何故いじめるのか(いじめの心理)

 学校でのいじめ事件はとても増えているという報告がある。何故かと言うと、今まで学校サイドではいじめだと認識していなかった事案でも、文科省からのいじめに対する対応基準が変更になったこともあり、いじめだと認識する件数が増えたからである。それでも、都道府県によっていじめに対する対応のばらつきがあり、いまだにいじめだとカウントしたがらない都道府県があるのも事実である。一方では、実際にいじめが増えていると主張する教育の専門家や支援者がいる。いじめが実際に増えているのも事実であろう。

 いじめが減少しないのは、学校の対応が稚拙であり後手に回っているからに他ならない。いじめに対する学校側の対応で大切なのは、まずは被害者救済だというのは言うまでもない。だとしても、加害者に対する指導も大事だ。加害者が心から反省して二度といじめをしないと誓わなければいじめは少なくならないし、完全に無くすことは出来ない。日本の教育現場でのいじめ対応は、被害者へのケアーが中心で、加害者対応は後回しである。西欧においては、加害者への対応にも力を注いでいる。何故かというと、いじめをする子どもの心も荒んでいるし、救いが必要だと認識しているからである。

 いじめをする子どもの精神が病んでいるという観点に立つ教育者は、日本では極めて少ない。いじめをする子は精神的に強い子だと思われているが、実はいじめをする子ほどある意味では精神的にひ弱なのである。いじめをする子どもは、自己否定感が強いということを知っている人は殆どいない。自己肯定感が高い子どもは、いじめなんて絶対にしないのである。自分の中に強烈な自己否定感が存在している。だから、いじめをしてしまうのである。そして、いじめをする子どもの心は、不安定であり酷く傷ついているのである。

 いじめをする子どもは、意識していじめをしたいと思っている訳ではない。自分でも何故いじめをするのか解っていない。どういう訳か、いじめの対象者に出会ってしまうと、いじめられないでいられないのである。何故、いじめをしてしまうのかというと、いじめの対象者に、自分の中に存在するマイナスの自己と同じものを発見するからである。勿論、自分自身もそのことに気付いていない。自分の中に存在するマイナスの自己は、自分にはないことにしてしまっているし、無意識でそのマイナスの自己をひたすら隠しているのである。

 そのマイナスの自己というのは、自分の弱さや醜さであり、恥ずかしくて人様には絶対に見せられないから隠し通している性格や人格である。ところが、その弱さや醜さをいじめの対象者の中に発見してしまうと、自分自身を見ているようで許せなくなってしまうのである。そのために、これでもかこれでもかといじめの対象者を攻撃するのである。いじめの対象者は、ある意味不器用でマイナスの自己を隠すのが下手なのかもしれない。そんないじめの対象者が許せなくなってしまい、無意識でいじめてしまうのだと思われる。

 いじめをする子どもというのは、人一倍自己否定感が強い。自分の弱さや醜さを受け容れることが出来ない。だからこそ、自分の弱さや醜さを隠し通しているし、ないことにしてしまっているのである。おそらく、親からダブルバインドのコミュニケーションによって育てられて、抵抗型/両価型の愛着障害を抱えているのであろう。つまり、親からの愛情不足によって、満たされない思いをしているし、強烈な生きづらさを抱えていると思われる。さらに、いじめをする子どもは強烈な不安や恐怖を抱えていて、それを隠しているのである。

 このように生きづらさや不安と恐怖を心の奥底に抱えた抵抗型/両価型の愛着障害の子どもは、同じ心の痛みを抱えた子どもたちと徒党を組んで、いじめ行動をするのであろう。そして、いじめを放任している教師もまた抵抗型/両価型の愛着障害であり、無意識でいじめをする子どもに共感してしまっているのである。いじめがなくならず、逆に増えているのは、学校にはこういう深刻な図式が隠れているからであろう。いじめのような問題行動を起こすのは、もっと愛してほしい、助けてほしいというSOSのサインでもあるのだ。いじめをする子どもと放任する教師を支援することが、いじめをなくすのに一番効果があるのではないだろうか。

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