佐藤初女さんが人々を癒せた訳

 天国に召されてしまった森のイスキアの佐藤初女さんは、数多くの病める人々を癒した。こんなにも多くの人々の悩み苦しみを聞いて、そっと寄り添い勇気と元気を与えてくれた人は他にいない。どうして、佐藤初女さんは、どうしてこんなにも多くの人々の心身を癒せたのであろうか。その訳は、佐藤初女さんが専門家でなかったからだと言えば、それはおかしいと思う人がいるかもしれない。心身の病気になった人を治せるのは、その道の専門家にしか出来ないと思うであろう。でも、初女さんは専門家でなかった故に癒せたのである。

 どうして、人々の心身を癒すことが出来たのかと言うと、初女さんは医療の専門家じゃないから、診断や分析をしなかったし、治そうとしなかったからである。医療の専門家というのは、まず患者に対する問診や検査をして、分析して診断する。その診断に基づき診療計画を立てて、最善の投薬や治療をする。メンタルの疾患であれば、投薬だけでなく、カウンセリングや精神療法、各種療法を駆使して患者を治すのである。患者の精神を健全にしようとして、ドクターはカウンセラーやセラピストと協力しながら、治療をするのである。

 初女さんは、森のイスキアを訪れる心身を病んだ方々を、無理に治そうとはしなかったのである。勿論、医療の専門家でない初女さんだから、精神分析やカウンセリングもしなかったし、診断をする筈もなかった。治療計画なんて立てようもないし、実際に治療をしようともしなかったのである。それなのに、森のイスキアを訪れた多くのクライアントは、心身を癒されて元気になり、社会に復帰していったのである。初女さんは、クライアントに寄り添い、ただ話を聞くだけで無理に問い質したり助言をしたりすることはなかったのである。

 佐藤初女さんがクライアントの心身を癒して、勇気と元気を引き出せたのは、奇跡のおむすびや心の籠った食事のお陰だと思っている人が多い。確かに、それもひとつの重要な要因ではあるものの、単なるツールに過ぎない。同じようなおむすびや料理を提供したとしても、初女さんという存在がなければ、あれだけ多くのクライアントを元気にすることは出来なかったであろう。それだけ初女さんという存在は大きかったのである。彼女は、科学の専門家でもないのに、人体と精神の科学的な仕組みを上手に活用していたのである。

 どういうことかというと、まずは人体や精神がひとつのシステムだということを、初女さんは認識していたとしか思えないのである。人体は一つの全体であり、その人体を構成する要素どうしのネットワークがある。このネットワークシステムは、各々の構成要素どうしが『関係性』を持っており、それ故に『自己組織化』の働きがあるし、オートポイエーシス(自己産生)の機能を発揮できる。つまり、人間という生き物はひとつの完全なるシステムであり、このシステムのネットワークがエラーを起こして、心身の病気が起きるのである。

 そして、関係性が劣化したりお互いの互恵的つながりが破綻をしたりしてしまうと、自己組織化が働かず、自己成長や自己進化が止まってしまうだけでなく、後退してしまうのである。これが心身の病気という状態である。こうなってしまった人間に、治そうとしてこうしなさいああしなさいと指示をしたり強要したりすると、自己組織化が阻害され、さらに悪化してしまうのである。診断をして分析をして原因を特定して、その原因を無理やりに外的な力でつぶそうとすると、症状が改善することはないし、別の症状さえ起きてしまうのである。

 佐藤初女さんは、そのことを直感的・経験的に知っていたからこそ、クライアントの話に耳を傾け共感するだけだったのである。そして、心の籠った食事を提供してクライアントとの関係性を深めることに傾注したのである。クライアントが例え間違った考えを持ち誤った行動をしていても、その誤謬を指摘することも直させることもしなかった。ただ、クライアントが自分で気づき自ら治す力があるということを見抜き、信頼したのである。そして、見事にクライアントは自らを癒すことができたのである。自らの病気を自らの力で治した経験がある初女さんだからこそ可能なのだ。第二第三の佐藤初女さんが出てくれることを祈るだけである。

※イスキアの郷しらかわでは、佐藤初女さんを目指そうとする方々をサポートしています。どうやって、佐藤初女さんが多くの人々を癒すことが出来たのか、佐藤初女さんのような活動をするには、どうすれば良いのかの講義と研修を開催しています。極めて科学的な根拠を示しながら、納得の行くまで説明をしています。システム思考、オープンダイアローグ、ナラティブアプローチなどの最新の科学的な療法と、最新医学のポリヴェーガル理論なども伝えています。佐藤初女さんは、そういった最新の療法を誰にも習いもせず、自然と実施していました。問い合わせ・申し込みのフォームから申し込みください。直接、お電話をいただいても結構です。(プロフィールの名刺に電話番号とLINEアカウントが記載されています)

君が心をくれたから

フジTV系列で放映している月9の今度の新ドラマは、『君が心をくれたから』というシリアスな恋愛物語である。永野芽郁と山田裕貴が主演する青春ドラマで、若者向けの物語だと思われるが、初回を見た限りではなかなか良くできた脚本である。ヒロインは母親から虐待を受けて育った愛着障害の女性で、強烈な自己否定感に苦しんでいる。男性の主人公は、色覚障害者の花火師見習いで、厳格な父親から一人前として認められていない。どちらの二人とも、生きづらさを抱えている現代の若者を象徴しているような青春ドラマだ。

ヒロインの女性は、母親から受けた虐待を受けた体験が、強烈なトラウマとして残っていて、今でもフラッシュバックして苦しめている。パティシエになりたいと都会に出て修行を積んでいたが、ミスを繰り返してはどこの店でも挫折を繰り返して、心が折れてしまっている。それが奇跡のような出来事を通して、自分自身を取り戻すというファンタジー物語らしいが、2回目以降どのように進展していくのか楽しみである。そして、しばらくぶりでTV主題歌を担当するのが宇多田ヒカルで、書き下ろしの珠玉のバラードである。

毒親からの虐待によってトラウマ化してしまい、大人になってもまだ苦しんでいる人は少なくない。乳幼児期から虐待やネグレクトを何度も繰り返して受けて育った子どもは、殆どが愛着障害を抱えることになる。そして、何度も心的外傷を受けることにより、複雑性PTSDという難治性の精神疾患を抱えてしまう。そして、この疾患を抱えてしまうと、どういう訳か自閉症スペクトラム障害(ASD)という発達障害を二次的症状として起こしてしまう。このドラマで描かれているヒロインもまた、同じような疾患と障害を抱えている。

このドラマの脚本家は、どうしてこのような精神疾患のことを知ったのか不思議だが、誰か知っているモデルがいたのかもしれない。見事な脚本だと思う。現代は、障害者に対してある意味冷たくて残酷な部分がある。発達障害の子どもに対して、学校でいじめをしたり無視をしたりする心無い子どもがいる。また、職場においても発達障害者に対して、まるでゲームを楽しんでいるかのようにパワハラやモラハラを仕掛けるバカ社員や上司がいる。障害者が生きづらい世の中である。このドラマは、このような社会の闇をも描いている。

愛着障害を抱えることで強烈な自己否定感を持ってしまい、複雑性PTSDになりASDという発達障害を起こしてしまうと、非常に治りにくい。医学的アプローチでは、治すことが極めて困難である。根底に愛着障害があることから、傷付いて歪んだ愛着を癒すことでしか心を癒せないからである。ましてや複雑性PTSDは、通常のカウンセリングによるトラウマ暴露療法をしてしまうと、逆に症状を深刻化しかねない。精神分析をして本人に原因を軽率に伝えてしまうと、自分を益々否定してしまい症状が悪化しかねない難しさがある。

毒親からの虐待やネグレクトを受けて育ち、複雑性PTSDという難治性の精神疾患を抱えてしまった人を、唯一癒すことが出来る方法がある。無条件の愛である母性愛を受けずに育って傷付いた愛着を抱える人を癒せるのは、あるがままにまるごと愛してくれる存在しかない。勿論、普通の医療機関や障害者サポート施設では無理だ。何故かと言うと、自分だけを愛してほしいと思う利用者に、無条件の愛を独占して注ぐことは不可能だからだ。けっして揺らぐことのない愛と絆を提供してくれる、絶対的な安全基地が必要なのである。

臨時的ではあったとしても、誰しもこの絶対的な安全基地になれる訳ではない。自己マスタリーを実現していて、豊かなホスピタリティーが発揮できて、メンタリーゼーション能力に長けている人物である。ましてや、愛着障害を抱えている利用者は『試し行動』をして、支援者が自分を見捨てないかどうかを、わざと嫌われる言動を繰り返し試すのである。こういった試し行動にも揺るがず、まるごとありのままに利用者を愛し続けられる支援者なんて、そうざらには居ないであろう。君が心をくれたからというドラマが、どうやってお互いの傷付いた心を癒していくのか注目したい。

※愛着障害を抱えた様々な心身の不調を抱えていた方々の安全基地として機能して、心を癒して差し上げていたのが、今は亡き森のイスキアの佐藤初女さんです。彼女のようになりたいと思う方々は多いのですが、それだけの資質と能力、そして人間性と哲学を兼ね備える人は、残念ながら居ません。佐藤初女さんに近づきたいという高い志を持った方を、私は支援しております。

結婚と出産を望まない女性たち

 韓国では非婚主義を実践する女性が急増しているという。日本においても、マスコミは取り上げていないが、非婚主義と出産しないことを貫く女性が増えている。婚姻をしたとしても、敢えて出産しないという女性も少なくない。対外的に宣言はしないものの、絶対に出産はしたくないと心に決めている女性が多いのである。少子化が社会的大問題になっていて、経済的な理由や育児に対する負担や不安が多いという理由から、出産を選ばないと思われているが、実はそもそも結婚と妊娠を望まない女性が多くて少子化が起きているのだ。

 その証拠に、様々な出産に対する経済的支援や産み育てられる環境改善策を政府行政が進めているのにも関わらず、一向に少子化が改善できていない。どんなに出産や育児に対する支援策を実施したとしても、そもそも婚姻や出産を女性が望まないのだから、少子化が止まらないのは当然である。婚姻を望まず、頑なに出産を拒む女性がいるというのは、一昔前には考えられないことだった。どうして、そんな状況が解らなかったのかと不思議に思うだろうが、誰もがそんな女性がいるとは、予想もしなかったからである。

 それでは、どうして婚姻を望まないばかりか出産を拒んでしまうのであろうか。世の中の中高年者にとっては、まったく理解できないことである。ましてや、自分が大事に育てた娘が、結婚や出産を敢えて望まないとは、想像も出来ないに違いない。適齢期になれば結婚をしたいと望むだろうし、子どもを産み育てたいと我が子が願うだろうと、親なら誰しも思うに違いない。出産を望まない女性がいないという前提があるから、アンケートによる統計調査をすることもない。調べようともしないから、出産を望まない理由も解らないままだ。

 結婚を望まない女性が徐々に増加しているのは、周知の事実である。その理由は、いろいろと挙げられているが、自分の描いたライフプランに結婚と言うステップがないからだと思われる。仕事などを優先する人生を全うしたいという女性には、結婚がその大きな障壁になると予想するから独身を通すのかもしれない。仕事と家庭を両立させるのは、論理的には可能であるが、海外勤務や転勤を繰り返すキャリア志向の女性には、極めて両立は難しい。また、夫と子どものために自分の夢を諦めたくないと思う女性が増えてきたように思う。

 これらの理由以外に、女性が結婚と出産を望まない深刻な訳があることを認識している人は少ない。その深刻な理由とは、不安定な『愛着』のまま成長してしまったことによる影響である。酷いケースは『愛着障害』であり、そこまででなくても、愛着に問題を抱えた女性は、結婚したがらないし出産を望まないのである。不安定な愛着の中でも、不安型愛着スタイルという障害を持つ人は、病識もないことから自分でも異常だと気付かない。愛着に問題を抱えている人たちは、自尊感情を持てないが故に、子を産み育てるのを無意識下で拒んでしまうのである。

 自尊感情、または絶対的な自己肯定感を持てないと、自らの遺伝子を後世に残したいと思えないのである。どういうことかというと、自分をまるごとありのままに愛せない人は、自分の分身をこの世に残したくないのである。夫婦としての良好な関係性を構築することが不得意だった両親を持つと、子は愛着に問題を抱えやすい。そして、三歳頃までの乳幼児期に、ありのままにまるごと愛されるという経験をしていない。無条件の愛情である母性愛を与えられなかった人は、絶対的な自己肯定感が確立されていないので、愛着が不安定であり、自分でも安定した恋愛関係を築けないのだ。

 親からあるがままにまるごと愛されて育った人は、豊かな愛着が確立されるので、絶対的な自己肯定感が確立される。自分に対する寛容と受容があり、自分のことが大好きでどんな自分でも愛せる。こういう安定した愛着を持つ女性は、安定した愛着を持つ男性に巡り会えて、幸福で愛が溢れるような家庭を築ける。ところが、親から所有・支配されて制御を受け続け、指示や命令を受け続けて育った女性は、自己組織化が起きない。自己組織化が出来ずに育った人間は、オートポイエーシス(自己産生)が働かず、子孫を残そうとしないのである。少子化の本当の原因は、愛着障害にあると言えよう。

※親から支配されコントロールされて育った人は、結婚したがらないし出産を望まないようになることが多いものだと、イスキアの活動から得た実感があります。そして、毒親からの支配を逃れるために、一刻も早く家を出たいからと、しょうもない男と結婚をしてしまうケースが多く、結婚生活はやがて破綻してしまいます。自分と同じように苦しむ子どもを産みたくないと思うのも当然です。また、このような不安型愛着スタイルの女性は、ダメンズと何度もめぐり逢い、その度にトラウマを蓄積してしまうのです。

 

複雑性PTSDとポリヴェーガル理論

 何度も何度も悲惨な出来事に遭って、深刻な心的外傷を受け続けてしまうと、複雑性PTSDという精神疾患になって、生涯に渡り悩み苦しむことになるということが、最新の精神医学知見で明らかになった。この複雑性PTSDは、非常に治りにくくて予後も悪いことが解っている。この複雑性PTSDが治癒しにくいのは、解離性があり本人も病識を持ちにくいということがあるが、潜在意識のトラウマを表出しにくいし、無理矢理に表層意識に引っ張り出してしまうと、却って症状を悪化させてしまうし、パニックを起こすからだ。

 複雑性PTSDが難治性の疾患である理由が、もうひとつある。それは、ポリヴェーガル理論における、迷走神経によるシャットダウンが起きているからである。ポリヴェーガル理論というのは、最新の医学理論であり、多重迷走神経理論と訳されている。今までの自律神経理論では、交感神経と副交感神経のふたつがあり、活動時や闘争時に働く交感神経と、休息時や安眠時に優位になる副交感神経があると考えられていた。ところが、副交感の殆どを占める迷走神経には、働きがまるっきり違う背側迷走神経と腹側迷走神経のふたつがあることが判明したのである。

 どういうことかというと、休息時や安眠状態にある際は腹側迷走神経が働き、戦うことも逃げることも出来ない極限状態に追い込まれた時には背側迷走神経が勝手に働いてしまい、シャットダウンを起こすことが解ったのである。シャットダウンと言うのは、闘争や逃走が出来ないような状況に追い込まれ、自分自身の精神的な破綻や破滅を防ぐために、精神的な『遮断』を無意識下で行うことである。精神のブロックとも言えるものである。そして、精神的なシャットダウン化だけではなくて、同時に身体的な遮断も起こしてしまうのだ。

 何故、自分の心身の遮断を迷走神経は起こしてしまうのであろうか。それはある意味、自分の心身を守るためのセーフィティロックシステムなのである。そうしなければ、自分の身を滅ぼしてしまうので、止むを得ず心身のシャットダウンを起こして、自らの命を守るのである。具体的に言うと、自分の生命を自ら断つような行動を取らないように、心身の遮断をするのである。それは、緊急避難措置が作用して、最悪の状況としての自死は避けるのであるが、心身の著しい機能低下という副作用を生んでしまう。これが心身の深刻な不調を起こしてしまうのである。

 この心身の不調というのは、迷走神経の遮断が解けなければ良くならない難治性の障害であり、対応療法の西洋薬処方が中心の現代医学では、治癒しないのである。そして、心と身体の両方を同時に癒してあげなければ治らない。さらに厄介なのは、複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねている点である。これにより、背側迷走神経による遮断がゆっくりと進んでいるのである。一度の衝撃的な心的外傷によって起きた背側迷走神経の遮断は、比較的簡単に解くことが可能だが、ゆっくりと進んだ迷走神経の遮断は解けにくいのである。

 複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねて起きることで、背側迷走神経のシャットダウン化がゆっくりと進んでしまったが故に、逆にその遮断が強固になってしまったのである。だからこそ、複雑性PTSDは難治性になってしまうし、背側迷走神経の遮断を解くのに時間を要するし、誰かの支援が必要不可欠なのである。自分の力だけで複雑性PTSDを癒すことは非常に難しい。それでは、ゆっくり起きてしまった背側迷走神経の遮断を解いて、複雑性PTSDを癒すには、どんな方法が有効なのかを考えてみたい。

 深刻で衝撃的な一度だけのトラウマによって起きた普通のPTSDは、カウンセリングによって右脳の奥底に仕舞い込んだトラウマの記憶を、左脳の記憶に移し替えて俯瞰的に観察できる記憶に移し替えることで癒される。複雑性PTSDは、下手にトラウマを明らかにしてしまうと、パニック症状を起こして悪化させてしまう。したがって、まずは支援者(治療者)が寄り添い信頼関係を築き、認知行動療法を実行し安心してもらう。それから、ナラティブアプローチ療法を駆使しながら、本人の価値観や行動規範の物語を変化してもらう。緩やかに迷走神経の遮断を解きながらトラウマを癒していくのである。ボディケアも含めて、長い時間をかけてゆっくりと治療していかなければならない。

※背側迷走神経の遮断を解いて緩めることを安易に行いますと、自死を招いてしまう危険性が高まることに留意する必要があります。精神疾患者が回復期に自死を選んでしまうケースがとても多いのですが、これは背側迷走神経の遮断が解けてきたからです。だからこそ、要支援者にずっと寄り添って不安や孤独感を持たないように、そして自責の念を持たぬようにサポートしなければなりません。森のイスキアの佐藤初女さんのような方が必要なのです。

性暴力被害は深刻な後遺症に

 性的暴力被害を受けた経験を持つ人は、どのくらいの割合でいるのかとアンケート調査した結果、驚くことに3割近くあることが解った。ただし、これはアンケートに答えた人だけであり、性暴力を受けたことがトラウマ化していたり、記憶を無意識下に留めて思い出したくないと回答を拒否したりしたことも考慮すると、3割以上の方々が何らかの性暴力を受けた経験を持つのではないかと想像できる。そして、性暴力の加害者は教職員などの学校関係者が一番多いという愕然たる調査結果が明らかになった。

 また、一方では親族からの性暴力も多く、特に親からの性暴力被害も少なくないことが解った。教職員や親族からの性暴力は、何度も続けられていて慢性的な性暴力の被害になりやすい。教職員や親からの性暴力被害は、嫌だと拒否できないばかりか、誰にも相談できず孤立しやすい。拒否できない自分が悪いからだと自分を責める傾向がある。性暴力被害を受けた人の性別は、圧倒的に女性が多いものの、男性の被害も相当数あることが判明しつつある。ジャニーズ事務所の性被害報道があり、少年時代に教職員から受けていた性暴力を思い出す人が多いらしい。

 学校内において、担任、副校長、校長からの性暴力被害が多いということが解り、鬼畜にも劣る低劣な人間性を持つ教職員がいることが判明したのである。ここで性暴力の加害者について考察したい。立派な職業を持ち、地位や名誉もありながら性暴力の加害者になるケースがある。医師がその立場を利用して患者さんに対して性暴力を行う例も少なくない。そうした自分よりも弱い立場の者に対して性暴力を行うというのは、ある意味マウンティングという意味もあるのではないかと専門家が分析している。

 そういう意味では、夫婦間や恋人関係において、望まない性行為をされてしまうという悩みを抱えている方も相当数存在していて、支配欲というものが介在しているのではと分析されている。相手を支配・制御したいという欲求は、絶対的な自己肯定感が醸成されていず、確固たる自己の確立(アイデンティの確立)もされていない、不完全な人間がいかに多いかということでもある。自己の確立という言わば自己マスタリーを実現出来ていない不完全な人間が、親になったり教師になったりしているのである。まともな教育が出来る筈がない。

 これは由々しき大問題である。このような自己マスタリーも完遂していない親に育てられた子どもは、自分自身も自己マスタリー出来ないまま大人になるということだ。教師と教え子の関係においても同様である。このような教師や親から受けた性暴力被害は、酷い後遺症を起こすということが判明した。見ず知らずの他人からの性暴力は、PTSDやパニック障害になりやすい。性暴力被害を複数回受けて、それがトラウマとして積み重ねられることにより、より深刻な複雑性PTSDを抱えてしまう危険性が極めて高いのである。

 子どもの頃に教師や親から受けた性暴力被害は、複数回に及ぶことから深刻な心的外傷(トラウマ)を何度も残すことになる。このように何度もトラウマを受けてしまうと、複雑性PTSDを発症してしまう危険性が極めて高くなる。この複雑性PTSDという精神疾患になると、二次的症状として様々な発達障害も起きてしまうし、不登校や引きこもりになる可能性が非常に高くなる。なにしろ、得体のしれない不安に苦しむし、恐怖感を日常的に感じてしまう。睡眠障害や摂食障害などの深刻な精神障害を起こすことも多い。

 そして、この複雑性PTSDという精神疾患には、さらに厄介な特徴がある。それは、親族や教師からの性暴力被害をひたすら隠し通して無いことにしてきたので、トラウマを潜在意識の奥深くに押し込めてしまっているのである。したがって、日常の生活においてはトラウマが表出することはなく、何となく不安や恐怖感を感じるものの、何故そんな感情を抱いてしまうのか、本人にも解らないのである。これが解離性という厄介な症状である。つまり、当人にも複雑性PTSDを抱えていることが自覚できず、強烈な生きづらさを抱えているし、自己組織性を失っているので主体性や自発性が発揮できなくなっているのだ。こんな深刻な後遺症を生みだす性暴力は、けっして許せない。教育の抜本的改革が必要である。

複雑性PTSDの実態と治療法

 最近、複雑性PTSDという精神疾患が注目されている。眞子さまが世間からの誹謗中傷を受けて、この疾患で苦しんでおられるとの報道がされて、認知されてきたのかもしれない。しかし、この報道によって複雑性PTSDのその深刻さや重症度が伝わらなかったのも事実である。通常のPTSDよりも軽症なのではないかと勘違いした人が多いかもしれない。実は、通常のPTSDよりもその症状は深刻であり、極めて強い難治性の精神疾患であるし、非常に予後が良くない悲惨な疾患でもある。二次的な症状も深刻である。

 複雑性PTSDによって、不登校やひきこもりに追い込まれてしまった患者は予想以上に数多い。複雑性PTSDを抱えている人は、自己組織化が阻害されてしまっているからである。主体性、自発性、自主性、進化性、責任性などの働きが育っていないので、学校や職場において、苛めの対象者になりやすいからである。職場ではパワハラやモラハラの対象となってしまうし、毎日のように上司や同僚から、からかわれて笑われてしまうことが多い。空気が読めないとか気か利かないとか言われ、皆から揶揄されてしまうのだ。

 そのような苛めに遭ったり除け者にされたりすること自体がトラウマ化しやすいこともあり、益々症状が重症化しやすく、最終的に引きこもりになってしまうのである。現在、不登校やひきこもりになっている人のうち、相当数の人が複雑性PTSDになっていると思われる。したがって、日本全国で数十万人、またはそれ以上の人々が複雑性PTSDで苦しんでいるものと推測される。実は、強烈な生きづらさを抱えているものの、自分が複雑性PTSDであるということを認知していない患者も相当多い。公務員、政治家、医師などの専門職は、いじめられることが少ないからである。

 この複雑性PTSDの患者が、自分で深刻なトラウマを抱えているという実感を持ち得ないのには理由がある。深刻な心的外傷を負っているという自覚が、あまりないのである。何となく嫌な記憶がありそうだという感覚はあるものの、それがどんな心的外傷なのかを思い出すことが出来ないからである。そのため強烈な不安や恐怖感はあるものの、それが何の不安なのかはっきりしなく、得体のしれない不安に苛まれているだけである。解離性という複雑性PTSDの特徴があり、トラウマが無意識の奥底に仕舞い込まれてしまい、顕在意識には現れてこないからだ。

 例えば、少年や少女の時代に性的虐待を負ってしまったケースがある。性的な虐待の加害者が実父母だったり教師や親族であったりする場合、誰にもその性被害を訴えられずに、一人悩み泣き続けるだけである。そして、その悲惨な性被害の記憶を無いことにしてしまいと思い、記憶の奥底に仕舞い込む。これが、トラウマになるものの自分でも思い出したくない記憶なので、顕在意識には現れなくなるのだ。しかし、得体のしれない強烈な不安を抱えてしまい、訳が分からずに異性、または性交渉に対して異常なほどの恐怖感を持ってしまうのである。

 この複雑性PTSDの治療は極めて難しい。無意識下に何度も閉じ込めたトラウマをカウンセリングによって引き出そうとすると、強く抵抗するしパニックを起こしやすい。安易に精神分析をして本人にそのことを伝えると、反発するだけでなく信頼感を無くす。触れられたくないことを、無理にこじ開けられることに異様なほど抵抗するのである。もし、カウンセリングやセッションを何度も繰り返し、深く閉じ込めたトラウマを無理に明らかにすると、ショック状態になって益々心を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

 それでは、複雑性PTSDを治療することは出来ないのかというと、けっしてそうではない。適切な治療によって寛解することや完治することも不可能ではない。まずは認知行動療法を駆使して、偏った認知傾向の改善変更を丁寧にしかも緩やかに実施する。そして、認知行動の改善傾向が少しずつ見られるようになったら、ナラティブアプローチやオープンダイアローグ療法を、極めて慎重に行う事が必要だ。その際に、大切なことがひとつある。クライアントと治療者との関係性と信頼感を醸成することである。クライアントの安全と絆になる安全基地としての機能を、支援者・治療者が果たすべきである。複雑性PTSDの治療は長い時間を要する。少なくても50回以上の治療回数を要するので、治療者は諦めることなく根気よく対応しなくてはならない。

複雑性PTSDになる本当の理由

 精神医療の分野では、他の医療分野に比して、まだまだ解明されていないことが非常に多い。何故なら、生きた人間の脳の内部は実際に覗き見ることが出来ないし、脳の働きというのはあくまでも仮説によるものでしかなく、実は確実なエビデンスが得られていないのである。ましてや、精神疾患や精神障害が起きる原因は、脳の働きだけによる影響だけではないことが解ってきたのである。大腸などの腸内細菌による影響も大きいし、骨や筋肉、各臓器との人体ネットワークの影響もおおいにあることが判明したのである。

 脳内の各刺激ホルモンである、セロトニン、オキシトシン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどのモノアミンと呼ばれる神経伝達物質の欠如や過剰が精神疾患を起こすと考えられているが、エビデンスは得られていない。あくまでも神経伝達物質であるモノアミンが、このような作用機序を起こしているのではないかという『仮説』に基づいて薬剤が服用させられている。投与が増えているSSRIと呼ばれるセロトニン選択的再取り込み阻害薬でも、その作用機序が確認されたのではなく、モノアミン仮説で説明されているに過ぎない。

 さて、いよいよ本題に移ることにするが、最新の医学的見地によって明らかになった疾患名がある。それは、複雑性PTSDという疾患名である。最新の診断基準であるDMS-5では、複雑性PTSDの診断は独立させられず、PTSDの範疇に収められた。別の国際的疾患部類であるISD-11でようやく認められた疾患名である。何度も心的外傷を繰り返されてしまうことによって起きる複雑性PTSDは、他のPTSDとは明らかに症状も違うし、治療法も異なる。他のPTSDと同じ治療をすると、却って悪化するとも言われている。

 また、複雑性PTSDと非常に似通った症状を起こす疾患に、発達性トラウマ障害というものがある。同じように、養育期から成長期にかけてトラウマを何度も体験することにより起きる精神障害である。さて、この複雑性PTSDや発達性トラウマ障害が起きる原因は、心的外傷を何度も体験したことによるということだが、誰でもそうなる訳ではないと考えられている。それは何かというと、特定のパーソナリティが根底にあると考えられる。深刻な自己否定感を持つが故に、悲惨な体験が安易にトラウマ化するのではなかろうか。

 強烈な自己否定感を持つ日本国民が増えている。それは、日本の教育環境に原因があるとも言われている。米国や中国の国民と比較すると、絶対的な自己肯定感を持つ国民が極めて少ないことが明らかになっている。学校教育にも原因がありそうだが、特に日本の家庭教育に自己否定感を抱えてしまう原因がありそうだ。悲惨な体験をした場合にトラウマを抱えてしまうのは、絶対的な自己肯定感の欠如があって、それは豊かな愛着が育まれていないからと考えられている。実際、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えている人は、愛着に問題を抱えているケースが非常に多いことが解っている。

 つまり、愛着に何らかの問題を抱えることで絶対的な自己肯定感が育まれず、悲惨な体験がトラウマ化してしまい、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えてしまうという構図らしい。この何らかの愛着の問題というのは、保護者からの強烈な虐待やネグレクトによって起きる愛着障害だけではなく、最近増加している『不安型愛着スタイル』と呼ばれるものも含まれていると考えられる。特に、ごくごく普通の愛情豊かな家庭に育った子どもでも、この不安型愛着スタイルを持つことが解ってきた。親から父性愛的な支配や制御を強く受けて育った子どもは、発達における大切な自己組織化が進まないのだ。

 親は子どもを立派に育てようと願うものだ。将来、経済的に困らないようにと、著名な進学校に入学させて経済的に裕福な職業に就かせたがる。子どもに優秀な学業成績を取らせようと必死になっている。有名幼稚園に入園させる為には、幼児期からの躾教育が不可欠となっている。いずれにしても、今の親たちは子どもに干渉や介入をし過ぎであることは間違いない。三歳ころまでは、母性愛的なあるがままにまるごと愛される経験をたっぷりとしないと、絶対的な自己肯定感は生まれないし、自己組織化が起きない。不安型の愛着スタイルを持ってしまうのは当然である。複雑性PTSDの特徴的な症状である自己組織化の欠如と併せて考えると、不安型愛着スタイルが本当の理由だと言えよう。

どうして人はトラウマを抱えてしまうのか

 人は一旦トラウマを抱えてしまうと、それを乗り越えることが非常に難しいものだ。それだけではない。抱えたトラウマによって、非常に生きづらくなってしまう。不安感や恐怖感をいつも持ってしまうだけでなく、考え方や行動に影響を与えてしまうので、生き方そのものも変化してしまうのである。さらには、小さい頃から何度もトラウマを積み重ねることで、複雑性のPTSDを負ってしまうことになり、ASD(自閉症スペクトラム障害)までも起こしてしまう事が判明した。どうして、人はトラウマを抱えてしまうのであろうか。

 実に不思議な事であるのだが、心的外傷を負うような同じ事件・事故に出会っても、トラウマを負ってしまう人と、まったくトラウマを抱えることがないという人がいる。どうして、そんな違いが生じてしまうのであろうか。このトラウマを負ってしまうという人は、特定のパーソナリティを持つ人なのであろうか。そもそもトラウマになってしまうことがなければ、いろんなメンタルの疾患になることもないし、身体的な疾患に罹患することも少ない筈だ。生きづらさを抱えることもないので、もっと人生を謳歌できるに違いない。

 自分にとって辛くて悲しい目に遭ったり、苦しくてどうしようもない出来事に追いこまれたりしても、トラウマにならない方法が解れば、パニック障害やPTSDにならない筈である。それでは、トラウマにならないような生き方が誰にでも出来るのであろうか、またはトラウマになるようなパーソナリティを克服できる方法はあるのだろうか。結論から言うと、トラウマを抱えるパーソナリティは乳幼児期に作られてしまうし、一旦このような性格・人格が形成されてしまうと、簡単には変えること難しいのである。

 それは、どんな性格・人格かというと、端的に言えば『不安型の愛着スタイル』というものである。自己否定感が極めて強くて、不安が異常に強いパーソナリティである。自尊感情が極めて低いために、自分のことが好きになれないし、あるがままの自分を愛せない。どんな子育てをされたかというと、三歳までに無条件の愛をあまり注がれずに、条件付きの愛を受け続けた育児をされたケースである。あるがままにまるごと愛されるという経験をしないと、絶対的な自己肯定感は育まれず、不安型の愛着スタイルになってしまうのである。

 言い換えると無条件の愛情である母性愛を三歳ころまでにたっぷりと注がれ続けてから、条件付きの愛情である父性愛を受けないと、健全な精神は育たずに不安で仕方ない性格・人格が形成されてしまうのである。絶対的な自己肯定感が喪失している不安型の愛着スタイルを獲得してしまうと、あまりにも悲惨で辛い出来事や、生命の危険を感じるような事件・事故に出会うと、トラウマ化してしまうのである。あるがままにまるごと愛されるという母性愛をたっぷりと注がれた子どもは、絶対的な自己肯定感が確立されるので、どんな悲惨な目に遭っても、トラウマ化しにくい。

 現代においては、父親と母親自身が不安型愛着スタイルを抱えているケースが多く、我が子をあるがままにまるごと愛せない。自分が強い不安や恐怖感を持つ故に、子育てに自信や安心感を持てない。故に、常に子どものことを心配するあまり、支配しコントロールをしてしまい、『良い子』に育てようとして過干渉と過介入を繰り返すのである。これでは、子どもは自己組織化が進まないし、自己否定感が強い子どもになり、いつも不安に苛まれることになる。悲惨なことが起きると、容易にトラウマ化しやすい。そういうことが何度も積み重なると、複雑性のPTSDになって発達障害になってしまう。

 それでは、トラウマを抱えやすい不安型愛着スタイルになってしまった人は、一生トラウマ化しやすいパーソナリティを抱え続けるのかというと、けっしてそうではない。大人になってからでも、あるがままにまるごと愛してくれる人に出会い、自己組織化させてくれる安全基地として機能してくれるパートナーに出会うことが出来れば、不安型の愛着スタイルは癒される。安全と絆を確信させてくれる安全基地となって不安と恐怖感を払拭しくれるパートナーが寄り添ってくれたら、不安型愛着スタイルは少しずつ癒される。時間はかかるが、人生のパートナーではなくて臨時の安全基地として機能してくれる人でも可能である。それは、森のイスキアの佐藤初女さんのような人である。

こもりびとを卒業するには

 ひきこもりとは呼ばないで、『こもりびと』と呼ぶ人が増えているらしい。確かに、若い人たちが家に籠っているケースは、ひきこもりと言うよりもこもりびとと言う方が正しいのかもしれない。ましてや、自分のことをひきこもりだと言われるよりは、こもりびとと呼ばれた方がましだと言えよう。言葉のイメージとしてだが、ひきこもりよりも症状が軽く、こもりびとは乗り越える可能性がありそうにも聞こえる。深刻だというようなイメージがない分だけ、こもりびとというように呼ばれたいし、使いたい気持ちになる。

 しかし、残念ながらこもりびとはひきこもりと同意語であり、その深刻な状況には変わりないし、こもりびとから抜け出すことは難しい。一度こもりびとになってしまうと、社会復帰するのは困難を極めるケースが多いのも事実である。何年、何十年にも渡りこもりびとになってしまうことも珍しくない。そうなってしまう原因はというと、人それぞれであり様々な理由があげられる。しかし、殆どのこもりびとに共通している事がひとつだけある。それは、『愛着』に問題を抱えているということである。不安定な愛着を抱えているのである。

 こもりびとになった原因はというと、学校や職場においてショックな出来事、または悲惨な苛めやパワハラが起きたからだという認識をしている人が多い。その事件や事故によってトラウマになって、メンタルが落ち込んでしまい、不安や恐怖を乗り越えられず、こもりびとになってしまったと思い込んでいる人たちが殆どだ。しかし、本当の原因は別にある。それらのいじめやパワハラ、ショックな事件や事故はあくまでもきっかけでしかなく、こもりびとの原因は別にある。不安定な愛着が、こもりびとになった本当の原因である。

 こもりびとになった人は、精神的なケアを受けることを拒否してしまうことが多い。精神科の受診を拒むケースが殆どである。よしんば精神医学的なケアを受けたとしても、改善するケースは少ない。カウンセリングや各種セラピーを受けたとしても、こもりびとを脱却するまでに到達するケースは極めて少ない。何故なら、その治療はトラウマやPTSDを克服するためのものであり、不安定な愛着を改善するためのケアをしていないからである。原因を認識しようとせず、対症療法だけをしていては、完治しないし社会復帰は無理なのだ。

 だから、こもりびとは益々増加しているし、こもりびとを卒業する人がいないのである。それでは、こもりびとを卒業することは無理なのであろうか。そんなことはない、こもりびとを卒業して社会復帰することは可能である。不安定な愛着を克服して、安定した愛着を獲得すれば、こもりびとは乗り越えられるのである。不安定な愛着とは、言い換えると不安型愛着スタイルである。幼少期に酷い虐待やネグレクトを受けて育ったケースは、愛着障害と呼ばれる。そんなに酷い養育環境ではなくても、不安型愛着スタイルになるのである。

 例えば、養育者が突然変更になった場合である。母親の病気や仕事、または離婚により、母親から祖母や叔母に養育者が変更になったケースである。または、両親の不仲や離婚も影響を受ける。父親か母親がアルコール依存症やギャンブル依存症で、養育が不安定になったケースも同じである。さらに多いのは、両親から過度の干渉や介入を受けた場合である。あるがままにまるごと愛されるという幼児期体験を受けないと、自尊感情は育まれない。自己肯定感が確立されず、いつも得体のしれない不安に悩まされることになる。これが不安型愛着スタイルという症状である。

 不安型愛着スタイルを自分の力で克服するのは、極めて難しい。何故なら、不安型愛着スタイルというのは、安全と絆が喪失しているから、誰かが安全と絆を保証する『安全基地』として機能しなければならないのである。本来ならば両親のどちらかが安全基地になり、あるがままにまるごと愛するという育て直しをして、安定した愛着を確立するのが望ましい。しかし、現実的には両親がそこに気付くことは出来ないから、誰かが臨時の安全基地として機能しなければならない。そして、その安全基地が揺るぎない愛情を注ぎ続けたら、不安型愛着スタイルを克服して、こもりびとも卒業できるのである。誰でもこの安全基地になれるかというと、そうではない。深い愛情と限りない優しさを持った佐藤初女さんのような人しかできないのである。

 森のイスキアを主宰しておられた佐藤初女さんは、もうこの世にはいません。しかし、佐藤初女さんのような活動をしたいと志していらっしゃる方は、大勢います。佐藤初女さんのようになりたいと思っても、そう簡単になれる訳ではありません。まずは、自分自身が進化や成長を遂げて、自己マスタリーを確立して、高い価値観である形而上学に基づいて、天命を認識した言動を続けることが必要です。そのような学びを「イスキアの郷しらかわ」では支援しています。第二、第三の佐藤初女さんがこの世に生まれ、活躍することを祈って活動しています。

得体のしれない不安を感じる訳

 不安の時代だと言われる現代は、それ故に生きづらいと感じる人々が想像以上に多いと考えられる。不安から不眠になって不安障害を抱えてしまい、気分障害の精神疾患を抱える人も少なくない状況になっている。この不安は、現在の仕事や学業に対する不安、将来の経済的な不安も問題なのだが、得体のしれない不安はより深刻である。何故なら、具体的な対象に対する不安であれば、何とか解決しようとする対策も取れるが、得体のしれない不安だけはどうしようもないからだ。この得体のしれない不安を抱えている人が非常に多いのである。

 得体のしれない不安ほどやっかいなものはない。何か具体的な不安であれば、対応の仕方も考えられる。しかし、自分の抱えている不安が何なのか、何故こんなに不安なのか、まったく見当が付かないだから、どうにもならないのである。何かに対する恐怖というのは、まだましなのだが、人に説明できない不安は、どうしようもない。ましてや、何故こんな得体のしれない不安を抱えるのか、原因も解らないのだから対処もできない。そして、この得体のしれない不安は、一向に弱まることをしないし、止むことなくずっと続くのである。

 それでは、この得体のしれない不安の正体とそれが起きる原因について分析していきたいと思う。誰しもこの得体のしれない不安を抱えているのかというと、けっしてそうではない。特定の気質や養育環境に置かれた人だけが、この得体のしれない不安を持つことになる。まずは、脳科学的に検証すると、オキシトシンホルモンの分泌が不足しているのは間違いないと考えられる。オキシトシンホルモンが不足してくると、不安や恐怖が湧いてくる。安心ホルモンと呼ばれていて、このホルモンが不足すると安心できないのである。

 それでは、何故このオキシトシンホルモンが不足する人になるのかというと、オキシトシンホルモンのレセプター(受容体)が乳幼児期に作られていないみたいである。どういうことかと言うと、オキシトシンホルモンレセプターは、生まれてから3歳くらいまでに作成されると言われているが、何らかの原因で『愛着』が不安定になると、このレセプターが作られないと言う。このレセプターが作られていないと、いくらオキシトシンホルモンが脳内で作られても、受け取れないからこのホルモンが作用されず不安になってしまうのである。

 愛着が不安定になるのは、養育期に何らかの理由で養育者が居なくなったり変更になったりした場合である。または、ネグレクトや虐待によってもレセプターが作られない。さらには、まるごとあるがままに愛されるという体験が不足しても同様のことが起きる。つまり無条件の愛である母性愛が不足して、過介入や過干渉の子育てをして、子どもが支配され感や所有され感が強くなっても、オキシトシンホルモンレセプターが作られない。そうすると、絶対的な自己肯定感が確立されなくて、いつも強い自己否定感に苛まれる。

 このように自己否定感が強いパーソナリティを持ってしまうと、何をやるにしても不安になりチャレンジする気持ちが失せてしまう。ちょっとした失敗や挫折がトラウマ化しやすい。他人からの評価をとても気にしていて、自分が他人からどう見られているかがいつも気になる。また、オキシトシンホルモンが不足していると、神経が過敏になると共に心理社会的過敏になる。つまり、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)になってしまうのである。こういう気質が基になって、なおさら得体のしれない不安に追い込まれるのである。

 得体のしれない不安を持ってしまうのは、自分をまるごと愛してくれて守ってくれる存在が居なくなってしまうのではないかという不安を抱えて、乳幼児期を過ごした人である。この見離され不安や見捨てられ不安は、根強く残ってしまう。得体のしれない不安を抱えている人は、突き詰めていくと見離され不安や見捨てられ不安に行き着くのである。これが得体のしれない不安の正体である。そして、その原因は不安定な『愛着』によるオキシトシンホルモン不足にあるのだ。それでは、この得体のしれない不安は一生改善しないのかというと、そうではない。自分をまるごと愛してくれて守ってくれる安全基地という存在が出来て、穏やかで平和な生活が続けば、やがて得体のしれない不安が解消される。