ひきこもりを乗り越える

ひきこもりは、個人的な要因によって起きるのではなくて、社会システムの偏りや歪みによって発生しているということを前回のブログで明らかにした。そうなると、社会システムの誤謬を正さない限り、ひきこもりを乗り越えることが出来ないと思う人が多いかもしれない。しかし、けっしてそうではない。社会システムの中で最小単位である家族というコミュニティの社会システムを、本来あるべき正しい形にすれば、それだけでひきこもりを乗り越えることが出来て、社会復帰することが可能になる。これは、不登校さえも乗り越えることが出来る方法でもある。

家族という最小単位の社会システム(コミュニティ)が、壊れてしまっているということを認識している人は極めて少ない。すべての家族というコミュニティが崩壊しているとは言わないが、殆どの家族は本来のコミュニティ本来の機能を失っている。何故、そんなことになってしまっているかというと、あまりにも偏ってしまった価値観にあると言えよう。家族というのは、お互いの尊厳を認め合い、お互いを支え合い、お互いに何も求めず愛を与えるだけの存在である。愛が溢れ、安心で平和な暮らしができる『場』である。しかし、現実にはそういう愛が溢れる安心の居場所になっていないのである。

人間が生きる上で絶対に必要な価値観とは、深い絆(関係性)と全体最適であろう。ところが今の日本人は、この全体最適を忘れてしまい、個人最適に走ってしまっている。そして、お互いの関係性を大切にする生き方を忘れ、個人主義に陥ってしまっている。家族というコミュニティにおいても、それぞれが身勝手で自己中心的な生き方をするあまり、家族がバラバラになってしまっている家庭が増えてしまった。父親は仕事優先の生き方をするあまり、家事育児に協力しないし、妻の話を聞かないし共感しない。父親は、家族から敬愛されていないばかりか、一人浮いている。そんな家庭が増えてしまったのだ。

ひきこもりや不登校の子どもの家庭状況がすべてそうだとは言えないが、お互いが心から信頼し支え合う家族関係が希薄化しているケースが多い。つまり、お互いの尊厳を認め合い支え合うような、深い絆がなくなっている。何故、そんな状況になっているかというと、介入し過ぎるケースがある反面、関わり合いが極めて少なくて、無視をし合うような家族関係があるからだ。ある程度の親としての優位性は仕方ないが、必要以上に子どもに対して優位を保とうとして、所有・支配・制御などの介入を繰り返すことがある。または精神的に幼児性を持つ父親が、自分に都合が悪くなると沈黙したり無関心を装ったりすることもある。これらの不都合を日常的に繰り返して、関係性が非常に希薄化してしまうのだ。

家族というコミュニティは、ひとつの社会システムとして見られている。したがって、家族それぞれには自己組織化する働きがあるし、オートポイエーシス(自己産出)の機能を持つ。親が子どもに対して行き過ぎた介入をして、関係性を損なうようなことを繰り返してしまうと、この自己組織化と自己産出(成長や進化)を妨げてしまう。子どもがひきこもりや不登校になるのは、自己組織性と自己産出を自ら放棄してしまったということである。人間とは、自らの意思で自らの言動を決定する。そして、その自らの言動には責任を持つ。そして、自分の内部からふつふつと湧き出させるエネルギーで何事にも挫けず挑戦をするのである。これが、人間の持つ自己組織性と自己産出性である。

この自己組織性と自己産出性の機能を無くしてしまった家族だから、ひきこもりという問題が発生しているのである。とすれば、システムとしての家族が本来持つ機能である、自己組織性と自己産出性を持つようになれば、ひきこもりが克服できるに違いない。これは、当事者本人だけが機能回復すれば良いという訳ではない。家族全員が、自己組織性と自己産出性の機能を回復しなければならない。そして、家族全員が全体最適と関係性重視の価値観を持ち、自己犠牲を厭わずにお互いに支え合い守りあうコミュニティを再生すれば良いのだ。親がまずその機能を回復し、正しい価値観を持つことが重要である。それがひきこもりを乗り越える道筋を示すことなることだろう。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、ひきこもりからの回復をサポートしています。家族本来の機能を回復するには、一切介入をしない家族療法が必要です。何故ならば、介入をされれば人間は、その介入を拒否するからです。介入することなく、ただ当事者と家族との開かれた対話を繰り返す、オープンダイアローグという家族療法がひきこもりを乗り越えるのに非常に有効になります。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

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