貧困は自己責任か

貧困家庭が急増していると言われている。そして、その貧困家庭は世代間を超えて連鎖している。つまり、一度貧困家庭に陥ってしまうと、その子孫は貧困のまま生きていくことになるというのである。その一方で、貧困になるのは自己責任であるから、政治や行政の責任ではないという立場を取る政治家や行政マンが多い。富裕層の人たちもまた、貧困は自己責任だと思っている人が少なくない。本当に貧困という状況を作り出しているのは、自己責任だけなのか。政治や行政の努力では、貧困はなくならないのであろうか。

自民党政権の中枢にいる政治家、そしてキャリア官僚を中心にした官公庁の幹部は、口に出してこそ言わないが、貧困は自己責任だと思っている人が多いのも事実だ。公の場所でそんなことを言おうものならバッシングを受けてしまうから口を閉ざしているが、身内の集まりや組織内においては、貧困は自己責任だと断言している。だから、時折そんなニュアンスの発言がポロリと漏れ聞こえてくるのである。貧困家庭をなくそうとしていると言いながら、本音は違うのであるから貧困家庭をなくす政策に本腰を入れないのは当然だ。

マスメディアの大多数もまた貧困は自己責任だと思っている節がある。マスメディアに働く人々もまた、ある意味で恵まれて育った人々である。政治家や高級官僚も、恵まれた環境で育てられた人々である。小さいころから何不自由なく育ち、著名な塾や予備校、または名門私中学にも行かせてもらい、高等教育を受けさせてもらって、今の立場や地位を得た人々である。ずっと貧困に喘いで、どうあがいても高等教育を受けさせてもらえない家庭のことなど、解ろうとしないのは当然だ。貧困の苦しさなんて理解できようか。

とは言いながら、自己責任がまったくないと言い切れないのも事実である。何故貧困が連鎖してしまうのかというと、その背後には教育の貧困があるし、当事者の勤勉さや我慢強さにも問題があるし、努力が足りないのも事実であろう。だとしても、スタート地点があまりにも差がついていたら、頑張りたいと思う気持ちも失せてしまうに違いない。ましてや、貧困から抜け出すための支援をする政策が乏しいとしたら、努力が無駄になってしまうのではないかと思うだろう。貧困から抜け出すチャンスを与えられていないのである。

政治と行政の重要な役割は、貧困層を作らないことであるし、それが世代間連鎖を起こさないようにすることである。貧困はある意味、教育格差から起きていると思われる。ところが、今の政治や行政は教育格差を放置しているとしか思えない。逆に、教育格差をさらに広げているように感じる。これでは、貧困層は増加の一途を辿るのは仕方ない。教育格差だけでない。所得格差もひどい状況にある。非正規雇用を多量に生み出した小泉構造改革から国民の格差が広がったのは間違いないし、貧困層が増えたこともこれが原因である。

かなりの金融資産を持つ世界の富裕層のうち、かなりの日本人がその割合を占めていると言われている。日本の全人口の1%にも満たないような富裕層が、99%の日本人から仕事もせずに搾取をしているという実態がある。そして、この格差は益々広がっているし、貧困層は世代間連鎖をしていて、政治もそれを放置していると言わざるを得ない。貧困が何故起きているかというと、自己責任も多少はあるものの、国の労働政策、経済政策、福祉政策、教育政策などの失政によるものであると断言できる。貧困層を救いあげ、国内の一般消費を増やすことが、日本経済を好況に導く最善の方法なのに、しないのは怠慢だ。

欧米などでも貧困層が増えている。それは、やはり富裕層や大企業を優遇する税制改悪や労働政策による影響である。その流れを受けて日本でも、大企業優遇税制、高所得者の所得税減税、金融商品の規制緩和、相続税の減税、金融商品による所得税の優遇化などを一般庶民には解らないようにこそっと実施している。これでは貧困層が減らないばかりか、益々絶対的貧困層が増え続けていくに違いない。『貧困は自己責任だ』という為政者や富裕層たちには耳障りのない言葉だけが、独り歩きをしてしまっている。こんな根拠のない言葉で騙されてはならない。貧困層をなくすのは我々の使命であるし、喫緊の課題だと心得たい。

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