこもりの方は殆どいない。当然運動不足になる。運動をしないと、人体というシステムがとんでもない方向に向かってしまうという真実を知らない人は意外と多い。骨折して寝たきりになった高齢者は、急激にQOL(生活の質)が低下してしまうことは広く知られている。認知症になる人も少なくないし、筋肉量の低下、骨密度の低下、消化器や循環器の低下、免疫力の低下まで起きてしまう。運動が出来ない故に起きる反応であろう。

こういうQOLの低下は、運動しないことによる影響だということは知られているが、何故こういうことが起きるのかを医学的に正しく認識している人は少ない。運動しないことによる老化は、骨に関連するホルモン(神経伝達物質)によって進むということが解明された。そのホルモンとは、スクレロスチン、オステオカルシン、オステオポンチンという三つの神経伝達物質である。スクレロスチンとは骨を増やす骨芽細胞の増減に関わっている。その骨芽細胞からは人間の老化に関係するオステオカルシンとオステオポンチンというホルモンが作られているのである。

骨芽細胞から産出されたオステオカルシンが、血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなるという。反対に骨芽細胞が少なくてオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、記憶力が極端に低下してしまい、認知症にもなりやすい。つまり、骨芽細胞の多い少ないが、脳の老化を進めるかどうかを決めているというのである。

それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力を上昇させる。さらに、オステオカルシンが精巣に届くと、テストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させる。生殖能力を高めるのだ。一方、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力が活性化される。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。

どうして骨が人体の老化を支配するのかというと、どうやら骨の状況によって寿命を延ばすかどうかを決めているのではないかと見られている。どういうことかというと、骨の密度が低下して骨粗しょう症の状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるのかもしれない。さらには、筋力も低下させてしまうし生殖能力も必要ないと判断するのであろう。骨の状態を見て、少しずつ老化をさせて死を穏やかに迎えさせる準備をするとも言える。ある意味、高齢者には残酷なシステムとも言える。

その際、若返りをさせるオステオカルシンやオステオポンチンというホルモンを出す骨芽細胞を増やすかどうかを決めるのが、スクレロスチンというホルモンである。このスクレロスチンが骨細胞を作るかどうかのアクセル役とブレーキ役を果たしている。スクレロスチンが多いと破骨細胞が多くなり骨芽細胞が減少する。逆にスクレロスチンが少ないと破骨細胞が少なくなり骨芽細胞が増加する。つまり、スクレロスチンが少ないと骨細胞が増えるし、スクレロスチンが多くなると骨細胞が少なくなることが判明したのである。

スクレロスチンを少なくすれば、骨細胞を増やして老化を防げるし若返りも可能になる。このスクレロスチンの分泌量の多い人と少ない人の研究調査をしたら、運動する人が多いことが判明した。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いという。つまり、ただ歩くだけでなく、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくなることが判明したのである。運動不足の人はスクレロスチンが増加して老化させて死に向かわせる。これは若者だって例外ではない。どんな運動が良いかというと、バレーボールやバスケなどが最適だが、ひきこもりの方にはチームスポーツは合わない。とすれば、軽い縄跳びや登山などがよいし、軽いジャンプをするダンスなども勧められる。ひきこもりは、病気になりやすいし老化が早まり長生きできないということであるから、少なくても運動することを薦めたい。心を動かすためにも、身体を動かすことが必要である。

 

骨が人間の寿命を決めている?

人間の寿命は骨が決めていると言ったら、医学的常識では考えられないことであるし、そんなこと絶対ありえない話であると思うことだろう。世の中の医療関係者、特に殆どの医師は寿命を骨が決めているというエビデンスがないと主張するに違いない。人間の寿命が骨によって決められているというのは、今までは考えられなかったことである。しかし、最新の医学研究によって、人間の寿命を『骨』が決めているという衝撃の事実が判明した。

最先端の医療研究で、骨が人間の寿命を決定していることが証明された。その科学的根拠も明らかになっている。勿論、寿命は骨だけで決めている訳ではない。けれども、骨の状況が寿命を延ばすか、それとも寿命を縮めるべきなのかの重要な決定をしているというのは確かなのである。骨密度が高いのか、それとも骨密度が低いのかによって、人間の老化を進めるのか、それとも老化を阻止するのかを決めているというのは事実である。

人間の老化を促進させてしまうシステムは、骨に関連するホルモン(神経伝達物質)によって動いているという。そのホルモンとは、スクレロスチン、オステオカルシン、オステオポンチンという三つの神経伝達物質である。スクレロスチンは骨芽細胞を増やすか減らすかの決定をしている。そして、その骨芽細胞からは人間の老化に関係するオステオカルシンとオステオポンチンというホルモンが作られているのである。

骨芽細胞から産出されたオステオカルシンが、血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなるという。反対に骨芽細胞が少なくてオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、記憶力が極端に低下してしまい、認知症にもなりやすい。つまり、骨芽細胞の多い少ないが、脳の老化を進めるかどうかを決めているというのである。

それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力アップにも寄与するらしい。さらに驚くのは、オステオカルシンが精巣に届くと、なんとテストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させるというのである。また、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力を高めるのに役立っているというのだ。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。

どうして骨が人体の老化に関係しているのかというと、どうやら骨の状況によって寿命を延ばすかどうかをコントロールしているのではないかと見られる。どういうことかというと、骨の密度が低下してスカスカの状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるのかもしれない。さらには、筋力も低下させてしまうし精力も必要ないと判断するとみられる。骨の状態から判断して、少しずつ老化をさせて死に至らせる作用が働くのではないかと推察できる。ある意味、残酷なシステムとも言える。

その際、オステオカルシンやオステオポンチンというホルモンを出す骨芽細胞を増やすかどうかをコントロールするのが、スクレロスチンというホルモンだという。このスクレロスチンが骨細胞を作るかどうかのアクセル役とブレーキ役を果たしている。スクレロスチンが多いと破骨細胞が多くなり骨芽細胞が減少する。逆にスクレロスチンが少ないと破骨細胞が少なくなり骨芽細胞が増加する。つまり、スクレロスチンが少ないと骨細胞が増えるし、スクレロスチンが多くなると骨細胞が少なくなることが判明したのである。

ということは、スクレロスチンというホルモンを少なくすれば、骨細胞を増やして老化を防げるということである。もし、スクレロスチンを減少させることが出来たら、若返りすることも可能になるのである。このスクレロスチンをどうしたら減少させることが出来るのかを研究したら、運動することでそれが可能になるということが判明した。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いということが解った。つまり、ただ歩くだけでなく、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくなることが判明したのである。骨に強い刺激を与える運動が老化と死を防止して、健康で長生きさせるのである。

 

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味覚異常による深刻な危険性

日本人に味覚異常、または味覚障害が急増しているという。なにしろ、若者たちは味の濃い料理しか美味しく感じないというから困ったものだ。それも刺激的な味の食事しか美味しくないというのだから深刻だ。チェーン店で提供されるファストフードは、塩味が強く甘みが濃いものでないと売れない。インスタント食品も塩味が強くて辛いものがもてはやされる。食べログなどで点数が高く人気のある飲食店で食べる食事なんて最悪である。素材の味が感じられなくなっているほど化学調味料で胡麻化しているだけだ。

清涼飲料水やお菓子なども同じである。甘味や塩味は限界を超えている。コンビニ店で販売されているコーヒーなんて最悪である。コーヒー色がついた、ただ苦みとえぐみだけで、粉っぽいお湯を飲まされている気分になる。コーヒー本来の旨味・甘味・酸味なんて皆無である。あんなコーヒーもどきの水を美味しいと毎日飲んでいるのだから、味覚異常は相当に酷い。そして、深刻なのは自分が味覚異常だと気付いていないことだ。

味覚異常は若者だけに限ったことではない。高齢者にも多いのである。長期間に渡り糖尿病の治療を受けている人や生活習慣病で長期投薬を受けている高齢者にも味覚異常が多い。塩味が感じられなくなっているから、醤油やソースを大量に使用する。砂糖を大量に入れて煮物などの料理を作らないと美味しく感じられない。味覚異常が深刻になると、食べ物が美味しく感じられなくなり、摂食障害までも引き起こす。栄養失調にもなってしまう。

このような味覚異常者が増えてしまうと、飲食店の料理人や食品企業の商品開発担当者が味覚異常者であるというケースも出てくる。ましてや、大多数の消費者が何らかの味覚異常であるとするなら、味覚異常の提供者が味覚異常のある消費者に販売しているという構図になってしまう。これでは、正しい味覚を持った人に美味しい食が提供されなくなってしまうのである。日本の伝統的食文化が、味覚異常によって破壊されてしまうではないか。

味覚異常はどうして起きるのかというと、化学調味料や大量の食品添加物などによる原因もあろうが、亜鉛の欠乏によっても起きると言われている。日本人の食生活は乱れている。偏った食事にもなっているし、ファストフード、ジャンクフード、インスタント食品、コンビニの弁当・おにぎり・惣菜で賄っている人が多い。当然、亜鉛の不足した食事になっている。また大量の農薬・化学肥料を用いて生産された農産物は亜鉛が欠乏している。さらにある種の食品添加物は亜鉛の摂取を阻害しているのである。

こうした味覚異常は、さらなる偏食を助長していく。そうなると、亜鉛不足は益々深刻になるばかりでなく、腸内環境も悪化する。胃腸の不具合は日常化し、便秘や下痢で苦しむ人が増加している。腸内環境が悪化すると、うつ病などの気分障害も発症しやすいし、肥満になりやすい。亜鉛不足は性ホルモンの異常を来たすので、男女共に性不感症になりやすい。皮膚炎やアレルギー疾患も引き起こしやすい。生きる気力さえ失うことが多い。

味覚異常を亜鉛のサプリメントで補い改善するという方法があるが、いろんな副作用も報告されているので薦められない。やはり、食生活の改善で亜鉛不足を解消するしかない。まずは、食生活において食品添加物の少ない食品を食べることである。また、なるべく農薬や化学肥料の少ない農産物を食べることを薦める。そのうえで、亜鉛の含有量が多い食品、牡蠣、牛肉、豚レバー、鶏肉、いわし、鯖、抹茶、大豆製品などを摂取することだ。是非とも薦めたい食材は、天然の山菜である。わらび、ぜんまい、こごみ、うど等の春の恵みである。特に多いのはコゴミ(クサソテツ)だ。もし春に沢山採れたら、冷凍または乾燥して保存するとよい。コゴミを食べるとアレルギー症状が軽減する。

味覚異常は、正しい食生活をしてストレスを貯めないようにすると、治ると言われる。強度のストレスがあると、唾液の分泌が減って味蕾(みらい)の働きが悪くなると言われている。また、多少まずいと感じても化学調味料に頼らず、薄味の食事に慣れることである。外食を控えて、自分で伝統的な和食を中心にした食事を摂るとよい。カップ麺を美味しいと感じて、毎日カップ麺を食べないと気が済まなくなっている人は、間違いなく味覚異常だと思われる。カップ麺依存症は、人生をだいなしにしかねない。味覚異常は深刻な異常ではないと思って放置すると、数年後にとんでもない痛い目に遭うことであろう。

精神疾患は脳のせいじゃない!

メンタルの不調や精神疾患は、脳の不具合から起きると殆どの人は思っている。精神科医やセラピストさえも、脳の器質的な機能障害からメンタルの不具合を起こすと思い込んでいる。確かに、精神医学の世界では長年に渡ってそう教育してきたし、脳神経学の研究でもそのように発表されてきたのだから仕方ないであろう。脳内における神経伝達物質(脳内ホルモン)の分泌や受け渡しの不具合が起きて、精神疾患が発症するとされてきた。しかし、最新の医学研究ではそれが間違いだと判明したのである。

勿論、脳原因説が全面否定された訳ではない。ごく一部においては、脳の機能障害による影響があるのは間違いない。しかし、それは限定的であり、メンタルの不調は人体における全体のネットワークシステムの不具合により起きるというのが真実である。それなのに、脳の機能障害によって起きるのが精神疾患だと思い込んでいる精神科医やセラピストがいて、その脳原因説にいまだに固執していて、クライアントを治療しているのは非常に残念である。患者さんたちが可哀想で仕方がない。

精神科医の9割以上は、精神疾患に対して投薬治療を行っている。その薬剤は、脳に働く機能を持つ。精神症状はその投薬によって少しは効果がある場合が多い。しかし、その効果は限定的であるし、症状が緩和されることはあっても完治することはない。あくまでも症状を緩和する効果しかないし、次第に投薬量が増えるケースが殆どである。ましてや副作用が深刻であり、便秘や低血圧、肝機能障害というような副作用に対して、さらに薬剤投与が増える。患者はクスリ漬けにされてしまうのである。

投薬治療による効果が何故あまり上がらないのかというと、脳の機能障害が精神疾患の原因ではないからである。確かに脳の神経伝達系の異常が起きているのは、間違いないと思われる。しかし、脳の神経伝達系に働く薬を投与すると、その薬の効果を減少させようという人間の恒常性が働いてしまう。人間の脳における恒常性を保つ機能があって、そうしなければならない訳があって神経伝達系の異常を起こしていると思われる。人間全体を守る為に異常を起こしてしまっているのである。それを無理やり投薬によって直そうとすると、逆に異常を強める働きが起きると考えるべきである。

日本における精神医療において、抗うつ剤や向精神薬が大量に用いられている。そして、それらの投薬治療によって精神疾患の患者は増えることはあるものの、完治して離脱する患者は殆ど存在しない。この事実だけでも投薬治療が無駄であるばかりでなく、患者を益々苦しめているのは間違いないであろう。精神疾患が起きる原因が脳の機能障害にないのだから、治療方針や治療計画が間違っているのである。投薬治療をすべて否定している訳ではない。緊急避難的に短期間使用するケースがあるのも承知している。しかし、何ケ月や何年にも渡り同一薬剤による投薬治療を行うべきでない。患者と治療者は一刻も早くその間違いに気付いてほしいものである。

メンタル不調や精神疾患を発症する原因は、人体におけるネットワークシステムの不具合である。人体には37兆2千億個の細胞がある。細胞どうしがネットワークを持っていて、過不足なく協力し合って働いている。また細胞によって組成されている臓器、骨格、筋肉組織は同じく親密なネットワークを組んでいて、人体の全体最適を目指している。誰かに命令指示されている訳でもなく、細胞や組織自体が自発的に主体的に働いている。セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン、オキシトシンなどの神経伝達物質は、人体の適切なネットワークによって生成されて必要箇所に適量が運ばれる。

食べ物、環境因子、人間関係のストレスなどが不適切な場合に、そのネットワークが不具合を起こすのである。例えば、食品添加物、農薬、化学肥料が含まれた食事が腸内環境を悪化させると、体内ネットワークの不具合を起こすことはよく知られている。精神疾患だけでなく様々な身体的疾患もまた、人体におけるネットワークの不具合で起きることは最近知られるようになった。さらに人体のネットワークシステムの不具合は、社会における人間どうしのネットワーク(家族関係等)が希薄化したり劣悪化したりすると起きることが判明している。このネットワークを正常に戻したり再生したりすることが、メンタル不調や精神疾患を治すということを認識してほしいものである。

見返りを期待すると病気になる?

見返りを求めると病気になるなんていうと、大きな誤解をされそうだ。おそらく、私は見返りを求めたことがないのに病気になっていると、おおいに憤慨する人も多いに違いない。確かに、それぞれの行動する際に、見返りを期待している人はいないであろう。見返りというのは、そういう意味ではない。何かを期待して行動するということではなくて、知らず知らずのうちに、何らかの謝意や評価、または好かれたい自分を密かに期待しているという意味である。無意識における期待のことである。

家庭においては、子どもやパートナーに対して何も見返りなんか求めていないと言い切る人が殆どであろう。ただ、何も期待することなく世話をしたり家事育児をしたりしていると思っているに違いない。しかし、自分の心のうちを冷静に観察してほしい。どこかで、感謝の言葉や家族から好かれる自分をそっと期待していないだろうか。毎日せっせと家事育児をこなすとか、収入を得るのに仕事に精を出していても、それを当たり前のように思っている家族に何となく違和感を覚えていないだろうか。

職場において、家庭を犠牲にしても仕事第一で、身を粉にして働いているのに、正当な勤務評価を得ていないと不満を持つ人は多いことであろう。人一倍努力しているのに、待遇や昇進が思うように向上しないことに苛立つ人も多いに違いない。職場の同僚や上司には、いろんな気遣いや思いやりを持って接しているのに、どうして自分が他の人から疎まれるのは納得できないと思っている人もいることだろう。職場では何も見返りを期待する訳ではないが、無意識のレベルでは求めているものがあると思われるのである。

このように、職場でも家庭においても、意識して見返りを求めている訳ではないものの、無意識下においては淡い期待をしていることはあるだろう。実は、この淡い期待というのが叶えられないことによって、人間の心身にダメージを蓄積して行くのである。職場や家庭というには、日常性である。毎日、この淡い期待が裏切られていく生活の積み重ねこそが、心身の疾病に繋がっていくと想像する。意識していない怒りや憎しみ、悲しみや寂しさが、神経伝達系のシステム異常、自律神経の乱れや免疫システムの破綻を起こすと思われる。

どうして見返りを求める生き方が心身の疾病に繋がるのかを、科学的に解明してみたい。人間の細胞は60兆個あると想像されてきたが、どうやら37兆2千個だと解明されたようである。そして、医学や生物学、分子細胞学などの研究が飛躍的に進歩した。今までの医学常識が覆されるような大発見が起きているのである。それが、細胞の自己組織性である。近代医学においては、人体のシステムというのは脳からの指示命令によって各臓器や各組織がその機能を発揮しているものと思われてきた。その各組織や臓器を形成する細胞もまた、脳からの何らかの指示命令を受けているものと考えられてきたのである。

ところが人体システムが科学的に解明されてくると、どうやらそれは完全な間違いだったことが判明したのである。細胞そのものが、誰からも指示命令されずに、主体性・自発性・責任性を持って、人体全体の最適化の為に働いていることが解明されたのである。これをシステム論的に言うと、自己組織性と呼ぶのである。テレビ東京系列で放映されている「働く細胞」というアニメをご覧いただければ一目瞭然である。例えば白血球は、誰にも指示されていないのに、人体の生命システムを守る為に、自分を犠牲にしてでもウィルスやばい菌と戦うのである。つまり、『見返り』を一切求めず、自己犠牲を厭わずに日々働いているのである。

人体を構成する細胞が自己犠牲を厭わず、見返りを求めずに活動しているのである。それなのに、人間がたとえ無意識とはいえ、見返りを求める生き方をしたらどうなるのか。そして、その期待した見返りが叶えられないことを不満としたらどうなるであろうか。細胞や各臓器と組織が自己組織性を持って働き続けているのに、全体である人間がシステムに反する生き方をしたら、人体における免疫システムの異常や神経伝達系システムの破綻が起きるのは、火を観るより明らかである。見返りを無意識下でも求めない生き方、つまりは与え続けることを無上の歓びと感じる生き方をすれば、細胞の自己組織性と同じ生き方になる。そうすれば、心身がすこぶる健康になり疾病になることはないのである。

妻の寿命は夫が握っている

妻の寿命は夫が握っているなんてことを言うと、世の中の旦那さまからクレームが来るに違いない。そんなことはない、寿命は自分が決めている、または神様がお決めになっていると主張する男性が多いと思われる。妻の立場にある女性の多くも、そんなことはあり得ないと反論することであろう。ところが、多くの奥様たちは知らず知らずのうちに、旦那さまの言動によって心身共に傷つけられ痛めつけられ、身体疾患や精神疾患に苦しんでいる。そして、旦那さまによって寿命が縮められているということさえ自覚していない。

奥様を傷つけている旦那さま自身も、自分がそうしていることを自覚していない。つまり、夫婦が共に傷つけて傷つけられていることを自覚していないことが問題なのである。例えば、女性特有の疾病である、子宮筋腫、子宮がん、卵巣嚢腫、乳がんなどは、夫からの行き過ぎた『介入』により発症していると言っても過言ではない。独身の方も発症しているケースもあるが、それは親か上司による介入で起きている場合が多い。『介入』していない場合もあるが、それは『無関心』という態度で傷つけているのである。

介入と無関心(無視)とはどういうことなのか、具体的に示すとこういう態度である。介入とは、指示、指導、圧力であり、それが酷くなると所有、支配、制御の態度になる。つまり、夫が妻に対して、様々な言動で自分の思い通りに操ろうとするのである。妻の自由を奪い、まるで操り人形のように支配するのである。そんなことはないと言うかもしれないが、当事者たちも気付いていないだけである。勿論、夫婦お互いが尊厳を認め受け容れて愛を与えている例外もあるが、殆どの夫婦は夫が妻を支配しようとしている。

無関心(無視)の態度とは、妻の話を聞かないとか妻の姿や行動に関心を持たないという態度である。そんなことはないと夫は主張するかもしれないが、多くの夫は「あんたは私の話をちっとも聞いてくれない」と言われていることだろう。聞いているふりははしているかもしれないが、傾聴と共感の態度で聞かなければ、聞いているとは言えない。また、妻が美容院に行ってきた際、精一杯おしゃれをした時に、「それ似合うよ」と言う夫がどれほどいるだろうか。または、自分の意に添わない時に不機嫌な態度や沈黙してしまうことがあるが、これが無関心・無視の態度である。

人間という生き物は、本来自由であり自律性を持っているし、関係性をもっとも大切にして生きる。それが、夫によって支配され制御され無視されたとしたら、妻の心身はボロボロに傷付いてしまうということは容易に想像できる。妻は、夫から愛されていないし嫌われているのではないかと思い込んでしまう。それは私が悪いからではないかと、自分を責めるのである。そうすると、メンタルはボディブローのように毎日痛め続けられる。そのため、身体の血流やリンパの流れの循環機能だけでなく、人体のネットワークの不具合を起こして、臓器や筋肉組織の石灰化が起きて病気になると考えられている。

これが妻の寿命を夫が握っているというエビデンスである。夫源病という疾病があると主張しているドクターが存在する。妻が夫の機嫌を損なわないように一喜一憂しながら生きていると、様々な不定愁訴が起きて、やがて重篤な身体疾患に発展するというのである。これもやはり夫が妻の寿命を決めている証左である。ということは、妻が病気になるかどうかは、夫の態度次第ということになる。介入と無関心の態度をすることを改めないと、夫は妻を早く失ってしまうということになり、孤独になるということだ。

老後を一人で生きるというのは寂しいものである。仕事をリタイアして夫婦で余生を楽しもうと思ったら、妻が他界していないとしたら、詰まらない老後を生きることになる。または、もう我慢がならないと妻が定年を機に家を出て行くことがあるかもしれない。そんなことがないように、夫は妻の話を傾聴し共感することから始めてみてはどうだろうか。妻の寂しさ悲しさ苦しさを我がことのように聴いて、自分のことのように悲しむことを慈悲と呼ぶ。まさに慈悲の心を発揮して、妻が喜ぶことや満足することを精一杯提供しようと心を入れ替えることを薦める。そして、妻を所有・支配・制御することなく、自由を満喫させることである。そうすれば、いつまでも妻は若々しく元気で健康で長生きすることだろう。

オープンダイアローグはコミュニティケア

オープンダイアローグ(OD)が精神疾患や精神障害だけでなく、様々な社会問題の解決に対しても有効だと言える。例えば、組織における関係性の欠如から、組織の不健全化や崩壊が起きるケースがある。その際に、ODの手法を活用した日常のミーティングを徹底して行うことで、見事に関係性が復活することになる。行き過ぎた業績評価で社内競争が激烈になって、社員どうしが劣悪な関係になることはしばしば起きる。そういう時に、ODの手法でミーティングや会議をすると、社員どうしの協力関係ばかりでなく信頼関係が構築され、会社全体の業績が驚くほど回復することになる。

サッカーの日本代表がハリルホジッチの時は、選手間の連携がうまく機能せず、バラバラであった。西野監督がOD的手法で対話を重視してミーティングを活用したら、見事にチームが一丸となり、あの活躍となったのである。また、家族関係がぎくしゃくしてバラバラになることはよくあることである。この際に、ODの手法を活用して家族全体のミーティングを行うと見事に家族の関係性がよくなる。勿論、夫婦関係においてもOD的会話を心がけるだけで、見違えるように夫婦関係が改善する。会話が少なくて、親子関係が希薄化しているケースでもODが有効だ。ひきこもりや家庭内暴力が起きている家庭でも、ODで改善すると思われる。

何故ODによって社会問題が解決するのかというと、その問題がコミュニティの構成要素そのものにはなくて、その構成要素間(関係性)にこそ問題が存在するからである。様々な社会問題が起きる原因は、端的に言うとコミュニティが機能していないか、または崩壊しているからである。そして、このコミュニティの本来の機能が停止または停滞しているのは、関係性が希薄化しているか低劣化していることによる。コミュニティはひとつのシステムである。第三世代の最新システム論から言うと、家族というコミュニティが機能不全に陥るのは、関係性というネットワークが希薄化し、お互いが支えあうというシステム本来の働きが鈍るからである。

コミュニティというシステムの構成要素である個とか課・部そのものには自律性があり、オートポイエーシス(自己産生・自己産出)が働くはずなのである。したがって構成要素は、本来アクティビティ(主体性・自発性・責任性)を持ち、しかも自ら進んで自己組織化(関係性=ネットワーク化)する。さらにはオートポイエーシスにより、自らが自己進化や自己成長を遂げるのである。コミュニティというシステムは、本来自律的に全体最適を目指すのである。ところが、何らかの原因で、自己組織化の働きが鈍ることがある。そうなるとシステム全体に不具合を起こすのである。

例えば、夫婦関係の破綻や親子関係の憎悪感情など起き、家族がバラバラになり、不登校やひきこもり、または家庭内暴力などの問題が起き続ける。やがては、家庭というコミュニティは機能不全に陥る。企業も同様であり、地域もそして国家というコミュニティも崩壊してしまう。家族というコミュニティが崩壊するのは、個に問題があるからだと誤解されやすいが、そうではなくて個と個の関係性の劣悪さが問題を発生させていると見るべきである。個をいくら治療や指導教育しても改善しないのは、家族というシステムの関係性が希薄化している為に機能してしないのからである。

この関係性を良好なものに再構築することが出来たとしたら、コミュニティというシステムが本来の機能を取り戻すことが出来る筈だ。その豊かな関係性を取り戻す唯一の方法が、お互いが否定せず共感するだけの対話を続けるという、共通言語を紡ぎ出すODである。ODは構成要素である個の、一方だけの優位性を発揮させない。OD的ミーティングでは、すべて平等に取り扱うから、一方的な指示・命令・支配・制御がない。あくまでも構成要素である個が、自ら気付き学び自らアクティビティを発揮するのを待つだけである。構成要素どうしがお互いに支えあうコミュニティを創造するのである。そういう意味では、オープンダイアローグとはコミュニティケアであるとも言える。

現代ではコミュニティが機能不全に陥っていると言われている。家族の心がバラバラになりコミュニティとして機能していない。不登校、ひきこもり、児童虐待、家庭内暴力、モラハラ、などの様々な問題が起きている。企業においても不祥事が相次いでいるし、経営破綻も起きている。地域においても、お互いが支えあうという共同体意識がなくなっている。国家や官僚組織だって、モラルが欠如して収賄や文書偽造などが発生している。こういうコミュニティの機能不全をOD的な日常会話やミーティングが解決するに違いない。ODによるコミュニティケアが進化を遂げて、愛が溢れる関係性が構築され、お互いを支えあう社会が必ず実現すると確信している。

 

※家族の問題解決、または企業の問題解決にオープンダイアローグが効果を発揮します。オープンダイアローグを学びたいという方は、お問い合わせ願います。「問い合わせ」のフォームからご質問ください。

オープンダイアローグが有効な訳

オープンダイアローグ(開かれた対話)療法が統合失調症だけでなく、PTSD、パニック障害、うつ病などにも有効であるし、ひきこもりや不登校にも効果があることが解ってきたという。薬物も使わないし、カウンセリングや認知行動療法なども実施しないのに、どうして有効性を発揮するのか不思議だと思う人も多いであろう。開かれた対話だけをするだけで、どうして統合失調症が治るのであろうか。何故、オープンダイアローグ療法が有効なのか明らかにしてみたい。

オープンダイアローグを以下の記述からは便宜上ODと記すことにしたい。ODを実施する場合、原則として統合失調症が発症して24時間以内に第1回目のミーティングを実施する。緊急性を有するので、クライアントの家庭にセラピストチームが伺うことが多い。セラピストは複数人であることが絶対条件で、単独での訪問はしない。何故なら、ミーティングの途中でリフレクション(セラピストどうしの協議)を行うからである。そして、それから連日その家庭に同じメンバーが訪問して、患者とその家族を交えて10日から12日間ずっとミーティングを実施する。

ODで派遣される医師やセラピストなど治療者は、診断をしないし、治療方針もせず、治療見通しもしない。そして、そのあいまいさをクライアントが受け入れられるように、安心感を与えることを毎日続ける。ODでのミーティングは開かれた対話を徹底する。そして傾聴と共感を基本として、患者とその家族にけっして否定したり介入したりしない。一方的な会話(モノローグ)ではなくて、必ず双方向の会話(ダイアローグ)にする。開かれた質問を心がけて、必ず返答ができる質問にする。また、セラピストが逆に質問されたり問いかけたられたりした場合、絶対に無視せずに必ずリアクションをするということも肝要である。

OD療法では、患者には薬物治療を実施しない。どうしても必要な場合でも、必要最小限の精神安定剤だけである。ただひたすらに、開かれた対話だけが続けられるのである。どうして、それだけで統合失調症の症状である幻聴や幻覚がなくなるのであろうか。そもそも、幻覚と幻聴が起きるのは、現状の苦難困難を受け入れることが出来なくて、想像の世界と現実の世界の区別が難しくなるからと思われる。ましてや、この幻聴と幻覚を話しても、家族さえも認めてくれず、自分を受容し寛容の態度で接してくれる人がまったくいないのだ。他者との関係性が感じられず、まったくの孤独感が自分を覆いつくしている。

こういう状態の中で、OD療法は患者が話す幻聴や幻覚を、否定せずまるごと受け止める。その症状の苦しさ悲しさを本人の気持ちになりきって傾聴する。患者は自分の気持ちに共感してもらい安心する。さらに、家族にも患者の言葉をどのように感じたかをインタビューをして、患者の気持ちに共感できるようサポートする。家族に対しても、けっして介入しないし支配したり制御したりしない。家族の苦しさや悲しさに寄り添うだけである。

そうすると実に不思議なのであるが、患者自身が自分の幻聴や幻覚が、現実のものじゃないかもしれないと考え出すのである。患者の家族も、患者の幻覚や幻聴が起きたきっかけが自分たちのあの時の言動だったかもしれないと思い出すのである。さらには、患者と家族の関係性における問題に気付くのである。お互いの関係性がいかに希薄化していて劣悪になっていたかを思い知るのである。家族というコミュニティが再生して、お互いの共同言語が再構築されるのである。誰もそうしなさいと指示をしていないのに、患者とその家族が自ら変わろうとするのである。

勿論、仕事や地域との共同体に問題があることも認識する。いかに地域や職場におけるコミュニティにおける関係性にも問題が存在することに気付くのである。例えコミュニティの問題が解決されなくても、自分自身には問題がなく、そのコミュニティにこそ問題があると認識しただけで、安心するのである。家族の関係性の問題が解決されて、地域と職場のコミュニティの問題を家族間で共有し、お互いにそれを共感しただけで症状が改善するのである。まさに化学反応のような変化が起きるようである。人間というのは、実に不思議なのであるが、関係性が豊かになり共通言語を共有できた時に、幸福感を感じるものらしい。オープンダイアローグというのは、まさにこのような関係性の再構築が可能になるので、症状が収まるだけでなく、再発も防げるのである。

続きはまた明日に

※イスキアの郷しらかわでは、定期的にオープンダイアローグの研修会を開催しています。個別指導もしていますので、お問い合わせください。1泊2日の宿泊で学びたいとご希望それれば、個別でも家族でもレクチャーします。家族がオープンダイアローグ的対話ができるようになれば、変われます。

生きる目的を示す映画「リーディング」

エドガー・ケイシーは、14000件以上のリーディングを実施した。彼は催眠状態に入りながら、病気の原因とその治療法を正確に解き明かす。そして、その治療法を実際に行うと、見事に治癒したと言う。その膨大な記録は米国のARE財団が管理していて、その有効性の検証をしている。そして、AREではその記録を利用して、ケイシー療法として様々な疾病の治療に実績を残しているという。そのドキュメンタリー映画として「リーディング」という映画が日本で作られた。ケイシー療法で実際に疾病を治癒させた日本人がインタビューに答えている様子も紹介されている。今、白河のシネマナナハチで公開中だ。

エドガー・ケイシーがリーディングして確立したケイシー療法は、当時の医学レベルではその有効性が確認されていなかった。しかし、最先端の現代医学においては、そのエビデンス(科学的根拠)が次第に明らかにされつつあるのだから驚きである。過去世におけるカルマ(業)までもリーディングすると言うと、オカルトだと思われがちであるが、けっしてそうではない。あくまでも科学的に正しい療法であることが判明して、実際に多くの医師までもその有効性に確信を持っている。そして、そのケイシー療法を取り入れているクリニックも少なくない。

エドガー・ケイシーは、ホリスティック医学の生みの親とも言われている。現代においてホリスティック医学は一般化していて、西洋医学で治癒させられない原因不明の疾病を見事に治癒しているケースが多々あるが、エドガー・ケイシーがその先駆者である。ケイシー療法は、人間とその疾病を統合的に観察して、その原因を解明する。そして、人間の悪い一部分だけを治すのではなく、人間全体におけるアンバランスを調整して完全なる治癒を実現する。西洋医学は対症療法が主になるが、ケイシー療法は完治させることを目指す。

ケイシー療法では、西洋医学では原因不明で難治性の疾病までも治す。アトピー性皮膚炎や乾癬までも改善する。乾癬の一因は食べ物にあるとして、茄子科の野菜を一切摂取しないと、見事に改善するという。茄子、トマト、ピーマン、ジャガイモなどを食べないで、他の野菜を摂取していると症状が良くなるらしい。統合失調症の原因は、背骨の歪みにあると主張する。特に仙骨と尾骨の歪みがあると、松果体の異常が起こり、幻聴や幻覚が現れるという。発症して1年以内の統合失調症であれば、仙骨と尾骨の歪みを調整すると改善するというから不思議である。

ケイシー療法は、食生活を含めた生活全般を見直すことが主となる。野菜中心の食事にして、肉類や乳製品を摂取しないようにする。炭水化物の過剰摂取を避ける。特に小麦粉をあまり摂らないようにする。さらに、体温を上げる為にヒマシ油を用いた温湿布をする。そして、心をリラックスさせる。血液とリンパ液の循環を滞らせないようにして、毒素を排出させ、酸素供給能力を高める。身体を酸性化することを防ぎ、アルカリ性に保つ。消化吸収能力を高め、適度な栄養摂取に務める。こうすると腸内環境が改善し、自己免疫力が高まり、殆どの疾病は自然治癒するのである。

エドガー・ケイシーはある日に、大変なことをリーディングする。過去世におけるカルマ(業)が病気の原因だということを主張するのである。敬虔なクリスチャンだったケイシーは、キリスト教では認めていない輪廻転生の存在を主張する訳にはいかないのである。悩んだ末に出した結論は、キリスト教の教義よりもカルマ説を選ぶということだった。この過去世や現世のカルマを克服することで病気を治すことに繋がると言い始めたケイシーに対して、教会関係者や熱心なクリスチャンたちは反発を強めたと思われる。それでも、カルマ克服を実現して、難治性で原因不明の病気を治していくケイシーに対する世間の信頼は高まったに違いない。

カルマ(業)を克服するには、赦し、感謝、愛が必要だとケイシーは説いた。カルマを乗り越えて法(ダルマ)=真理を獲得することが人間の生きる意味ではないかとも考えた。そして、法(真理)を得るには「愛」が必要だとも説いた。それも、求める愛ではなく与える愛だとも。愛を求めていても愛は得られず、愛を与えることで愛が得られるというのである。カルマを持つこだわりの自分を赦し手放して、空いている心に神を満たすとも言っている。よこしまな心が入り込まないようにするというのである。そして、カルマを克服し法を得て、自分自身が「人々を祝福する水路」にならなければならないとケイシーは主張している。これこそが、人間の生きる目的であると我々に示してくれたのである。

 

※映画「リーディング」は、白河市内のシネマナナハチで、毎日2回午前中と夕方上映しています。検索エンジンで「シネマナナハチ」と入力すると、場所と上映時刻が表示されます。この映画をご覧ください。難病や原因不明の病気で悩まれている方は、是非ともご覧いただきたいと思います。