夫婦別姓にすると離婚が増えると言うが

 夫婦別姓に反対する人たちは意外と多い。最高裁の女性判事でさえ夫婦同姓の制度を合憲とする意見を述べているのにはびっくりする。夫婦同姓を絶対に譲らないというのは、夫婦別姓を認める制度にしてしまうと日本の家族制度が崩壊してしまうという理由からであろう。確かに正当な主張だと思われがちである。しかし、その主張は本当に正しいのであろうか。夫婦別姓の制度にすると、夫婦の絆が希薄化してしまい、離婚が増えてしまうのではないかという心配は、反対論者も賛成論者も共に持つのかもしれない。

 夫婦別姓の制度にすぐに踏み切ろうという世論が盛り上がらないのは、家族というコミュニティが崩壊するという心配が完全に払拭できないからではないだろうか。日本は、男女平等と言いながら、まだまだ男性中心の社会である。男性中心の『家』に嫁いだ女性がその『家』縛られる。そんな男性中心の家族制度を壊したくないというのが、夫婦別姓反対者の本音であろう。夫婦別姓が実現したら、嫁は『家』に帰属する意識が低くなり、夫婦の絆が薄くなり離婚が増えるという主張をしている。このような考え方に同調する人が多いのも当然だ。

 しかし、この主張は科学的に考察すれば、まったくの間違いだと気付くことだろう。心理学、システム工学、脳科学、生物学、物理学、行動生理学、社会行動学等を基礎にして考察したら、夫婦別姓にすると離婚が増えるという主張は間違っているばかりか、夫婦同姓が逆の効果を生んでいるということが明らかになる。それは、人間と言う生き物が何を基準して考えて行動するのかという視点がないし、人間社会全体の幸福の為にはどちらの制度が必要なのかという視点が欠如しているからである。個人最適ではなく全体最適の視点が必要だ。

 この社会は、ひとつのシステムである。家族というコミュニティもひとつのシステムである。システム論という科学的な理論でもって、夫婦同姓と夫婦別姓のどちらが正しいのかを論じるべきなのである。家族というシステムは、豊かな関係性(絆)によって保たれている。家族というシステムが崩壊するかどうかは、家族それぞれの関係性によって決められている。夫婦の姓が同じか別かによって、関係性が豊かになるのか希薄化するのかが決められる訳ではない。そもそも、夫婦関係が壊れるのは元々関係性が良くないからである。

 つまり、夫婦別姓であろうとも夫婦の関係性が良ければ離婚することはないのである。親子関係や夫婦関係が良好であるならば、家族が崩壊することは絶対にない。夫婦同姓であっても離婚しているのは、そもそも夫婦の関係性が壊れているからなのである。家族というシステムが、夫婦別姓にしたから崩壊するのではなく、そもそも夫婦の絆が希薄化しているせいなのだ。夫婦同姓という制度に胡坐をかいて、夫婦の関係性を良くしようとする普段の努力が足りないのである。あたかも自分の所有物や支配物のように妻を扱う夫が、妻の愛情を失って、関係性を損なっているのだ。

 夫婦同姓の制度は、お互いに支配や制御の関係を求めてしまうし、依存の関係に陥りやすい。人間と言うものは、自由を求めているというか、自己組織化しなければ本来の機能を失ってしまうのである。夫婦同姓というのは家族への帰属意識を高めてしまうが、それは人間本来あるべき生き方を阻害してしまう。帰属意識というのは、予め強いるものではなくて、結果として生み出さられるものである。強制的に帰属意識を求めるのではなくて、関係性(愛)が強くなって、帰属意識が高まるのだ。帰属させようと無理強いすると、愛が冷めるのだ。

 夫婦別姓にすれば、夫は安穏としていられなくなる。常に、妻から愛される存在でなければなくなる。自分を絶え間なく磨いて成長し、妻から認められて惚れ続けられることになる。夫が家事や育児に協力するのは勿論、毎日ハグやキスをして『愛してる』と言い続ける。妻も、それに応えて夫に愛を注ぎ続けることになる。夫婦別姓にすることで、夫婦の絆は間違いなく強くなるし豊かなものになっていくに違いない。家族の関係性も豊かになり、家族というシステムも自己組織化してオートポイエーシスの機能も働く。つまり家族は幸福になるのだ。科学的に考察すれば、夫婦別姓のほうが正しいというのは、こうした理由からである。

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