直観を活用するために

大事な人生の岐路に立った時、どの道を選ぶのか迷う時がある。その際、拠り所とする直観力が鋭い人と鈍い人がいる。また、直観に従って何事も上手く行く人と、直観に従うとどうしても失敗してしまう人がいる。さらにどういう訳か解らないが、直観を大切にして直観に従う人がいる一方で、直観をあまり重視しないで、論理的に検討して次の行動を決める傾向の人がいる。自分に自信がないのか、直観に従う事に対して臆病で、他人の助言や指示を重視する人がいるのである。いずれにしても、直観を大事にする人と、宛にならないと軽視する人がいるのは確かだ。

直観をとても大切にしている人は、他人の意見や助言にあまり捉われず、直観に従って上手く行くことが多いみたいである。一方、直観をあまり信用せずに、敢えて直観に従わずに、論理的に科学的に深く考察して自らの行動を決める人は、意外と後で後悔することが多いらしい。直観に従って何度も失敗するので、もう信用しなくなったという人の直感というのは実は本来の直感ではないかもしれない。それは直観というよりは、単なる不安感や恐怖感であろう。こういうものは直観とは呼ばないと心得るべきである。

本来の直感とは、『ひらめき』であり、何かを真剣に集中して考える時にはひらめくことが少ない。どちらかというと、ぼーっとしている瞬間のほうがひらめくことが多い。または、散歩している時や黙々と登山をしている際にひらめきがやってくるという。あとは意外に多いのが、お風呂に入って湯舟に沈んでリラックスしている時である。中には、トイレに長い時間入っている時にふとひらめくという人も少なくない。どうやら、直観というのは深く意識している時はなかなかやって来なくて、無心や無我の境地にある時に、突然やってくるらしい。

直観とは、何ものなんだろうか。どうして、無心や無我の境地にやってくるのであろうか。それは、直観というのは、意識している脳、つまりは表層意識ではなくて、無意識の脳であるところの、深層意識により感じるものではないかと考えられている。表層意識というのは、有意識とも呼ばれていて、人間の脳のうち約1割前後しか使用していないと言われている。一方、無意識とも呼ばれる深層意識は、脳の9割前後を占めていると言われている。つまり、私たちの脳というのは殆どが無意識によって支配されていると言っても過言ではないのである。

ということは、私たちは普段自分でこうしたいという意識に従って行動していると思っていたのに、どうやら無意識の脳によって行動させられているらしいのだ。実際に脳神経学の実験によって、このことが明らかになったのである。人間の脳は、ある行動をしようと意識するその瞬間の少し前に、既に脳は勝手に行動させる脳波を出しているというのである。そんな馬鹿なことがある訳がない。私たちは自分の意識によって行動しているのは間違いないと誰しも言う事であろう。ところが脳神経学の実験では、誰でもどんな時にも、脳波は行動しようと思い立った時のすぐ前から、既に出ていることが解ったのである。

結論から言うと、我々は有意識により行動しているのではないのだから、無意識をもっと活用するようにすると共に、無意識を正しく機能させるようにしなければならないということである。先ほど記したように、直観が不安感・恐怖感とは違うという点も認識すべきだ。不安感・恐怖感に捉われてしまうと、それが直観だと勘違いしてしまうことになる。無心、無我の境地に入り、自分の深い心に存在する直感と素直に向き合い、その直観に従うことが自分にとって正しい道を歩むことになるのだ。無心、無我の境地というのは、スポーツの世界ではZONE(ゾーン)と呼ばれている。この心を無にすることが求められている。

この無心、無我の境地に入るコツは、マインドフルネスである。仏教では唯識と呼んで、座禅、写経、読経、あらゆる修行の極意でもある。ヨガも実は瑜伽行から発していて、この唯識からのものである。マインドフルネスとは、自分の意識を何か別の何かで心を満たして、捉われている思考の一時停止をすることである。だから、何も考えずにぼーっとしている時に人間はひらめくのである。この時にふと思いついた直観が大事である。この直観が正しく思い立つ為には、普段より無意識から穢れを排する努力をして、深層意識を清浄なるものにしなくてはならない。それは、清浄なる行動によって成し遂げられる。修行僧が心の穢れを除く為に、掃除や修行に勤しむのは、身も心も清浄なるものにする為だ。正しい直感を得るには、これしかないと確信している。

 

イスキアの郷しらかわでは、マインドフルネスの研修と共に直観力を磨き高める方法をレクチャーしています。研修費用については、今年いっぱいはボランティアで実施しています。日帰りでのレクチャーも実施いたします。是非、ご活用ください。問い合わせフォームからご相談ください。

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心の病を治す

心の病を現代の近代西洋医学では完治するのは難しいということを前回のブログで記した。投薬によって一時的に症状を抑えることは出来たとしても、完全に投薬と通院から解放されることは殆どないのが日本の精神医療である。なにしろ、日本の保険診療制度が改正されまでは、精神科の入院患者は固定資産として認識され、余程の事情がない限り医師たちは退院を認めたがらなかったのである。入院の必要のない入院患者が、人権を認められない状態で留め置かれていた。イタリアの精神科長期入院患者はゼロだと言われている。日本の精神医療が遅れているのは、この事実だけをみれば明らかであろう。

心の病になる原因は、脳の器質異常や脳内ホルモンの分泌異常だけではなくて、人体全体の完全なるシステムが何故か誤作動や暴走をするからだということを前回のブログで記した。そして、そうなる根本原因は、この宇宙や社会に存在する万物が自己組織化されていて、全体最適と関係性によって成り立っているにも関わらず、その価値観に反する考え方と生き方をしているせいである。人体そのものが、全体最適と関係性のシステムで成り立っていることは、NHKスペシャルの人体シリーズでも明らかにしている。人間がその正しい摂理に逆らって生きているから病気になるのである。

人体は、常に人間全体の最適化を目指しているし、60兆個に及ぶ細胞どうしや人体組織どうしの良好な関係性によって完全なるシステムとして機能している。それなのに、人間どうしが関係性を無視して反発し合ったり、自分さえ良ければいいと身勝手な行為を続けたりすれば、社会全体が病んでしまう。地球という環境も、人間さえ良ければいいと環境破壊が進めば、そこに住む人間が健康破壊にさらされるのは当然である。心の病は、こうした本来のあるべき生き方に反した社会に対して、違和感を覚えた人々の心が痛み、人体のネットワークシステムが誤作動と暴走をしてしまったとみるべきであろう。

だから、自分だけでなく人類全体の豊かさや幸福を願う全体最適の価値観と、お互いの関係性を大切にする価値観がこの社会にしっかりと根付いていたら、心の病気にはならないのである。ところが周りを見渡すと、自分さえ良ければいいという身勝手で自己中心的な人間ばかりである。会社や学校は、関係性を損なうような行為を平気でするような人間ばかりである。心を病むような環境にあるのだから、純粋で感じやすく心根の優しい人間ほど、心の病になりやすいのである。それでは、こういうように心を病むような人は、社会が正しい姿に変革されない限り、心の病を完治させることは出来ないのであろうか。

ところが、人間というのはそんなに柔軟性のない生き物ではない。そんな社会でも健康で生きることが可能なのである。それじゃ、社会の悪を見逃して感じないように鈍感になって生きればいいのかというと、そうではないのである。そのような社会的な間違いや悪を、受け容れて許すことが必要なのである。これは、相当に難しいことではある。でもよく考えてみてほしい。全体最適と関係性重視という大切な価値観を、現代の人々が忘れてしまい、それに反する生き方をしてまったのは、近代教育制度を西欧から導入した時からである。そして、現代人がこの正しい価値観を失くしてしまったのは、本人たちに責任はないのである。それを責めることはできないし、糾弾することも適切でない。

回り人々は全体最適と関係性の哲学を忘却しているのだから、自分に対して酷い扱いや冷たい対応をするのは当然である。それを怒り憎むのではなくて、こんなことも知らないとは『可哀想だな』と、一段も二段も高い位置から観察することである。自分はそんなレベルは通り越して、もっと高いレベルの宇宙意思(偉大なる創造主)に添った生き方をしているのだから、そんな詰まらない生き方に対していちいち反応などしていられないという考え方をすべきであろう。とすれば、自分に対してとんでもないことを強いて、自分を支配し制御しようとする人間にも、腹が立たなくなるし許せるようになるのである。

このような高い意識を持つには、正しい価値観であるシステム思考の哲学を学ぶ必要がある。そして、どんなことがあっても揺るがない自己をマスターすることも求められる。全体最適と関係性というシステム思考の哲学は、一朝一夕で身に付くものではない。それこそ、量子力学などの最先端の複雑系科学と人体のネットワークシステムも含めた、最先端の脳科学や分子細胞学、そして免疫システムを学ぶことが必要である。すべての学問を統合させなければ、正しい価値観を学ぶことは出来ない。さらには、自我と自己を統合させて、自己マスタリーを実現させないと、心の病は克服できない。このシステム思考の哲学と自己マスタリーを獲得できたら、心の病を完治させることが出来るのである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、心の病を起こすメカニズムとその対応策と治癒法を、詳しくしかも解りやすく解説しています。システム思考の哲学と自己マスタリーの研修を実施しています。心の病で苦しんでいらっしゃる方、そのご家族は是非ご相談ください。長い期間医療機関で治療しているのにちっとも改善しないという方は、ご検討ください。相談や研修費用は、今年いっぱいは基本的に無料です。食事代と宿泊料しかいただきません。無料で実施する訳は、ホームページの研修日程・費用の個所に詳しく記載してあります。

量子力学的生き方をする

最近、量子力学的な生き方というのが注目を浴びているらしい。量子力学というと、物理学の最先端の科学である。それが何ゆえに生き方などという哲学になりえるのか、不思議に思う人も多いことであろう。本来、科学と哲学は相容れないものとして考えられている。科学と言うのは実証論であり、哲学は観念論だからだ。あくまでも、科学的な検証に基づいて現象を分析解明していくのが科学であり、論理的な手法によってあくまでも観念として構築されるのが哲学という考え方であろう。だから、科学者はおしなべて哲学には疎いということが言われてきたのである。

ところが、最近の科学者、とりわけ理論物理学者の間では、哲学が科学的にも正しいのではないかという考え方が支配的になってきているのである。特に量子力学を研究している科学者は、研究すればするほど哲学的な観念が科学的にも実証されつつあることに驚いているらしい。ノーベル賞を取るような欧米の最先端の物理学者は、特に仏教哲学に傾倒していると言われている。日本でも、科学と哲学を統合した『科学哲学』を研究テーマにしている科学者が出てきている。これらの研究は、日本ではまだまだ進んではいないものの、これからは間違いなく進むものと期待されている。

それでは、どうして量子力学の研究者は哲学、それも仏教哲学に注目しているのであろうか。量子力学とは、原子レベルにおける素粒子の研究をしている。物体の成り立ちや宇宙の成立を素粒子レベルで明らかにする研究をしている。宇宙における生命体も含めた物体は素粒子で出来ているのであるが、その素粒子のうち質量を持ち実体として存在しているのはほんの僅かしかなくて、99.99%以上は実体がないと言われている。この世の中に存在するすべての物体は、実体がないということが量子力学で解明されて、仏教哲学で主張しているこの世は『空』であるとする理論と同じなのである。

しかも、量子力学においては光というのは素粒子でもあり波というエネルギーだと判明しているが、二重スリット実験において人が見ているとその波動が変化するということが解ったのである。つまり、仏教哲学において、人間の意識によって実体があると思えばあり、ないと思えばないという理論が、量子力学によって証明されたのである。さらに、素粒子は関係性によって実体が存在するということも判明したが、仏教哲学では縁起律というもので明らかにしている。こんなにも量子力学と仏教哲学がリンクしているとは、実に不思議な事であるが、般若心経は量子力学的に見ても、科学的に真実だという事が解ったのである。

量子力学においては、我々の意識によってこの社会がどのようにも変容するのだから、喜びも苦しみもすべて自分の意識が引き起こしているということになる。だからこそ、我々の意識を清浄なるものにして、しかも全体の平和や豊かさを希求する意識に高めていかなければならないのである。自分や家族だけの豊かさや幸福を願うのでなく、量子力学に基づいた人類全体の最適化を目指す生き方が必要なのであろう。ノーベル賞を受賞した熱力学の権威イリヤ・プリゴジンは、宇宙の成り立ちや物体の生成と存在において、自己組織化という法則が存在していると説いている。自己組織化という概念は、全体最適化という考え方に近いと言ってもいいだろう。

最先端の医学研究によって、我々の人体もまた自己組織化の法則、つまりは全体最適のシステムによって保たれているということが解明された。そうすると、人体そのものが全体最適のシステムによって維持されているのだから、人間もまた社会で生きていくうえで、全体最適のシステムで行動すべきだということである。全体最適の生き方をしないと、大きなゆらぎが発生し、人体そのものが不健康に向かってしまうし、社会全体も不健康な存在になってしまうということである。平和が保たれず、争い事やテロ・戦争に満ちた世界になるということであろう。

だからこそ、我々人間は常に全体最適の量子力学的な生き方が求められると言っても過言ではない。量子力学においては、豊かな関係性があってこそ世界は成立しているし、我々の意識によってこの社会がどのようにも変化しているということを示している。とすれば、自分だけの豊かさや幸福を求める、言わば量子力学に反する個別最適の生き方こそが、この社会を駄目にしていると言えよう。大国のT大統領や原理主義に凝り固まったK指導者のように、自国の利益だけを追求するような考え方は、いずれ破たんを迎えるということになる。今こそ、量子力学の生き方である全体最適と関係性重視の価値観に添って生きようではないか。

 

高僧徳一と仏都会津(2)

会津に仏教を広く布教した高僧徳一という人物について触れてみたい。彼は、当時の仏教界においては、非常に著名な学僧であり、実力もあり影響力も高い僧であったらしい。法相宗の中でも、理論派として名声があったのではないかと見られる。当時の奈良仏教界では、法相宗、華厳宗、法華宗、律宗などの古い仏教宗派が実権を握っていたと推測される。政治の権力者とも結びついていて、利権や権益にしがみつき、仏教により広く人々を救済するという本来の使命を忘れてしまい、贅沢な暮らしをして堕落していたらしい。そんな奈良仏教に幻滅して、新たな布教の地を求めて会津にやってきたのであろう。

高僧徳一がどれほどすごい人物だったかというと、天台宗の伝教大師最澄との論争をしたとの記録である。実際に論争を繰り広げたのではなく、お互いに仏教の解説書を書くことでのやり取りだったという。仏教における衆生の成仏が誰でも出来るのか、それとも限られた人しか出来ないのかという論争だったと伝えられる。それにしても、高僧徳一は最澄と堂々と仏教論で渡り合ったという。さらに、高僧徳一は最澄だけでなく真言宗の弘法大師空海にも論争を挑んだ。空海はそんな挑発にはさすがに乗ることなく、大人の対応をして上手くそらしたようである。

浄土真宗の親鸞の教えは、悪人正機説に代表されるように誰でも成仏できるというものである。法華経を根本経典として仰ぐ天台宗の最澄も同じく、誰でも成仏できるという考え方であった。これは一乗説と呼ばれている。高僧徳一は三乗説を取っていて、誰でも成仏できるというのは幻想であり、やはりそれなりの元になる人間性の基礎がないと仏性を得ることが出来ないし悟れないのだとする考え方だったという。どちらが正しいかは別にして、徳一和尚は奈良仏教の退廃ぶりと会津人の素晴らしい人間性を実感して、基礎となる人間の根本となる高い価値観がないと、仏性を得ることは出来ないと思ったのではなかろうか。だから、会津を布教の地と選んだのであろう。

そんなにすごい高僧徳一は、会津に衣一枚というみすぼらしい姿でやってくる。なにしろ僧侶が贅沢な暮らしをしてはならないという考え方であり、衣服や住居も最低限のものでよいという暮らしぶりだったようである。そんな余裕のお金があれば、仏教の布教のために使用するべきだという考え方を徹底したようである。現在の僧侶たちに爪の垢でも煎じて飲まして上げたいものである。日本で仏教が廃れた一因がこのへんにもありそうだ。そして、仏の教えで人々を救うために、会津一円から始めて東北全体に仏教を広めていったと伝えられる。

その仏教を広めるにあたり、人々の信仰心をゆり起こすために、お薬師さまの教えを活用したらしい。お薬師さまというのは、ご存知のように薬師如来を指す。薬師如来というのは、左手に薬壺を持つ仏像であるから誰でも認識できる。苦しんでいる衆生をその万能の薬により、お救いする仏像として有名だ。ただお救いするだけでなく、自分でも仏性(ぶっしょう)を発揮できるように、日々努力しなさいよと温かく励ましてもくれる仏像でもある。さらに、社会的悪や人間の中に存在する鬼も懲らしめてくれる、頼りになる存在なのだ。そんな薬師信仰は東北各地に広がり、多くの素晴らしい薬師如来像をもたらしてくれたのである。

会津に多くの寺院や仏像を残してくれた徳一和尚の功績は大きい。その代表格は、一時期壮大な寺院群を形成したと言われるのが、現在の磐梯町にあった慧日寺(えにちじ)と呼ばれるお寺である。その慧日寺は衰退して、見る影もなくなってしまった。しかしながら、その慧日寺跡に金堂が10年前に再建され、さらには中門も再現されたのである。往時の慧日寺の隆盛を偲ぶことができる。また、徳一和尚が建立したと言われる柳津町の虚空蔵様と呼ばれる圓蔵寺には今も多くの参拝客が訪れて賑わっている。高僧徳一ゆかりの会津のお寺や寺跡、そして仏像を訪ねてみてはどうだろうか。

 

※イスキアの郷しらかわを利用される方々で、会津の寺社や仏像を訪ねてみたいという方には、同行してガイドもいたします。お寺の縁起や仏像のこと、さらには徳一和尚のことなどを詳しくご説明いたします。仏像は見る人の心象を映す鏡とも伝えられ、「それでいいんだよ」と優しく語りかけてくれるとも言われています。疲れて傷ついた心を癒すには、仏像巡りもお勧めできます。

高僧徳一と仏都会津(1)

仏都会津と呼ばれるほど、会津には素晴らしい仏像が多い。何故かというと、古刹名刹が多いからである。福島県内の他の地域に比して、その数は特に多い。それは、天台宗の最澄と並び称される名僧徳一(とくいつ)の功績によるものだ。奈良仏教の退廃ぶりを嘆き、東北地方に理想の仏教を広めようと、会津にやってきたという。彼の布教活動は、会津一円に留まらず、県内は勿論、宮城県や茨城県などにも及んでいる。慧日寺(えにちじ)という、今は無き壮大な寺院を足がかりにして、会津盆地に数多の寺を建立した。それらの寺に配置されたご本尊の仏像の数々が、今に残されているのであろう。

とみに著名な仏像は、湯川村勝常寺(しょうじょうじ)の国宝薬師如来三尊像である。両側に日光菩薩と月光菩薩を従えた薬師如来坐像は、その堂々とした威容を誇る。その鋭い目は、煩悩を射すくめるような眼差しをしていて、見る者を畏怖させる。この寺には、徳一和尚の坐像も現存している。ラーメンや蔵の街として著名な喜多方市には、国指定の重要文化財、願成寺(がんじょうじ)の阿弥陀三尊像がある。この阿弥陀如来は、会津大仏として地域の人々に親しまれている。両脇侍の観音菩薩と勢至菩薩も立派である。下の写真がそれであるが、光背には無数の仏像が彫られていて実に見事である。

会津坂下町には、上宇内の薬師如来像と立木観音と呼ばれる千手観音像がある。どちらも著名な仏像である。上宇内の薬師如来像は、勝常寺のそれと違い優しい眼差しをしている。立木観音は、その名の通り、生えたままの立ち木をそのまま彫り上げた仏像で、今でも根っ子はそのままだという。高さ8メートルの巨大な仏像は、人々の心の拠り所として崇められてきたのであろう。他にも、中田観音や鳥追い観音と呼ばれる『ころり三観音』等多くの仏像がある。休日にこうした仏像巡りもいいものである。

 

こんなにも素晴らしい仏像と寺社を残してくれた高僧徳一であるが、どうして仏教を布教する地として会津を選んだのであろうか。わざわざ辺境の地であった東北の田舎である会津に、こんなにもすごい高僧がやってきたのか不思議である。その当時、会津は東北の中でも文化がもっとも進んでいた地のひとつであったのは間違いなさそうである。だとしても、敢えて会津を選んだのは、違う理由があったと思われる。それは、仏教が間違いなくこの地で布教出来るという確信したからではないかと考えられる。

高僧徳一がそう思った根拠はなんであろうか。おそらく高僧徳一は、事前に会津人をリサーチしたと思われる。もしかすると、一度訪れていたのかもしれないし、そうでなければ会津の事情を詳しく知人に聞いていたと思われる。それで、会津の人々が仏教を快く受け入れてくれると確信したと思われる。仏教を受け入れて、その教えに深く帰依するかどうかは、受け入れる側の人間性に大きく影響される。さらに、仏教が広がるかどうかにもその地域の人々の人間性が問われると言われている。高僧徳一は、会津人こそ仏教を受け入れ広めてくれる人間性を持っていると判断したのであろう。

会津人は良い意味で頑固である。その頑固さというのは、新しいものを受け入れないとか古い価値観にしがみつくという頑固さではなく、あくまでも人間としてあるべき正義や忠義を忘れないというこだわりである。そして、自らの利益や権利に固執する頑固さではなく、自分は犠牲にしても人々の為、世の中の為に貢献するという価値観を大事にする頑固さでもある。まさに、これは縄文人の価値観であり、全体に貢献するという生き方である。会津人がまさに仏教を布教するに最適の地だと、高僧徳一は確信したに違いない。

残念ながら、現在の日本では既に仏教は廃れてしまっている。殆どの日本人は、仏教の国だと勘違いしているが、儀式仏教になっていて、仏教に帰依している日本人はごく少数である。世界の中で、仏教の国だと言えるのはごく僅かしかない。仏教発祥の地であるインドに仏教徒はごく僅かしかいないし、中国では仏教が否定されている。朝鮮半島にも、仏教は残っていない。スリランカ、ミャンマー、ヴェトナム、タイぐらいしか仏教の国はなくなってしまった。何故、それらの国に仏教が残っているのかというと、それらの国民が仏教の教えを受け入れる高い価値観を持っているからであろう。会津を選んだ徳一の確かな洞察力と先見性に感謝したい。【続く】

コミュニティ崩壊の原因

コミュニティがもはや崩壊してしまったと、心ある人たちの間で言われている。家族というコミュニティも、地域コミュニティも、そして国家というコミュティも崩壊してしまっていると認識している人は少なくない。家族間の繋がりは希薄化してしまい、お互いの信頼もなく、自分勝手に生きて行動し、支えあうという関係も崩壊してしまっている家庭が多い。それ故に、不登校、引きこもり、仮面親子、仮面夫婦の関係にありながら、解決する術も待たず、おろおろしている状況に置かれてしまっている。家族という最小単位のコミュニティが崩壊しているのである。学校というコミュニティも崩壊しているし、地域・国家レベルならなおさらである。

少なくても地域コミュニティがまだ残っていると言われている田舎でさえも、お互いが支えあう地域社会が少なくなってきている。超高齢者単独世帯にさえ、共同作業の人足提供を容赦なく迫るし、除雪作業を手伝ってくれるような隣人も少なくなっているのである。嘆かわしいものである。そして、国家レベルで見ても、愛国心というか自分たち日本民族を愛する心は失われ、国家的損失をしてしまうことや国民が困るようなことを平気で行う国民が多い。政治家・行政職・司法職でさえも、国民を裏切り国益を損なうような行為を平気でする世の中である。

企業においてもしかりである。愛社精神などという言葉は死語になりつつある。そりゃそうだ、経営トップだって会社のことなんて考えていない。投資家に自分がどう評価されるかということを気にして、社長という身分にしがみつき、自己保身のことしか考えていないのだから、社員だって自分中心になる訳だ。当然、お互いに助け合い支えあうといった社風は感じられず、ノウハウも独り占めにして、部下を育てようともしないのである。なにしろ、部下が自分より仕事が出来ると、自分の身が危なくなると思っている輩ばかりの社員だから、コミュニティなんてものは存在しなくなってしまったのである。

このように、いたるところでコミュニティが崩壊してしまっているのであるが、その原因は何であろうか。このコミュニティの崩壊を起こした犯人は誰なのか、追及してみたい衝動にかられる。まず、いつからこんなコミュニティの崩壊が始まったのであろうか。ある人は、小泉・竹中政権の新自由主義に踊らされてから酷くなったと言う。また別の人は、戦後の占領軍政策により、家族や地域共同体が崩壊させられてしまったと言う。いやいや、そうではない、明治維新後に近代教育が取り入れられてから、コミュニティは崩壊し始めたと主張する人もいるのである。

明治維新からコミュニティの崩壊が起き始めたというのは、あながち的外れでもないようだ。では、明治以降に近代教育の制度を取り入れて、西洋的な価値観の教育を推し進めたのは誰かというと、大久保利通という明治維新の立役者の一人だという。富国強兵を推し進めるのに、近代教育という客観的合理主義を土台とした教育が最適だと、大変な勘違いをしてしまったようなのだ。つまり、物や事象を分離思考で考え、客観的分析ですべてを把握しようと考えたのである。この考え方に則った為に、近代教育を受けたものは、他人を批判的批評的に見るという習慣を身に付け、物事を主観的に見るとか、事象や物体を全体として捉えるということが出来なくなってしまったのである。

こういった考え方は、あくまでも個を大事にし過ぎる考え方と、関係性というものをないがしろにしてしまうという習慣を植え付けてしまったのである。つまり、人間と言うものは、他との関係性を大切にして、お互いに支えあい生きるべきなのに、客観的分析手法を大事にしたために、他を批判するような人間ばかりを育ててしまったのである。故に、様々なコミュニティは崩壊してしまったのであろう。関係性や繋がりを大切に生きるという統合の思想こそが人間本来の生き方なのに、それを忘れさせてしまったのは、近代教育の導入に原因がある。近代教育こそが、コミュニティ崩壊の元凶だったと結論付けても過言ではない。だとすれば、この近代教育を見直して、関係性こそが大切なのだという本来のあるべき統合思想の教育を推進すれば、コミュニティの崩壊は止められるし、再生できるかもしれないのである。今こそ、客観的で批判的な態度を改めて、自ら主体的にコミュニティの再生に取り組んでいきたいものである。

縄文人の生き方に学ぶ

最近、縄文人の生き方が注目されている。歴史の研究が進み、さらに遺伝子の解析技術が進化したものだから、縄文人がどこからやってきたのかという祖先探しや、縄文人の生活がどうだったのかが明らかにされつつある。いまさら、何故縄文人なんかに注目するのかというと、日本人のルーツがどうなのかを明確にすることで、自分たちの今の生き方が正しいのかそれとも間違った方向に進んでいるのかが解るかもしれないのだ。または、自分たちの祖先を知ることで、もしかすると自分自身が心から肯定出来たり誇りを持てたりするかもしれないのである。実に面白いことが進みつつあるのだ。

縄文人というのは、今から約1万6,500年前から約3,000年前にわたり、13,500年間もの長い期間日本で縄文文化を築き生きた民族である。日本人の祖先の一部が、縄文人だというのは定説になりつつある。小学生の時に習った縄文文化と弥生文化は、こういう歴史観であったように思う。縄文人は狩猟民族であり、稲作や畑作はしておらず、穀物を栽培し備蓄する技術もなく、自然の猛威の中で苦労していた。ところが弥生文化が起きて、稲作の技術が伝わり豊かな生活が可能になった。穀物貯蔵の技術も発達して、安定した生活を営めるようになった。こんなふうに教えられて、何となく縄文人が弥生人に進化していったと思い込まされていたのである。

ところが、歴史研究が進んでDNA解析の技術も進化すると、どうやら縄文人と弥生人はまったく別の民族だったのではないかという説が採用されつつある。つまり、縄文人は外からやってきた弥生人によって駆逐されて、地方のほうに追いやられてしまったのではないかという推測がされているのである。沖縄の人たちのDNAとアイヌのDNAが非常に似通っているらしい。また、蝦夷と呼ばれた人たちが元々日本に住んでいた縄文人の末裔で、東北には縄文の遺跡が多数見つかることから、東北地方に縄文人が南からやってきた弥生人に追いやられてしまったのではないかと見られている。

あくまでも推測でしかないが、北九州か山口県のあたりに朝鮮半島から弥生人がやってきて、縄文人を駆逐していったのではないだろうか。おそらく日本海沿いに北上して、鳥取から福井、金沢、富山、新潟、山形、秋田あたりまできて東北一円に広まったと考えられる。鳥取の方言と東北地方の方言が似ているし、京言葉と山形庄内地方の訛りが似通っているのはそのせいかもしれない。日本人のDNAには、縄文人のDNAと弥生人のDNAが混在しているらしい。ところが、東北人のDNAには縄文人のDNAの比率が高いという。ということは、縄文人の気質が東北人には色濃く残っていると想像できよう。

さて、その縄文人であるが、あまり文化程度が高くなくて、狩猟民族だから共同体も不得意だったのではないかと見られていた。ところが、歴史研究が進むと樹木の植林や栽培技術があったことが判明してきたし、ため池を作って治水をしてきたことが解ってきたのである。自分達が豊かな生活をする為でなく、何百年後の子孫の為に共同で植林したのではないかと言われている。豊かな湧き水は、縄文人が残してくれた贈り物である。争いを好まないし、闘う道具も不足し戦闘技術も低かったから、好戦的な弥生人に駆逐されたとも言える。縄文人の共同体は関係性が豊かであったから、支え合い助け合う意識が高かったと思われる。

縄文人のDNAは、個人の利益よりも地域全体の利益や将来の子孫の利益に貢献できる気質を持っていたと思われる。そして、彼らの共同体はお互いに豊かさを分け合っていたのではないかと見られる。だから、貨幣という価値も必要なく財産を蓄えるという観念も存在し得なかったとみられる。おそらくモノの豊かさよりもみんなの心の豊かさ、平和、幸福を追求していたのではないかと思われる。人間としての本来の生き方、いや宇宙の摂理に違わない生き方ではないだろうか。東北人、または沖縄、アイヌの方々には、その縄文人のDNAが色濃く残っているからこそ、自分達のコミュニティを大事に育ててきて、その共同体意識が残されているのであろう。そんな縄文人の生き方に学び、その生き方に沿ったライフスタイルを追求して行きたいものである。

毒親なんて呼ばないで!

ネット上で、酷い親のことを毒親と呼んで非難している。つい最近放映されていた『明日の約束』というフジTV系列のドラマでも、毒親がテーマでもあった。フジTVといえば、どちらかというとお笑い系やバラエティー系を得意としていて、恋愛ものドラマを主流としていたのに、最近はこんな真面目なドラマをするようになったんだと感心しながら視ていた。視聴率は低かったが、TV関係者からは高い評価を受けていた。ドラマの最後は、ちょっとあっけなかった気もするが秀作であった。仲間由紀恵や手塚理美が毒親を好演していた。好感度の高い女優に毒親を演じさせるという斬新なチャレンジも買いたい。

このドラマでも描いていたことではあるが、誰でも毒親になりうるということである。そして、毒親もなりたくてなった訳ではなくて、ある何かによりそうさせられてしまったということに注目したいのである。つまり、毒親である本人は好んで毒親であるのではなく、止む無くというのか、知らず知らずのうちに毒親にならざるを得ない状況に追い込まれてしまったといえよう。勿論、本人に何の責任もないなどと乱暴なことは言わないが、責めるべきは本人ではなく、本人に関わる周りの人間や社会全体にも責任があるということである。毒親なんて呼ばないで欲しいものである。

毒親と呼ばれる本人は、自分のことを毒親だとはまったく思っていなくて、こんなにも子どもに対する愛情が深い親は他にはないだろうと自負していると思われる。確かに、子どもを愛する気持ちが大きく、子どもが大好きで、なによりも子どもの幸福を願っているのは間違いない。そして、多大な期待を子どもにかけているし、子どもの成功を誰よりも願っているのである。ただし、それが度を過ぎてしまい、子どもに対して過干渉になり過ぎるきらいがあることは確かである。そして、子どもの平和や幸福が脅かされる事態になると、攻撃性が牙を剥くのである。

毒親は、自分が期待するような子どもにならないとみるや、その子どもには勿論のこと、学校や学友、またはパートナーに対しても攻撃する傾向にある。期待通りの子どもにならないのは、学校、教師、塾講師、家庭教師、部活の指導者、学友、先輩にあるに違いないと思い込みがちである。そうなると、クレーマーとなり学校に乗り込んでくる事態にも発展するのである。自分も学校に何度か乗り込んだ経験があるが、それは子どもの基本的人権が明らかに侵害されたと確信したからであり、子どもを守るにはそれしか方法がなかったからである。先生にも理解してもらったし、快く応じて改善してくれた。

毒親がこのような攻撃性まで発揮するような心理状態に何故なるかというと、子育てに対する根本的な価値観の間違いが指摘されよう。そもそも子育てには正解はないと言われているが、ある程度の原則的な価値観はあるだろう。まずもって、子育ては誰の為にするのかということである。毒親も含めて殆どの人は、教育は子どもの為でしょうと即座に答える。確かに、教育は子どもが主人公であり子どもが健全に育成されることを目指すのは間違いない。しかし、本当に教育の目的はそれだけであろうか。

教育をするのは子どもの為と言い切る保護者、学校関係者、文科省の役人、政治家は多い。果たしてそうであろうか。明治維新以降、戦後は特に、思想哲学を教育から排除した。軍国主義に発展してしまったという歴史から、戦後は全体主義や国家主義までも忌み嫌った。だから、国家が教育に対して及び腰になり、教育は世の為人の為に役立つ人間を育成するということを声高に宣言しなくなってしまったのである。これが完全な間違いであったと言わざるを得ない。教育は自分の為でもあるけれど、人々を幸福にして平和に生きる世の中を創る為であり、社会全体に自ら進んで貢献できる人間として成長する手助けをするのが教育の正しい目的である筈である。

学校でも家庭においても、勉強しないと良い学校に行けなくて収入の多い職業に付けないよ、と子どもを叱咤激励する。そんな教師と親たちだから、学校ではいじめや不登校という問題が起きるのである。引きこもりが起きるのも、元を正せばそんな誤った価値観に支配されている社会に魅力を感じないからであろう。毒親が生まれるのも、そんな間違った価値観を教え込まれた故である。この世の中は本来、自分の利益を求めるために存在するのではない。量子物理学、宇宙物理学、最先端の医学、脳科学、心理学、どれを取っても、世界は全体最適と関係性によって成り立っていることを証明している。間違った教育理念が、個別最適を目指していて関係性をないがしろにしているから、こんな毒親というモンスターを自ら生み出していることを肝に銘じるべきであろう。

無言の説法

無言の説法というのは、仏教用語のひとつである。無言の説法というのは、お釈迦様が弟子たちに対し行った説法のひとつとして有名である。ただし、この無言の説法には様々な逸話として伝えられている。ひとつ目は、仏陀が入滅される際に、弟子たちに何も説かず語らずに永遠の旅路に旅立ったと伝えられる。命というものは誰でも限りがあるし無常なのであるから、いつ命が途絶えるかもしれない。だからこそ、死ぬ間際に後悔することのないように、今この時に集中し、全精力を傾けてやるべきことに当たらなければならないということを、無言で説かれていたと言われている。

二つ目の無言の説法というのは、16人いた仏陀の高弟(16羅漢)のひとり周利槃特についての逸話である。周利槃特という弟子は、物覚えが悪く何をやらせても上手く出来なかったという。そのため仏陀は、お掃除だけをやりなさいと命じた。周利槃特は、それこそ毎日ひたすら掃除を続けたという。誰が見ていなくても一心不乱に、誰よりも丁寧に心を込めて毎日休まず掃除したと言われる。その姿を人々は見て、感動し感心すると共に、このような人物に自分もなりたいものだと憧れたという。この姿を見て、これが無言の説法だと仏陀が説いたと伝えられる。

三つの無言の説法は、このような逸話である。ある日の釈尊の説法に限って何も言わず、そばにあった一輪の花を取って弟子たちに示した。 弟子たちは意味理解出来ずにいたが、たった一人だけ、摩訶迦葉(まかかしょう) だけは、にっこりとほほ笑んで深くうなずいた。 それを見た釈尊は、静かにこういった。 「 私の説法が摩訶迦葉に伝わりました」と。これが以心伝心というものであり、無言の説法だと説いたとのこと。他にも、無慈悲な行為により悲惨な目に遭うイダイケ夫人に対する慈悲を、釈尊が無言で説いたという逸話もある。

このように無言の説法についてのお釈迦様の逸話がいくつもあるが、京都の嵐山にある宝厳院というお寺に『無言の説法』を現した名庭園があるという。嵐山の景観を背景に取り入れた借景回遊式庭園がそれである。それは獅子吼(ししく)の庭と呼ばれ、そこでは無言の説法を感じると言われる。庭園内を散策して、鳥の声、風の通り過ぎる音、樹々の擦れ合う音を聴く事によって、人生の心理、正道を肌で感じるという。自然こそ、人間に何か大切なものを気付かせ学ばせるものである。自然というものは、存在そのものが心を癒し成長させくれるのである。

無言の説法というのは、このように実に興味深い教えの数々がある。この無言の説法を実体験できたのが、まさしく『森のイスキア』と佐藤初女さんだったように思うのである。心が折れてしまい、生きる気力さえ失ってしまった方が、イスキアの豊かな自然の中で無言の説法を感じて癒されたのであろう。樹々の中を通り抜ける風の音を聞き、鳥の声を聴いて、心が元気を取り戻したことであろう。自分からは何も言わずにただ話を聞いていた佐藤初女さんは、まさに無言の説法をしていたように思う。訪ねられた方々の為に、一心不乱にけっして手抜きせず料理をただひたすら作り続ける佐藤初女さんは、その後ろ姿で無言の説法をしていたに違いない。

この森のイスキアと佐藤初女さんのように、『イスキアの郷しらかわ』でも無言の説法を見習いたいと思っている。無言の説法はカウンセリングの基本であろう。佐藤初女さんのように、助言や教訓など何も言わずとも、ただ寄り添い傾聴し共感することこそ、無言の説法であろう。田園風景が広がり、近隣にはハイキングやトレッキングするのに好適な場所がいくつもある。豊かな自然があるイスキアの郷しらかわは、獅子吼の庭のような効果が得られる。そして、農家民宿のオーナー吉田さんは、自然農法で作られた米と野菜で心の籠った料理を作ってもてなす。訪ねてきた方々が、無言の説法で必ず癒されることを約束したい。

 

人生の目的

あなたの人生の目的は何ですか?と問われて、抽象的な言葉で概念化して答えられる人は、どれだけいることであろうか。または、あなたが人生を歩むにあたり、どんな価値観をよりどころとしているのでしょうか?と質問されて、私はこういう価値観を基にして、人生を歩んでいますと言語概念化が出来る人は、そんなに多いとは思えない。ともすると、人生の目的なんかなくても立派に生きていけるし、困らない。人生の価値観なんて不要だし、今までそんな価値観なんて考えたこともない。そんなふうに嘯いて、人生の目的や価値観に対して、まったく何も考えないし、考えたくもないと思っている人が殆どではないだろうか。

確かに、人生の目的や価値観なんてなくても、生きることは可能である。ただ漫然と生きるならば、という条件は付くとしても。しかし、しっかりとした目的がある人と、何も目的もなく生きる人では、その人生の行き着く所はおおいに違ってくる。何故ならば、目的がなく海図もない航海と同じだからだ。またしっかりした価値観のない人生は、コンパス(羅針盤)のない航海と同様の結果をもたらす。そんな航海は、どこかに迷い込んでしまい、難破したり座礁したりするに違いない。人生も、しっかりとした目的や価値観を持たないと、迷ったり挫折や失敗を繰り返したり、心身疾病やケガをすることになるであろう。または、年老いてから認知症になるかもしれない。

この人生の目的について有吉佐和子さんが経験したエピソードが、とても興味深いので紹介したい。有吉佐和子さんと言えば、紀ノ川、花岡青洲の妻、恍惚の人などの代表作で知られる女流人気作家である。歴史小説や社会問題を鋭く抉る小説で、一時代を築いた著名なベストセラー作家だ。その彼女が一時期、まったく小説が書けなくなったという有名な話がある。ある日から、有吉さんは小説がまったく書けなくなってしまったのである。題材、モチーフ、登場人物、粗筋、すべてが思い浮かばなくなってしまったという。それまでは、湯水の如く書く題材が湧いて出てきていたのに、何も考えられなくなったということらしい。もうこれで自分の小説家としての人生は、終焉を迎えざるを得ないのかという瀬戸際まで追い詰められてしまい、生きる気力さえ失いかけて自宅に閉じこもる日々が続いていたという。

ある時、そのことを聞き付けた知人が会いにきて、こんなことを言ったという。「有吉さん、あなたね、小説が書けなくなった原因は、小説を書く目的を見失ったからだよ」と優しく諭すように言ったという。それを素直な気持ちで聞いた有吉さんは、頭の後ろを殴られたくらいの衝撃を受けたらしい。確かに、自分が小説を書く目的を見失ってしまったから、書けなくなったのだと気付いたのである。それで、改めて自分が何のために小説を書くべきなのだろうと考えたらしい。その時ふと思いついたのは、自分もこれから高齢者になろうとしているが、老人になると仕事もなくなり生きる気力も少なくなって、充実した生き方が出来なくなるケースが多い。自分が書いた小説を読んだ高齢者の方々が、自分の生きる希望や夢を再発見し、自分達がまた生き生きとした残りの人生を歩めるようになったとしたら、自分が小説を書く意味が出てくると気付いたのである。

そのことを気付いて、自分が小説を書く目的はこれだと確信したらしい。高齢者を主人公にした小説を書いて、この小説を読んだ高齢者の方々が自分の人生を見つめなおし、老人の人生もまた素晴らしいなと思えるような気持ちになってもらいたいと強く思ったとのこと。そう思ったとたん、あれほど小説を書けなくて苦しんでいたのに、不思議なことに次から次へと題材やモチーフ、登場人物、ストーリーが思い浮かんで、書きたい小説がどんどん生まれてきたという。そして、生まれたのが「恍惚の人」などの老人を主人公にした傑作の数々なのである。

このことから導き出される結論は、人生の目的や価値観などという面倒なことはなくても生きては行けるとしても、社会に対して大きな成果を生み出したり貢献したりするには、しっかりした目的が必要だということ。しかも、その目的を確立する為には、基礎となる正しい価値観が伴わなくてはならないということだろう。有吉さんが小説を書く目的を見出したことで、小説家として復活できたように、我々も社会に何か大きな足跡を残すとか、多くの人々の幸福に寄与することをする為には、しっかりした人生の目的、それも正しい価値観に基づいた目的を持つことが必要だということである。このことを肝に銘じて、人生の目的を言語概念化したいものである。

 

※人生の目的や生きる意味を失ってしまい、何をする元気や気力もなくなり、閉じこもる生活をされている方は、イスキアの郷しらかわにおいでください。人生の目的を創生するために必要な価値観の学習を支援しています。全体最適と関係性の哲学であるシステム思考という価値観を学びます。この価値観を学ぶことで人生の目的を見つけられます。