一歩を踏み出す勇気が出ない

メンタルが傷ついたり弱まったりしてしまい、一旦不登校やひきこもりの状態になってしまうと、社会復帰が非常に難しくなる。そして、よしんば不登校やひきこもり状態を上手く乗り越えたとしても、再度ひきこもりに陥ってしまうことになりやすい。自分では何とか社会に出たいと思い、勇気を振り絞って一歩を踏み出したいと思うのであるが、なんとも言えない不安が心一杯に広がり立ち止まってしまう。一歩踏み出す勇気がどうしても湧き出ないのである。どうして勇気がないのだろうかと悩みの日々を過ごすことになる。

 

不登校になったり休職・退職をしたりしてしまうのは、心に不安や恐怖を抱えているからである。その不安も特定の何かではなくて、得体の知れない不安であることが多い。何となく将来に対する不安を覚えてしまうことが多い。今まで、いじめや不適切指導を受けた経験を重ねたこともあるし、失敗や挫折を味わったことも影響しているかもしれない。ストレスがトラウマ化している影響もあろう。周りからいくら安心だよと言われたとしても、どんなにサポート体制を取ると言われたとしても、一歩が踏み出せないのである。

 

どうして、不安や恐怖を払拭できないのかというと、HSP(ハイリィセンシティブパーソン)という気質があるからだ。このHSPというのが、非常に厄介な症状を引き起こす。HSPは疾患名ではない。神経学的な過敏症に始まり、それが社会心理学的過敏も引き起こす。神経学的過敏は、聴覚過敏、嗅覚過敏、視覚過敏、味覚過敏、触覚過敏を引き起こす。強い光、大きな音や声、特定の臭い、強い味、触れられることなどに強い嫌悪感を示す。全部の過敏もあれば、一部の感覚だけに過敏を示すケースもある。非常に複雑である。

 

これらの神経学的過敏の症状が、やがて社会心理学的過敏をも引き起こすことになる。例えば大きい声や怒鳴り声に過敏を示す場合、騒々しい場所や多くの人の話し声が聞こえるような場所が苦手になる。騒々しい学校や職場が苦手な場所になるし、電車や飛行機など騒音を発する場所にも行けなくなる。スピーカーから聞こえる音に拒否反応を示すこともある。やがて、あまりにも神経が過敏であるが故に、相手の気持ちが手に取るように分ってしまうことがある。それも、相手の批判的気持ちや悪意に反応するのである。

 

HSPは対面恐怖症や対人恐怖症に発展しやすい傾向がある。なにしろ、人と会うことが怖いのである。しかも不思議なことに、親しくなればなるほど恐怖になるケースもある。相手との距離感が縮まってしまうと、自分の内面を覗かれてしまうような気がするのである。自分の心の裡にある、醜い心や汚い心が知られてしまう恐怖なのかもしれない。このような神経学的過敏と社会心理学的過敏が相まって、一歩を踏み出せなくなるのではないかと思われる。怖いと思う心だけでなく、身体が恐怖で動かなくなってしまうのである。

 

それでは、どうしてこのようなHSPという症状を引き起こして、不安や恐怖を感じてしまうのだろうか。それは、根底に愛着障害(傷ついた愛着・不安定な愛着)があるからだ。そして、何故に愛着障害になるのかというと、安全と絆を保証してくれる『安全基地』がないからである。人は安全と絆が保証されていないと、いつも不安や恐怖を抱えて生きることになる。乳幼児期からいつも不安や恐怖を感じさせられながら育てられると、大人になってからも安心できなくなる。得体の知れない不安にいつも押し流されそうになるのだ。

 

いつも不安になる愛着障害があるうえに、さらにHSPがあるから、一歩が踏み出せず臆病になってしまうのである。それでは、愛着障害を抱えるといつまでも一歩が踏み出せなくなってしまうのかというと、けっしてそうではない。愛着障害を癒すことができてしまえばHSPも和らげることが可能になる。愛着障害を乗り越えてしまえば、一歩を踏み出す勇気が出てくるに違いない。愛着障害を乗り越えるには、臨時的なものであったとしても安全基地が必要不可欠である。安全と絆さえ保証され続けたら、不安や恐怖を乗り越えることができるし、一歩を踏み出す勇気が出てくる。

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