どうして人はトラウマを抱えてしまうのか

 人は一旦トラウマを抱えてしまうと、それを乗り越えることが非常に難しいものだ。それだけではない。抱えたトラウマによって、非常に生きづらくなってしまう。不安感や恐怖感をいつも持ってしまうだけでなく、考え方や行動に影響を与えてしまうので、生き方そのものも変化してしまうのである。さらには、小さい頃から何度もトラウマを積み重ねることで、複雑性のPTSDを負ってしまうことになり、ASD(自閉症スペクトラム障害)までも起こしてしまう事が判明した。どうして、人はトラウマを抱えてしまうのであろうか。

 実に不思議な事であるのだが、心的外傷を負うような同じ事件・事故に出会っても、トラウマを負ってしまう人と、まったくトラウマを抱えることがないという人がいる。どうして、そんな違いが生じてしまうのであろうか。このトラウマを負ってしまうという人は、特定のパーソナリティを持つ人なのであろうか。そもそもトラウマになってしまうことがなければ、いろんなメンタルの疾患になることもないし、身体的な疾患に罹患することも少ない筈だ。生きづらさを抱えることもないので、もっと人生を謳歌できるに違いない。

 自分にとって辛くて悲しい目に遭ったり、苦しくてどうしようもない出来事に追いこまれたりしても、トラウマにならない方法が解れば、パニック障害やPTSDにならない筈である。それでは、トラウマにならないような生き方が誰にでも出来るのであろうか、またはトラウマになるようなパーソナリティを克服できる方法はあるのだろうか。結論から言うと、トラウマを抱えるパーソナリティは乳幼児期に作られてしまうし、一旦このような性格・人格が形成されてしまうと、簡単には変えること難しいのである。

 それは、どんな性格・人格かというと、端的に言えば『不安型の愛着スタイル』というものである。自己否定感が極めて強くて、不安が異常に強いパーソナリティである。自尊感情が極めて低いために、自分のことが好きになれないし、あるがままの自分を愛せない。どんな子育てをされたかというと、三歳までに無条件の愛をあまり注がれずに、条件付きの愛を受け続けた育児をされたケースである。あるがままにまるごと愛されるという経験をしないと、絶対的な自己肯定感は育まれず、不安型の愛着スタイルになってしまうのである。

 言い換えると無条件の愛情である母性愛を三歳ころまでにたっぷりと注がれ続けてから、条件付きの愛情である父性愛を受けないと、健全な精神は育たずに不安で仕方ない性格・人格が形成されてしまうのである。絶対的な自己肯定感が喪失している不安型の愛着スタイルを獲得してしまうと、あまりにも悲惨で辛い出来事や、生命の危険を感じるような事件・事故に出会うと、トラウマ化してしまうのである。あるがままにまるごと愛されるという母性愛をたっぷりと注がれた子どもは、絶対的な自己肯定感が確立されるので、どんな悲惨な目に遭っても、トラウマ化しにくい。

 現代においては、父親と母親自身が不安型愛着スタイルを抱えているケースが多く、我が子をあるがままにまるごと愛せない。自分が強い不安や恐怖感を持つ故に、子育てに自信や安心感を持てない。故に、常に子どものことを心配するあまり、支配しコントロールをしてしまい、『良い子』に育てようとして過干渉と過介入を繰り返すのである。これでは、子どもは自己組織化が進まないし、自己否定感が強い子どもになり、いつも不安に苛まれることになる。悲惨なことが起きると、容易にトラウマ化しやすい。そういうことが何度も積み重なると、複雑性のPTSDになって発達障害になってしまう。

 それでは、トラウマを抱えやすい不安型愛着スタイルになってしまった人は、一生トラウマ化しやすいパーソナリティを抱え続けるのかというと、けっしてそうではない。大人になってからでも、あるがままにまるごと愛してくれる人に出会い、自己組織化させてくれる安全基地として機能してくれるパートナーに出会うことが出来れば、不安型の愛着スタイルは癒される。安全と絆を確信させてくれる安全基地となって不安と恐怖感を払拭しくれるパートナーが寄り添ってくれたら、不安型愛着スタイルは少しずつ癒される。時間はかかるが、人生のパートナーではなくて臨時の安全基地として機能してくれる人でも可能である。それは、森のイスキアの佐藤初女さんのような人である。

こもりびとを卒業するには

 ひきこもりとは呼ばないで、『こもりびと』と呼ぶ人が増えているらしい。確かに、若い人たちが家に籠っているケースは、ひきこもりと言うよりもこもりびとと言う方が正しいのかもしれない。ましてや、自分のことをひきこもりだと言われるよりは、こもりびとと呼ばれた方がましだと言えよう。言葉のイメージとしてだが、ひきこもりよりも症状が軽く、こもりびとは乗り越える可能性がありそうにも聞こえる。深刻だというようなイメージがない分だけ、こもりびとというように呼ばれたいし、使いたい気持ちになる。

 しかし、残念ながらこもりびとはひきこもりと同意語であり、その深刻な状況には変わりないし、こもりびとから抜け出すことは難しい。一度こもりびとになってしまうと、社会復帰するのは困難を極めるケースが多いのも事実である。何年、何十年にも渡りこもりびとになってしまうことも珍しくない。そうなってしまう原因はというと、人それぞれであり様々な理由があげられる。しかし、殆どのこもりびとに共通している事がひとつだけある。それは、『愛着』に問題を抱えているということである。不安定な愛着を抱えているのである。

 こもりびとになった原因はというと、学校や職場においてショックな出来事、または悲惨な苛めやパワハラが起きたからだという認識をしている人が多い。その事件や事故によってトラウマになって、メンタルが落ち込んでしまい、不安や恐怖を乗り越えられず、こもりびとになってしまったと思い込んでいる人たちが殆どだ。しかし、本当の原因は別にある。それらのいじめやパワハラ、ショックな事件や事故はあくまでもきっかけでしかなく、こもりびとの原因は別にある。不安定な愛着が、こもりびとになった本当の原因である。

 こもりびとになった人は、精神的なケアを受けることを拒否してしまうことが多い。精神科の受診を拒むケースが殆どである。よしんば精神医学的なケアを受けたとしても、改善するケースは少ない。カウンセリングや各種セラピーを受けたとしても、こもりびとを脱却するまでに到達するケースは極めて少ない。何故なら、その治療はトラウマやPTSDを克服するためのものであり、不安定な愛着を改善するためのケアをしていないからである。原因を認識しようとせず、対症療法だけをしていては、完治しないし社会復帰は無理なのだ。

 だから、こもりびとは益々増加しているし、こもりびとを卒業する人がいないのである。それでは、こもりびとを卒業することは無理なのであろうか。そんなことはない、こもりびとを卒業して社会復帰することは可能である。不安定な愛着を克服して、安定した愛着を獲得すれば、こもりびとは乗り越えられるのである。不安定な愛着とは、言い換えると不安型愛着スタイルである。幼少期に酷い虐待やネグレクトを受けて育ったケースは、愛着障害と呼ばれる。そんなに酷い養育環境ではなくても、不安型愛着スタイルになるのである。

 例えば、養育者が突然変更になった場合である。母親の病気や仕事、または離婚により、母親から祖母や叔母に養育者が変更になったケースである。または、両親の不仲や離婚も影響を受ける。父親か母親がアルコール依存症やギャンブル依存症で、養育が不安定になったケースも同じである。さらに多いのは、両親から過度の干渉や介入を受けた場合である。あるがままにまるごと愛されるという幼児期体験を受けないと、自尊感情は育まれない。自己肯定感が確立されず、いつも得体のしれない不安に悩まされることになる。これが不安型愛着スタイルという症状である。

 不安型愛着スタイルを自分の力で克服するのは、極めて難しい。何故なら、不安型愛着スタイルというのは、安全と絆が喪失しているから、誰かが安全と絆を保証する『安全基地』として機能しなければならないのである。本来ならば両親のどちらかが安全基地になり、あるがままにまるごと愛するという育て直しをして、安定した愛着を確立するのが望ましい。しかし、現実的には両親がそこに気付くことは出来ないから、誰かが臨時の安全基地として機能しなければならない。そして、その安全基地が揺るぎない愛情を注ぎ続けたら、不安型愛着スタイルを克服して、こもりびとも卒業できるのである。誰でもこの安全基地になれるかというと、そうではない。深い愛情と限りない優しさを持った佐藤初女さんのような人しかできないのである。

 森のイスキアを主宰しておられた佐藤初女さんは、もうこの世にはいません。しかし、佐藤初女さんのような活動をしたいと志していらっしゃる方は、大勢います。佐藤初女さんのようになりたいと思っても、そう簡単になれる訳ではありません。まずは、自分自身が進化や成長を遂げて、自己マスタリーを確立して、高い価値観である形而上学に基づいて、天命を認識した言動を続けることが必要です。そのような学びを「イスキアの郷しらかわ」では支援しています。第二、第三の佐藤初女さんがこの世に生まれ、活躍することを祈って活動しています。

得体のしれない不安を感じる訳

 不安の時代だと言われる現代は、それ故に生きづらいと感じる人々が想像以上に多いと考えられる。不安から不眠になって不安障害を抱えてしまい、気分障害の精神疾患を抱える人も少なくない状況になっている。この不安は、現在の仕事や学業に対する不安、将来の経済的な不安も問題なのだが、得体のしれない不安はより深刻である。何故なら、具体的な対象に対する不安であれば、何とか解決しようとする対策も取れるが、得体のしれない不安だけはどうしようもないからだ。この得体のしれない不安を抱えている人が非常に多いのである。

 得体のしれない不安ほどやっかいなものはない。何か具体的な不安であれば、対応の仕方も考えられる。しかし、自分の抱えている不安が何なのか、何故こんなに不安なのか、まったく見当が付かないだから、どうにもならないのである。何かに対する恐怖というのは、まだましなのだが、人に説明できない不安は、どうしようもない。ましてや、何故こんな得体のしれない不安を抱えるのか、原因も解らないのだから対処もできない。そして、この得体のしれない不安は、一向に弱まることをしないし、止むことなくずっと続くのである。

 それでは、この得体のしれない不安の正体とそれが起きる原因について分析していきたいと思う。誰しもこの得体のしれない不安を抱えているのかというと、けっしてそうではない。特定の気質や養育環境に置かれた人だけが、この得体のしれない不安を持つことになる。まずは、脳科学的に検証すると、オキシトシンホルモンの分泌が不足しているのは間違いないと考えられる。オキシトシンホルモンが不足してくると、不安や恐怖が湧いてくる。安心ホルモンと呼ばれていて、このホルモンが不足すると安心できないのである。

 それでは、何故このオキシトシンホルモンが不足する人になるのかというと、オキシトシンホルモンのレセプター(受容体)が乳幼児期に作られていないみたいである。どういうことかと言うと、オキシトシンホルモンレセプターは、生まれてから3歳くらいまでに作成されると言われているが、何らかの原因で『愛着』が不安定になると、このレセプターが作られないと言う。このレセプターが作られていないと、いくらオキシトシンホルモンが脳内で作られても、受け取れないからこのホルモンが作用されず不安になってしまうのである。

 愛着が不安定になるのは、養育期に何らかの理由で養育者が居なくなったり変更になったりした場合である。または、ネグレクトや虐待によってもレセプターが作られない。さらには、まるごとあるがままに愛されるという体験が不足しても同様のことが起きる。つまり無条件の愛である母性愛が不足して、過介入や過干渉の子育てをして、子どもが支配され感や所有され感が強くなっても、オキシトシンホルモンレセプターが作られない。そうすると、絶対的な自己肯定感が確立されなくて、いつも強い自己否定感に苛まれる。

 このように自己否定感が強いパーソナリティを持ってしまうと、何をやるにしても不安になりチャレンジする気持ちが失せてしまう。ちょっとした失敗や挫折がトラウマ化しやすい。他人からの評価をとても気にしていて、自分が他人からどう見られているかがいつも気になる。また、オキシトシンホルモンが不足していると、神経が過敏になると共に心理社会的過敏になる。つまり、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)になってしまうのである。こういう気質が基になって、なおさら得体のしれない不安に追い込まれるのである。

 得体のしれない不安を持ってしまうのは、自分をまるごと愛してくれて守ってくれる存在が居なくなってしまうのではないかという不安を抱えて、乳幼児期を過ごした人である。この見離され不安や見捨てられ不安は、根強く残ってしまう。得体のしれない不安を抱えている人は、突き詰めていくと見離され不安や見捨てられ不安に行き着くのである。これが得体のしれない不安の正体である。そして、その原因は不安定な『愛着』によるオキシトシンホルモン不足にあるのだ。それでは、この得体のしれない不安は一生改善しないのかというと、そうではない。自分をまるごと愛してくれて守ってくれる安全基地という存在が出来て、穏やかで平和な生活が続けば、やがて得体のしれない不安が解消される。

広場恐怖症の原因と寛解の方法

 広場恐怖症と呼ばれる精神疾患が注目されている。女子プロゴルファーである菅沼菜々さんがツアーで初優勝して、自分が公共交通機関を利用できない広場恐怖症であることを優勝コメントで発したことでニュースになったからであろう。同じ広場恐怖症で苦しんでいる人々を勇気付けたいと思っているという。広場恐怖症とは、パニック障害のひとつとして捉えられることが多い。広場だけでなく、多くの人々が集まる場所やシチュエーションが苦手で、バス、電車、飛行機、船、エレベーターにも乗れなくなる人もいる。

 元々は普通に交通機関に乗れていたのに、ある時に特定の場所でパニック発作が起きてしまい、また同じ発作が起きるのではないかという恐怖が心を支配するらしい。初優勝した菅沼菜々さんは、公共交通機関に乗れないので、全国各地に父親が運転する車で転戦しているという。したがって、飛行機や船でしか行けないような沖縄や北海道でのツアーには参加できない。この広場恐怖症は、一旦発症してしまうと日時生活に支障を来してしまうし、通勤できないので会社勤めも出来なくなるケースが多い。

 この広場恐怖症が発症する原因は、遺伝的要因が大きいと言われていて、養育環境やストレスによって強化されてしまい発症するのではないかと推測されている。自律神経が何らかのショックによって暴走状態に陥ってしまうのではないかと見る医学研究者が多い。元々強烈な不安を感じやすい気質があり、衝撃的な事件・事故で副交感神経が働かなくなり、交感神経が暴走してしまい、それが固定化しているのではないかと推測されている。今までの医学的常識からすると、こんな診断をしてしまうだろうが、どうも納得できない。

 広場恐怖症が一旦発症してしまうと、予後は良くない。SSRIという抗うつ剤を投与したり、暴露療法や認知行動療法をしたりして、治療をするが効果が出にくい。何年にも渡り治療を受けても、効果が出にくいので社会復帰が遅れてしまうことが多い。それだけこの広場恐怖症という精神疾患が、難治性の疾病だと言えるが、原因や発症システムを見誤っているせいではないだろうか。自律神経のアンバランスや暴走だという見立ては、間違っていないと思われるが、交感神経の暴走というのは少し違うように感じている。

 何故かと言うと、副交感神経が抑えられて交感神経が暴走状態になったと仮定したとして、その暴走が長期化してしまうというのは考えにくい。通常交感神経が優位になってしまい、ずっと暴走のような状態が続いたとしても、交感ホルモンがずっと放出され続けることは考えにくい。なによりも、広場恐怖症は心と身体の遮断やブロックを起こすのである。交感神経とは、真逆の働きをするのである。とすれば、副交感神経である迷走神経のうち、背側迷走神経が暴走してしまい、シャットダウン化が起きたと考えるのが妥当だ。

 広場恐怖症を発症する人は、元々不安や恐怖を感じやすい。ということは、不安神経症的な気質を持ち合わせている。そして、HSPと呼ばれる神経学的過敏と心理社会学的過敏の気質を持つことが多い。さらに、何事にも完璧を求める傾向があるし、人の目を気にし過ぎる傾向があり、誰に聞いても『良い人』だという答えが返ってくるほど、優等生であることが多い。こういう気質こそが、広場恐怖症を発症させてしまう下地となっていると言えよう。そこに過大なストレスがあり、逃避や戦闘も出来ない状況で、想像を絶するような不安・恐怖を感じてしまうと、背側迷走神経が暴走し発症する。

 背側迷走神経が暴走した状況になりシャットダウン化が起きると、身体と心が動かなくなり、まったく行動できなくなってしまうのである。こうなってしまうと、また同じような事が起きてしまうのではないかと不安になり、同じシチュエーションに身を置くことが不可能になる。この背側迷走神経のシャットダウン化を解くためには、カウンセリングや適切なセラピーが有効である。または認知行動療法やオープンダイアローグ療法も効果がある。一番は、『安全基地』となる存在である。安全基地となる存在が、けっして否定せず傾聴と共感を繰り返し、ボディセラピーを実施して身体の緊張を解きほぐし、音楽療法などを併用することで寛解を迎えることが出来よう。時間がかかるが、治るのは不可能ではない。

自衛隊の発砲事件を2度と起こさぬには

 自衛隊の射撃訓練場における発砲事件が起きた。事件に遭われた方にとっては不幸な事件であり、犠牲になってしまわれた方の冥福を祈りたい。事件の背景が明らかになりつつあり、どうしてこの事件が起きたかという原因、またはこの事件を防げなかった安全システム上の問題が取り沙汰されている。このような事件が起きる度に、再発防止策が検討され、安全システムの見直しが行われる。しかし、どんなに安全システムの改善を実施しても、このような発砲事件は絶対に無くならないし、これからは益々増えるに違いないだろう。

 何故なら、警察官が拳銃を用いて自らの命を絶ってしまうという事案が、最近多発しているが、この発砲事件の原因は共通しているからである。自衛隊は、他人を殺傷していて、警察官は自分に対する発砲だから、まるっきり違うと思っている人が多いことだろう。政治家や行政組織の管理者たちは、全然違う事案だと捉えているだろうが、実は根っこは同じなのである。これらの発砲事件を起こした当事者たちは、同じような生きづらさを抱えていたのは間違いない。つまり、自己愛性の障害を抱えていたことが容易に推察できる。

 自ら命を絶った警察官も、自動小銃で教官を射殺した自衛官候補生も、自己愛性の障害を抱えていたのではなかろうか。それはどういうことかというと、彼らに共通しているのは、自尊心や自己肯定感の欠如である。人間とは本来、マイナスの自己も含めて、自分をまるごと好きになり愛せることが、心身共に健やかに生きる為には必要不可欠なことである。自分の嫌な自己も含めてすべて愛せるからこそ、他人をも好きになり愛せるのである。勿論、嫌なことや辛いことが起きても、絶対的な自己肯定感が確立していれば、乗り越えられる。

 ところが、絶対的な自尊心や自己肯定感が確立されてないと、辛いことや悲しいこと、自分で乗り越えるのが難しい苦難困難に遭ってしまうと、その課題から回避したり逃避したりしてしまうのである。自分がそんなに辛い目に遭うのなら、この世から自分を抹殺しようとか、自分をそんな目に遭わせる存在を抹殺しようと短絡的発想をしてしまうのである。絶対的な自己肯定感を確立した人は、けっしてそんな気持ちにはならない。乗り越えるための方策を考えるし、その障壁を乗り越えられない筈がないと自信を持ち、向かって行くのだ。

 現代のような不寛容社会、または自己肯定感を育てることが出来ない教育システムの中では、このような自己愛性の障害を持った人々を大量に生み出してしまっているのである。つまり、絶対的な自己肯定感を確立した人は明らかに少数派であり、強い自己否定感を抱えている人が大多数になってしまっている。当然、警察官の中にも多数いるし、自衛官を目指す人たちにも大勢存在している。そういう自己愛性の障害を抱えている人たちが、一瞬で人の命を奪ってしまう拳銃や自動小銃を扱っているのだ。恐ろしい社会である。

 銃所持が許されている米国でも、拳銃やライフル発砲事件が多発している。やはり、自己愛性の障害を持つ人々が起こした事件だと言えよう。絶対的な自己肯定感を持つ人は、自分を心から愛することが出来るし、他人をもまるごと愛することが可能だ。そういう人は、自分自身を自ら傷つけるようなことをしないし、他人を攻撃することもない。何故、絶対的な自己肯定感を持てず自己愛性の障害を抱えてしまうかと言うと、それは教育システムの不備によるものだと言わざるを得ない。教育制度が根本的に間違っているからである。

 人を育てるには、まずは絶対的な自己肯定感を産みだす為に、絶対的な無条件の愛である母性愛が必要である。0歳~3歳の間にたっぷりと母性愛が注がれてから、条件付きの愛である父性愛をかけることが肝要である。ところが、現代の家庭教育においては、あるがままにまるごと愛するという教育プロセスが欠落している。中途半端な母性愛のままに、父性愛である干渉や介入が行われる。しかもそれがこうしちゃ駄目、あれしては行けないと過干渉の育たれ方をされてしまうのだ。これでは人間は自己組織化されないし、自己肯定感なんて育つ筈がない。自己愛性の障害を抱えてしまい大人になり、生きづらい人生を送るのだ。いくら安全システムを見直しても、発砲事件はなくならないのだ。

※学校教育や職場教育においても、自己否定感をさらに強くしてしまう教育が蔓延っている。誉めて育てるということをせずに、子どもや部下をコントロールする育て方をするのだ。それも、これして駄目あれしては行けないと、相手を否定するダメダメ教育をするのである。警察や自衛隊ではその教育傾向が極めて強い。これでは、自己愛性の障害を抱えている人たちのメンタルが壊れてしまうのは当然である。家庭教育も学校教育も、そして職場の教育も、抜本的に見直すことが必要である。

陰謀論を信じる人はスキゾタイピー

 陰謀論を信じている人は、少なくない。科学的に検証すれば、デマであることが容易に判明するのだが、まったく聞く耳を持たず、陰謀論に固執する。一度でも陰謀論に嵌まってしまうと、抜け出せなくなる。陰謀論を信じている人は、教養がなくて知能が低い人なのかと思うと、そうではない。逆に、高学歴で教養も高くて、知能も高い人が多い。だから、自分の信念が強いこともあり、陰謀論が正しいと思い込みやすい。ユニオンカレッジのジョシュア・ハート心理学准教授は、陰謀論を信じる人たちが特有のメンタルを持つと分析している。

 それはどのようなメンタリティーかというと、『スキゾタイピー』の気質を持つ傾向が強いとしている。スキゾタイピーというのは、統合失調症の傾向があるということであり、完全な統合失調症ではない。幻覚や幻聴はないものの、妄想や幻想にとらわれてしまうことが多いという。そして、インターネットの操作に長けていて、SNSやネットサーフィンを盛んにするから、そういう偽の情報を信じてしまうらしい。そして、厄介なことに情報発信をすることも多く、陰謀論を信じる人々とのネットワークがあるので、広まりやすい。

 スキゾタイピーのパーソナリティというのは、とても厄介である。前述したように、完全な統合失調症ではなくて、ごく普通に仕事をしているし、殆ど周りの人に気付かれることはない。しかし、生きづらさを抱えているし、独特の価値観を持つことから、特定の人との交友しか上手く行かないことが多い。普通の恋愛や結婚はしにくい傾向があるものの、一時的には上手く行くこともある。しかし、長続きせず破綻するケースも少なくない。婚姻関係は続いたとしても、仮面夫婦を演じている例が多い。

 陰謀論を信じる人たちは、スピ系にのめり込む傾向もある。スキゾタイピーの気質は、物事を表面的にありのままに見るよりも、裏の事情や隠された真実を掘り起こしたがる。不信感が異常に強く、他人を信じないばかりか、親族や家族さえも信じないことが少なくない。トランプ元大統領も不信感が強くて、不正選挙が実施されたとずっと主張している。不正選挙だということを信じた陰謀論者のQアノンが、米国議会を襲撃してしまい、大惨事になったのは記憶に新しい。一旦信じ込まされると、正論に耳を傾けなくなる。

 スキゾタイピーのパーソナリティを持つ人々は、精神疾患ではないので医療機関を訪れることは少ない。医学的な治療を受けることもないが、このスキゾタイピーの気質を改善するのは、極めて困難である。イスキアのクライアントにも、このスキゾタイピーの気質を持った人が何人かいたが、そのサポートは困難を極めた。なにしろ、不信感があまりにも強いので、信頼を得て心を開くことがないからである。独特の考え方をしているので、自説を曲げることがなく、一旦信じた理論を手放すことが出来ないのである。

 それでは、このスキゾタイピーの気質を何故持ってしまうのかというと、それは不安型の愛着スタイルを抱えているからだと思われる。HSP(神経学的過敏症)や弱いASD(自閉症スペクトラム症)の傾向もあることが多い。それ故に、陰謀論に嵌まってしまった人が、自分だけの努力だけで抜け出すことは難しい。カウンセリングやセラピーだけで陰謀論を乗り越えることは困難である。まずは、陰謀論を否定するだけでなく、陰謀論を信じる人の気持ちに寄り添うことが肝心である。例え間違っている考え方にも、まずは共感するのである。

 けっして否定することなく傾聴し、共感し続けて行けばいつかは信頼を寄せてくれる。人を信じることが出来るようになると、自然と耳を貸すようになるし、もしかして間違っているかもしれないと自らの過ちに気付き始める。そして、この間違っているドミナントストーリーに気付くと、この誤りの物語を潔く捨てることが出来るのである。音楽療法やボディーケアーを併用するとより効果が高い。そして、新たな正しい物語である『オルタナティブストーリー』を紡ぎ出せて、陰謀論を卒業できると思われる。このようなナラティブアプローチの効果が高い。陰謀論を捨てることが出来れば、生きづらさや不安からも解放されることだろう。

メンタル疾患は何故治りにくいのか

 メンタル疾患になってしまう人は、年々増加しているという。うつ病や双極性障害などの気分障害に陥ってしまう人も多いし、PTSDやパニック障害で苦しんでいる人も少なくない。そして、一旦メンタル疾患になってしまうと、非常に治りにくい。投薬治療の効果も限定的で、症状が少しは軽くなるものの完全治癒は期待できない。カウンセリングや各種セラピーも、その効果が出るまでに時間が掛かることが通例である。メンタル疾患は、何故治りにくいのであろうか。その理由が解れば治療効果の期待できる治療も可能になる筈だ。

 メンタル疾患に対する治療は、その疾患の確定診断をして、その診断に沿って効果の高い治療を選択する。どんな薬が合うのか、どんなセラピーが適切なのかを考慮して、治療を行う。そもそも、診断が間違っているというケースも少なくない。うつ病という診断を下されて長年に渡り投薬治療を受けていたのに、抗うつ剤がどうしても合わなくて、セカンドオピニオンに再診断を受けたら双極性障害だったという症例はいくらでもある。こういう症例の場合、抗うつ剤の投薬によって悪化してしまうケースが多い。これも治りにくい原因の一つだ。

 診断も間違っておらず、適切な治療を行ったとしても、治りにくい症例が多い。適切な投薬をしても、丁寧で心細やかなカウンセリングやセラピーを実施しても、思ったほど効果が出ないケースが少なくない。というよりも、どんなに手を尽くしても治療効果が出ないほうが多いし、完治しないことが殆どなのである。どうしてそんなことが起きるのかというと、自律神経が影響しているからである。自律神経のうち迷走神経が、治癒することを拒んでしまっているのだ。その事実を精神科医やセラピストが認識していないから、治りくいのだ。

 今までの自律神経理論の定説を覆すような斬新な理論であり、今までどうしても判明しにくかったメンタル疾患のシステムが、このポリヴェーガル理論を駆使すると、実に腑に落ちる。身体的な難治性疾患にもこのポリヴェーガル理論を当てはめると、どうして治りにくいのかが解るのだ。今までの自律神経の理論では、交感神経と副交感神経の二つがあって、相反する効果を発揮すると言われていた。ところが、副交感神経には二つがあり、自律神経は全部で三つあることが判明したのだ。

 副交感神経の殆どが迷走神経からなることが解っている。その迷走神経には、腹側迷走神経と背側迷走神経があり、全く違う働きをしてしまうことが解ったのである。交感神経は、いざという緊急事態が起きた際に、戦うかそれとも逃げるという選択肢を持ち、出来うる限り頑張るという働きをする。一方、副交感神経は平穏時というか安息時に働く。つまり、身体や精神を安静の状態にして、免疫力を向上させる働きをする。ところが、戦うことも出来ず逃げることも出来なくなった時に、働く迷走神経がある。それが背側迷走神経である。

 休息時に働くのは、腹側迷走神経である。一方、戦いも逃避も出来ない状況に追い込まれた動物は、背側迷走神経のスイッチが勝手に入ってしまい、シャットダウン(緊急遮断)を起こしてしまうのである。小動物は気絶をしてしまう。肉食動物は基本的に死んでいる動物は食べない。気絶した小動物は死んでいると判断され、猛獣から逃れることが出来る。人間も、それと同じようなことが起きる。戦いも逃避も出来なく、自分の力ではどうしようもない状況になるとシャットダウン(緊急遮断)を起こしてしまうのだ。それも無意識に。

 人間は、絶体絶命の状況に追い込まれると、自分が破滅しない為に、無意識下でメンタルのシャットダウンを起こす。つまり、うつ病、双極性障害、統合失調症、PTSD、パニック障害等のメンタル疾患に陥ってしまうのである。自分自身の生命を守る(自死を防ぐ)ため、最悪の破滅を守るため、やむを得ずにメンタル疾患を起こすのだ。一旦シャットダウンを起こした精神は、自力では復活しない。背側迷走神経が働いてシャットダウンが起きているから、医学的アプローチだけでは治りにくいのだ。ポリヴェーガル理論を駆使して治療する医師やセラピストなら、このシャットダウンを解いて、メンタル疾患を治せるかもしれない。

イスキアの活動方針を転換する決意

 令和5年の新春を迎えて、この新型コロナ感染症などの社会情勢と自分の年齢や環境を考えたときに、今までの活動方針をこのまま続けていくべきかどうかの岐路に立たされたような気がした。今までの活動方針は、ひきこもりや不登校の若者またはメンタルを病んで休職や退職に追い込まれてしまった社会人が社会復帰できるように、様々なサポートをしていくというものであった。しかし、この深刻な感染症は収束の兆しを見せないし、自分の年齢も68歳という高齢になり、今までのようなアクティブな活動が難しくなったのである。

 残された人生を考えた時に、全国の利用者の方々をお迎えしたり、全国各地に赴いたりして出張カウンセリングを続けることが、今の社会にとって一番効果的な活動なのかという疑問にぶつかったのである。それよりも、この社会にイノベーションを効果的に起こす方法が他にあるのではないかと考えついたのである。それは、佐藤初女さんのご遺志をこの社会に敷衍させるにはどうすれば良いかの答でもある。佐藤初女さんのファンは全国各地にいらっしゃる。そして、初女さんと同じような活動をしたいと望んでいるファンも多い。

 佐藤初女さんが心血を注いでいらした活動の輪を、日本全国に広めて行くことが自分の使命なのではないかという考えに落ち着いたのである。その為に、自分として何が出来るのかをこの年末年始にかけて熟慮していた。このイスキアの郷しらかわの活動をしてきて、自分ひとりだけで頑張ったとしても、救える人々は僅かしかいないということも思い知らされた。それよりも、これから森のイスキアと同じ活動をしようとする人たちの支援をして、第二第三の佐藤初女さんが育って行くことをサポートしたいと思ったのである。

 森のイスキアは、佐藤初女さんが亡くなってから休眠状態にある。森のイスキアの扉は閉じたままである。そして、全国においても森のイスキアと同じような活動をしている処は殆どない。あまりにも佐藤初女さんが偉大であったということもあるが、初女さんと同じような活動をするのは、それだけ非常に困難だと言えよう。自分も活動していて、初女さんと同じように心折れた方々を癒すのは、非常に難しいと実感している。自分の生活を殆ど犠牲にする覚悟がなければ、森のイスキアと同じように活動するは不可能だ。

 ましてや、メンタルや身体を病んだ方々は、藁をすがる思いで頼ってくる。依存することもありえるし、転移をしてしまうケースもある。佐藤初女さんは、365日24時間に渡り電話応対をしていらしたし、イスキアの扉はいつも開けていたと聞いている。生きるエネルギーを喪失してしまわれた方は、無意識で相手のエネルギーを奪い取ろうとしてしまう。中には、すぐに効果が出ないからと責める方もいらっしゃる。クライアントからも恨まれることもあるだろうし、自分の無力感を思い知ってサポート者自身が心身を病むことさえある。

 心身を病んだ方々を癒してさしあげるという尊い活動をされている人は、外から眺めている以上に心身を痛めつけられている。自分の活動が上手く行かないことが多いからである。短い期間で成果が出ることが少ない活動だからだ。勿論、癒しの活動が効果をあげて感謝された時の喜びは大きい。しかしながら、それは一時的なことが多いし、心身の病が再発することが少なくない。このような活動は長い期間と多大な労力を要する。気の遠くなるような長い時間をかけて寄り添い支えて行く活動が必要なのだ。

 森のイスキアのような活動を引き継ぐ、第二第三の佐藤初女さんが生まれてこないのは、その活動が想像以上にハードであり自分自身の犠牲が多大なものであるからと言える。自分の生活をすべて捨てるという覚悟がなければ、出来ない活動だと言っても過言ではない。マザーテレサのように、信仰がなければあのような活動は難しい。佐藤初女さんが、信仰を持っていたから出来たとも言える。これから佐藤初女さんのような活動を志す人を、信仰のように支える存在が必要だと思った。故に、イスキアの郷しらかわは、これから佐藤初女さんを目指す方々を支援することにしたのである。見学や研修したい方々を受け入れる準備をしたいと思う。

芸能人が心身のトラブルを抱える訳

 日本の芸能人だけでなく著名な世界のスターたちもまた、心身のトラブルを抱えているケースが少なくない。それも、身体と心の両方にトラブルを持っていることが多いのだ。日本の芸能人では、昔から心身のトラブルを抱えていても、あまりカミングアウトをすることがなかった。最近はあまり気にすることなく、心身のトラブルをカミングアウトして、療養のために休養する芸能人が増えた。世界的な大スターでも、レディーガガが線維筋痛症をカミングアウトしたし、ジャスティンビーバーがラムゼイ・ハント症候群という難病を公表した。

 ジャスティンビーバーは、この難病だけでなく鬱と薬物依存症だったと告白したし、レディーガガは摂食障害で苦しんだと伝えられている。日本の芸能人でも、線維筋痛症や原因不明の痛みやしびれを抱えている人も多いし、鬱や摂食障害、PTSDやパニック障害、薬物依存やアルコール依存で苦しんでいる例が多い。そして、それらの芸能人に共通しているのが親との関係に問題を抱えていて、中には毒親だったとカミングアウトするケースもあるということだ。自己肯定感が育ってなく、HSPを抱え不安や恐怖感を持つ芸能人が多い。

 どうして芸能人は心身のトラブルを抱えてしまうのかというと、根底に愛着障害を抱えているのではないかと思われる。親が才能ある子どもに大きな期待をして、過介入や過干渉を繰り返し、親の思うままに支配しコントロールをしているのであろう。勿論、親は意識してそんな毒親まがいの仕打ちをしている訳ではない。子どもが有名になり大スターになるように育てたいと強く思い過ぎるあまり、親はそんなふうに子どもを操ってしまうのだ。まるで自分の思いのままに踊るマリオネットのように子どもを扱うのだ。

 子ども時代に愛着障害になるように育てられた子どもは、大人になってもその障害を乗り越えることは難しい。強烈な生きづらさを抱えて生きるようになるし、不安や恐怖感から抜け出せない。このような芸能人は、おしなべて魅力的なのである。多くのファンを惹きつける芸やパフォーマンスを披露する。それは、天性の才能があるとも言えるからである。HSPという症状がそのような才能を開花させると考えられる。彼ら彼女らの何とも言えない素敵なパフォーマンスは、ファンの心の琴線を打ち震わせるのである。

 もしかすると、芸能人がたまたま愛着障害とHSPを抱えているのではなくて、愛着障害とHSPを根底に抱えているから芸能人として大成しているのではなかろうか。だから、多くの芸能人が心身のトラブルを抱えているのかもしれない。愛着障害とHSPを抱えるが故に、そのパフォーマンスが人々を惹きつけたとしても、彼らの心身のトラブルが深刻になってしまい、自死を選んでしまうことは避けてほしいものである。自らの命を縮めてしまった芸能人が何人もいるが、苦しい胸の裡を誰かに打ち明けていたら防げたと思うと残念だ。

 愛着障害を抱えて心身のトラブルを抱えた人が、その障害を癒せて心身のトラブルを乗り越える方法はないかというと、まったくない訳ではない。親が深く反省して、生まれ変わったように母性愛(無条件の愛)を注ぎ続けて、安全基地の役割を果たすことが出来たら、愛着障害は癒える。しかし、そこまで変われる親は皆無である。自分が我が子を愛着障害にしてしまったという認識がないからである。心身のトラブルに苦しむ当の本人も、愛着障害であるという認識がないのだから当然だ。もし、愛着障害であるという認識を持てたとしても、親が高齢になっていたら、乗り越えるのは極めて難しい。

 それでは親に期待できないとしたら、どんな癒しの方法が考えられるだろうか。親に代わって安全基地となれる存在がまず必要である。個人でも良いが、出来たらチームで安全基地になるのが好ましい。何故なら、個人だと依存され過ぎるし、異性だと転移が起きやすいからである。勿論、転移が起きても結婚できるなら良いが、なかなかそうは行かない。安定した愛着を持っている人なら安全基地になれるが、そういう人は極めて少ない。チャールズチャップリンが四度目の結婚をしたウーナ・オニールはそういう女性だった。それまでは私生活で不幸だったチャップリンは、彼女の献身的な愛により愛着障害を乗り越え、幸福な人生の幕開けを迎えられたのである。

※愛着障害とその二次的症状であるHSPやメンタル疾患、そして身体的な不調は、医療機関でも根治できないことが多いようです。何故なら、愛着障害が原因だと認識している医師やカウンセラーがいないからです。ひとつだけ愛着障害を癒せる方法があります。それは『オープンダイアローグ療法』というミラノ型の家族療法です。残念ながら、オープンダイアローグ療法を取り入れている医療機関は極めて少ないのです。イスキアの郷しらかわでは、オープンダイアローグ療法の方法をレクチャーしていますので、ご相談ください。

摂食障害を乗り越える方法

 摂食障害に苦しんでいる人たちは、想像以上に多いという事実を知らない人が多い。何故かと言うと、摂食障害だということを本人が隠しているケースが多いからである。摂食障害の子どもを抱えている親も、そのことを隠したがる傾向にあるし、医療機関の受診をさせない場合も多い。摂食障害を抱えている子ども自身も、医療機関に行きたがらないし、自分の苦しみを誰にも相談できないのである。一人で過食と嘔吐を繰り返す摂食障害の苦しみを抱え込むことが多い。中には、親にもひた隠しにしている子どもがいる。孤独感を抱えているのだ。

 たとえ、専門の医療機関を受診したとしても、治療が難しいこともあり、症状が改善することはまずない。そもそも摂食障害を起こしている子どもとその親は、摂食障害が深刻な病気であるという認識がないし、起きた原因を特定できていないのである。親たちも、子どもの摂食障害について相談したがらないし、相談されても適切な助言ができる相談機関も少ない。したがって、摂食障害の子どもと親は、この障害は治らないものだと諦めることが多い。子どもだけでなく、親も孤独感を抱えているのである。

 確かに、摂食障害は治りにくい。投薬治療も効果が見られないというか、そもそも投薬治療は適切ではない。カウンセリングやセラピーを受けたとしても、その効果は限定的である。障害を起こした本当の原因を特定できていないのだから、当然であろう。摂食障害の真の原因は、親子関係における問題にある。親子の愛着に問題を抱えているから、摂食障害が起きると言っても過言ではない。『愛着障害』こそが、摂食障害の本当の原因である。だから、摂食障害の子どもだけを治療しても改善しないのである。

 摂食障害が起きているのは、愛着障害に原因があるのだから、親子関係における歪んだ愛着を改善しなければ、摂食障害は治ることはないと言える。障害を起こした子どもの治療も必要だが、親に対する治療こそが求められる。愛着障害は、親の子どもに対する態度が根本的に変わらなければ、癒されない。したがって、親に対する適切なカウンセリングこそが必要なのである。ところが、摂食障害の原因が自分にあるのだということを、親は認識したがらない。ましてや、障害の原因が自分にあると言われたら、反発して聞く耳を持たない。

 摂食障害を起こしている子どもは、自分が愛着障害だということを知らないことが多い。そして、その親もまた子どもとの愛着に問題があるという認識がない。何故なら、愛情不足なんて絶対にないと思うくらいに、子どもに対して愛情を沢山注いできたという自信があるからである。愛情不足なんて絶対にないと思うほど、親たちが子どもに愛情をこれでもかという位に注ぎ続けているのは確かである。それは障害を起こしている親子に共通している事実である。しかし、親が子どもにかけている愛情こそが問題なのである。

 摂食障害を起こしている子どもに対して注がれてきた愛情は、父性愛的な愛情である。無条件の愛である母性愛は、絶対的に不足している。障害を起こしている子どもに注がれてきた愛情は、過介入や過干渉の愛である。それは、本当の愛ではない。偽りの愛情である。親が、無意識のうちに子どもを支配する為、かつ子どもをコントロールする為に注いでいる歪んだ愛である。本来は、親は子どもに対して『あるがままにまるごと愛する』という態度が必要である。そういう母性愛だけを3歳くらいまで注ぎ続けなければならない。それを怠ってきたから愛着障害が起きて、摂食障害という二次障害を起こしたのだ。

 何故、親はそんな間違った愛情を注いだのかというと、実は親もまた愛着障害だからである。だからこそ、親に対する治療が必要なのである。唯一、摂食障害を癒す治療法がある。その治療法とは、『オープンダイアローグ』である。ミラノ型の家族療法であるこのオープンダイアローグは、愛着障害を根本的に治すことが出来る。この療法は歪んでしまった愛着を、本来の豊かな愛着に変えてくれる。しかし残念ながら、このオープンダイアローグ療法を取り入れている医療機関は極めて少ない。精神科の医師やカウンセラーは、是非ともこのオープンダイアローグを学んで実践して、多くの摂食障害者を救ってほしいものである。