家族愛と絆が問題の根源である

あなたの家庭は深い愛と強い絆で結ばれていますか?と問われて、充分に家族愛で満たされて絆が強いですと、胸を張って答えることができる家庭はどれほどあるだろうか。家族の中で、父親だけは絆があると答えるケースがあるかもしれない。しかし、母親と子どもは我が家に強い家族の絆がないと答えるのではなかろうか。現代の家庭環境においては、溢れるほどの家族愛で満たされて強い絆で結ばれた家庭は、殆どなくなってしまったのではないだろうか。それほど、家族の絆は希薄化し劣悪化してしまったと思われる。

家族の絆が薄くなってしまうと、いろんな問題が起きる。家族の関係性が薄くなくなると、お互いに支えあう関係もなくなり、家族はバラバラの状態になってしまう。そうなると、夫婦はもちろん親子の信頼関係もなくなり、家庭崩壊または機能不全家族になるケースもある。家族の絆が希薄化してしまった家族は、やがて大きな問題を抱えることになる。不登校、ニート、ひきこもり、家庭内暴力、様々な依存症(アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲーム)メンタル疾患、メンタル障害、離婚などが起きてしまうことになる。

家族愛が豊かにあれば、家族相互間に豊かな愛着が育つ。家族愛がなくなってしまうと、愛着が不安定になり傷つき、やがて愛着障害を起こす。この愛着障害は世代間連鎖を起こすから、祖父母から父母に、そして父母から子へと引き継がれていく。愛着障害の子はやがて、うつ病や双極性障害などの気分障害、発達障害、パーソナリティ障害、強迫性障害、摂食障害、妄想性障害、依存症などを発症する。強烈な生きづらさを抱えるが故に、社会への不適応も起こしてしまう。だからこそ、家族愛がなによりも大切だということである。

どうして家族愛が不足しているのだろうか。豊かで正常な家族愛がなくなってしまった原因は何かというと、家族間において互恵的共存関係が薄らいでしまったからだと思われる。家族の間で愛を分かち与え合うのでなくて、愛を求め合う関係になっていると思われる。本来は、家族どうしがお互いの考え方や生き方を尊重し合い、家族お互いの心の豊かさや幸福の実現を願い、そのために自分が犠牲になっても良いという覚悟で向き合う必要がある。ところが、反対に自分が愛されたい、幸せになりたいと思ってしまう傾向が強い。これでは正常な家族愛が育つ筈がない。

とかく人間というのは、相手の考え方や生き方を自分の価値観に合わせたいと思うものである。周りの人が自分と同じような考え方や言動であれば、ストレスなく生きられるからである。家族であるからこそ、余計にそう思ってしまうものらしい。そして、親というのはついつい子どもを見下してしまい、自分の支配下に置きたがるものである。または、夫は妻を自分の所有物のように勘違いしてしまう傾向がある。妻や子の尊厳を認め、その考え方や生き方に対して介入することや余計な干渉をすることなく、そっと見守るような態度を父親はとるべきである。ところが、実際には妻や子を支配し制御したがる父親が多いのである。

本来のあるべき家族愛を高めるには、相手が主体性、自主性、自発性、能動性、責任性などを育めるように、共感的メンタライジング能力を発揮して寄り添う必要がある。それなのに、まるっきり正反対の対応を家族にすれば、家族愛は育つ筈がない。ましてや、父親とは家族全体の幸福や豊かさを実現するために、自分の犠牲を厭わない態度が求められる。さらに家族全体の安全基地としての機能を発揮するべきである。そうじゃないと、家族は精神的な拠り所を失い、不安になって生きる勇気を持ちえない。妻は、安心して母性愛を子どもに注げなくなるのである。

現代日本の父親の多くは、家庭を顧みず仕事に没頭し過ぎてしまい、家族の拠り所(安全基地)になりえていない。妻や子どもが主体性や自発性などを発揮できるように、共感的互恵関係を確立して豊かな家族愛を注ぐべきなのに、逆に介入や干渉をし過ぎて妻や子の自己組織化を阻害してしまっている。これでは、豊かな家族愛が育まれる筈がない。家族間の互恵的関係性が希薄化して、家族愛が失われてしまったから、家庭内の様々な問題が顕在化してしまったのである。家族を大切に思い、お互いの尊厳を認め合い、家族愛を高め合うようなライフスタイルを確立したいものである。

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