イスキアの活動方針を転換する決意

 令和5年の新春を迎えて、この新型コロナ感染症などの社会情勢と自分の年齢や環境を考えたときに、今までの活動方針をこのまま続けていくべきかどうかの岐路に立たされたような気がした。今までの活動方針は、ひきこもりや不登校の若者またはメンタルを病んで休職や退職に追い込まれてしまった社会人が社会復帰できるように、様々なサポートをしていくというものであった。しかし、この深刻な感染症は収束の兆しを見せないし、自分の年齢も68歳という高齢になり、今までのようなアクティブな活動が難しくなったのである。

 残された人生を考えた時に、全国の利用者の方々をお迎えしたり、全国各地に赴いたりして出張カウンセリングを続けることが、今の社会にとって一番効果的な活動なのかという疑問にぶつかったのである。それよりも、この社会にイノベーションを効果的に起こす方法が他にあるのではないかと考えついたのである。それは、佐藤初女さんのご遺志をこの社会に敷衍させるにはどうすれば良いかの答でもある。佐藤初女さんのファンは全国各地にいらっしゃる。そして、初女さんと同じような活動をしたいと望んでいるファンも多い。

 佐藤初女さんが心血を注いでいらした活動の輪を、日本全国に広めて行くことが自分の使命なのではないかという考えに落ち着いたのである。その為に、自分として何が出来るのかをこの年末年始にかけて熟慮していた。このイスキアの郷しらかわの活動をしてきて、自分ひとりだけで頑張ったとしても、救える人々は僅かしかいないということも思い知らされた。それよりも、これから森のイスキアと同じ活動をしようとする人たちの支援をして、第二第三の佐藤初女さんが育って行くことをサポートしたいと思ったのである。

 森のイスキアは、佐藤初女さんが亡くなってから休眠状態にある。森のイスキアの扉は閉じたままである。そして、全国においても森のイスキアと同じような活動をしている処は殆どない。あまりにも佐藤初女さんが偉大であったということもあるが、初女さんと同じような活動をするのは、それだけ非常に困難だと言えよう。自分も活動していて、初女さんと同じように心折れた方々を癒すのは、非常に難しいと実感している。自分の生活を殆ど犠牲にする覚悟がなければ、森のイスキアと同じように活動するは不可能だ。

 ましてや、メンタルや身体を病んだ方々は、藁をすがる思いで頼ってくる。依存することもありえるし、転移をしてしまうケースもある。佐藤初女さんは、365日24時間に渡り電話応対をしていらしたし、イスキアの扉はいつも開けていたと聞いている。生きるエネルギーを喪失してしまわれた方は、無意識で相手のエネルギーを奪い取ろうとしてしまう。中には、すぐに効果が出ないからと責める方もいらっしゃる。クライアントからも恨まれることもあるだろうし、自分の無力感を思い知ってサポート者自身が心身を病むことさえある。

 心身を病んだ方々を癒してさしあげるという尊い活動をされている人は、外から眺めている以上に心身を痛めつけられている。自分の活動が上手く行かないことが多いからである。短い期間で成果が出ることが少ない活動だからだ。勿論、癒しの活動が効果をあげて感謝された時の喜びは大きい。しかしながら、それは一時的なことが多いし、心身の病が再発することが少なくない。このような活動は長い期間と多大な労力を要する。気の遠くなるような長い時間をかけて寄り添い支えて行く活動が必要なのだ。

 森のイスキアのような活動を引き継ぐ、第二第三の佐藤初女さんが生まれてこないのは、その活動が想像以上にハードであり自分自身の犠牲が多大なものであるからと言える。自分の生活をすべて捨てるという覚悟がなければ、出来ない活動だと言っても過言ではない。マザーテレサのように、信仰がなければあのような活動は難しい。佐藤初女さんが、信仰を持っていたから出来たとも言える。これから佐藤初女さんのような活動を志す人を、信仰のように支える存在が必要だと思った。故に、イスキアの郷しらかわは、これから佐藤初女さんを目指す方々を支援することにしたのである。見学や研修したい方々を受け入れる準備をしたいと思う。

芸能人が心身のトラブルを抱える訳

 日本の芸能人だけでなく著名な世界のスターたちもまた、心身のトラブルを抱えているケースが少なくない。それも、身体と心の両方にトラブルを持っていることが多いのだ。日本の芸能人では、昔から心身のトラブルを抱えていても、あまりカミングアウトをすることがなかった。最近はあまり気にすることなく、心身のトラブルをカミングアウトして、療養のために休養する芸能人が増えた。世界的な大スターでも、レディーガガが線維筋痛症をカミングアウトしたし、ジャスティンビーバーがラムゼイ・ハント症候群という難病を公表した。

 ジャスティンビーバーは、この難病だけでなく鬱と薬物依存症だったと告白したし、レディーガガは摂食障害で苦しんだと伝えられている。日本の芸能人でも、線維筋痛症や原因不明の痛みやしびれを抱えている人も多いし、鬱や摂食障害、PTSDやパニック障害、薬物依存やアルコール依存で苦しんでいる例が多い。そして、それらの芸能人に共通しているのが親との関係に問題を抱えていて、中には毒親だったとカミングアウトするケースもあるということだ。自己肯定感が育ってなく、HSPを抱え不安や恐怖感を持つ芸能人が多い。

 どうして芸能人は心身のトラブルを抱えてしまうのかというと、根底に愛着障害を抱えているのではないかと思われる。親が才能ある子どもに大きな期待をして、過介入や過干渉を繰り返し、親の思うままに支配しコントロールをしているのであろう。勿論、親は意識してそんな毒親まがいの仕打ちをしている訳ではない。子どもが有名になり大スターになるように育てたいと強く思い過ぎるあまり、親はそんなふうに子どもを操ってしまうのだ。まるで自分の思いのままに踊るマリオネットのように子どもを扱うのだ。

 子ども時代に愛着障害になるように育てられた子どもは、大人になってもその障害を乗り越えることは難しい。強烈な生きづらさを抱えて生きるようになるし、不安や恐怖感から抜け出せない。このような芸能人は、おしなべて魅力的なのである。多くのファンを惹きつける芸やパフォーマンスを披露する。それは、天性の才能があるとも言えるからである。HSPという症状がそのような才能を開花させると考えられる。彼ら彼女らの何とも言えない素敵なパフォーマンスは、ファンの心の琴線を打ち震わせるのである。

 もしかすると、芸能人がたまたま愛着障害とHSPを抱えているのではなくて、愛着障害とHSPを根底に抱えているから芸能人として大成しているのではなかろうか。だから、多くの芸能人が心身のトラブルを抱えているのかもしれない。愛着障害とHSPを抱えるが故に、そのパフォーマンスが人々を惹きつけたとしても、彼らの心身のトラブルが深刻になってしまい、自死を選んでしまうことは避けてほしいものである。自らの命を縮めてしまった芸能人が何人もいるが、苦しい胸の裡を誰かに打ち明けていたら防げたと思うと残念だ。

 愛着障害を抱えて心身のトラブルを抱えた人が、その障害を癒せて心身のトラブルを乗り越える方法はないかというと、まったくない訳ではない。親が深く反省して、生まれ変わったように母性愛(無条件の愛)を注ぎ続けて、安全基地の役割を果たすことが出来たら、愛着障害は癒える。しかし、そこまで変われる親は皆無である。自分が我が子を愛着障害にしてしまったという認識がないからである。心身のトラブルに苦しむ当の本人も、愛着障害であるという認識がないのだから当然だ。もし、愛着障害であるという認識を持てたとしても、親が高齢になっていたら、乗り越えるのは極めて難しい。

 それでは親に期待できないとしたら、どんな癒しの方法が考えられるだろうか。親に代わって安全基地となれる存在がまず必要である。個人でも良いが、出来たらチームで安全基地になるのが好ましい。何故なら、個人だと依存され過ぎるし、異性だと転移が起きやすいからである。勿論、転移が起きても結婚できるなら良いが、なかなかそうは行かない。安定した愛着を持っている人なら安全基地になれるが、そういう人は極めて少ない。チャールズチャップリンが四度目の結婚をしたウーナ・オニールはそういう女性だった。それまでは私生活で不幸だったチャップリンは、彼女の献身的な愛により愛着障害を乗り越え、幸福な人生の幕開けを迎えられたのである。

※愛着障害とその二次的症状であるHSPやメンタル疾患、そして身体的な不調は、医療機関でも根治できないことが多いようです。何故なら、愛着障害が原因だと認識している医師やカウンセラーがいないからです。ひとつだけ愛着障害を癒せる方法があります。それは『オープンダイアローグ療法』というミラノ型の家族療法です。残念ながら、オープンダイアローグ療法を取り入れている医療機関は極めて少ないのです。イスキアの郷しらかわでは、オープンダイアローグ療法の方法をレクチャーしていますので、ご相談ください。

摂食障害を乗り越える方法

 摂食障害に苦しんでいる人たちは、想像以上に多いという事実を知らない人が多い。何故かと言うと、摂食障害だということを本人が隠しているケースが多いからである。摂食障害の子どもを抱えている親も、そのことを隠したがる傾向にあるし、医療機関の受診をさせない場合も多い。摂食障害を抱えている子ども自身も、医療機関に行きたがらないし、自分の苦しみを誰にも相談できないのである。一人で過食と嘔吐を繰り返す摂食障害の苦しみを抱え込むことが多い。中には、親にもひた隠しにしている子どもがいる。孤独感を抱えているのだ。

 たとえ、専門の医療機関を受診したとしても、治療が難しいこともあり、症状が改善することはまずない。そもそも摂食障害を起こしている子どもとその親は、摂食障害が深刻な病気であるという認識がないし、起きた原因を特定できていないのである。親たちも、子どもの摂食障害について相談したがらないし、相談されても適切な助言ができる相談機関も少ない。したがって、摂食障害の子どもと親は、この障害は治らないものだと諦めることが多い。子どもだけでなく、親も孤独感を抱えているのである。

 確かに、摂食障害は治りにくい。投薬治療も効果が見られないというか、そもそも投薬治療は適切ではない。カウンセリングやセラピーを受けたとしても、その効果は限定的である。障害を起こした本当の原因を特定できていないのだから、当然であろう。摂食障害の真の原因は、親子関係における問題にある。親子の愛着に問題を抱えているから、摂食障害が起きると言っても過言ではない。『愛着障害』こそが、摂食障害の本当の原因である。だから、摂食障害の子どもだけを治療しても改善しないのである。

 摂食障害が起きているのは、愛着障害に原因があるのだから、親子関係における歪んだ愛着を改善しなければ、摂食障害は治ることはないと言える。障害を起こした子どもの治療も必要だが、親に対する治療こそが求められる。愛着障害は、親の子どもに対する態度が根本的に変わらなければ、癒されない。したがって、親に対する適切なカウンセリングこそが必要なのである。ところが、摂食障害の原因が自分にあるのだということを、親は認識したがらない。ましてや、障害の原因が自分にあると言われたら、反発して聞く耳を持たない。

 摂食障害を起こしている子どもは、自分が愛着障害だということを知らないことが多い。そして、その親もまた子どもとの愛着に問題があるという認識がない。何故なら、愛情不足なんて絶対にないと思うくらいに、子どもに対して愛情を沢山注いできたという自信があるからである。愛情不足なんて絶対にないと思うほど、親たちが子どもに愛情をこれでもかという位に注ぎ続けているのは確かである。それは障害を起こしている親子に共通している事実である。しかし、親が子どもにかけている愛情こそが問題なのである。

 摂食障害を起こしている子どもに対して注がれてきた愛情は、父性愛的な愛情である。無条件の愛である母性愛は、絶対的に不足している。障害を起こしている子どもに注がれてきた愛情は、過介入や過干渉の愛である。それは、本当の愛ではない。偽りの愛情である。親が、無意識のうちに子どもを支配する為、かつ子どもをコントロールする為に注いでいる歪んだ愛である。本来は、親は子どもに対して『あるがままにまるごと愛する』という態度が必要である。そういう母性愛だけを3歳くらいまで注ぎ続けなければならない。それを怠ってきたから愛着障害が起きて、摂食障害という二次障害を起こしたのだ。

 何故、親はそんな間違った愛情を注いだのかというと、実は親もまた愛着障害だからである。だからこそ、親に対する治療が必要なのである。唯一、摂食障害を癒す治療法がある。その治療法とは、『オープンダイアローグ』である。ミラノ型の家族療法であるこのオープンダイアローグは、愛着障害を根本的に治すことが出来る。この療法は歪んでしまった愛着を、本来の豊かな愛着に変えてくれる。しかし残念ながら、このオープンダイアローグ療法を取り入れている医療機関は極めて少ない。精神科の医師やカウンセラーは、是非ともこのオープンダイアローグを学んで実践して、多くの摂食障害者を救ってほしいものである。

代理ミュンヒハウゼン症候群の原因

 代理ミュンヒハウゼン症候群という病気が、社会的にも認知されるようになってきた。小さな子どもが犠牲になってしまうことも多いので、センセーショナルに報道されることもあり、広く知られるようになった。とは言いながら、まだ知らない人も多く、子どもを診断した医師が代理ミュンヒハウゼン症候群だと診断できずに、尊い命が失われてしまったケースもある。担任教師、または行政や福祉の支援者が早く気付いてくれたなら、助かった子どもがいたのにという例もある。この病気に対して、適切な対応と支援が求められている。

 代理ミュンヒハウゼン症候群について、簡単に紹介しておきたい。ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患があり、関心や同情を惹くために自分で病気を装ったり、ケガを負ったりする疾病である。酷くなると、身体に悪いものを敢えて摂取したり毒を飲んだりする。ミュンヒハウゼン症候群は自分を病気にしたりわざとケガを負ったりするが、代理ミュンヒハウゼン症候群は、自分以外の誰かを犠牲にする。大抵のケースは、母親が我が子を病気にさせたりケガを負わせたりする。重症化させ過ぎてしまい、我が子の命を奪う例もみられる。

 ミュンヒハウゼン症候群にしても、代理ミュンヒハウゼン症候群であっても、周りの人々の関心や同情を得たいというのは、心理学的に考察すると、自己肯定感が非常に低いということが考えられる。そして、愛情不足も深刻なレベルだと言える。満たされない思いを抱えているのであろう。そして、強烈な生きづらさを抱えているのは間違いない。孤独感が強くて、見離されることに対する不安感、見捨てられるのではという恐怖が強いのではなかろうか。だから常に周りから注目されたいし、愛されたいと思うのであろう。

 代理ミュンヒハウゼン症候群を抱えている人は、強い不安感や恐怖感を抱えていることが多い。何故かというと、乳幼児期に無条件の愛である母性愛を充分に与えられなかったからだと思われる。したがって、代理ミュンヒハウゼン症候群の人は、『愛着障害』だと言える。そのうち特に重症の方は、小さい頃に親から虐待やネグレクトを受けたり見捨てられたりした体験をしていることが多い。故に、強い愛着障害を抱えてしまったのであろう。愛着障害だからこそ、愛に飢えていて孤独感にさいなまれているのである。

 代理ミュンヒハウゼン症候群は、治療が困難だと言われている。投薬治療、カウンセリングやセラピーを受けても、症状が改善しにくい。児童福祉施設職員が、代理ミュンヒハウゼン症候群の保護者に対して、様々な支援や指導をしたとしても改善する見込みは殆どない。何故なら、深刻な愛着障害を抱えている人は、その愛着障害が癒えることが期待できないからである。それだけ深刻な愛着障害は、治りにくいものなのである。愛着障害が根底にあるから、代理ミュンヒハウゼン症候群が治ることが期待できないのである。

 とは言いながら、難治性の代理ミュンヒハウゼン症候群が絶対に治らないのかと言うと、そうではない。治りにくいのは、根底に愛着障害があるということを当人と治療者が共通の認識を持っていないからである。疾病を抱えた当人が、病識とその原因が愛着障害にあるんだということを深く認識しなければならない。そして、この病気に陥ってしまった責任は、自分にはまったくないのだということを認識させることから始まる。当人に対して代理ミュンヒハウゼン症候群であると告知しても、なかなか受け入れてもらえないかもしれない。

 治療者と要支援者の強い信頼関係が必要だと思われる。そして、根気強く要支援者に対して、適切な愛着アプローチを実施することが肝要である。乳幼児期に受けた不適切な育てられ方により負ってしまった愛着障害は、粘り強く愛情を込めて愛着アプローチをしなければ、寛解には向かわない。要支援者は見離されるのではないかという疑心暗鬼から、これでもかという『試し行動』を何度も試みる。それでも支援者はけっして揺るがない愛を注がなければならない。そうすれば、時間は掛かるけれど愛着障害は癒され、代理ミュンヒハウゼン症候群の症状も和らぐことだろう。

現代人が睡眠障害を起こす本当の訳

 何らかの仕事に就いている人に、睡眠に何かトラブルを抱えているかというアンケートを実施したところ、80%以上の方が「はい」という回答をしたとの驚くような結果が出たという。一番多い睡眠トラブルは、途中覚醒だとのこと。一度目覚めると寝付けない人が多いらしい。または、なかなか寝付けないとか眠りが浅くて、翌日に熟睡感を持って目覚めることができないという。職場で、またはプライベートでの人間関係のストレスが多いし、仕事のプレッシャーがのしかかっている影響があるようだ。

 現代人の睡眠の質が低下しているというのは間違いがないようである。現代の仕事は、パソコンやスマホなどのIT機器なしでは完遂できない。IT機器を自由自在に使いこなすことが出来ればいいが、どちらかというとIT機器に振り回されているという実感を持つ人が多いだろう。パソコン・スマホ・TVの画面にはブルーLID照明が使用されているので、視神経が異常に刺激されて、脳が興奮状態に陥り睡眠障害が起きているとも言われている。または、腸内環境を悪化させる食習慣や生活習慣の劣化が睡眠障害を誘発しているらしい。

 それにしても、日本のビジネスパーソンの8割以上の人が睡眠障害を抱えているというのは、考えられない事態である。いくらIT機器による影響やストレス社会だとしても、さらには食習慣を含めた成果習慣に問題を抱えていたとしても、こんなにも睡眠障害を起こしている人が多いというのは異常であろう。そう言えば、睡眠改善のグッズ(マット・枕等)やサプリメントの売り上げは年々増加の一途だそうである。現代日本は不眠社会と言っても過言ではないみたいである。こんなにも睡眠障害に喘ぐ国家も珍しいであろう。

 不眠は、メンタルの不調に発展しやすい。うつ病などの気分障害は、不眠から始まることが多いのである。うつ病を抱えている人の殆どが深刻な睡眠障害を起こしていると言っても過言ではない。睡眠障害は、昼間の活動を著しく阻害するので、労働生産率の低下につながる。昼間の眠気によって、労働災害や交通事故を起こしかねない。強烈な眠気があると、集中力を発揮できないし、想像力や発想力・企画力にも影響するに違いない。仕事のうえで、ミスや忘却を繰り返す人は、もしかすると睡眠障害を抱えているせいかもしれない。

 医師やセラピスト・カウンセラーの殆どが、睡眠障害はストレスが主な原因だと主張することだろう。食習慣・生活習慣の劣化や運動不足、日光浴不足を指摘する専門家も少なくない。確かに、それらが睡眠障害の原因だと言えるだろう。しかし、本当に睡眠障害の原因はこれだけなのであろうか。もっと違う根本的な睡眠障害の原因が他にないだろうか。睡眠障害を起こしている人に共通しているのは、大きな不安や恐怖感をいつも抱えているという点である。それも、得体の知れない不安を抱えている人が多いのである。得体の知れない不安と言うのは、解決できないから始末に悪い。

 現代日本は『不安の時代』だと言われて久しい。何故に、こんなにも得体の知れない不安を抱えている人が多いのかというと、絶対的な自己肯定感が育っていないからである。自己否定感が強くて、いつも自分自身を責めてしまう人が多い。自己否定感が強いから、依存性や回避性のパーソナリティを抱えているし、PTSDやパニック障害を起こしやすい。オキシトシンという安心物質である、脳内ホルモンが極端に少ないことが解っている。オキシトシンは、愛情ホルモンとも呼ばれていて、このホルモンが欠落している人は、愛に飢えていることが多い。

 オキシトシンという脳内ホルモンが極端に少なくて、自己否定感が強くて不安や恐怖感を常時抱えている人というのは、HSP(ハイリィセンシティブパーソン)の特徴である。神経学的過敏と心理社会学的過敏を抱えている人である。このHSPは、『愛着障害』が根底にある為に起きやすい。あくまでも仮説ではあるが、睡眠障害を起こす人は『愛着障害』を抱えているのではなかろうか。そして、この愛着障害によって背側迷走神経が遮断(シャットダウン)を起こしてしまい、難治性の睡眠障害を起こしていると思われる。だから、投薬とか、セラピーやカウンセリングをいくらやっても治らないのだ。愛着障害を癒してあげないと、睡眠障害は治らないであろう。

抜け出すのが難しいオーバードーズ

 オーバードーズで昏睡に陥った女性を放置して死に至らしめたとして、医師たち男性3人が逮捕されたというショックなニュースが報道された。市販薬の咳止めを多量に飲むと、ハイな気分を味わえると、SNSで知り合って共同で使用していたらしい。市販薬に限らず、処方された睡眠剤や咳止め薬をオーバードーズしてしまうケースも少なくない。薬物依存の一種と言える、このような危険な行為は身体を徐々に蝕んでしまうだけでなく、精神をも破滅させてしまう。また、オーバードーズによりショック死してしまうケースも多い。

 そんな危険なオーバードーズを何故止められないのだろうか。それは、薬物にすっかり依存しているからである。薬物の過剰使用をしている時に感じる快感やハイな気分を一度でも味わってしまうと、抜け出せなくなってしまうのであろう。薬物の過剰飲用というのは、昔から存在していたが、このオーバードーズという言い方が軽く感じてしまい、ついつい習慣化してしまうのかもしれない。命の危険が伴うオーバードーズに陥ってしまう原因、そしてその状態から抜け出そうとしても抜け出せないのはどうしてなのであろうか。

 オーバードーズは薬物依存であると前述したが、まさしく深刻な依存症に陥っているのは間違いない。快楽や麻痺をもたらす脳内ホルモン、または脳内ホルモンと同じような薬理効果を起こす物質が放出されて、一時的な現実逃避ができるのであろう。それだけ、強い生きづらさや生き苦しさに追い込まれているのではなかろうか。薬物依存を起こしてしまう青少年は、押しなべて強烈な生きづらさを抱えている。その生きづらさは、不安感や恐怖感に起因しているし、強烈な自己否定感と強いHSPを持っていることが多い。

 自己否定感が強いというのは、子育ての間違いによる悪影響と言っても過言ではない。学校教育や社員教育の影響が強いと思っている人が多いかもしれないが、三つ子の魂百までもと言われているように、三歳の頃までの子育てによって自己肯定感を持つかどうかが決まる。乳幼児期まで、まるごとあるがままに愛されて育てられると、絶対的な自己肯定感が作られる。また、無条件の愛である母性愛をたっぷりと注がれることで、オキシトシンホルモンが分泌されるので、愛着障害にはならないし、HSPにもならない。

 親から支配され制御され育てられ、愛着障害を根底に抱えるとHSPになり、不安や恐怖感をいつも感じることになる。それ故に強烈な生きづらさを抱えてしまうし、何かに依存しないと生きていけなくなる。オキシトシンホルモンが不足している状況から、愛情不足と不安をいつも感じることになる。それ故に、薬物依存を起こしやすくなるのである。快楽や癒しを求めるあまりに、それを手軽に感じさせてくれる薬物に依存してしまい、もっと快楽や安心、またはやすらぎを求めて薬物のオーバードーズを起こしてしまうに違いない。

 薬物のオーバードーズを医学的に治療することは、非常に難しい。入院させて医学的に管理した状況に置けば、オーバードーズを抑えることは可能だ。しかし、退院すると再びオーバードーズを起こすことが多い。オーバードーズによって入退院を何度も繰り返すことは、想像以上に多い。それだけオーバードーズに対して医療は無力であるとも言える。それでは、薬物依存によるオーバードーズは、絶対に治らないのかというとそうではない。適切な愛着アプローチとオープンダイアローグ療法によって劇的に治るケースが少なくない。

 しかし、残念ながらこの愛着アプローチとオープンダイアローグ療法でケアしてくれる医療機関は殆ど存在しない。それだけ難しい療法であるとも言えよう。適切な愛着アプローチによって愛着障害を癒せるカウンセラーやセラピストは、あまり存在しない。ましてや、オープンダイアローグ療法ができる医療機関は非常に少ない。それだけ、難しいし時間がかかる。ましてや、オーバードーズを治療してくれる医療機関が少ないのである。精神科の医療機関では、オーバードーズの治療に対して消極的になることが多いからである。オーバードーズの真の原因を知ろうともしないのだから、当然であろう。

芸能人が心身のトラブルを抱えやすい訳

 日本の芸能人だけでなく著名な世界のスターたちもまた、心身のトラブルを抱えているケースが少なくない。それも、身体と心の両方にトラブルを持っていることが多いのだ。日本の芸能人では、昔から心身のトラブルを抱えていても、あまりカミングアウトをすることがなかった。最近はあまり気にすることなく、心身のトラブルをカミングアウトして、療養のために休養する芸能人が増えた。世界的な大スターでも、レディーガガが線維筋痛症をカミングアウトしたし、ジャスティンビーバーがラムゼイ・ハント症候群という難病だと発表した。

 ジャスティンビーバーは、この難病だけでなく鬱と薬物依存症だったと告白したし、レディーガガは摂食障害で苦しんだと伝えられている。日本の芸能人でも、線維筋痛症や原因不明の痛みやしびれを抱えている人も多いし、鬱や摂食障害、PTSDやパニック障害、薬物依存やアルコール依存で苦しんでいる例が多い。そして、それらの芸能人に共通しているのが親との関係に問題を抱えていて、中には毒親だったとカミングアウトするケースもあるということだ。自己肯定感が育ってなく、HSPを抱え不安や恐怖感を持つ芸能人が多い。

 どうして芸能人は心身のトラブルを抱えてしまうのかというと、根底に愛着障害を抱えているのではないかと思われる。親が才能ある子どもに大きな期待をして、過介入や過干渉を繰り返し、親の思うままに支配しコントロールをしているのである。勿論、親は意識してそんな毒親まがいの仕打ちをしている訳ではない。子どもが有名になり大スターになるように育てたいと強く思い過ぎるあまり、親はそんなふうに子どもを操ってしまうのだ。まるで自分の思いのままに踊るマリオネットのように子どもを扱うのだ。

 子ども時代に愛着障害になるように育てられた子どもは、大人になってもその障害を乗り越えることは難しい。強烈な生きづらさを抱えて生きるようになるし、不安や恐怖感から抜け出せない。このような芸能人は、おしなべて魅力的なのである。多くのファンを惹きつける芸やパフォーマンスを披露する。それは、天性の才能があるとも言えるからである。HSPという症状がそのような才能を開花させると考えられる。彼ら彼女らの何とも言えない素敵なパフォーマンスは、ファンの心の琴線を打ち震わせるのである。

 もしかすると、芸能人がたまたま愛着障害とHSPを抱えているのではなくて、愛着障害とHSPを根底に抱えているから芸能人として大成しているのではなかろうか。だから、多くの芸能人が心身のトラブルを抱えているのかもしれない。愛着障害とHSPを抱えるが故に、そのパフォーマンが人々を惹きつけたとしても、その心身のトラブルが深刻になってしまい、自死を選んでしまうことは避けてほしいものである。何人も自らの命を縮めてしまった芸能人がいるが、苦しい胸の裡を誰かに打ち明けていたら防げたと思うと残念だ。

 愛着障害を抱えて心身のトラブルを抱えた人が、愛着障害を癒せて心身のトラブルを乗り越える方法はないかというと、まったくない訳ではない。親が深く反省して、生まれ変わったように母性愛(無条件の愛)を注ぎ続けて、安全基地の役割を果たすことが出来たら、愛着障害は癒える。しかし、そこまで変われる親は皆無である。自分が我が子を愛着障害にしてしまったという認識がないからである。心身のトラブルに苦しむ当の本人も、愛着障害であるという認識がないのだから当然だ。もし、愛着障害であるという認識を持てたとしても、親が高齢になっていたら、乗り越えるのは極めて難しい。

 それでは親に期待できないとしたら、どんな癒しの方法が考えられるだろうか。親に代わって安全基地となれる存在がまず必要である。個人でも良いが、出来たらチームで安全基地になるのが好ましい。何故なら、個人だと依存され過ぎるし、異性だと転移が起きやすいからである。勿論、転移が起きても結婚できるなら良いが、なかなかそうは行かない。安定した愛着を持っている人なら安全基地になれるが、そういう人は極めて少ない。チャールズチャップリンが四度目の結婚をしたウーナ・オニールはそういう女性だった。それまでは私生活で不幸だったチャップリンは、彼女の献身的な愛により愛着障害を乗り越え、幸福な人生の幕開けを迎えられたのである。

メンヘラ女子を卒業する方法

 メンヘラ女子という言い方があることを、中高年の方々は知らないであろう。ネットの世界で広まっているだけで、メンヘラというのは正式な医学用語でもない訳だから、当然だと言えよう。メンタルヘルスから派生した言葉であり、転じてメンタルを病んでいる人という意味で使われている。それも軽症のメンタル疾患であり、入院や投薬の治療も必要ではなく、単に生きづらいとか常に悩みを抱えていてメンタルが落ち込んでいる人という括りである。だから、重症のメンタル疾患で、入院治療が必要なレベルはメンヘラ呼ばないらしい。

 メンタルを病んでいる人は、通常はその事実を隠したがるが、自分がメンヘラ女子だとカミングアウトすることが少なくない。匿名だけでなく、FBなど実名を晒しているSNSでも、広く知らしめるケースも少なくない。おそらくは、カミングアウトすることで自分の苦しさを理解してもらえることの方が、隠すよりも得策だと考えているからではなかろうか。メンヘラ女子という言葉は、メンタル疾患という言葉よりも軽い印象を与えるので、自分がメンヘラ女子だと言いやすいのかもしれない。

 メンヘラ女子という言葉は、軽い印象を与えるかもしれないが、本人は辛い症状や苦しい胸の内を抱えていて、強い生きづらさを抱えていると思われる。何とか仕事をしているものの、職場でも働く喜びを感じにくいし、上司や同僚ともしっくり行かないことが多い。家族とも良好な関係を築くのが、難しい状況にあるケースが多い。特定の恋愛パートナーとも、一時的には上手く行っても長続きすることも少ないし、ゴールインすることも少ない。よしんば結婚できたとしても、やがて破綻することも多いことだろう。

 自分がメンヘラ女子だとカミングアウトするのは、苦しくてどうしようもないから自虐的になっているのかもしれない。そして、誰か私を救ってよと助け船を求めているような気がする。しかしながら、現代の精神医療のレベルではメンヘラ女子を救うことが出来ないし、優秀なカウンセラーやセラピストでも一時的なやすらぎは与えられても、完全治癒までは導けないであろう。何故なら、メンヘラ女子の根底に『愛着障害』を抱えているからだ。愛着障害を乗り越えることが出来たなら、メンヘラ女子も卒業できるが、それは極めて難しい。

 それでは、メンヘラ女子を永久に卒業することが出来ないのかというと、けっしてそうではない。適切な愛着アプローチという方法により、メンヘラ女子という呼び名を返上するのは可能である。つまり、抱えている愛着障害を癒すことにより、メンヘラを卒業するという方法だ。愛着アプローチは、可能ならばオープンダイアローグという療法と併用するとより効果が高まる。オープンダイアローグとはミラノ型の家族療法の一手法だ。親と一緒にこの療法を受けることを勧めたい。それが無理ならば、本人だけの愛着アプローチだけでも仕方ない。

 メンヘラ女子が抱えている愛着障害は、親子関係の問題から起きている。乳幼児期から少女期にかけて、親からあるがままにまるごと愛されるというような育てられ方をされなかった。逆に、過介入や過干渉を繰り返されて、支配されコントロールされて育てられたのである。絶対的な自己肯定感は育まれず、自己否定感に苛まれている。HSPが強く、いつも不安や恐怖感を抱えていて、強烈な生きづらさを抱えている。メンタルだけの症状だけでなく、様々な身体の不調も抱えている。例えば、原因の解らない痛みやしびれ、またはしつこい肩凝りや頭痛なども起こしているメンヘラ女子も多い。

 メンヘラ女子を卒業するための愛着アプローチであるが、まずは安全基地の存在が必要である。それは、一人でも可能だが負担が大きいので、チームとしての安全基地が望ましい。そして、オープンダイアローグをすると共に、助言や指導をなるべく排除して、カウンセリングやセラピーが有効だ。その際に、自然体験や農業体験が可能な農家民宿に滞在するのも良い。不安感や恐怖感が強く、HSPを抱えていて身体がいつも緊張しているので、緊張を和らげるボディケアーも必要である。迷走神経の遮断を起こしているので、安心感を与える関係性が求められる。複合的なセラピーをすれば、メンヘラ女子を卒業できるに違いない。

メンタルを病むのは自分のせいでない

 人間、誰しもメンタルを病んでしまったという経験を持つことだろう。勿論、一度もメンタルを病んだことがないという人も居ない訳ではないが、ごく少数に違いない。それだけ、現代日本のような職場環境や家庭環境では、精神的な病気に追い込まれても仕方ないということだろう。メンタルを病んでしまうのは、周りの環境のせいだから仕方ないと思う一方で、やはり自分の性格や気質がメンタルを病んでしまう要因だと思う人が殆どであろう。そして、そんな自分が嫌いになり、自分自身を責めてしまうことが多い。

 しかし、メンタルを病んでしまうのは、自分のせいではないのである。科学的に考察しても、医学的に検証したとしても、自分自身が原因でメンタルの疾患になることはない。メンタルを病んでしまう原因は、自分には100%ないと言い切れるのである。何故なら、メンタルを病んでしまうのは、育てられ方に起因しているからである。間違った家庭教育や学校教育に、その原因があるのだ。勿論、間違った価値観に支配されている現代社会にも原因がある。間違った教育と社会の価値観によって、大量のメンタル患者が産みだされているのだ。

 間違った教育というのは、どういうことかと言うと、まずは家庭教育から紐解いてみたい。三つ子の魂百までもという諺をご存知だろう。3歳頃までの子育てで、その後の人生が決まってしまうと言っても過言ではない。昔の人々は、3歳までの子育てによって、その子どもの人格が形成されてしまうということを経験的に学んでいたのである。子育ての基本は、まずは豊かな母性愛だけを注いで育て、それから父性愛を用いて躾けるのである。この順序を間違うととんでもないことになる。父性愛と母性愛の同時進行も良くないのである。

 生まれたての赤ん坊は純粋無垢の存在である。その赤ちゃんを育てる際に、過保護に育ててしまうと、依存心が生まれて自立を阻んでしまうと今でも勘違いしている親がいる。世間の人々も、過保護は良くないと未だに思っている人がいるのは残念である。過保護はまったく問題ない。ただし、過干渉や過介入は良くない。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすという諺があるが、あれはまったくの出鱈目である。ライオンの母親は、我が子を過保護にして育てる。殆どの動物の親も同様で、十分に自立できるまでは過保護である。

 本来、人間もそういう育て方をすべきなのである。おそらく、縄文時代は子どもを過保護で育てたに違いない。だからこそ、一万数千年もの間に渡り、争いのない平和な社会を築けたし、お互いが支え合う高福祉の社会を構築できたのだ。乳幼児期においては、無条件の愛である母性愛をたっぷりと注いであげなければならない。我が子をあるがままにまるごと愛することだ。そして、子ども自身が自分は親から愛されていて守ってあげられているという実感を子どもに与え、子どもの不安を完全に払拭しなければならない。安全基地が存在するということが大切なのである。

 ところが、親があまりにも過介入と過干渉を繰り返して子育てをすると、子どもの自己組織化が阻害され、絶対的な自己肯定感が育たないばかりか、愛着障害を抱えてしまう。こうなると、やがてメンタルを病んでしまうばかりか、不登校やひきこもりをも起こしてしまうことにもなる。さらに、学校でも過介入と過干渉の教育を繰り返すから、主体性や自主性を失ってしまうのだ。これでは自己肯定感なんて育つ訳がない。家庭教育と学校教育の誤謬が、メンタルを病んでしまう人を大量に作り出しているという構図になる。

 そして、社会に出て職員教育や指導を受ける場合も、自己組織化を阻害するような過干渉が行われる。企業や組織において、間違った人材育成が蔓延っている。もっといけないのは、間違った価値観に支配されている社会になっていることである。自分さえ良ければいいとか、自分の利害や損得を基準にした行動規範になっている。本来は、全体最適(全体幸福)の価値観を基準して行動すべきなのに、個別最適を重視する価値観になっている。人を蹴落としてでも自分が出世したり昇給したりすることが正しいと思い込まされている。これでは、メンタルを病むのも仕方ない。つまり、メンタルを病んでしまうのは、自分のせいではないのである。

メンヘラを好きになってしまう訳

 メンヘラという言葉をご存知だろうか。中高年の方たちには馴染みがないかもしれないが、ネットの世界では若い人たちを中心に使われている。メンタルヘルスから転じて、メンタルを病んでいる人という意味に発展しているという。ただし、重症のメンタル疾患という意味ではなくて、軽症というか少し変わった性格で生きづらさを抱えている人という意味で使われているらしい。当初はメンヘラ女子というように女性を中心に用いられていたようだ。自分のことをメンヘラだとカミングアウトする人も多い。

 そんなメンヘラ女子を好きになってしまう男も多いし、メンヘラ男子を何故か好きになってしまう女子も少なくないという。ということは、メンヘラは魅力的なパーソナリティを持っているのだろうか。本来、メンヘラとは付き合いにくいと思われるが、好意を抱いてしまうというのは特別な意味があるに違いない。メンヘラになってしまう原因を考察すれば、メンヘラが好きになってしまう訳も解るのではなかろうか。メンヘラとは、どういうパーソナリティを持った人かというと、端的に言うと『パーソナリティ障害』的な人だと言える。

 依存性、回避性、演技性、妄想性、自己愛性などのパーソナリティ障害のような人格を持つのが、メンヘラの特徴とも考えられる。そして、より深刻な境界性のパーソナリティ障害の性格を持つメンヘラも存在する。このような人たちは、自分では強烈な生きづらさを持っているし、他人との良好な関係性を構築することが苦手である。とは言いながら、こういう人たちはパーソナリティ障害というハンディキャップをバネにして、各界で活躍する人も少数だが輩出している。そして、ある意味もの凄く魅力的でもあるのだ。

 また、このように生きづらさを抱えたメンヘラだからこそ、支援してあげたいという人もいる。そして、その支援がお互いの恋愛感情に変化していくことも少なくない。かくして、メンヘラを好きになってしまう人は出てくるのである。ところが、付き合ってみると大変な状況に追い込まれてしまうことが多い。依存性があるので、交際相手に依存してしまうし、アルコールやギャンブルに依存してしまうことも多い。ゲームにもはまり込みやすい。中には、セックスに依存したり薬物に手を出したりするメンヘラもいる。

 元々、愛情不足によりパーソナリティ障害の人格を持ってしまったのだから、愛に飢えている。それも、限りなく貪欲に相手の愛を追い求める。それも、相手の愛を確かなものかどうかを常時確認したがる。だからこそ、自分を見捨てないかと相手の愛を試すのだ。見捨てられ不安が強いからこそ、捨てられることがないかどうか、無意識で相手の愛を試すのである。試される人の気持ちとしては、たまったものではない。メンヘラが自分に対して嫌がらせをしているとしか思えない。当然、そんな振り回される日々は嫌だから別れることになる。

 メンヘラどうしがお互いを求めるというケースもある。これは共依存の関係を築いてしまうので、その事実に気付かなければ、家庭を持ち子どもを産み育てることになる。しかし、残念ながらその関係が長続きする訳がない。やがて、家庭崩壊を招いてしまうのである。メンヘラになるのはパーソナリティ障害の人格を持つが故なのだが、その根底には『愛着障害』が隠されている。お互いに『安全基地』を求めて一緒になるのだが、愛着障害を持つ人は、基本的に安全基地にはなれないのだ。安全基地ではなかったと悟ると同時に別れる。

 このようにメンヘラは魅力的であるし、何とか自分の力でメンヘラを乗り越えさせたいという思いから好きになってしまうことが多い。しかし、余程の人でないと相手のメンヘラを卒業させることは出来ない。もし、愛着障害を乗り越えて、絶対的な自己肯定感を持ち、自己人格の確立を成し遂げた人であれば、メンヘラを卒業させることが出来得る。そういう人はごく少数だが、存在しない訳ではない。そういう人は、既に安定したパートナーとの暮らしをしているから、恋愛としての対象にはならないかもしれない。いずれにしても、付き合う時には、自分と相手のパーソナリティを把握して、安易な相手を選ばないことだ。