京大卒のノーベル賞が多い訳

今年のノーベル医学生理学賞を本庶佑氏が受賞した。がんの免疫療法の画期的方法を開発した成果を認められたという。この免疫システムを利用して、がんの特効薬が開発されて既に臨床に用いられ、多くのがん患者を救っていると言われている。本庶氏は、京都大学医学部卒で、現在は特別教授を務めている。日本を代表する国立大学と言えば東京大学と京都大学であるが、自然科学分野のノーベル賞を取るのはどういう訳か京都大学出身者が多いのは不思議である。

ノーベル賞の受賞者が卒業した大学を調査すると、やはり東京大学と京都大学の出身者が図抜けて多い。どちらも8名ずつである。そのうち、人文科学分野は3人ですべて東京大学出身者である。ということは、自然科学分野の受賞者に限ると東京大学が5人、京都大学は8人になる。自然科学分野というと、物理学賞、化学賞、医学生理学賞であるが、科学者にとってはノーベル賞を取ることが世界で一流の研究者として認められるということなので大変な名誉である。それが東大卒よりも京大卒が多いというのは驚きである。

この不思議さというのは、たまたま偶然であろうと思う人も多いに違いない。しかし、考えてみてほしいのだが、京都大学に在学している方と卒業している方には失礼だが、東大のほうが入学試験の偏差値は高い。それなのに、ノーベル賞の自然科学分野で圧倒的に東大よりも京大が多いと言うのは考えられないことなのである。東大といえば、卒業後にキャリア官僚になる人が圧倒的に多いし、自然科学分野の研究者も優秀な方が多いのは当然であろう。それなのに、自然科学分野で京大の後塵を拝するのは考えられないのである。

何故、京都大学卒のほうが東京大学卒よりも自然科学分野でノーベル賞を取る人が多のか、やはりそれなりの訳があるとみたほうが自然であろう。自然科学分野において、東大と京大の学生及び研究者における違いは何なのであろうか。そのことが明らかになれば、東大の研究者がこれからノーベル賞を取るような研究成果を上げることが可能になるに違いない。ひとつのヒントとしてあるのは、湯川秀樹氏は西田幾多郎教授にかなりの影響を受けたという事実である。西田哲学と言えば世界的にも誇り得る足跡を残している。

湯川秀樹博士は、西田幾多郎教授の講義を誰よりも真剣に聴講していたと伝えられる。それが、ノーベル賞の受賞につながる研究に繋がったというのは、京大関係者ならたいていの人が知っている事実である。科学者が哲学を好きだったなんて、普通なら考えられない。ところが、伝統的に京都大学の科学者は、哲学が好きなのである。京都大学には、他の大学にはない価値観が存在する。それは、科学哲学という価値観である。科学は哲学という基本のうえに成り立つものであり、哲学を忘れた科学は危険だという価値観だ。

同じことを主張していた世界的に著名な科学者がいた。それは、かのアインシュタインである。アインシュタインは原子爆弾を開発する提案書に署名してしまったことを、一生後悔していた。彼は、科学を志す者は形而上学(哲学)をしっかりと学んだうえで、研究に邁進すべきだと考えていたと伝えられる。そうでないと、科学研究は暴走してしまい、人間の幸福に寄与しないばかりか、戦争や殺戮の為に利用されてしまう危険があると主張していたのである。何の為に科学を研究するのかという大事な哲学を忘れてはならないのだ。

西田幾多郎教授は、禅などの仏教哲学と西洋哲学を統合させたという功績だけでなく、多くの科学者の卵である理系の学生に哲学を教えて、日本の基礎研究の発展に寄与する成果を上げたと考えられる。西田幾多郎教授は、京都大学における科学哲学の基本を作ったのは間違いないであろう。IPS細胞の山中伸弥教授や本庶教授も、西田哲学の科学哲学の影響を受けたのは想像に難くない。ノーベル賞につながるような研究成果を上げるには、科学哲学という価値観が必要なのである。これが京大卒の科学者がノーベル賞を取る訳である。

本庶佑教授が、今回のノーベル賞を取る研究成果を上げるに至った動機は、同級生が病気で亡くなったことを契機に、こんな不幸な目に遭う人々を少しでも救いたいというものだったと伝えられる。つまり、科学研究を通して人々の幸福に寄与したいという強い決意を持って、研究に邁進したのである。東大の研究者にそのような哲学がないというような乱暴なことは言わないが、東大に科学哲学という概念が京大よりも希薄なのは確かであろう。文科省のキャリア官僚は、国立大学に哲学なんて要らないと嘯いているが、科学研究にこそ哲学が必要不可欠なのである。

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