パーソナリティ障害という生きずらさ

パーソナリティ障害が激増しているという。現在、類推するに150万人の人々が医療もしくは何らかの形で支援を受けているらしい。これは、あくまでも何らかのサポートを受けているという数字であり、本人も周りの人々も気付かずにいるパーソナリティ障害は、おそらく300万人から500万人を越えると思われる。私も、自己診断表を使用して自分自身を診断するとパーソナリティ障害になってしまうし、wifeも同じくパーソナリティ障害の範疇に入っている。ご存知のように、DSMⅣという判定基準における診断表が存在する。その診断表によって自己診断すれば、半数以上の人々がパーソナリティ障害に該当するだろう。以前、ある研修会でこの診断表によって参加者に自己診断させたところ、なんと30人中29人がパーソナリティ障害に該当していた。

このパーソナリティ障害に該当している人々の大半は、生きづらさを抱えている。つまり、現代社会に適応するのが難しくて、いろんな悩みや苦しみを抱えているということである。それは、本人のパーソナリティ障害によるものが殆どである。しかし、中には現代社会に問題がある故に、そのパーソナリティ障害が際だってしまい、結果として生きづらさを抱えているというケースも少なくない。例えば強迫性のパーソナリティ障害である。この強迫性のパーソナリティ障害というのは、いわゆるこだわりが強い人格を持つ人である。あまりにもいい加減で出鱈目な人とは馬が合わない。当然軋轢を起こす。あまりにもいい加減な人が多い組織や社会では生きづらさを抱えることになる。

とんでもない問題行動を起こすパーソナリティ障害もある。例えば反社会性や境界性のパーソナリティ障害である。犯罪を起こしたり自傷行為を繰り返し起こしたりするケースが多い。周りの人々が対応に手こずることになる。また、会社の中で目に余る問題行動を起こす人々がいる。攻撃性の強い自己愛性のパーソナリティ障害があると、部下をパワハラやセクハラで苛め抜く。上司には媚びへつらい、部下は奴隷のように扱うし、自分の地位や名誉を守る為には、とんでもないことをしでかす。依存性や回避性のパーソナリティ障害もまた、問題行動を起こしてしまう。不登校やひきこもりなどになりやすいし、結婚生活の破綻を引き起こしやすい。

何故もこんなにパーソナリティ障害が増えてしまったのかと言うと、専門家は脳の器質的な異常によるのではないかと主張する。しかし、それだけではないような気がする。やはり、何かのきっかけがあって子育てが上手く行かなかったケースが多いように感じる。生まれた子どもが病弱であったり、先天的な脳の異常があったりで、あまりにも母親が子どもへの過干渉をした例に多いのではなかろうか。または、保護者があまりにも厳し過ぎる教育をしたり、虐待を繰り返したり、逆に育児放棄をしたりしたケースでも、パーソナリティ障害が起きているみたいである。正常で豊かな母性愛と父性愛を受けた子どもには、このパーソナリティ障害はあまり見られないようだ。

また、このパーソナリティ障害は学校教育の欠陥によっても、発生したり強化されたりするように思う。現在の学校教育においては、思想哲学の教育が排除されている。明治以降の近代教育から思想や哲学の基本となる価値観の教育が消えてしまった。さらに、戦後の教育では思想哲学を教えることが、軍国主義につながると誤解されてしまい、一切排除されてまったのである。また、国家主義を助長するからというとんでもない理由で、日教組により倫理教育がないがしろにされた影響もある。このような学校教育の混乱が、正しい価値観を持たない若者を大量に生み出して、パーソナリティ障害の予備軍にしてしまったきらいがあろう。実に困った教育制度である。

さて、このように一旦パーソナリティ障害になってしまった人間は、通常の精神障害とは違い、完全治癒は難しいとされている。確かにパーソナリティ障害は人格の障害だから、医療による治療は困難を極める。想像するに、パーソナリティ障害というのは一種の人格的な偏りであり、それは脳内ホルモン(神経伝達物質)の偏った放出や欠如によって起きているのではないかと思うのである。その脳内ホルモンというのは、ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、ノルアドレナリンなどであろう。そして、それらの脳内ホルモンが異常を来たすのは、腸内環境(腸内細菌)による影響が大きいということが判明してきた。つまり、食生活を改善して腸内環境を整えることで、パーソナリティ障害も和らぐのではないかという仮説を提起したい。試してみる価値はおおいにあろう。

メンタル障害は何故治らないのか

うつ病、双極性障害、パニック障害、適応障害、不安神経症などのメンタルの障害を起こしてしまっている方が増えている。何故もこんなにメンタルを病んでいる方が増えているかというと、ストレスフルな世の中のせいだとする専門家も多い。職場において、PCなどのIT機器や最新機器の操作で一日の大半を過ごす職員、または対人サービス業における難しいクライアントに対する応対を求められる職員、クレーマーや理不尽な顧客に対応せざるを得ない職員、パワハラやセクハラ・モラハラなどの職場における嫌がらせを常時受けている職員、そういう実に気の毒な社員・職員が多いせいもある。こういう勤務状況はなかなか改善出来ないし、自分の努力だけでは解決し得ない職場であるので仕方ない。

 

さて、メンタル障害を起こしてしまった方たちは、医療機関に足を運び診断を受けて、投薬・注射またはカウンセリングや認知行動療法などの治療を受ける。薬物治療は、緊急避難的な用法においては効果が現れるケースが少なくない。しかし、長期的な薬物投与は、どうしても効果が長続きしないし、副作用が表出するケースが多いという。さらにメンタル障害を起こした方々は不眠症を伴うことが多いのであるが、睡眠導入剤や睡眠薬などは緊急避難的に短期で利用する意味はあるものの、長期投与ではその効果が続かなくなるケースが多いし、副作用や離脱が難しくなる。カウンセリングや認知行動療法もまた、一時的には効果があるものの、完全治癒まで到達する例はなかなか見えにくい。

 

抗うつ剤としてSSRIやSNRIなどの新薬が登場した際には、画期的な抗うつ剤として大きな期待をされた。副作用も少ないとされ、うつ症状の患者さんたちはこれで自分達も救われると喜んだのである。しかし、残念ながらこれらの新型の抗うつ剤も長期投与されてしまうケースが多いし、離脱症状の危険性もあり、一度飲み始めたらずっと飲み続けなければならないという結果を示している。不思議なことに、これらのSSRIやSNRIの新薬が登場して、うつ病の患者さんは減少するどころか、かえって増加しているという皮肉な結果を示しているのである。

 

このように、様々な医療行為を受けることで、寛解や症状の軽減という例はあるものの、完全治癒というケースが極めて少ないというのも不思議である。ここに精神医療の限界というものが見え隠れしているように思えて仕方ない。たまに完全治癒した人の話を聞くことがあるものの、それは一時的な投薬を受けても、長期投薬を中断して、自力で治したというケースが殆どであるというのも不思議なことである。勿論、すべての医療行為を否定するものではないが、医療だけでメンタル障害が治癒することはごく稀であるという事実があるのも確かであろう。精神医療の行為には何が足りないのか、何を足せば完全治癒に向かうことが出来るのか、明らかにしていかなければならない課題が存在していると思われる。

 

これだけ医療が進歩して、新しい薬剤や治療法が提起されているにも関わらず、何故か精神医療分野だけは完全治癒が少ない。完全治癒が難しい分野だとは認識しているが、それにしても治りにくいし、これほど多くの患者さんが増えているというのは解せない。メンタル障害とされる原因も、違うのではないかとも感じられる。メンタル障害を起こす方々に共通しているのは何かというと、確固たる理念が存在しないという点と、何があっても揺るがない自己肯定感がないという点である。つまり『自己マスタリー』が確立されていないという点に注目したい。理念とは正しい真理に基づいている信念のことであり、自己マスタリーとは真の自己確立のことである。この二つがないことで、多くの方がメンタル障害に苦しんでいるのではないかと想像している。

 

正しい理念とは、この宇宙・社会の存在そのものを担保している真理に基づいた信念であり、端的に言うと『システム思考』のことである。全体最適とそれを担保する関係性重視の哲学のことと言い換えられる。自己マスタリーとは、マイナスの自己と呼ばれる低劣な価値観を持った自己を認め受け容れ、そしてそのマイナスの自己を恥じると共に慈しむことが出来る自分を確立することである。言葉では優しいが、自分を完全に否定して消してしまいたいと思い悩む世界に浸ることでもあり、簡単には出来得ない。おそらく、この日本で自己マスタリーを完全にクリアーした人は1割にも満たないはずである。マサチューセッツ工科大学のペーター・シュンゲ上級講師が提唱している理論であるこのシステム思考を身に付け、自己マスタリーに成功すれば、メンタル障害から完全に立ち直ることが可能となるであろう。

メンタルを病んだ経験から

何度かメンタルを病んだ体験を持っている。一度目は、仕事上の問題と自分の価値観の低劣さから起きた気分障害である。課長職の昇格試験を受けた際、筆記試験はよく出来たという自信があった。第二次の面接試験があったが、どうせ形式的なものだろうと高をくくっていた。とこが、厳しい質問攻めにあって、まともな答を述べられなかったのである。きちんとした勉強をしていれば、何ともなく答えられた質問なのに、それがしどろもどろの答しか出来なかったのだから、相当に落ち込んでしまった。この団体職員として入職して以来、手前みそだが勤務評価も高く出世も誰よりも早くして、エリート意識が人一倍高かったので、自分自身がこんなにも無能だったと気付いて、自己否定感がマックスになってしまったのである。

 

結果として、課長職の昇格試験には合格したのであるが、自分の無能さや無学さを思い知らされたおかげで、自分自身が嫌になったのである。自分には組織に対する貢献価値はないし、生きる価値さえないと思い込んだのである。精神的な落ち込み度は、相当にひどいものがあり、無気力の状態になってしまった。なんとか出勤はしていて仕事はこなしていたが、働く意欲や積極性はまったく失ってしまっていた。毎夜、不眠にも悩まされた。寝付きはなんとかなったが、午前3時か4時になると目が覚めて、胃に重苦しい鈍痛が起きて、苦しんでいた。自分には生きる意味さえないと、かなり重いうつ状態に追い込まれてしまったのである。この状態は3ケ月くらい続いたが、これでは拙いと気付き、運動療法や自分自身による認知行動療法によって、幸運にも奇跡的な復活を遂げることができた。

 

2度目の気分障害は、その後10年くらい経過した時に起きた。その頃、NPO活動やボランティア活動など積極的に取り組んでいた。さらに、障がい者の方々やメンタルを病んだ方々、家族にひきこもりや不登校を抱えられた方々を支援していた。意欲的に、しかもやりがいを持ってNPO活動と市民活動に取り組んでいた時に、ラジオ番組であるエッセイの朗読をしていたのを聴いた。ボランティア活動なんて、所詮自己満足の世界であるという主張であった。その作者も、自分で身体障がい者へのボランティア活動を続けていたが、ある時自分のやっている活動は単なる自己満足の押し付けなのではないかと気付いたというのである。その言葉を聞いて、愕然とした。まるで、自分のことを言われたように感じたのである。そのことをきっかけに、ひどい気分障害に陥ってしまった。

 

3度目の気分障害も、同じような理由で起きた。やはり、偽善的な行為をしている自分が許せなかったのである。2度目と3度目の気分障害は、1ケ月もしないうちに幸いにも立ち直ることが出来た。これも医療機関にも行かず、カウンセラーのお世話にもならずに何とか復活できた。今まで経験してきた気分障害は、何かの大きなストレスやプレッシャーに押しつぶされたというよりは、自分自身に対する嫌悪感から起きたものである。強烈な自己否定感に襲われ、その自分に対する否定感情をもろに受け容れてしまったことによるものと思われる。メンタル不全は、他人からの強烈な自己否定でも起きるが、どちらかというと、自分自身によって自尊感情を損なった場合が多いような気がする。

 

3度の気分障害は、多くの学びを自分に与えてくれた。まずは、人間のメンタルは非常に脆いし弱いということである。いとも簡単に誰でも気分障害に陥るし、そのきっかけも他の人から見たらたいした重要でもないことでも起きるということにも気付いた。さらに、気分障害は重症でなければ、自分だけの上手な早めの処理対応によって上手く復活できるということである。重症化したうつ病やパニック障害、または双極性の障害のケースは、簡単には治らない。気分障害を放置しておいたりこじらせたりしないことが肝要だということである。だから、気分障害はなるべく早く処理したほうが良いという教訓になる。

 

さらに言えることは、人間として確固たる理念やミッションがないと、気分障害に陥りやすいということと、自己マスタリーを確立していないとやはりメンタルを損ないやすいということである。人間として、どのような価値観に基づいて生きるべきという宇宙の真理に基づいた信念を持ちえないと、迷いが生じるのである。または、マイナスの自己も含めたありのままの自分を認め受け容れ、まるごとの自己を慈しみ愛せないと、メンタル障害になりやすいという認識が必要なのである。ということは、真の自己を確立し、正しい価値観である思想哲学を獲得できたとしたら、気分障害にもなりにくいし、たとえ気分障害になったとしても容易に回復できるということだ。これが三度の気分障害を体験して、学んだ真実である。気分障害にならなければ、こんなにも素晴らしい価値観を学べなかったのだから、良い経験をさせてもらったものだと感謝している。

自ら命を絶つ前に

大手広告会社の期待の新人社員が自らの命を絶ってしまい、労災認定がされたというショッキングなニュースが流れました。さらに、大企業の薬品会社の新入社員がやはり自殺をして、労災と認定されたという報道がありました。これらの報道は、労災認定をされたということでマスコミが取り上げただけであり、労災認定をされない仕事が原因の自殺は、他にも相当にあると推測されます。なにしろ、統計上明らかになっているだけで、年間3万人近くの方々が自ら命を絶ってしまうこの日本です。おそらくは、仕事上のストレスや疲れから自殺に追い込まれてしまっている方は相当に多い筈です。それにしても、こんなにも豊かで便利な世の中になったにも関わらず、生きにくい社会になっているというのは、理解できないことでもあります。

 

今、職場で心身共に疲れ切ってしまい、他には解決の方法が見つからず、死んでしまうしかこの現状から解放されないと思っていらっしゃる方がいらしたら、ちょっと待ってほしいものです。または、職場での執拗なパワハラやセクハラを受けて、会社は何も対応策をしてくれず、家族との板挟みで会社を辞める訳にも行かず、死んでしまうしかないと思っていらっしゃる方がこの日記を読んでいましたら、早まらないでほしいのです。このような八方塞がりの状況に追い込まれた方々にしてみれば、他には方法がないと思っていらっしゃることでしょう。確かに、もう誰も助けてくれないし解決策は他にないと思うのも当然かもしれません。

 

しかし、もし自殺という道を決断したとしても、あとせめて1週間から10日くらい先延ばし出来ないでしょうか。そして、「イスキアの郷しらかわ」で数日間過ごしてほしいと思います。または、会社を休めないなら土日の2日間でもよいから、しばしの休息を「イスキアの郷しらかわ」で過ごしてみてはどうでしょうか。勿論、しばしの休息で仕事の状況が変化する訳ではありません。しかし、少なくても自分をもう一度見つめ直す時間は必要ですし、何か心境の変化が見られるかもしれません。『四季彩菜工房』という農家民宿で、心尽くしの料理や心優しいもてなしを受けることで、心が癒されるに違いありません。または、辛くて苦しい出来事をありのままに受け容れてくれる相談をしているうちに、何かしらの解決策が見いだせるかもしれないのです。

 

最先端の心理学においては、マインドフルネスという方法が推奨されています。マインドフルネスというのは、ストレスコーピング(解消策)の有効な方法の一つです。ストレスを解決するには大きく分けて2つの方法があります。ひとつは問題焦点型のストレスコーピングで、ストレスの原因をダイレクトに解決するという解消法です。もう一つは情動焦点型のストレスコーピングで、問題そのものは解決できないものの、そのストレスに対する自分の認識や考え方を変えて、ストレスをストレスとして認知しないようにする方法であります。または、ストレスの対する耐性や柔軟な思考が出来るようにするという解消法です。その情動焦点型のストレスコーピングの有効な一つの方策がマインドフルネスです。

 

日本では、古来よりこのマインドフルネスという考え方や方策が実践されてきました。仏教では『唯識』という考え方です。瞑想、座禅、写経、読経、滝行や山岳修行などの苦行難行として実践されてきた歴史があります。マインドフルネスとは、ストレスから完全に開放されるような「何か」に心を奪われることにより、マイナスの思考を停止または手放すことで、本当の自分を取り戻すという方法です。人間は一旦強大なストレスに支配されてしまいますと、そのストレスを考えないようにすることが出来ず、四六時中そのことだけを考えてしまいます。それでは、不眠に追い込まれたりうつ状態になったりして、正しい考え方が出来なくなってしまうのです。これでは、解決策は思いつかなくなるばかりか、生きる気力も失ってしまいます。

 

マインドフルネスをするには、ストレスの原因になっている場所からなるべく離れて、非日常の世界に身を置くことが、まずは求められます。何もかも忘れてしまうには、自然豊かな処で、農業体験や自然体験に勤しむことが有効です。また、自分をまるごと受け容れてくれて許し肯定してくれる環境も必要です。それが、まさしく「イスキアの郷しらかわ」です。一旦思考を停止させて、自分自身をまずは取り戻すことが出来る場所、「イスキアの郷しらかわ」で、しばらく過ごすことでマインドフルネスが実践できます。仕事を休めない方は、週末だけでも何回か訪れてみてはいかがでしょうか。休職をしているなら、数日滞在することで、デトックスが可能になります。自ら命を絶つのは、今一度考え直してみてください。イスキアの郷しらかわで過ごしてみてください。自分の本当の「出口」(グリーンエグジット)がきっと見つけられます。