体罰は子どもを不健全にする

親からの虐待や体罰について、話題になっている。また、躾(しつけ)のやり方についても議論になっている。親からの虐待によって不幸にも亡くなってしまった子どもがいた事件があり、児童相談所や行政の対応の拙さも批判されている影響もある。また、東京都が体罰防止の条例を制定することになり、民法で懲戒権を認めているのはおかしいという議論にも発展している。体罰をしなければ躾は難しいという意見もあるし、どんな理由があるにせよ暴力はいけないと完全否定の人たちもいる。体罰は本当に必要なのだろうか。

体罰という行為は、家庭だけでなく学校や各種スポーツの指導現場でも横行している。体罰をしなければ子どもたちは健全に育たないと思い込んでいる指導者は少なくない。子どもたちを適正に導くには、何らかのペナルティーを与えなければ不可能だと彼らは主張する。家庭において、頭や尻を軽く叩いたり頬を叩いたりする行為なら、自分の手のひらも痛みを感じて、お互いの愛情を感じるからと自らの行為を正当化するお母さんもいる。愛情が根底にあれば、ケガや心の傷を負わせない程度ならいいと肯定する親がいる。

世界各国で体罰については、大きく意見が分かれる。世界中で、法律によって体罰を禁止する傾向にあるのは間違いない。数年前までは11か国が体罰を禁止するだけだったが、現在は57か国が法令によって体罰禁止をしているという。いち早く体罰禁止を打ち出したスウェーデンでは、体罰防止のキャンペーンが功を奏して、8割あった体罰の家庭は今では1割程度に減少したという。さらに驚くことに、このことによって青少年の犯罪が激減したというのである。暴力の連鎖が止まったのだと、専門家は分析している。

一方、体罰を容認している国家もある。先進国で代表的な国は、アメリカ合衆国である。各州によってまちまちであるが、保守的なフロリダ州などは体罰を積極的に認めていると言われている。青少年犯罪も多いし、銃乱射事件など多発している実態、他人や他国に対して暴力的態度で従わせるような姿勢は、もしかすると体罰による教育による影響かもしれない。子どものうちに、暴力によって相手を従わせるということを体験的に学んだ子どもは、大人になれば無意識に暴力で相手を支配するという行為をするのは当然である。

体罰や暴力は世代間連鎖をする。親から体罰を受けて育った子どもは、親になったら何の躊躇もせず我が子を体罰で従わせようとする。体罰まで行かなくても、親の権力を使って暴言や態度で子どもを支配しようとする親は少なくない。長時間に渡り立たせたりトイレや押し入れに閉じ込めたり、はたまたおやつや食事を抜いたりするのは、どこの家庭でも見られる光景である。両親が激しい夫婦喧嘩を子どもたちの目の前で繰り広げることもあるが、これは子どもから見ると立派な虐待であり、子どもの脳を破壊する致命的行為だ。

自分も親から暴力を受けて育った。恥ずべきことであるが、自分も若い父親だった頃に、何度か子どもに体罰を行った。おおいに反省すべきことであり、子どもたちに謝っても謝りきれない卑劣な行為である。子どもたちが我が子に対して、この負の連鎖をしないことを祈っている。体罰によって、子どもを健全に育てられると思い込んでいるとすれば、それは完全な間違いである。科学的にも証明されている。システム科学的に論じれば、過度の子どもという人体システムへの介入(体罰)は、子どもの自己組織化を阻害するだけでなく、オートポイエーシス(自己産生)をストップさせてしまう怖れがあるからだ。つまり、体罰を繰り返すことで、人間として備わっている主体性・自主性・自発性・責任性といった自己組織性を育たなくすると同時に、人間が自己成長して何かを成し遂げる力を削いでしまうのである。

人間と言う人体システムは、自らが自己組織化して自己産生を続ける機能を持つ。システムというのは、外部からのインプットによって機能し活動するのではなくて、自らが主体的に動くのである。そして、アウトプットもすることなく、システムの中でアクションが完結している。人間と言うシステムは、本来外部からインプットされないし、外部に対してアウトプットしない完全無欠なシステムとして機能しているのである。それが、体罰という介入(インプット)をされると、本来の機能を失ってしまう。成長が止まってしまうばかりかシステムエラー(問題行動や病気)を起こすのである。勿論サポートは必要である。それも、愛情の籠った思いやりのある支援である。けっして子どもの自己組織化を妨げることなく、本人が自ら気付くように、学ぶように寄り添い支援を続けることである。子どもを健全に育むためには、体罰だけはしないことである。

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