親ガチャは努力によって克服できるか

 親ガチャという言葉があるのをご存じだろうか。語源は、ガチャというネットゲームがあり、結果を自分では選ぶことが出来なくて、どんな結果になるのか運次第であることから、親もガチャと同じだということから生まれたという。確かに子どもは親を選べない。どんな親の家庭に生まれるのか、ガチャゲームのように運次第である。特に、親の経済的な貧富の差はいかんともし難く、貧困家庭に生まれた子どもは満足の行く高等教育が受けられず、親になっても同じように貧困家庭になり、貧困家庭の連鎖が止まらないと言われている。

 韓国や米国などでも、親ガチャと同じような概念があって、社会問題になっていると言われている。大きな経済的格差がある社会が形成されるというのは、政治がお粗末だからと言える。親ガチャは子どもの努力によって乗り越えられるのか否かと、ネット上でも盛んに議論されているが、否定する意見のほうが優勢のようである。しかし、一部の経済的に裕福で恵まれた人たちは、努力すれば貧困から抜け出せる筈だと主張する。確かに経済的な面での親ガチャを克服することは、本人が相当な努力をすれば何とか出来る可能性もある。

 しかし、どうにもならない親ガチャがある。子どもが不登校やひきこもりになってしまうのは、親との健全な愛着が形成されないからである。健全な愛着を子どもに対して育んであげることの出来ない親ガチャである。不安定な愛着、傷ついた愛着を子どもに持たせてしまうのは、親の責任である。そして、一旦不健全な愛着を持ってしまった子どもは、自分の力ではどうしようも出来ない。ましてや、深刻な愛着障害を持つ子どもは、一生に渡って苦しむことになる。問題ある親が劇的に変わらなければ、子どもは愛着障害を乗り越えられない。

 あるがままにまるごと我が子を愛する母親と、何があっても子どもを信頼して守ってくれる強い父親がいれば、子どもは健全な愛着を持つことができる。無条件の愛で包んでくれる母親と、いかなる時も妻と子どもの為に命を惜しまず闘ってくれる父親がいてこそ、子どもは安心して暮らせる。つまり、安全基地が保証されてこそ、子どもは安心して学校生活を過ごせるのである。豊かな母性愛と父性愛で満たされてこそ、子どもは揺るがない自尊心を持てて、どんな困難や苦難にも立ち向かう勇気を持てるのである。

 ところが、不安定な愛着や傷ついた愛着しか持てない子どもが育ってしまうことがある。それは、あまりにも過干渉や支配とコントロールを繰り返すような両親の元に生まれた場合である。または、ダブルバインドのコミュニケーションによる子育てを日常的にする両親に育てられた時である。勿論、虐待やネグレクトをするような両親なら、間違いなく愛着障害になってしまう。これもまた深刻な親ガチャである。このような親ガチャが当たってしまったら、自分の力で乗り越えることは出来ない。愛着障害を自分で乗り越えるのは不可能だ。

 愛着障害の両親に育てられた子どもは間違いなく愛着障害になってしまう。貧困家庭が世代間連鎖する確率が高いと言われるが、愛着障害の世代間連鎖は100%に近い。絶対的な自己肯定感を持つ子どもに育たないのは、両親自身が絶対的な自己肯定感を持ち得ていないからである。自尊感情というのは、0歳から3歳頃までに、無条件の愛でまるごとありのままに愛されなければ育たない。つまり、絶対的な自己肯定感を持てるかどうかは、親ガチャで当たるかどうかなのである。自分の力ではどうしようもないのだ。

 このどうしようもない親ガチャにより愛着障害になってしまった子どもは、一生生きづらさを抱えて生きることになる。親が自らの子育てを反省し、子どもに心から謝罪し、悔い改めて子育てをし直せば、愛着障害が癒されるかもしれない。しかし、そんなケースは皆無である。親自身が愛着障害なのだから、子どもの安全基地になれないのは当然だ。しかし、この深刻な愛着障害である親ガチャを克服する方法がひとつだけある。この愛着障害の親子を癒すことができる、優秀なセラピストがサポートして、安全基地の機能を果たすことである。時間はかかるが、不可能ではない。親ガチャを乗り越えるには、この方法しかない。

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