国益という言葉の危険性

米国のトランプ大統領、また米国に隷属している日本の首相も、よく「国益」を損なうという言葉を使いたがる。そして、野党も同じように国益に照らしてとかいう言葉を振り回す。マスメディアだってそうだ。国益を損なうようなことをすべきでないと、政治家や官僚を批判するような報道をする。国民誰もが国益を最優先にして物事を考える癖がついてしまったようだ。この国益という言葉に違和感を持つ人はいないのだろうかと不思議に思っていたら、やはりいた。あのカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」を作った是枝監督がその人である。

是枝監督は国益という言葉をふりかざして、ナショナリズムをかきたてるような政治手法に、とても危うさを感じると述べられていた。全体主義を助長するような政治姿勢とは、一線を画したいと文科省の祝意を断った。国益にこだわる国は他にもあり、お隣の大国や朝鮮半島の国々も同じである。このグローバルな世界において、あまりにも国益にこだわれば貿易摩擦が起きるし、国際紛争に発展しかねない。ましてや、あまりにも国益を重要視したが故に植民地政策を取り、他国をさらに支配しようとして世界大戦を引き起こした経験を忘れたのであろうか。あんな悲惨な戦争をまた繰り返したいのだろうか。

他国の行き過ぎたナショナリズムに対抗するように、危機感を煽って内閣支持率を高めようする姑息な手段を取るというのは、実にいただけない。国益という言葉を巧妙に用いながら、政権与党しか国益を守れないと、プロパガンダする政治手法はまさに軍部が実権を握り始めた太平洋戦争の前の政治情勢とまったく同じだと思われる。とかく政権を握る者というのは、国民から批判をされ始めると、外に敵を作りたがる。外敵の脅威をおおげさに喧伝して、自国の政治に対する批判をかわしたがる。北朝鮮のミサイル脅威が政権与党への投票を後押した形になり、国政選挙を圧勝した例もある。

国益という言葉が駄目だとは言っていない。ただ、国益という旗の元に、エゴイズムやナショナリズムを必要以上に煽り立てるのはいただけない。国益とは、国の利益である。国の利益というと非常に勘違いしやすいが、本来は国民の利益ということであろう。国の政治体制や権力者の権益を守るために国益という言葉が独り歩きしているように思えて仕方ないのは、私だけではあるまい。国民全体の利益を考えるべきであり、その利益というのも経済的利益だけではない筈である。平和とか平等というようなものとか、お互いに支えあう豊かな関係性を持つコミュニティの維持も、立派な国益であろう。

国益を前面に出してしまうと、他国の善良なる国民の幸福を奪ってしまうケースがある。必要以上に安い金額で農産物を輸入する先進国の商社が存在する。カカオ豆やバナナなどを、生産者の足元を見て販売価格を不当に値引きする先進国の商社は後を絶たない。その農産物に多額の利益を上乗せして自国で販売する。そういう不当な取引を止めようと、フェアートレードを実施しているNGOも多い。国益をあまりにも優先すると、発展途上国の貧困を後押ししてしまうことになる。国際紛争や内戦に武器をさらに売り込もうとして、必要以上に裏工作により刺激させて戦いを長引かせる武器商人がいる。これも自国の利益だけを優先した結果である。

このように国益という言葉が、世界的な平和や豊かさをどれだけ侵害しているかということを、我々は忘れてならない。自国だけ自分だけが平和で豊かであればいいという、エゴのかたまりのような考え方を持つのは危険である。そして、人間として情けないことである。日本人の偉大な先人たちは、他国の国民に対しても多大なる貢献をしてきた。リトアニアで6000人のユダヤ人にビザを発給した杉原千畝、黄熱病研究の野口英世、武士道を著した新渡戸稲造などは、他国民からも尊敬を集めている。日本人というのは、自国だけの利益に固執しないからこそ、国際的にも尊敬されてきたのである。

これだけグローバルになった社会なのであるから、国益にこだわり過ぎることが国際的に様々な問題を起こすことは想像できる。もっと広い視野と見識を持ち、世界全体の平和と幸福を実現するために、我々国民が努力したいものである。そして、安易に国益という言葉を使わないようにしたいものである。さらには、マスメディアに働く人は、国際人として国益という言葉に違和感を感じて欲しい。少なくても、国会など公の場において国益という言葉を利用して、ナショナリズムを煽るようなことをさせてはならない。

 

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