嫌な人や苦手な人と出会ってしまう訳

 学校でもそして職場においても、何故か嫌いな人や苦手な人に出会うものである。不思議なことであるが、出会いたくないと思っているのに、どうしても関わってしまうのである。それも、学校では同じクラスや部活で一緒になるし、担任になってしまうケースも少なくない。職場においては、よりによって直属の上司になる例が多いのである。どうして、そんなに嫌いな人苦手な人と関わってしまうのであろうか。それは、無意識の意識というのか潜在意識が引き寄せているとしか思えないのである。

 潜在意識の話は後から述べるとして、まずは嫌な人だと感じるのはどうしてかということを、心理学的に考察してみよう。人間の心には、自我と自己がというものが存在する。自我というのは簡単に言うとエゴであり、欲望とか煩悩により支配されている心の部分である。一方、自己というのはエコとも言える、自我を乗り越えた崇高な価値観に基づいた美しい心の部分である。自我を乗り越えること、または自我と自己を統合することが、人間として生きる上での課題とも言える。自我を乗り越えてこそ、一人前の人間と言えよう。

 さて、自我をあまりにもさらけ出して生きると、人から嫌われたり遠ざけられたりして独りぼっちになってしまう。それ故に、殆どの人間は自我を隠して生きるのである。または、自分の心には自我がないことにして、立派な人間を演じて生きるのである。当然、隠している自我は時折言動の中に顔を出すことがある。多くの人間は、自分でも完全なる自己を確立している訳ではないので、関わる人々の心の中に自分と同じ恥ずかしくて嫌な自我を発見すると、自我をさらけ出している相手を嫌い苦手だと感じるのである。

 例えば、自分さえ良ければいいんだという自己中の人であり、我が儘し放題の言動を繰り返し、欲望をむき出しにしている人に出会ったとする。または、良い人を演じていながら、自分の思い通りに相手を支配してコントロールしたがる相手に出会ったとする。皆が見ている処では善人を演じているのに、誰も見ていない処では思いっきり悪人ぶりを発揮している人に出会ったとしよう。そうすると、殆どの人は嫌だな苦手だなと感じて、関わりたくないと感じる筈だ。同じような自我を自分は抱えているにも関わらず、隠して生きているから逃げたくなるのである。

 自我を超越出来ていない、または自我と自己を統合出来ていない故に、自我をさらけ出してしまう相手を許せないし受け容れられないのである。人間として不十分な成長段階に止まっている故に、自分の恥ずかしい自我を含めて、自分をまるごと愛せないのである。完全なる自己を確立して、絶対的な自己肯定感を持っていれば、相手の中に汚い自我を発見しても、嫌わずに慈悲の心で応じることが出来るのだ。嫌いな人や苦手な人に出会うというのは、自分自身が自我と自己を統合出来ていないから、そう感じるのである。

 そして、脳の奥底に存在する深層無意識が、自我をさらけ出すような人間に出会わせているのだ。つまり、自分自身が自己の確立を出来ていないから、自我を超越させる為に恥ずかしくて嫌な自我を見せてしまう人間と出会わせるように、自分の潜在意識が仕組んでいるのである。自分の心の中に恥ずかしい自我を仕舞い込んで、ないことにして演じている自分に、まだまだあなたの中には恥ずかしい自己があるじゃないかと悟らせる為に、潜在意識が嫌な人苦手な人と出会わせてくれているのである。

 出会った相手の中に、自分で隠している嫌な自我を発見しても、その自我を受け容れて心から許すことが出来たら、自己の確立や自我と自己の統合が出来るのである。そうすれば、自分の恥ずかしくて嫌な自我を愛せるし、生きづらさも解消できるのである。人間とは、相手の嫌な自我(=自分の嫌な自我)を受け容れるため許すために生まれてきたのである。言い換えると、寛容と受容の心を確立することこそが、人間の生きる目的でもあるのだ。自己の確立が実現できれば、嫌な人や苦手な人とは出会わなくなるし、例え出会ったとしても何とも思わなくなり平気で付き合えるのである。

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