縄文人の細胞記憶を目覚めさせよう

 最古の日本人である縄文人のルーツは、まだ完全には解明されていないらしい。しかし、最新のDNA分析によると驚くべきことが解ったのだという。縄文人は、中国や朝鮮半島を渡ってやってきたのではないかと見られていた。だから、縄文人の祖先は中国人や朝鮮人なのではないかと思われていたのである。ところが、DNA解析をしてみると中国人や朝鮮人の渡来人のDNAとは明らかに違っているのだというから驚きである。そして、現代人の身体にも縄文人のDNAが色濃く残っているというのである。

 科学の大きな進歩によって、縄文人の遺伝子解析が驚くようなレベルで解明されてきた。人間の祖先はアフリカ大陸から生まれたと言われている。それがユーラシア大陸を渡り、進化しながら日本に渡ってきたのではないかと見られている。そして、日本に縄文人が渡ってきた後から、中国大陸に別の人種が渡ってきて進化したという説が有力になってきたらしい。つまり、中国大陸から朝鮮半島を渡ってきて、稲作文明を広めた弥生人は、縄文人とはまったく違う人種だったのだろうと考えられている。

 縄文人のDNAが色濃く残っているのは、アイヌ人と沖縄の人々ではないかと見られている。そういえば、彫りが深くて独特の顔立ちは、お互いに共通している処が多いように見られる。縄文人のDNAが残っている割合が極めて低いのは、関西地方と四国に住んでいる人だという。青森や岩手などの東北地方の人々には、縄文人のDNAが多く残っていると言われている。縄文人のDNA割合が低い日本人と、縄文人のDNAの比率が高い日本人がいるということである。住んでいる地方によって比率が違うというのだ。

 あくまでも想像であるが、縄文人が大陸からやってきて最初に定住したのは沖縄と九州各地、そして本州の海岸に近い地域で住んだのではなかろうか。そして、弥生人が大陸からやってきて縄文人は追いやられて、流れ流れて東北地方を定住の地として選んだのではないかと思われる。縄文人の末裔のアイヌの人々は東北から北海道に移り住んだと想像する。一部は沖縄に永住して、縄文人のDNAが残ったのではなかろうか。弥生人から定住の場所を奪われた縄文人は北陸地方から東北地方に移り住んだのではなかろうか。

 せいぜい1000年前後しかなかった弥生時代と違い、縄文時代は一万三千年もの長期間に渡り平和な時代を築いた。どうして平和だということが解るかというと、縄文時代の人骨には武器によって傷ついた跡がないからだとされる。一方、弥生時代の人骨には明らかに戦った痕跡が多いのだと言う。また、縄文時代はお互いが支え合うコミュニティが確立されていたというから驚きだ。高福祉で全体最適の価値観を大事にした共同体が形作られていたことが歴史研究家によって明らかにされている。

 全体最適の価値観を持っていた縄文人と比して、個別最適を目指して自分の利益を最優先に暮らしていた弥生人は、身勝手で自己中な生き方をしたと思われる。そして、弥生人のDNAを多く持った人々の細胞記憶は、現代人にも引き継がれて、自分にとって損か得かという価値観を何よりも大切にして、人を騙したり蹴落としたりしても自己利益を求める。一方、縄文人のDNAを色濃く残した現代人の細胞記憶は、個別最適よりも全体最適を目指して、全体の幸福を願った生き方をするに違いない。どちらの細胞記憶も、普段は眠っていたとしても、人生の中で重大な危機に立たされた時に目覚めるだろう。

 縄文人の細胞記憶を目覚めさせることが出来た人間は、人間本来の生き方が出来るに違いない。何故なら、全体最適と関係性重視の価値観を持つ縄文人は、システム思考の生き方を実践していたからである。つまり、自らの自己組織化を目覚めさせ成長させて、主体性、自主性、自発性、責任性を発揮していたのである。人間の細胞は、本能的に自己組織化する働きを持つ。縄文人のDNAを多く持つ細胞が目覚めたなら、自らが自己組織化する生き方をするだろうし全体最適の哲学を実践するに違いない。故に現代人は、縄文人の細胞を目覚めさせることが求められる。

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