神は細部に宿る~森保監督の名言~

 サッカー日本代表の森保監督の座右の銘の一つが、『神は細部に宿る』だという。三苫選手の諦めない折り返しボールが、1.88ミリの差でラインを出ずに得点として認められ、その事実とリンクされて、神は細部に宿るという言葉がネットで拡散されている。この神は細部に宿るという言葉は、誰が最初に言い出したのかということも議論されている。世間一般では、ローエという著名な建築家が使い始めたというのが通説になっている。しかし、それ以前にもアインシュタインなど沢山の人が使っていたことが記録されている。

 この神は細部に宿るという言葉は、誰が最初に言い始めたのかということと、その真意はどういうことかということが盛んに議論されている。英語では、悪魔は細部に宿ると記されているので英語圏の人物ではないだろうと結論付けされている。神は細部に宿るという語句は、元々ドイツ語であるから、ドイツ語圏で最初に提唱されたのではないかというのが定説である。そこで有力なのが、ドイツの著名な数学者で神学者・哲学者でもあった、知の巨人と呼ばれるライプニッツではなかろうかという説である。

 ライプニッツは微積分の法則を導き出したことでも有名であるし、モナドロジーと呼ばれる『モナド理論』や『予定調和説』が斬新であり、現在にも通じる学説であると思われる。科学と哲学を統合させないと真理に到達しないと言っていることから、最先端の考え方である科学哲学を先取りしていたとも考えられる。予定調和説とは、宇宙におけるすべての事柄は、最終的に全体最適となるように神が予め調整しているという考え方である。神というのを宇宙意思とも読み替えれば、最先端の量子物理学や宇宙物理学の理論にも通じている。

 神は細部に宿るという言葉は、現在どんな意味で使われているかというと、ライプニッツが言いたかったこととは違うような気がする。ローエという建築家が用いたせいもあるが、建築物や芸術品を作り上げる時には、細部に渡り気を抜かずに細心の注意を払いながら創造することが重要である、というように捉えられている。どこか小さなところに不具合や駄目なところが一つでもあると、全体の価値さえも損なってしまうから、すべてに完璧を求めなさいというように考える人が多い。または、どんな些細なことも疎かにしないようにという戒めとして用いられる。

 まさに、あの1.88ミリのボールの折り返しは、最後まで諦めずにどんな小さなことにも真剣に努力してきた成果であり、森山監督が選手に対して『神は細部に宿る』と言い聞かせていたことが実を結んだと言えなくもない。日本の諺に『画竜点睛』というものがある。竜の絵を描いていて、眼を描き入れない絵を不思議に思った人が、どうして眼を描き入れないのかと詰め寄り、仕方なく作者が眼を描いた途端に、竜が絵から飛び出て天に登ったという逸話から来ているらしい。神は細部に宿るともリンクしているように思えなくもない。

 さて、神は細部に宿ると最初に言い始めたライプニッツは、どんな意味でこの言葉を使ったのであろうか。ライプニッツをよく知る人なら、現在の意味とはかけ離れているのではないかと思っているに違いない。彼のモナド理論と予定調和論に基づくと、神は細部に宿るという意味はまったく違うものとなる。モナド理論は、最先端の量子力学によって証明されつつあると言える。モナドというのは量子(素粒子)と同じだと推測できる。その量子は、まさに神の意思を持っているかのような働きをする。量子どうしが統合してネットワークを組んで、全体最適(予定調和)のような働きをする。それは、自己組織化するというのが定説であり、イリヤ・プリモジンがこれでノーベル賞を受賞した。

 本来の深い意味での『神は細部に宿る』の教えは、日本代表サッカー選手の活躍だけでなく、我々の正しい生き方さえも示しているのではないかと思う。勿論、ビジネスの世界においても有効である。人間も素粒子で組成されているのだから、人体の細部に神が宿っていると言える。人体のネットワークが正しく機能することによって全体最適=予定調和(心身の健康)が守られる。企業組織や国家も、それを組成する人間どうしの関係性と協調により、全体最適や予定調和が実現する。ジャパンブルーの選手たちの活躍も奇跡や偶然ではなく、森保監督を中心にしたチームの関係性と調和によって、神がもたらした必然であろう。

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