海外で働くということの是非

 若者たちが、日本国内で働くことを嫌がり、外国で仕事をするケースが増えている。日本の労働環境に我慢ならないし、外国で働くほうが自分に合っていると思う若者たちが増えているらしい。確かに、日本の労働環境はあまり良いとは言えないが、それにしても外国で働く理由が、日本で働くことが嫌だからというのはあまり感心するものではない。何故ならば、いくら労働環境がよくないと言っても、苦難困難を避け続けていたら人間として自己成長が止まってしまうような気がするからだ。自分を育成し成長させてくれた日本で働いて恩返しもせずに、他国で働いて貢献するというのは如何なものであろうか。

 

 雇い主側からの要請、またはビジネス展開をする理由で、外国で働くというのならば理解もできる。しかし、自分の個人的理由により外国で働くというのは、あまりにも安易な考えではなかろうか。そもそも、働くことの意味や生きる目的をしっかりと把握して労働をしているのか、はなはだ疑問である。最近の労働に対する若者の意識調査を見てみると、働くという意味を正しく理解している若者が圧倒的に少ないことに愕然とする。労働とは、あくまでも生活手段を得るためのものだと割り切っている若者が実に多いのである。

 

 確かに労働は生活手段を得る為にするという側面を持つのは確かだ。しかしながら、それだけではない筈である。働くというのは、人々の幸福や豊かさに貢献することでもある。働いて物やサービスを産み出し提供することで、全体最適(全体幸福)を目指すことができるのである。ところが、最近の労働者の意識というのか持っている価値観は、最低で劣悪だと言える。個別最適(個人幸福)しか求めていないのである。若者だけではなく、中高年者もまた、同じく個人最適しか求めていないというのは情けない。

 

 いや、私は自分の為に働いているのではないと胸を張って答える人もいる。自分は、家族の幸福や豊かさの為に働いているんだと強弁する人もいる。家族の為というのは、全体最適の価値観ではない。それは、あくまでも個別最適なのである。そんな基本的な間違いさえ知らないのだから、海外に住んで働きたいというのはエゴでしかない。ましてや、税金が安いところや高福祉の国に住みたいと考えるご老人がいるのは、あまりにも短絡的で情けない。仕事をリタイアしたら、社会貢献なんかする気はさらさらないというのも情けない。

 

 何も外国に住んで働くことが悪い訳ではない。後進国や紛争地に赴いて、社会インフラを整備したり学校を作って子どもに教育をしたりする尊い活動をするというなら大賛成である。おおいに尊敬したい。でも、自分の利害を優先したいから外国に住んで働くというのは、許されない行為であろう。昔、ある著名なアーティストが日本は税金が高いからと、外国に住居を移したことがある。その後、そのアーティストは落ちぶれてしまった。自分の損得で動くようなアーティストが、人を感動させる立派な作品を作れる筈がない。

 

 戦後の日本で、外貨が極端に少なくなってしまい、デフォルトしてしまうのではないかと危惧された時があった。その時に、国家・国民の為に何とか外貨を稼がなくてはならないと立ち上がった企業があったのである。東京通信工業という会社だった。世界で初めて自社で開発したトランジスタラジオを世に出し、世界中に輸出して外貨を稼いで国家・国民を救ったのである。その東京通信工業という会社が、やがて世界的な大企業のSONYに発展したのは有名な話である。世の為人の為に貢献する企業こそが成功するのだ。

 

 それが個人であっても同じだ。心から世の為人の為にと骨身を惜しまず働く人なら、大成功を収めるに違いない。多大な社会貢献もするが、結果として経済的にも裕福なるのは間違いない。トランジスタラジオやウォークマンの開発に成功した当時のSONYの社員たちは、どうしたら社会貢献ができるかという哲学を毎日真面目に語り合ったという。自分の損得のために外国で働きたいなんて、ゲスな考えを持つ人はいなかったのである。ところが世の中も変化してしまい、名だたる大企業の社員たちから哲学は喪失して、自分の名誉・評価・収入のためにだけ外国で働きたいという低レベルの価値観を持つ社員が増えたのである。海外で働く日本人が、外国人から尊敬されないのは当然である。

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