ええ加減でいいんですよ

 料理家として有名な土井善晴さん、さぞかし素材や作り方に拘っていて、きっちりとした料理を作るんだろうと勝手に思い込んでいた。プレバトというTV番組でも料理の盛り付けにも厳しい評価をしていたものだから、ついついそんな風に思っていた。ところが、NHKラジオの対談番組を聞いてびっくりした。『料理なんてええ加減でいいんですよ』というのが口癖らしい。料理を作る時に、最後に味を調えたりもう一工夫を加えたりというのはありがちだが、それをしてはいけないと言うのだから驚きだ。

 

 勿論、ええ加減というのは努力を怠ったり手抜きをしたりして料理をするということではないらしい。私たちが料理をする際に、どうしても最後になって味をもっと良くしようと、隠し味やら独特の調味料を加えてしまい、素材本来の味わいを薄めてしまうことが往々にしてあるものだ。この最後のひと手間を敢えて我慢して、素材そのものの良さを味わってほしいから、ええ加減な状態で仕上げてはどうだろうかという意味らしい。確かに、あまりにも手を加え過ぎて素材の良さを殺してしまうものだ。

 

 そう言えば、火加減もそうだ。あまりにも火を通し過ぎてしまい、素材の歯ごたえや甘みなどを損なうことも少なくない。余熱のことを考慮しないで火を通し過ぎて、オムレツや玉子丼をだいなしにすることも多い。あれも、ええ加減で火を止めないから失敗するのだ。ええ加減というのは、その素材に対する思いやりでもある。和食というのは、そもそも素材の良さそのものを生かす料理である。和食の調味料も素材を生かすためにあるし、日本料理の素材も少ないし調理法もある意味シンプルである。

 

 土井善晴さんの料理に対する考え方は、実に素晴らしい。話し方も飄々とした感じで、柔らかい口調で、優しい人柄が出ている。そして、驚くことに料理を通して人生の哲学を解き明かしているようにも感じる。ええ加減に生きてもいいんじゃないの、と言っているようにも感じるのである。つまり、人間も生きているだけでも素晴らしいのだから、あまり頑張り過ぎなくてもいいし、自分の良さをだいなしにするまで無理することもないよということを言っているように思われる。

 

 この『ええ加減でいいんですよ』という言葉は、強烈な生きづらさを抱えた人たちにも言ってあげたい言葉でもある。生きづらいと感じながら生活している人は予想以上に多いように思う。その生きづらさというのは、曖昧で混沌としたこの社会だからこそ感じるものであるのかもしれない。そして、周りの人たちがあまりにもいい加減であることにも起因しているような気がする。さらには、生きづらさを抱えている人というのは、自分自身がいい加減な生き方が出来ないからとも言えそうだ。

 

 私が日々サポートしているクライアントも、強烈な生きづらさを抱えている。それは愛着障害が根底にあるから、二次的な症状としてメンタルを病んでいるからでもある。そして、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)だから心理社会的過敏症も抱えている。さらには、完璧さを求めてしまうから、ものごとに対して白か黒という二者択一的思考をしてしまう。0点か100点のどちらしか考えられないのである。グレー色や50点でもいいやという選択肢を取れないのだ。言ってみれば、ええ加減でもいいやと考えられないから、生きづらいのである。

 

 土井善晴さんが言っているように『ええ加減でもいいんですよ』という生き方が徐々に出来たとしたら、生きづらさも解消されるかもしれない。そうは言っても長らく続けてきた生き方や習慣化した考え方をすんなりと変えられるものではない。自分の無意識化での固定化された価値観は変えるのが難しいと思われる。意識を変えるには、まず行動から変えるのが良いと思われる。それこそ、料理とか掃除とか普段の生活から、ええ加減な行動をすることから変えてみてはどうだろうか。ええ加減でも生きられると解ってくると、少しずつ意識も変えられるような気がする。なお、自分自身でも『ええ加減でいいんだよ』と自分自身に言い聞かせるのも効果があるだろう。

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