プラトニックラブと婚外恋愛

プラトニックラブなんて今時ありえないよ、そんな言葉はとっくに死語化していると主張する人が多いことだろう。ましてや、今の若い人たちはプラトニックラブという言葉さえ聞いたことがないかもしれない。我々のような60代以上の人間なら、懐かしいと思うに違いない。青春時代、とりわけ高校生の頃にはプラトニックラブに憧れたものである。とは言いながら、プラトニックラブの正しい意味を理解している人間は極めて少なく、誤解している人が殆どであろう。

プラトニックラブというと、殆どの人はこのように理解しているのではなかろうか。肉体関係のない、精神的な結びつきだけの愛をそう呼ぶと思い込んでいるに違いない。しかし、本当の意味は違っているように思う。プラトニックラブというのは、本来『プラトンが説いた愛』という意味である。プラトンとは、偉大な哲学者である。とりわけ、至上の愛を説いた哲学者として有名である。その至上の愛のことを、プラトニックラブと呼んだのが最初と言われている。それが、時代を経るうちに肉体関係を伴わない精神的な恋愛というようになったと思われる。

確かに、いろいろな辞書を調べてみると、プラトニックラブとは性交渉を伴わず、精神的な結びつきだけの男女間の恋愛というように説明している。けれども、あくまでも私見であるがと断ったうえで、プラトンが説いていた愛について考えてみたい。ご存知のようにプラトンは『イデア論』を主張している。我々の純粋な愛知(ソフィア)というものは、本来は天上にあり魂に宿っていて、穢れのないものである。それが、地上の肉体という束縛されたものに宿ることで、不純なものに陥ってしまった。本来の我々の魂は、純粋なのであるが物体化することにより、欲望に押し流されて穢れてしまっていると説いた。

このようにプラトンは、純粋な愛というものが物体化することで本来の清浄さを失い穢れてしまうが故に、肉体に宿ったとしても純粋な愛を貫きたいと願ったのではなかろうか。という意味では、プラトニックラブというのは肉体的な結びつきがあろうとなかろうと、穢れのない純粋な愛という意味だということになる。つまり、プラトンが説いた愛というのは、性愛などの欲望を超越した愛ということになる。性愛というのは、肉体的な快楽を求める愛である。肉体的な快楽を最初から求めるものでなく、精神的な結びつきの行きついた先に、たとえ肉体的ではあっても純粋な愛の繋がりのひとつの形であったとすれば、それもまたプラトニックラブではないだろうか。

最近、セックスレス夫婦が増えていると言われている。それも熟年夫婦ならいざ知らず、30代の肉体的にも性欲的にも円熟している年代のカップルでもセックスレスだという。それは、プラトニックラブを実践しているのかというと、そうではないらしい。どちらかと言えば、妻のほうがセックスを拒否しているケースが多いと言う。夫からの要求を何らかの理由をつけては拒んでいるというのである。性交を拒否している大きな要因は、夫を純粋に心から愛せなくなり、肉体的な結びつきさえも拒んでいるからであろう。

結婚する前は、あんなにも優しく思いやりがあり、精神的な結びつきを優先してくれて、その先にあったのが肉体的な結びつきであった。言ってみれば、プラトニックラブのような純粋で穢れのない愛だった。ところが結婚したとたんに、夫は豹変する。さも自分の所有物、または支配物のように妻を扱い、まるで家政婦のように利用する。かろうじて暴力は振るわないものの、不機嫌な態度や無言の姿勢を見せて、妻を操ろうとする。家事育児の協力は嫌がり、自分の趣味や娯楽に興じて、妻への優しさや共感がなくなっている夫は信頼できない。敬愛すべき対象でなくなってしまった夫に、誰が身体を開こうというのか。

このような妻の気持ちに共感せず、話も聞いてくれない夫に愛想を尽かして、婚外恋愛に走る若い妻たちが増えているらしい。世の中の夫たちは、そうさせてしまっているのが自分自身なのだと気づいていない。婚外恋愛においては、相手は自分を純粋な愛で優しく包んでくれるし、性欲を前面に出すことなく接してくれる。たとえ肉体的な結びつきはあったとしても、プラトニックラブのような何も求めず与えるだけのような愛である。射精することで自分の性欲だけを満たすような性交渉ではなく、自分のすべてを許し受け容れてくれる愛に妻たちは溺れるのであろう。世の中の夫たちは、結婚する前のように、求める愛ではなくただ与えるだけの愛であるプラトニックラブのような純粋な愛に立ち返りたいものである。

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