オープンダイアローグが有効な訳②

オープンダイアローグ(OD)が何故有効なのかというと、ひとつは今までの精神療法や心理療法でよい効果がある部分を統合的に活用しているということもある。まずはベイトソンのダブルバインドの理論の一部を参考にしているという点である。さらにベイトソンのシステム論を発展させたイタリアのミラノ派の家族療法をも参考にしていることも特筆される。ODは、単なる診断や治療をすることを優先させることなく、あくまでも現状を認め受け入れて、その将来の不確実性を皆で共有して安心させていくのである。クライアントたちが変化するかどうかは、セラピストが決めるのではなくて、家族を含めたクライアント側が決めるという点が斬新である。

さて、今までの精神科の治療や心理療法などを行う際、あくまでも治療をする主体者となるのは医師またはセラピストである。診断し、治療計画を立て、その計画にしたがって治療をするという決定は治療者が実施する。当然、決定権は治療者が持つのであるから、治療者である医師やセラピストがクライアントよりも優位にならざるを得ない。質問したり指示したりするのも、圧倒的に治療者が優位性を保ったままに行われる。つまり、クライアントは受け身であり、主体性や自発性などのアクティビティを持つことは制限されてしまうのである。

人間というのは、自分で判断し自分で決定したものは自発的に実践したくなる。そして結果責任も自分が持ちたくなる傾向が強い。他人が決定して他人がそれを実践したとなると、あくまでも受動的になるから、そこに自らリスクとコストを持つことはない。クライアントが自ら変化するかどうかの決定を自分がするのであれば、能動的になるのは当然である。つまり自ら自己組織化をするひとつのシステムである人間は、アクティビティを自ら発揮する存在なのだ。OD療法はそれを支援するシステムなのだから、人間として自ら自己組織化するし、分断から統合へと向かうのであろう。

OD療法は詩学的であり高い文学性を持つという点が注目される。対話で重要な働きをするのは言葉である。それも単なるコンテンツではなく、コンテキストでありセンテンスである。しかも、意味深くて、なるべく長いセンテンスであって物語性を持つ。ここにナラティブセラピーの要素も含み、ストーリー性をも大切にしている点がある。古い価値観に支配されたドミナントストーリーを自ら捨てられるよう支援をする。そして、新たな価値観に基づいたオルタナティブストーリーを自ら進んで構築するのを、ただ対話を続けながら支援する。その際、セラピストはある意味「詩人」であり「ストーリーテラー」でなければならない。ODは、まさしく相手と自分を統合させ、クライアントが自ら統合したくなるような言葉を紡ぎ出すのである。

このように、OD療法というのは精神医学の重要なエッセンスを保ちながら、文学性や哲学性、さらには社会科学的な要素も取り入れている。勿論、最新の自然科学である自己組織化の理論も含んでいる。つまり、統合的な治療理論なのである。人間どうしの統合や精神の統合を目指しているOD療法が、まさしく統合そのものであるという点がユニークなのである。だから、このODという手法が有効性を持つに違いない。

今まで精神疾患や精神障害というものが脳の機能障害によって起きるものだと考えられてきたが、最新の医学ではそれが否定されつつある。脳だけの機能障害だけでなく、腸や腎臓などの各臓器、筋肉組織、骨、神経組織、など人体すべてのネットワークに障害が起きることで障害が起きることが解ってきたのである。言い換えると、統合されている人体という全体が、それを構成する各部分が分断化や孤立をした時にこそ、様々な障害が起きるということが判明したのである。当然、治療は分断化された部分を統合へと向かう支援をすることが求められるが、それがまさしくOD療法なのである。

さらに言えば、精神疾患や精神障害というものが身体的な部分の分断化だけでなく、社会的にも分断と孤立をすることによって起きているとも言える。つまり、家族というコミュニティが分断し、絶対的な孤立感を持つことで精神疾患が発症するきっかけを生み出すと考えられている。さらには、職場や地域においても社会的に孤立することも深く影響していると思われる。OD療法は、コミュニティそのものの統合を支援するのである。共通言語というものを紡ぎ出し、開かれた対話によってお互いの関係性を再構築するのだ。OD療法というのは、希薄化・低劣化してしまった関係性を『対話』によって、良好な関係性に変革する働きを持つのである。つまり、ODはコミュニティケアをも実現するのである。だから、再発がなくなってしまうのであろう。

 

さらに明日に続く

 

※イスキアの郷しらかわでは、オープンダイアローグの研修会を開催しています。個別指導もいたします。まずは問い合わせをお願いします。

オープンダイアローグが有効な訳

オープンダイアローグ(開かれた対話)療法が統合失調症だけでなく、PTSD、パニック障害、うつ病などにも有効であるし、ひきこもりや不登校にも効果があることが解ってきたという。薬物も使わないし、カウンセリングや認知行動療法なども実施しないのに、どうして有効性を発揮するのか不思議だと思う人も多いであろう。開かれた対話だけをするだけで、どうして統合失調症が治るのであろうか。何故、オープンダイアローグ療法が有効なのか明らかにしてみたい。

オープンダイアローグを以下の記述からは便宜上ODと記すことにしたい。ODを実施する場合、原則として統合失調症が発症して24時間以内に第1回目のミーティングを実施する。緊急性を有するので、クライアントの家庭にセラピストチームが伺うことが多い。セラピストは複数人であることが絶対条件で、単独での訪問はしない。何故なら、ミーティングの途中でリフレクション(セラピストどうしの協議)を行うからである。そして、それから連日その家庭に同じメンバーが訪問して、患者とその家族を交えて10日から12日間ずっとミーティングを実施する。

ODで派遣される医師やセラピストなど治療者は、診断をしないし、治療方針もせず、治療見通しもしない。そして、そのあいまいさをクライアントが受け入れられるように、安心感を与えることを毎日続ける。ODでのミーティングは開かれた対話を徹底する。そして傾聴と共感を基本として、患者とその家族にけっして否定したり介入したりしない。一方的な会話(モノローグ)ではなくて、必ず双方向の会話(ダイアローグ)にする。開かれた質問を心がけて、必ず返答ができる質問にする。また、セラピストが逆に質問されたり問いかけたられたりした場合、絶対に無視せずに必ずリアクションをするということも肝要である。

OD療法では、患者には薬物治療を実施しない。どうしても必要な場合でも、必要最小限の精神安定剤だけである。ただひたすらに、開かれた対話だけが続けられるのである。どうして、それだけで統合失調症の症状である幻聴や幻覚がなくなるのであろうか。そもそも、幻覚と幻聴が起きるのは、現状の苦難困難を受け入れることが出来なくて、想像の世界と現実の世界の区別が難しくなるからと思われる。ましてや、この幻聴と幻覚を話しても、家族さえも認めてくれず、自分を受容し寛容の態度で接してくれる人がまったくいないのだ。他者との関係性が感じられず、まったくの孤独感が自分を覆いつくしている。

こういう状態の中で、OD療法は患者が話す幻聴や幻覚を、否定せずまるごと受け止める。その症状の苦しさ悲しさを本人の気持ちになりきって傾聴する。患者は自分の気持ちに共感してもらい安心する。さらに、家族にも患者の言葉をどのように感じたかをインタビューをして、患者の気持ちに共感できるようサポートする。家族に対しても、けっして介入しないし支配したり制御したりしない。家族の苦しさや悲しさに寄り添うだけである。

そうすると実に不思議なのであるが、患者自身が自分の幻聴や幻覚が、現実のものじゃないかもしれないと考え出すのである。患者の家族も、患者の幻覚や幻聴が起きたきっかけが自分たちのあの時の言動だったかもしれないと思い出すのである。さらには、患者と家族の関係性における問題に気付くのである。お互いの関係性がいかに希薄化していて劣悪になっていたかを思い知るのである。家族というコミュニティが再生して、お互いの共同言語が再構築されるのである。誰もそうしなさいと指示をしていないのに、患者とその家族が自ら変わろうとするのである。

勿論、仕事や地域との共同体に問題があることも認識する。いかに地域や職場におけるコミュニティにおける関係性にも問題が存在することに気付くのである。例えコミュニティの問題が解決されなくても、自分自身には問題がなく、そのコミュニティにこそ問題があると認識しただけで、安心するのである。家族の関係性の問題が解決されて、地域と職場のコミュニティの問題を家族間で共有し、お互いにそれを共感しただけで症状が改善するのである。まさに化学反応のような変化が起きるようである。人間というのは、実に不思議なのであるが、関係性が豊かになり共通言語を共有できた時に、幸福感を感じるものらしい。オープンダイアローグというのは、まさにこのような関係性の再構築が可能になるので、症状が収まるだけでなく、再発も防げるのである。

続きはまた明日に

※イスキアの郷しらかわでは、定期的にオープンダイアローグの研修会を開催しています。個別指導もしていますので、お問い合わせください。1泊2日の宿泊で学びたいとご希望それれば、個別でも家族でもレクチャーします。家族がオープンダイアローグ的対話ができるようになれば、変われます。

薬物治療をしない精神科医

最近、原則として薬物治療をしない医療を実践する医師が増えてきている。実に好ましい動きだと思う。しかし、これはごく一部の小児科医や内科医だけであり、外科系の医師はそんなことは絶対に無理だと認識している。ましてや、精神科の医師は薬物投与なくしては、精神疾患を治療出来ないというのが共通認識であろう。医師はもちろんのこと、患者も薬物治療をしないで治すことなんて不可能だと思うに違いない。日本の精神医療で、薬物を用いないで治療を施す医師なんている筈がないと思っていた。ところが、実際に薬物治療をしない精神科医に、昨日出会ったのである。

実に不思議な出会いだった。たまたま一昨日フェイスブックのイベント開催のお知らせが入り、実に面白そうな内容だったので急遽参加することにした。インド古来の医療であるアーユルヴェーダを活用した精神医療の研修会だった。茨城県袋田病院の新人ナースの為に研修会を開催するに当たり、一般の人々にも聞かせたいとアーユルヴェーダの診療補助をしている女性の方が講演を行ったのである。その講演内容も興味深いものであったが、実際に診療をしている医師も同席していたのである。袋田病院の精神科医でアーユルヴェーダの精神科医療を実践している日根野先生がその人である。

日本の医療保険制度というのは、精神医療においては薬物治療を前提にして制定されている。院外処方だから患者を薬漬けにしても、精神科医の収入は増えないと主張する医師もいる。しかし、薬物治療をしないと一人当たりの診療時間がとてつもなく必要になるから、ある程度の診療人数をこなせなくなり、診療報酬がもらえなくなる。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、日本の医療保険制度は実に愚かな厚労省の官僚によって制定されているのである。故に、薬物治療をしない精神科医は病院では冷たい目でみられる。医療経営が成り立たないのだから、当然である。

例えば、通院の精神療法は1時間行ったとしても診療報酬は400点(4,000円)だけである。精神科医の一時間時給は、まず10,000円を下回ることはない。だとすれば経営上6,000円のマイナスとなる。臨床カウンセラーの資格者がカウンセリングを1時間弱実施すれば、10,000円以上の費用を請求される。それよりも精神科医の報酬が少ないなんてことがあり得ない。しかし、厚労省が規定した精神科の診療報酬算定基準ではそうなっている。だから、精神科医は患者数をこなせるように、薬物治療に頼るしかなくなるのである。国の制度が悪い。精神科医療は、民間営利には馴染まなく、国立病院が担うべきであろう。

袋田病院の日根野先生は、敢えて問題がある保険診療の範囲内で治療を実施されている。自費診療では、患者負担が大き過ぎるので、診療機会を奪ってしまうからと思われる。患者さんに優しいから、採算を度外視してていねいに診察していらっしゃる。おひとりの患者さんに再来でも基本1時間の診察をしていらっしゃるという。薬物は用いず、アーユルヴェーダを基本にした精神療法や心理療法だけの「対話」で診療をされている。それも患者さんを否定することなく、介入することなく、ただ患者さんの尊厳を認め受け入れるだけの「開かれた対話」で症状を緩和されているという。素晴らしい理想の診療である。

このような採算度外視をするような診療を許している、袋田病院という民間病院の経営者も素晴らしい。的場院長を初めとして、職員一丸となって患者ファーストの医療を実践しているからと思われる。こんな素敵な精神病院が、茨城県の片田舎の町にあるというのが奇跡とも言える。日根野先生以外の精神科医は、近代医療の治療を実施しているらしいが、患者さん本位の治療を基本としているのは間違いないだろう。こんな精神科クリニックが増えてほしいものである。

この袋田病院の日根野先生の行う、アーユルヴェーダを基本にした薬物投与のない診療は残念ながら週1回だけとのこと。患者さんが増えれば、病院側も診療日を増やしてくれるかもしれない。いきなり診察を求めて病院に行っても、予約診療なので診察をしてもらえない。事前に病院の担当者に電話して、予約をしてから診察してもらうことになる。人気があるので2か月先くらいになるかもしれないとのことだが、希望者が多くなればもう少し早く診察してもらえる可能性もあるだろう。茨城県県北の大子町にある袋田病院が、日本の精神科医療を大胆に変えて行くフロンティアになる可能性を秘めている。実に楽しみである。

 

メンタル不調の特効薬はないのか

不登校やひきこもり、そして休職をするひとつの要因にメンタル不調がある。そして、そのメンタル不調が改善しなければ、不登校やひきこもりからの脱却も難しいし、休職からの職場復帰の可能性も低くなる。勿論、完全にメンタル不調を完治させなければ復帰出来ない訳ではないが、完治しなければメンタル不調の再発も多いから、何度も休職を繰り返してしまう。そして、このメンタル不調を治癒させるのは、非常に難しい。メンタル不調を治す特効薬がないからである。

メンタル不調をある程度軽減する薬はある。また、カウンセリング、マインドフルネス療法、認知行動利療法、家族療法、ナラティブセラピーなど、各種の心理療法や精神療法によって症状を軽減することは可能であろう。実際に、様々な心理療法や薬物治療によって症状が和らいで社会復帰するケースが少なくない。しかし、どうやってもメンタル不調が改善しないケースがあるし、休職を繰り返す職員もいるし、不登校やひきこもりに何度も陥る生徒や学生も少なくない。メンタル不調を治す特効薬は存在しないのである。

メンタル不調が改善しないのは、学校や職場の環境が変わらないという事情もある。ある程度症状が改善して学校や職場で出始めても、本人にとってはまた同じ辛い環境に置かれてしまえば、メンタル不調を再発するケースが少なくない。職場や職種を変えたり会社を変えたりしても、不思議と同じような苦しい環境に遭遇することが多いし、同じような嫌な上司に巡り合ってしまう。学校を転校や転学したとしても、また嫌な学友や教師と出会うことが多いのも事実である。学校と職場は、とこに行っても心が傷ついてしまう生きづらい場所である。社会全体が生きづらいのだから、どこに行っても同じ境遇になるのは当然である。

ということは、各種の心理療法や薬物治療を受けたとしても完治するケースが非常に少ないし、社会復帰することが困難であるということである。そして、このメンタル不調と生きづらいと感じる心を改善する完璧な方程式は存在しないということであろう。ましてや、メンタル不調に陥った人の生まれ育った養育環境も様々であるし、考え方や認知傾向もそれぞれ違っている。親の価値観も違うし、本人が獲得した価値観、またはメンタルモデルも相違点がある。さらにやっかいなのは、固定されたメンタルモデルは余程のことがないと変えられないのである。だから、メンタル不調は治りにくいのである。

メンタル不調を治す特効薬や方程式があったとしたら、こんなにも患者が多くない筈である。そして、年々増えて行くこともあるまい。うつ病に劇的に効くと言われて登場したSSRIは、逆にうつ病患者を何倍にも増やすという不思議な現象を引き起こしている。統合失調症の患者は、次第に強い薬を処方され続けて、最後は大量の薬漬けにされるケースが非常に多い。減薬・断薬に積極的に取り組んでいる精神科医はほんの一握りだけである。日本の精神医療というのは、実に貧弱だと言えよう。

メンタル不調を治す特効薬もないし、これぞという精神療法や心理療法がない中で、一筋の光明が見えてきたのである。それは、フィンランド発の治療法でオープンダイアローグという精神療法である。今までの精神療法や心理療法では、メンタル不調の原因やきっかけに注目して、その原因をつぶす対策の治療方針を立てて、治癒を目指して努力してきた。ところが、このオープンダイアローグは完治を目指さないのである。メンタル不調の原因を突き詰めたり、病理を明らかにしたりしないのである。薬剤投与も極力しないし、入院治療も積極的にしない。それなのにメンタル不調が完治するし、再発も極めて少ないというのだから驚くばかりである。

このオープンダイアローグという手法は、「開かれた対話」と訳されていて、ただ対話を徹底的に繰り返すだけである。それも参加者全員が心を開いて、傾聴し共感するだけである。患者と家族などの関係者と複数のセラピストや医師がミーティングを、発症の24時間以内から連日に渡り10日以上も行う。統合失調症は精神疾患の中でも非常に治療が難しく、薬物治療が必須であり、予後もけっしてよくない。入院期間も長期になる難治性の疾患だ。それがこのオープンダイアローグによって完治して再発しない患者が続出している。このオープンダイアローグは、PTSD、パニック障害、うつ病、双極性障害などのメンタル疾患にも有効であり、ひきこもりにも有効だと言うのだ。こんな夢のような治療法が日本でも広がれば、精神医療に革命が起きるに違いない。大きな期待を抱いている。

 

※イスキアの郷しらかわでは、オープンダイアローグの研修会を開催しています。個人レクチャーもいたします。実際にこのオープンダイアローグの研修を受けた、ひきこもりでDVをする娘さんの対応でお困りのご両親が、問題行動をするお子さんの本心がよく解るようになったとびっくりされていました。研修を受けただけで、自分の言動を自ら変革しようと決意されたのです。ひきこもりや不登校のお子さんを持つ保護者の方にお薦めです。

メンタル不調にも最適なゴルフ

勝ち負けにこだわる処や、相手の弱点をついたり嫌がることをしたりするのが性に合わないからスポーツをしないという人がいる。または、何人かのチームワークをするのが苦手なのでスポーツから遠ざかっているという人もいる。あまりにも心が優しくて対戦型のチームスポーツが合わない人がいる。こういう人は心が傷つきやすくメンタル不調にもなりやすいが、そんな人でも楽しめるスポーツがある。それがゴルフである。メンタル不調の方に是非にもお薦めしたいスポーツである。

団体スポーツや対戦型のスポーツは実際にゲームをするまでの準備が大変だから嫌いだという人も少なくない。団体スポーツで対戦型というと、人が集まらないとゲームが出来ない。5人のチームを組むバスケットボールは10人揃えばゲームが可能になる。バレーボールなら12人、野球・ソフトボールなら18人、サッカーは22人が必要になる。ましてや、競技場や体育館を借りるにも苦労する。何日も前から申し込まないとゲームにならない。ぴったりの人数であれば、都合の悪い人が出ると足りなくなるので余裕を持って人数を集める。ゲームにフル出場できないプレーヤーも出てくる。試合に出場しなければ面白くないのは当然だ。ゴルフは1人でも気軽に、そして一日フルに楽しめるスポーツである。

元々団体スポーツに向かない人もいる。身勝手な人がそうだと思いがちであるが、そうではなくて周りに気を遣うような人ほど団体スポーツが苦手である。何故なら、自分のせいでゲームが不利になったり負けたりすると、他のチームメイトに申し訳なく思い、居たたまれなくなってしまうのだ。気持ちが優しくて繊細な神経の人ほど、団体スポーツに向かない。また、自分がミスをした時に、口では気にするなと言いながら心の中では「この下手くそ、お前のせいで負けたじゃないか」と思っているチームメイトがいるのを、鋭く感じてしまうから団体スポーツが出来ないのだ。

対戦型スポーツに違和感を覚えるという人も少なくない。自分がどれほど良いプレイをしたとしても、相手がそれを上回るプレイをすれば負ける。ましてや、技術だけでなく相手との駆け引きも必要だし、相手が苦手とすることや嫌がることをしないと勝てないのである。相手がミスした時に、外面には出さないものの、内心嬉しいという複雑な気持はどうしようもない。相手の弱点を突く攻撃をするというのは、フェアープレイを謳っていながら、パラドックスの感覚を持たざるを得ない。

ゴルフは、あくまでも個人プレイなので相手を気にしないでプレイできる。すべてのプレイと結果は自己責任だから、人に迷惑をかけることはない。自分のプレイが他人に嫌な思いをさせることはない。失敗したら自分がその責任を負うし、素晴らしいプレイをしたら自分の成果になる。悪い成績を誰かのせいにしたり天候やゴルフ場のせいにしたりすることは基本的に出来ない。技術面の未熟さとメンタル面での弱さは自分のプレイに跳ね返る。まさに自分との闘いである。マッチプレイやコンペに参加しない限り、すべては自分だけのプレイを純粋に楽しむだけである。

ゴルフ場に一度でも立ったことがある人なら解るが、あの解放感は何とも言えなく嬉しい。広々としたフェアウェイが続いて、青々とした芝生が伸びている景色は、この世のものとは思えない爽快感を与えてくれる。樹々や植物が豊富にあり自然が豊かな環境が広がっている。人工的に配した池や浮島などは、まるで日本庭園のような趣さえ感じられる。近くにある連峰や海を借景にしたゴルフ場さえある。こんなにも自然が豊かな処でするスポーツは他にない。だから、ストレス解消に最適である。心が疲れたり折れたりしてしまった人に薦められるスポーツである。

さらに、ゴルフはマインドフルネスに最適でもある。ゴルフというスポーツは、奥が深く難しい。でも、初心者でもそれなりに楽しめる。今はセルフプレイなので、キャディにも気兼ねすることがない。スロープレイをしなければ、未熟者でもラウンドが可能だ。自分のゴルフプレイに専念することで、心を無に出来る。自分の心を支配している苦しくて悲しい気持ちを一時的に手放せるのである。難しくて楽しいゴルフだからこそ、自分を苦しめている思考を一時的に停止できると言えよう。マインドフルネスにこれほど適したスポーツは、ゴルフ以外にないであろう。メンタル不調の方は、是非ともゴルフを試してほしいものである。ひきこもりや不登校、メンタル不調による休職者にもお勧めであ。

 

※心が傷つき折れてしまい、メンタルが不調になってしまい、何をする気力もなくなってしまった方には、ゴルフをすることをお勧めします。イスキアの郷しらかわでは、宿泊者に近隣のゴルフ場までご案内します。ご希望されるなら、同行プレイもいたします。また、ゴルフの初心者には練習場までご案内し、基本的な技術やルールなどをレクチャーします。ゴルフクラブも無料でレンタルいたします。お問い合わせのフォームから、ご相談ください。

スピリチュアルに原因を押し付けない

前世療法とか過去世療法という語句をご存知であろうか。自分にとってあまりにも大きな試練や苦難困難は、すべて自分の前世におけるカルマ(業)による影響であり、自分の責任ではないと安心させて、苦難困難を乗り越える勇気を与える心理療法である。中には、退行催眠をして前世を明らかにする施術者もいたり、各種の占いによって前世をリーディングしたりする人もいる。特に毒親を持って苦しんでいる人に対して、敢えて問題の親を選んで生まれてきたのだと伝える人もいる。または、自分が毒親じゃないかと悩んでいる人に、子どもはあなたを親に選んで生まれてきたんだからと安心させる施術者もいる。

TVの放映で、芸能人の前世や過去世、または守護霊の存在を明らかにして、生きるべき道を示していた人物を、まるでヒーローのように紹介していたものだから、すっかり信じてしまった人も多い。その後、あまりにも非科学的なことを言い始めたり、社会的な問題を引き起こしたりしたものだから、さすがに放映を止めてしまった。でも、まだ信じている人は相当いるし、特に若い女性の間では根強い人気があるらしい。科学的な証明が出来ないものはすべてオカルトだと批判する人にとっては、苦々しく思っているだろうが、否定されればされるほどのめり込む人も少なくない。

前世や過去世、または守護霊は存在するかどうかというと、科学的には証明できないし否定もできない。生まれ変わりというのは実際にあるかどうかというのは、仏陀でさえもあるとも言えるし、ないとも言えると、明言していない。ただし、過去世療法によって実際に救われた人もいるので、完全に否定するのもどうかと思う。ただし、過去世や前世をリーディングして、それを金儲けの手段にしていたり、インチキな物品を高額で販売したりしている輩がいるのはいただけない。苦しんでいる人につけ込んで、詐欺まがいのような占いで騙している人は許せない。そもそも、スピリチュアルを生業にしている人は信用できない。

毒親や問題行動をする人に対して、それはすべて過去世のカルマであるから、あなたにはまったく責任がないと言う施術者がいたとしたら、それは眉唾であろう。何故なら、そんなことを言われたら、自分の成長がないばかりか、問題のある人間性や人格が改善しないからである。ましてや、毒親のおかげで苦しんでいる子どもたちは救われないからである。あなたは毒親を選んで生まれてきたと宣言された子どもの悲しさを考えたら、間違ってもそんなことを言うべきでない。もし、本物のスピリチュアリティカウンセラーが存在したとすれば、そんな無茶なことは絶対に言わない筈である。

過去世や前世、そして現世と来世がたとえあるとしても、自分の至らない点やマイナスの自己、そして問題ある低劣な価値観を、すべて過去世のカルマに原因があるとすべきではないと考えている。何故なら、自分の人間性や価値観は、今の自分が受け容れたものであり、その責任は現在の自分にあるとすべきだ。それでないと、自分の成長が止まってしまうからである。自分に起きるすべての不都合を、過去世のカルマのせいにしたら、自分の努力で乗り越えるチャンスを奪ってしまうし、正しくて高邁な価値観を獲得できる機会を見逃してしまう。自分の現在における苦難・困難・病気・事故などの苦は、自分の精神における歪みが起こしているとする考え方のほうが、それを克服できるに違いない。

すべてのスピリチュアルカウンセラーが偽物だとは言わないが、それを商売にしている人なら、信用すべきでないだろう。苦しんでいる人から料金を搾取して救うなんてことが、霊的に許されることではない。商売にしているカウンセラーは、何度も通わせるためにクライアントの耳元に心地よい言葉をささやく。あなたは正しい、間違っていない。カルマが悪いと。そして、何度もカウンセリング料金をむさぼるのである。またはパワーストーンのブレスレットなどの高額な物品を買わせるのである。人を救うという尊い行為を、金儲けの手段として利用するなんて考えられない。こういう人物は、非常に巧妙なので多くの人が騙されるのであるが、自分で自分をも騙しているから、自分が人を騙していると気付いていない。つまり、こういう人物は統合失調型のパーソナリティ障害なので、自分も周りも正しいと勘違いしているのだ。カリスマと呼ばれる人物こそ要注意である。

休職者と中途離職がないのが良い職場

職場から休職者と中途離職者をゼロにするなんて、絶対に不可能であると思っている人が多い。しかし、戦前の会社や行政組織においては休職者なんて殆ど居なかったし、中途離職者は稀な存在であった。終身雇用が当たり前であり、男性職員は定年退職まで勤務していたし、女性だって結婚退社ぐらいしか中途離職はなかったのである。現在、どの職場でも休職者はかなりの人数に上っているし、中途離職者をする職員もかなりの人数である。これは企業や組織にとって多大なる損失であるし、本人にはかなりの不利益になる。

休職をする理由は、病気によるものが多く、そのうち殆どはメンタルが休職の原因であるようだ。そして、中途離職の理由もまたメンタルが多いと言われている。そして、メンタルを病むのは、本人にその原因もあろうが、職場の人間関係によることが多い。特に、上司に問題があるケースが殆どであると想像できる。特に中途離職者の離職理由は、本人が職場では明らかにしていないが、上司と折り合いが合わなくて辞める決断をしていると思われる。勿論、上司だけに人間関係悪化の原因を押し付けるのも乱暴ではあるが、それだけ問題上司が多いのも事実であるに違いない。

離職率50%であった会社が、数年後になんと10分の1の5%になった会社がある。オンデーズという眼鏡販売の会社がそれだ。販売不振で倒産寸前の会社に、その経営手腕を買われて社長になった際、離職率が50%だと聞かされて唖然とした。どうしてそんなに離職率が高いのだと一般の社員に聞くと、「社長は何も解らないんですね」と嘆かれたという。管理職は社長が選んでいたが、上にゴマすりをしているイエスマンばかりで、部下に対する態度がとても酷くて、職場環境が最悪だったらしい。

それで社長は一計を案じ、管理職は部下の社員による選挙で選ぶという制度を導入したのである。それから会社の職場環境は一変したと言う。管理職は立候補制であるから、部下から信頼されて支持を受ければ、実績や経験、能力に関係なく誰でもなれる。当然、若くて経験年数に関係なく管理職になれるのである。俄然、社員のやる気が出てきた。売り上げも鰻上りで、倒産の危機も乗り越えて、優良企業になってしまった。部下の話もよく聞いて、パワハラ、セクハラ、モラハラも皆無になった。当然、休職者もいなくなったし、メンタルを病む社員もいない。

投票制で管理職を選ぶなんて、なんという暴挙だと思う人も多いし、部下におべっかを使って、おもねる態度をする上司ばかりになり、強いリーダーシップが取れないだろうと危惧する人も多かったという。ところが、実際はそんなことがなかったという。投票で選ぶということは、自分たちが選んだ責任が生ずる。選ばれたほうも、投票で選ばれたという自信が持てるし、信頼されたという確信から思い切った決断も出来るようになったという。勿論、決断する前に部下全員から有用な情報が上がるようになったのは当然である。

殆どの会社や組織において、管理職は社長や上司に気に入られなければなれない。民間のそれもオーナー社長であれば、社長と気が合わないと管理職にはなれないのである。当然、社長には良い情報しか上げないし、マイナスの結果報告や自分のミスなどは絶対に伝えない。部下のミスを自分の責任だと捉えないし、余計な事をして怒られたくないと思ってしまい、主体性や自発性を喪失してしまう。つまり、主体性、自発性、責任性というリーダーに必要不可欠の人間力を失うのである。部下は、こういう上司に仕えたらモチベーションを失うし、自己成長しない。

本人にある程度の原因はあるものの、休職したり中途離職したりするのは、上司にその原因の大半があると言っても過言ではない。そして、そのような管理職を選んだのが社長であり、行政職であれば首長とその側近である。だから、休職者や中途離職者が多い職場をドラスティックに変革しようとするには、まずはトップの意識が変わらなければならない。休職者や中途離職者が出るのは、そしてメンタルを病む人が多いのは、その職員本人の気質や人間性にあると思い込んでいるうちは、休職者と中途離職者はなくならない。本人の再教育も必要であろうが、管理職の選び方と幹部研修のやり方を大胆に変革することが求められるのである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、休職者と中途離職者をない職場にするためのサポートをしています。休職者の職場復帰するための教育研修を開催していますし、管理職の教育研修を実施しています。何故、部下がメンタルを病むのか、どうしたら職場復帰できるのか、メンタルを病む職員を出さないようにするにはどうしたら良いのかを、懇切丁寧にレクチャーさせてもらっています。

極めて危険なアルコール依存症

TOKIOの山口達也メンバーがアルコール依存症だったことが、その詳細と共に報道されている。事件の謝罪会見後に、再度入院したと伝えられている。重度の肝臓機能障害が起きているからとのことであるが、相当にアルコール依存症が進んでいたのだと思われる。今になって漏れ聞くのは、以前からお酒の飲み方に問題があったらしいということである。相当な量を飲んでいて、問題行動もあったと証言する芸能関係者も多い。以前にも入院したことがあるというのだから、アルコール依存症は重症であったに違いない。

もっと早くちきんとした入院治療をしていれば、こんな事件が起きなかったのにと悔やまれるが、人気商売であるが故に長期間に渡る根本治療が不可能であったのであろう。アルコール依存症で苦しんでいる患者は、少なくない。その殆どの患者は、何度も同じように再発を繰り返しては入院している状況がある。それだけアルコール依存症を完全に克服するというのは、困難を伴うということだ。なにしろ、お酒は簡単に手に入るものなのである。アルコール依存症から離脱するには、非常に厳しい社会状況がある。

アルコール依存症になると、実に悲惨である。山口達也メンバーのように、犯罪まで起こしてしまうような問題行動を取ってしまうことが少なくない。仕事が続けられなくなったり、生活まで破綻したりすることもある。山口メンバーの結婚生活が破綻したのも、どうやらお酒が原因であったと推測されている。アルコール依存症の家庭は、悲惨な状況になり家族も不幸にしてしまう。しかも、子どもがアダルトチルドレンになりやすく、世代間連鎖を起こすこともある。貧困家庭の原因にもなっているケースが非常に多い。

アルコール依存症による健康被害も悲惨である。山口メンバーのように肝臓機能の障害を起こしてしまうし、慢性膵炎も起こしやすい。悪性腫瘍の発症も高率となるし、心筋梗塞などの発症率も高くなる。酷くなると、妄想や幻覚まで起きる。飲酒によって脂肪肝や慢性肝炎から肝硬変になり、食道静脈瘤を発症してしまい、その破裂によって命を落とす経過を取るケースが非常に多いのである。なにしろ、アルコール依存症の余病発症率が極めて高く、死亡率も健康な人の数倍になると言われている。

このように社会的な問題行動を起こしたり、深刻な健康被害を起こしたりして、人生をだいなしにするのにも関わらず、アルコール依存症になる人は減少しない。ましてや、一度アルコール依存症になったら、完全離脱するケースが少ないのである。どうして、こんなにもアルコール依存症になる人が多いのであろうか。また、これだけ医学が発展しているのにも関わらずアルコール依存症を克服することが出来ないのであろうか。自分がアルコール依存症だと自覚していない人も多いし、自分が病気だと認めたがらない人も多いと聞く。これでは、アルコール依存症は減少せず、益々増えてしまうに違いない。

アルコール依存症の治療は、精神科や心療内科で行われる。一般内科で治療するケースもあるが、治癒率は低い。新薬が開発されて、薬物療法も進化している。精神療法や心理療法、カウンセリングなどの効果が高くなっている。ピアカウンセリングを主体にした断酒会も評価されている。しかしながら、この治療なら100%治るという手法は、いまだに確立されていない。それだけアルコール依存症の治療と完全離脱は難しいということである。何故かと言うと、何故アルコール依存症になったかという根本原因を、完全に払しょくする治療がされていないからに違いない。

アルコール依存症になる原因は、いろいろと推測されているが、これで間違いないというものは解明されていない。アルコール依存症になったバックグラウンドや環境、その人間の性格や人格などは解明されつつあるが、真の原因を突き止めている専門家は極めて少ない。人間は、正しい価値観や哲学を持たないと、生きる意味や目的を理解することが不可能になる。お酒に溺れてしまう人間は、何故自分は生まれてきたのか、どのように生きるべきなのかを正しく理解していないのである。だから、目の前の欲望に流されて、実に詰まらないものに心を奪われてしまうのである。正しい価値観や哲学を深く理解し、高潔な人生の目的を持てれば、お酒に溺れることはないし、アルコール依存症を完全に克服できるのである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、アルコール依存症とその家族に対する相談を行っています。何故お酒を飲んでしまうのか、そして問題飲酒をしてしまうのか、根本的な原因を解明して、どうしたら飲酒を止められるのかを助言しています。正しい価値観と哲学の学習と自己マスタリーをすることで、問題飲酒を克服することが可能になります。

お酒で身を持ち崩す訳

TOKIOの山口メンバーが女子高生に対して、強制わいせつ行為を働いて書類送検されたニュースには驚いた。あの鉄腕ダッシュや24時間マラソンをTVで観ていたファンは、あんな卑怯な行為をする筈がないと、裏切られた思いが強いと思われる。そして、事件の全貌が明らかになってきて、彼がお酒のために1ケ月も入院していたことも判明した。アルコール依存症だったものと推察できる。お酒のせいだと思われるが、それで許されることではない。

芸能人がお酒におぼれて身を持ち崩すケースが多い。薬物依存にもなりやすいし、ギャンブル依存と確信できる芸能人も多い。それだけストレスやプレッシャーの多い職業なんだと思うが、それにしても依存症になって人生を棒に振ってしまう芸能人があまりにも多いのに愕然とする。お酒で身を持ち崩すのは、芸能人ばかりではない。一般人でも、アルコール依存症は少なくない。先進国に多い傾向があるが、米国ではアルコール依存症が社会問題化している。

それにしても、あの山口メンバーのように恵まれた環境にありながら、何故アルコール依存症になってしまったのかが不思議である。人気もあって、他とのメンバーとも良好な関係にあったと聞き及んでいる。確か、離婚をしたとは聞いている。子どもがなかったらしいが、幸福な結婚生活を送っていたものだと思っていた。離婚したことがアルコール依存症になったきっかけか、それとも依存症が結婚を破綻させたのかは定かでない。結婚生活が、思ったほどの幸福感に包まれたものではなかったのかもしれない。

どうしてアルコール依存症になるのかというと、いろいろと原因が上げられている。意思が弱いとか、欲望に引き込まれやすいとか、孤独感があるとか、愛情不足が根底にあるとか、養育に問題があったとか、本人とその生き方に問題があるのは事実であろう。その他に、社会的要因としては、お酒が手に入りやすい環境にあるとか、お酒のコマーシャルが流され過ぎるとか、ストレス社会であるとか、生きづらい世の中であるとか、関係性が欠如しているとか、様々な要因もあろう。

これらのアルコール依存症になる原因はいろいろとあるものの、これらはすべて依存症になる背景やきっかけに過ぎない。アルコール依存症になる本当の原因は、これらではないのである。その本当の原因はというと、生きる目的がないからだと断言できる。そんなことはない、みんな生きる目的や人生の目的は持っていると思っている人も多いであろう。山口メンバーも生きる目的を持っていた筈だと思うことであろう。しかし、それはあくまでも生きる目標であって、目的ではけっしてない。

目的と目標を混同している人は多い。例えば、あなたの生きる目的は何ですか?と問うと、私は家族が豊かで幸福に生きられるようにすることが目的だと答える。または、人生で成功することが目的だと答える人もいる。会社で出世するのが目的だと答える愚か者もいる。実に情けないことである。目的というのは、このように具体的に現わせるものではない。これらはひとつの目標に過ぎないのである。生きる目的とは、正しい価値観や哲学に基づいたものであり、社会全体の幸福を実現させるような、崇高な目的でなければならない。このような正しくて高い人生の目的がないから、人生が破綻するのである。

山口メンバーがお酒で身を崩したのは、生きる目的がなかったからである。正しくて高邁な価値観や哲学を持ち、全体最適を目指すような素晴らしい目的があったとしたら、絶対にアルコール依存症にはならないのである。だから、彼が社会復帰することが出来るとすれば、正しくて高い価値観や哲学を学んで、真の生きる目的を持った時であろう。アルコール依存症の医療的ケアーを受けても、完全に治癒することは稀である。薬物治療や認知行動療法などの心理療法をいくら受けたとしても、完全治癒は難しく再発することも少なくない。正しくて高潔な生きる目的を持つことでしか、アルコール依存症を克服することができないのである。

 

※アルコール依存症や各種の依存症で苦しんでいらっしゃる方に、イスキアの郷しらかわでは、正しい価値観や哲学の学習と正しい目的を持つための研修を実施提供しています。依存症から完全に脱出したいと思っている方は、是非ご相談なさってください。問い合わせフォームからお願いします。

無条件の愛を注げない親

子育てにおいて、母性愛と父性愛の両方が必要なのは言うまでもない。母性愛とは無条件の愛、または無償の愛と言い替えることができる。一方、父性愛とは条件付きの愛、しつけ愛や承認の愛とも言われている。父性愛も大事であり、子育てにおいて必要な愛であるが、母性愛である無条件の愛こそが子育てで最も重要で必要不可欠な愛と言えよう。これがないと、子どもは健全な成長が妨げられてしまうだけでなく、大人になって大きな生きづらさを抱えてしまうからである。

この無条件の愛は、母親からの愛でしか受け取ることが出来ないかというと、そうではない。母親だけでなく、祖母や祖父から受容することもあるし、父親が無条件の愛を注ぐことも稀ではない。大切なのは、父性愛と母性愛を注ぐ順序であると、児童精神科の専門家は説いている。まずは、母性愛をこれでもかとたっぷりと注いで、それから父性愛を注ぐべきだと主張している。乳幼児期には、まず無条件の愛で満たされることで、しっかりとした自己肯定感を確立したうえで、父性愛を注ぐことが大切なのである。

何故、無条件の愛が最初に必要かというと、子どもの発達段階においては、まずは自分の存在価値がしっかりと感じられ、いかなる時も愛されて見捨てられることがないんだと確信する必要があるからだ。この見捨てられるかもしれないという不安や恐怖感があると、その後の生き方に大きく影響してしまうのである。この見捨てられ感というのは、大人になっても深刻な影響を及ぼすし、父性愛を注がれた時に、いう事を聞かなければ自分は見捨てられてしまうのではないかという恐怖心に追いやられるのである。

母性愛である無条件の愛をたっぷりと充分に与えられず大人になってしまった人間は、健全な子育ても出来なくなってしまう。どちらかというと条件付きの愛しか我が子に注げなくなってしまうのである。また、パートナーに対していつも無条件の愛しか与えられなくなり、健全な夫婦愛や恋愛を育めなくなってしまうのである。夫婦関係や恋愛関係が破綻しやすいし、子どもが何らかの問題行動を起こしやすくなる。こういう無条件の愛の枯渇状態は、世代間連鎖を起こしてしまうことが多い。負の連鎖が続くのである。

この無条件の愛を注げない親というのは、想像以上に多いのが実態であろう。おそらくは、少なくても半数以上の親が無条件の愛を注げないのではなかろうか。大人になって問題行動を起こす人々、例えば犯罪者、セクハラ、パワハラ、モラハラをする人々、覚醒剤などの薬物依存、アルコールやニコチン依存、ギャンブル依存、過食や拒食、各種依存症、生活習慣病、メンタル障害などを起こす確率が限りなく高くなる。恋愛恐怖症の人も無条件の愛が不足したからであろう。

無条件の愛が不足して、条件付きの愛しか与えられないで育ってしまった大人は、揺るぎない自己肯定感が確立されていない。いつも不安感や恐怖感を持っている。愛する人から見捨てられるのではないかという不安を持つ。配偶者から見捨てられてしまうのではないかという不安もあるし、子どもから見捨てられてしまい愛されないのではないかという不安もある。激情的に怒り出したかと思ったら、いやに子どもにおべっかを使い始めたりする。子どもにおもねるような態度をしたかと思うと、急に怒り出すような不安定な子育てをするのである。

無条件の愛を注げない親というのは、すべてではないものの『愛着障害』的なパーソナリティを持つことが多い。無条件の愛が枯渇しているが故に、いつも無条件の愛を渇望している。パートナーや周りの人から愛されたいと熱望するが、その人格の歪み故に、無条件に愛されることがない。益々、孤独感が増してきて、我が子を無条件で愛することが出来なくなってしまう。愛というのは循環するものだ。豊かに無条件の愛で包まれた人間は、周りの人々を愛で満たすことができる。無条件の愛を注げない親は、まずは自分の本当の心を知ることから始めることが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、無条件の愛を注げない親のサポートをしています。または親から無条件の愛を注げられなかった子どもの支援もしています。自分がもしかするとそうではないかと気付かれた方は、ご相談ください。問い合わせフォームからお願いします。