病院という環境が治癒を阻害する

病気やケガをしたら、ほとんどの人は病院や診療所に行って診察と治療をしてもらうだろう。自分で治すというのは、ごく軽い風邪や傷ならあり得るが、まずは医療機関に行くに違いない。そして、傷病が重い場合は入院治療となる。その際に、入院した部屋には鍵がかからないし、個室であってもプライバシーを守る術がないというのはご存じだろう。看護師や医師が入室しようとするのを拒むことは不可能である。そして、誰かが無理に入室しようとしても防ぐ手立てはない。つまり、病室というのは防犯上、とても脆弱なのである。

入院して着用が義務付けられる病衣であるが、あれは中身が見えてしまうのではないかと思われる素材と作られ方である。また、病室で聞こえてくるあの雑音には、神経が疲れてくる。他の患者さんのうめき声や話し声、医療関係者の騒々しく走り回る音、エアコンなどの機械音、ストレッチャーや車いすの車輪の回転音、これらの音が24時間聞こえてくるのである。大部屋なんて最悪である。カーテンひとつ隔てた空間で、裸の状態にされることもしばしばある。医療関係者は患者の羞恥心に対する配慮などあまりしない。

さらに、入院すると大量の確約書や承諾書にサインをさせられる。検査や手術の際にも、承諾書が用意される。あたかも、失敗することもあるのが当然だと言わんばかりの事前対応である。これでは患者は安心するどころか、益々不安をかき立てられるに違いない。ホテルと病院を同列に扱うことは出来ないが、ホテルよりも高い入院費をもらいながら、事前のオリエンテーションはいかにもお粗末だ。トイレや洗面所、各種検査や処置室の場所、ナースステーションとナースコールの扱い方、電話や見舞者への対応について詳しく案内されない。

そして、一番我慢がならないのは、医師や看護師の態度である。医師や看護師との信頼関係を築けなければ、安心して治療を任せることなんてできやしない。まずは信頼関係を築くためには、笑顔での十分なコミュニケーションが必要であろう。ところが、病名、病状や治療方針についての紙ベースでの伝達はあるが、言葉で丁寧に患者が安心するように、十分な説明などしてくれない。特に医師は、患者の目を見ずに、PCの画面を見て入力をしながら話している。患者がどんな表情やリアクションをするかなんて、医師には関係ないらしい。

つまり、与えられた入院環境はまったく安心できなくて、不安になる要素ばかりがいっぱい詰まった環境なのである。心が休まる環境ではないのは確かである。これでは、いつも不安感や恐怖感を持ちながら治療を受け続けなければならないのである。しかも、医療関係者と患者との信頼関係は築けないばかりか、不信感ばかりが募るだけである。そもそも、病気になるのは迷走神経がニューロセプションを起こしてしまい、身体が自己防衛反応を引き起こしたからなのである。ニューロセプションという神経による勝手な身体反応は、安全と絆がないばかりに起きた反応だ。安全と絆がない病院環境で良くなる訳がないのだ。

ポリヴェーガル理論という多重迷走神経を基盤にした神経生理学の考え方によると、ほとんどの病気(精神的な疾病も含む)は、古い迷走神経がニューロセプションの働きによって暴走し、引き起こされたものであると言える。その際に、ニューロセプションを起こすかどうかは、安全と絆が確保されているかどうかにかかっているのである。生命が危険にさらされるような緊急事態に陥っても、安全と絆がしっかりと担保されていれば、ニューロセプションは起こらない。ところが、安全と絆がなくていつも不安や恐怖を抱えている人は、容易にニューロセプションが起きて、心身のシャットダウン化を来し病気になってしまう。

一度でも心身にシャットダウン化が起きてしまうと、この状態から抜け出すのは至難の業である。唯一このシャットダウンから抜け出す方法は、絶対的な安全と豊かで信頼できる絆が確保できた時だけである。勿論、一時的に投薬治療や手術・セラピーが必要なのは言うまでもない。安全と絆が確保できなければ、どんな医学的アプローチも無駄になる。だから、病院環境は先ずもって安全であり患者との絆づくりが大事なのである。ここの部分を大事にせず、いくら高度な医療を提供したとしても、病気は完治しない。一時的に寛解したとしても、必ずと言っていいほど再発するのである。病院は安全と絆が確保される環境づくりに邁進することが求められると言える。

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