農家民宿は心を癒す

都会のIT企業でSEをしていた若者が心を病んだ。その若者が、1年間に渡り田舎で農業を体験していたら、メンタル障害が癒されて復帰できたという。それも、単なる復帰だけではなく、感性やイマジネーションの能力が高まり、新たな発想力が増して企画力さえも格段に向上し、有能な社員にレベルアップして戻ってきたという。以前から、メンタルを病んだ人々が、田舎の農家に滞在していると元気になるという話は少しずつ聞こえてきていたが、実際にこんな実例があったことをSNSで発信していることが解り、とても嬉しい限りである。

 

農業体験や自然体験をしながら農家に寝泊まりする滞在型の旅行をグリーンツーリズム(以下GT)と呼ぶ。ヨーロッパが発祥のゆとり型の旅行であり、長い休みが取れるバカンスに利用する人々が多いらしい。そもそも、ヨーロッパのGTは長期に渡る滞在型が多い。中には、仕事を退職または休職して1年間のGTをする若者たちが少なくない。それは、やはり都会のストレスフルな生活に心が疲れて折れてしまい、心の癒しを求めて田舎にやってくる若者が多いからだという。日本のような1泊か2泊のような短期滞在のGTとは基本的に違っているのである。

 

ヨーロッパのGTの歴史はそんなに古くはない。西欧で一番GTが盛んなのは、やはり農業国であるフランスであろう。フランスのGTも第二次大戦後に一般的にも本格的になったという。実は18世紀末から、GTらしいものが貴族の間で流行していたらしい。貴族という裕福な人々でさえ、農村に長期滞在するというのは贅沢であり、しかも貴族なので自分の土地を長く離れる訳に行かなかったらしい。それで、人工的な農園を城の敷地内に作ってしまったのである。これがアモーと呼ばれる農家付きの人工農園でもある。貴族たちはここにしばらく寝泊まりして、自ら農機具を使って農村生活をしたと言われている。

 

勿論、完全な農村生活ではなく疑似的なものであり、城に時折戻ったりもしたから、GTとは定義しにくいが、その走りではなかったろうか。実際に、マリーアントワネットも心が折れてしまったときは、農婦のような質素な恰好をして農村生活を楽しんでいたらしい。貴族たちもパリ郊外に住んでいて、いくら庶民とは違った生活をしていたとはいえ、都会に近い生活でストレスを抱えていたと思われる。だから、疑似農園であるアモーでの生活でストレス解消をしていたのではないかと推測される。ほぼGTと呼んでも差し支えないし、これがGTの発祥と言ってもかまわないように思う。

 

日本のGTも、最近なって心の癒しを求めてやって来る人々も増えてきたようである。心の癒しをテーマにしている農家民宿も増えてきた。しかしながら、西欧のように1ケ月や2ケ月までも受け入れてくれる農家民宿はごく少数である。日本の農家民宿は、ほとんどが農業の片手間に老夫婦が経営している状態を考えれば致し方ないと思われる。だから、農家民宿の宿泊をして、一時的に心が癒されたとしても、完全に元気が回復するとまでは行かないのであろう。ヨーロッパでは、GTの体験後に農村に移住する若者が少なくないという。完全移住をして、農業をしたり、農家レストランやカフェを営んだりする若者が少なくないという。

 

農業・自然体験によって心を癒し元気にするということは、科学的に考察しても間違いないようである。脳科学的や脳神経学的にみても、分子生物学に洞察しても、心身共に癒され元気になるのは、科学的根拠により説明できる。さらに、栄養学的にみると、農村の自然で新鮮な野菜、または伝統的な和食(乳酸菌の豊富な料理)によって、体内に溜まってしまった毒素がデトックスされる効果も大きいという。最近の研究では、腸内細菌が元気になると精神的な元気も取り戻せることが解っている。心が折れてメンタルを病んでしまって、不規則な生活になり睡眠障害を起こしてしまった方々が、農家民宿に長期間滞在すると、驚くように不眠が解消されるらしい。また、過食や拒食に悩む若者が、農家民宿で生活すると正常な食欲に戻ることも判明している。イスキアの郷しらかわは、そんな農のある生活を提供している。

命の大切さと「心のノート」

子どもたちの間で、たいした理由もないのに殺人事件や傷害事件が起きている。怒りや憎しみが高まっての犯行なら理解できる。または自分が攻撃されたから、その対応策として仕方なくということなら納得もする。しかし、最近の子どもたちの凶悪事件の理由を見ると、実に不思議な理由で凶行に及んでいるのである。例えば、ただ単に人を殺してみたかったとか、うざったい存在だったからとかの理由で犯行に及んでいるのである。子どもたちが集団でリンチ殺人を起こしているケースでも、生意気だったとか自分達を無視したからという些細な理由で殺人を起こしている。人の命をどのように考えているのだろうか。命の大切さを知らない訳ではあるまいに、どうしてこんな無残なことをするのであろうか。

 

それにしても不思議なのは、学校では命の大切さの教育をしているのかという点である。そういえば、自らの命を絶ってしまう可哀想な中学生・高校生も毎年かなりの数に上る。こういう事件が起きる度に、学校や教委は命の大切さの教育はしていると主張し、これからも命を大切にする教育を充実したいと述べている。本当にそうなのであろうか。数年前に佐世保市の高校生によるバラバラ殺人事件が起きた際に、同市の教育関係者はインタビューに応えて、10年前に起きた小学生の殺人事件以来、命の大切さを子どもたちに教えてきたと語った。しかし、佐世保市の教育関係者が命の大切さを訴える教育を続けてきた努力が、結果として報われなかったのである。もしかすると、命の大切さの教育に重大な欠陥があったのではないかとも思えるのである。

 

さて学校現場で、命の大切さを教育する際に、どんな教育をしているのかというと、文科省が発行した「心のノート」という道徳教育の副読本が基本になっているのではないかと見られる。この「心のノート」を見れば、どんな教育をしてきたのかが、およそ見当が付くと思われる。この「心のノート」については、いろいろな批判が寄せられてきたのも事実である。日教組は心のノートに批判的であるし、リベラル派と呼ばれる人たちは、その導入に反対してきた歴史がある。確かに部分的には、時の権力者に有利な内容が記載されていると見ることも出来なくない。しかし、それはたいした問題ではない。「心のノート」に記載されている命の大切さを伝える部分は、かなり充実しているし内容的にも素晴らしい。

 

実際に「心のノート」小学生5・6年生版を見てみよう。この心のノートでは、多くのページを割いて、命の大切さについて語っている。代表的なものに『生命を愛おしむ』という記述や『かけがえのないいのち』という記載がある。内容は、本当に素晴らしいと言えよう。マザーテレサの言葉「この世に必要のない命などひとつもないのです」なども引用して、命の大切さを切々と訴えている。この命の大切さを説くだけでなく、友達との関わり合いや社会での支えあい、そして自然からの恵みによって生かされている自分、人間の力を超えたものがある、というような生きるうえで大切なメッセージが、宝石箱のように散りばめられている。こういった内容が子どもたちにきちんと伝わっていれば、悲惨な事件が起きる筈もないのである。

ところが現実に事件は起きているのである。それじゃ、何が足りなかったのか、何が間違っていたのか、ということが問われる。おそらくは、この「心のノート」を正しく、しかも子どもたちの心に響くように伝えられる教師が居なかったのだと思う。この心のノートの真の意味を知り、高い価値観を持って深く認識し、子どもたちに自分の言葉で語りかけられる哲学を持たなかったのであろう。何故なら、先生たちもまた心の教育がなおざりにされてきたからである。自分が正しい心の教育を受けていなければ、子どもたちに対して、間違いのない心の教育が出来る筈もないであろう。文科省が義務教育と高等教育において、価値観の教育をなおざりにしてきた弊害が出たのである。

この「心のノート」は、あの神戸の連続殺傷事件が起きたことを受けて、当時の政治家たちが危機感を持ち、官僚主導ではなくて政治主導で作り上げたものである。文科省の官僚だけでは作りえなかった、貴重な教材なのである。バカな民主党は、この心のノートを仕分けで廃止してしまったが、自民党は復活させた。悲惨で凶悪な少年事件を二度と起こさない為にも、そして自殺しようとする青少年を救う為にも、心のノートの内容を正しく子どもたちに伝えられる教師を育ててほしいものである。もし、それだけの力量を持ちえない教師しか居ないのであれば、外部から積極的に学校に講師を招聘してほしいものだ。命の大切さを一刻も早く子どもたちに伝えないと、このような命をないがしろにする事件が後を絶たないと警告したい。

若者の労働観と価値観

若者を対象にした勤労意識や労働観について、電通がアンケート調査を実施した結果を見て、とても驚いた。多くの若者が低レベルの価値観に基づいて、嫌々ながら仕事をしているというし、仕事をする目的が単なる収入を得るため、または趣味や遊びに使うお金を稼ぐためという、非常に情けない答えをしているからである。まさか、こんな酷い価値観に基づいて仕事をしている若者がかくも多数存在しているとは思ってもいなかったが、実際には若者だけでなく、中高年も同じような価値観で仕事をしているのかもしれない。実に情けないものである。だから、日本を代表する企業が、次から次と赤字経営に転落するのかもしれない。

アンケート結果は次の通りである。18~29歳の働く上での不満は「給料やボーナスが低い」(50.4%)、「有給休暇が取りづらい」(23.8%)、「仕事がマンネリ化している」 (17.6%)が上位に来ているという。働く目的は「安定した収入のため」(69.3%)、「趣味や遊びに使うお金を稼ぐため」(36.5%)、「将来(就労期間中)の生活資金のため」(30.5%)といった項目が上位に並んだらしい。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり前だと思う」(39.1%)と答えた一方、「できれば働きたくない」(28.7%)も約3割に上った。仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)と答えている。唖然としてしまい、声も出ない。

若い勤労者の約3割近くが、できれば働きたくないと答えている。じゃ、働かないでどうやって暮らしていくのか。ずっと親に寄生して生活するというのだろうか。ましてや、収入のためだけに仕事をするというのは、如何なものか。仕事はお金のためと割り切りたいと思う若者が4割以上いるというのは、情けなくて仕方ない。これでは、仕事が楽しくないばかりか、苦痛だろうと思われる。こんな低いクォリティの価値観だから、ちょっと嫌な上司・同僚と一緒になったり大変な仕事を押し付けられたりすると、メンタル疾病になって休職に追い込まれるのかもしれない。こんな低劣な価値観なら、仕事がまともに出来ないのは当たり前であろう。

ましてや、アンケートでも3割以上の若者が、価値観を共有できる人と一緒に仕事がしたいと答えている。一旦会社に入社したら、上司や同僚を自分で選べないのは当然だろうに。人間として大きな成長をする為には、価値観の違う人たちと仕事を一緒にするのが一番確かだと思うが、それを拒否したいというのだから、驚きである。仕事というのは、一人前の人間として自己成長をするために避けて通れないものであり、ましてや辛い仕事や苦難困難を強いられる仕事をやり遂げるからこそ、働き甲斐や生きがいを見出せるのである。難しい上司や部下と出会うとか、難癖をつけるような顧客を担当して、自分が磨かれてその人間性が耀くのである。

若者だけでなく、今の日本人はどうしてこんなにも酷い勤労意識や労働観を持つようになったのであろうか。その根本的な原因は、すべて近代教育の欠陥にあると確信する。近代教育は、個人の権利を何よりも大事にすることを教える。個人の自由・平等を保障し、基本的人権を認める日本国憲法だから、それは認められて当然である。しかし、この個人の権利をあまりにも強く意識させる教育をすると、全体を見失うし、人間相互の関係性を損なう。つまり、人間は本来全体最適を目指すべきなのに、個人最適を第一義的に目指してしまい、全体がどうなろうと構わないという、間違った価値観を植えつけたのだ。こうなると、社会全体や企業に貢献しようとする人間を育てることが出来ないのだ。

人間は、本来は家庭、企業、地域社会、国、国際社会といったコミュニティに貢献するように生まれてくる。このようなコミュニティはそもそもひとつの有機体であり、自己組織性があると言われている。ということは、人間はこのコミュニティの中で全体性と関係性を発揮して、そのコミュニティの繁栄のために力を尽くすように生きているのである。ところが、このコミュニティに貢献するという気持ちが薄らいでしまうと、そのコミュニティは内部崩壊を起こすのである。夫婦関係や親子関係が破綻して家庭崩壊するのは、これが同じ原因であり、地域共同体が崩壊したのは、これが要因となっている。企業が倒産するのも、同じ原因である。このアンケート結果を真摯に捉えて、若者も含めた人々の勤労意識や労働観を正しく導くための価値観教育を、文科省は目指すべきであろう。

パーソナリティ障害という生きずらさ

パーソナリティ障害が激増しているという。現在、類推するに150万人の人々が医療もしくは何らかの形で支援を受けているらしい。これは、あくまでも何らかのサポートを受けているという数字であり、本人も周りの人々も気付かずにいるパーソナリティ障害は、おそらく300万人から500万人を越えると思われる。私も、自己診断表を使用して自分自身を診断するとパーソナリティ障害になってしまうし、wifeも同じくパーソナリティ障害の範疇に入っている。ご存知のように、DSMⅣという判定基準における診断表が存在する。その診断表によって自己診断すれば、半数以上の人々がパーソナリティ障害に該当するだろう。以前、ある研修会でこの診断表によって参加者に自己診断させたところ、なんと30人中29人がパーソナリティ障害に該当していた。

このパーソナリティ障害に該当している人々の大半は、生きづらさを抱えている。つまり、現代社会に適応するのが難しくて、いろんな悩みや苦しみを抱えているということである。それは、本人のパーソナリティ障害によるものが殆どである。しかし、中には現代社会に問題がある故に、そのパーソナリティ障害が際だってしまい、結果として生きづらさを抱えているというケースも少なくない。例えば強迫性のパーソナリティ障害である。この強迫性のパーソナリティ障害というのは、いわゆるこだわりが強い人格を持つ人である。あまりにもいい加減で出鱈目な人とは馬が合わない。当然軋轢を起こす。あまりにもいい加減な人が多い組織や社会では生きづらさを抱えることになる。

とんでもない問題行動を起こすパーソナリティ障害もある。例えば反社会性や境界性のパーソナリティ障害である。犯罪を起こしたり自傷行為を繰り返し起こしたりするケースが多い。周りの人々が対応に手こずることになる。また、会社の中で目に余る問題行動を起こす人々がいる。攻撃性の強い自己愛性のパーソナリティ障害があると、部下をパワハラやセクハラで苛め抜く。上司には媚びへつらい、部下は奴隷のように扱うし、自分の地位や名誉を守る為には、とんでもないことをしでかす。依存性や回避性のパーソナリティ障害もまた、問題行動を起こしてしまう。不登校やひきこもりなどになりやすいし、結婚生活の破綻を引き起こしやすい。

何故もこんなにパーソナリティ障害が増えてしまったのかと言うと、専門家は脳の器質的な異常によるのではないかと主張する。しかし、それだけではないような気がする。やはり、何かのきっかけがあって子育てが上手く行かなかったケースが多いように感じる。生まれた子どもが病弱であったり、先天的な脳の異常があったりで、あまりにも母親が子どもへの過干渉をした例に多いのではなかろうか。または、保護者があまりにも厳し過ぎる教育をしたり、虐待を繰り返したり、逆に育児放棄をしたりしたケースでも、パーソナリティ障害が起きているみたいである。正常で豊かな母性愛と父性愛を受けた子どもには、このパーソナリティ障害はあまり見られないようだ。

また、このパーソナリティ障害は学校教育の欠陥によっても、発生したり強化されたりするように思う。現在の学校教育においては、思想哲学の教育が排除されている。明治以降の近代教育から思想や哲学の基本となる価値観の教育が消えてしまった。さらに、戦後の教育では思想哲学を教えることが、軍国主義につながると誤解されてしまい、一切排除されてまったのである。また、国家主義を助長するからというとんでもない理由で、日教組により倫理教育がないがしろにされた影響もある。このような学校教育の混乱が、正しい価値観を持たない若者を大量に生み出して、パーソナリティ障害の予備軍にしてしまったきらいがあろう。実に困った教育制度である。

さて、このように一旦パーソナリティ障害になってしまった人間は、通常の精神障害とは違い、完全治癒は難しいとされている。確かにパーソナリティ障害は人格の障害だから、医療による治療は困難を極める。想像するに、パーソナリティ障害というのは一種の人格的な偏りであり、それは脳内ホルモン(神経伝達物質)の偏った放出や欠如によって起きているのではないかと思うのである。その脳内ホルモンというのは、ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、ノルアドレナリンなどであろう。そして、それらの脳内ホルモンが異常を来たすのは、腸内環境(腸内細菌)による影響が大きいということが判明してきた。つまり、食生活を改善して腸内環境を整えることで、パーソナリティ障害も和らぐのではないかという仮説を提起したい。試してみる価値はおおいにあろう。

メンタル障害は何故治らないのか

うつ病、双極性障害、パニック障害、適応障害、不安神経症などのメンタルの障害を起こしてしまっている方が増えている。何故もこんなにメンタルを病んでいる方が増えているかというと、ストレスフルな世の中のせいだとする専門家も多い。職場において、PCなどのIT機器や最新機器の操作で一日の大半を過ごす職員、または対人サービス業における難しいクライアントに対する応対を求められる職員、クレーマーや理不尽な顧客に対応せざるを得ない職員、パワハラやセクハラ・モラハラなどの職場における嫌がらせを常時受けている職員、そういう実に気の毒な社員・職員が多いせいもある。こういう勤務状況はなかなか改善出来ないし、自分の努力だけでは解決し得ない職場であるので仕方ない。

 

さて、メンタル障害を起こしてしまった方たちは、医療機関に足を運び診断を受けて、投薬・注射またはカウンセリングや認知行動療法などの治療を受ける。薬物治療は、緊急避難的な用法においては効果が現れるケースが少なくない。しかし、長期的な薬物投与は、どうしても効果が長続きしないし、副作用が表出するケースが多いという。さらにメンタル障害を起こした方々は不眠症を伴うことが多いのであるが、睡眠導入剤や睡眠薬などは緊急避難的に短期で利用する意味はあるものの、長期投与ではその効果が続かなくなるケースが多いし、副作用や離脱が難しくなる。カウンセリングや認知行動療法もまた、一時的には効果があるものの、完全治癒まで到達する例はなかなか見えにくい。

 

抗うつ剤としてSSRIやSNRIなどの新薬が登場した際には、画期的な抗うつ剤として大きな期待をされた。副作用も少ないとされ、うつ症状の患者さんたちはこれで自分達も救われると喜んだのである。しかし、残念ながらこれらの新型の抗うつ剤も長期投与されてしまうケースが多いし、離脱症状の危険性もあり、一度飲み始めたらずっと飲み続けなければならないという結果を示している。不思議なことに、これらのSSRIやSNRIの新薬が登場して、うつ病の患者さんは減少するどころか、かえって増加しているという皮肉な結果を示しているのである。

 

このように、様々な医療行為を受けることで、寛解や症状の軽減という例はあるものの、完全治癒というケースが極めて少ないというのも不思議である。ここに精神医療の限界というものが見え隠れしているように思えて仕方ない。たまに完全治癒した人の話を聞くことがあるものの、それは一時的な投薬を受けても、長期投薬を中断して、自力で治したというケースが殆どであるというのも不思議なことである。勿論、すべての医療行為を否定するものではないが、医療だけでメンタル障害が治癒することはごく稀であるという事実があるのも確かであろう。精神医療の行為には何が足りないのか、何を足せば完全治癒に向かうことが出来るのか、明らかにしていかなければならない課題が存在していると思われる。

 

これだけ医療が進歩して、新しい薬剤や治療法が提起されているにも関わらず、何故か精神医療分野だけは完全治癒が少ない。完全治癒が難しい分野だとは認識しているが、それにしても治りにくいし、これほど多くの患者さんが増えているというのは解せない。メンタル障害とされる原因も、違うのではないかとも感じられる。メンタル障害を起こす方々に共通しているのは何かというと、確固たる理念が存在しないという点と、何があっても揺るがない自己肯定感がないという点である。つまり『自己マスタリー』が確立されていないという点に注目したい。理念とは正しい真理に基づいている信念のことであり、自己マスタリーとは真の自己確立のことである。この二つがないことで、多くの方がメンタル障害に苦しんでいるのではないかと想像している。

 

正しい理念とは、この宇宙・社会の存在そのものを担保している真理に基づいた信念であり、端的に言うと『システム思考』のことである。全体最適とそれを担保する関係性重視の哲学のことと言い換えられる。自己マスタリーとは、マイナスの自己と呼ばれる低劣な価値観を持った自己を認め受け容れ、そしてそのマイナスの自己を恥じると共に慈しむことが出来る自分を確立することである。言葉では優しいが、自分を完全に否定して消してしまいたいと思い悩む世界に浸ることでもあり、簡単には出来得ない。おそらく、この日本で自己マスタリーを完全にクリアーした人は1割にも満たないはずである。マサチューセッツ工科大学のペーター・シュンゲ上級講師が提唱している理論であるこのシステム思考を身に付け、自己マスタリーに成功すれば、メンタル障害から完全に立ち直ることが可能となるであろう。

メンタルを病んだ経験から

何度かメンタルを病んだ体験を持っている。一度目は、仕事上の問題と自分の価値観の低劣さから起きた気分障害である。課長職の昇格試験を受けた際、筆記試験はよく出来たという自信があった。第二次の面接試験があったが、どうせ形式的なものだろうと高をくくっていた。とこが、厳しい質問攻めにあって、まともな答を述べられなかったのである。きちんとした勉強をしていれば、何ともなく答えられた質問なのに、それがしどろもどろの答しか出来なかったのだから、相当に落ち込んでしまった。この団体職員として入職して以来、手前みそだが勤務評価も高く出世も誰よりも早くして、エリート意識が人一倍高かったので、自分自身がこんなにも無能だったと気付いて、自己否定感がマックスになってしまったのである。

 

結果として、課長職の昇格試験には合格したのであるが、自分の無能さや無学さを思い知らされたおかげで、自分自身が嫌になったのである。自分には組織に対する貢献価値はないし、生きる価値さえないと思い込んだのである。精神的な落ち込み度は、相当にひどいものがあり、無気力の状態になってしまった。なんとか出勤はしていて仕事はこなしていたが、働く意欲や積極性はまったく失ってしまっていた。毎夜、不眠にも悩まされた。寝付きはなんとかなったが、午前3時か4時になると目が覚めて、胃に重苦しい鈍痛が起きて、苦しんでいた。自分には生きる意味さえないと、かなり重いうつ状態に追い込まれてしまったのである。この状態は3ケ月くらい続いたが、これでは拙いと気付き、運動療法や自分自身による認知行動療法によって、幸運にも奇跡的な復活を遂げることができた。

 

2度目の気分障害は、その後10年くらい経過した時に起きた。その頃、NPO活動やボランティア活動など積極的に取り組んでいた。さらに、障がい者の方々やメンタルを病んだ方々、家族にひきこもりや不登校を抱えられた方々を支援していた。意欲的に、しかもやりがいを持ってNPO活動と市民活動に取り組んでいた時に、ラジオ番組であるエッセイの朗読をしていたのを聴いた。ボランティア活動なんて、所詮自己満足の世界であるという主張であった。その作者も、自分で身体障がい者へのボランティア活動を続けていたが、ある時自分のやっている活動は単なる自己満足の押し付けなのではないかと気付いたというのである。その言葉を聞いて、愕然とした。まるで、自分のことを言われたように感じたのである。そのことをきっかけに、ひどい気分障害に陥ってしまった。

 

3度目の気分障害も、同じような理由で起きた。やはり、偽善的な行為をしている自分が許せなかったのである。2度目と3度目の気分障害は、1ケ月もしないうちに幸いにも立ち直ることが出来た。これも医療機関にも行かず、カウンセラーのお世話にもならずに何とか復活できた。今まで経験してきた気分障害は、何かの大きなストレスやプレッシャーに押しつぶされたというよりは、自分自身に対する嫌悪感から起きたものである。強烈な自己否定感に襲われ、その自分に対する否定感情をもろに受け容れてしまったことによるものと思われる。メンタル不全は、他人からの強烈な自己否定でも起きるが、どちらかというと、自分自身によって自尊感情を損なった場合が多いような気がする。

 

3度の気分障害は、多くの学びを自分に与えてくれた。まずは、人間のメンタルは非常に脆いし弱いということである。いとも簡単に誰でも気分障害に陥るし、そのきっかけも他の人から見たらたいした重要でもないことでも起きるということにも気付いた。さらに、気分障害は重症でなければ、自分だけの上手な早めの処理対応によって上手く復活できるということである。重症化したうつ病やパニック障害、または双極性の障害のケースは、簡単には治らない。気分障害を放置しておいたりこじらせたりしないことが肝要だということである。だから、気分障害はなるべく早く処理したほうが良いという教訓になる。

 

さらに言えることは、人間として確固たる理念やミッションがないと、気分障害に陥りやすいということと、自己マスタリーを確立していないとやはりメンタルを損ないやすいということである。人間として、どのような価値観に基づいて生きるべきという宇宙の真理に基づいた信念を持ちえないと、迷いが生じるのである。または、マイナスの自己も含めたありのままの自分を認め受け容れ、まるごとの自己を慈しみ愛せないと、メンタル障害になりやすいという認識が必要なのである。ということは、真の自己を確立し、正しい価値観である思想哲学を獲得できたとしたら、気分障害にもなりにくいし、たとえ気分障害になったとしても容易に回復できるということだ。これが三度の気分障害を体験して、学んだ真実である。気分障害にならなければ、こんなにも素晴らしい価値観を学べなかったのだから、良い経験をさせてもらったものだと感謝している。

自ら命を絶つ前に

大手広告会社の期待の新人社員が自らの命を絶ってしまい、労災認定がされたというショッキングなニュースが流れました。さらに、大企業の薬品会社の新入社員がやはり自殺をして、労災と認定されたという報道がありました。これらの報道は、労災認定をされたということでマスコミが取り上げただけであり、労災認定をされない仕事が原因の自殺は、他にも相当にあると推測されます。なにしろ、統計上明らかになっているだけで、年間3万人近くの方々が自ら命を絶ってしまうこの日本です。おそらくは、仕事上のストレスや疲れから自殺に追い込まれてしまっている方は相当に多い筈です。それにしても、こんなにも豊かで便利な世の中になったにも関わらず、生きにくい社会になっているというのは、理解できないことでもあります。

 

今、職場で心身共に疲れ切ってしまい、他には解決の方法が見つからず、死んでしまうしかこの現状から解放されないと思っていらっしゃる方がいらしたら、ちょっと待ってほしいものです。または、職場での執拗なパワハラやセクハラを受けて、会社は何も対応策をしてくれず、家族との板挟みで会社を辞める訳にも行かず、死んでしまうしかないと思っていらっしゃる方がこの日記を読んでいましたら、早まらないでほしいのです。このような八方塞がりの状況に追い込まれた方々にしてみれば、他には方法がないと思っていらっしゃることでしょう。確かに、もう誰も助けてくれないし解決策は他にないと思うのも当然かもしれません。

 

しかし、もし自殺という道を決断したとしても、あとせめて1週間から10日くらい先延ばし出来ないでしょうか。そして、「イスキアの郷しらかわ」で数日間過ごしてほしいと思います。または、会社を休めないなら土日の2日間でもよいから、しばしの休息を「イスキアの郷しらかわ」で過ごしてみてはどうでしょうか。勿論、しばしの休息で仕事の状況が変化する訳ではありません。しかし、少なくても自分をもう一度見つめ直す時間は必要ですし、何か心境の変化が見られるかもしれません。『四季彩菜工房』という農家民宿で、心尽くしの料理や心優しいもてなしを受けることで、心が癒されるに違いありません。または、辛くて苦しい出来事をありのままに受け容れてくれる相談をしているうちに、何かしらの解決策が見いだせるかもしれないのです。

 

最先端の心理学においては、マインドフルネスという方法が推奨されています。マインドフルネスというのは、ストレスコーピング(解消策)の有効な方法の一つです。ストレスを解決するには大きく分けて2つの方法があります。ひとつは問題焦点型のストレスコーピングで、ストレスの原因をダイレクトに解決するという解消法です。もう一つは情動焦点型のストレスコーピングで、問題そのものは解決できないものの、そのストレスに対する自分の認識や考え方を変えて、ストレスをストレスとして認知しないようにする方法であります。または、ストレスの対する耐性や柔軟な思考が出来るようにするという解消法です。その情動焦点型のストレスコーピングの有効な一つの方策がマインドフルネスです。

 

日本では、古来よりこのマインドフルネスという考え方や方策が実践されてきました。仏教では『唯識』という考え方です。瞑想、座禅、写経、読経、滝行や山岳修行などの苦行難行として実践されてきた歴史があります。マインドフルネスとは、ストレスから完全に開放されるような「何か」に心を奪われることにより、マイナスの思考を停止または手放すことで、本当の自分を取り戻すという方法です。人間は一旦強大なストレスに支配されてしまいますと、そのストレスを考えないようにすることが出来ず、四六時中そのことだけを考えてしまいます。それでは、不眠に追い込まれたりうつ状態になったりして、正しい考え方が出来なくなってしまうのです。これでは、解決策は思いつかなくなるばかりか、生きる気力も失ってしまいます。

 

マインドフルネスをするには、ストレスの原因になっている場所からなるべく離れて、非日常の世界に身を置くことが、まずは求められます。何もかも忘れてしまうには、自然豊かな処で、農業体験や自然体験に勤しむことが有効です。また、自分をまるごと受け容れてくれて許し肯定してくれる環境も必要です。それが、まさしく「イスキアの郷しらかわ」です。一旦思考を停止させて、自分自身をまずは取り戻すことが出来る場所、「イスキアの郷しらかわ」で、しばらく過ごすことでマインドフルネスが実践できます。仕事を休めない方は、週末だけでも何回か訪れてみてはいかがでしょうか。休職をしているなら、数日滞在することで、デトックスが可能になります。自ら命を絶つのは、今一度考え直してみてください。イスキアの郷しらかわで過ごしてみてください。自分の本当の「出口」(グリーンエグジット)がきっと見つけられます。