ボランティアと偽善

今年の夏もNTV系列の24時間テレビが放映された。今回のマラソンは金メダリストの高橋尚子さんがランナーを務め、自らが走った距離に応じて募金をするという企画であった。この企画に対して一部の視聴者から、偽善的だというコメントが寄せられたらしい。24時間テレビに対しては、チャリティーに名を借りた視聴率取りであるとか、出演者にはしっかりとプロダクションを通してギャラが支払われているという批判があった。今回は高橋尚子さんに対して、あからさまに偽善者だというレッテルを貼ろうとしたのだ。

 

この偽善批判に対して、番組内で高橋尚子さんは毅然とした態度でコメントした。『偽善だと言われても、それで1人でも多くの人が救われるならば、偽善でもやる価値はある』と。立派な態度だと思う。ボランティアやチャリティーに対して批判をする人々が、自分で何かをしたのかと言うと、何もしていないに違いない。何もしないで批判するよりも、たとえ批判されてもやったほうが素晴らしい。さだまさしさんも番組内で、そもそも自分は偽善者だと思っているから何とも思わないし、何もしないよりは良いのは確かだと語っている。

 

東大卒の僧侶で、『偽善入門』という著作を書いた小池龍之介氏も同じようなことを主張している。人は批判的にボランティアなんて所詮偽善だというが、結果として人々を救い幸福に出来たとしたら、良しとしよう。たとえ偽善の心があったとしても、継続すればいつかは限りなく善に近づくことになるのではないか。偽善は真善よりも価値が低いかもしれないが、悪や偽悪よりはましであろう。偽善を続けていけば、いつかは善になるのではないかと語っている。偽善だと思い一歩を踏み出せない人へ、強烈なエールを送っている。

 

私もボランティアとしてイスキアの活動を行っている。利用者やクライアントからは、一切の報酬を受け取っていない。電話やzoomなどでのカウンセリングも無料だし、農家民宿を利用しての相談や体験・研修もすべて無料でさせてもらっている。そんなことはあり得ないと思って、いつかは何かを要求されたり買わせられたりするんじゃないかと心配されている方もいらっしゃる。勿論、偽善者だと疑う人もいるに違いない。今まで、いろんな人から騙されたり裏切られたりしてきた人だから、善意を信じられないのは当然だと思われる。

 

私は、偽善者だと思われたとしても、それは自分に偽善の匂いを感じさせる至らなさがあるからだと思うので、仕方ないことだと思う。自分には評価を得たいとか感謝されたいとかいう下心がないかというと、けっしてそうではない。多少なりとも、世間から注目されたいし認められたいという下心もあるし、尊敬されたいとも思う心がまったくない訳ではない。私には、そんなよこしまな気持ちなんてさらさらないのだと、傲慢で謙虚さのかけらもないような態度だけは取らないようにと心がけている。

 

人は、誰しも他人から好かれたし敬われたいと思っている。自分の心の中には、薄汚れた欲望が確かに存在するのである。自分の心の中には清らかなものしかないし、醜さや穢れを存在しないと思い込んでいる人は、危険な人だと言えよう。そんなマイナスの自己を認めず受け入れず、自分だけは不浄な心なんてなくて清廉であると思っているような人は信用できない。そんな思いあがった人を偽善者と呼ぶ。自分の心の中に恥ずかしい自己を発見した時に、それを隠そうとするのか、それとも認め受け容れるのかによって、偽善者かどうかが決まるのではないだろうか。

 

チャリティーやボランティア、またはNPO活動を自分のビジネスに利用している人がいるのも確かである。今まで、綺麗ごとを言いながら、裏ではしっかりと利益・権益を受け取っている人も沢山見てきた。NTVの役員や管理職、または芸能プロの役員・幹部の中にも、そういう人がいるかもしれない。でも、だからと言って24時間テレビに出演している人たちがすべてそうだとは言い切れない。高橋尚子さんやさだまさしさんのように、勇気を出して自分は偽善者であると宣言する人は、けっして偽善者である筈がない。私もいつかはそうなりたいと思いながら、イスキアの活動を通して真善に到達するまで偽善をやり続けたい。

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