セックスレス夫婦になる本当の訳

男どうしならセックスレス夫婦だなんてことは軽々しく言えないみたいだが、女性どうしではこんな状況にあると平気で話題にするらしい。そして、セックスレス夫婦が想像以上に多いというから驚きである。高齢者夫婦ならそれもあり得るが、若い夫婦にも夜の営みがないというケースが多いらしい。統計調査を取りにくいこともあり、公にはされていないが、周りの知っている夫婦は、殆どがセックスレスだというのだ。特に、第一子を設けてからセックスレスになってしまう夫婦が非常に多く、第二子以降出来ないケースも多い。

セックスレス夫婦の方にそうなってしまった原因を聞いてみると、驚くことに特に理由もないし、男性にとっては思い当たる原因もないというのである。そして、セックスがなくなったことで不自由感もないし、それが当たり前の夫婦生活になってしまっているというのである。どうやら男性側からも、そして女性側からも求めることがなくなり、自然とセックスレスに陥っていて、それが自然な流れとして定着しているらしい。夫婦仲が特別悪い訳ではないし、一緒に買い物したり食事もしたりするが、夜の交渉だけはないというのだ。それが何年間にも及んでいるので、いまさらどうしようとも思わないという。

これは由々しき大問題である。それでなくても少子化が社会問題になっているのに、その流れが加速してしまうではないか。ましてや、夫婦関係というのは複雑である。身も心も許し合ってこそ、お互いの信頼関係も深まろうというもの。それが精神的なつながりだけでは、夫婦関係が破綻しかねない。最近は、離婚する若い夫婦が増えているし、仮面夫婦が以外に多いというが、セックスレスがそれを後押ししているかもしれない。夫婦関係だけでなく、恋人関係でも性関係のないカップルが増えているらしいのである。

日本では、互いの愛情が感じられず、夫婦の性交渉がなくなってしまっても、そのまま夫婦関係を続行するケースが多い。しかし、フランスではカップルの愛情が冷めてしまったら、即離婚するか同居を止めるという。何故ならば、愛情がないのに一緒にいる必然性がないというのである。子どもが居ようとも、それがかすがいになって離婚を思い止まることはない。愛情のなくなった夫婦が一緒にいることによって、子育てにおける悪影響のほうが大きいと認識しているからだ。フランス人は戸籍に縛られることがないと言える。

日本において、夫婦に性交渉が途絶えてしまう本当の原因を、深層心理学的に考察してみよう。人間という生き物は、本来自己組織化する働きを持つ。つまり、生まれつき主体性・自発性・自主性を持ち、自分の生き方に対して責任性を持つのである。ところが、夫婦として籍を入れると、男性が主要な人生の選択・決定においては主導権を持ちたがる。日常の生活における衣食住の簡易なものは女性が主導権を持つが、重要な決定事項は夫が持ちたがる。そして、夜の営みも男性が主体性を持ちたがるというか、それが当たり前だという先入観念に縛られていて、女性がその選択権を持ってはいけないと思うらしい。

夫が性交渉を望めば、妻がそれに応じるのは当然で、拒否権がないと勘違いしている。本来は、男性だけにその決定権はない筈なのに、男性上位の古い価値観に縛られているが故に、性関係を持つかどうかは男性が握っていると思いがちである。そして、妻である女性はそれに従うことが、自らの自己組織性を発揮することを阻害されてしまうことから、嫌がる傾向を持つのである。そして男性は、性関係を持ちたいと思いながら、お願いしてまで性交渉を持つことを嫌う。女性に性交渉の決定権を与えるくらいなら、我慢しようと思うのではなかろうか。こうして、夫側も妻側も性関係を望まなくなってしまうと思われる。

特に、精神的にも経済的にも自立した妻は、この傾向が強い。身も心も夫に依存している夫婦関係であれば、セックスレス夫婦になる確率は低い。ところが最近の女性は、夫に依存した生き方は間違っていると気付き、すっかり自立している。故に、自らの自己組織性を発揮した生き方をしている妻は、自分を見下したような夫の要求に応えることは、アイデンテティを否定されるようで許せないのである。夫が妻の尊厳を認め受け容れ、妻の生き方を尊重することが出来れば、互いの自己組織性を進化させることが出来る。そうすれば、妻の話を傾聴し気持ちに共感できるし、性交渉を嫌がる気持ちも理解できる。妻の微妙な心の揺れ動きも感じることが可能になる。妻を自分が所有していると勘違いし、妻を支配し制御したがるような夫に、妻は身を任せようとはしないのだ。セックスレスになっている本当の原因は、夫の未熟な精神性にあると心得るべきである。

“セックスレス夫婦になる本当の訳” への2件の返信

  1. 男性に対して厳しい意見ですが、本質は、現代社会の労働環境にあると思います。
    働き過ぎて疲れているのです。
    男女共に、仕事以外にも趣味、付き合いで疲弊しているので、お互いに思い遣りに欠けます。
    何でもかんでも男が悪い。では無くて、忙し過ぎる現代構造に難有り。

    1. すげざえもんさま、おっしゃること良く理解できます。毎日のようにハードな日常業務があるうえに、遅くまで残業して休日出勤もあり、接待や付き合いもあるのですから、夫婦のふれあいも限られてしまいます。さらには、仕事のプレッシャーやストレスで神経をすり減らしていますから、配偶者への思いやりも欠けてしまうのは当然かもしれません。男性だけに問題があるのではなく、社会の労働環境や妻の応対にもセックスレスの原因があるのもよく理解できます。男性だけにその責任を負わせるのは確かに酷ですね。
      とは言いながら、このような社会環境を作っているのも我々ですし、あまりにも酷い労働環境を見ても見ていないふりをしている行政府を、私たちが選挙で選んでいます。ドイツやフランス、北欧のように余裕のある働き方をするかどうかは、我々の意識と行動を変えるかどうかにかかっているように思います。あまりにも経済優先主義で、我々の生活を犠牲にしてしまい、しいては家族の関係性を破綻させているように感じています。そして、現状を放任しているその責任は我々にあるのではないでしょうか。
      仕事か家族かのどちらかを優先するのかではなく、どちらも大事にする生き方が出来ないのだろうかといつも自問自答していました。それで、私は仕事優先の生き方を変えました。サービス残業が月200時間を超えてしまうような職場を辞めました。収入は減りましたが、残業ゼロの会社に移籍して家族との触れ合いを優先した生活にして、NPO活動を始めて地域活動に勤しみました。おかげで、子どもの不登校も解決できましたし、いじめにも対応できました。夫婦の関係性も良好になりました。
      欧州各国の男性は、家族を犠牲にしてまで仕事や付き合い・趣味を優先するような愚行をするようなことはしません。行政府も残業を認めませんし、残業に対する大きなペナルティを課します。企業もそんな残業をさせては生産性が上がらないことを認識しているので、残業させないですし長時間労働を労働者に強いることはしないのです。日本のホワイトカラーの労働生産性は、先進国の中で最低です。それは長時間労働とサービス残業のせいです。こんな間違った社会を変えないといけませんし、この間違いを認識した人から自分の生活を変えるべきです。
      働き過ぎて疲れていて、家族との触れ合いができないことで、益々心がすさんでしまうという悪循環を断ち切る勇気を持ちたいものです。経済優先の社会を変革する責任と義務を我々が持っています。マスメディアにも責任があると思いますが、まずは経済優先の社会から生活優先の政治への舵切が必要かと思います。そして、そのかじ取りの選択権は我々が握っているのです。
      このような社会を作ってしまっている責任は、経済や政治を動かしている我々男性にあると思います。けっして女性を蔑視している訳ではありませんが、男性が変わらなければ世の中は変わりません。生活の基本となる関係性豊かな夫婦生活がないがしろにされてしまう責任は、男性にあると思います。こんな生き方を変えていかなければならないと思っています。

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